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2024-04-22 23:58

【INTERVIEW#238】僕の哲学の源泉│東浩紀さん(批評家/作家)

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【僕の哲学の源泉】
全4回にわたってお届けしてきたインタビューの最終回。「人生に欠かせないもの」と言う質問から、東さんの哲学の源泉となったお話をしていただきました。ゲンロンカフェが生まれた理由にもつながる話を最後までお楽しみください。(2024年3月取材)

【東浩紀】あずま・ひろき
1971年東京生まれ。
批評家・作家。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。
専門は哲学、表象文化論、情報社会論。著書に『存在論的、郵便的』(新潮社、第21回サントリー学芸賞 思想・歴史部門)、『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)、『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社、第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』(講談社)、『ゲンロン0 観光客の哲学』(ゲンロン、第71回毎日出版文化賞 人文・社会部門)、『ゆるく考える』(河出書房新社)、『ゲンロン戦記』(中公新書ラクレ)ほか多数。
『訂正する力』(朝日新聞出版)
『訂正可能性の哲学』(ゲンロン)

第一回 誰もが自らを「訂正」し続けている
第二回 「立場」と「訂正する力」のジレンマ
第三回 もしも日本を「訂正」できるなら
第四回 僕の哲学の源泉
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▼【聞き手・早川洋平プロフィール】
はやかわ・ようへい/1980年横浜生まれ。新聞記者等を経て2008年キクタス株式会社設立。羽生結弦、コシノジュンコ、髙田賢三など世界で活躍する著名人、経営者、スポーツ選手等ジャンルを超えて対談。13年からは「世界を生きる人」に現地インタビューするオーディオマガジン『コスモポリタン』を創刊。 海外での取材を本格化するいっぽうで、戦争体験者の肉声を世界へ発信するプロジェクト『戦争の記憶』にも取り組む。 公共機関・企業・作家などのパーソナルメディアのプロデュースも手がけ、キクタス配信全番組のダウンロード数は毎月約200万回。累計は3億回を超える。『We are Netflix Podcast@Tokyo』『横浜美術館「ラジオ美術館」』『石田衣良「大人の放課後ラジオ」』などプロデュース多数。近年はユニクロやネスレ、P&GなどのCMのインタビュアーとしても活躍。 外国人から見た日本を聞く番組『What does Japan mean to you?』で英語での発信もしている。

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▼目次
日本の価値
人生に欠かせない〇〇
批評に不可欠な能力
『訂正する力』と『訂正可能性の哲学』の違いと楽しみ方
メンバーシップ随時募集中

00:01
インタビュー
今のところと重なることがあるんですけど、それをどうしたら言葉にできるかと、イコールかもしれないですけど。
当然、日本のアニメだったり、異世界もそうですし、この間、外国にいる友人と話したら、当然ポケモンもすごい人気で。
僕は横浜に住んでるんですけど、港未来にポケモンのお店があって、そこにこの間、彼はわざわざそのために来て、買って、それを向こうに転売することで、なんかもう車買えるみたいになってて。
ちょっと、東さんの交渉の話から下世話で恐縮なんですけど。でもやっぱり、僕らは、日本のそういうものの価値がすげえってわかってるけど、いわゆるコンテンツの監禁というか、それをもっと稼げると思うんですけど。
岡田斗司夫 その辺って、あずまさんが言うのは言葉として。
山本 いや、だから、戦後日本の価値観に対する否定的な評価っていうのは、いっぱい言葉になってるんですよ。
幼児的だとか、まさにディズニーランド的だとか、平和ボケだとか、そういう言葉がいっぱい出てくるんだけど、でも、「そんなに否定的だったら、こんなにウケないのではないか?」みたいなことも思ってて。
もっとなんかあるんじゃないか? もっとこれをポジティブな価値観に転換できるんじゃないか?
