ドキュメンタリーの導入
どうすればよかったか。 弟 そうよ。 いいタイトルだよなあ。 弟 いいタイトルなんだよなあ。
結構、話題になってたもんね。 弟 うん。なんだけど、やっぱりちょっとね、見るのがね、遅くなったよね、なんか。
そうなんだよ。お前に、お前が見たっつって。見ろ、見た、見ろって来たから。 弟 そうそうそう。
弟 遅えよっつって、お前も送りそうになったと思うんだけど、多分。 そうそう。
弟 公開からだいぶ経ってね。 見よう見ようと思いつつも、ちょっと。
なんかね、やっぱね、ちょっと見るのが気が重くて。 弟 そうよね。
予告編とかでも、なんかもう、こういう映画が、ドキュメンタリーが公開されますよっていうのが、去年の結構早い段階で出た時点で、もう絶対に見に行こうと思ってたわけ。
これドキュメンタリーも好きなもんで。 弟 大好きだね。
そう、結構好きだから。で、切実な問題なんだよなと思って、いわば投稿主張症の人が、社会に出られず、支度勘知っていうかさ、雑誌記録みたいになっちゃう。支度勘知って言うんだよ。ごめんな。
難しい言葉を使うな。 弟 私の自宅に、監獄の館に置いとくっていう。これ合ってるかなちょっと。大丈夫かな。一応wikipedia見とこうかな。
あやふやじゃん。 弟 まああるんだよ。ちゃんとあるんだけど。でもなあと思いながら。で、大分では2箇所で公開されてて。
そうなんだ。 弟 そうそうそう。どっちも短間系のミニシアターみたいなところで、大分とベップのところであったんだけど。で、見に行かなきゃなーみたいな感じで思ってたけど、結局なんとなく予定も入ってたし、気が重かったのもあって。
家族の葛藤
最終日に見に行ったの。ようやく。最終日の最終回に。滑り込みで。滑り込んでったんだけど。でもめっちゃ人いて。 そうなんだ。
弟 いやでもこれはね、見てよかったね。本当に。 それは本当に俺も完全同意っつうかな。 弟 そうだよな。ただね、これの見てよかったなっていう俺の感想のその中身が。
ああまた出た。このパターン好きだなあお前。俺はそんなもんじゃないみたいな。こんな浅い感想なわけがないみたいなあれでしょ。俺には隠された深い意味があって。
やりづれえ。やりづれえ。やりづれえよ。てか、そうか。これ来せずそうなってんのか。そんなつもり。普通に素直にしゃべりだすつもりだったんだけど。でもやっぱ俺にしか見えない視点っていうのがあって。あるんだわ。
見せてくれ。お前のどうすればよかったかを。 そうね。で、しゃべりをせずにうまくいかずにどうすればよかったんだろうって頭を抱えることになるのかもしれないけど。
どういう意味なの?見てよかったって。 いい意味でも悪い意味でも人が生きる力みたいなのを見せつけられたなと思ったね。
ああ、なるほどね。 あ、なるほどってなってる。だめだよ。お前がなるほどとはなれない。なぜなら俺だけの視点だから。
じゃあやめます。これみたいなもんに思いつく次元じゃない感想を。
うまくしゃべれるかと思うんだけど。ぱっと見は徒歩出張症になったお姉さんを医療につなげることがご両親の意向で難しくて、どんどん悪化していって時間も経ってしまって、結局発症から25年経ってようやく医療につなげることができた。
でもお姉さんは病気にかかってしまってっていう、これどうすればよかったんだな、でもこれじゃだめだったんだなみたいな感じになる物語じゃない。
そうね、その弟さんがホームビデオみたいな感じでずっと映像を取りためてたってことだよな。
そうね、基本的には精神疾患に関する社会問題の1個別具体事例を非常に丹念に描いたもの、追ったものみたいな感じになるじゃない、基本的には。
監督もあるしその視点で多分撮って作ったのではないかなと思うし、パンフレットとかも読むに。なんだけどね、あんなに長尺で長い期間カメラで追ってるのってあんまないのよ。
あるにはあるけどそれ1個の社会問題を追ってるとかだったらあるし、でも1つの過程で個別具体的な人物を何十年も、多分25年ではないと思うんだけど、撮ってた期間は。
結構な期間撮り続けるっていうのはないのよね。だからすごい人生を見たなって感じがしたの。
うん、でもさっきも言ったようにホームビデオっていうところはでかいよな。家族の記録としてこれが残ってるっていうのは面白いなって思ったけど。
だからある種、ディレクターの人がカメラマンさんを携え温泉マンさんもついて撮ってるっていうのは基本的にはドキュメンタリーってそういう感じだったりする。今はもう一人で撮ることとか全然楽勝で可能になってるけど、
でもやっぱりそのクルーで行くとか取材者が取材対象者をっていうような感じだったりするじゃん基本的には。なんだけどやっぱりホームビデオだからさ、ドキュメンタリーこの言葉使うのがいいのかわかんないけどすごいリアルなわけよね。
生々しいよ。 生々しいじゃん。綺麗事がないのよねそこに。お姉さんがいて、監督がお姉さんに喋りかけてるのにお母さんが答えちゃう場面とかあるじゃん。
なんとかちゃんはこうこうこうだよねみたいな感じで言ってそこで監督が弟がお母さんに聞いてんじゃなくてお姉ちゃんに聞いてんだよみたいな感じで言ったりする場面とかあるじゃん。それだけで今家族がどういう状態にあるのかっていうのがナレーションないじゃん。
