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おはようございます、ヘルコです。今朝は後半ちょっとで個人的な話というか、質問というか、ちょっとタイトルとそれではないけど、ごちゃっとなっちゃったので、今パッとまとめていこうかなと、編集コーナーを聞き取っていきます。
最後のリスナーさんからの問いに、共感と寄り添いの違いなのかな。そこをおそらく同じものだと思っているのかなっていうのもちょっと思ったんだけど、まず定義を分けようかなと思うんだけど、共感ってじゃあ何?ってなった時に、相手の感情を理解しようとすること。
例えば、息子さんが学校に行きたくないと。であれば、嫌だったんだね。悲しいことがあったんだね。これが共感。じゃあ寄り添いとは?ってなった時に、寄り添いは相手の感情や体験、そのそばにいる。
つまり、嫌だったね。そういうことだけではなくて、極端な話。息子さんが学校行きたくないと言った時に、母親が心の中で、いや私は行った方がいいと思うけどと思ってても、そうか、学校行きたくないぐらい嫌だったんだね。
息子の体験を否定せずに聞いているんだったら寄り添いを成立する。なんだけど多くの人が混乱するのが、多分だけどね、共感って同じ気持ちになることだと思っているんじゃないかなと。
そうではなく、自分は息子じゃないから本当に同じ気持ちにはなれないよね。むしろ、そんなことで学校休むの?って思うことだってあると思う。なんだけど息子さんにとっては、今それが本当に苦しい。この事実を尊重する。これが寄り添い。
なので、私の個人的な思想なんだけど、寄り添いっていうのは相手の感情を否定しないこと。共感っていうのは相手の感情を理解しようとすること。この違いかなと思っている。
で、今日のリスナーさんのケースでもう一段掘ると、息子さんがキモいって言われたから学校に行きたくない。これを言われると母親はざわっとする。これ実は息子さんの感情とリスナーさんの感情、ここは別だよね。
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教会生の話で言うと息子さんは悲しい、悔しい、怖いみたいな流れなんだけど、母親としては心配だし不安だし守りたい。違うよね。ここを混ぜないということ。なので最初に必要なのが、学校行きたくないな。そうなった時嫌だったんだね。ここ。
で、その後で母親自身が自分は何にざわざわしているんだろう。そこを観察するということ。これが教会生。ここが混ざっちゃうと嫌だったね。じゃあ学校休もう。お母さん先生に電話する。相手の親に言う?こんな風になりやすい。
つまり寄り添うのと相手の感情に飲み込まれるっていうのはイコールじゃないよね。むしろ寄り添うとは相手の感情を尊重しながら自分の感情とも教会生を引けるという状態。
なので、今日のリスナーさんの最後の問いに答えるとしたら、嫌だったね。つらかったね。心から思えなかったとしても、息子さんがそう感じているという事実、これを尊重して聞いているんであれば寄り添いというのは成立していると思います。
で、その後に自分は何にこんなにザワザワしてるんだろう。これを観察するということが母の自分としての自己理解なんかなと思う。相手に起きていることと自分に起きていることを分けると、今日の朝ライブのテーマで言うとそういう着地になりました。
教会生についてはまたやっていこうかなと思っています。やっぱり難しいよね。捉え方としては。それぞれになるので。それでは、See you!