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2023-08-07 33:24

#186 武田早絵の「われ思う故に我あり」

ゲスト:武田早絵さん(RKB毎日放送株式会社)


【SNS】

武田早絵さん(https://twitter.com/saetakeda

RKBラジオ「#さえのわっふる」(https://twitter.com/rkbwa


樋口聖典のわれ思う故に我あり

貴哉ゲスト回「生きることは甘えること」(https://spoti.fi/479i0Pi

太陽ゲスト回「人生は傾き続けるビリヤード台だ」(https://spoti.fi/44Phgxa


番組へのご意見・ご感想は、Twitterにてハッシュタグ「愛の楽曲工房」まで。毎週月曜日18時配信


【番組への寄付】
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樋口聖典/株式会社BOOK・ギチ(https://twitter.com/HiguchiKi

樋口太陽/株式会社オフィス樋口(https://twitter.com/higuchitaiyo

青柳貴哉/ギチ(https://twitter.com/aoyagitakaya

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サマリー

RKB毎日放送の武田早絵さんは、自称アナログ人間で人気アナウンサーです。彼女は最近、哲学について考え、本物の哲学や日本人の違和感、文化の違いについて話しています。文化の違いや彼らの行動は私たちの価値観と異なっていても、それを許容することが大切だと言っています。また、自分の中で絶対的な価値観を持つことはないと考えることが重要だともしています。彼女は文化の違いが与える影響や哲学について話し、さらに樋口さんの割れ思い植えについても考察しました。

