本当にね、できる日が。
しかも、こんなに作品見て語りがいのある作品の監督に話し聞けるっていうことで。
いろんなこと聞きたいなっていうふうにやっぱなって。
そうね。今回もオン試写で見させていただいたんですが。
それ忘れてたわ。
オンA24さんの作品を、イカ同文というか省略で。
イカ同文、イカ省略で。
試写で見させてもらってね。これは面白いと。
というか、深めるシーンまでやるしかないというような作品よね。
本当に深めがいがあるなっていうね。
深めしろ、俺らの専門用語をね。
これ深められるなって。
業界人だから我々も。
まあまあまあ、おふざけはあれだとしても本当に短いインタビューだったけども、なるほどって感じになった内容でしたね。
ありがとうございます。
いやいやいや、さすがですよ。インタビュアーさん。
ありがとうございます。
インタビュアーさん。
いやー、そんな本心のトリビア改めインタビュアーのインタビューがどこで聞けるんでしたっけ?
それはね、やっぱね、ポッドキャストのね、深めるシネマで聞けるらしいですよ。
マジかー、最近あのちょっと久しぶりにっていうか、ほぼ初めてぐらいにエゴサしまして。
深めるシネマ。
おーマジマジ。
エゴサしたら、すごい嬉しいことに、どういうポッドキャストいけばいいかなーみたいなので、友達同士でどのポッドキャストっていうので、深めるシネマあげてくださってた方がいて、本当にありがとうございますっていう感じなんだけど、深める映画ってなってて。
惜しいっていう。
ほぼそうなんだけどね。
概念としては合ってる。
そうだよ。われわれ日本人なんだから、やっぱ変えてく?深める映画。
深める映画。
で、なんか他のお友達が、っていうか、どういうポッドキャスト聞けばいいかなっていう風に聞いてらっしゃったアカウントの方が、深めるシネマで出てきたけどこれで合ってる?みたいな感じで。
おー。
それだ!みたいな感じになってて、訂正までできて、何も俺はだからすることがないなっていう。
ありがとうって思ったっていう感じでしたけどもね。
エゴサしよう、俺もちょっと。
ね、ちょっと。そんな深めるシネマの歴史に。
やりにくいなー、なんか今日。
まあ、頑張ったんだけどっていう。
まあ。
だからね、最終的にやっぱりこの深めるシネマでこの映画取り扱いたいなって思ったんだけど。
もうその、まあ2ヶ月ぐらい前からいろいろ準備したりしてて、監督のインタビューも結構早い段階で終わって。
で、まあXの方ではトリビアウィークみたいな感じでちょっとコラボさせていただいて、映画と。
やってますねー。
そのトリビアみたいな情報をもうガッツリ調べて投稿してみたいなのやって。
ね、リツイートしてください。
小っちゃい声でリツイートしてください。今です。
サブリみたいな。
いいねとリツイートよろしくお願いします。
で、それやり尽くした今なわけ。
どうもね、もうなんかお疲れ様ですっていうね、こう。
もうなんかね、やり終えた俺っていう。
今からこれ撮るんだけど、なんかもうやり切ったなっていう感じの状態ですよ。
いやー困ったなー、アフタートークのみみたいな感じのこの。
もうだって死ぬほど映画も見たし、いろいろ考えて。
その質問内容考えるのもさ、やっぱり大変だったしね。
その何を聞こうかみたいな。
そうねー。
なのでまあ、もちろん今回もネタバレ全開で映画の内容の話もするし、
監督とのその会話に関しても、映画の内容について触れているので。
うん。
まあ、わかってますよね皆さん。
皆さん。
まずここで見てない人は停止ボタンを押して。
映画館に走り。
A24の方角を向いて、二拍一礼。
しかももう日本人なのかな、私本当に。
再敬礼で映画館に走り。
A24の新作、顔を捨てた男のチケット3枚くださいっつって。
そしてパンフレットね。
パンフレットも3冊くださいと。
そうね。
ただただ3冊買うだけにしときますんで。
まあ、ちょっと楽しみにね。
トレイラさんも頑張ったんだから、ここはもうちょっと気合を入れつつ、
ザック・バランに面白かったこの映画についてしゃべりましょう。
しゃべっていきましょう。