でも理屈じゃなくてもうわかるじゃんこの緊張関係とおよびお母さんが全部認めないために前に出ちゃっている状態みたいな。ある種でお父さんは現況とも言えるんだけどいないみたいな感じとかも含めて。
それだけで一発で今そうかこういう感じなのかっていうのが伝わるからやっぱ力がすごいね映像の一個一個の。
自己規制と生きる力
普通に外側の人が撮れない。しなんかその病気になってるお姉ちゃんの症状を撮ろうとかいう視点でもないんだよね。家族の思い出として撮ってたりするじゃん。
それをある意味カモフラージュ的な意味でそういう風な公園に行くとか言って理由をつけてカメラを回すこいつを作ったって確かなんかテロップとかで出たような気がするけど。
でも一応はやっぱりちゃんとその家族の談覧とかどういう会話をしてるのかとかを撮るために回ってるっていうのがそのドキュメンタリーとしてこう。
ドキュメンタリーって結構これを見ろってこう視点を指定されるけどなんかそうじゃないものもいっぱい映り込んでて面白かったな。
そうなんよな。まさにだからドキュメンタリーは狙いを持って撮り続けるわけよね。最初はなかったとしても狙いが。
なんか宗田和弘監督とかそういう風に言うけどでも結局最終的にはなんか狙いに行き出すわけよだんだん。物語見えてくるみたいな感じでなるんだけど。
だから監督今回の監督は半分はそうなんだと思うんだよきっとドキュメンタリストとして監督としてっていう感じなんだけどやっぱりでも半分はやっぱり家族を撮っているんだよな。
家族を撮っている弟なんだよな。 そう家族の一員だもんな。
だからある意味で映らないはずのものみたいなのが映ってるみたいな。映っちゃいけない。映っちゃいけないって言ったらあれなんだけどでも明らかに映してほしくないようなことみたいなのが映ってるんだよなっていう風に思って。
例えばどういうシーン? いい意味でも悪い意味でも生きる力っつったのと通じるんだけど映っちゃってるっていうのが。
例えばシーンで言うとお母さんを監督がちょっと攻め立てるじゃないけど、良くなってないじゃないかみたいな感じでお母さんに単体でインタビューみたいにしてカメラ向けてるやつがあって、
あそことかでお母さんが言うわけよね。だってお父さんが言ってたのであれば通りであればっていうか、言ってたっていうかそうなんだっていうことで喋ってるんだけど、
診察の最初の発症の時の診察で連れてってお姉ちゃんが全然ふざけてました、ごめんなさいって言ったんだもんとか言って言うのね。明らかに言ってねえだろうなって感じなわけ。
なんだけどそれ本気で言ってるじゃん。ある種その客観的に見てないわけ。家族の中での会話だから。で、不在なわけ言ってみればお姉ちゃんが、にお母さんの理想が投げ込まれてるんだよね。
そう。でもこれ親密じゃないと起きないことじゃん。他の家庭の他の人のことだったらそんなことないんじゃないの。だって今すごい症状出てるしってなるんじゃねえかなみたいな。
客観的に見てるからってことだね。 そう。でも親密だから受け止められないわけでしょ。受け止められないっていうところに社会的なスティグマッチュか負の楽園が精神疾患に対してあるからっていうことではあるんだけど、受け止め、自分の我が子のことだから受け止められないから受け止めずに願望投げ込んでるわけだね。
でも多分そうしなきゃ生きれなかったんだろうなと思ったわけ。そういうふうにしないとお母さんは心が壊れちゃうっていう状態だったんだろうなって思うもんね。
お母さんもそうだし、お父さんもそういうふうに、お母さんから見てお父さんにそんなこと言ったらお父さん死んじゃうみたいなこと言ってるシーンがあったよね。
だからお母さんが、これで医療につなげと、つまり監督がずっと言ってるわけだけど、それはもうお父さんに死ねって言ってるようなもんだよって言ってるようなもんだとか言って、すごいあれも怖すぎて、圧が切実すぎて圧がすげえんだけど。
意味わかんないじゃん。お父さんに死ねって言ってないじゃんっていう、そこがつながってる理由がもうわかんないんだよ。
でもあれもだから自分の思いが心がお父さんに投げ込まれてるわけよね。つまりお母さんが死んじゃうって思ってるわけじゃん。
私に死ねと言うのかっていうのを、でもこれもやっぱり受け止めらんないから。受け止めて自分の思ってることだとすることができないから、それはお父さんを責めることになるからダメですっていう第三者的な立場を取ろうとするんだけど。
でもこれもやっぱりお母さんじゃないと死んじゃうっていうことでやってるなっていうふうに思うと、なんか超リアルな善悪じゃなくてね、いい悪いじゃなくてどうすればよかったかじゃなくて、超リアルな生きる力だと思うんだよなこれは。
うーん、なるほどね。そういうことか。自己規制的なものってこと? そうそうそう、言ってみればね。
心を保とうとする。みんなそれぞれそうやってたってことなのかな。 で、監督も監督で言うわけ。お姉さんに対して。
