1. 映画の話したすぎるラジオ
  2. 第7回「VIDEOPHOBIA」「聖の青..
2021-06-10 1:06:28

第7回「VIDEOPHOBIA」「聖の青春」の話~『プレゼンタイムワープ』後編~

前回に引き続き『プレゼンタイムワープ』企画の回です。

今回は、原口さんによる「VIDEOPHOBIA」、山口による「聖の青春」のプレゼンののち、その二作を観た後の時間へタイムワープして語ります。

  •  VIDEOPHOBIA視聴後の時間軸
  •  サプライズ視聴後の時間軸
映画の話したすぎるBAR店長メンバー
  • 山口
  • 原口
  • まえだ
  • マリオン
00:12
はい、始まりました。ポッドキャスト、映画の話したすぎるBAR、ポッドキャスト視点、リニューアル後第7回になります。
今回もですね、前回に引き続きまして、新企画プレゼンタイムワープの第2回をやっていきたいかなと思います。
今回は、私、山口と原口でプレゼンさせていただきたいなと思います。
じゃあ、準備していただいてた原口さん、映画を紹介していただいてもいいでしょうか。
はい、今回取り上げるのは、日本の自主映画なんですけど、「VIDEOPHOBIA」
去年、劇場で公開された作品。
ちょうど去年のマガリデのイベントで参加したお客さんの中で、
むっちゃ最近見たオススメ映画があります、というので取り上げてくれてた作品で。
これ要は、舞台は大阪のディープゾーンが舞台なので、そこら辺知ってる人は見てるだけで面白いんですけど、
行われてることは、いわゆるリベンジポルノを用いたスリラー映画。
あるところを撮影されてしまって、それがあだとなってリベンジポルノに巻き込まれていって、最終的に主人公はどうなっていくかっていうのは、
それがモノクロ、白黒で描かれてて、非常にそのモノクロも余計怖さが際立つっていう。
見ていても、いろいろと楽しく面白くなっていくスリラー映画ですかね。
見られてないですかね、一応これは。
最近各種配信サイトで配信が開催されたので、ちょうどいいかなと思って取り上げました。
題材が面白そうですよね、リベンジポルノっていうのが。
それがスリラーというか恐ろしい状況になるっていうのは、ネタとして面白そうですよね。
実際結構話題になってましたね、確かに。
2の間では結構あれは推しだみたいなのはよく聞きましたね。
ちょうど見逃してて見たかったんで、楽しみです。
つい最近配信されたので、ちょうどいいかなと。
全員波長的にもちょっと重なるとこがあって、全員面白い視点で見れそうな気がしますね。
議論も良くかと思いますので。
そんな感じなんですね。いいじゃないですか。ちょっとバチバチにやってみるのもありかもしれないですね。
03:02
ぜひぜひ。
アマプラでも見れる感じですか?
アプラでもネクストとか結構各種サイトに最近配信されたので、どうぞ見てください。
了解です。じゃあこれも見てみましょう。
じゃあ次私、山口の紹介になりますね。
私が紹介したいと思っているのが、サトシの青春っていう映画になります。
原口さん見てます?
元々原作も好きだったので。
原作も読んでるんですね。
作家さん好きなので。
前田さんとマリオさんは見てないですかね?
見てないです。
見てないです。
じゃあちょっとプレゼンさせてもらえたらと思います。
サトシの青春は、衝撃誌の村山サトシが主人公のノンフィクションの小説が原作になってます。
原作は大崎義夫さんですかね。
パイロットフィッシュとかっていう小説を書いてた方なんですけど、
この人はもともと将棋雑誌の編集をやってた方で、
そこからの経緯でこの村山サトシっていう衝撃誌の実際の人生を題材にした小説を書くことになるんですけど、
この村山サトシっていうのがすごい若くして亡くなった人なんですね。
もともと生まれつきすごく体が弱くて、長生きするのも難しいって言われてたんですけど、
その中で将棋と出会って、将棋の頂点を目指すっていう話になってます。
実在してた人物なので、実際のエピソードを交えつつ、
実際の他の衝撃誌とかも出てくるんですけども、
その中でちょっと僕がこの映画で3つ推したいなと思ってるポイントがあるんです。
まず一つ目として音なんです。
これ塚口さんさん劇場で初めて見たんですけど、
始まって5分ぐらいでちょっとボロ泣きしちゃったんですよ。
この映画は僕人生で一番泣いた映画なんですね。
なぜ始まって5分で泣いたかっていうと、将棋を指す音が流れてくるんです、劇場で。
他の棋士はパチパチと軽い音がするんですけど、
村山が指す将棋の音だけは、バチンという心に響くような重い音がするんですね。
これを映画館の音響で聞いたときに、
それがもう将棋に込めた村山の執念であるとか、
性に対する執着みたいなのが込められてるなと思って、
それだけでちょっと泣いてしまって、
本当に村山薩斗司っていう人間が、
人間が生きている意味を将棋を指すことに預けようとした怨念みたいな話なんですよ。
そこのテーマ性みたいなのが音に込められてるんですよね。
そこはぜひ注目していただきたいところかなと思ってます。
