3月に開催された「植物にまつわる9つの物語」というイベントに寄稿したいしだま。春の原風景を書いたその文章は、まるで交響即興のように今この瞬間のいしだまの内面を捉えていた。過去の自分は、まるで他者と出会うような新鮮さと気づきを運んでくることがある。\お便り募集/SpotifyのQ&A「このエピソードについてどう思いますか」、もしくは、運営Studio HICCHOのWEBサイト「番組へのお便りはこちらから!」へ、番組へのコメントやお手紙、ご相談などお気軽にお寄せください。いしだまと和音が喜びます。https://studiohiccho.com/
サマリー
このエピソードでは、石玉さんと和音さんが植物に関するイベントや寄稿について話しています。特に、九つの物語としてまとめられた作品の中で、著者が朝の時間に執筆した「原風景と桜」という作品に焦点を当てています。このエピソードでは、春の言葉にまつわる感覚や思い出について話し、過去の自分との関わりを感じる瞬間が描かれています。また、展示や他の表現者とのつながりに触れ、自らの表現欲求が高まる様子が語られています。
植物にまつわるイベント
ギャップトマッチ。年齢も性格も趣味も異なる石玉と和音の二人が、日常のあちこちからギャップや共通点を見つけ出す番組です。
ではでは、この間の哲学対話の元イベントというか、植物にまつわる九つの物語のイベント。あれ、いいイベントでしたね。
そう、九つっていう。なんで九つなんですかって聞いたら、八つとか六つとか、つで終わるのがいいなーって言って、その中で一番大きい数字、九つらしいんですけど、
そう、九人の方が寄稿して、文章だったり映像だったり、いろんな形ありましたけど、ほんとなんか、よかったです。
で、しかも普段から文章を書いている方とも限らなくて、いろんな方が書いてて、いろんなスタイルがあって、よかったですね。
本当に、なんかその今のその、つがつくのが良かったみたいな話とか、やっぱりその企画してるけんじさんとかと、やっぱり普段からやりとりをさ、よくしてるかずねだから聞ける話で、めっちゃ面白いって今思ったんだけど。
なんか私今回その寄稿させていただいたけど、
九人中の一人ですよ。これ厳選されてますからね。
厳選されてんだ。
あの人にもこの人にも寄稿して欲しいけどどうしよう、九に納めてじゃあこれでみたいな。
ありがとうございます。
今年はこれでみたいな。
展示の空間作り
今回でもその寄稿させていただくっていうお話をもらって、その直前まで舞台があったから。
そうですよね。
そうそう。でも頭の隅っこでずっと植物のこと考えてて、一応文章を書いたりとかをしてたんだけど、
当日現地に行って、糸島のね、本当にご縁ができる前から素敵なお店だなと思ってたココノキさんで、今回展示をさせていただけたんだけど、
その店主の野口さんが、こんな布とか紐とかもありますって言って、
必要だったら使ってくださいって言ってくださって、
え、マジで?ってなって、結局空間作りからやっちゃったもんで、最初に考えててた言葉一切使わなかったんですよね。
最初分かんなかったもん。これ誰の作品なんだろうって。
19日かな?3月19日ぐらいに展示が始まってたんですけど、なんかもう展示してる時って展示してみて、あ、これ足りなかったとかなるじゃないですか。
で、石沢さん名前なくて、この布は誰だろうみたいな。分かんなかった。
そう、布、私でした。
こんな表現をするのかって。
そうそう。でもそれも野口さんが、布とか使っていいよって言ってくださって、でその空間と布とっていうのが頭の中で組み合わさった時に、紐とね。
えー、だったらこんな感じの空間見えちゃったなーみたいな。
見えちゃった。
感じでね、なんか作らせていただけて、だからもう19日の前の18日か。18日設営伺った時にもう昼過ぎぐらいに行ってから、夜もずっと設営させてくれて、それでもやっぱ終わんなかったから、ゼロから作っちゃったから。
で、次の日も行って、なんか作りながらっていう感じで、今回最終日までずっと空間が変わっていくっていう状態で私は展示をさせていただいたんだけど。
もうみんな素敵だった。
ねー。
それぞれ。
本当に。
なんていうか、この9つの物語のこの企画、めちゃくちゃ素敵でしたね。
ねー。
