00:02
みなさん、こんばんは。ゆうすけです。
さっぱです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
前回までね、小学館が出してる学習漫画人物館っていうものをベースに、
二人の出会いから、藤本先生が1996年に亡くなるまでというところを辿ったと思うんですけども、
はいはいはいはい。
参考にした本というか、書籍はもうここで終わってるんですよ。
うんうんうんうん。
藤本先生にフィーチャーしてるっていうところもあったんでね。
はいはい。
ただ、これ聞いていただいてるみなさんでしたらね、ご存知の通り、
藤本先生と寝長年コンビを組んで、二人で一つの藤子不二雄として漫画家をね、やってらした藤子不二雄A先生ですね。
はい。
安彦本先生が、先日、2022年の4月7日にね、88歳で亡くなられましたと。
はい。
うーん、これでね、本当に、本当の意味で藤子不二雄とお別れしたっていうことになるのかなっていうふうにやっぱり思うんですよね。
うーん。
亡くなったニュースっていうのは、本当に、そんなに日も経ってないので、それを知ったときの感覚っていうのは、まだ全然思い出せるぐらい新鮮なんですけど、
やっぱりショック、ショックって何やろうね、喪失感っていうのは、なかなかこの言葉では表しにくいところはあるんですけど、
うーん、そうですね。
なんかね、家族でもないし、親友でもないしなんだけど、
あ、いなくなっちゃったんだっていうね、亡くなられたんやっていうぽっかり穴が空いたような時間を過ごしたのは、すごく覚えてますね。
うーん。
で、今回はですね、藤子不二雄氏ということで、やっておりますので、
はい。
藤本先生が亡くなられてから26年後にあたる今年ですね。
はい。
もう一人の藤子不二雄安彦元先生のお話もちょっとできたらなと思って用意してきました。
はい。
で、常々言ってるんですけど、僕本当に正直な話、
はい。
この安彦先生、藤子不二雄英先生のことであったりとか、
あとは書かれた作品であったりとかのこと、あんまり知らないんですよ。
うーん。
なんかスタッフさんでもね、あの知ってそうなタイトルで言うと、忍者ハットリ君とかさ、
はいはいはい。
ね、怪物君とかありましたよね。
はい。
そのあたりの作品があるっていうことであったり、
あとはおばけのキュウタロウね、一緒に書いてたとかね。
うんうんうん。
あと漫画道っていうのが有名ですよね、この2人の漫画家をモデルにした、
03:03
自伝的な漫画、これも英先生の作品だしっていうことで、
やっぱりね、あの、2人で1つなんですよ、藤子不二雄、今さらですけども。
うーん。
うん。
そんな中でね、あの知らない中で、こう、わざと知ったようなふうな顔をしてね、
しゃべるのは違うなと思ったので、
うーん。
まあ本当に後多いというか、まあツイートの番組とかもたくさん見ましたし、
はい。
まあその中で初めて知ったようなこともあるくらいなんですよ、僕にとっては。
うんうんうんうん。
まあそんな中でも、この英先生のこともね、こういろいろと知っていきたいし、
話していきたいなっていう気持ちもありますので、
はい。
まあそういう、いつもとはちょっと雰囲気が違うかもわかんないですけども、
うん。
まあそういった中身で今回は聞いていただいたらなというふうに思っております。
はい。
はい。
では、まああの、なくなった話はもうこの辺りにしましょうかと、
もうしんみりするムードはもうはじめに終わらせようかなと思ってまして、
うん。
まあいろいろ聞いていただきたいんですけども、
はい。
今回はね、僕もさっぱさんもほぼ同じところに立ってるっていうことで、あえて聞きたいんですけど、
はい。
こう英先生ってなんかイメージあります?さっぱさんって。
えぇ?
いやぁ…。
なんか見た目とかでもいいし、
え、見た目?
