ギャップトマッチ。年齢も性格も趣味も異なる石玉とカズネの2人が、日常のあちこちからギャップや共通点を見つけ出す番組です。
はい、というわけで、10月18日、25日、26日に徐島市で行われる野木久一のプレイイベントということで、
美しさと可愛さ、そしてそれらを求める心の自由というテーマで公開収録をやっていきますが、
詳しくは野木久一のインスタグラムがありますので、皆さん、最新情報をそちらからチェックしてください。
野木久一のアカウントってあれ、スペルはどんなんでしたっけ、アットマーク?
N-O-G-I-K-U、アンダーバー、I-C-H-Iです。
はい、ローマ字で野木久と一の間にアンダーバー。
そうですね、ヘボン字のローマ字で。
はい、ヘボン字って言うんですね、こういうの。
ですね。
一のちはC-H-I。
C-H-I、はい。
じゃあですね、野木久一とは何かっていうお話と、美しさ、可愛さについて話していったんですけど、
3本目はですね、それを求める心の自由というところにちょっと切り込んでいこうと思うんですけど。
嬉しそうだね。
楽しいですね。
こうやって切り込んでいく時のかずねの嬉しそうな顔ったらいつも私は収録していて、
あ、これ今日なんでYouTubeじゃないのかなって思った時が何回かあるんですけど。
頭の中で作ってください、映像は。
特にね、これさとみさんとけんじさんで言うと、けんじさんの中で特にこの心の自由っていうのがキーワードになっているのかなと思っているんですけど、
私がこう聞いた記憶で言うと、やっぱ特に幼少期、男の子が可愛いものに手を出すとか、お花が好きっていうのが
すごい言いづらかったっていう経験とかもあったっていうお話と、
まあもうだいぶ年齢も重ねたし、赤信号をみんなで渡れば怖くない的な感じで、
みんなで集まった可愛いものをめでたらいけるんじゃないかと思って、
乗り継いじに至っているという話も聞いたことがあるんですけど、改めて詳しくけんじさんから。
はい、子供の頃、父親が昭和11年生まれで、やっぱり戦争の時代に幼少期を育った人で、
やはり男ならばみたいなところで人生を生き切った人だったんですね。
そういう思想で自分を鼓舞する、そしてそれが生かせる環境で、それを強みにして生きてくるみたいな人だったんですけど、
当然、男として生まれた私にもそれを求めてくるわけです。
どこからが男っぽいとか、どこからが女っぽいとかいうのは、ちっちゃい頃はわからないですよね。
でも思わず手を出したものがあった。
例えば、テントウムシを育ててみてた。
テントウムシはちょっと女っぽいみたいな。
え、そうなんだ。
ジャッジが入ったんですね。
テントウムシは女っぽいんだ。
それにお父さんが言ったんですか?
カブトムシだったら多分オッケーだったと思うんですけど、テントウムシを育ててる私がちょっと女っぽい。
そういうことを繰り返されていると、女っぽいとか言われることが一番恥ずかしいことのように子供の頃思ってくるんですよね。
それが社会性の自分がっていうことですかね。
本当の心の中ではそういうのを考えたくなくて、わけ隔てなく好きなもの好きとか、かわいいなとか本当はやりたいのに、
もうそういう社会性の方が強くて、じゃあもう俺は女っぽいとか言われないようにしようっていうところで、ずっと我慢してきたこととか隠してきたことがあるんですね。
じゃあ手を伸ばしたいなって思うたびに、これは女っぽいのか男っぽいのかってずっとそれにアンテナを立ててる感じだったわけですね。
それにプラス年齢相応のことなのかとかですね。
子供だったらいいけどとか。もう何歳になったからとか。
20代の頃にタクシーを使うのはどうなんだとか。
え、何?どういうこと?
小料理屋でちょっとおいしいものを食べるのはどうなんだとかね。
あ、早いってこと?
そういうのがね、ずっといろいろあるんですよ。
面白いな。
え、さとみさんから見ててどうですか?この心の自由、けんじさんの葛藤とか。
大変そうだな。
ほんと素直になれよ、みたいな。
ごめんなさい。私にはわからないなって思いますかね。
私、女性として生まれたけど、親にこうあるべきみたいなのあんまり言われなかったかな。
だけど、勉強はできなきゃいけないみたいなことはあったけど、
女子だからスカート履きなさいとか全然なかったし、
どっちかっていうとかっこよくありたいみたいな方だったかな、みたいな。
勉強は周りから頑張りなさいって言われたわけではない。
勉強しなさいって言われたことはないけど、
自分で自分自身に100点取らなきゃダメだって思って、中学生ぐらいまではいたくらいです。
石玉さんはどうでしたか?
