2021-01-22 27:03

28. 『オバケのQ太郎』ってどんな漫画??②アニメ化と"オバQ狂騒曲"

第28回は連載終了を悔やむ読者の要望で脅威の復活を遂げた『オバケのQ太郎』のその後について!
今回も藤子不二雄自伝『二人で少年漫画ばかり描いてきた』からのエピソードを中心にお届けします。アニメ化の裏側、取材に追われる日々、キャラクタービジネスへの発展等…2人の青年漫画化を取り巻く状況は、ものすごいスピードで変化していきます

今となっては有名な「オバQブーム」を作者自身の視点から捉えた、すこしふしぎなお話をお届けします!

【今回登場した作品】オバケのQ太郎/二人で少年漫画ばかり描いてきた

☆番組ではお聞き頂いた皆様からの感想をお待ちしています
同じ藤子・F・不二雄先生のファンの方々、より詳しい方々など一緒に番組を盛り上げて下さる皆様からの補足情報、ご指摘、アドバイスも有難く頂戴します!
こんなテーマで話してほしい!等のテーマリクエストも頂ければ、とても嬉しいです
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00:01
みなさん、こんばんは。ゆうすけです。
さっぱです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
前回から、オバケのQ太郎の話をしてます。
はい。
前回がね、その紹介の1回目ということで、
今日はその続きからね、お話をしますんで、
もし、まだ前回の分聞き出ない方は、先週の分から。
ちょっと聞いていただいたら、その続きで楽しめると思いますので、どうぞよろしくお願いします。
はい。
で、前回は、
はい。
オバケのQ太郎がどうやって生み出されたかってね、
そのスタジオゼロのメンバーが、スタジオゼロを救うためにというか、
アニメを名刺制作するっていうところからスタートした会社だったから、
そのために作った雑誌部から生まれたのが、この大ヒットだったんですけど、
そのために作った雑誌部から生まれたのが、この大ヒットだったっていう話をしたと思います。
はい。
1回ちょっとね、震わなくて、
打ち切りの危機に、危機というか打ち切られたね。
打ち切られましたね。
ただ、その読者の反応がやっぱすごくて、
また続けてくださいって言って復活しましたっていうところまでお話ししたんですけども、
今日は、そっから先の会心劇をね、
どんなことが起こったかっていうのをご紹介しようと思います。
今回は、藤代名義で書かれた自伝のね、
2人で少年漫画ばかり書いてきたっていう本に基づいて、
これを片手にね、お話ししていこうと思いますんで、
どうぞお聞きください。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
少し不思議ナイト。
この番組では、藤子F藤代先生の少し不思議な物語について、楽しくおしゃべりします。
昭和39年の2月に連載が始まったっていうところやねんけど、
すごい反響があって復活したって言ったじゃないですか。
はい。
少年サンデーっていうので連載してたんやけどね、
これ同じ年の12月には少年サンデープラス小学科の幼稚園っていう雑誌で、
小学1年生、2年生、3年生、4年生、5年生、6年生と7誌増えたんですよ。
え?おばけが7誌でやってたってことですか?