武田早絵のわれ思う故に我あり
愛の楽曲工房
はい、どうも、Kiyonoriです。
太陽です。
青柳です。
さあ、今日も前回に引き続き、僕がやっている、
さえのワッフルから、RKB毎日放送アナウンサー、
武田早絵さんをゲストにお迎えしております。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回もお邪魔します。
はいはいはい。
いやー、前回もうめちゃくちゃ盛り上がって楽しかったんですけども、
はい。
いやー、そんなのはもう、もう、何て言うんですか、
いたずらにすぎませんよ。
いたずら。
もう今からやるのが、もう超メイン、大注目コーナーでございますから。
こっからが。
はいはいはい。
いたずらですよ、もう。
はいはいはい。
もう、ここからね。
これをやるために今日来てもらってますから。
はい。
さて、じゃあ、いきますよ、早速。
じゃあ、さえさん、今週はこちら。
武田早絵の、われ思う故に我あり。
めちゃくちゃいい声。
本物やん。
自称アナログ人間で人気アナウンサーの早絵さんが、今思うことを語ります。
ということなんですけど。
ちょっと待って。
はい。
自称アナログ人間って別に自分で言ってないし、自分で人気アナウンサーとか言ってませんから。
そこは、そこのとこよろしくお願いします。
あ、そっか。
自分で言ってなかったか。
自分で言ってない。
ちょっと正直さ、あの、ま、さっき1本目を撮って、ま、この2本目の間があったじゃないですか、時間が。
で、その間、ま、僕トイレとか行きながらずっとこのイヤホンとか繋いでるんですけど、
早絵さんときょんちゃんずっとおしゃべりしちゃうやん。
うん。
もうなんかずっと早のワッフル聞きよう気持ちないよなんか。
ずっとなんか。
そうですね。
でもヒグチさんそれこうじゃないですか。
ヒグチさん。
もうずっと早のワッフルもう今もう聞きよう気持ちないよ俺は正直。
ちなみにね、早のワッフルも曲の間とかCMの間とか、あと別番組挟んだりするんやけど、ずっとこんなに。
ちがう、早絵さんめちゃくちゃおしゃべり好きですよね。
早絵さんめちゃめちゃ開始も早いし、頭の回転が。
いや、ヒグチさんがそうさせるのかも。
あー。
やはり哲学を語る男ですから。
なるほどね。
突っ込まずにはいられない。
向いてる、向いてるかもしれません、哲学が。
かもしれません。
そうなんですよ。
どうだろう、いやーどうだろう。
哲学のコーナーですよ、今回は。
はい。
でね、あのー、いつも早のワッフルの中で僕が哲学を語っているコーナーがこれなんですよ。
そうですよね。
ヒグチ清則の我思う家に我ありっていうコーナーやってるんですけども、これがだいたい僕が毎週20分ぐらい一人で地上波をお借りして哲学を垂れ流すっていうのをやってるんですね。
すげーことしようよ、マジで。
ちなみにね。
すごいことしようぜ。
これね、ポッドキャストやったら20分ずっと思想を語るって普通やん。
なんか俺ら普通にやってきたやん。
やっちゃったもんね。
あのね、マジで異常なことらしくて、これ。ですよね、早絵さん。
ラジオではまあ20分ずっと一つのテーマを語り続けるってないですね。
一人の大して根拠がない思想を語り続けるのが全然日本らしくて。
最初その企画見た時どう思ったんすか、早絵さん。
私は非常に興味があって、どんな展開になっていくんだろうっていうワクワク感が大きかったですよ。
ただ、20分語るかねえと思って。
そうっすよね。
らしいんすよ。
なんですけど、今回はいつも話を聞いてくれてる早絵さんの哲学をお聞かせいただきたいなと思います。
ちなみになんですけど、さよならワッフルっていう番組自体は福岡近郊の方、もしくはラジコプレミアムの会員でないと聞かないんですよね。
ただ、この我が思う家に我がありっていうコーナーだけはポッドキャストで配信してるので、
全国どこでも世界中どこでも聞けますと。
ちなみに高井くんと太陽もゲストで来てくれてますね。
出させていただきました、僕らも。
出させていただきました。
ちなみにざっと振り返りで言うと、高井くんが3月16日に出演してもらって、その時のテーマが。
生きるとは甘えること。
青池孝也がいかに人生を甘えて生きてきたかということをお話したことですよね。
