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始まりました、「大人の近代史番外編」ということで、前回の続きから話したいと思います。
はい、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
遊就館ってところに、これがね、結構目的の一つだったんだよね。
っていうか、むしろこれだよね、目的。
そうそう。これは、戦争にかかる資料とかね、たくさん置いてあったりとかね。
いわゆる戦争博物館って呼ばれてるからね。
これさ、昭和9年にできたんだって。だから明治の時にはなかったんだよ。
あー、そうなんだ。
そうそう。でね、これ戦後は遊就館って廃止になったの。
あー、だからあれでしょ、アメリカでしょ。
そうそう、ダメっていうことで。
で、やっとその1986年になって遊就館って再開したんだ。
あー、そんな後なんだ。
そう。まあその後ね、改修とかもあって、結構新しかったじゃん。
綺麗だったよね、とにかく。
うん、とにかくね、すごいね。
うん。
さあ、今日の目的の一つがもう遊就館ですね。
遊就館。
ちょっとここにいろんな資料があるみたいなので、ぜひ行ってみたいと思います。
これがあれだね、遊就館もなんか改修したって言ってたから、新しい。
うん、資料は綺麗だよね。
何なんだろうね、この周りにいる犬とか馬とか。
犬とか馬とか。
これ何なんだろう。右から読むんだよね、遊就館ってね。
あー、そうそう。
さあ、じゃあここからはマイクが音声収録ダメということなので、遊就館これから行ってきます。
行ってきます。
はーい。
長丸はどうかな、その遊就館行ってみて、何か印象に残るものとか何か感じたこととか。
俺はさ、大人の近代史のテーマでさ、自分が扱ってたものとかがこうパッて出てきて、何のことかっていうと回転とかなんだけど。
回転あったね。
そう、俺見たことはなかったの、やっぱり実物っていうか。
実際の大きさを知らなくて、なんとなくさ、聞いた話とかさ、漫画もそうだけどさ、そういうものでさ、写真とかで見てたけど、実際こう置いてあったじゃん。
うんうん。
でけえなって。
でかかったよね、あれね。
大きいのは当たり前なんだよ。だって人が乗ってさ、しかも爆弾も積んでるわけじゃん。
うん。
でも、こんなのが水中でバーって動いてんだって考えるとちょっとこう、おって感じはしたよね。でっかいなって感覚。
するね。
うん。
いや確かに、ゼロ戦なんかもいたったしね。
あれも、あれどっかから引き上げてきたんだっけ?
そう、なんか引き上げてボロボロだったのを回収したとか、なんかホームページ変えたったけど。
結構きれいにっていうか展示用にはなってたもん。
うん、なってたなってた。自分はゼロ戦にしても初めてだよ、見たの。
03:02
ゼロ戦は、なんか昔どっかで見たことある気がするぐらいのレベルなんだけど。
あ、そっか。でさ、あの、見てる中でさ、ちょっと話してたけどさ、優秀感ってその安国の中にあるから、なんかもっとすごい偏った感じで展示されてるのかなと思ったんだけどさ、
実際さ、別にそうはあんま感じなかったよね。
全然、それは本当に感じない。もっとすごいさ、もう日本は素晴らしい国なんだぐらいな感じのものかなって思ってたんだよね、正直いくまいって。
そうそう、すごいさ、それを強調してるようなのが多いのかなと思って。
これはあくまでも2人の主観になっちゃうけどさ、全然そんなことないなっていう気はした。
確かにね。なんか普通に淡々と細かく資料がね、解説付きであってさ。
ただ事実、博物館だからね、なんか事実をただただこう展示してるって感じだよね。
なんか全然そこに捏造とかさ、売却してるとかそういうのもなくってさ、
なんか俺らが知ってる歴史の本当にただの博物館って感じだった。
確かにね。
だから、こんなことあったんだとかじゃなくてさ、こういうの話聞いたことあんなとかイメージつくようなレベルのものだったじゃん、全部置いてあるのって。
そうだね。教科書と違うって言ったら、やっぱり太平洋戦争って言い方はしてなかったよね。