7誌プラス少年サンデーね。
8誌。
同じ年の12月にはそれだけ掲載誌が広がって、
03:00
発行部数が570万部と。
やばい!一回打ち切りになった漫画とは覚えないレベルじゃないですか。
それだけヒットしたというか。
この時点によると、この時にどんな世間の様子だったかってことも書いてあって、
これが面白かったんやけど、
昭和30年とか40年代っていうのは、
テレビのアニメがすごく密接だった時期って書いてあるんですよ。
っていうのは2つパターンがあって、
一つは人気の漫画をアニメ化する。
人気が出たらアニメになるみたいな。
もう一つは、アニメの企画として始まったやつを雑誌でも連載して、
テレビと雑誌連載を一緒にやるみたいな、今でいうメディアミックスみたいな。
だから、アニメと漫画の相乗効果みたいなのがすごく重要になってる時期だったらしいんですよ。
で、当時の流行っていうのが、
鉄腕アトムとか、鉄人28号とか、エイトマンとかね、
そういう空想科学冒険者みたいなのが主流だったと。
ちょっと政府の世界でね、少年少女が大活躍するみたいな。
そんな時期に、すごくヒットしてるバー級のところにもアニメ化の話が舞い込んできたと。
で、ちょっと思い出してほしいんやけど、
前回の話で尾崎くんの話出てきたじゃないですか。
うん、ありました。
すごいギャグが飛び交ってテンションが高くてみたいな。
作風に対して尾崎雄っていうのは、日常の生活の中に起こるようなドタバタが面白いみたいな。
で、尾崎雄のこの時の評判というか人気の秘訣っていうのは、
この流行りあった空想科学冒険者とかと比べると、安心して見れるんですよ。
あんまり殺伐とした雰囲気もなくて、例えば戦いがあるわけでもないし、
家庭でも安心して親が見せられると。
もともとそういう生活ギャグ路線っていうのが見新しかったっていうところも手伝ってたけど、
それがヒットの要因だったっていうようなことを書いてました。
もちろん作品がヒットしたら、作者にも注目が集まるんですよね。
そうですよね。
藤子不二雄っていう漫画家らしいと。中堅の漫画家がおると。
で、藤子不二雄っていうのは二人のペンネームらしいと。
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で、尾崎雄っていうのも二人が合同で書いてるらしいと。
再開してからの尾崎雄は、他の漫画家さんとかもだいぶ忙しくなってきたから、
ほとんど二人で書いてるっていう写真ですね。
そうなんですね。
で、二人で書いてるっていうのも見新しさというか珍しがられたっていうふうに、
このときの先生は残してますね。
なるほど。
この辞典を見てて面白いのは、これ先生自身が書いてあるから、
そのときに一気に自分に注目が集まったみたいなところの心情みたいなのが書いてあるんですよ。
で、アニメ化の話が出てきたら、打ち合わせっていうのがあるわけじゃないですか。
はいはいはい。
そんなとこ行ったことなかった、今までね。
時はそうみたいなとこでね、漫画書いてみたいな生活ずっとしてたわけやから。
はいはいはい。
富士屋ってお菓子の富士屋がね、スポンサーやってる富士屋の時間っていうところでアニメ化されたんやけど、
スポンサーといったら富士屋がいますと。
テレビ番組の偉い人が、一番初めは一級に乗って海外進出しようみたいな話になってたみたいで。
おーっと。
和気豪。
で、無国籍化しようみたいな話で。
だから日本の話じゃなくて、どこの国でも通用するような作風に変えましょうとか、めっちゃ言われて。
急ですね、それは。
それは、おばQっていうのは日本の風土から生まれた生活ギャグなんでって言って。
見た目はシーツ被ったおばけみたいなモチーフやけど、
普通のね、日本の男の子とか出てくるんでみたいな感じで反対してとか、そんな話が出てきたりとか。
あと出来上がった死者を見たときに、すごいやけに目まぐるしくドタバタ大活劇みたいになってたらしいんですよ。
あれー?みたいな。
なんか、おばQってこんなんやったっけ?みたいな感じだったらしくて。
で、話聞いてみると、今までのテレビアニメってやっぱりSFものが多かったから、
作る側もそういうノウハウを持ってなかったと。
いきなりそういうほのぼのアットホームな作風のやつってどうやって作ったらいいのかなみたいになってたみたいで。
なるほど、なるほど。
で、こんな感じになってましたけどみたいなこと言ったら、
初めはやっぱり子供の心をグッと掴まないといけないからそういう感じで始まって、
徐々にやっていきますからみたいな感じになってたらしい。
これすげえ面白いなと思うんだけど。
テイストが途中から変わったら変な感じにならないんですかね。
多分ね。だから今まで作ってたような流行りとは180度違うような作品やったからこんな話が書いてあると。
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で、視者で見たときはそんな印象だったけど、この先生曰く実際に放送を見たらしいんですよ。テレビで放送されてるやつを。
もちろんビデオなんかないからね、この時ね。生で見るしかないんだけど。
そうですよね。
だからテレビで見るとあれ結構見れるかもみたいな仕上がりだったらしくて、
いやすごいな、さすが持ちは持ち合いやなっていうふうなことを本にも書いてます。
やっぱり最終的に見せるときにはなんかこう言ったらいいやんみたいな感じになってた。
あーよかったよかった。
そんで、日曜日の多分7時半みたいな時間帯に第一回が放映されましたと。
で、見ましたと。
次の週になったら視聴率っていうのが出るわけですよ。
そんでそれを知らせに来てくれはって、1回目から30%を超えましたって。
すごくない?普通にすごいですよね。
なんか30%っていうのがさ、今の多分テレビ見てる人だとは、
あれはね、母数とか全然違うと思うんだけど、
でもその当時からしても30%を超えるなんて予想以上の大ヒットですっていうふうには言われたとか。
だから日常生活ギャグみたいなところで人気がもともとあったっていうのが、
アニメーションになってさらに火がついたというか。
なんかなっていうふうなことが書いてあるんだけど、
その時も先生たちは視聴率みたいな感じだったから。
あれ?