岡田斗司夫 否定、そうっすね。訂正じゃなくて否定で終わっちゃってますよね。
山本 まあでも、それはちょっとまだね、僕の中でも、こういう切り口で見ると、戦後日本の、だからポップカルチャーはその一部ですけど、
戦後日本的な価値観っていうのがポジティブに見えるんだよっていう、そこはね、あんまうまく言語化になってないんですよね。
できるだろうって思ってるんだけど。
岡田斗司夫 でもなんか、どうなんでしょう? 僕、戦前の人じゃないんで、あんまりイメージで言っちゃいけないんですけど。
日本人は、例えば、濃厚民族だからちょっと穏やかだとかね、言われますけど、この間のGDPで日本が4位になったみたいな、結構でっかく出てましたけど。
なんか正直、個人的には、「いや、それでもまだ4位だから、全然いいじゃん!」みたいに思って、「まあいいや!」みたいになっちゃうんですけど、どうなんでしょうね、みんな。
だからなんか、新たなディズニーランドでいいんじゃないかなと。昔のディズニーランドでは当然ないわけで。
もし、新たなディズニーランドっていうことをこれから目指すとしても、前のディズニーランドがどう良かったかっていうことは、
良い部分ってなんだったのかってことは、ちゃんと言葉にしていかなきゃいけない。
いや、ここ、僕、結構大事だと思ってて。例えば、昭和時代の悪いところって、いくらでも思いつくんですよ。
それこそ、パワハラ・セクハラ天国だったとか、自民党がずっとやってて、土研やで、自然破壊とか関係なく、どんどん高速道路とか作ってるだけで、コンクリートだらけだったとか、いろんなことが言えるんだけど。
じゃあ、昭和の良いところってなんだったかっていうと、あんまり僕たち、それを言葉にできてないと思うんですよね。そういう話だと思うんですよ。
でも、ある一定世代は、昭和は結構良かったんだけどなぁとか思ったりしてると。そうすると、老害とかに言われちゃうとか。
言葉にできてない部分が一番大事で、その批判的に見るとこは全部言葉として出てますよね。
03:04
だから、例えば、昭和的な価値観。例えば、サラリーマンがいて、主婦がいて、子供たちがいた。ああいうのは家父長的で、女性の社会真相を阻んでいて、
うんぬんかんぬんで、過労死なんかも起きていてっていう、それを攻撃することもあるんだけど。しかし、他方、昭和の頃のああいう家族観とか生活観みたいなものに対する憧れみたいなものも残ってて。
で、それはレトロブームとか、そういうのによって表現されてるんだけど。じゃあ、あれの何が良いと思ってたのかっていうことを、ちゃんと言語化できてないじゃないですか。
だから、そこの部分は引き継ごうにも引き継げない。
でも、明らかにありますよね。
だから、そういう意味では、日本って、ある意味では変に批判性が高くて、過去の自己否定はすごく上手いんですよね。
でも、良かったところについては、良かったと思ってた感情だけが残ってて、それを上手く言葉にできない。
おそらく戦前についてもそうなんですよ。だから、戦前にも良かったと思ってた人達って、戦後もずっと長いでいるんですよね。
で、彼らの感情っていうのはずっと複雑してて、結局平成期とかになると、ある種の愛国として出てくるんだけど、
戦前を否定する言葉はすごくあったわけですよ。
でも、戦前の何が良かったのか、その否定する部分、もちろん植民地主義、軍国主義から始まって、様々な否定的なことがあったとしても、
あそこで良かったことって何だったのかっていうことを、もっとちゃんと言語化しておけば、
今のような単純な左右対立にもならなくて済んだのかもしれないし、
もっと近代日本についての理解がみんな豊かで重層的だったと思うんですよね。
でも、明らかに、やっぱり、昭和へのノスタルジーというか。でも、その中で、訂正する力とまでは言えないかもしれません。
やっぱり、最近、僕、まったくテレビ、もともとそんな見ないんですけど、本当に見ないんですけど、
ちょうど高橋玄一郎さんが、ラジオで、「最近良かったよ!」って言うので、
駆土勘さんがやってる、『不適切な頃がある』って、あれ見たら、まさにそこじゃないですか。
彼が今後、最終回までに、今、東さんが言ってる言語化みたいなのができるのかな、みたいな、ちょっと個人的には注目してるんですけど。