作品とか。
でもそれこそ忍者ハットリ君は、
うんうんうん。
とか、まあ怪物くんとか、やっぱドラマになったりとかしてたじゃないですか。
そうですよね、なんか実写のドラマに結構なってたよね、この辺り。
そうそうそうそう。なので、なんかそれで知って、まあちょっと見たみたいなぐらい。
まあそこまで深く知ってるわけじゃないですけど、なんかこういうのあるんやっていうので知ったっていうのは結構ありました。
うーん。アニメとかマンガとかは?
アニメは…。
えぇ、でもアニメは見てないかなぁ。
マンガはちょっと読みましたけど、
あ、ほんと?そっかそっか。
まあでも、その知ってるっていうレベルには至らないぐらいちょっとですけど、はい。
あのね、僕もA先生の印象っていうのが、まずこの見た目で言うとね、サングラスというか、この色の濃いメガネをかけてるというトレードマークですよね。
この藤本先生が、このパイプとベレー帽やったら、
はいはいはい。
浴衣子先生は色メガネというか。
うーん。
っていうのがすごいイメージがあって、
あとね、亡くなった時なんかによくほら、先生の映像流れたのをもしかしたら見てはったかもわかんないですけども、
はい。
このね、こっちに指を向けてね、ドーンっていうね、ポーズをするんですよ。
あれね、あのA先生の代表作である笑うセールスマンっていうのがあって、
あーはい。
そうそうそう。モグロ副蔵っていうキャラクターがすごい今大人気なんですよね。
そうですね。あの、わかります。ビジュアルは。
そうそうそうそう。
あんなポーズなんですよね。
06:00
はいはいはいはい。
あのね、A先生っていうのはね、ブラックユーモアっていうのが作風としてすごく有名な方なんですよ。
うんうんうんうん。
で、話をグーンと、この時代をさかのぼりましてと、
A先生こと阿彦本くんね、少年時代に戻しますね。
はい。
藤本くんと同じ1934年生まれなんですけども、転校してきたって話があったじゃないですか、同じ学校に。
あーはい、ありましたね。
その前はですね、富山県の秘密というところにお住いで、あのね、お寺の生まれなんですよ。
おーはい。
うんうん。ただ、えっとね、すごくね、背が低くて、
うん。
なんかね、それをバカにされたりとかしたり、コンプレックスを持ってたみたいなんですよね。
ほうほうほうほう。
なので、あんまりこの周りの友達と馴染むことができずに、
うん。
寺に一人ですぐ帰っては、黙々と余裕をかいてたみたいなことを、インタビューで話されてたんですよね。
うんうんうん。
で、それがまあ転校して、こう藤本くんと知り合って、帰答をしてっていうことで、この漫画道的なね、
うん。
藤子富次夫氏がスタートするわけですけども、
うんうんうん。
まあ、だいたいの略歴っていうのは、これまでの配信の中で出てきた通りで、
はい。
手塚先生に憧れ、二人で上京して、時はそうで、一緒に漫画を描き、
うん。
で、スタジオゼロを立ち上げては、藤子スタジオをね、作ってっていうことで、
うんうんうん。
活動されてたわけですが、
はい。
藤本先生と愛美子先生が一緒に描いた作品、これ、おばけの九太郎でしたよね。
はい、そうですね。
この作品で、藤子富次夫という漫画家が、日本中に名をとどろかせた。
で、すごいブームを巻き起こしたっていう話があったじゃないですか。
はい。
この頃っていうのが、この、ちょっと二人でやってきた、
うん。
藤本博先生、愛美子本先生の、なんていうかな、こう、ターニングポイント的なことでもあったようなんですよ。
うんうんうんうん。
おばけの九太郎で、この、まあ、児童向けの生活ギャグ漫画っていう位置づけがね、出来上がったわけですよね、この二人にとって。
はい。
で、その後藤本先生の方は、このパーマンとか、梅干し殿下とか、
うん。
まあ、描いていくわけですけども、
うんうん。