過去を過去にできるっていうか、エドワードはずっとできてない。
できてないね。
この物語はタイプライターを渡しちゃったことの呪いだと思う。
スピンって結構物語家だなと思う。
これは本当そうよね。
いや、こういうの聞かれなかった男なの。
聞かれなかった。
揚げ出し豆腐って英語でも揚げ出し豆腐かなっていう。
ヒールじゃなくて本当に死が近づいてくるみたいな感じするのよ。
顔面セロシャンスターなのに。
顔面セロシャンスターってなんだよっていう。
より良い未来のために。
何党だよっていうね。
はい、トリビアです。
トモヒーです。
今回深めていく映画は新作映画、顔を捨てた男です。
はい。
7月11日、もうつい最近公開、日本公開の新作映画。
あらすじは顔に極端な変形を持つ俳優志望のエドワード。
隣人で劇作家を目指すイングリッドに惹かれながらも、自分の気持ちを閉じ込めて生きる彼はある日、
外見を劇的に変える過激な治療を受け、念願の新しい顔を手に入れる。
過去を捨て、別人として順風満帆な人生を歩み出した矢先、目の前に現れたのは、
かつての自分の顔に似たカリスマ性のある男、オズワルドだった。
その出会いによって、エドワードの運命は想像もつかない方向へと猛烈に逆転していく。
監督脚本はゴーダウンです。
チェーンド4ライフに続き、本作は長編監督作3作目になるアーロンシンバーグ。
出演は、本作でゴールデングローブ賞のミュージカル・コメディ部門主演男優賞を受賞した、
セバスチャン・スタン、レナーテ・レイン・スウェ、アダム・ピアソン等となっています。
まずは、僕が撮ってきた監督脚本のアーロンシンバーグさんへのインタビューなんですけど、
これを皆さんに聞いてもらおうかなと思うんですが、
その前になんと、当然インタビューなんで英語でしてるんですけど、
ポッドキャストなのに英語で流れてもしょうがないので。
そうね、困ったこと。
困った。
何より俺がわからない。
困った時はあいつだっていうことで、今回何度目の登場かな。
何度目の登場かな。
おそらく3、4度目なんだよな。
3回ぐらい。
1回目はあなたが寝込んだ時に大学でシルバニアファミリーの映画を一緒に見てくれて、
劇場版。
助けてくれて。
そして最近はシネマ嫌いを決定戦のSE担当してくれた津田さん。
はい。
コジラセ平成夜話の津田健一さん。
なんと現役の声優さんでありますので。
ありがたい。津田さんどこに住んでるんだっけ。
津田さんはね、どの辺だったかな。
言わないほうがいいよなってかっつう。
朝ヶ谷だったかなっていう。
違ったかな。
方角を。
津田さんに今回は監督役として吹き替えを担当してもらってます。
ありがとう。
ありがとうございます。
津田氏、津田氏ありがとう。
津田氏、感謝しております。
津田さんの見事な吹き替え技術も一緒にお楽しみください。
ぜひ。
どうぞ。
こんにちは、アーロンさん。
こんにちは。
僕の名前はちょっと変わってるんですが、トリビアと言います。
もちろん本名じゃないんですけどね。
日本で映画についてのポッドキャスト、深めるシネマをやっています。
今日はこうしてお話してきて本当に光栄です。
こちらこそありがとうございます。
こんな長いプレス日にもかかわらず、お時間を抑えてくださって本当にありがとうございます。
お疲れですよね。
ああ、大丈夫。何とか持ちこたえてます。
よかったです。
今回は約8分ほどのインタビューなので、質問は少しに絞らせていただきますね。
ええ。
それにもう何百回も着想はどこからとか、インスピレーションはと聞かれてると思うので、
そういう基本的なことはすっ飛ばして、映画の中身そのものについていきなり聞かせていただけたらと思っています。
何でも聞いてください。
ありがとうございます。
まずは物語を語ることというテーマについてお聞きします。
映画の中で、エドワードは自分自身の物語をうまく形にすることができずに、
最終的には自分の人生の物語さえ奪われてしまいます。
一方で、オズワルドやイングリッドは、自分自身の物語を積極的に形作って前へと進んでいくように描かれていると思います。
エドワードとオズワルドやイングリッドの違いは何だと思いますか?