だから、みんな感じて、それを見たいのはありますよね。
ただ、ただの昭和来参で終わっちゃうと、またもったいないなと思うんですけど。
そういう点では、日本人は、やっぱり、この本に書いた通り、
過去を引き受けて、なんとなく現在からもう一回言語化して物語化するっていうのが苦手な人たちだなとは思いますね。
戦前について語る時も、戦後の昭和について語る時も、やっぱり前否定してしまう。
で、あれの中でも良いところがあったんじゃないかっていうのは、
じゃあ、お前は軍国主義を肯定するのか? お前はパワハラ株調制を肯定するのか?っていう話になって、
こう、モヤモヤした、でも良いところがあったのになーって気持ちだけがずるずる残っていくっていう。
06:04
だから、これを言葉にしないと前に進めない感じがするんですよね、僕は。
じゃあ、またどこかのタイミングで、それを言葉にしていただける可能性も。
僕は結局昭和46年生まれで、最初のだから20代になるまでが昭和。
そこから後が平成、令和っていう、ほんとそういう点では2つの時代っていうか、
0戦前、0戦後っていうのをちょうどはずかい気に生きてる人間なんで、
それは僕の人生の話でもあるから、どこかでやらなきゃいけないんだなとは思ってますね。
戦後日本とは何かっていう話ですね。
楽しみですね。
すみません、最後にいくつかだけ、この番組のキークエスチョンでもあるんですけど、もう180度変わりますけど、
ここにトランプというかカードがあると想像していただきたい7枚カードがあります。
人生に欠かせないものを、この7枚のカードから選ぶとしたらどのカードを選ぶか。
本、曲、食、食べる食ですね。
映画、場所、記憶、もしくは何でも。
この中で1つカードを引くとしたら。そして具体的にそれは何ですか?
これは、答えは本なんですけどね。
ただ、こんなツッコミよりでもしょうがないですけど、人生に欠かせないっていう話だったらば、
食とか失われたら人生死ぬので。
引用されちゃいましたね。
このカード、俺、ちょっとおかしいんじゃないかなと思って。
あと記憶とかも、記憶なくなったら死ぬじゃない?
これ俺、すげえコメントされそう。お前バカだ!みたいな。
欠かせないものって言ったら、これ食か記憶しかないんだけどって思っちゃった。
ごもっともです。
でも、そういう趣旨のクエストではないと思いますので。
というわけで本です。
その本は何でしょう?
その本ね、本から1冊、結局一番好きなもので、
自分の人生の柱で何回か今後も読み直すようなもので、
っていうことで言うと、なんかすごいベタな答えになってしまって申し訳ないんですけど、
ドストエフスキーのカラマーソンの兄弟が、僕にとってはそれなんですね。
ちょうどね、後ろのアズマヒロ君の10冊にも入ってますよね。
あれは何回も僕読んでるし、
高校生の1年の時に読んだんだけど、
すごい衝撃を受けたんですよ。
それをどこで読んでたかも覚えてるっていうかね。
塾に行く前に渋谷のマクドナルドで読んでた時のことの光景を、
僕すごく覚えてるんだけど、
読書経験としてすごく良かったんですよね。
だから1冊あげろって言ったら、これをあげたいなと思います。
小説的評価とか、なんかの哲学的な内容がどうとかなんとかっていうことは言うことはできますけど、
でもそれを全部外したとしても、
16歳の時にこれを読んで、こういう小説があるのか。
こういう会話とかがあり得るのか。
すげーな、みたいな。
すごい思った。
カラマザフの兄弟読んだって、
当然ドストエスケの命中、罪と罰なんかもありますけど、
その高一でカラマザフの兄弟を手に取ったっていうのは、
どういうシチュエーションっていうか。
当時の僕は、なんかあの、
バカみたいな話になりますけど、
中学3年生ぐらいの時に反省したんですよ。
何かっていうと、
僕小学校4年生とか5年生の時は、
09:00
難しい文庫本とか読んでて、
結構頭いいと思ってたんですよね、自分で。
でも中学校入って、アニメとか見るようになって、
アイドルとかもおにゃんこクラブとかファンとかになって、
あと読むのもなんかラノベ系みたいになってきたんですよ。
で、ある時、中3ぐらいで気がついて、
あれ、もしかして俺ってなんかちょっと、
最近なんか、頭がちょっとどうかなみたいな。
