インタビュー
今のところと重なることがあるんですけど、それをどうしたら言葉にできるかと、イコールかもしれないですけど。
当然、日本のアニメだったり、異世界もそうですし、この間、外国にいる友人と話したら、当然ポケモンもすごい人気で。
僕は横浜に住んでるんですけど、港未来にポケモンのお店があって、そこにこの間、彼はわざわざそのために来て、買って、それを向こうに転売することで、なんかもう車買えるみたいになってて。
ちょっと、東さんの交渉の話から下世話で恐縮なんですけど。でもやっぱり、僕らは、日本のそういうものの価値がすげえってわかってるけど、いわゆるコンテンツの監禁というか、それをもっと稼げると思うんですけど。
岡田斗司夫 その辺って、あずまさんが言うのは言葉として。
山本 いや、だから、戦後日本の価値観に対する否定的な評価っていうのは、いっぱい言葉になってるんですよ。
幼児的だとか、まさにディズニーランド的だとか、平和ボケだとか、そういう言葉がいっぱい出てくるんだけど、でも、「そんなに否定的だったら、こんなにウケないのではないか?」みたいなことも思ってて。
もっとなんかあるんじゃないか? もっとこれをポジティブな価値観に転換できるんじゃないか?
岡田斗司夫 否定、そうっすね。訂正じゃなくて否定で終わっちゃってますよね。
山本 まあでも、それはちょっとまだね、僕の中でも、こういう切り口で見ると、戦後日本の、だからポップカルチャーはその一部ですけど、
戦後日本的な価値観っていうのがポジティブに見えるんだよっていう、そこはね、あんまうまく言語化になってないんですよね。
できるだろうって思ってるんだけど。
岡田斗司夫 でもなんか、どうなんでしょう? 僕、戦前の人じゃないんで、あんまりイメージで言っちゃいけないんですけど。
日本人は、例えば、濃厚民族だからちょっと穏やかだとかね、言われますけど、この間のGDPで日本が4位になったみたいな、結構でっかく出てましたけど。
なんか正直、個人的には、「いや、それでもまだ4位だから、全然いいじゃん!」みたいに思って、「まあいいや!」みたいになっちゃうんですけど、どうなんでしょうね、みんな。
だからなんか、新たなディズニーランドでいいんじゃないかなと。昔のディズニーランドでは当然ないわけで。
もし、新たなディズニーランドっていうことをこれから目指すとしても、前のディズニーランドがどう良かったかっていうことは、
良い部分ってなんだったのかってことは、ちゃんと言葉にしていかなきゃいけない。
いや、ここ、僕、結構大事だと思ってて。例えば、昭和時代の悪いところって、いくらでも思いつくんですよ。
それこそ、パワハラ・セクハラ天国だったとか、自民党がずっとやってて、土研やで、自然破壊とか関係なく、どんどん高速道路とか作ってるだけで、コンクリートだらけだったとか、いろんなことが言えるんだけど。
じゃあ、昭和の良いところってなんだったかっていうと、あんまり僕たち、それを言葉にできてないと思うんですよね。そういう話だと思うんですよ。
でも、ある一定世代は、昭和は結構良かったんだけどなぁとか思ったりしてると。そうすると、老害とかに言われちゃうとか。
言葉にできてない部分が一番大事で、その批判的に見るとこは全部言葉として出てますよね。
だから、例えば、昭和的な価値観。例えば、サラリーマンがいて、主婦がいて、子供たちがいた。ああいうのは家父長的で、女性の社会真相を阻んでいて、
うんぬんかんぬんで、過労死なんかも起きていてっていう、それを攻撃することもあるんだけど。しかし、他方、昭和の頃のああいう家族観とか生活観みたいなものに対する憧れみたいなものも残ってて。
で、それはレトロブームとか、そういうのによって表現されてるんだけど。じゃあ、あれの何が良いと思ってたのかっていうことを、ちゃんと言語化できてないじゃないですか。
だから、そこの部分は引き継ごうにも引き継げない。
でも、明らかにありますよね。
だから、そういう意味では、日本って、ある意味では変に批判性が高くて、過去の自己否定はすごく上手いんですよね。
でも、良かったところについては、良かったと思ってた感情だけが残ってて、それを上手く言葉にできない。
おそらく戦前についてもそうなんですよ。だから、戦前にも良かったと思ってた人達って、戦後もずっと長いでいるんですよね。
で、彼らの感情っていうのはずっと複雑してて、結局平成期とかになると、ある種の愛国として出てくるんだけど、
戦前を否定する言葉はすごくあったわけですよ。
でも、戦前の何が良かったのか、その否定する部分、もちろん植民地主義、軍国主義から始まって、様々な否定的なことがあったとしても、