言い換えると、エドワードができないことを他の二人ができる、その差はどこにあると考えますか?
ああ、すごくいい質問ですね。
正直、簡単に答えられるものじゃないと思います。
正直に言って、私にもよくわからないんです。
でも、映画が掘り下げようとしているのはまさにその部分で、
エドワードは他人が自分をどう見ているのかという認識に自ら縛られてしまっている。
つまり、彼に対する社会の反応を内面化してしまっているんです。
ただ、私はイングリッドとオズワルドをそれぞれ別の存在として見ているかもしれません。
イングリッドも社会の視線を内面化しているように私には思えます。
でも彼女の場合、それが違う形で現れているんです。
例えば、彼女の方が社会にもう少し受け入れられていたから、よりポジティブな形で出てきたのかもしれません。
じゃあ、オズワルドはなぜ自分のままでいられるのか?
それは私にもわからないんです。
彼が本当に自分のままでいることに満足しているのか?
それとも、それはある種の防衛反応なのか?
それははっきりとは答えが出ない問いだと思います。
でも結局のところ、それは問題ではなくなるんです。
なぜならば、重要なのはオズワルド自身ではなく、それを見ているエドワードの視点なのだから。
エドワードはオズワルドを見て、自分にはあんな風に生きることができないと感じています。
その差はどこからくるのか、それもわからない。
でもそれは、私自身の経験からきている部分もあると思います。
私には口外裂があって、顔の外見的な違いの中では軽い方だけど、それでも人生に大きな影響を与えました。
そのせいで、ある種のトラウマや性格の形成があったと思います。
一方で、オズワルド役のアダム・ピアソンに初めて会った時、彼はまるで自分を受け入れているように見えて、それがすごく衝撃的だったんです。
もしかしたら、私も違う人生を生きられたんじゃないのかと、自分の自己認識を見直すきっかけにもなりました。
だから、その違いがどこからくるのかは答えられないけれど、映画ではまさにその違いに焦点を当てています。
ありがとうございます。
次に物語を形作ることに関連して、タイプライターについてお聞きしたいです。
作中でエドワードがそのタイプライターをイングリッドに渡す場面がありますよね。
それは、彼が自分の物語を手放す象徴のようにも感じました。
自分の物語の決定権を人に委ねてしまっているように感じたんですね。
なるほど。
彼はなぜああいう選択をしたのだと思いますか?
正直、彼がなぜそうしたのかはわからないんです。
でも面白いのは、そのタイプライターとか、あと天井の穴もそうですが、よくこれは何のメタファーなんですかって聞かれるんですよ。
でも僕自身はあまりこれは○○の象徴だとかは考えながら作ってないんです。
あのタイプライターは実は私の家にあったもので、今もすぐそこに置いてあるんだけど、ずっと使わずに放置していて。
だからちょっとした罪悪感が出発点だったんです。
使いたいんだけどパソコンばかり使ってるなって。
そこから映画の中で語りの道具として使われるようになったんです。
天井の穴も実際に私の部屋にあった穴から着想を得たんですよ。
映画よりももっとひどかったですが。
そうやって生まれたものが後から物語上の意味を持ってくるんです。
でも私も映画を見返すと、あなたと同じようにこれは象徴的だなとか思うこともあるんですが、書いている時点では特に意識していません。
象徴的な意味があるとすれば、私の無意識の中から出てきたもので、脚本を書いている時には自覚できていないものなんだと思います。
なるほど、とても面白いですね。では次の質問です。
イングリッドについてですが、彼女は劇中でエドワードの物語のどのバージョンを語るかを選ぶ立場にありますよね。
それは社会の視点の象徴でもあるし、同時にあなた自身、映画監督や脚本家としての立場を投影している存在にも思えました。
個人的にあなたはイングリッドに共感しますか?あるいは理解できない部分や、むしろ苦手に感じるようなところはありますか?