まとめ方違うね、なんか自分。
甘えたことで今があるから、もっと甘えるというところをみんな着目していくべきじゃないかと。
その部分の教育とかもしっかりしていくべきなんではないかという、非常に有意義な神会と言われている会ですよね。
正直面白かったわ。
それとはまたちょっと違う感じで、太陽が5月18日に出演しまして。
その時のテーマが何だった?
人生は傾き続けるビリヤード台だ。さえのワッフルへの道。
っていうのはね、またこれも人生はずっと傾き続けてぶつかるしかない。
そういうんじゃない。
自分おらんかったんその場に。ずっとまとめ方間違い。
解釈が傾いちゃう。
ごめんごめん、ちょっと玉付き事故になってしまいました。
うまいこと言わんで。
いろんなことがありつつ人生は進むけど、ビリヤード台だと称えると傾き続けているから、
思っていない穴にゴールとして転がってそれがいいことかもしれないよっていう話ですね。
そうよね。これもかなり面白かったよね。
こうやってさえのワッフルに生出演させていただいているのも、傾き続けているビリヤード台のおかげで
生まれたようなものですよっていうことが言っておりますね。
ぜひ聞いてみてください。
聞いてみてくださいね。
で、本日でございます。
じゃあそろそろ参りましょう。いいですか、鞘さん。
準備はできてますか?
竹田沙耶のわれわれ家、今回のお話はこちら。
哲学がわからない。
もう終わり?このコーナー。
締め?
どういうことですか?
バイバイで終わるやつ?企画だ?
だってわからないのよ、哲学が。
このお話をいただいてから、哲学について語ってくださいって言われたんですけど、
哲学のコーナー
考えれば考えるほど、哲学って何?って思ってしまって。
振り返ってみたら、樋口さんって本当にいろんなこと考えてますよね。
緊張とかしないほうがいいとか、
過去も未来も今が決めているとか、
樋口の金髪っていうのもありましたね。
あとね、納豆の食べ方について考えてみたっていうのもあるんですけど、
ちっちゃな入り口からどんどんどんどん広がっていって、
そこにたどり着くっていうところまで考え抜くじゃないですか。
そうですね。
すごいなと思って、私ここ1ヶ月くらい寝言で哲学って言ってましたよ。
病気やもん。
本当。で、私は自分の考えを人に伝えることも好きだし、
人のいろんな考え方を聞くのも好きなんですよ。
だけれども、突き詰めて考えていった時に、
結構まあいいじゃないって済ませてしまうことが多いなと思って。
まあいいよね、それでOKよねって終わりってしちゃうことが多いなと思ったんですよ。
ということは、私には哲学がないのかなってそこで考えた。
いや、わかったと。私はね、哲学がないんじゃない。
哲学がないという哲学があるのかもしれんなっていう域まで行ったんですよ。
なるほど。
哲学っぽくなってきましたね。
哲学っぽくなってきたよ。
哲学がないという哲学があるのかもってちょうど考えていた時に、
たまたま天神地下街を歩いていたんですね。
天神地下街っていうのは福岡市の中心部に天神というところがあって、
その天神に地下街があるんですよ。
およそ600mずらーっとこうまっすぐ道があって、
両側にはもう素敵なお店がたくさんあるんです。
最新のアパレルのお店とかオシャレなパン屋さんとか並んでいて、
そこ雰囲気もいいんですよ、天神地下街って。
19世紀のヨーロッパをイメージしてデザインされていて、
石畳とかレンガの道が続いている。
そんなオシャレなところなんですけど、
そこを私がちょうど歩いてたんです。
哲学とは哲学とはって考えながら歩いていたら、
目の前から40代か50代の男性が歩いてきたんですよ。
その時にたまたま天神地下街でBGMが流れてたんですけど、
そのBGMを聴いてたんですよ。
たまたま天神地下街でBGMが流れてたんですけど、
そのBGMが結構軽快なリズムだったんです。
そのおじさんは自然と踊ったんですよ。
その音楽に合わせて。
踊ったというよりは踊っちゃったんだと思うんですよ。
チャラリンっていうのに合わせて体をジュジュジュンって動かして、
左右にドゥンドゥンって体を揺らして踊ったんですけど、
その瞬間にそのおじさんが私と目が合って、
あ、しまったって顔をしたんですよ。