哲学対話も本当にめっちゃ良かったし、あれなんだろう、今回ですね、空間を作るっていうところからやっていったもんで、その空間に合う音との言葉が綴れないと置けなかったんですよ。
だからだんだんその空間できた後に、あ、だったらあれいいなとか、これいいなって物が増えていくっていう流れになっちゃったんですけど。
最後の最後に、最後の土日に言葉が、これいいっていう感じの言葉がかけて、企画のケンジさんと野口さんから、最終的に人になる、今回のイベントはって聞いてて。
原風景と桜の物語
で、その人に載せるような文章をどうしましょうかね、今回空間のページになってますもんねみたいな。
本当ですよね、どうしましょうかねみたいな感じで、これはもうやっぱりそのこの間のテクテクハニカムの上演の時に最後に歌がいるなと思って歌作った時と一緒だったんですけど、やっぱこれ一個一つ物語だ、言葉だなっていうものが一ついるなと思って考えて、
たら明け方にぺろって書けた文章が。
あさ書いたんだ。
そうめっちゃ明け方、朝の5時半から7時半ぐらいで書いたって感じでした。
なんですけども、その文章が今回の企画と、あとこのタイミング、この季節だから書けたっていう感じの文章でね、すごく嬉しかったんですよね。
で、今回その植物にまつわるなので植物縛りっていうところが物語の中にあったんですけど、今回その物語かけてちょっとやっぱり人間ってすごいなーって思ったことが一つあったんですよ。
今回その最後に展示の空間に載せた物語のタイトルが原風景と桜っていうタイトルに最終的にしたんですけど、私子供の時から、うちの兄弟はみんななんですけど、桜の時期になると母が車に乗せてくれて、夜とか昼間とかに桜を見に行くっていうことをずっと毎春毎春やってたんですよね。
毎春本当に。で、それがたぶんちょうど時期的に桜が咲いたりとかがあって、今年本当に花が爆発するみたいに一気にドッと咲いたじゃないですか。
だから木蓮も桜もなんかもういろんな花がいっぺんにバーッと咲いて、街が花で爆発するみたいなんだ本当に。そういう気配もひっくるめてたぶん言葉がわーっと出てきたときに、桜が自分が子供の時からずーっと吸い込んできたものみたいなのをずるーっと連れてきてくれた感じになって。
母が毎年連れて行ってくれるときにどんな感覚でいたかとか、その時に見てた景色の中に自分がまた行って、その感覚を見てたんですよね頭の中で。
だからその感覚を今思い返してみるとやっぱ目線が低いんです。今の自分より。その桜を見上げてる感じとか、もっとちっちゃい頃の自分で見てるんですよね。そういうのとか人間はやっぱ全部吸い込んでて覚えていて、今もう40代半ばの私もそれをやっぱりずっと持ってる。
そしてそこと、今回植物で文章を書くっていう機会をもらったおかげで自分がピッとつながって、そうしたらドワドワドワドワドワーってその時の感覚が自分の中にもさもさも再現されるわけですよ。
再現されたことで出てくる言葉たちとか感覚で改めて、よくよく考えたらあの頃ってお母さんこんなことしてたなぁ。でもあの時はしてなかったなぁとか。
アマチュア無線を母、父もうちはやってて。だからあの遠出する時とかって結構見ず知らずの電波の先にいる誰かと喋ったりしてたんですよね。電波がつながるうちしか喋れないんです。お互いがだいぶ離れてしまったりするとも電波のつながりが悪くなってきて、喋るのも終わったりとかするんですけど。
でもそういうのを子供たちを桜に連れて行っている時とかは喋ったりとか全然してなかったなとか、今回初めてその文章を書いてて気づいたりとか。
自分がなんだかんだいろいろあるけれども世界は美しいよなって思うベースの感覚みたいなものをそうやって培ってもらってたんだよなぁっていうのに改めて気づいて、これはなんていうことだろう。文章を書くっていう機会をもらったことで自分でもそこにタッチしたし、
なんか全く一緒ではないけど、これは文章を読んでくれた誰かもその人の思い出とか今まで経験してきたことなりのなんかが、なんか同じような揺れ方しているところが反応するみたいなことが起きるかもしれない文章が書けた気がすると思って。
なんかね私から見るとすごい石玉さんが即興ソングを歌っている時の感覚とあの文章の雰囲気が似てる。
おもろ!そうなんだ!