全部大統和に統一されてたね。
そうそう。それが本来の姿なのかもしんないけどね。
それが本来の姿だね。太平洋戦争ってだって、俺もどっかで言ったかもしんないけどさ、
それって太平洋側の部分の話だけのことじゃん。
日本ってやっぱあの時さ、中国とも戦ってたしさ、インパルの時に言ったけどさ、ミャンマーとかの方で、ミャンマーじゃない、ビルマーか、ビルマーでさ、イギリスとも戦ってたわけだしさ、
とてもじゃないけど、そんなところ太平洋じゃないわけじゃん。
そうだね。
だからひっくるめると大統和戦争が正しいんだよね。
確かに。あのさ、本当に大統和戦争も細かくさ、ここまで日本軍が行ったとかさ、地図になってさ、全体わかるようになってたじゃん。
ああいうのって今まで見たことなかったなと思って。
あれは教科書にあったかも。
あったんだ。
やっぱ日中戦争がさ、もともとの発端みたいな感じじゃん、大統和ってそもそもだけど。
だからそこの下りは多分教科書にもあるんだよね、普通に。
ああ、そうなんだ。
だから日本がこう、当時中国と戦ってて、それに乗じてアメリカとも戦いに行くみたいな感じで、結構日本中心にしてその周りの地図っていうのは教科書とかにも載ってたりはする。
そっかそっか。
ただあんな細かくは載ってないけどね。
俺さ、今でもさ、なんでだろうって思っているのがあってさ、特攻隊扱ってたとこもあったじゃん。
06:07
特攻隊の人がさ、出陣の前なんだろうね、寄せ書きで旗にさ、大きな旗に寄せ書きしててさ、みんな、その中にさ、英語でメッセージ書かれてたのがあって。
ああ、あったね、そういえば。
いや、あれさ、今でもさ、なんでだろうって思ってた。
その当時さ、戦争中って英語って、とにかく物に対してもそうだけど、一切さ、日本語に書き換えられてた時代なはずなんだよね。
ああ、そうだよね。
だから、これ何なんだろうと思っちゃって。
何なんだろうね。
自分はちょっと思ったのは、当時さ、日本本土の人だけじゃなくてさ、例えば、南国の人とかさ、高佐国もそうだけどさ、そういう人たちが英語で書いたのかなと思って。
いや、わかんないけど。
日本語ちょっとあれだからみたいな。
どうだろう。
それか、ただノリで書いた。
まあ、ノリなんじゃない?わかんないけど、当時のそのさ、よくわかんないけど、それやっちゃいけないけどやっちゃうノリ?
うん、まあもうなんかそういう感じなんだろうね。
ちょっとこれは完全に予想でさ、全然違うかもしれないけどね。
うん、しかも何て書いてあるかちょっと読めなかったんだよね。
ああ、ちょっとね、読みづらいっていうか、まあ英語なんだろうなぐらいな感じだよね、あれは。
そうそう、ちょっと達筆にこうさ、書いてあったから筆記体で。
やっぱさ、そのさ、特攻の自分はさ、出陣前の集合写真とかこう、みんなで楽しそうに撮ってる写真があったじゃん。
いや、あれね、なんか今でもやっぱりすごいノリに焼き付くというか、なんだろう、なんか感じるものがあるね。
これから死にますっていう時に撮ってる写真だからね。
そうそう、でもすごくさ、なんか無邪気というかまだ本当に若い子たちなんだよね。
うん、全然今のうちらよりも若いし、それこそ学徒出陣の頃のだから本当学生だったりするわけじゃん。
そうそう、だからそれ見るとなんかすごかったね。
なんか子犬を抱きかかえてさ、笑顔で撮ってる人たちとかいたじゃん。
うん。
特攻なんかすごいな、なんかこれから本当に特攻に行くんだって思うと、ちょっと感じるものがかなりあったね。
まあ本当日本の負の歴史と言えばいいのか。
うん。
だって特攻したところでもう勝ち目もなかった頃の、てか特攻が始まったのってもう勝ち目がない時だったからさ、結局のところ。
うんうん。
負けます、まあもちろん負けますっていう流れにはなってないけど、もう客観的に見たら勝てないぞっていうところに来てる中での腹肉の柵の特攻だったわけじゃん。
そうだね。
ちょっとでも戦争長引かせるとかさ、いいところで講和が結べるようにするっていうさ大本営の多分目論みがあって。
うん。