結構周りの人も、
わ、何この人踊っちゃってる?みたいな感じで、
ちょっと冷たい視線を向けたんですよ。
で、その時にハッとしたんです。
これ私、自分何か間違ってるんじゃなかろうかって思ったんです。
踊ってるおじさんを見た時に、
え?って思っちゃった自分って何なんだって考えたんですよ。
というのが、これが想像してください。
外国だったらどうですか?
ジャズで有名なニューヨークで音楽が鳴っていた。
それに合わせて歩いてきた人が体を揺らしていたら、
最高だね、かっこいいねってなりません?
なりますね。なりそう。
なのに、この天神地下街で、
確かに周りの人は踊ってないかもしれないけれど、
ただ同じ軽快なリズムのクラシックに合わせて、
ちょっと体を揺らしただけなのに、
わ、踊ってるよって見られる。
そして私も、え?って思って見てしまった。
それって何が違うわけ?って思った時に、
私、去年まで、下の子が今2歳ですけれども、
およそ2年間育休を取っていて、
その間、タイで暮らしていたんですよ。
そうなんですよ。
夫の仕事の都合で、タイのバンコクで暮らしていたんですけれども、
タイも結構大らかな国で自由だから、
音楽が鳴って誰かが踊っていたのも多分気になってないんですよ。
実際気になったな、タイでどこかで誰かが踊っていたことを、
わーって思ったなっていう記憶は全くないので、
引っかかってなかったっていうことですよね。
そうなった時に、
なぜ私はそこで違和感を覚えてしまったんだろうかと、
ちょっと突き詰めて考えてみたんです。
おー、哲学っぽいよ。
そうでしょ?で、
あーでもこれって、例えば海外だったら許せるし、
外国人だったら許せるけど、
自分の中で日本人だった、日本人だったら許せない。
だったり、身近だったら違和感って思っちゃうこと、
結構あるかもしれないと思って、
例えばタイでは、自由な接客をする方が多いんですよ。
というのが、皆さんお店に入ってもレジにいる店員さんって、
お弁当を食べながらスマホをいじっていて、
それ普通。
で、買い物しますって言ったら、
そのお弁当をレジの横にポイってどけて、
はいどうぞって、それも全然嫌な気しないんですよ。
それが普通というか、
それがスタンダードというか、
よく見る光景だから。
でもこれを、じゃあ日本で自分が通うお店で、
お店入りました。レジの横で店員さんが、
お弁当ものすごく食べてます。
で、接客時もずっとスマホをいじってますって言ったら、
なんかあれ?って思うかもしれないなって思って、
そう考えた時に、他にもあるかな、
例えばファストフード、
日本でファストフード行った時に、
注文してすぐ出てくるのが当たり前ですよね。
結構早いでしょ?
で、すぐ出てくるから、それが当たり前で、
でもタイは本当に遅かったんですよ。
ファストフードで注文しても、
20分くらい待つとかが平気であったんですね。
全然ファストじゃないな。
そうなんですよ。
だから私、何本かバスに乗り遅れたっていう経験もしたんですけど、
でもそれもイライラしないんですよ。
タイだしなって思うんですよ。
で、そこでそういうもんだよねって思った時に、
すぐに人は、文化の違いだもんねって言うじゃないですか。
これって文化の違いだからねって言うけど、
この文化の違いという言葉を、
文化の違いと許容
気軽にというか便利に使いすぎてない?って思ったんですよ。
いいっすね、いいっすね。
で、それを言えば簡単だけど、
天津地下街でちょっとリズムに乗って体を揺らしたおじさんは、
何か悪いことをしたわけでもないし、
周りに迷惑をかけたわけでもないし、
何にも本当に悪いことを誰にもしてないのに、
私はえ?と思ってしまった。
でも外国人だったらそれをきっと思わないっていうのは、
文化の違いだからねで、本当に片付けていいんだろうかって。
それは人として区別じゃないけれども、
自分の中で違いを見つけて、
この人だったらOK、この人は違うみたいなことを知らないうちに、
自分の中で何かを作っちゃってるんじゃないかって思ったんですよ。
はいはいはい。
で、うーんって考えたときに、
やっぱりみんな違ってみんないいじゃないという結論まで一気に。
っていうことは、みんな違うからそれでいいんじゃない?