え、何が?
ちょっと手を伸ばせる幼少期でしたか?欲しいものに。
私、3人兄弟の真ん中なんですよ。
で、3人兄弟の真ん中って、すごくこれ乱暴な話の仕方になるかもしれないんだけど、
やっぱり、姉にされたり妹にされたりっていうことがあるわけですよね、立ち位置として。
なので、あるシーンでは許されるけど、同じ行為があるシーンではダメだ、みたいなことっていうのがよく起きる。
だから、今の答えに関して言うと、状況により許されない許されるが変わってしまうっていうことに翻弄されるってことがすごく多かったかも。
なるほどね。
なんか、話変わるんですけど、野木くいち、今年大学生にもいっぱい来てほしいなって話を実はしてて、
で、ちょっと話す機会があったんですよね。現役大学生と話す機会があって、男性の人だったんですけど、今どう?みたいな。
自分自身が男性で、可愛いものとか美しいものに手を伸ばしにくいみたいな感覚ある?って聞いたら、むしろ歓迎されると言ってたんですよね。
可愛いものとか美しいものが好きな男子大学生がいたら、女友達に結構歓迎されるし仲良くなれるし、結構だいぶ状況が違うんじゃないかっていう話をして、
もしかしたら可愛い美しいには手を伸ばしやすくなったけど、何か別のものに手を伸ばしにくくなってるとかもあるかもしれないし、そこ聞いてみたよねって話しましたね。
なんか今の話聞いて思ったんだけどさ、逆にすごくマッチョな思想とか、そういうのは難しくなってきてるんじゃないのかな?若い世代はって気がするんだけど。
結構トレードオフなことが起きてる気はする。
逆にいわゆるガツガツしてるみたいなのが出しづらいみたいな?
そうだね。ガツガツっていう言葉が適切かどうかはちょっとよくわかんないけど、今までの話の流れで出てきたんだとすると、
例えばケンジさんのお父さんみたいな精神性っていうかあり方みたいなのは、逆にちょっとNGにされがちなんじゃないかな?って気はする。
男なんだから泣くな!とか言ったら、お?お?って。何言っちゃってんの?みたいな感じが、逆に今してるんじゃないかな?
それを良いって言ってるわけじゃないんだよ。今、男なんだから泣くな!っていうのが良かったって言ってる、昔に回帰しろみたいな話とは全く違う文脈で、
でも、社会の状況とか周りがそういうのって私は規定しちゃうところが結構あると思ってて、
例えば泣いてたら、岩のたった3センチしか歩けない山道を歩いていかないといけないっていう部族に生まれ落ちて、
その3センチの道歩いてる時に泣いてたら、メソメソ泣いてるんじゃないって絶対怒られると思うの。
すごい例を挙げつけますね。
極端な例だけど、しかも全部今のは妄想の話だけど。
すごいね。そんなすぐその妄想が出てくるんだ。
でもさ、結局そういうことなんじゃないの?って思うところもあるのよ。
何ていうのかな。何を良いっていう風にするかっていうのは、結構天気で状況がそこを決めちゃうっていうか、
だから今は、いつも今起きてる現象っていうのを見た時に私が思うのは、
ああ、こういうことが起きることができる状況になってきてるんだなっていつも思う。
そういう会場から声が上がりました。
そう、だからなんかこう、本質と状況の話って切り分けて考えた方が、
なんかこう、あ、これ、そうそうこれってところが触れそうだなっていつもよく思う。
そのけんじさんは今年のビッグイチ3回目になりますけど、
結構可愛いもの美しいものを集めて、みんなで分かち合ってっていうのを重ねてきて、
自分の中で変わってきた感覚ってありますか?