もう少し言うと、石玉さんが桜が好きで桜が地面に落ちてる様子とか花びらを触ってすべすべしてる感じが好きだっていうのは何度も話してるじゃないですか。記憶としてはあるわけですよ。語れている。
なんだけどそれと違う、もっと言葉とか記憶っていう頭よりも感覚的に感じたんだと思うんですね。当時の感覚を。しかも思わぬものとこれは繋がっているんだみたいな。
ここにハッとするっていう。記憶はしてたけど記憶プラス感覚的にそれを味わえて、しかもそれによって全然見え方が変わるみたいな。そういう感じだったのかなって聞いてて思いました。
いや面白い!
どうですか?
今の話めちゃくちゃ面白いよ。私時々さっき言ったみたいに、これはっていう感覚に自分の文章とか書いたものがちょっと触った気がするときがある文章が書けるときがあるのね。
それって原風景と桜の文章みたいな時もあるし、自分で曲を作ってる時とかはそこまでいけないと曲ができたってそもそもならないんだよね。
さっき言ってくれてた頭中下層っていう歌の歌詞とか、目隠し鬼とかも本当にそうで。あれも植物が結構モチーフの中に、言ってる世界の中にむちゃくちゃ植物がいるのよ。
目隠し鬼とかはススキの野原がバーって見えてて、そこがザワザワザワザワ揺れてて、体はかなりススキに隠れちゃっててっていう景色の中で起こってることだし、
その頭中下層とかも植物の巡りとか、頭中下層が生まれて出てきてまた菌を飛ばして虫についてまたキノコになってとかみたいな繰り返しとかみたいなのがすごい重要だったりするんだけど、
なんかそういう、なんか結構シンクったところにタッチした、それを持って帰ってこれたつらなりの中で描けてる気がするって思ってるものを自分では作品になったなって思ってるんだけど、
それが即興の歌を聴いてるときと近い感じがするっていうのがね、すごいこれ考えたこともなかった。
なんか一気に書いた感じがわかる。朝5時ぐらいに書き出して、7時ぐらいに書き終わったっていう、この瞬時に生まれた感じも、なんか頭中下層とかああいう文章以上に一瞬にして書いた感じがあるっていうか。
なるほど。どうですか、実際。
そうね、短い時間で書いてはいるんだけど、今回の原風景と桜は。でもさっき言った、その頭中下層とかで触りに行ってるのと同じようなところを触ってるっていう感覚は両方あるのにね。
だからすごい、最近でも文章を書くときに気をつけて自分の中で意識してやってることが一つあって、それはたった今この文章を書いていっているから自分の中で、あ、要するにそれってこういうことかなとか、
そういうふうに自分の中でそれをやってるから起こった視点の変化だったりとか、こういうことなのかなって気づきがあったりしたことについては、できるだけ時系列を書こうと思ってるんよね。今思ったんだけどとか、これをやっている中で自分の中で見えてきたんだけどとかっていうの。
春の言葉と過去の自分
なんかその方がこう、なんていうのかな、フェアな気がして。ずっとそういうことを見えててそう思ってるっていうのではなくて、今こういうことを感じて、昔のことかもしれんけど今もう一回触れ直していろいろペタペタしてて、あれ?これって実はこういうことだったんじゃないかって。
今の私だから見えるみたいなものっていうのがあるから、それはなんかこう、今だからみたいなのを言うことがすごいフェアな気がしていて、昔からそういうことが見えてるとかそういうのではないっていう。
いや本当。
それを書いたりとかをしてるから、即興の時みたいな時間感覚みたいなのとかを文章から受け取ってくれてるとかはひょっとするとあるかもしれないと思いました。
ただ読んでる側も共鳴しやすいんだと思います。
そうか。
なんか今そこに石澤さんがいるみたいな文章。
あと私が好きだなって思ったのは、石澤さんがそのお母さんが桜海に連れて行ってきた時の感覚を思い出しているように、今の自分を将来の自分が思い出しているじゃないか。
めっちゃいいなみたいな。
今この瞬間も自分も、いつか未来の自分にとってそういう、あの頃の私こうだったなとか、あの時のあれが今の私のこれにすごくつながってるんだなとか。
そんな大事な瞬間になってるかもしれないなと思って。
なんか、昔の自分ってまあ自分なんだけど、全然知らない人みたいでもあって、いつも興味深いなと思って見てるんだけど。
そう書いてましたね。道でこうすれ違う相手とかと同じように過去の自分が、それぐらいこう別の自分っていう。
なんだけどやっぱり同じように愛しいなと思うっていうかね。
例えば私は言葉とか歌とかがそういうものを自分に連れてきてくれる道具っていうかツールなんだけど、
なんかみんなにそれぞれそういうものがおそらくあって、言葉じゃない人もいる。
で、例えばそれがダンスとかみたいな人だったりとか、例えば数学の公式からそういう体感覚が連想される人とかも世の中にいるかもしれないし、
なんかこう本当にもう人のことわかんないなってめちゃくちゃ思う。
でもその時に起こっていたことは記憶できる。
で、その起こってたことを後から、その後になった自分が感じ直すとあれ?みたいなことがよくあって、なんかすごいなーって、なんかすごい思いました今回。
ちなみにこの喋ってますけど、その文章はもう展示が終わって今見れないわけですよね。
これ読みたいっていう時見る方法あるんですか?