この頃っていうのがさ、その、前にも出てた通り、
はい。
漫画を読む人たちの人口もどんどん上がっていって、
うん。
対象年齢も上がっていってるわけですよね。
うんうんうん。
で、劇画っていう書き込みの多い、
はい。
リアルな作風のね、ものがブームになったりとかしてて、
うん。
まあ、本当にその漫画っていうものを親しむ世代とかも幅広くなってる時期だったんですよね。
うん。
その中で、あの藤本先生の方は、
はい。
変わらず子供向けのね、ギャグ漫画をこう描いていったわけじゃないですか。
そうですね、うん。
うんうんうん。
ただ、愛美子先生の方は、
09:00
はい。
この時言ってるんですよね。
少年のような心を持った藤本くんだからこそ、こういう漫画が描けたと。
うんうんうん。
いくつになってもね。
うん。
自分は、世の中のいろんなことをやっぱり知っていて大人になっていったとね。
はい。
なので、この頃に忍者ハトリくんとかね、怪物くんとかも、これもすごくブームになってるんですけども、
うん。
ちょっとずつね、大人向けの作品、ブラックな作品っていうものも描いてるんですよ。
うーん。
うん。
で、さっき出てきた、笑うセールスマンですよね。
はいはいはいはい。
これも完全にこの大人向けというか、青年向けの作品で、
うーん。
これどんな話かっていうのも、あんまり知らないですよね、さっぱさん。
そうですね、あんまり知らないです。
えっと、あなたの心の隙間を埋めしますっていうね。
うんうんうん。
こういうちょっと、何やろう、若干ちょっと怖い感じのね、フレーズを使って、
バーに来たお客さんに、商品とかサービスを売るセールスマンなんですよ、主人公は。
はいはいはいはい。
スーツ着てるでしょ、帽子かぶって。
うんうんうん。
何て言うんだろうな、満たされない人たち。
うん。
どこか寂しさを抱えてたりとか、今の生活に満足できないとか、
うん。
もっと言うと、妬みとかあるじゃないですか。
はい。
誰々さんに振られたとか、会社で昇進するためにライバルがいるとかね。
うんうんうんうん。
そういう、心に闇を持った人たちに近づいていって、
時には商品を売ったりとか、時にはノウハウを教えたりとか、
その人のことを助けてくれるんですよね、このモグロ服装っていうのは。
うんうんうん。
ただ、その先の展開として、
人間っていうのは、この欲望っていうものに逆らえないんですよね。
はい。
もっと欲しい、もっと欲しい、もっとお金が欲しい、もっと地位が欲しい、もっと愛が欲しいみたいな。
うん、なるほど。
そんなことで、お客さんの方が、
はじめに求めていたサービス以上のものをモグロに求めてくるわけですよ。
はいはいはいはい。
人間のなんていうか、この救いようのない部分みたいなものがどんどんどんどん出てきて、
で、それが最終的には、あなたは求めすぎたと。
うん。
ということで、どーんですね。
うん。
その人は不幸になってしまうっていうお話なんですね。
あー、はいはいはいはい、なるほど。
結構ブラックなんですよね、この話。
そうですね、うんうん。
だから、なんていうかな、そのお客さんですよね、モグロ服装の。
はい。
っていうのは、こんなふうにちょっとドロドロした感じにはなるんやけど、
はい。
どっか共感できるっていうのは、誰にでもそういう面って持ってるんですよね。
うんうんうん、たしかに。
なんかちょっとこの、物足りないというかさ、
もっともっとみたいな、あいつが恨めしいとかさ、
そういう部分がすごく受けたというふうにされてるんですよね。
うーん。
12:00
うん。
で、大人向けに果樹を切った、このアビ子先生っていうのは、
どんどんどんどんこういう作品を書いていって、それが有名になっていくんですよね。
なので、えっと、藤本先生とアビ子先生っていうのは、
2人とも藤子藤代っていう名前で出してるんやけど、
