文化祭の思い出
こんにちは、東京でゲストハウスをやっているジュリーです。
2月にですね、ボイスモンスターズショーというのがありました。
その機会にですね、このスタイフのパーソナリティーをされてます、まりみはさんと、すんしゃくかんなさんとお会いしたんですよね。
で、そのお会いした後に、まりみはさんもかんなさんもですね、それぞれがご自分のチャンネルの方で、
なおさん、私の夫のなおさんと、私のことを語ってくださっているんですね。
で、なんかね、お二人ともですね、いろいろと言ってくださっているんですが、
ちょっと課題評価というか、してくださっているような感じで、もう本当に照れてしまってまして、恥ずかしいんですけれども、
まりみはさんが憧れる素敵な二人、みたいなね、こういうタイトルで話されてくださって、
あー、照れますね、はい。
で、かんなさんは、よよぎの文化サロン潜入ルポ by 夢インフルエンサーというね、こういうタイトルで話してくださっているんです。
で、そのお礼配信と言いますか、アンサー配信という意味でですね、ちょっと話してみたいと思います。
で、お二人にですね、会った時に、私があるエピソードのことを話しまして、で、何だったかというとですね、
夫婦の日常のエピソード
なおさんも私もですね、30代半ばくらいからですね、ゴルフに相当熱中していたんですね。
で、あの日は私が、その通っているですね、レッスンのラウンドレッスンといって、
コースに出て、で、コーチと一緒にコースに出て、レッスンを受けるというラウンドレッスンという形態があって、それに行く日だったんですね。
で、朝のその集合場所に、なおさんが送ってくれたんです、車で。
で、その車で送ってくれて、集合場所に着いたから、私がね、なおさんにありがとうございますって言ったわけですよ。
普通にね、お礼を言ったわけです。
そしたら、その待ち合わせにですね、来ていた、すでにその集合場所に来ていたね、メンバーの一人が、
え、あなた、誰に送ってきてもらったの?ってね、目をひんむいて私に言ったんですね。
この方ですね、当時で70代くらいの方だったかな。
あのね、私すごいその人のことね、ずけずけと物言う感じで大好きだったんですけども、
で、私声が大きいからね、で、そのありがとうございますって言葉が元気ハツラツに聞こえたから、
え、誰に言ってんの?って感じだったんですよね。
で、私が夫ですって言ったんですよ。
そしたらさらに、えーーーみたいな、ご主人にそんな話し方するの?ってね、めっちゃ驚かれたんですよ。
しかも、アホかこの夫婦みたいなリアクションでね。
つまり、お疲れ様とかありがとうございますとかね、そんな丁寧に旦那に言うのは、ちょっとどうかしてるって、変だよっていうリアクションだったんです。
で、こういうの変なんだって思ったんですね。感じたんですよ、その時に。
でもね、別に私たちのやり方だし、これが私の日常だし、変えるつもりもなくて、そういうリアクションなんだと思って、
ただね、ちょっとインパクトがあって印象深かったので、今でも覚えてるんですけれども。
こんな感じで、ありがとう、お疲れ様みたいなやり取りって常になんですね、昔からですよね。
メッセンジャーで書くこともあるし、直接言うこともあるし、だからそれが特別ではなくて、これが普通なのですね。
これ別に、そんなの出し惜しんでもしょうがないし、お互い気持ちいいというか、本当にありがとうって思ってるので、
週に3回、例えばごみ出しの日があるじゃないですか、ごみ出してくれたらありがとうだし、そういう小さいことから大きいことまで感謝は感謝、それは常に伝えるようにしています。
美術サークルの活動
おっとなおさんとの出会いは、大学時代でして、当時同じサークルに所属していたんですね。
90年代のテニスサークルとかいって、ほんとチャラくて、ノリが軽くて、所属していたサークルがそこそこ大女体というか人数が多かったんですよね。
サークルに入ると、1年生の時についたあだ名がずっと、いまだに恥ずかしいあだ名で呼ばれるみたいな、あと先輩絶対主義みたいな、そういうサークルだったんです。
私は集団で行動するのも好きじゃなかったんですが、とにかくスキー合宿だけ、スキーに一緒に行ってもらえる友達が当時いなくて、スキー合宿だけ、スキーが好きだったのでね、スキーは行きたいということで、
スキー合宿に有礼部員だったんですけど、参加して、そこでたまたま直さんに、出会うのはもっと前から知っていたんですけども、
そこのスキー合宿の時に、たまたまクイズでチョコを引き当ててくれて、私のチョコのクイズを。
それ、チョコの思い出という、少し先月出した配信でも話しているんですけども、そのあたりをきっかけにお付き合いすることになったんです。
私はそういうチャラいですね、軽いのりのサークルのメンバーだった直さんのことを、はじめものすごく警戒していました。
どうせこのメンバーの人だから、この人も軽い人だと思っていたから、私はそういうのは好きじゃなかったので、非常にはじめ警戒していたんですが、
キャラクターがですね、そのサークルのメンバーと真逆のキャラクターを彼らは持っていたんですね。
まず口数が少なくて、内向的で、自分の好きなことを突き詰めるような、そういう探求心の塊みたいな、そういう人間だったんです。