うーん、強いて言うのであれば、私が一番共感しているのはエドワードかもしれません。
でもよく言われるように、登場人物っていうのはみんな作者自身の一側面なんですよね。
だから映画を見返していると、ああイングリッドにも自分の一部が出てるなと思うし、オズワルドにも同じことを感じます。
ありがとう。
お話できて本当に光栄でした。
どうも。
この映画の問いには、個人的にもすごく共感できて、この会話自体も含め、とても貴重な体験でした。
ありがとう。
また次回作でお話できることを願っています。
ありがとうございました。
はい、いかがでしたでしょうか。
いやー、聞き応えがあったんじゃないでしょうか。どうなんでしょうか、つって。
聞き応えあっただろう。
なかなかちょっと10分ぐらいの時間しかなかったんだけど、かなりガッツリ喋ってくれて。
そうだね。
ありがたかったですね。
まずは、ちょっとその、なぜこういう質問したのかみたいな。
そうね、もう短い時間だったから、ちょっとかなり絞ってっていうか、聞きたいところの確信部分を聞いたっていう感じだったわけよね。
トリビエさん改め、インタビュアーさんは。
はい。
割と手前の話はもう全部すっ飛ばして、ちょっとなんかこう聞いたらどう返ってくるかなみたいなのをちょっと聞いてみたんだけど。
最初の質問ね。
映画の中でエドワードが自分自身の物語をうまく形にすることができず、最終的には自分の人生の物語さえ奪われてしまう。
一方で、オズワルド・イングリッドは自分自身の物語を作って前へ進んでいくように描かれている。
この違いはなぜだと思いますか?っていうことを聞いたんだけど。
まず、僕がその映画を見て、一番最初に思い浮かんだ感想が、
エドワードとオズワルド・イングリッド。
監督がこのオズワルド・イングリッドは結構別の存在として見てるって言ってたけど、
やっぱりそのエドワードに対してオズワルドやイングリッドっていうね、2人がポンポンこう次に自分たちで進んでいくじゃん。
そうね。
よく喋るんだよね、やっぱりね。
エドワードは顔の手術をするまでもかなり内気な性格っていう感じで、
顔の治療が終わった後に一応性格も外交的になったようにも見えるんだけど、
外っていうね、人になった。
でもその状態で見てもやっぱりオズワルドとイングリッドってかなり過去を過去にできるっていうか、
そうね。
オズワルドに関しては本当にもうちょっとあんまり見えてこないんだけど、
でも元妻と子供がいるみたいなのとか、
まあその顔のことだよね。
同じようにエドワードと同じように顔に変形があるんだけど、
自分の顔を受け入れて積極的に前向きに進んでいってっていう。
全然そこに追い目とか、コンプレックスとかいわゆる劣等感みたいなのとか、
そういうのがもう、それ全部もう過去になりましたね。
過去の話も整理がついてますのでっていう感じに見えるし、
2人の話っぷりからすると離婚みたいな過去ももう済んだことですので。
今はいい関係になっていてっていう感じの後編で風船をポンポンするシーンみたいなさ。
楽しそうだなあ。
楽しそうだ、牧歌的だなっていう、何にも過去に対する後悔や追い目みたいなのが表面的には見えないんだよね。
片谷エドワードはずっとそれをさ、すげえイケメンの顔してるのに完全にストーカーになって見てるっていうさ。
探偵者みたいになっちゃう。
こいつ全然整理ついてねえなっていう感じが常にし続けるっていうね。
本当はもうどうでもいいことなの。
だって自分が求めたものが手に入ったから、過去の自分とそっくりな自分というか人が現れたとしても、
あれは過去のことっていうふうに割り切れる人は多分割り切れるんだと思うんだけど。
そうねえ。
それに執着してるし、イングリッドもすごく後半の方になるとさ、自分の過去を作った劇に対してあれはダサくだみたいな。
あれはもう無くなってよかったみたいな。次々みたいな。
しかもエドワードのこと言ってるからね。あれはピースオブシッドだって言ってるからさ。
ひでえ!みたいな。
本当に。
それを巡る物語だったんですけど、もう終わったことのようでみたいな。
次からもうLSDとファックが来ていかれるのですねみたいな。
あと恋人とかもさ、この映画の中で3人くらい変わるわけよね。
オーズワルドに出会う前に、エドワードの隣に住んでた時に男が部屋に来るシーンがあって、付き合ってたんだなっていう。
で、ガイと付き合い始める。
そしたら元彼が来るみたいな。
でもその時の対応も、もう終わったことだから、勘弁してよみたいな。
つらいっていうか、見る人が見たら、それこそ終わらせられてない過去のトラウマがバッと蘇りそうな。
もう終わったじゃない?