はい。
全然作風が変わってくるわけですよね。
うんうんうん。
分かるよね、その、一方は、パーマンとか梅干し殿下、でドラえもんってなっていくわけやけど。
はい。
アビ子先生はね、結構大人的な趣味もすごく楽しむタイプやったみたいで、
うん。
ゴルフが大好きなんですよ。
ほうほう。
暇があってもなくてもゴルフに行く。
はい。
で、それがすごく出てるのが、このプロゴルファー猿というね、漫画。
あー、はい。
これも聞いたことあると思うんですけども。
うんうんうん。
なんかこれ、少年向け連載漫画、初のゴルフ漫画らしいですよ。
あ、そうなんすね。
うんうんうん。
すごい社交的な人やったみたいで、
うんうんうん。
そういう自分の好きなものとかを、どんどんどんどん作品の中に組み込んでいくとかね。
うん。
これすごいんだよ。
普通に、まずその、青年向けに書くじゃないですか、このゴルフ好きが読むような感じの。
うんうん。
その後、少年向けにアレンジされたやつが連載されて、
うんうん。
その後、この主人公の大人になった後の話書いたりとか。
えー、すごい。
結構その、ロングランというかね、いろんな媒体変えて、年代も変えて書いていくっていう。
うんうんうん。
そんな作品を書いたりとかしてて。
うん。
でね、このブラックなお話っていうのを、大人向けじゃなくて、今度ね、少年向けにもね、展開していくんですよ、アビコ先生っていうのは。
ん?はい。
うん。
これはさっぱさん聞いたことあるかどうかちょっと微妙なんですけど。
はい。
1972年頃ですね、マタロウが来るっていう漫画があったんですけど、知らないです。
えー、知らないです。
知らないよね。
はい。
これ結構イサイ放ってるんで、僕も、うわ、こんなやつあるんやと思ったんですけども。
うんうんうんうん。
あのね、主人公はマタロウって言うんやけど、いじめられっ子なんですよ。
はあ、はい。
はい。
ね。
でも毎日もう、何、ガキ大将とかね、そのクラスのなんかこうイケイケなやつらとかに、こうターゲットにされると。
うんうん。
いじめられる側として、こうやられっぱなしなんですけども。
うんうんうん。
なんとこのマタロウをね、悪魔のサタンと契約しまして。
え?
はいはい。
あの、恨み念法という超能力を獲得するんですね。
おー、はいはい。
はい。
彼は、この恨み、ハラサでおくべきかという、おどろおどろしい決め台詞とともに、復讐するんです。
はあ。
おー、なるほど。目には目を、歯には歯をということですね。
そうそうそうそう。
はいはいはいはい。
だいぶね、あの、隠うつな展開ではあるんやけども、あえてブラックユーモアなのでね。
15:04
うーん。
この笑いを交えたブラックさっていうものを、こう、一話完結で続けていくんですよね。
へー。
これね、あの、はじめに言った、あの、アビコ先生自身が、言ったらその、子供の頃にこのね、身体的特徴を馬鹿にされてたとかさ。
はいはいはいはい。
まあ、そういう経験とかが活かされてるっていうふうにおっしゃってましたね。
あー、なるほど。
うーん。そうなんですよ。
これだけやっぱり、その、一部ね、ほんとに日常系ギャグ、ハトリ君とか、怪物君みたいなものもあるんですけども、
うんうん。
真骨頂はやっぱりこのブラックさ。
うーん。
うーん。なので、絵の一時期はですね、藤子先生のことを、藤本先生を指して白い藤子。
うん。
アビコ先生を指して黒い藤子と。
あー、なるほど。
呼ばれてた時期もあるようですね。
へー。
うーん。
2人ともね、やっぱり同じようにこの藤子先生に憧れ、一緒に漫画を描いてきたっていうこともあって、
はい。
この絵柄とかもすごく似通ってるんですよね。
うんうんうんうん。
ただ、このやっぱり、それぞれがこのベースになってるものであったりとか、
このどういうものを漫画に取り入れていくっていうふうなものを、それぞれに持ってたので。