あそこで良かったことって何だったのかっていうことを、もっとちゃんと言語化しておけば、
今のような単純な左右対立にもならなくて済んだのかもしれないし、
もっと近代日本についての理解がみんな豊かで重層的だったと思うんですよね。
でも、明らかに、やっぱり、昭和へのノスタルジーというか。でも、その中で、訂正する力とまでは言えないかもしれません。
やっぱり、最近、僕、まったくテレビ、もともとそんな見ないんですけど、本当に見ないんですけど、
ちょうど高橋玄一郎さんが、ラジオで、「最近良かったよ!」って言うので、
駆土勘さんがやってる、『不適切な頃がある』って、あれ見たら、まさにそこじゃないですか。
彼が今後、最終回までに、今、東さんが言ってる言語化みたいなのができるのかな、みたいな、ちょっと個人的には注目してるんですけど。
だから、みんな感じて、それを見たいのはありますよね。
ただ、ただの昭和来参で終わっちゃうと、またもったいないなと思うんですけど。
そういう点では、日本人は、やっぱり、この本に書いた通り、
過去を引き受けて、なんとなく現在からもう一回言語化して物語化するっていうのが苦手な人たちだなとは思いますね。
戦前について語る時も、戦後の昭和について語る時も、やっぱり前否定してしまう。
で、あれの中でも良いところがあったんじゃないかっていうのは、
じゃあ、お前は軍国主義を肯定するのか? お前はパワハラ株調制を肯定するのか?っていう話になって、
こう、モヤモヤした、でも良いところがあったのになーって気持ちだけがずるずる残っていくっていう。
だから、これを言葉にしないと前に進めない感じがするんですよね、僕は。
じゃあ、またどこかのタイミングで、それを言葉にしていただける可能性も。
僕は結局昭和46年生まれで、最初のだから20代になるまでが昭和。
そこから後が平成、令和っていう、ほんとそういう点では2つの時代っていうか、
0戦前、0戦後っていうのをちょうどはずかい気に生きてる人間なんで、
それは僕の人生の話でもあるから、どこかでやらなきゃいけないんだなとは思ってますね。
戦後日本とは何かっていう話ですね。
楽しみですね。
すみません、最後にいくつかだけ、この番組のキークエスチョンでもあるんですけど、もう180度変わりますけど、
ここにトランプというかカードがあると想像していただきたい7枚カードがあります。
人生に欠かせないものを、この7枚のカードから選ぶとしたらどのカードを選ぶか。
本、曲、食、食べる食ですね。
映画、場所、記憶、もしくは何でも。
この中で1つカードを引くとしたら。そして具体的にそれは何ですか?
これは、答えは本なんですけどね。
ただ、こんなツッコミよりでもしょうがないですけど、人生に欠かせないっていう話だったらば、
食とか失われたら人生死ぬので。
引用されちゃいましたね。
このカード、俺、ちょっとおかしいんじゃないかなと思って。
あと記憶とかも、記憶なくなったら死ぬじゃない?
これ俺、すげえコメントされそう。お前バカだ!みたいな。
欠かせないものって言ったら、これ食か記憶しかないんだけどって思っちゃった。
ごもっともです。
でも、そういう趣旨のクエストではないと思いますので。
というわけで本です。
その本は何でしょう?
その本ね、本から1冊、結局一番好きなもので、
自分の人生の柱で何回か今後も読み直すようなもので、
っていうことで言うと、なんかすごいベタな答えになってしまって申し訳ないんですけど、
ドストエフスキーのカラマーソンの兄弟が、僕にとってはそれなんですね。
ちょうどね、後ろのアズマヒロ君の10冊にも入ってますよね。
あれは何回も僕読んでるし、
高校生の1年の時に読んだんだけど、
すごい衝撃を受けたんですよ。
それをどこで読んでたかも覚えてるっていうかね。
塾に行く前に渋谷のマクドナルドで読んでた時のことの光景を、
僕すごく覚えてるんだけど、
読書経験としてすごく良かったんですよね。
だから1冊あげろって言ったら、これをあげたいなと思います。
小説的評価とか、なんかの哲学的な内容がどうとかなんとかっていうことは言うことはできますけど、
でもそれを全部外したとしても、
16歳の時にこれを読んで、こういう小説があるのか。
こういう会話とかがあり得るのか。
すげーな、みたいな。
すごい思った。
カラマザフの兄弟読んだって、
当然ドストエスケの命中、罪と罰なんかもありますけど、
その高一でカラマザフの兄弟を手に取ったっていうのは、
どういうシチュエーションっていうか。
当時の僕は、なんかあの、
バカみたいな話になりますけど、
中学3年生ぐらいの時に反省したんですよ。
何かっていうと、
僕小学校4年生とか5年生の時は、