哲学の入り口
このポッドキャストは、ギークの2人が興味がある技術や熱中していることについて語る番組です。
オクです。
ゾウです。
はい。今回ですね、こう唐突に哲学を取り上げたいと思うんですけども。
はい。あんまりオク自身ですね、あまりご縁自体はなかったんですけども。
これも一つ強要だなぁと、本屋さんでフランスの高校生が学んでいる10人の哲学者っていうのをですね、表紙見て買いまして。
はい。
こちらの本を元にちょっと取り上げたいなと思います。
はい。
これ本当にジャケ買いでして。
はい。
パッと表紙で見て目を惹かれ、パラパラと中を見たものの、結局表紙で選んだって要素が強かったですね。
で、哲学なんですけど、勉強自体はしたことがないところで、私自身ご縁はないっていうところを繰り返すんですが。
はい。
その昔、いわゆるその昔、カノ○はこんなことを言っていたみたいな話あるじゃないですか。
はい。
ああいうのは割と好きなんですよね。
はい。
あとその昔、確かフジテレビ系だったと思うんですけど、世界は言葉でできているみたいな番組があって。
はい。
これは、異人の言葉を超えるっていうのがテーマの番組だったんですけど、こういった派生したようなやつも結構見はするので、好きは好きって感じですね。
うん。
この番組覚えてます?
いや、そもそもなんか知らないかな。初めて聞きました。
じゃあ、曲書的な何かだったかもしれません。
はい。で、本書なんですが、フランスの高校生が学んでいる10人の哲学者。こちら、プラトン・アリストテレス・デカルトから始まって、ニーチェ・フロイト・サルトルみたいな哲学者10人取り上げてるっていう書籍になってます。
はい。
とりあえずここまで引っ張ってきて聞いてみようと思うんですけど、哲学って興味ありますか?
カントと道徳の問題
うーん、そうです。なんか難しいですね。学問としては、あんまり興味ないかなとは思います。
なるほど。
なんかその、なんですかね、いわゆるオタク的に好きなものには何かしら盛り込まれてるじゃないですか、誰かの哲学的そうなもの。
そういうものが好きな傾向はあるかなとは思うんで、なんて言うんですか、直接本人が言った言葉っていうよりも、
毎回なんかの漫画、アニメ、ゲームでもいいですけど、その辺のコンテンツから反射して影響は受けてるんだろうなっていうのは思いますね。
あとはその、出てきた言葉を結局その、なんですかね、そのまま受け取るよりっていうよりかは自分なりに解釈して、自分なりの考え方みたいなのはできてるんだろうなっていうのは認識はしてますね。
うーん、なるほど。確かに二次接種的な感じが多いかもしれないですね。
そういう意味だと、哲学っていう学問のいわゆる原本に当たるみたいなところは、ちょっとそこまではやらないかなみたいな感じではあります。
確かにそうですね、今回私も10人取り上げられてるものの中で、名前ぐらいしか聞いたことないかみたいな人もいるので、そこ結構あると思いますね。
逆にデカルトとプラトン・アリストテレスだと、特にアリストテレスなんかは結構、いわゆる漫画作品であるとかにもちらちら見るような名前だったりするのかなっていう気がします。
まあなんか、いわゆる現代に哲学があるのかちょっとよくわかってないですけど、昔の哲学者ってその哲学だけをやってた人じゃない場合が多いじゃないですか。
心理学とか、多いのは数学系だという印象があるんですけど、そっちの数学的な側面とか、発明品とかっていうような方向性で、聞いたことあるなっていうのは多いですよね。上げてもらった名前の中でも。
数学と哲学は結構近いゾーンにいた時代の人たちっていうのはやっぱりいると思いますね。この本では取り上げてなかったと思うんですけど、いわゆる心理を求めるみたいなところが、数学みたいにちゃんと論理で解釈できるところに通じるみたいな話は何かどっかで読んだ気がしますね。
というか、たぶん現代的な、いわゆる論理的思考が生まれてきたのが哲学だから結構結びついてるみたいな印象はありますね。