で、そこで1年おっきし、
このままではダメだと。
俺の読書稽古を立て直そうということを、
勝手に1年おっきして、
世界文学を、とにかく片っ端から読むんだ、みたいな。
名作を、みたいな。
そういうキャンペーンを。
キャンペーンを1人でやってたんですよ。
で、そういう中で、
カラマゾモの兄弟も必然的に、
キャンペーンの一環として出てきたんですね。
そうなんですね。
そうなんですよ。自己改革やってたんですよ。
で、その時も読書に一気つけてた。
あの、勝った人狂おした人。シャーって。
で、自己改革。
自分探しより自己改革してますね。
でもそうしないと、
俺はちょっと屋敷に流れてるみたいな。
それはそれでいいんですけどね。
だから、その頃アニメとか、
アイドル文化とか結構詳しくなったから、
それはそれで、
後世の糧になってるんだけど。
でもね、
中学3年生だとそういうこと思いそうじゃないですか。
まずい、みたいな。
その中で、カラマゾモの兄弟さんの文学的批評とか、
いろんなことは専門家の観点からもできると思いますけど、
そういうの全部ぶっ飛ばして、
でも、あえて言語化して、
アズマさんがやっぱりすぐ、
この10冊にも入ってますし、
即答で出てくるっていうのは、
なんか今の、
無理やりそうに結びつけられるわけじゃないんですけど、
実は〇〇だったりいくと、
アズマ・ヒロキの何か形成してる要素って言ったらいいですけど、
なんかあるんですかね、影響を。
そう、受けてるのはすごくあると思いますよ。
だから、僕にとって、
多分哲学っていう経験、
哲学的な経験っていうのは、
すごく根本のとこに、
カラマゾモの兄弟というか、
ドストフスキの小説があるので、
ドストフスキの小説っていうのは、
普通の小説と違ってて、
とにかく主人公がすごいいっぱい喋るんですよ。
めちゃめちゃ。
すごいですよね。
めちゃめちゃ喋る。
で、どう見ても設定上、
1時間か2時間しかないので、
おかしいだろうみたいなぐらい喋ってるんですよ。
カラマゾモの兄弟って、
めちゃめちゃ長いとこありますよね。
で、どう見ても時間の通じて終わってない。
どんだけ早口喋ってるんだみたいな。
そういうものなんだけど、
人が哲学的な議論を、
とにかく長い時間喋るみたいなものっていうのが、
たぶん、哲学っていうもののイメージを規定してて、
それが言論カフェでやってることと直結してると思いますね。
だから、僕にとって哲学っていうのは、
世界の地を整理するとか、
あと、宗教的な真実、
宇宙の真理みたいなものに対して向かっていくとかじゃなくて、
すごく最初の哲学のイメージが、
いろんなやつが集まって、
すげえ勢いで喋るなんですよ。
だから、それがここなんですよ。
だから、そういう意味で、
カラマゾモの兄弟は、
本当はベースを作ってる。
だから、哲学のイメージって、
やっぱり人によって違うんですよね。
いろんな総合値を目指すみたいなものが、
哲学だと思ってる人もいるし、
12:00
宇宙の真理、人生の真理を目指すっていうのは、
哲学だと思ってる人もいるんだけど、
たぶん、僕は違うイメージを持ってる。
ちょっとギリシャ哲学ともまたちょっと違う。
いや、ギリシャ哲学はやっぱり似てると思います。
みんなでっていう。
なんでかっていうと、
そもそも、
僕たちが今、ソクラテスっていうふうに言ってるけど、
あのソクラテス自身は本は書いてないわけで、
それはプラトンの記録の中に出てくる、
一種の登場人物ですよね。
実際、当時、紀元前4世紀のギリシャでは、
アテネでは、
ソクラテス文学って言われてたものが結構あったらしくて、
つまり、プラトン以外もソクラテスを主人公にして、
小説みたいなものを書いてる人いっぱいいるんですよ。
で、たまたますごい影響力を持って残ったのは、
プラトンと、あと何人かだったっていうだけで、
そういう意味で言うと、
これ専門家の方はそういうふうにはおっしゃられないと思いますが、
古代ギリシャの哲学の起源っていうのは、
すごく小説的空間だと思うんですよね。
実際にそれはフィクションとして書かれてるし、
そういう部分が僕が惹かれたところで、
だから僕にとって哲学と文学が混ざってるのは、
もう当然なんですよね。
だから僕は今でも小説でも、