うんうんうん。
そういう話を聞くと、その一部、おばけの牛太郎とかね。
はい。
一緒に描いた漫画があったとはいえ、それぞれ別の活動してたっていうのは納得できるというか。
うーん、そうですね。
うんうんうん。
このね、マタロウが来るっていうのはね、いじめをテーマに描いてるので、
はい。
あのー、すごい社会問題になりかけてた頃なんですね、そのいじめとかいうのが。
はぁはぁはぁはぁはぁ。
そのあたりとかも、こう漫画を通したメッセージというかさ。
うーん。
うーん、まあそういうものを発信していくっていうこともされてたようだし。
うんうんうん。
あの藤本先生の川崎のお家のね、すぐ隣に自分もお家をね、建てられたって話があったじゃないですか。
はい、ありましたね。
で、そっから新宿のスタジオまで、こう毎日電車通勤してたらしいんですよ。
うん。
そしたら、その電車に乗ったときに、
はい。
電車にはいろんな人が乗ってるわけじゃないですか。
まあ、そうですね。
ね。
うんうん。
この阿彦先生っていうのは、その電車の乗客を観察するんですって。
うんうんうんうん。
あ、あの人にはこんな暮らしがきっとあってとかね。
うん。
あ、なんか疲れた顔してるなっていうのを見たら、会社でね。
うんうんうん。
こう、例えば営業さんとかで疲れてるのかなとかね。
うーん。
そういったね、人間観察とかをすごくしてあったようですね。
うーん、なるほど。
そういうのがこう大人向けの、誰もがこの、あ、自分にもそういうとこあるなっていう。
うん。
どっちかっていうと、まあ何回も出てくるブラックな面というか。
はい。
まあそのあたりに、この訴求するような作品に今度どんどんバッケていったと。
うーん。
うーん。
18:01
結構ね、焦ったそうなんですよね。
その、藤本先生の方がそのギャグ漫画の地位を築いていくわけじゃないですか。
うーん、まあそうですね。
藤子藤代という名前でね、あの一緒にやってたわけで。
うんうんうん。
こういろんな賞を取ったりとか、こうそのままに浸透していくのを見て、でもこれは自分の書いた作品ではないっていうことも送りうるわけですよ。
うーん、確かに。
でね、さっきも言ってたみたいに、こういつまでも子供の心を持ってないとこういう作品は書けないと、自分はそうじゃないっていうふうにこう思い始めてた時期なんかも。
はい。
なんていうか、もうこれでいいのかじゃないけどさ。
うんうん。
もうこのまま僕は藤本のアシスタントになった方がいいのかもしれないとかね。
うーん。
まあそんなことまで考えた中での、この藤名向けっていう境地を切り開いて、どんどんどんどんこうやって躍進されていくわけですけども。
そう考えると本当に藤子不二雄という漫画家はすごいなと。
そうですね。
うーん、やっぱり好き並みな言葉ですけども、天才と天才っていうとこですよね。
子供の頃はもちろんね、どっちがいいとかどっちがいいかなんて全くわからなかったですけども。
うんうんうん。
そうそう、服部くんとかはさ、パーマンと共演とかしてるんですよ。
はい。
だけど、まあまあまあ、大人の事情というかさ、その権利関係の部分とかで、その一部ね、共演してる映像作品とか書籍とかは発行もできないとかね、いろいろちょっとややこしくなっちゃってるんですけどね。
はい。
で、これまでの話に出てきたように、1987年にね、二人はコンビを解消してと、正式に別々の漫画家としてやっていくわけですけども、僕これ調べてて知ったんですけどね。
はい。
これ一部の作品を除いて二人が別々のものを書いてたっていうのは、コンビ解消するまでは公表されてなかったらしいですね。
あ、そうなんですね。
そうそうそうそうそう。だから全部二人で書いてますとは言ってないけどもね、そういう言い方はしてないけども、どの作品に関しても私たちの作品っていう言い方をずっと貫いてたらしいですわ。