お姉さん、お姉ちゃんお母さんのことを恨んでるとか、お父さんのことを憎いとか、殺したいと思ってるとか言って言うのよね。インタビューでお姉ちゃんに部屋でカメラ向けて。でもあれもお姉ちゃんは不在なん、いわば。
うーん、そうね。その間にいるんだけど、コミュニケーション不全。 でも本当は監督自身が殺したいわけよね、やっぱり。し、憎いわけ。両親のことが。でもそれはやっぱり受け止めるのが難しいことじゃん。だからそう思ってるんでしょ?っていうふうに。
ああ、しようとしてるんだね。 そう、思ってるんだよねっていうことでつまり投げ込み続ける。 納得させようとしてるんだね、自分を。お姉ちゃんもこう言ってるしっていうことにしたいんだね。
そうそうそう。お姉ちゃんも思ってるって、ある種味方作るじゃないけど、自分が思ってるのかどうかわからんがみたいな感じにしたいんだけど。 みんなそれやってるんですね。
そう、みんなこれをやってて、そうなの。 お姉ちゃんかわいそうだよって。 でも、お姉ちゃんは不在なのよ。 なるほどな。
どうす?どうすればいいですかね。 病院に行けばいいんじゃないかなって俺は思ったけど。
医療の力
そうね。 いや俺だって、俺が一番やっぱりこの映画を見て、映画というかドキュメンタリー見て、一番感動したのは、やっぱり薬ってすげえなっていうことなんだよね。
そうね。俺もある種そうだね本当に。あれ結構びっくりしたよな。 びっくりした。
つまり今我々が言ってるのは、お姉ちゃんが3ヶ月で退院してきて、そして普通に会話ができる状態になっていたっていうのにかなりびっくりしたよね。
あれ何年経ってたっけ?発症してから。 発症して25年経ってんだよ。
25年経って、ついにもう病院だっつって。 そう、お母さんの認知症きっかけに。
行くしかないって言って行ったら、なんかテロップで3ヶ月入院して、会う薬があったので3ヶ月後に退院したって出て、バッて切り替わった瞬間に、
「えっ、お姉ちゃん?」っていう。 そう。
すごいわ、医療みたいな。 これはなあ。
こうすればよかったんだよって、そのままスクリーンに向かって言いたかったけど。
でもあるし、これまでの越し方見てるから、とは言えねえよなっていうふうになるよね。
この映画のどうすればよかったかっていうのはそこにかかってなくて、たぶん、でもできなかったっていうことなんだよな。
もう答えはあったのに、なぜそれが選べなかったのかってところにどうすればよかったかって、たぶんかかってんだろうなって思ったけど。
だってもう、結果が歴然と出てんじゃん、もうさ。
で、たとえ何十年前だろうと、みんな言うよね、たぶん。とりあえず病院に連れて行ったほうがっていう。
でもできなかった、受け止める時代もあったと思うよ。
まあね、30、40年前とか。
まだたぶん名前も精神分裂病だったろうしね。
そっか。で、家庭的にもすごい、お父さんも研究所からついてたんだっけ。
そうそうそう。研究員っていうのかな、ああいうのは。
医者の資格持ってるけど、基礎研究をずっとやってるみたいな。
だから、一応いろんな知識とかもたぶんあったんだろうけど。
いやでもね、いろいろ知識、やっぱね、いろいろ知識があるからこそ、自分の中で合理化しちゃうわけよね、たぶんね。
受け止めないために。受け止めないためだったら人間何でもすんだよ、きっとやっぱり。
どんなアクロバティックな論理でも、やっぱり組み上げちゃうもんで。
で、しかもこの人専門家だからっていうのと、昭和的な過不調性みたいなもんだよね。
によって、もう全く誰も文句は言えないみたいな。
し、お父さん、やっぱそれこそドキュメンタリーすげえなと思うんだけど、やっぱ悪い人にどう見ても見えないじゃん、あの人その。
俺がこの映画見て思ったことの一つが、最終的にそのお母さんが先に亡くなっちゃって、
で、まあお姉ちゃんもね、その後肺癌かな、なんかで亡くなってしまって、残ったのがまあその監督、弟の監督と、
そのお父さん。お父さんがすごい長生きしてね。で、最後インタビューして終わるっていう形だったけど、
あの一家の、お姉ちゃん発症してからのその家族の様子をずっと見ていって、その家族の中の視点で見ると、
そのお父さんが一番やっぱまともに見える。 ほんとそうだよ。
その事態にちゃんと対処して、で、それこそお姉ちゃんがその外に出てったら危ないからとか言って、
軟禁状みたいなかけて家から出ないようにするって、まあその引いた目から見たらどうなのかってなるんだけど、
あの場にいたら多分それが正解っていう風になるし、一番落ち着いてるのはお父さんじゃん。
だってあの軟禁状の話とかさ、予告編とかでも出てきたじゃん。とんでもねえことになってる家なんだなっていう。
もう大崩壊、もう大変な地獄シュラバがここにっていう感じの、だから見に行くの辛いなと思って見に行ってみたら、
全然なんか小本能なお父さんが、しかもすごくお母さん時々感情的になっちゃったり先走っちゃったりするけど、
お父さんは冷静にねえみたいな、大丈夫大丈夫みたいな、ビールにイカリンゴも入れるよねえぐらいの感じになってるわけよね、お父さんだけ。