もう分かったでしょ?みたいな。
ゲームは終わったのよみたいな感じで、えー!っていうね。
で、その後、オーズワルドが出てきて。
オーズワルドと付き合って、子供で作ってるのかな。
で、その時もガイ、エドワードね、に対しては何の見れもなさそうだし。
普通に、ある意味優しさではあるんだけど、生活にウェルカムじゃん。
なんかそれって、たまに聞くけど、そういう人。
元彼同士が会うことを全然何も思わないみたいな。
それの極地をね、あれはね。
だって終わったことだしっていう。
ジメジメしたものがもうないみたいな。
いいね、ジメジメしたものっていう表現はいいよな。
だってこの映画ずっとジメジメしてんじゃん。前半とかね、特に。
なぜなら、やっぱエドワードスラッシュガイが主人公だから。
相手はジメジメしてるからっていうね。
そう。だからそこの違いがすごいはっきり表れてるなと思って。
ここに、エドワードがずっとジメジメしたままである原因があるんだろうなと思って。
断片がね、まさにね。
しばらくして全然そんなことはないってことは気づくんだけど。
もちろん、皆さんもご存知だった方がいい。
別に全然そんなことないっていうね。
これなんだよな。
なんか気持ちよくなってんだよ、ちょっと。やっぱりこっちも。
断片をエモで繋いでも物語にして気持ちよくなるっていう。
でも、これをだからさ、悪質だよねっつって。
ミイちゃんをそういうふうに見る人は、いや、悪質だよねっつって言えればいいけどさ。
同じじゃん。やるじゃん、なんか。
苦労人なんだな、この人はみたいな。
乗り越えてきているっていう。
勝手だよな。
そして、そういうのを問いされるときもあるしな。
されてるんだよ、たぶん。めっちゃされてると思う。
そこの素語がやっぱり他人と話すときにやっぱりなんかずれてるなって感じることはやっぱあるもんね。
そうねー。
認識が。
そうなんよなー。
逆にでも全然こう、なんていうの。
こっちから、こっちもうちょっと大変なんですけどみたいなときもあったりするしさ。
あるね、そうそう。
どうしたってずれるじゃん、そんな。
ずれるねー。そうなんよなー。
これは本当になんか、そのイングリッドのことを考えるとやっぱそれをすごい思い出して。
これなんでやってんのかなっていうのも結構気になって。
監督にも聞いてみたんだけど、わからないと。
わからないと。
ただ、監督もその答えてたように、イングリッドはイングリッドで、
その社会の視線を内面化してる。
ように見えるっていう。
ように見えるって言ってたよね。
その発想は俺は最初映画見たときなくて、なるほどなーと思って。
お前が言うように単純に嫌なやつだなっていうふうにちょっと思ってたんだけど。
そこは何だと思う?お前は。
いや俺ね、でもいまいちそのなんていうのかな。
彼女はそんなに社会の視線を内面化…
てか、俺があんまり共感できないのかな、イングリッドに。
っていうことではあるんだけど、もちろんあれだよ。
教科書的にはっていうか、教科書なんかねえけど。
何の教科書?