うーん、なるほど。
なので、ざっとね、作品の概要をね、ご説明したような形になったんですけども、あのね、面白い本があって、藤子スタジオのアシスタントをしてあって、後に漫画家として活躍された海老原たけし先生っていう人がいるんですね。
はい。
マイッチングマチ子先生という、子供向けのお色気漫画で一世を風靡した人なんですけど。
あー、聞いたことあります。
聞いたことある?そうそう。その方がね、どっかの雑誌に連載してたんかな、それをまとめた本で、藤子スタジオアシスタント日記というのをね、出されてるんですよ。
うんうんうんうん。
アシスタントの目から見た藤子スタジオっていうのが見れるというね、なんともこの嬉しいアイテムが私の手元に来てまして。
21:06
うんうんうんうん。
いろいろとね、この制作の裏話とか出てるんですけども、その中でね、面白いなと思ったのがさ、この藤本先生と安彦先生ってどんなふうに違ったの?みたいな話。
うんうんうん。
うん、これちょっと興味あるよね。
そうですね、うんうんうん。
よく言われてるのが、藤本先生の方は、割となんていうやろ、定時に来て定時に帰るみたいな。
うん。
安彦先生はなんかこの飲みに行ったりしてるとかね、ゴルフ行ったりしてるとかね。
はいはいはいはい。
こう派手派手なのが安彦先生で、きちっとしてるのが藤本先生みたいなのをよく言われるんですけど、これ面白かったんがね、漫画の書き方が全然違ったんですって、この2人。
うん。
何が違うかって言ったら、漫画ってほら、ネームっていうのを書くじゃないですか、初めに。
はいはいはい、あります。
ストーリーのなんていうの、構成を下書きするみたいな。
とか、下絵ですよね、このコマ割りとか、キャラクターのどこに立ってるとかってネームがあるじゃないですか、藤本先生はこれを書くんですよ。
うん。
安彦先生は一発本番で書くんですって。
え?
ほう。
はー、なるほど。
ね、大胆ですよね。
そうですね。
で、アシスタント的には藤本先生の方はネームがあるから、段取りが見えるんですよね、他の人にも。
だから、先にじゃあ7ページやって、じゃあ次じゃあ14ページやって、とか、ばらばらに分業できるんやけど。
はい。
安彦先生の方はいきなり来るっていうね。
うーん、たしかに。
手分けしてね、先の作業を先にやるっていうのができなかったりとか、いう話が載ってたりとか、面白いのよ、この本。
うーん。
あとは、さっき言ったその、夜の街とか、ゴルフとか大好きだったのは安彦先生の方なんですよ。
うんうんうん。
藤本先生はもう、わりかしそういう遊びはしないみたいな。
うーん。
ただ、これがなんか都合良かったらしくて、この取材とか来たらさ、この有名になって来たらさ、前の前回のエピソードでも出てきたんやけど、
なんかこの接待とかがあったんですよ。
はー、はいはいはいはい。
ね、このいい店連れて行きますよとか、そういうのがすごく藤本先生は、いや、いやというか苦手だったらしくて。
うーん。
そういうのは、安彦先生が喜んで引き受けてたんですって。
うーん、なるほど。
ウィンウィンですよね、そこはね。
そうですよね。
うんうん。
とか、そんな話が出てきたりとか、
あ、そうそう、こんな、これもあったな。えっとね、覚えてますかね、1955年のお正月の話。
あー、はい。
原稿を送るに及ばずのあれですよ。
はいはいはいはい。
電報がすごい来たやつですよね。
そうそうそうそう。
はいはいはい。
あれはね、本当にもうなんか、2人にとってもう嫌な事件だったらしくて、その話をまあ、アシスタントにしてたりとかするんですけど、
24:02
はい。
あのね、予定をちゃんと組むたびに、何?ホワイトボードがあったんですって、スタジオにね。
うん。
日程とか、ほら、どこどこまで、この日までにどこまで進めるみたいな工程表みたいな、締め切りツイーツーみたいなのあったんやけど、