なんか、とりあえず安心しましたって書いてるんですよ。喜んだとかじゃなくて。
はーはーはーはー。
なんかその、会議をやっぱりするっていうのに慣れてなくて、
漫画を書いてる時って、依頼が来て、ギリギリ締め切りまで何もせんとくて、
迫ってきたら頑張って書いて、取りに来た編集の人に渡してぐらいで気ままなもんでしたと。
アニメを作るってなってきたら、会議、打ち合わせ、会議、打ち合わせって言って。
何回もやらなあかんと。
その会議の様子がね、まず局の人がいる。
スポンサーの人がいると。
代理店の人がいると。広告ライターの人がいると。
アニメプロダクションの人がいると。
そんな人たちが、何の話をしてるのかわからないような数字をいっぱい突き合わせて、
すごい忙しそうに喋ってるところに連れて行かれて、原作者として2人育ってるわけですよ。
12:02
藤本先生と青井子先生が。
時々、原作者としての意見は?とか言って、求められると。
だから、何を喋ったらいいのかわからなくて、
それはですね、とか言ってたみたいなことも事前に書いてあって。
借りてきた猫みたいな感じですよね、完全に。
やけど、漕けたりとか評判悪かったら、
お責任は原作者に来るみたいな話だったから。
だから、漕けなくてよかったっていう、
30%ってのはよくわからんけど、みたいな。
みたいなことが書いてもらったと。
こういう視点でオバケブームを捉えてるのが、すごくこの本読んでて面白くって。
いろいろあるじゃないですか、どんだけ売れたとか、
すごい人気あったとかしてるとかっていうのは、今まで聞いたことあったんやけど、
先生たちの目からすると、こんなドタバタ劇というか、
本当に借りてきた猫ではないけど、
そういう生活が一変したみたいなところを読めてね、この本すごく面白いです。
ほんで、アニメが始まるスタート前は、さっき言ったみたいに会議とか打ち合わせとかばっかりで、
時間を取られて、漫画なんか書いてる時間がないみたいな生活だったらしくて、
きついじゃないですか、今までそんな生活じゃなかったのに。
ほんで、よかったと。視聴率よかったんやと。人気あったんやと。
で、もうスタートしたんですね。あとはもうね、皆さんに任せて、
あとはよろしくみたいな気持ちでおったんやけど、
反面よ、視聴率がどんどんどんどん上がっていって、うなぎのぼりで。
ほんで、終わったと思ってたらしいんですよ、もうその段階で先生たち的にはね。
もう自分の手を離れたみたいに思ってたんやけど、
今度はもう雑誌、新聞、テレビ、取材の日々になっちゃったと。
はー、なるほど。はいはいはいはい。
なんか人気者のエピソードで、すごい花々しく聞こえるけど、
さっきも言ったみたいにそんなことしたことない若者だったわけですよ、2人とも。
だから、渦の中に自分も巻き込まれたみたいな気持ちになってたみたいで。
ずっと日陰にいたのに急に日向に出されて、なんか目が眩んだみたいな気持ちになったっていう風に言ってましたね。
ここにね、僕の持ってる本のところにね、書いてあるんやけど、
そのまま僕、書いてあることを読ませてもらいますね。
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僕たちは小学校5年生の時から合作で漫画を書いてきました。
藤子の藤は藤本の藤。
藤子の子は浴び子の子から取りました。
上京したのも一緒ですし、今住んでるところも同じところです。
漫画のアイディアも絵も2人で一緒にやります。
喧嘩ですか?したことないです。
藤本がインドアタイプで浴び子がアウトドアタイプと性格が対照的だったので、今まで保ってきたんじゃないでしょうか。
オバキューのモデルはペンギンです。
野獣魔精神の旺盛なオバケが子供たちの日常へ飛び込んで、そのために起こる騒動がギャグの狙いです。