非常に固くなで、フレンドリーの逆で、しかもそれを口に出して言葉で表現しない、何かをうちにふつうふつと秘めているような感じの人でした。
でも私は普通の人間だと今でも思っているんですけど、ちょっと普通じゃないかな。
好きな彼と付き合っている相手と一緒にいられるだけで楽しいみたいな、そういうのって女子ってあると思うんですけれども、男子もあると思うんですけどね。
私がだから彼と会って、わーい会えたって言って喜んでたりすると、ものすごい不機嫌になっちゃうんですよ。
要は会えただけで喜んでるなんていう、浮ついたものを許さないみたいな感じがあって、
2人で会うんだったらその時間を有意義に何か目的を持ったものにしたいという気持ちが非常に強い人でした。
だから会えただけでニコニコしている私に非常に冷たかったんですよ。
そのあたりのモラハラ気質な彼の話も前の配信でしているので、ピックアップできたら概要欄に貼っておきます。
でも私と彼が交際をしていて、彼はテニスのサークルで出してない本物の自分を私にどんどんぶつけてきたんですよね。
本物の自分を私にどんどんぶつけてきたんですよね。
本物の彼というのは何かというと、本物を本物好きの彼が本物でした。
何言ってるのかよくわかんないですね。
例えばですね、お付き合いして1回目の冬が来ましたと。
12月私誕生日があるんですよね。
そしたら京都と奈良に行くぞって言うんですよね。
行きませんかとかそういうんじゃないんですよ。
行くって決まってるんですね。
行くって言うから、そうですかってついていくんですよね。
車だって言うんですよ。車かと。
はいって言って、私当時愛車があって、それで京都にガーって行くんですよね。
33元東とか清水寺とか、奈良も東大寺とかで行くんですよね。
行くのはいいんですけども、円略寺まで行ったんですよ、比叡山。
そしたら当時まだ12月でも結構雪が降るだった。
降ってたんですよね。
今だとちょっとやっぱり温暖化が進んでるから、あんまり雪って降らないと思うんですけども、
しんしんと雪が比叡山積もってて、円略寺行っても誰もいなくて、
ていうか車で行ってるから微妙に危ないぞみたいな感じだったんですよね。
そこで神社仏閣だったりとか、本物というか歴史というかね、
日本文化ですよね、そういうものに触れる、見たがる、体験するみたいな彼っていうのがそこにいて、
彼がそういうのに興味があるから、私も一緒になって行動しているから、
その体験にはまっていくようになっていくんです。
逆に彼が本物と認めないものは何かっていうと、
例えばクリスマスとか、恋人同士がクリスマスに会って、
お食事をしてプレゼントを交換するとか、これ絶対ダメです。
これ偽物なんですね、彼の基準では。
私も当時は付き合っているからクリスマスに会うのかな、会わないのかなとかね、
こういう気持ちなかったわけじゃないんですよ。
でもバシーって、すっごい嫌な顔で拒否されたんで、
ダメだと、これはダメでと。
あとバレンタインですよね、もうこんなの絶対ダメ。
あと当時ですね、流行っていたドラマで、
愛という名のもとにとかいう青春ドラマっぽいのがあったんですね。
これもう絶対ダメですね。
こういうトレンディーなものは好まなかったんですよ。
あとテニスのサークルに入っていたんですけども、
もともと彼は大学に入る前から絵を描くことが好きだったんですよね、絵を描いていた。
で、美術サークルを立ち上げたんです。
メンバーはなおさんと私、2人です。
四季祭来さんという美術サークルだったんですよね。
もちろんそのサークル名を考えたのも代表であるなおさんなんですけども。
大学の文化祭でブースを借りて展示会をやったんですよ。
その頃の彼のテーマは仏教美術ですね、仏教美術。
美術サークルのメンバーはなおさんと私、2人なんだけれども、
プロジェクト的に一緒に自分の作品を出したいとか、自分も一緒に手伝いたいという人が
プロジェクト的に文化祭だったり、そういう機会に集まって創作活動に励んでたんですよね。
それで早稲田の文化祭の展示の時に、仏教美術となおさんがこだわったのは茶室だったんです。
茶室。
大体文化祭の展示会って教室をそれぞれの団体が借りて展示するんですけれども、
そんなところに畳がないから、彼とそのメンバーとで畳をどこかから調達してきて、
その一角に茶室コーナーを作って展示したりなんかもしてたんですよね。
だから先日ですね、ボイシーの方で中村さんと里見さんが、私たちが里見さんのお茶会に招いていただいた時の話、
これからは飲み会じゃなくて茶会だみたいな話をですね、
文化と芸術の探求
なおさんと私が先日、中村さんの三武士のお宅に招かれた後のアフタートークでスタイフで配信したんですけれども、
その話と相まっているというか、私はなおさんに影響されてそういったものにどんどん触れるようになって、
経験を積み重ねていたところがあって、なおさんがどうしてそういうところに興味が持って、
そこに全力でというか本気で向かっていったのかっていうのは、
ちょっと私と出会う前の話だと思うので、今度ちょっと聞いてみたいなとは思うんですけれども。
あとその大学の時はですね、クラシック音楽にもかなり夢中になっていて、