まあいいかになったんです結局。
だから結局ぐるーっと回って、
やっぱり私はまあいいかってなっちゃって、
やはり私は哲学がわからないってなった。
そういうことか。
わからない。なんだ哲学って。
私はすべての哲学をまあいいかって片付けてはいないかい?
と自分で思いまして、いかんなと思ったんです。
え、でもこれないわけじゃないですね。
ですよね。今の話はもうない話ではなかったですけどね。
はい。たぶんですけど、
それぞれの哲学というものがあるって話と思ったんですけどね。
むしろ。
じゃあやっぱり哲学がないという哲学があるっていうのもあるってこと?
ちょっと今わかんない。もう足し算。
図で書かないと。
あれ?えっと。
これあれですね。無知の知。
無知の知やねこれね。
わからないことがわかったから、
あの価値があるっていうことですかね。
じゃあやっぱり哲学がないというわけではないってこと?
哲学がないというわけではないってこと?
んーと。
ないないない。
お前はわかっちゃうけど。
ないないない。
むしろまとめてくれた鞘師さんに対してフリーズしちゃうもんね。
いやごめんなさい。
でもそのわからないっていうことが、
たぶんこの哲学について考えるまではあまり思ってなかったってことですよね。
そういうことですね。
哲学がわからないって。
だからそれがわからないって自信を持って言えるのも、
いろんな哲学に触れたからなんじゃないかなっていう。
いやと思いますよ。
毎週かなり濃い哲学には触れてるんですよ。
だしまあいいかに毎回答えが至るみたいなこと言うじゃないですか。
今の天神地下街で踊ってた人の話もまあいいかに最後着地したけど、
言葉がまあいいかですけど、
まとめると許容するってことじゃないのかなっていう感じがしたんですよね。
だから許容していくっていうことが鞘師さんの哲学というか、
人の在り方を。
なんかそんな感じはしましたけどね。
だからまあいいかってたぶん二つの捉えられ方があると思うんですよ。
この言葉だけ聞くと。
おそらく一個の捉え方としては興味がないだったり、
思考停止だったりいうときにまあいいかって使いますよね。
もう知らん、もうどうでもいい、まあいいみたいなときに使う。
で、最終的にたどり着いたところのまあいいかって、
全部オールオッケー、いろいろ考えたけどオールオッケーっていうみたいなまあいいかなんですよ。
だから同じまあいいかっていう言葉でもニュアンスが全然違うなっていうことを。
自分の価値観の再評価
そうですね。
根性しましたね。
そういうことですよ。
青柳さんおっしゃったとおりで、
私途中で自分の心の中の許すっていう部分が、
ちっちゃいからこういうことに引っかかったのかなとかも考えたんですよ。
許すっていう字もいろいろ調べたんですよ、だから。
文弁の許可の許すの方の許すと、
御社の社の方の許す。
ありますよね。
その違いなのかな、自分の中で。
そういう許すのパターンをいろいろ持ってないのかしら私はとか、
考えたりもしたんですけど。
それは許せなかったときに最初。
もしかしたらこれが引っかかる、気になったっていうことは、
自分の中で良しとするっていうその許すっていう部分が、
私の中にちっちゃくしかないのかなと思ったんです。
はいはいはい。
だから許せなかったってことですよね、一瞬。
そう、かもしれないと思ったの。
だからもしかしたらその人を区別してるとかいうことではなく、
私の中で許すっていうことが寛容にできてないのかしらって。
って思ったんです。
ってことですよね。
でもいろいろ考えた中で、
あれ、これよう考えたら許せないって何?ってなったわけですよね。
許す許さないじゃなくて別に良くないってなったわけですよね。
そうそう。
許す話でもないけど、
自分の中で良しとするっていう線引きが、
あまりにハードルを自分の中で持ってんのかなとか考えたんですよ。
最後、まあいかになった時って、
どっちのイメージか聞きたくて。
許せる範囲が広がったって感じなのか、
許す許さないの話じゃなくない?ってなったのか。
後者だと思う。
なるほどなるほど。
だからみんなそれぞれ違って、
それでありのままでいいじゃないと。
だからいいんじゃない?
そこを気にすることでもないし、