これからのオバキュー、さあどうなるのか、僕たちにも見当がつきません。
オバキューを作ったのは確かに僕らですが、今じゃオバキューは育ての親がいっぱいいるし、本人も一人立ちして自由にインタビュー回っていますから。
というようなことを何十回も何十回も言いましたって。
いつも同じことをインタビューで言うってことですね。
同じようなことを聞かれるんでしょうね。
本当に原稿じゃないけども、同じようなことを何でも何でも言いましたよっていうふうな思い出があると。
なかなか人気者になるって苦労があるんやなっていうのが。
そうですね。体験したことないですからね、そんなの。
だからほんまに世界が変わったんでしょうね、お二人の中でも。
さあオバキューのブームはどんどんどんどん盛り上がっていきますと。
今度は何があると思います?
グッズ。
正解です。キャラクタービジネスですね。
やっぱそうですよね。
これTBSがアニメを放映してたんやけど、当時ね。
TBSはあんまりキャラクターグループとかに関心を示さなかったらしいんですよね。
だからキャラクターを使った商品展開的なやつは、連載してた小学館が一手で引き受けるみたいな形になって、それもめちゃくちゃ売れると。
まあそうでしょう。
これね、本当に世代のいたずらで僕らがピンとこないっていうのは残念やねんけど、
レコード。
オバキュー音頭っていうのがあるんですよ。
オバキュー音頭。
盆踊りとかで今でも流れるときあるのかなぐらいやねんけど、
オバキューのレコード200万枚。
そのシートってわかる?
わからんよね。
18:00
雑誌の付録とかについてたレコードみたいな形をしてるんだけど、
すごいペラペラなプラスチックの板みたいな感じで、
レコードのおもちゃ版みたいな、子供がこの付録で持ってるみたいな感じのやつ。
それが400万。
キャラクター商品がそれ以降も次々と売れていきますと、爆発的に。
シーツをかぶってオバキューごっこみたいなのが流行って、
それで子供が窒息して亡くなっちゃったみたいな事件すら起こったぐらい、
世間を圧巻したんですよ、本当にオバキューブームっていうのは。
それでまた問題になったっていうエピソードも書いてあんねんけど、
それの売り上げとかが全部小学館に集まるわけですよね。
TVSやらへんかったからね。
1967年に小学館はビルを建てるんやけど、
その本社ビルは通称オバキュービルって呼ばれてます。
オバキューの売り上げで建てたビルだと。
そう、オバキューでビルが建ったと。
やばいね、それ。
すごいでしょ、これなんか。
今でも冗談で、何々でビルが建つみたいな言い方するけど、
マジでやってるのがオバキューだから。
想像してたよりもすごいっすわ。
2013年に実は取り壊されて、今新しいビルに変わってるんやけど、
これは僕も覚えてるんですよ、その時に、
小学館で伝採してた色んな漫画家の人が、
取り壊す前のビルの壁にみんなで落書きをしててね。
自分の作風で描いた藤子キャラクターを描いたりとか、
鳥山明先生とかもね、描いてあったし、
悟空がなんかこのあばよみたいにしてる絵を描いたりとか、
みんなですごいメンツですよね、豪華なメンバーが、
一面にこの落書きをして、
それを取り壊すまでは自由に来てね、写真撮ったりとかもできるみたいやから、
多分これ聞いていらっしゃる方でね、
東京近郊にいた人を覚えてるわとか、
写真撮ったわって人多分出てくると思うんですよ。
新しくなったビルは今、また同じ東京の旧ビルの近くかな、
分からんけどなんか建ってるみたいで、
普通に今小学館ビルってのあるんやけど、
そんなことが起こりましたと。
先生の今度の活動、
これなんかね、オバキュー大会って書いてあるんやけど、
何のことかなと思って読んでたら、
オバキュー大会?