いやだって彼女は売れない脚本家で、売れたいわけよね。
だから脚本家って名乗ってるけど、まだ一作も書いてない、あの段階ではね。
っていうので、初めてやる舞台もオフブロードへのちっちゃいところね。
冷房も聞いてねえようなところっていう。
そういう売れてないアーティストみたいな脚本家みたいなものに対してどういう目線が来るのかっていうのは、
なんとなく想像がつくし、それを内面化しちゃってて、
ひげもあるし、ものすごい必死になってるっていうのはある。
っていうのはなんとなく想像はできるよね。
でも嫌いだなって感じじゃないかな。
でもやっぱり嫌なやつではないと思うんだよな。
初めてエドワードに会ったとき、引っ越してくるじゃん、アパートに。
のときに、外で家具が入っていくのを見てるときに、
エドワードが階段から上がってきて、一瞬顔をパッて見るときに、やっぱびっくりした顔をすんだよね、イングリッドは。
顔に違和感を感じて、うっっていう顔をやっぱするんだけど、
その後、平然とどうぞみたいな感じになるんだけど、
エドワードが部屋に入っていった後に、めっちゃ落ち込んだ顔をしてるのよ、一瞬。
反省、やっちゃったっていう顔をしてるんだよな。
それを何回か見てたら気づいて、
やっちゃったかも。
で、それで多分心配になって、ちょっと悪いことしたかなと思って、様子を多分見に来るんだと思うんだよね。
確かに、あれ何の用事で来たねんっていう話やもんね、あれ確かに。
洗剤貸してみたいなことを最後言って、ありって帰るけど、それで来たんではないような気もするかも。
なさそうだよね。
でも、エドワードからしたら、すごい象徴的だなと思ったのが、部屋のドアを傷つけちゃうじゃん。
引っ越しの時のね、ソファーが当たったのが何なのかわかんない。
すごい傷がついてるな。
で、それを彼女は直してくれるのよ。
はいはいはい、そうね。
で、その前も手を切った手に包帯みたいなのが入ってるとか、その傷を癒してくれるっていうことを彼女はしてくれるんだよ。
だからエドワードは、この人なら自分の心もそうだし、顔がその人と違うっていうこと、顔にできた傷だよね。
それも癒してくれるかもしれないっていう思いで、どんどんどんどん好きになっていくのかなと思って。
あの、いつも受け身だったっていうか、基本受け身である、その後にエドワードの劇の表する時にオズワルドが、
彼はずっと受け身だけど、みたいな感じで、サラッと言うんじゃねえって感じでもあるけど。
そういう受け身だったエドワードが、タイプライター持って、
胃を消して、カンカンカンカンって訪ねていくっていう。
だから何か癒しを与えてくれる存在として見ているし、
実際に癒しを与えてもくれているわけだな。
でもちょっとだから、でもあれか、エドワードの中で物語が非大化してるのかな。
その人はもうなんか、
そうか。
キュアしてくれる人だみたいな。
俺の物語り方が下手っていう。
お前もタイプライター買ったほうがいいよ。
そうね。
持ってなきゃいけなかったものを手放してしまったっていう、
自分で自分の人生を物語っていくんだっていう、
ある意志でもあるし、行為の象徴なわけよね。
ちょっと書いてたわけだし、試し書きとか言ってたけど。
でもあれはすごい序盤で、
みんな顔を見せるとセガンで来たけど、見せたら怖がって顔を背けたっていう。
けどその経験があったからじゃんだって。
からのってやつか。
からのじゃん。
そこで終わっちゃったんだよね。
だからだよ。
これがなあ。
もうあの時点で負けは確定しているっていう。
この映画のエドワードにおける。
でも監督はそれは別に、
意図したメタファーみたいなものではなかったっていうのがめっちゃ痺れたよね。
すげえ。
映画すげえってなったよ、ほんとに。
もちろん監督の才能もすげえんだけど。
エイトエイティフォーもすごいし。
ハピネットさんもすごいし。
津田さんももちろんすごいし。
すごいね。
マジックだよね、多分これは。
監督も言ってたけど、もしそうなんだとしたら自分の心理。
無意識から。
無意識から来たものだって、多分その通りだと思うんだよね。
本当にその通りだ。
監督自身がやっぱりこの映画を作るっていうことが、
俺はある意味タイプライターを使うことなんだと思うんだよ。
監督自身がやっぱり自分が肛外裂っていうのを持って生まれて、
手術を何回もして今の顔になってるらしいんだけど、
やっぱりそれですごい、自分の顔に追い目があるのかな?