そうです。2020年に親父が亡くなって、だんだん親父の存在感が薄れてきてるっていうのも、
同時にあるっていうのもあるんですけど、髪型の自由とかですね。
いいですよね。
なんでもかんでもね、実家に帰るのも、まあ、抵抗なく帰れるじゃないですか。
昔だったら、なんだお前はみたいなね、言われてただろうなっていうね。
そこまで気にするかってみんなさ、思うかもしんないんですけど、やっぱり気にしちゃったところがあって。
そうだと思いますね。本当にそうだと思う。
こうね、最後80代で亡くなったけど、
めちゃめちゃ効果あるじゃないですか。
仮説ですけどね。
仮説ね。
対象区がないので。
じゃあ切ってみたら。
そうね。今切って、だって不安がね、爆増したらもう確実にその仮説大当たりにするんですね。
もうずっと伸ばすしかない。
やばい。
仮に切って不安が爆増しても、また迷うんですよ、きっとケンジさんは。
これは本当にそうなのか、それともプラセボなのか。
私が好きな話があって、ケンジさんがさとみさんと日々と花を通して活動してると、さとみさんの隣にいると勇敢になるって言うんですよ。
ちょっと勇敢な自分になるって言ってて、その話がすごい好きで。
どうですかさとみさん自身は。
私?
心の自由っていうテーマを掲げて乃木口3回目を迎えますけど、さとみさん自身の変化でもいいし、ケンジさん見ていて思うことでもいいし。
私の変化。
私がさっきから難しい質問してますね。
すいません。
今日は私、つき添いできたつもりで。
保護者的な。
保護者っていう言葉が出そうになったけど、保護者はちょっと上からっぽいから、そうではないと。
ただつき添いなつもりだったので、それでも振られるんだろうなとは思ってはいたんですけど。
でも、そう、勇敢になるって思ってるのは、私ではあんまり実感なくて、ケンジさんはケンジさんこういう人なんだろうと思っているんです。
なんか私が何かを何か採用しているのかは、ちょっと自分ではわからない。
もともとケンジさんはアイディア持ってるし、やったことないことをやりたい人だし、
面白い人だって、おかしな人だなって、っていうのを思っています。
それをさとみさんの前だけで表現するのか、もっと広い範囲で表現するのかの違いだけであって。
そうですね。やりたいことがあれば、私、ケンジさんだけに対してではなく、誰にでも、やりたいことはやればいいって、無責任に言う人なの、言う役だと思って。
言ってる。言われた。言ってくれた。
ありましたね。
そういう感じが伝わってるんだったら嬉しいし、私の中にも多分ケンジさんが思っているような価値観とかやりたいことみたいなのが実はあって、
それを口に出してくれるから一緒にやれるっていうのが嬉しいことではあるので、
私の変化としてはそうですね。私の潜在的な欲望を言ってくれてるみたいな気持ちはあります。
今日のこの場を迎える前に、この4人で集まる機会が何回かあったんですけど、ある日バーベキューをしたんですね。
バーベキューでお酒とかも飲んでるじゃないですか。
今年のど自慢を実は乃木口でやろうという話がありまして、これはお酒を飲みながら出てきたアイデアなわけですよ。
そこから数日たち、具体的なことを考え始めたら、これ大変だなってなったんですね。
私と石沢さんがこれ大変だなって思ってたら、さとみさんが楽しくやりましょうって言って、
そっか楽しくやればいいのかって言って、おそらくこれは実現するんだと思うんですけど、
あの時なんか印象的でしたよね。
すごくそうですね、私はその文面を読んで声出して笑っちゃったんですけど一人で。
さとみさんだなと思って。
でその時に私も勇敢になるの感覚を自分もちょっと思い出していて、
でこれはなんだろう、今みんなで話してて自分の中に浮かんだイメージなんだけど、
心の自由って結局勇敢になれるってことのように思う。
でその勇敢になれるっていうものが何なのかっていうと、やっぱり頷いてくれたりとか、
その大丈夫な場所をそこに置いといてくれるとか、なんかまあ大きな意味でのやっぱり頷きな気がしていて、
だからその、ああそっか、この文脈で今私たちが話している勇敢と心の自由は一緒かもなって思いながら話を今しばらく聞いてた。
どうですかケンジさん。
そうですね、今僕も石田さんの話聞いて、そうかもなって思いましたね。
そう、なんかケンジさんとどうやって私たちは自分の心を縛ってしまって、
じゃあ縛ったのに気づいたらどこからそれを解放できるのか。
で言ったらこうこれはダメだ、言ったらこうインストールしてるわけじゃないですか何かを。
でこのインストールしたものをアンインストールするみたいなのが機械的にできたらいいんだけど、