人になるまで待ってたらいいですか?リスナーの皆さんは。
今回の植物にまつわる9つの物語は、人にケンジさんがしてくれるらしいんですよ。
なんでそれを買っていただくと、私の原風景と桜ももちろん映えるし、
他の方たちのね、本当に素敵な文章、わんさかびっくり。本当に素敵。
一年待ってってことですかね。人ができるまで。
一年待ってもありですよね。
あとなんかあれだ、私あの文章を書けた時にちょっと興奮してたんだと思うんだけど、
興奮ってすごい静かな興奮ね。
遠方にいる絶対に読めない友達とかに送っちゃった。
いいじゃないですか。
これは久しぶりにこの文章をあいつに読ませたいみたいな。
年賀状みたいなもんですよ。
元気?みたいな。
年賀状みたいにね定期的にやりりゃいいんだろうけど、私は定期的にがあんまり得意じゃないんだよね。
不定期。
本当なんかありがたい機会をもらえたし、
本当にそしてこういう条件の時じゃないと自分の中から出てこないだろうなっていうものがね出てくるから、
やっぱり自分が書きたくて書くものもすごくこう意味があるけど、
誰かがこういう感じでどうですかって言ってくれることも同じぐらいね。
本当に。
だってこの9つの物語、途中で文章足してるわけじゃないですか。
なんで足すんですかってやっぱ何か刺激になるものがあったからで、やっぱそこには人がいて言葉があって、一人じゃ起きないことが起きますよね。
表現と展示のつながり
本当に。
やっぱり他の皆さんの文章もすごく素敵でね。
なんていうか、もっと自分もこの空間をもっとなんかこうしたいなっていう気持ちになりましたもんね。
そうそうそう。
誰かの表現を見て自分も表現したいってなるっていう。
本当にいいイベントでした。
いいイベントだった。
植物にまとわる9つの物語。
というわけで、展示に見ていない方は見たいって感じでしょうか。
たぶん来年も開催されるかもしれないのでね。
だし石玉さんは今年他にも言葉の展示をするかもしれないですよね。
そんな前振り。
いや分かんない。知らない。
分かんないけど。
でも言葉の展示って今までずっと考えてると、言葉って難しいよなって思ってたんですけど、
今回その空間と組み合わさると案外自分の中からしんどくなくて出てくるっていうことに気づいてですね。
気づいた。
びっくりしましたよ。
あるかもしれないですよ。
あるかもしれないですね。
年内また言葉の展示。
というわけで、イスラの皆さんお便りを募集しておりまして、
送ってくださる皆さんはこの番組を運営しているスタジオヒッチョのウェブサイト、番組へのお便りはこちらからお寄せください。
そうなろうと思ってたわけでもないのに、周りからポエマポエマって言われて大きくなった石玉ちゃんのように、皆さんのポエムとかも超お待ちしてますよ。
ポエムね。
そうそう。でもさほら、かずねがさ今ノートで書いてる文章あるじゃん。
あれは私めっちゃ好きなんだけど。
ありがとうございます。
あれも読みたい人いるかもじゃん。
私も書きます文章。
本当。書いていこう。
みんな書いていこう。
はみ出したいの皆さんも。
書いていこう。
書いていこう。
ギャップとマッチ。お届けしたのは、石玉とかずねでした。
聞くほどに心がほぐれ、何かとの境界線が解けて、ちょっと豊かな気持ちになりますように。
23:20
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