2つ目として、この作品はラブストーリーなんですね。
06:01
村山薩斗司と羽生義晴のラブストーリーなんですよ、この映画は。
羽生義晴って言ったらご存知かと思うんですけども、
将棋のタイトル7巻取ったりとか、
本当に将棋史の中でもトップ中のトップの大騎士なんですけれども、
その羽生義晴が村山よりも先に活躍して、
村山より前を走ってると。
村山はその羽生に勝つことが、
自分が将棋を指す意味であると。
自分が生きている意味であるっていうことを、
羽生を追うことに預けていく話なんですって。
で、ここって原作とちょっと温度感が違うところかなとは僕は思ってて、
原作は本当に村山っていう騎士が、
限られた人生の中で将棋に命を燃やしたっていう記録のような温度感なんですけど、
多少距離感のある感じかなと僕は読んでて思ったんですけど、
映画の方は完全にエモに振ってるんですね。
村山が羽生を思うエモーションをバチバチに練り込んでる感じの映画になってて、
本当に羽生の歩く後ろをちょっとつけて追うみたいな、
本当にちょっと幼い感じさえ漂うような憧れの感情があったりとかするんですけど、
で、この辺り実際に作中でも村山と羽生は対等の関係として、
お互いにライバル関係として引き合うんですけど、
ここも実際とはちょっと違う部分かなとは思ってて、
実際には羽生さんっていうのは、
羽生世代と言われるぐらい群雄駆挙してる世代の中で、
しのぎを削ってる世代なんですよ。
だから同じくらい強い騎士がいっぱい他にもいて、
別に村山だけが突出してたってわけではないんですね。
その中でこの映画では羽生に対等するのは村山だけであるっていう、
すごい疎行とした、誇張した表現を取ってるんですよ。
でもそれはかなりフィクションが入っている部分ではあるんですけど、
そこはもうこの話は羽生と村山の2人だけの世界であると、
っていう割り切った描き方になってて、
そこのエモーションが刺さった時はもう本当にヤバいです。
そこは注目していただきたい2つ目のポイント。
で、3つ目が羽生義晴を演じた東出雅博の演技なんですよ。
これ本当に素晴らしくて、
実際の羽生さんっていうのは結構お茶目であったりであるとか、
あと勝負事をやってる人間としての負けん気であるとかっていうのを、
感情は割とちゃんと持ってるタイプの人間なんですけど、
この作品の中では将棋の化身として描かれるんですね。
もう神に等しい存在として描かれると。
そうなった時に東出雅博っていう非人間的な存在感を持った役者がバチッとハマってるんですよ。
この非人間的な感じ。
もうその東出雅博であるというだけで漂う、
その非人間性みたいなのに加えて、
ちゃんとその羽生さんの仕草みたいなのをトレースしようとやってるんですよ。
09:04
ここがね、結構実際の羽生さんとは質感は違うけれども、
あの、描かれたものとしてはちゃんと羽生さんに見るようになってて、
このあたりすごい注目ポイントなんです。
はい、てな感じで、えっと、
エモエモのエモのラブストーリー、
サトシの青春、ぜひ見てください。
はい、ていう感じです。
分かりましたね。
いやもうなんか、
二人だけの世界っていうのも大好物なんで、
絶対面白いじゃんって思いました。
絶対面白いじゃんって今思いましたけど。
いや結局ね、そういうことだと思うんですよ。
世界一になりたいんじゃなくて、
あいつに勝ちたいなんですよね、人間が生きてる意味って。
そこなんですよ。
前田さんが距離を置いたニコニコ。
男の話はどうなんすか、まさやさん。
なんかその、
山口さんとマリオンさんのなんかその、
時折入る二人の世界みたいなのが、
ちょっと最近好きですね。
今撮りたいんですけど。
ちょっと事前に共有している話題が多いんですよね。
近しいところ、映画を見てても近しいところ結構好きっていう、
お互い好きって言ってることが結構多いので、
シンパシーを感じてる感じですね。
本当に目玉がもげたように僕は泣きました。
で、実在した人物をその感動を優先した言い方するのって、
ちょっと議論の余地があるところかなと思うんです。
ある種の感動ポルノになってしまってる部分もあるのかなって、
思ってしまう部分はあるんですけど、
ただそれでもやっぱりなんかそこにある、
エモーションであるとか、村山が生きた怨念みたいなのは、
ちゃんと込めようとしている映画ではあるので、
ちゃんと刺さったらバチバチに来るんじゃないかなと思って、
一回ぜひ見ていただきたいです。
出来としてはそんなに良くないなって思う部分もちょこちょこあって、
脱線演出みたいなところも結構あったんですよ、見てて。
ここ2回言わんでいいだろみたいなことあるんですけど、
そこはエモーションの振り切り方で割り切れました、僕は。
そこの野暮ったさが先にバシッて入り込めない可能性もあるかなとは思ってます。
そこはもう感じ方かなと思うので、
ぜひ見た感想をお聞きしたいなと思って今回紹介しました。
てな感じですね。
では、この日本の映画ビデオホビアと
サトシの精神を見た後の時間軸に
タイムアップ!