まあいかってなったんだと思います。
だからこれ世界観が変わってますよね。
その話の後と前で、
要は、もっと許すっていう方に行くパターンもあるじゃないですか。
じゃあこのおっちゃんが踊るまでは許せるけど、
でもこれ以上は許せないなみたいな、
ただ器を広げたっていうか、
っていうことでも解決できるんですよ、多分。
だけど、そもそも許す許さんっていう判断をしてる、
ここの根本から疑うみたいなところを、
多分おそらく思ったと思うんですよね。
で、それで毎回思うんですよ。
これ一個要は次元が上がったというか、
ステージが上がったというか、
メタドが上がってますよね。
客観度が上がってますよね、一個。
そうですね、言われてみればそうだわ。
そう、だから評価する、評価しない、
許す許さないみたいな世界観から、
それを一個俯瞰で見てるというか、
上から見てるような世界観になってるから、
これこそが考えることだと僕は思うんですよね。
外的要素の影響
哲学でしたね、じゃあ。
いや、違うな。
哲学でしょ。
いや、そうですそうです、マジでマジで。
そうか。
哲学ですな。
一個いいなと思ったのが、
実は僕もこれ、台湾に行った時に結構似たようなことあったんですね。
15年前ぐらいですけど台湾に行った時に、
同様にコンビニの、
店員がちょっとこう態度悪かった時に、
なんか起こらなかったんですけど、
最初の話の中で、
一番いいなと思ったのは、
文化の違いよねっていうのじゃないっていう話が、
めっちゃいいなと思ったんですよ。
要は、文化の違いだよねっていう時って、
文化って自分の外側の話なんですよね。
国とか、みんなの価値観の話なんですよ、多分文化って。
でもそういう文化って、
だから問題となってたのは、
実は文化の違い、つまり外の世界で起こってたことだと思ってたのが、
外じゃなくて、私の心の中の話だったっていうことになった、
っていうことだと思うんですよ。
認識。
そう。認識あったんやっていう。
なんかここの気づきめちゃくちゃ重要だなと思ったんですよ。
今すっごくすっきりしましたね。
そう。
そう。
えー、何が何が何が。
まとめてもらって、ありがとうございます。その通りだわ。
わー、スカッとしました。
そうなんすよね。だから多いと思うんですよ。
自分の外の問題にしちゃう人結構多くて、
いろんなことを。
でもなんか、ほとんどの問題が僕、感じる側の、
なんていうんですか、主体側というか、
思う側のことだと思うんですよ。
そう。
そう。
そう。
そうか、いやでも確かにそうかもな。
外側の話じゃないかもね、なんか。
うん。
めっちゃ今その、踊る話で言うとあれですけど、
僕、改札の前とかでチューしてるカップルみたいなのめっちゃ嫌いなんですよ。
うん。
そう。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
でもこれが、外国人の方が海外で駅でしてたらどうですか?
でもなんも思わないんでしょうね、きっと。
うん。
ですよね。
多分もう風景の一つになっちゃうんでしょうけどね。
うん。
うん。
でもね、なんか突き詰めて考えたら別に悪いことなのかなと思っちゃいますね。
確かに悪いことじゃないですもんね。
うん。
うん。
もちろんね、私たちが生きてきた中で、すごく良しとされるマナーっていうものはどうしてもあるから、
うん。
それから外れたものを目の前にしたときに、オララって思うことはあると思うんですよ。
はい。
だけど、なんかそれをなんかね、ズバッとこう切り捨てるっていうのもなんか違うんじゃないかなって思ったりしたんですよね。
うん。
なんかね、僕のイメージで言うと、否定するものでもないと思っていて、その自分の価値観みたいなもの。
多分だから、外国人やったら怒らないけど、日本人やったらイラッとしちゃう、この自分の価値観嫌だなって思わなくていいと思っていて、
うんうん。
僕のイメージで言うと、へー、俺って外国人やったらなんも思わんけど、日本人やったら怒るんや、へー、なんでやろ、ぐらいになると思うんですよ。
うんうんうん。
で、なんかこれっていうのが、本当はおかしいけど思っちゃうよねみたいなことを気づけてるっていうことがめちゃくちゃ重要だと思ってるんですよね。