それでとにかくやけっぱちになったわけじゃないだろうけど、これしかないぐらいな感じでやってたようなものだし。
09:05
うん。
あとその最後の方のところでさ、やっぱり特攻もそうだし、亡くなった人たちがその、まあ亡くなる前に多くの人多分衣装を描いてたんだろうね。
うん。
あの衣装が本当に数多くさ、展示されてたじゃん。
まあそうだね。特攻でこう行く前には描いて、必ず家族に残してっていう感じだったんだろうしね。
そうそう。あれもさ、だから直筆で本当に描かれてるなんて見たことなかったからさ。
うん。
いやすごいね、あれも。
特攻ってさ、でもある意味そうやって家族にメッセージを残せたんだよね。
あー、確かにね。
これがさ、普通の局地戦とか、それこそさ、あの南の島でさ、あの餓死してるような人たちも多いわけじゃん。
うん。
その人たちはさ、手紙の一通すら書けないでやっぱ死んじゃってるんだよね。もちろんさ、その特攻とは意味合いが違って死んじゃってるけどさ。
うん。
だからなんだろうね、なんかどっちが良かったのかなと思うけど、俺としては。
あー、まあ確かにね。
ね、そこはほら比べられるものじゃないからさ、結局のところ。
うん。
そのさ、なんだろ、手紙の中を結構見てて思ったのがさ、
うん。
日本のために自分は行きますみたいなその、なんだろう、本来なんか今の感覚だとさ、あんまりよく分かんないようなさ、
うん。
これから行くのにその家族のことをもっと本当は家族と一緒にいたいとか、そういうさ、なんか部分はちょっとはあったんだけど、大部分はそうじゃなくてさ、
うん。
日本国のために私はこう盾になってこれから行ってきますみたいな、そんな感じが印象を受けたね。なんかメッセージ性がそういうのが多かった。
あー、献衍があるからね。
あー、まあそれもあんのか。
献衍にだから何が引っかかるかが、まあ分かんなかったのかもしれないし、
うん。
なんか俺もそこはちょっと分かんないな。当時のさ、結局さ、これを書いたらダメっていう基準が多分あるんだよ絶対。
だから家族のことを書くのはダメじゃないとは思うんだけど、多分そこでなんか弱腰になるような言葉を書いたりとかするのがダメだったのかも。
うーん、あとはもう本当にそう自分たちを奮い立たせてたのかもしれないけどね。
うん。
で、まあ優秀感ってあれなんだよね。歴史がさ、まあ順番にもよってもだけど、だんだんこう戦後になっていくって言うけど、最初はこうどっから始まったか、神武天皇から始まってたよね。
ね。ほんとすぐ終わっちゃったけど、そのところはさ、ほんと1フロアでヒュッて回って終わりだったじゃん。
そうそうそうそう。だから前半のはちょっとなんだけど、その甲冑のやつとか展示されてたりとかさ、
うん。
そうそう。でもそれ以降はもうほとんどその戦争だね。
まあ本当にそうだね。
まあ一瞬でちょっとね、割と偏ってないっては思ったんだけど、日露戦争の映像があったじゃん。
あーあったね。
こんだけ勝利しました。まああれは、まあ少しちょっと日本を鼓舞している感がちょっと強いのかなとは思ったけど、
うん。
12:00
まあそれぐらいかな、でも。
まあ日露戦争はね、まあ俺らこれまだテーマでもやってないけどさ。
あれすごいよね、テーマとしてね。
日露戦争はさ、やっぱ局地戦が多すぎてさ、追えないんだよなかなか。で、まああれなんだよね。いい勝負だったんだよ、ほんとに。
うんうん。
マジでね、互角、互角、互角、互角、最後になんとか勝ちましたぐらいな感じだからさ。
うんうんうん。
なんかね、日本も多分相当厳しかったんじゃないかな、当時は。
まあ確かにね。最終的にさ、まあ優勢で終わったけど、勝ったっていうより和平条約みたいなの結んだんでしょ。
あ、そうそうそう。あの、勝ったっていうか、もうちょっとこれ以上続けてもお互い得ないからちょっとやめようよぐらいな感じなんだよね、イメージとしたら。
そうだよね、途中でアメリカを仲介に挟んでさ。
そうそう。だからあれ以上続けたら、あの全然負けたかもしれない、正直。
まあ確かにね。
ただ、まあそれは何とも言えないけどね。もしかしたらそのまんま勢いで勝ってたかもしれないし。