物語がグイグイ展開するとか、
そういうものも、
あとすごいトリックがあるとか、
そういうものも、もちろん全然好きなんですけど、
なんか惹かれちゃうのは、
やっぱり主人公がすごい喋るとか、
字の文でやたらと過剰なことを考えてるとか、
そういうものにやっぱり惹かれてしまいますね。
そうすると、やっぱりね、
神奈川沢の教材が原点としてはありますよね。
ありがとうございます。
東さん、やっぱり批評家、
今も哲学者っていうのもありましたけど、
やっぱり今、批評する力みたいな本も結構出てたりで、
良い悪いは別世で、
誰もがYouTubeだったり、
こういうポッドキャストだったり、
いろいろやっていく中で、
やっぱり自分の意見、
自分は何を考えてるのかとか、
ただ褒めるだけじゃなくて、
いろいろ批評する力みたいなものを
身につけたい人いっぱいいると思うんですけど、
あえて羽生的な聞き方をしますけど、
批評力をやっぱり僕らが身につけるために、
いわゆる、もうちょっと端的に言うと、
好き嫌いと批評というか、
当然そこを切り分けてるじゃないですか。
例えば、東さんもゲストに登壇された方、
個人的には好きだとしても、
批評がって、そういうこともあるじゃないですか。
その辺っていうのは、やっぱり身につけられる。
批評において一番必要な力っていうのは、
自己突っ込み能力ですよ。
つまり、作品を読む能力そのものを付けてもしょうがなくって、
結局自分が見て面白いと思ったことを、
自分で自分に対して、「おいおい、本当に?」
っていう風に言えるっていうのが基礎にないと、
いくら批評用語を身につけようが、
分析的な、学問的な言葉を身につけても、
何にも機能しないと思う。
それこそ表層的な、ただ言葉というみたいになっちゃう。
というのも、つまり、
この小説はこういう風に分析できますよって言うっていうのは、
これテクニックだから、
大事なのはやっぱり、
この小説についてはこう分析できると思っていたが、
しかし他の観点から見ると違うのかとか、
この時代はこうだったけど、
後の観点から見ると違うのかとか、
もしくは、それはやっぱり白人読者だったら思うけど、
黒人の読者だと全然違うふうに読むんじゃないかとかっていう多数化なんですよ。
それは自己突っ込み能力がないと絶対に無理で、
15:00
私にとってはこう見えたからこれが真実っていうタイプの人は、
根本的に評価に向かない。
でもそうすると、
その向き不向き当然あると思うんですけど、
それでもあえてというかね、
やっぱりある程度身につけたトレーニングをするとしたら、
今の話を聞くと言うと、
その文章を書くのも一つのトレーニングになるような気がしないでもない。
でもそうだったら、
自己突っ込み能力を鍛えた方がいいと思いますよ。
自己突っ込み能力を鍛えるやり方は、
一つは日記を書いて、後で突っ込むっていうやつですけど。
僕も今ちょっと、
初めて自分の本をちょっとある種の場所で書いてて、
自分では割とちゃんと俯瞰して見れてるつもりだったんですけど、
まさには自己突っ込みというか、
編集者が入ってくれてるんで、
かなり補強してもらってますけど、
いわゆる、俯瞰して全然できてなかったんで、
常にその書いたものに、
推考だけじゃなくて、
それ本当みたいのを、
自分で自分にインタビューするみたいな。
だからやっぱりそれがね、
あずまさんの場合、
これリアルタイムでやってるわけですよね。
そうですね。
僕はそもそも原稿もすっごく直す人なんですよ。
つまり、一回まず例えば雑誌に書くと、
それを単語本で入れるときは、
ほとんどすべての文が書き換わるくらい書き換わる。
例えば、ピトゲン先生は何年に生まれ、
なんとかかんとかで、
紹介文とかですら、
ちょっと単語を入れ替えるかとか、
やっぱりやっちゃうんだよね。
でも、それでもゲラが出たら、
ほとんどすべて書き換える。
ほとんどすべてのページの赤が入るわけ。
だからちょっとでも時間が経っちゃうと、
僕の場合気に入らなくなっちゃうんですよ。
自分のやってることが。
よく自分が出てる映像を見返す人っているんですけど、
僕はもう絶対できない。
自分が出た映像を見返したら、
もうほとんど100%公開停止する。
ありえない。