その中の視点から見たらお父さんが一番まともに見えるし、健康そうに見えるんだけど、
お母さんとか結構ね、それこそちょっと取り乱したりとか、最終的には認知症みたいな発症して、
言っていることがわからなくなるみたいな、あるし、言ってみればこの監督だって、
お姉ちゃんがわーわー泣き叫んでる中、カメラをずっと回し続けてるわけじゃん。
それも普通のことではないよね。
っていうか、ある種異常な精神状態だよな、それもな。 そうそうそう、それもたぶん残さないとっていう。
それで、無理矢理病院に連れて行くとかでもなく、その場でずっとそれをひたすら撮るっていう。
で、お母さんとかお父さんを説得したりとか話したりするっていうのも、まあ並大抵のものじゃないと思うんだけど。
ってなった時にお父さんだけすげえまともに見える。
で、お父さんだけすげえ長生きするの。
それが、結果的に一番やっぱり病んでたのお父さんじゃないって、俺最後まで見て思ったよな。
不在の回復
中心にいたよっていう。
だからどうやらパンフレットとか読むに、やっぱり最初お姉ちゃんが発症して真夜中に叫び出したりとかした時に、
お父さんその時ね、単身不妊でいなかったんだって。
で、お母さんがでも親戚の人とかと相談して、病院に夜、夜中救急外来みたいに連れてって、
で、翌日お父さん戻ってきて、精神科の診察一応受けたんだね、あれは。
受けて、でも連れ戻してなんともなかったって。
お姉ちゃんは受験のストレスで、我々がプレッシャーをかけすぎたから、糖尿症の不利をしていただけだった。
だけなのであるっていう。
で、これはもうさっきのセリフでもあったけど、お母さん伝えたのかわかんないけど、困らせてごめんなさいみたいなことを、
診察の最後に言って、にこって笑ったんだみたいな感じになってるっていう、一番病んでるよね。
ある狂気的な振る舞いの中で落ち着いてるっていうことが一番病んでるよね、やっぱり。
そう、だからお父さんと比べると、お姉ちゃんの方がやっぱり結果的には病んでなかったっていうふうに見える。
確かにな。
なんかすげえ台風の面みたいで、ちょっと怖かったんだよな。
そうね。
ある種、精神疾患って大体全部そうだけど、結構突拍子もないわけ。
そんなに理由とか因果関係とか、あるようでないし。
解明もされてないよね。
あるってこじつけようと思えばいくらでもこじつけられるしっていうことになるけど、
それでも理由があってっていうふうに物語にしていくっていう直し方みたいなのもあるけど、
お姉ちゃんの薬があったら3ヶ月で退院してきたっていうのも見ればわかる通り、やっぱり脳機能の異常でもあるわけよね。
特に精神病にくくられるトコシチョショとか、柔道の躁鬱病とかの人だったら。
っていうのに比べたら、やっぱりお父さんの狂い方の方が闇が深いみたいな。
だってこの映画って結構字幕とかもあんまり出なかったりするから、
お姉ちゃんは結構ずっと喋ってたりとかして、みんなの会話が、他の家族の会話とか聞き取りにくかったりするけど、
録音環境もそんなに良くないじゃん。
だから俺もちょっと一回見ただけで、ちゃんと全部受け取れてるのかがちょっとあやふやなんだけど、
お父さんはお姉ちゃんが発症した後も、医師免許みたいなのを取らせようとしてたってこと?
だね、そうだね。
結構長い間、ずっと試験を受けさせようとしてたんでしょうね。
のようだな。で、それの代わりに、うんうんみたいなこと言ってたよね。
占い本を実施費出版するみたいなやつとかって。
そうそう、それがそれだ。
それが当たり前のように語られるんだけど、
最後の最後もさ、そのお姉ちゃんが亡くなった後の葬儀の時とかに、論文がどうとかみたいな。
お父さんが。
今書き途中ですが、みたいな。
書き途中ですが。
怖いっていう。
お前マジで言ってんのかみたいな。
まだ言ってんのか論文のこととかっていうのとかもあったし、なんか異常なことなはずなんだけどなっていう。
でも繰り返しになるけど、劇中ではお父さんが一番、お父さん見てると一番落ち着く気分になったよ、なんか。
そうだね。
穏やかな人だなっていう。
いやだからこれが現実なのよね、きっとね、ほんとに。
あるんだろうな。
で、劇映画じゃん、こうは描けないでしょ。
っていうか、描くと思うよ、描けると思うし、描いてるようなのもあるだろうと思うんだけど、ここまではできないじゃん。
すごいよなと思う、ドキュメンタリーのこの力みたいなのが。
お姉ちゃんが可愛いんだよ。
そうね。
青薬があって、ある程度喋ったり意思疎通ができるようになってからのお姉ちゃんのピース姿とかね。
そう、ちょっとおどけたポーズ撮って写真撮ったり、写真撮ってみたいな感じで言ったりとか。
あのね、もうね、生きる力にも通ずるし、なんか不在だったみたいな話にも通ずるとこなんだけど。
だからさ、都合失調症だったわけじゃん。
なんかこう、ある種自我が保ててない状態だったわけで。
そういう意味で、お姉ちゃんは不在だったと思うの、ずっと。
で、でもさ、戻ってきたわけよね、お姉ちゃんが。
帰ってきたのよ。
いなくなってたお姉ちゃんが。
医療につないだら、何のドラマもなくっていうかさ。
あっきらかんとね。