うんうんうん。
だけどやっぱりね、あれはとてもじゃないけどね、もう大勝利ですと言えるような勝ち方ではなかったっていうのは事実だよね。
うんうん。
実際賠償金も取れなかったし。
まあそうだね。
うん。
あとさ、俺、優秀感のその最後の方の展示で写真がさ、いっぱいさあるわけじゃん。
うん。
結構こう写真を見ててさ、軍人の人がほとんど、あれ、なんか遺族の方が提供した写真がほとんどらしいんだけど。
あー。
そうそう。見てる中でこうやって見てたらさ、いきなりこう大村増次郎とか出てきたりとかさ。
あははは。
吉田松陰とかいきなり出てきて、あれって思って、なんかイラストだったんだけどそれは、古い人は。
順番も関係ないんだと思って。
まあなんかあるんかもしんないけどね、順番ももしかしたら。
うーん、まあそれぐらいね、いっぱいなんかあったね。
ね、なんか時代とかじゃないしさ、名前の順でもなかったしさ、何の順なんだろうと思ったけどね。
あれさ、これ靖国神社さ、これちょっと調べて、どのぐらいの方が祀られてるっていうのかな。
うん。
そうそう、人はね、今ね、200、約ね46万人ぐらい。
あー、まあでも戦死者が200万人ぐらいだったからね、そもそも。
そうそうそう、あれなんだよ、今のはトータル五神戦争からなんだけど、そうそう。
で、大東亜戦争でね、213万人ぐらい。
うん。
だからもう大東亜戦争がほとんどなんだよね。
まあ実際そうだよね、やっぱり。
うん、それぐらいすごいさ、戦争だったんだよね。
まあ軍人が死んでたのがさ、それまでの戦争だったわけじゃん。
どこから始めればいいのか、まあ五神戦争はちょっと置いといてもさ、初めて明治政府になって戦争って日清戦争かな。
あとね、あの台湾出兵だった、多分。
台湾出兵か。
そんなに規模はあれだけどね。
で、民間人の犠牲っていうのはさ、原則的にはあんまりないわけじゃん、そこって。
アウェーだからさ、基本的には。
うんうん。
15:00
だから、死んでたのはそれまでって基本的には軍人さんだったわけでしょ。
うんうん。
でも、その太平洋とかさ、大東亜戦争で死んだのってさ、軍人ももちろんたくさん死んでるけど、民間人もやっぱり結構な数死んじゃってるんだよね。
ああ、でもね、これね、民間人入ってないんだっていう。
あ、そうなの?あ、でも軍属入ってんでしょ?軍属の民間人。
あ、軍属入ってんだね。でもあれでしょ、原爆とかで落とされた民間人は入ってないんだよね、確か。
ああ、そうなんだ。
まあどこまでが、その中に軍人がいたら入ってるかもしんないけど、なんかね、そんな感じだったよ、確か。
へー、そうなんだ。
うん。
なんで民間人待つんないんだろう。
あ、そうそう、これはなんか、結局は民間人って言うより、国のために勤めてた人なんだよね。
ああ、そうなんだ。
そうそう、まあでも民間人もぶっちゃけ全員がさ、国のためにさ、武器作ったりとかさ、やってる中で亡くなったわけだけどね。
そうだね、それはちょっとあれだね、え?って感じだね。
そうそうそう、まあ例があるかもしんないけど、なんか調べた中でそうだったね。
へー。
まあ、そんな感じでね、優秀感いってきましたっていう話でした。
で、その後にさ、本来だったらホーライドってところ行きたかったんだよね。
ね、和菓子ね。
和菓子がさ、靖国神社の結構近くのお店で明治からやってる本館のね、ホーライドの本店なんだけど、そこのね、和菓子をね、なんか2階のとこで食べれるみたいだって。
行ったらね、日曜日休みなんだよね。
日曜だけ休みなんだよね、しかも。
そうそうそう。
あれコロナとかじゃなくてさ、日曜、まあ俺らが行ったのが日曜だったからさ。
そうそう、だからね、あの、もしその靖国神社とかそこら辺の訪れる人は、日曜日とか土日って結構注意した方がいいかもしれないね。
そうそうそう、あの辺さ、お店が結局ね、オビス街だったりするからさ、やってないんだよね、土日。
そう、土日お店が、だからチェーン店ぐらいなんだよね、やってんのがね。
まあそれで、昭和館っていうのが、九段下駅の近くだっけ?