そもそも今の俺と意見が違うって感じがすると思う。
だから、それはちょっとこう、
すごくめんどくさいんですけど、
批評家には向いてる。
自分の書いた文章を分かりにくく感じるっていう能力って、
すごい大事なんですよね。批評は。
視点を変えることができてるってことなんで、
自分の文章を読んで、
すごいいいなって思うタイプの人っていうのは、
多分批評家にはあんまり向かないんですよ。
それと距離取れないと。
だから、やっぱり自己突っ込み能力ですね。
批評において一番重要なのはそれなんで。
そういう視点で突発映像、
今後ちょっと楽しみに見させてもらう。
突発は、だからもう見なくていいんですよ。
いつでも見せるわけだから。
それに僕は、
だから多分それはさっき言ったこと関係もしてて、
だからもう俺の話、みんな聞かなくていいよとか、
僕が思ってるのって、そういう感じなんだと思うんですよね。
僕がもう、僕の話が嫌なんですよ。
俺が俺の話がつまんないと思ってる。
そんな今日、あずまさんに訂正する力。
大事なこと忘れてました。
本の前でなってないよね。
いやいや、最後最後ちゃんと。
まずい。すごい良い本だと思います。
らしくないこと言ってます。
大事なことね、一個聞きたかったんですよ。
僕、今日はあんまり触れません。
当然この訂正可能性の哲学も読ませていただいてるんですけど、
これ、見てる方、
訂正する力と訂正可能性の哲学、
この中には、
訂正可能性の哲学の実践する決定版みたいなのが書いてあったんですけど、
正直ちょっとよくわかんないんで、
この2冊の位置づけとか、
まだ読んでない人に、
どう違うとか、どう楽しめるみたいな。
何が違うんだろう?
この右側は、まず僕が書いてる。
左側は語り下ろし。
18:00
そこが全然違いますよね。
語り下ろしってことは、他者の視点が入ってる。
だから、僕が1冊丸々作るとしたら、
こういう風な本にはなってない。
それが訂正する力の方。白い方。
そっち側の方が、
もしかしたら一般の読者にも、
読みやすいのかもしれない。
普通に考えて薄いしね。
で、緑の本は、
この中にも書いてるんですけど、
つまり、哲学とは何かっていうことに対する、
僕のこれは1個の回答なんですよ。
ただ、それはその内容で、
そういうことが書いてあるっていうよりも、
哲学ってこういうスタイルでやるものなんだよっていうのを
実践した本なんですよね。
つまり、ある意味で、
例えば政治社会の問題も入ってるけど、
文学の読み解きも入っていて、
最後のルソーで言ってきますけど、
ルソーっていう18世紀のフランスの思想家についての
文章があった後、
20世紀のロシアの文芸評論家バフチンがあって、
ドイツの社会主導家ハーバーマスがあって、
そして、フランス人で19世紀のアメリカについて書いた
トクヴィルで終わるっていう、
例えばこれやってるんだけど、
これは全くこのジャンルとしては、
みんな全然違う人たちなんですよね。
だから、今の大学の専門的な教育の中では、
この4人を繋げることはほとんどできないんですよ。
ルソーとトクヴィルは繋げることはできるけど、
もしくはルソーとハーバーマスも繋げることはできるけど、
この4人をこういう風に並べるってできない。
でもなんでやるのかって言ったらば、
哲学っていうのはある種、
こういうことを言うと専門の人は
すごく怒ってしまうと思うんだけど、
僕にとっての哲学のやり方で
一番かっこよかったのはね、
高校2年生かそんくらいの時に
出会ったカラタニさんの文章で、
カラタニ後陣さんの内説復興なんだけど、
それは確かカワイジクの全国語模式がなんか出てきたの。
それが最初に出たカラタニさんの文章で、
これすっげえかっこいいなと思ったんですよ。
だから単に模式の文章だから短いんだけど、
ふっさわるとこから始まって、
数学の形が出てきたり、
なんかいろんなところでポンポンポンポンって出てきたわけ。
なんかすげえ頭良さそうだし、
めっちゃかっこいいと思ったわけですよ。
後から大人になって
いろんな人に話を聞くと、
カラタニさんは全然専門的なことわかってなくて
言ってるだけだよみたいなことを
悪口で言う人なんかも出て、
ああそういう見方もあるのかと思ったんだけど、
ただそれとは別に、