そう、あっきらかんと、ある種戻ってきたら、すげえ明るくていいやつっていうのに、
なんていうの、そこにもすごい変な感動を。
てか普通に感動したんだけど、俺は。
だってずっと怒ってたもんね、発症してる時とかね。
それがあんなに穏やかになって。
ある種だから、よく言うじゃん、集団でストーカーされてるような気がするとかさ。
気がするっていうか、完全にその世界を生きてるわけだけど。
常地症状のね、症状として。
それを被害妄想的っていうふうに言ったりするわけよね。症状だから。
その状態のその人もその人ではあるんだけど、あえていなかったっていうふうに見えたのよね、俺には本当に。
不在だったので、その不在の中心をめぐってずっと家族たちが、
全然意味のないあたふたをずっとやってるわけよね。
全然意味のないいがみ合いをずっとやってたりとか。
で、なんかその不在の中心に向かって理想とかを投げ込みまくってるんだけど、
不在なんだから全部ブラックホールみたいに。
てか通らないわけ、そんなことは通らないっていう。
どれも真実ではないよな。
そうなんだけど、ある不在だった主みたいなのが復活したら非常に快活で明るかったっていうのは、
人間の愚かさみたいなのがもう丸見えになったみたいな感じがしたのよね。
何やってたのこれっていう。
どうすればよかったのかというよりは、何をやってたんだろうこれはっていうことになるよね。
でもそこが何なんだよっていう気持ちと同時にすごい救いになったなと思って。
なんでもなかったんだなみたいな。
姉の復帰と生きる力
本当になんてことない問題だったんだっていう。
戻ってきたお姉ちゃんは、症状があった期間が大きかったからっていう脳機能の問題とかもあるだろうけど、
これも俺が理想を問いしてるだけかもしれないけど、何も気にやんでなさそうなのよ。
なんか気にしてなさそうじゃん。
これまでの人生を振り返って、私の人生何だったんだとかそんなこと考えてなくて。
楽しく花火見たり、写真が好きになったんだろうね多分。
いっぱい写るんですみたいなやつで撮ったり、iPadみたいなやつで撮ったり、お父さんのことも撮ったりとか。
そういうふうにしてて、すごい今を生きてるって感じがするのよ。
どうすればよかったかとかじゃないのよ。
今、生きてるっていう感じ。
たぶん楽しさもある。
普通に人生だから辛いこともいろいろあるとは思うんだけど、
不在の中心が帰ってきたら、今を生きている人で、
周りだけただただ神経症的に意味のないゴタゴタを、もやもやを、うだうだをやっているっていう、すごい視察的だと思うんだよね。
お父さんとかお母さんに対する恨みみたいなもん別になさそうだしな。
あれはあるようには見えないよね。
やっぱりどう見ても。
穏やかな。
心の葛藤とドキュメンタリーの力
そういう部分をカットしてると絶対覚えないし、監督が。
神話みたいだなと思ったのよな。
俺も一個、これ勝手な見立てじゃないけど、
俺も結構うわって思ったのが、たぶん本当に偶然なんだろうと思うけど、
お姉ちゃんが病院に行くまでと、戻ってきてからって、
カメラのアスペクト比変わるんだよね。
そうだっけ?
横に長くなる。
開けるんだ。
開けんの?
たぶん4対3か16対9になっただけなんだけど。
機械変わってる。
ってちょっと思ったっていう。
こっからが本当の世界っていう。
なんていうの、これはまあね、あなたも言った通り勝手なあれだけど。
勝手なあれなんだけど。
ドキュメンタリーってそういうことだからな。
映画全国ではそうなのかもしれないけど。
うわって思った。
ぴったり同じタイミングだったかはちょっと、はっきり1回しか見てないから思い出せないけど、たぶんほぼ同じタイミングだったと思う。
それでびっくりするぐらいには同期してたっていうことだよね。
切るんだよこういうのが本当に。
その開けた綺麗な映像でさ、これからある種第二の人生というか、余生とは言わんなっていう感じでお姉ちゃんが生きていくんだろうなって思ってたら、廃願で結構しかも進んでいたっていう。
でもそれでもなんていうかな、でもお姉ちゃん明るいじゃん。
見ててすごいさっきも言った通り、それこそ生きる力にあふれてるわけ。今を生きているっていう。
健康っていうね。
そう、本当に健康。
心が健康だから。
全然俺らより健康だし、あの家族の中で一番健康なのよ。
俺も一緒に住んじゃねえよ。
ごめんごめん。これはもう願望のね、こいつもきっとそうなんだろうっていう投げ込みがあったんだけど。
健康だったらすごい見てて楽しくなってきたのに、なんかすごいしたときにとんでもない時みたいだなみたいな。
いいなあ、来てよかったなみたいな感じで見てて、したらフリーマーケットみたいなとこ行くじゃん。
たぶんあれ、俺札幌住んでたからあそこだろうなって感じなんだけど。
ドームみたいなとこだよね。
そうそう、ツドームっていう、時々フリーマーケットとか大規模なやつが開かれる場所があって。
で、そこでお姉ちゃんがタタタタってすぐ行って、パッって占いのさ、おみくじ入ってるのかなあれ、なんかよくわかんないけど。
2枚ぐらい、2袋ぐらいパッって取って。
