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おはようございます、フユコです。今日は第7章第2話、ここをかなり深く行こうかなと思っています。このシリーズの中でも結構重要なお話をしたいかなと思っています。
なぜなら、やりたいと思っていたものが本当に内側から湧く要求、ウォントツーであるのか
それとも、頭で作ったやりたいはずの解釈なのか、ここを見分けられないとまたゴールの錯覚に戻るからです。
今回は、聞いていただいた方が静かに自分を見直したくなる回になったらいいなと思って話してみます。よろしくお願いします。
ゴールの錯覚第7章内側の要求とは何か、今日は第2話そのやりたいは本物ですか。
解釈と要求の違いという話をしていこうかなと思います。
このシリーズはウォントツー内側からの要求がハフツーやらなければならないに変わる構造を解き明かし、自分のゴールを取り戻すための配信です。
第7章では内側の要求、ウォントツーこれを扱っています。
前回はやりたいことがわからないのはウォントツーがないからではなくて、評価とか正解これによって見えなくなっているよっていう話をしました。
今日はその続きです。
テーマは解釈、解釈とは頭で作った意味付けですね。
解釈と要求、要求は内側から湧く動き、解釈と要求の違いこれについて話したいと思います。
なぜならめちゃくちゃ大事だから。
多くの人がこれがやりたいです。
そう言っているものの中に実はウォントツーではないというものがかなり混ざっているというか、それがもうそのものですよね。
例えば、次のような言葉を言う人がいます。
もっと認められたい。
影響力持ちたいんですよ。
私、人の役に立ちたいんです。
私、自由になりたいんです。
自分、成功したいんです。
別にどれも悪いことではないですよね。
でも、一回ここで立ち止まりたい。
それは本当に要求ですか?
それとも、要求に見える解釈ですか?
という話をしようかなと思っています。
どういうことか。
例えば、人の役に立ちたい。
この言葉。
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一見するとめちゃくちゃいい言葉だよね。
なんだけど、でもその内側を見ていくと2種類あるよなっていうのは思っています。
一つは、本当に人が変わる瞬間に立ち会いたい。
その変化を見るのがたまらなく好きだから。
これは本当ですね。
もう一つは、役に立てる自分でいたい。
必要とされないと不安だし、自分には価値があるって思いたい。
これは、要求ではなく、自己価値の補強。
つまり、自分の価値を外側で確かめる動きです。
表面の言葉は同じなんだよね。
なんだけど、中身が全く違うっていうことにお気づきですか?
これが解釈と要求の違いです。
解釈は頭で説明できるものなの。
私はこういう人だから。
過去にこういう経験があったから。
これをやるにはこの意味があるから。
つまり、理由がついてるんだよね。
一方で、要求はちょっと不便で、うまく説明できないんだけど、
なんだけど、やっぱり同じことやっちゃって、引かれちゃって、意味はわからない。
なんだけど、気になるんだよね。
こういうことがWant To Doです。
要求は綺麗じゃないです。
合理的でもないことがあります。
なんて、むしろ効率が悪いことすらあります。
なんだけど、そこにエネルギーがあるんですよね。
ここで多くの人が見失いやすいポイントがあって、
それは、説明できるものの方が正しい気がするっていうこと。
例えば、この仕事やりたいです。
なぜなら、社会的にこういう意義があって、
このように人の役に立てるからです。
めっちゃ筋通ってるよね。
なんだけど、筋が通っていることと本音であるということは別だよね。
逆にWant To Doはこのような顔をしています。
なんか気になる。
いや、ほっておけない。
なんか気づくとまたもうだって同じことやっちゃってる。
何回離れてもまた見ちゃうんだよね。
ってこの感じです。
ゆえにWant To Doは立派な言葉で現れないことがあります。
人前で言うと意味がわからないと思われそうなこと?
役に立つかどうかなんてわからないこと?
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でもそれでも気になるの。
そこに本音があります。
ではなぜ人は解釈を欲求だと思うのか?
理由はシンプルで言うよ。
解釈の方が社会で通用するからです。
説明しやすい。
理解されやすい。
褒められやすい。
例えば、これをやるのは将来こうなるためです。
それを言うと周りは納得するんですよね。
応援してくれる。
でも、
なんかわかんないんだけど、
惹かれるんですよね。
これだと荒削りで不安定に見えます。
だから人は本音をそのまま待つより、そのまま持つより、
説明できる形に整えようとする。
その瞬間、要求って解釈に変わっちゃうんですよね。
で、ここからまたゴールの錯覚が始まるの。
本当は惹かれていたものではなくて、
説明しやすいものを目標に置く。
理解されやすいものを目標にする。
評価されるものを目標にしちゃう。
そうすると、最初は納得したつもりなんだけど、
どこかでめっちゃ苦しくなっちゃう。
なんで?なぜ?
内側が乗ってないからなんですよ。
頭では正しい、でも体が動かない。
これって怠けじゃなくて、
自分の欲求が入っていない状態なんです。
ここで一つ見分け方を置いていきます。
あなたのそのやりたいは、評価がなくても続けたいものですか?
誰にも見られなくても、少しでも触れていたいものですか?
たとえ結果がすぐ出なくても、
また何度も戻ってきてしまうものですか?
ここにイエスが入るのであれは、それは欲求に近いです。
逆に、評価されないならやらない。
意味がないならやらない。
成果が出ないなら離れる。
手段を変える。
これであるならば、
欲求そのものではなく、
欲求に見える別のものかもしれません。
ここでちょっと誤解してほしくないなということがあって、
解釈が悪いとは言ってないです。
解釈が悪いわけではないです。
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解釈は必要。
なぜなら人は意味がわかると動きやすくなるから。
ただ、順番がめちゃくちゃ大事です。
欲求が先、解釈は後。
これが逆になると人生は苦しくなります。
解釈が先にくると、
正しいからやるになります。
でも、欲求が先にくると、
やりたいからやるになるんですよ。
この違いは長期になるほど大きいです。
やりたいから始めたものって、ずれたって戻るんですよ。
でも、正しいから始めたものは、
ずれた瞬間苦しいです。
なぜなら、自分を支えているのが外側の意味だから。
ここで今日の結論です。
本当の欲求は立派な言葉ではなく、
繰り返し戻ってくる感覚に現れます。
一方で解釈は、
説明できるけれど、
それがなくても生きられることがあります。
欲求は失うと、
正義が落ちます。
ここが違いです。
声を聞いているだけで伝わると思います。
次回、第3話では、
調整の中で見える本音、これを扱います。
欲求は考えているだけでは見えません。
実際にやってみたとき、
体の反応として見えてきます。
なぜ、調整すると本音が見えるのか、
そこにも入っていこうかなと思っています。
今日はここまでです。
ちょっと長くなりましたが、
今日もゴールに恋して、
自分で今日をプロデュースしよう!
それでは!