で、改めてこの本書なんですけど、異人住人取り上げてどういったことを書いてるのかってことなんですが、現代に向けて適応できるメッセージはどんなものかとか、そこに加えて問題発言って形で、現代の価値観から比べてみるとそれってどうなんみたいな感じで批判的にも取り上げてるって形が取られてます。
必ずしもめちゃくちゃアゲーでもないし、めちゃくちゃサゲーでもないっていう書き方ですね。結構フラットな本だなっていう感じを受けました。
10人取り上げられてる中で、比較的自分の中で受け入れやすい、しっくりくるなと思ったのがカントなんですけど、カントって純粋理性批判って本を書いた人なんですけど、
後で思い出したんですけど、高校の授業で出た気がします。名前は。
純粋理性批判をフランスの高校生が学んでる10人の哲学者だって本書だと、科学が人間に与える知識は間違いではないし、時には生活に利益をもたらすけど真理ではない。その上で、我々は人文の能力の範囲でしか世界を知ることはできないっていうのが趣旨だっていうふうに書かれてる本だとしてます。
カントの考え方みたいなところでしっくりくるなと思ったのは、道徳の問題に関する回答。実践理性って話が載ってるんですけど、これが理性的に考えれば善行ですね。良い行動っていうのは可能だって考え方なんですけど、
自分の行為が道徳的であるのか、いわゆる善行であるのかっていう判断に迷った時には、それが普遍的であるかどうかを問うっていうのがいいらしい話が載ってます。
自分が考える自由なアクション、取りたいと思う行動みたいなところを、普遍的なルールと照らして成立するか判断して、イエスなら道徳的に正しくて、ノーなら正しくないっていうことですね。ここまで読んだり、ここまで聞いてもちょっと難しいかなと思って、実際例に挙がってるものの話をしたいんですけど。
例えば、友人のためなら嘘をついてもいいかっていう命題があると。友人のために嘘をつくっていう行動が、それは正しいかどうかってことなんですけど、それぞれみんなが自分自身の都合で嘘をつく、要は友人のためだろうと自分の都合なわけで、
そういう嘘をつくことが許される社会だったら、社会生活が成立しないのでノーとしてますと。だから人間同士は信用が大事であって、他人の言葉を信じられない場合、法律とか契約とか商売が成立しないから社会活動が維持できないっていうのが限定とされてます。
そういうわけで嘘をついちゃいけませんよっていうことなんですけど、終始理性的な判断でいいのであるっていう姿勢ですね。
自分自身、私自身っていうところで、自分の行動正しいのかなみたいなクエスチョンって割合浮かぶ方の人間だなと思ってるんですけど、自分の悩み、悩むってほど悩んでないかもしれないんですが、一定の視点をもらえたかなと思ってます。
思考と行動のポリシー
特にこういうの難しくて、表だって人に聞くかといえばそうではないような内面的な問題だからこそ、過去の人がどういうふうに考えたかみたいな話って、読んでみて価値がある話なのかなって考えたとこですね。
はい。というわけでカント良かったなという話なんですが、割合自分のクエスチョンみたいなことが頭に浮かぶって話をしたんですけど、昔付き合ってた人に、なんかずっと考えてるよねって振られたんで何かぐさりきますよね。
まあそうですね。その辺の話が、振られた理由かどうかはともかく、何を言えばいいんだ。
まあ少なくとも考えて行動することが正しいって後押しされた気はするけど、それが良くないって言われたこともあるなーっていう話なんですけど。
まあ基本的にはあれじゃないですかね。常に根源に遡ってまで常にやってると、ある意味機会を逃すことにもなるんで、それを何かある種
ポリシーまで引き上げるみたいな形。即時判断できるためのポリシーまで自分の考えを固めておいて、定期的にそのポリシーを更新していくみたいな形で即応できる部分、常に考え込まなくていい部分と
ポリシーを更新するという部分で考える必要がある部分というような分け方をするのが、一般的かはわかんないですけど個人的な感覚かなと思います。
うん、なるほど。
本の紹介の中でも言ってもらったみたいに、現代で考えるとちょっとどうなの?みたいなところがあるみたいな。なんだかんだカントも結構古い人?