で、自分で買って、袋入れますかとか言って、入れますとか言ってお金払ったら、こういういわゆる生活機能も向上し、リハビリ的にうまくいきなのかなとか。
で、お姉ちゃんが好きな趣味の占いのこととかができるようになったんだなーって見てるときに、はっと気づいて。
あ、お姉ちゃんめっちゃ汗できてるって思ったの。
その瞬間から涙止まんなくなって。
あの、死んでほしくないってなったの。
嫌だっていうふうに。
いつの間にかものすごい思い入れがお姉ちゃんに発生してて。
で、あんな明るいんだから、ガンのこととかもしかしたら俺忘れてたかもね、あのシーン見てたときに。
そういうシーンに見えないもんな。
でも明らかに、結構福良かだったお姉ちゃんが、明らかに痩せているってなったときに、ただただ涙が止まらないみたいな感じになって。
でも別に俺この人不幸だと思ってるわけじゃないみたいな。
むしろ、ありがとうと思ってるぐらいなのに。
でももう悲しくてしょうがない。
死んでほしくないって思ったわけじゃない。
普通に人に対して。
あったこともないのにね。 そう。
もうこれすごいことじゃん。
やっぱりドキュメンタリーの力であり、映画の力であり、何よりやっぱり人の力なんだよね。
これを存分に浴びて、でもじゃあ良かったねって話では全然ないし。
これどうしたらいいんだっていう感じになる。
でもなんかありがとうっていう感じにもなるし。
でも別に本人はそんなつもりでもないわけだしね。 ないだろうね。
元気な姿をみんなに見せるみたいなわけで、映ってるわけでもなんでも。ただ普通に生活してるわけだし。
それこそ元気な姿をみんな見てくださいっていうのもある種神経症的じゃん。
私が病から、特に精神の病気とか多いけどさ、病から立ち直ったら本出したりとかさ、自分がYouTuberになったりとかさ、それこそ占い師になったりとかカウンセラーになるとかっていう。
あなたは本当に健康になったのかって言って、俺は言いたくなるけど絶対言わないけどそんなこと。そんな意地悪は。
あなたは本当に健康になったのかっていうタイトルの変ドキュメンタリー映画を作ればいいと思うよ。
でもまあこれも家庭だよな、俺もカウンセラーになりたいとか思った時あったもんなとかいう感じになったりするけど、そんなことはもうお姉ちゃんは多分これも俺が理想を投げ込んでるだけかもしんないけどね。
本当はめちゃくちゃカウンセリングとかやってたかもしんないけどね、お姉ちゃんが。なんとないと思うけど。
占い師をやってたかもしれない。 占い師はやってただろうな、でもそれは好きだからだもんな。
占いってあれだなと思ったなんか。ずっと多分、卒業した時は医師免許みたいなの取ろうとしてたわけでしょ。結構真剣に勉強してたっていう話だし。
そういうものから一番かけ離れたものじゃんって思って。 まあ確かにな。
解剖実験とかやり始めて、ちょっと様子がおかしくなったみたいなことが入ってたような気がする。 ああ、言ってたね。その辺りだったっていうふうにね。
占いっていうのにのむり込むっていうのはすごいよくわかるなって。
いやでも、それも別にそんなこと、これもすげえ因果関係的じゃん。悲しい解釈じゃん。
だから映画の冒頭にさ、この映画はなぜアネが発症したのかとか、なぜこうなったのかについて言及する映画ではないってテロップで出るじゃん。 出たね。
家族の反応と現実の受け止め
あれ見た時に、そう言われるとそう考えちゃうなと思いながら。 ああ、なるほど。キリンさんのことは今から考えないでくださいっていう。
ああ。でもあれもだから矛盾してるんだよね。でもどうすればよかったかって言ってんだもんね。
そう。だからそういう目で家庭環境のこととか、どうしてもふと気づくとその目で見てたりとかして、でもいかんいかんってなるわけ。最初にテロップが入ってるおかげで。
そうじゃないって、たぶんこれ作った人は弟さんはそういうことを問いたいわけではないんだっていうことで、それを振りほどきながら見てたんだけど。
なんかそういう因果関係みたいなのをどうしても探しちゃうっていうのは、その思考って結構お父さんとかの視点と同じなのかなとか思ったりもするよな。
だからお父さんはこじつけたわけよね、ある種。
納得させようとしたわけだっていうね。
そう、自分も他の家族も、ある種だから騙しをせようとしたみたいなところもあるし、象徴的なのはそういう意味で言うと、やっぱりお母さんが日常になって妄想の症状が出始めたわけよね。
怖かった。
怖かった、本当に。
もう何の話をしてるか分かんなくなったもん、俺だって途中で。なんか本当に誰か来てんだと思ったもんっていう。
いや俺もそう思った思った。
泥の上に入ったっていう話があれなのかな。どうやらだから、午後5時と朝5時ぐらいに、深夜かな、なんか忘れてたけど、とにかく悪い人がお姉ちゃんの部屋に入ってきて麻薬を注射しているっていう妄想なわけよね。
ああ、そういうことね。
これも納得させようとしてるじゃん。これは残念ながら威嚇関係あるなって思わざるを得ない妄想の出方っていうかさ。
うん。
妄想っていうか、まあ願望だよね。だからたぶんある日お母さんは自分を責めてたんだろうし。