はい。
それをしっかり使ってたのは、安彦先生だけなんですよ。
へー。
藤本先生は、あったのに使わなかったんですって。
へー。
なんでですかって聞いたら、もうね、締め切りっていう言葉がトラウマになりすぎて、
はい。
近くに置いておきたくなかったって。
あー、なるほど。
なので、藤本先生の方は、ご自身が持っていらっしゃる手帳の中に全てが書いてあった。
うんうんうんうん。
安彦先生は、安彦チームと藤本チームってアシスタントにもあって、
はい。
いついつまでにこれやるから、ちょっとこの日は徹夜になるかもしれないからとかね。
うんうんうん。
そんな会話をしてたりとか。
うん。
こう、なんかね、さっきも言ったように、二人で一つの藤子藤代であって、それぞれにこういった作風とか作家性があって、
うん。
それがあったからこそ、語り継がれるね、日本を代表する漫画家になったわけじゃないですか。
うんうんうんうん。
それが、一緒に肩を並べて働いてたスタジオの中のアシスタントから見た話ってすごい面白いなと思って。
そうですね。
うーん、こういうちょっとね、この先生らの書いた漫画とか、辞伝とかだけじゃなくて、
うんうんうん。
周辺の人から見たね、この藤子藤代本じゃないけど、そういうのを見るのもすごく面白いなっていうふうに、
はい。
思いましたね。
うーん。
そう、それで、あのー、ちょっとこの少し不思議な話になるんですけどもね。
はい。
時々、あのー、時々どころじゃないぐらい実はいただいてるんですよ。
A先生の作品も取り上げてほしいって。
うんうんうんうん。
実は。
うん。
なるほど。
ただね、そのー、本当に冒頭でも言ったように、僕がこのA先生のことを知らなすぎるっていうところもあったし、
うーん。
ま、知らないから、こう、あえてね、この新しい目線で読んでみて、こうでしたって話をするのも面白いかなーとかっていうのもぼんやり思ってて、
うんうんうん。
もしかしたら近々やるかもわかんないんですけども、
はい。
ま、予定は見てっていうことで。
まあまあまあまあ。
うん。
ただやっぱりね、この、ね、あのー、亡くなられたっていうところもあって、
はい。
このー、ね、こうファイドショーであったりとか、まあニュースとかツイートの番組とか見てると、
うーん。
ああ、なんか本当に、なんかちゃんと知っておけばよかったって今思うのもなんか変なんですけど、
うーん。
うーん。
なんか知らないまま、こう喋ることの恐れ多さみたいなものもあってね。
うんうんうん。
まあそのあたりも、いろいろちょっと複雑なね、こう感情もありつつの、
はい。
僕とわび子先生の距離みたいな、立ち位置みたいなところはありましたね。
なるほど。
うーん。
それでですね、
27:00
はい。
最後にね、すごくすごく素敵なこの発言をわび子先生されてたので、
はい。
それを紹介して終わろうかなと思うんですけど、
うんうんうん。
聞かれるんですよね。
尊敬する漫画家さんっていらっしゃるんですかって。
はい。
そしたらね、わび子先生必ずこう言ったそうですよ。
手塚先生と藤本くんですって。
うーん。
うーん。
うーん。
もうね、
はい。
はい。
もうね、何回も何回も言うようにね、こうね、2022年にね、88歳で亡くなられましてと。
うんうん。
本当に本当の意味で藤子不二雄という漫画家にね、
さよならしないといけないなっていうタイミングが来たなっていうところもあり、
はい。
ここで改めてね、お二人に向けてありがとうございましたの言葉を送りたいなと思っております。
はい。
はい。
では今回はこのあたりで終わっていこうと思います。
はい。
はい。
はい、エンディングでございます。
はい。
これにてね、藤子不二雄氏全て終了ということで、結構長い回になりましたけども。