やっぱりそのコンプレックスがあって、
それによってすごい性格が形成されたみたいなことも言ってたけど。
肛外裂って一応説明しとくと、生まれるときに、
鼻の下の陣中というか、部分が割れて生まれてきてしまう人が結構な割合でいるんだよね。
結構いるよね。
先天的な病気というかなんていうんだろうな。
特徴的なものだけど、今は結構手術で全然、
昔は結構そのままの顔になったままの人いたっぽいけど、
今は割と普通に治すらしいよね。
芸人さんとかでもいるもんな。公表してるっていうか。
言われてみればそうかっていう感じの。
でもその病気をある種抱えて生まれてきた監督なのよね。
外見の違いっていうものに対して、
一個前の映画、チェーンド・フォー・ライフっていう、
日本ではちょっと未公開なんだけど、
それの中でもアダム・ピアソンっていうね、今回オーズワルド役で出てた人が出てたんだけど、
同じく、結構今回顔に変形がある人たちが何人も出てたけど、
その人たちも一個前の映画に出てたりとかして。
その映画を作ったときに、ヒットしなくてほぼ。
実際に顔に変形を持つ人たちを変形を持つ人としてキャスティングすることが、
作主的であるみたいな批判とかがあったらしいんだよね。
なるほど。
側しか見てねえなって感じなんだけど。
ポリコレ、君言ってるのは多分ポリコレだっていう。
逆に顔に変形を持たない人が特集メイクで、
顔に変形を持つ人を演じたら、
それはそれで顔に変形を持つ役者さんの仕事を奪ってるとか、
よく例えばゲイじゃない人がゲイ役を演じるのは良くないとか、
そういうハリトとか結構言われたりするけど、
それはそれで作主的である。
じゃあもうどうすりゃいいねん。
どない声優ねんっていうね。
どない声優ねんって監督が多分思って、
じゃあこの次の映画では、
本当は外見に対してコンプレックスを抱いてるって話は、
もう絶対撮らないって決めたらしいんだけどね。
一個前の映画があんまり上手くいかなかったっていう。
なるほど。
商業的にね。
なんだけど、でもやっぱり自分が描きたいのはこれなのに、
なんでそれを取り上げられないといけないんだろうっていう違和感が、
たぶんフツフツと湧いてきたらしいんだよね。
なるほど、なるほど。
だから今回の映画の中で言えば、
エドワード的立ち位置だね。
これ自分の話なのに、なんで自分が紡いじゃいけないのみたいな。
いやー、そうだね。
同じなんだよね。
今回は、じゃあハリウッドスターであるセバスチャン・スタンに特殊メイクで、
エドワード、顔の変形っていうのを施して映してもらうのと、
もともとそういう顔の変形を持つアダム・ピアソンを対決させようと思って、
この映画を作ったらしいの。
なるほどな。
どっちが勝つかっていうか。
対決させるっておもろいけどね。
そしたら文句ねえだろっていう。
どっちも出すからっていう。
それで見事ちゃんと評価されてよかったなって思うんだけど、
やっぱりそこで諦めずに自分の物語を自分で作ったっていうことが、
さっき言ったタイプライターで自分の話を紡いだわけよ。
アーロン。
アーロン・シャンプー・アーク監督。
監督は、にとってのタイプライター、およびタイプライターを打つっていうのは、
映画を作るっていうことで、彼はそれを手放さなかったとか。
手放さなかった彼が作った映画が、主人公がそれを手放す人。
このなんつったらいいやっていう。
さっき言ったみたいに監督は無意識から来るものだって言ったら、
そういうふうにしか、これまた俺も勝手に物語化してるのかもしれないが。
そうなんやけどね。エモい話ね。
してるのかなと思うんだけど。
もうちょい時間があったらこういう話を聞いてみたかったんだが。
そうとしか思えないし、それでこんなに面白い映画作ってるっていうことに、
すごい勇気づけられたなっていう。
個人的に。
顔を変える話じゃんこれって。
顔を変えないといけない時ってあるじゃん。
成形的な意味じゃなくて。