こういうスタイルかっこいいと思ったんですよね。
専門家には専門家の役割とか、
いいところってあるし、
僕はすごいリスペクトしてるけど、
やっぱり専門家にはできないつなぎ方。
一種のアートですよね。
僕はすごくそういうのに憧れて、この業界に入ったんです。
でも、僕が本を書いてる間に、
どんどんそういうことをやらなくて、
みんなやる人がいなくなっちゃって、
今ではもうこういうスタイルの哲学って、
もう全然流行らないんですよ。
でも、俺はやるぞと。
なぜならこういうのが、
俺はかっこいいと思ってるからと。
ついてくる人だけついてきてくれ、
っていうタイプの本なんですよ。
だから、これはもうとにかく、
僕にとっては、すっごいかっこいい本なんですよ。
僕にとってはね。
ただ、もう他のヤツがついてきてるかどうか、
俺もうわかんない。
もちろん全然いないのかもしれない。
でも、俺はすごいこれかっこいいと思って書いたんです。
そういう本です。
非常に伝わってきました。
21:01
はい、ということでですね、
この訂正する力と訂正可能性の哲学。
まあ、訂正可能性の哲学については、
みんなだけ思いを聞きましたので、
ぜひみなさん、セットでね、
お読みいただけたら嬉しくお願いします。
ということで、今日は非評価のあずまひろきさんにお話を伺いました。
あずまさん、ありがとうございました。
いつもインタビューをご視聴いただいてありがとうございます。
この度スタートしたメンバーシップでは、
各界のトップランナーから戦争体験者に至るまで、
2000人以上にインタビューしてきた僕が、
国内外の取材、
そして旅の中で見つけた、
人生をアップデートするコンテンツをお届けしていきたいと思います。
ここでしか聞けない特別インタビューや、
地蔵トークにもアクセスしていただけます。
随時、これは面白い、これはいいんじゃないかというコンテンツも
アップデートしていきますので、
そちらも含めてどうか、
今後の展開を楽しみにしていただけたらと思います。
なお、いただいた皆様からのメンバーシップのこの会費は、
インタビューシリーズの制作費だったり、
国内外のインタビューに伴う
交通費、宿泊費、
その他取材の諸々の活動経費に
使わせていただきたいと思っています。
最後に、なぜ僕が無料で
インタビューを配信し続けるのか、
ということで、
この一番の理由は、
僕自身が人の話によって、
うつや幾度の困難から救われてきたからです。
そして何より、
国内外のたくさんの視聴者の方から、
これまで人生が変わりました、
前に進む勇気をもらいました、
救われましたという声を
いただき続けてきたからに他になりません。
この声は、
世界がコロナ禍に見舞われた2020年頃から
一層増えたように思います。
これは本当にありがたいことです。
ただ、同時にそれだけ
心身共に疲弊したり、
不安を抱いたりしている方が増えていることに
かならない、その裏返しであると
僕は強く感じています。
正直に言えば、
僕自身も15年以上前に起業して以来、
最大のピンチといっても過言ではない時期を
この数年送り続けてきました。
でも、こんな時だからこそ
森に入ることなく、
インスピレーションと学びにあふれる、
まだ見ぬインタビューを送り続けることが
インタビュアーとしての自分の使命なのではないかと
強く感じています。
世界がますます混迷を極め、
先の見えない時代だからこそ、
僕はインタビューの力を信じています。
これまでのようにトップランナーや
戦争体験者の方への取材はもちろん、
今後は僕たちと同じ姿勢の人、
普通の人の声に耳を傾けたり、
ややもすると打ち向きになってしまう、
今こそ海外でのインタビューに
力を入れていきたいと思っています。
そして、彼らの一つ一つの声を
音声や映像だけでなく、
本としてもしっかりと残していきたい、
そう考えています。
そんな思いに共感してくださる方が
メンバーシップの一員になってくださったら
これほど心強く、そして嬉しいことはありません。
ぜひメンバーシップの方でも
皆さまとお耳にかかれるのを
楽しみにしています。
以上、早川佑平でした。
23:58

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