1700年代の人だから、その後やっぱその普遍的っていう話とか出ましたけど、その普遍的にいいかどうかって変わったりするじゃないですか。
それこそキリスト教が強かった時代と現代だったりとか、アメリカではいいけど日本だと、みたいな場合もある。その逆もありますけど。
その辺なんですよ。いわゆるその時代の変化に応じて普遍的に変わってくる。どこまでを普遍とするかとかに変わってくると思うんで。
そういう意味でまずは基礎の過去の偉人、住人を学んでから、現代に挙げていくっていうのが結構有効だとは思うんで。
そうですね。今回取り上げられた住人、それこそいわゆるいろんな哲学者がいた中でも厳選された住人。
例えばカントだと約17世紀かの人たちだったりとかしていて、いわゆる古典にあたる人たちだと思うんですよ。
はい。
いわゆる古典は大事って言われるような話に近いのかなと思うところもあるんですよね。
はいはい。
結構これ、このポッドキャストのいわゆるギーク、この技術に近いところの話で、ちょっと一箇所繋がるところがあるなと感じてるところがあって。
はい。
さっき言った、我々は自分の能力の範囲でしか世界を知ることができないっていう話が載ってるんですけど。
はい。
いわゆる高度に発達した科学は魔術と見分けがつかないみたいな話あるじゃないですか。
はい。
結局自分の能力が追いついてない場合、その原理っていうものを認識ができない、自分の範囲でしか解釈ができない。
結果、それは魔法としてしか解釈できない、世界を知ることができないっていう話に近しいものを感じてて。
はい。
ここはちょっと面白かったポイントなんですよね。いわゆる技術とかエンジニアリングの方にいる人間から見てこの話はちょっと面白かったところなんですよ。
はいはい。いわゆるプログラミング学び始めにおまじないがあるみたいな感じですか。
うんともあるし、他何ですかね、最近の大規模言語モデルをじゃあどこまで解釈してその入出力を人間が得てるかとか考えると。
はい。
だいぶ魔術味が近くなってきてるなと思うんですよね。
うーん。なんか我々は多分こうなんだろう、例えばGoogleの動きとして、Googleじゃないかな。
アルファGoとかだんだんいわゆるAIが人間に勝ち出した時期みたいなところから割と認識してる方だと思うんですけど。
はい。
例えばここから10年後とかにプロンプトの運用が普通になってくると、その上でいわゆるこの背景にあるエンジニアリングっていうのを自分の能力で学習できてない場合、それは多分魔法でしかないと思うんですよね。
うーん、はい。
なんか音声で、スマートフォンに音声で語りかけて音声で返してくるなんて、本当に妖精さんがいるのと変わらない世界がそのうち来ちゃうんだろうなと思ってて。
はい。
結構そういった意味で、なんていうか、現代社会につながることを言ってるなとも感じましたね。
なるほど。どうなんですかね、新しい技術を魔法的に扱うことに不安があるみたいな感じです?
いや、自分には不安はないけれど、多分もう一世代か二世代回った頃が一番不安なのかなと思うんですね、これに関しては。
まあ、そうですね。
いわゆる、利用者と開発者の間が多分すごい開きすぎるんだと思うんですよね。
そこは、実はなんか今も昔もそんなに変わらなくて、いわゆる利用者、魔法として扱ってる人はまあ、それはそれでたくましく生きていくんじゃないかなとは思いますけどね。
何ですかね、いろいろ今起こってることって、みんなもう基地のことばっかりわかりきってることばっかりだって、なんとなく僕らは思ってるかもしれないですけど、でもなんか重力ってなんで発生してるかとか、結局わかってないじゃないですか。
いわゆるそのLLMの原理を知るみたいな方向性で重力ってなんで発生してるのっていうところがわかってないけど、でも使いこなしてはいますよね、僕らは。
そういう意味で、純能性があるというか、使いこなし、原理はわからなくても使いこなすし、原理がわからないことを原理がわからないままで受け止めるっていうことが、それこそ哲学者とかの人のおかげでできてると思うんで、そこはそっちの方向性なんかあんまり心配はないのかなっていうような気はしてますね。
技術と哲学の関係
なるほど。
というわけで、フランスの高校生が学んでいる10人の哲学者という本の紹介を入り口に、哲学だったり技術だったりという話をしてきました。もし興味あればリンクも貼っておきたいと思いますので、ぜひお手に取ってみてください。