あの、もう武道館の、なんだろう、敷地のほんとちょっと横ぐらいって感じ。
そうそう、で、そこに行ってきたんですよね。
うーん。
長丸どうだった?昭和館。
うーん、なんか、あれだね、こんなところあったんだっていうのがまず一番に思ったところでさ、なんか、靖国の近くにさ、こんな歴史が学べるような、なんつーの、
勉強チックなさ、施設だったじゃん、そこって。
あ、そうね、図書館とかもついててね。
そうそうそうそう、なんかメディアライブラリーだったりさ、まあ本当の、その本の図書館もあったりとかさ。
うーん。
ね、で、まあ俺らが行ったさ、上の方の展示に関してはさ、その昭和の生活様式みたいなのがこう飾ってあってさ。
うーん。
え、これ普通に、なんかレトロブームじゃん、今、なんか昭和のさ、レトロブームとかあるからさ、今、若い人とか行ってみてもいいんじゃないって、ちょっと正直思ったね。
18:02
ね、でも全くいなかったよね、ほとんどね。
ね、日曜なのに、あ、こんなに貸し切りなんだぐらい。
そうそう、あれって思って。
でもなんか、結構置いてある資料もあれだけど、自分はさ、やっぱりあのパネル?
ああ。
で、あの、結構割と近代的なやつでさ、その北海道とか東京とかクリックすると、その戦争中の写真が出てきたんだよね。
ああ、あの、その時代のやつね。
そうそう、その大東亜戦争の。
ああ。
で、いやー、もうあれでさ、写真がちょっとさ、東京とかさ、東京大空襲のその後の写真か。
うん。
いやー、で、閲覧注意っていうなんか赤い警告が出ててさ、
うん。
ね、いや、これはちょっと別に参考にしなくていいと思うけど、クリックしてみたら本当にね、すごい写真だったね。
調子帯だよね。
いやー、あれちょっともう、なんだろう、見えない方がいいかもしんない。
長崎とか広島の原爆資料館的なところって行ったことない?
あそこにも普通にさ、結構しかもでかい写真でさ、子供のさ、やけ焦げた姿とかも載ってたり、原爆のね、やけ焦げた姿とかさ、生きてる人だけどケロイドになっちゃってる写真とかさ、結構あるんだよね。
だからそれに比べると、まあね、ちょっと遠くから死んじゃった人写ってるぐらいな感じだけどね。
そうかね。長丸ほんとすごいね、どんどん満ちたもんね。
だってやっぱりそういうのが興味あるっていうよりは、どんだけ悲惨だったかっていうのは見ときたいじゃん。
あー、まあ確かにね。すごいね、それはね。
ちょっとアニメの話になっちゃうけどさ、ホタルの墓ってあるじゃん。
うん。
あれさ、初めさ、瀬戸とかのお母さんってどうやって死ぬか覚えてる?