そのやり方が分かんない、一回入っちゃうと取り除き方分かんないって話してて、
なんかそこどうですか今。
心の不自由状態ですよね。
不自由状態ってやっぱり求めたものを求めてないものにかからず人生経験ってどんどんどんどん積み重なってきて、
時には教育、時にはしつけ、時には悪意を持った暴力とかね、
いろんなことで自分自身がぎこちなくなってくる部分もあると思うんです。
で一方でその世界はどんどん変化していく。
その変化していく世界の中で自分だけがガチガチで変化しづらい状態にあるっていうところに僕は苦しさを感じるんですね。
でなんかそのガチガチになったものをどうやったら外していけるんだろうみたいなところが、
結局多分誰かの励ましとかいうこともすごく大きいんだなっていうのを改めて今日の話の中で再認識したとこですね。
確かにこのさっき石玉さんが誰かがそれを大丈夫な場所を作ってくれるっていうのもあったし、
けんじさんの励ましって言葉もありましたけど、結構他者の関わりは大きいなって思ってて、
でなんかその去年ののぎくいちでいろんな表現見せてください。未完成でもいいから見せてくださいってけんじさんが言ってくれて、
で私がやったこともあるし、さっきさとみさんから出てきてた植物にまつわる今度その物語の中でも、
私今年の3月哲学対話をしたんですけど、人生で結構初めての体験と言ってもいいぐらい、
私がポロッとそれこそギャップとマッチで哲学対話したいなーって言ったのをけんじさんが聞いてくれてて、
やりませんかって言って、そのやりませんかって場を作ってくれた、声をかけてくれたから実現したけど、
なんか自分からだとはやってないかもって思って、こういう体験をしているのって私だけじゃないと思うんですよね。
いろんな人がこの日々と花の二人に関わる中で何か場を作ってもらった、励まされた、なんか表現する最初のなんか機会をもらったっていうのが、
なんかいっぱいあるんだろうなぁと思ってます。
ほんと、その9つの物語の時、植物にまつわる。
私も初めてその言葉を展示するっていうことをやる機会があって、
で、空間どこがいいですかっていう話で現場に行った時に、
さとみさんがこんなのもあるよ、こんなのもあるよ、こんなのも使っていいよって言って材料をじゃんじゃん出してくれるわけですよ。
で、その材料じゃんじゃんさとみさんが湯水のように出していいよいいよって言ってくれるおかげで、
最初に思い浮かんでた、自分がこう、もうこういう言葉をなんか展示しようかなと思ってたものと全く違うとこに、
展示空間が変わったんですよね。なんかインスタレーションみたいな感じに結果的にはなって、
なんかこういうことなんだろうなってすごく思います。
はい、というわけで皆さんどうですか。野木久吉がどんなイベントで主催している2人がどんな方か結構伝わってきたところですかね。
うん、きっとね、はい、なんかやっぱりそのすごくさ、はい、何て言うんだろう、分かりやすくここに行くと恋愛が常時しますとか、神社?
ここに行くとパワースポットなんですとかみたいな感じ。
ギャップとマッチ。
危ない、終わる。
そうそう、なんかそういうのとちょっと違うと思うんですよ。こういう魅力って私すごくその雑多で多様で、
1個のことを抜き出してここがすごくいいっていうことが難しい。
でもここがすごくいいって抜き出して言えないくらい色々なものが発行しているぬか床とかと一緒ですよね。
っていうのがやっぱこの野木久吉にはあると思っていて、だから来た人がその雑多で豊かな色々なものから自分とピタッと来るものを勝手にその土地から選んでいいし、
このお花かわいいなと思って名前がないお花を積んで自分のポケットに入れてもいいしみたいなすごく豊かなことが起きる気がするんですよね。
本当、今日ね色んな話出てきましたけど、今日会場にいらっしゃる皆さんはこの後懇親会も停止しているので、
ぜひ何か受け取ってもうちょっと喋りたくなったなとか聞きたくなったなってことがあったらぜひ懇親会で聞きたいなと思うのと、
今日当日現場にいない皆さんもギャップとマッチのポッドキャストで聞いてくれるかもしれないので、そこの感想とかあればぜひ野木久吉で伝えてほしいですね。
ですね、だし野木久吉に遊びに来るだけでも多分なんとなく発行したり、土壌菌がすごくザワザワしている土みたいな感じの雰囲気を味わってもらったりできるだろうし、
なんならそこになんかちょっと関わってみたいとか、そういう思いが生まれたらなんかアクセスしてくれたらきっとこの、なんていうの、なんかザワザワして豊かな土地はなんか見つかると思うんですよ。
その人が、とっかかれるところが。だからその参加しているお店さん同士とかもそうだし、なんとなく興味があって、へーって思ってるんだったら、