うんうんうん。
浴子先生に関してはね、本当にね、この、もっともっといろんなことを知っておけばよかったなって思ってます。
今からでも全然遅くないんだけど。
うーん、そうですね。
うん。
本当にね、一人の漫画家さんとして、
うん。
本当に天才なので、
うんうんうん。
今まで100回近くね、藤子F作品ばっかり話してきましたけども、
うんうんうん。
あの、もう本当にそれと同じくらいの作品数がある方なので、
うーん。
うん。
特にやっぱりそうね、大人になったからこそもしかしたら、
ブラックユーモアっていうのは楽しめる部分もあるかもしれないですからね。
そうですね、うんうんうん。
なんか子供の頃にね、僕これ話してて思い出したんですけども、
見たんですよ、この、笑うセールスマンのアニメを。
ほうほうほう、はい。
なんかね、遅い時間にやってて、たぶん9時台とかにやってるバラエティ番組の、
うん。
ワンコーナーでアニメやってるみたいな。
うんうんうんうん。
で、怖かった。
あははは。
すっごい怖かった。
うん。
たぶんもしかしたらね、トラウマになってて、近寄ってなかったのかもわかんないですね。
うーん。
それぐらいね、この漫画人口っていうのが本当に縦に広がってるやなっていうことが、
当時からあったっていうのがね、わかるんですけど。
うんうんうんうん。
さあ、さっぱさんどうですかね?
A先生、あんまり現段階でこういうイメージっていうのもないかもしんないんですけども、
30:04
今回話とか聞いてみて。
そうですね、なんか、それこそなんか、なんだろ、SNSやりだしてから、
そう、なんかネタ画像じゃないんですけど、
そういうので、こう、笑うセーリスマンの画像って結構見るようになって、
はいはいはいはい。
あ、これ描いてる人なんやみたいな感じで、
まあちょっと知ってはいたっていうのもあって、
まあ自分は作品としてちゃんと触れてきてはないですけど、
あ、この人ってこういう人やったんやっていうのを先生のこと自体を、
ちょっとでもまあ知ったところもあるので。
はい。
割とブラックジョーク系の漫画とか好きなんで、私自身。
ちょっと気になりますね。
ねえ、なんか響くかもねと思って、あの、喋ってたさっぱさんに。
あ、はい、割と好きなんで、うん。
たぶんね、あの、亡くなられてから、
あの、書籍とかがどんどん出ると思うんですよね。
うんうんうんうん。
なんで、このタイミングで、
あの、まあさらにこういろんなことを僕が、
僕目線でね、こう、吸収できる時期がやってきたのかもわからないし、
うんうんうんうん。
さっきね、ちょっと本編のほうでも言ったみたいに、いずれちょっとね、
この方も不事故不需要なので、
はい。
先生の作品なんかにもね、触れることがあるかもしれないので、
うんうんうん。
まあよろしければ、もう繰り返しになりますけども、
聞いてる方にいろんなことをね、教えていただきながらやっていきたいと思っております。
はい。
はい、よろしくお願いいたします。
はい。
じゃあいつものやつやって終わっていきましょう。
はい。
はい、少し不思議ないと、この番組では皆様からの感想、反応、
不事故不需要、作品への愛、お待ちしております。
あれ先の方、サッパさんよろしくお願いします。
はい。メールアドレスはfushigi7110 at gmail.com。
ツイッターのアカウント名は少し不思議ないと、
ハッシュタグはハッシュタグ不思議な、不思議はひらがな、名はカタカナで検索してみてください。
はい、それからお名前だけで送っていただけます、メールフォームの方もご用意しております。
はい。
エピソードの概要欄、もしくは少し不思議ないとのツイッターアカウント、
プロフィール欄のところにリンクがありますので、どうぞご活用ください。
はい。
はい、皆さん次のお話でお会いしましょう。さよなら。
またね。