えー、もう覚えてない。あれもう1回でしか見れなかったな。
まああれ、空襲でさ、重傷おっちゃうんだよ、お母さん。
で、病院に運ばれるんだけど、手当も全然こうしてもらえない状態で死んじゃって、もうすぐ腐っちゃうのよ、暑いから。
で、ウジが湧いてるっていう描写だったのよ。
でもやっぱそれが当時の当たり前だったんだろうね、やっぱ。
なんかさ、結構戦後の資料も多くてさ、戦後のバラックっていうさ、ほんとにただ掘ったて小屋というかさ、簡易的に屋根とつけましたみたいな。
だからああいうの見ちゃうとさ、いかに今がほんと恵まれてるかっていうの思っちゃうね。
ほんとその人たちの礎があってこその今だからね。
そうそう。
結局さ、なんで今自分がさ、こんだけさ、裕福っていうのはちょっと言い方変だけどさ、日本ってさ、基本的には大体の人はさ、普通に家に住んでるわけじゃん。
普通に家があってさ、食うものに困る人もいるのかもしれないけど、基本的には食べるものにも困ってないでさ、普通に生活してるわけじゃん。
21:00
で、これって日本だからさ、得られてることで、日本じゃない国だったらさ、それが常識じゃなかったりもするわけじゃん。
で、今のこの日本を作ってきてくれたのは誰かっていうとさ、どんどんどんどん遡ってきて、やっぱり歴史を作ってきてくれた人たちのおかげなわけじゃん。
だからそこに対してさ、感謝をしないっていうのは、俺は人としてどうかなと思うよ正直。
その祖先に対してさ、なんつーの敬意を払わないというか、そういうのはなんか違うんじゃないのって思うよね。
え、じゃあお前はなんなのっていう感じじゃん。
それもね、個人のまあ自由なところはあるからね。
まあ自由な考えではいいと思うけど、なんかあんまりやっぱそこをね、大事にできないっていうのはどうかなと思うよ。
大丈夫か、大丈夫か。
大丈夫か。
あとはすごかったよね、ほんとにあの川でさ、みんな洗いに行ってたりとかさ、わずかしかない水をこう汲んでさ、なんか必死にさ、生きてたって感じだね、あの写真見ると。
だから本当に厳しい、戦後復興ってさ、やっぱりなかなか、だって焼き野原だったわけじゃん、東京なんて特に。
それがさ、今やもう東京なんてさ、ビルビルビルじゃん。
確かに、だからそのなんだろう、昭和館ってさ、当時の写真だけじゃなくて映像もさ、クリックで見れるようなライブラリーがあったじゃん。
あれとかもすごいね、闇市とかもさあったしさ。
ああ、闇市ってこういうのなんだみたいな。
なんかでも闇市ってそんな怪しくなかったよね、なんか見てる感じだと。
全然怪しくないね。
なんだろうね、飴横ぐらいな感じ、イメージ的に。
ねえ、そうだよね。なんか別に売ってる人もちゃんとしてたし。
ねえ、なんか俺すげえさ、もうそれこそさ、ヤクザみたいな人たちがさ、こうやってんかと思ったけど、そういうわけじゃないよね。
ねえ、ちょっと名前がね、闇市っていうのもあれなんだろうね。
たぶんそういう許可を得てないところでやってたからそういう呼ばれ方してるのかな、おそらく。
そうそう、でもあれがもうやってなかったらもうみんなガシしちゃうというかさ、もうあれはもうしょうがなく必然なんだよね。
そうだよね。
そうそう、で昭和館、ポスターのなんか、
あ、ポスター店ね。
特設店あったじゃん。
ああ。
あれもさ、あのなんかすごいなって思って、昭和のだから戦時中のポスターとかいっぱいあったじゃん。
うんうん。
あの色使いというか、レトロな本当に感じ?
うん。
今はあんまり見ないなと思って。
なんか全体がさ、あの時も喋ったけどさ、なんかこう暗いよね、ポスターの色使い。
落ち着いてるというか暗いというか。
確かにね。
なんか俺らがさ、想像するその当時の時代を本当に表しちゃってるような色になってるんだよね。
なんかさ、こうやっぱ鼓舞するようなさ、そういうキャッチフレーズ的な言葉が、メッセージ性が強かったね。
なんか今とはちょっとやっぱ違うよね、そこらへんは。
今あれ貼ってあったら叩かれるだろうね。
っていうようなのが多かったね。
24:00
そうだね。
まあそんな感じで昭和館、まあね、行ってきましたって話ですね。
いやー昭和館はね、意外に良かったよね。
意外にね、そう、自分は結構印象に残っちゃってるね、昭和館は。
なんかダイジェスト的に学ぶっていう意味ではさ、まあなんか優秀感はさ、戦争に特化しちゃってるじゃん、どうしたって。
うん。
なんかその全体的に歴史を見るとかさ、その当時の生活スタイルをさ、こう学ぶっていうところだったら昭和館の方が絶対いいからね。
あーいいかもしんないね。
いや俺なんかさ、カップルでさ、あのライブラリーとか見てる人たちいてさ。
いたね、そういえば。
いや俺、どういう感覚なのって思ったんだよね。
単純に涼しいからじゃん。
そうなの?いやだって見てる資料はすごい資料でしょ?