なんかそれに気づけると、どう言ったらいいんだろうな、なんか自分が今思っている価値観とか、自分の思想みたいなものって自分で思おうとして思ってるんじゃなくて、
いろんなものがインストールして勝手に思わされてるだけだなって思うことができると、いかに自分が思っていることが絶対的じゃないかっていうことがわかると思うんですよね。
はい。
今の話、たかやくんわかるかな。
え、なんとなくわかる。
でもほとんどの場合そうじゃないっていう、いろんな要素で俺が思う状態に刺さられてるんだなってことだと思うんですよ。
なんか、だから、それを考えることによって、何もわからなくなる。
本当に自分だけでオリジナルなものだと思ってると思うんですよ
でもほとんどの場合そうじゃないっていう
いろんな要素で俺が思う状態に刺さられてるんだなってことだと思うんですよ
なんかだからそれを考えると僕が思ってることとかって全部僕のもんじゃないみたいな感覚なんですよ
そうねー
なんか今まで生きてきたいろんなことをただ抽出してパンって出てるだけで
僕だけのオリジナリティとかないみたいな感覚になっていくんですよね
分かるでも形成されたすべては外的なものであってということだろ
要は外的な情報であり教育でありそういったものを接してきた友達だったりとか
なんかそんなことが蓄積されて集約されて今の自分の考えがあるということは
つまり自分の考えは自分のものではないというか
そうそうそう
みたいな
だけのものではないってことですね
自分が生きの改札でキスしてる人を見て嫌だと思ってるんだったら
同じように育ってきた同世代の人が友達が
同じことを感じるかもしれないなぐらいのなんか観察材料になるよね
自分がそう思うってことはそうかもなみたいな
私は本当にひぐちさんも青柳さんもおっしゃった通りですけど
嫌って思って別にいいと思うんですよ
だけど嫌って思った時に
そのなぜ嫌って思ったんだろうとか考えた時に
それは文化の違いやねとかで
本当周りのせいじゃないけど
そういうことで片付けるのは何か違うかもなって
本当のことを分かるための答え探しまでたどり着けない気がしたんですよ
そうそうそう
文化の違いと外的要因
文化のせいにするの簡単なんですよね
確かに一番簡単な方法で納得させる方法なのかもしれないですよね文化の違いっていうのは
その文化の違いを理解することも間違ってないと思うし
実際違いはあると思うからいいんですけど
それではいちゃんちゃんって言って終わらせちゃうっていうのは
なんか違う気がするし
そこで終わっても次には繋がらないだろうなと思った
だからめちゃくちゃ正確に言うと
僕がこう捉えたんですけど文化の違いは外的要因としてあるんですよ多分
あるんですよあるんですよで文化の違いによって
影響されている自分の心が問題なんですよ多分
文化の違いによる影響は少なからず何パーかあるんですよ必ず
でも一要素なんですね判断基準の一個の材料でしかないんですよ文化の違いって多分
それくらいの相対化することができると多分
見え方変わってくるなっていうのが僕のこの話の印象でした
いろいろ細かくあるもんねめちゃくちゃ細かくある
自分の好き嫌いもあるし文化の違いもあるし
嫌いな友達がそれをやってたからとかもしかしてあるかもしれないし
トラウマもあるしトラウマもあるかもしれないし
でもなんかいろんな問題ひっくり返って文化の違いによって一言で片付けちゃったりするから
本当にそうかみたいなところがあってっていう話かなと思ったんですよ
深井さん一応言っときますけど改札の前でむっちゃキスしたことありますけどね俺は
全人地下街でもベロッベロしたことありますけどね
聞かなきゃよかった
まあいいかと言ってくださいよ
それはどうかな
言えんかった
文化の違いってありますもんね
一番簡単な方法で
もう外敵よりのせいにしたわ
最終的には
素晴らしいがっつりちゃんとできたじゃないですか
できました?
寝言で哲学っていうぐらい哲学考え続けたこの数ヶ月って感じですよ
面白かったですし
盛り上がったし
それによって僕もすごい考えさせられたし言いたいこと言ったし
盛り上がったっすわ
でも私もちょっと樋口さんに最後まとめてもらってすっきりしました
よかったよかった
来週からは蔡のワッフルで竹田蔡の割れ植え思い出に