イベントですね。
イベント。
子どもたちを公民館的なとこに集めて、
みんなで歌う歌唱指導とか、
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あとはフィルムの上映会をやったりとか、
子どもたちにオバキューができるまでっていう話をしたりとか、
みんなで書こう、
オバケのキュー太郎みたいなやつの先生やったりとかね。
そんなんで全国を回りましたって言って先生が。
ほんで、その間も全国を回りながらも、
毎月20本近くの連載を行ってましたみたいな話があって、
もう全然想像できない。
でももともとね、大臣恐怖症で、
赤面症の青年2人が何百人お前に話をするなんて、
よくできたもんですみたいなこと書いてあってさ、
わーって本読んでて、わーってなりましたね。
で、この本の中ではオバキュー部門のことを、
オバキュー競争局。
フルに騒がしいって書いて。
たぶんそういう気分やったんでしょうね。
お祭り騒ぎ、ドンテの騒ぎみたいな感じやったと思うんやけど、
このオバキュー競争局をうまく切り抜けられたのは、
藤子市長が2人やったからだと思いますって。
1人やったらもうこんなん絶対に無理やったし、
潰れちゃいますよね。
だからそれぞれに、
のしかかってくる責任とかもうまいこと分散できたし、
お互いに支えることができたっていうのが、
ブームを乗り切るって言ったら変な言い方やけど、
乗り越えられた理由やったんじゃないかなーみたいなことを書いてましたと。
なんかね、実際に僕ら体験してないじゃないですか。
すごかったらしいって話をひたすら聞くだけの立場で終わったんやけど、
本当にすごいよね。すごい以外の語彙が足りなくて出てこないんやけど。
本当にこれが、おばけの九太郎という作品を通して藤子富士夫という漫画家が、
全国に広がって国民的漫画家になった流れというか、お話でした。
というわけで、2回に分けてね、おばけの九太郎。
作品紹介というよりかは、どういうふうにおばけを取り巻いて、
何が当時起こったのかみたいなところでお話ししたわけですけども、
24:05
どうですかね、さっぱさん。
この先生目線で語るってちょっと楽しいじゃないですか。
ちょっとね、想像してないぐらい人気だったし。
ビルが建ったって言ってね。
本当にすごい作品なんだっていうのが、ちょっと私はわかってなかったんですけど、
ちょっとわかった、それが。
この時期のね、時代みたいなところもあるかもしれんけど、
それにしても、僕さらさら描いてることを紹介しながら読んだけど、
これほんまに起こっててるなって思うとすさまじいよなと思う。
そのつもりじゃなかったのにみたいな感じで、
どんどんどんどんこの舞台に投げられて人気者になっていく2人の、
その当時を思った時のネットとかの、ちょっと笑いながらね、聞けるし。
いやいや、なんかこの、僕ね、さっきから言ってるこの、
2人で少年漫画ばかり描いてきたっていう藤子不二雄辞典、
これ本当に面白いですわ。
人気者になるってこういうことなんかなって、
ちょっと思わせてくれるようなお話がたくさん載ってましたね。
休む日もないと。
いやー、週休2日は行きたい。
ね。
この後に、またね、ドラえもんのブームがまた来るのでね。
そうですよね。
まだまだ始まったばかりですからこれで。
はい。
というわけでね、また引き続きというか、
作品の紹介の方もね、これからしていきたいなと思いますので、
それは次回以降にお届けしようかなと思っておりますので、
今回はこれで終わります。
はい。
少し不思議ないと、この番組では皆さまからの感想、
反応、そして藤久作品の愛をお送りいただけたらと思います。
さっぱさん、後先の方よろしくお願いします。
はい。
メールアドレスはfushigi7110 at gmail.com
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ハッシュタグはハッシュタグ不思議な
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そちらの方もご活用ください。
はい。
というわけで皆さん、次のお話でお会いしましょう。
さようなら。
またね。
27:03

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