あーどうなんだろうね、何見てたんだかちょっと見てないけど。
まあそう、あーそのさ、ライブラリーのさ、提供してるのってさ、アメリカのなんだっけ、公共資料だっけ?
が多かったね。つか俺らが見てた時代がさ、結局その頃の時代だったからさ、戦後間もなくだったり、戦争中だったりとかさ。
そうそう、だから戦後ってさ、やっぱ撮ってるのってアメリカ側が多いんだよね。
まあそうだね、それはしょうがないよね、でも。
そうそう、だからそういう映像もなんか見たことなかったから、そういうのも興味ある人は見てみたらいいかなって思いました。
なんか好きな人はさ、あそこ1日いられるよね、きっと。
たぶんね、膨大すぎるね。
全然見切れない見切れない。10分ぐらいのさ映像をさ、たぶん1000とかじゃないよね、もっとあるよね、たぶん。
見切れないね、あれね。
うん、全然見切れない。
もう靖国神社の優秀感でかなりね、うちらは賞問してきたから。
優秀感も、そうそう。結構見るの時間かかったからね。本当に、だって120分コースの方だったからね、見たのも。
あ、そう。ちなみにさ、ちょっと優秀感であれなんだけど、最後さ、刀の展示やってたじゃん。
あー。
あれもさ、まあ結構、刀はまじまじ見たことなかったからさ。
あれ見たんじゃないの?ひじかたとしそうのさ、泉の神。
あーそう、でもあれはさ、1本だけが展示されてんじゃん。
まあなんか今回さ、いっぱいいろんな刀がさ。
あー。
そうそうそう。でさ、あの映像やってたじゃん。刀が作られるまでみたいな。
あー。
あれ結構見たよね。
いや、あれ面白くない?でも、ああいうの。
面白かった。知らなかったもん。
俺刀ってさ、なんだろう、もう刀打ちがさ、あの刀の形に仕上げてんかと思ってたのよ。
あのカンカン打つ人が、もうすげー打ちまくってすげー鋭くしてんかと思ったのよ。
うん。
研ぎ師がいるのね、ちゃんと。すげー当たり前の話なんかもしれないけど。
別なんだよね。
だから棒って言ったら変だけどさ、要はちょっと平べったい棒にしてさ、それを研ぎ師がさ、研いでさ、あの要は刀にしてるわけじゃん。
うん。
ね、ああそうなんだって、知らなかった。
そう、あとさ、刀のさ、波紋ってさ、自然にできんものかと思っててさ。
あー、めっちゃ人工的だったね。
人工的になんかこう、土みたいになんか塗るんだよね。
そうそう、で、あれで焼き具合が変わるからっていう話だよ。
27:00
そうそう、いやー、あれ人工的なんだと思っちゃって。
え、でもすごい味があるよな、あの人工的なのにしては。
うん、しかもすごい手間がかかるような、ね。
うん。
いやー、だから刀っていうのが1本できるまで相当ね、大変だなと思って、あれ見てて。
まあ、なんか日本刀って本当に芸術だなと思った。
ね、あれもう本当に芸術だよね。
ね、あの、必要性はないのかもしれないけど、芸術だなって。
確かに、結構だから今若い人たちとかもね、刀ブームというか、好きな人多いからね。
あー、なんか作るところから好きなのかな。
どうなんだろうね。
まあ、そんなね、ちょっとあの刀の、あれ多分期間限定なんだろうね。
あー、あれは特別展でしょ、多分。
そうそう、まあそんなのもやってましたっていう話でした。
はい、じゃあまあそんな感じで、今回は靖国神社とか、まあ昭和館、いった番外編でした。
はい。
ありがとうございました。
ありがとうございました。