毎週考えるって大変ですね
本当よく考えてるなと思いますよ
でも私も久しぶりにポッドキャストで
樋口さんの割れ植えを聞き直したりしたんですよ
一貫してるし自分を見つめ直すきっかけじゃないですけど
自分のことを考える時間になりますね
蔡さんがですか?
私が
樋口さんの割れ思い植えに割れありを
ポッドキャストでもう一回聞いたら
そうそうこういう話したよねって思いながら
もう一回自分のこととして考えてるから
自分の内面が結構見えてくるかもなと思って
そうかもな
哲学と絶対的なもののなさ
実は言ってることたぶん2,3個しかなくて
おそらくめっちゃ大きく分けたの2,3個しかないですよ
椎茸のこと大好きだ大好きだって言ってたじゃないですか
そんなこととか普通って一体なんだとか
将来のこと考えるとか
そういういろんな話してました
今言った話全部まとめると1個のことしか言ってないですよね
まとめると1個は何?
絶対的なものとかないっていうのを
テイストを変えてずっと言ってるだけなんですよ
確かに
今の椎茸の話とかって
椎茸ってめっちゃうまいのに安い
松茸はめっちゃ高いのにそんな変わんない
これって誰が決めた基準なの?
絶対的な基準なんて本当はないよねみたいな話じゃないですか
そうでしたね
こんなのも全部一緒なんですよ
絶対的なものなんないっていうのと
あと人間の認識が全て決めているとか
たぶんあと2、3個で全部まとめられるです僕の話
全部ほとんど
それ言ってるだけなんですよ実は
いろんな材料で
でもある意味哲学がブレてないっていう証拠ですよね
ブレてないですね
だから僕この愛の楽曲工房でも
哲学のコーナーあったんですよ昔
今聞いても別に間違ったこと言ってないですもんね
貫いてるんだ
そうなんですよ
また来週からは
さやなワッフルの中で
樋口さんが哲学語ってください
そちらも聞いてください皆さん
楽曲工房のリスナーさんも
スピンオフですからね今日はね本当に
ただちょうどこの間で哲学もうなくなったんで
いやなくなったんかーい
大丈夫
樋口さん湧き出てくるから
というかもう無理でしょ考えないっていうのが
まあね
でしょ湧き出ますよまた
来週になったらなんかまたあるんでしょうけど
来週があれですよね
哲学なんてないっていう
そういう哲学があるっていう
本当だよ
同じ言葉でもね
樋口は枯れたからそのタイトルになる
ということでございました
いやマジでちょっと良かったっすわ
いや本当だよ
ありがとうございました
完璧やった
面白かったです
しかもとても鞘師さんらしい
そうでしょうか
すごくひととなりが入った
面白い話聞かせていただきました
お邪魔いたしました
さあということでねもう1回言っとくと
樋口清則の我は思い上に我々っていうので
検索していただけると僕の哲学出てきますし
あともし福岡とかその近郊の方
あともしくはラジコプレミアムね
契約してる方は
鞘のワッフル毎週月曜日から木曜日まで
13時から17時までですかね
やってるので
鞘さん毎日出てますから
週4日間かな
出てますから
そちらの方も聞いてもらいたいですし
木は僕出てますから
ということでそちらの方も
合わせて聞いていただければと思います
いやー大丈夫ですか鞘さん思い残したことはないですか
最後愛の楽曲工房のリスナーに向かって
何か言っておきたいことないですか
いやーもう突然お邪魔して
大変失礼いたしました
ありがとうございました
いやーもうでも
大変嬉しいございました
呼んでいただいて
本当に嬉しかったですし
またもしかしたら乱入するかもしれませんけれども
その時はどうぞお許しください
ぜひ来てください
ありがとうございました
いやー
声おもろ
ということで
今回もお聞きくださいましてありがとうございました
番組の感想は
ハッシュタグ愛の楽曲工房をつけてツイートするか
概要欄からフォームにて送りください
番組への投げっせんは
概要欄のリンクからお願いします
それでは皆さん来週も聞いてください
そして本日のゲストは
RKB毎日放送アナウンサー竹田沙耶さんでした
バイバイ
ありがとうございました
バイバイ
33:24

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