うん。それもある意味その生きる力ではある。
そうね、だからやっぱ心がぶっ壊れるくらいだったら何でもするぞっていうことなんだよね、きっと人間って。
うん。
でも心ぶっ壊れたように見えたお姉ちゃんが全然ぶっ壊れてなくて、普通に脳機能障害でしたっていうこうさ。
で、薬飲んだら治って戻ってきて、で楽しそうに生きたというのがなんか対比がすごいんだよね。
うん。
うん。
確かに。
そう、俺もだって最後亡くなったっていう場面で、これもなんか俺の心守るじゃないけどさ、亡くなったっていう場面でピーってなっちゃったじゃん。
深淵 うん。
神殿像みたいなやつが。あの瞬間も監督がね。
撮ってたよね。
何とか収めたんだと思う。何とか撮らなきゃってことで撮ったんだと思うんだけど。
ピントが合わないようにしてたけどね。
うん。俺あの時お父さん亡くなったってなんか思ったのよ。お父さんが亡くなったんだな今っていうふうに。
うん。
割と普通にすんなりそう思って。
うん。
でもそうじゃなくて、でまたこう泣けてくるみたいな。
うん。
でもなんかそれでまたお父さんが最後もしゅとしてさ、スピーチみたいな、お前もさっき言ってた医学省論文をちょっとまだ書き途中ですがみたいな。
でもその時に娘はそんなに悪い人生じゃなかったんじゃないかなと思いますっていうふうに言ったのねお父さんが。
うん。
それも俺、いやきっとそうなんじゃないかなって思ったのよなんか。
うんうん。
いや幸せだったのでは、え?みたいな、え?っていうあの。
うんうん。
難しいとこだけど、でもそれもさっき言ったその生きる力っていう意味ではやっぱりそのどうしても受け止められない現実が起きて。
うんうん。
それでも生きていくためにその都合失調症みたいな発症するみたいなこともあるのかなと思って。
ああ。
お姉さんの病気と家族の関係
どうなんだろうもうわかんねえんだよな、もうなんとでも言えるじゃん。
そうなんだよ。
でぶっちゃけ俺はそのいろいろ自分が発症したことがあるっていうか身としてそのどういうことなのかっていうのは基本的な因果関係とか原因と結果でなぜこの症状が出てるのかみたいなのはカウンセリングしてもらったりする中でもう大体のお話はもうしてしまってるけど、俺は。
そうなんだね。
そう。
お前は別に都合失調症ではないけど。
そうまあ神経症レベルだと思うんだよね、おそらく。
まあ別にレベル高い低いあるわけじゃないけど精神病の域にまでは行ってないよなとか。
かといって別にだから全員がそういうふうななんか因果関係がとか原因と結果がとかこの症状は何々の現れでみたいなのではないはずだしね。
全員がそうではない。
し、言おうと思えばいくらでもできる。
そう言おうと思えばいくらでも言えるんだよ。言う方がいい場合はあるから俺はやったわけだけど。だし俺はそれで納得はしているが。
うん。お姉ちゃんはどうだったんだろうな。自分でそういうことまで考えたりしてたのかな。
いやでもなあわかんないからこそ原因があるかもしれないって思うからお父さんとか隠したわけでしょ。
自分の育て方の問題だってなると世間がっていうふうに、昭和日本の世間の時代だよね。
自分たちのせいってことだよな。
いやでもやっぱり病院行った方がいいっていうのは本当に笑いごっちゃなくて身も蓋もなくてこの通りなんだよな。
監督もね書いてるわけよパンフレットのさ、ディレクターノートみたいなやつの最後のところだけちょっと読むけど、もう最後の最後だけでいいや。隠したり閉じ込めたりしたらその先は袋工事です。それだけは確かですって言ってるのよ。
もうそれに尽きる病院行くしかないんだっていうことなんだけどね。
ろくなことないよな隠したり。隠したり見て見ぬふりみたいなのって。
いやでも最後にそのお父さんと監督の対話みたいなシーンがあるけどさ、これ一応お父さんにも許可取るっつって、他の人にこの映像まとめて見せようと思ってるけどいいって言ったら、それはいいっていうお父さんが、
なんかある意味いろんなものを認めてるようにも見えたなっていう。だって隠したくて認めなかったわけでしょ。それを他の人に見てもらっていいっていう、はっきり自分で選択をしたっていうところにちょっと俺は希望を感じたけど。
だって絶対嫌じゃん。 そうだな。絶対嫌なはずよな。てか一番嫌なはずないよな。
なんかそれがそのお父さんがそのお姉ちゃんを軟禁状態にしてずっと家でお父さんの言う通りにこう生活させて症状が改善したと必ずさ、見てくださいって言えるかもしれないけど。
どんどん書きます。そうね。
だけど、そうじゃなかったっていうのはもう身に染みてわかってるはずじゃん。だって薬飲んであんなに変わったんだろうっていう。
そうね。
あの時にそれはいいよって言ったのでちょっと俺は救われたかな。
なるほど。俺はでもなんかそこ切なかったな。それこそ今日のこの議論もそうだけど、やっぱりお姉ちゃんを中心としてっていう話だったじゃん。
なんだけど、あそこでやっぱり弟としての監督と父親の距離感みたいなのが見えた感じがして。やっぱりお母さんにはいろいろ言ってたりしてたじゃん。
誰が?