オーケストラももちろん聞きに行ってたんですけれども、やっぱり私たち好きだったのはピアノだったんですよね。
当時ですね、大御所みたいなピアニストが海外から何人も来ていて、
例えばミケランジェリとかリヒテルとかそういったコンサートがあると、
チケットめっちゃ高かったんですけれども、チケットをなんとかゲットして聞きに行ってましたね。
私はちょっと行けなかったんですけれども、ウィーンのピアニストであるグルダとかね、
グルダは直さんは行ってましたよね、とかそういうのを言ってたし、
あと日本人のピアニストでももうなくなってしまわれましたけれども、中村ひる子さんとか聞きに行ってました。
だから当時そういった本物に触れるっていうことに時間とお金を結構費やしていましたし、
その頃から今もですね、そういうのは変わらず行動様式としては同じなのかなと思っていますし、
建築もですね、もちろん歴史的建造物、神社物学も好きですし、
結婚してから行ったのは海外の美術館とかグッケンハイムとか、ああいうの見るのも大好きですし、
あとそれとですね、大学の時は祭りですね、祭りの取材みたいなこともやってましたよね。
長野の諏訪のですね、祭りの一つと言われてます、御柱祭という7人に1回のですね、
木を切り倒して、山の崖をですね、男衆がですね、その木をガーッと流すんですけども、崖から落とすんですけども、
その木にですね、登って、非常に危険な祭りなんですけどね、そういう御柱祭っていうのがあって、
その御柱祭を見に行くぞと言って、これもね、行くけどどうとかじゃなくて、もう行くって決まってるんですよ。
行くって決まってるから私はついていくんですよね。一緒にですね、取材ですかって感じで、
数日かけて行われるお祭りの取材なんで、取材って言っても、どこに別に何を発表するわけじゃないんですよね、当時は。
今だったらね、発信するんでしょうけど、当時は別にそういうのはなくて、数日かけて行われる諏訪の御柱祭、
もう諏訪のですね、宿がいっぱいで取れなかったので、松本の方に宿を取って、車で諏訪まで毎日通うみたいなね、こんなこともやってましたよね。
今、文化とか芸術、こういったものを話しましたけれども、私は尚さんの影響でそういったものに触れ始め、
そこから自分もそういうものに触れる楽しみみたいなのをずっと体験してきて、
二人で体験して一緒にそれを話して咀嚼して、また新しい体験をしてとかね、このライフスタイルを当時から、結婚する前からですね、やってるんですよね。
ずっと今も続いている。これを私は文化祭みたいな生活だというふうに感じていまして、文化祭がずっと続いているみたいで、尚さんと私は夫婦なんだけれどもユニットみたいな感じでね。
もう一つ付け加えるとしたら本物思考かなと。
例えば私なんかは昨日の配信でもちょっと言ったんですけれども、人のね、人間の肩書とか全然信用していなくて、その人の実際の実力だったりとか経験をしっかりと見たいって思ってますし、
あと表面的な付き合いではなくて本質的な価値観とかね、あと自分が信じている自分の感覚。この方は、このお相手は、この人は信頼できるのかできないのかっていうようなこと。
こういったことを多分尚さんと出会った以来は着々と積み上げているのかなと思いますし、私は私でそれをやっていて、尚さんは尚さんで尚さんもやっていて、
で、二人でガッチャンコして意見が合う部分はあるし、合わない部分はあって、合わない部分は合わない部分でお互い尊重するみたいな、こんな感じの生活、ライフを過ごしているという風なんです。
尚さんがですね、もう本当に深底ね、バカにして嫌っている、流行に流される、流行に左右されたトレンディーな者たち。
そういったものに惑わされることなく、時代を越えても価値が続くもの、こういったものにしっかりと向き合って、それに触れるとまた自分が醸成されるような、そういう生き方を大事にしているという感じなんです。
本物思考の重要性
なので、先日ですね、寸尺環奈さんがですね、私たちのこういったアクションというか生き方みたいなものをね、文化サロンという言葉で言語化してくださったんですよね。
これはね、さすが鋭いって言ってね、尚さんも私もそうそうみたいな感じで、非常に感じた次第です。
なので、先日ですね、中村さんの三武市のご自宅で開催されました、さとみさん所在のお茶会ですね。
もうここで私はもう私個人的にもですね、非常に感じてしまいまして、もう本当これからはもうこういうお茶会ですね。
呼ばれるのか、誰を呼ぶのか、そして自分が呼ばれるのかっていうね、こういったことを意識した生き方っていうのも本当に求められてくると思いますし、
自分たちがですね、このよくわからずまたまたまたやった尚さんと私がずっと今までこう気づいてきて、今もですね、いろんな方にお会いできて、
醸成していっているようなこういった活動も、もう何より私にとってはですね、楽しくて毎日がハッピーであるという状況でございます。
ということで、まりみはさん、かんなさん、本当に私たちのことをですね、言語化して配信してくださりありがとうございました。
これからも何卒どうかよろしくお願いいたします。聞いてくださりありがとうございました。ではまた。