監督が。インタビューとかで。
そうね。1対1とかでね。
だめだってもうはっきり一人じゃんみたいな感じで言ったりとか、かなりシリアスでシビアな踏み込んだ話し合いをしてたわけよね。まあへこせに終わっちゃったことではあるんだが。
お父さんとはそういうのがほとんどなく、最後インタビューするんだけど、やっぱりなんか距離があるし、本当は言いたいと思うんだよね。
言いたいんじゃないかなと思ったよね監督。一番お父さんに言いたいんじゃないかなって思ったのよ。結局お母さんが認めたくなかったからみたいな感じで言ったじゃない。だから連れてかなかったみたいな。証言が矛盾してるわけじゃないですかこれは。
そこ着きたかっただろうし、なんなら着れたかったんじゃねえかなと思うわけ。まあわかんないけどね。少なくとも過去には着れたかった時期があったんじゃないかなと思うんだけど、でもこれで踏み込めないっていうことに、
あの監督自身のこの家庭での立ち位置っていうか、寄るべない感じっていうか、居場所がなくて、特にお父さんとうまく関係が築けなかったんだろうなっていう。ある種だから家族みんなと関係がうまく築けなかったから、カメラ回すしかなかったんだよね。
それは突拍子もないように見えるかもしれないけど、でもなんかわかるんだよね、なんかその感じが。
コミュニケーション不全だったんだよな。あれがある意味多分監督のコミュニケーション取り方の一つだったのかもしれないってことだね。
カメラの役割
そうじゃなきゃね、もう繋がり続けるの無理だったんじゃないかなと思うんだよね。ある種本ビデオでもあるけどもドキュメンタリーとしてっていうか、なんか残さなきゃいけないっていう映像のディレクターとしての、ドキュメンタリー何本も撮ってらっしゃる方みたいだし。
なんかその使命感みたいなのも含めてじゃないと、一回逃げ出してるわけだしね。
そうね、それも見てみぬ振りではあるしな。
でも逃げたくないしっていうので、やっぱカメラで撮る。しかもそれを完成させるのがすごいよ本当に。
何年かけてんだよって話でもあるし、いろんなもうライフステージ減ってるわけじゃん監督だって。
いやでも、やり直せたんだよでもやっぱり監督も、ある種ね。
なんか不器用だし、ある種暴力的な形ではあるんだけど、なんか監督の中での家族関係を納得するというか飲み込むためでもあったんだろうし、カメラ回してなかったらもうお父さん何も聞いてなかったかもしれない。
いや良かったよ、どうすれば良かったかじゃなくて良かったよっていう。
でね、でもやっぱ言い訳ねえだろっていうのも思ったりするしね。
あるよね。
本当にね、だから本当にすごいドキュメンタリーだったよ。こんなもん見たことないよ。
ちょっともう一回ぐらい俺もちゃんと見たいなって思ってんだよな。
そうね、見たいんだよな。
お前ドキュメンタリーで繰り返し見たいって思うことないんだよ。
ああそう、だとしたら出会えて良かったね、これね。まあ俺が見てって言ったからだからね、これはね。
まあそうだね、それに関してはちょっと否定。見て見ぬふりで血を止めればできる。全然俺はそもそも最初から見に行くつもりだったから。
いやいやちょっと合理化しちゃってるわね、全然ね。
いやでも唯一俺がちょっとすごい気になったのは、監督の若い頃の写真のあの髭がちょっと面白かったっていう。
いやだからもう写っちゃうんだって、ドキュメンタリーにはそういうの。
あれはもう若気の至りだよね、本当に。
あれはあの写真を載せようと思った監督はどういうつもりだったのかちょっと気になるよね。
いやいやもう、ないよ、写っちゃったんだよ。若い時は。
写っちゃったんだ。
格好良いと思ってたんだよ、あれを若い時は。
で当時の写真が、
そうね、なんかまたシリアスめに戻っちゃうのもあれなんだけど、当時の写真とかはもう全部捨てたんだって監督。
だからあれしかなかったんだ。
そうそう。
スクリーンショーみたいなやつか。
そうなのよ。
そういうことか。
そう、これまでのことを、ある時点でこれまでのことをもう振り返りたくないっていうことで、自分で持ってた、自分の写真も含め、全部捨てたんだ。
ってよ?
だからあれは貴重な写真なんです。
あれしかなかったんだね。
そう。
じゃあまあ許してあげてもいいけど。
そう、だからあれしかなかったんだっていうキャプションが付くんだな、あの写真に。
そうか、あれしかなかったんだ。
そうね、俺なんかねえかな、引っかかったとこっていうか。
分かった分かった。
いやでもあれはやっぱ普通に面白かったなっていうのは、シリアスなトーンじゃないですか、ずっと。
で、お父さんがもうちょっと、お父さんも病気っていうか足悪くちゃうんだな、確か。
で、食事は早起きが得意な姉が担当することになった。
ああ、あった。
なんかこう洋風ブレックファーストみたいなやつが来てんだけど。
綺麗な姉ね。
時計に。
後半したら深夜12時みたいな。
そう深夜12時、早すぎるわっていう。
あれは狙ってんじゃねえかなと思ったんだけどね。
普通に薬と来たっていうかさ。
早起きてっていう。
なったよなあ。
確かに俺はやっぱり、そういう薬と笑えることもいっぱいあったんだろうな、きっと本当は。
不思議と俺は、お姉ちゃんの葬儀のシーンはね、悲しさはあんまなかったんだよね。
なるほど。
確かにちょっと泣いたのは泣いたんだけど、あんまり悲壮感みたいなのなかったな確かに。
いやだからあれなんだよな、俺もさっきはないまぜになってたっていうのを、ないまぜの中の一つをリカップすると、
やっぱりなんか、なんちゅうの良かったなっていう気がしてしまうっていうさ。
外側の人間から見るとかっていうあれだけどね。
脳天気のあれなのかもしれないけど、でもなんか、やっぱ人の人生って肯定されるものだよな、基本的にってやっぱなんか思ったしなあ。
極悪人とかだったら別なのかもしれないけどさ、でもなんかそんなミミッチーな話じゃねえような気もするしさ。
分かりません、分かりませんっていうタイトルにするかも。
どうせばよかったか、分かりません。
ぐちゃぐちゃですっつってもう感情が。
いやでも本当にいろんな見方ができるよ。でも本当に病院に行こう。
そうね、いや普通に俺も思う当事者としても本当。
奇跡だよあんな普通に、お姉ちゃん戻ってくんな。
そう、そうなのよ。
ちっとも恥ずかしいことじゃないよっていう。
そう、意味ないことでわたわたするのもやめようね。そして不在、なんか全く空虚なことを巡ってわたわたするのもやめようね。空虚になんか変な意味とか思いとかむちゃくちゃ投げ込み続けるのもやめよう。病院に行こう。
病院に行こう、行って行こうみたいなさ。みんな病院に行こう。
映画館にも行こう。
映画館にも行こう。こういう素晴らしい映画がかかってんな。病院に行こうって教えてくれる映画がね。
そうなんだよ。だから先に映画館に行こう。
そしたら。
いや任せるわもう。