はい、じゃあタイムアップしてきたわけなんですけれども、
タイムアップして、さっきのプレゼンされた2作を見た後の、
我々で話をしていきたいなと思います。
ではまずビデオホビアから、一応概要だけ説明しておきます。
映画ドットコムより解説。
12:00
大和カリフォルニアツーリズムで注目を集めた宮崎大介監督が、
大阪のアンダーグラウンドを舞台に、ネットワークの落とし穴から迷い込んだ異世界で追い詰められていく女性の恐怖をモノクロ映像で描いたスピラー映画。
東京で女優になる夢に敗れ、故郷大阪のコリアンタウンに帰ってきた29歳の愛。
それでも夢を諦めきれない彼女は、
実家暮らしでバイトをしながら演技のワークショップに通っていた。
そんなある日、愛はクラブで知り合った男と一夜限りの関係を持つが、数日後その時の常時を撮影したと思われる動画がネット上に流出してしまう。
自分のものとは断言できないものの動画を拡散していき、愛は徐々に精神のバランスを崩し始める。
恋する間取りのひろたともなが、主人公愛を絶え当たりで演じ、リリースのすべての…読めないな。
おしなり集合。
おしなり集合。西北西のサヒルローズが共演と。
じゃあ、各々の感想を語っていきたいと思うんですけど、原口さんまずこの映画をお勧めていただいて、より具体的にどういうポイントでというところを語っていただいてもいいですか?
そもそもね、この映画を最初に見たのが去年の大阪アジアン映画祭。
大阪のディープゾーンとディープな人の味がむっちゃ映ってるっていうのが個人的に楽しめて、
実は主人公の家は友人の家でして、大阪の某ディープゾーンで設計者をやってる女性が二度目した家で色々と知ってて、
っていうレベルで知ってるほどなんで、結構映るもん的に面白くて、
割と大阪の映画界隈のディープな人がちょいちょいと知ってるものと知ってる場所で結構楽しめて、
しかもいわゆるリベンジポルノスイラーという感じで、ロットする展開を結構楽しめたかなってことです。
この感想を皆さんどうぞごんとんぼに言っていただけたら。
実はですね、感想めっちゃくちゃ困ってて、久しぶりにわからない映画を見たって感じだったんですよね。
わからなかったんですよ。
おそらくそのタイトルがビデオホビアだから撮影されることに対する恐怖症みたいな話だとは思うんですけども、
ちょっとその話全体がそこにそこまで焦点が当たりきってないんじゃないかなっていうふうにはちょっと感じたんですよね。
偶然クラブで会った人とジョージを交わして、それが撮影されてたっていうところで、
15:04
そこから撮影されることへの恐怖っていうのがちょっと飛躍があるのかなとは思ったんですよね。
盗撮されてそれが広まることから、撮られることそのものへの恐怖にそんなスムーズにつながってなかったんじゃないかなっていうのと、
最終的に自分とは違うカードを手に入れることで撮られることの恐怖から逃れるみたいな結論に行くと思うんですけど、
ちょっとそこも唐突に感じて、まずこの主人公愛が役者志望で自分じゃない誰かを演じるっていうこと。
だから自分じゃない存在と自分の境界線はどこにあるのかみたいな話もおそらくテーマ的にはあるかなと思って、
それは中盤ぐらいであった性的被害にあった人たちのグループセラピーで、
自分じゃない誰かの被害を演じることで救われるみたいなところともちょっと重なってきてたところだったと思うんですけど、
そこからの最終的に完全に外科生計で顔を変えてしまって別人として生きるっていうことが救いになるっていうのが、
あくまで盗撮されたことに対する嫌悪感とか危機感に対する恐怖と、
自分であること自体で生きていくことで注意から見られることが生きづらさにつながっているっていうのは結構乖離してるんじゃないかなって正直僕は思ってしまって、
そこを飲み込みきれないまま最後まで見てたんですよね。
要素要素だけ見るとおそらくこういうことなのかなとは思いつつ、ちょっと咀嚼しきれなかったって感じは覚えました。
マリオンさんどうでしたか。
僕はそうですね、一応このお題に上がる前から劇場公開されてた時に話題になったので見てたんですけど、
もう一回今日というか今回の企画に合わせて見たんですけど、
全部が全部咀嚼しきれてはないっていうのは僕も同じですね。
多分大阪でコリアンタウンとかの舞台でっていう辺りの意味とかも多分ちゃんとあるんだろうし、
途中なんかおばあちゃんのインタビューかなんかが入ってきたりとか唐突にしたりとかするのとかも、
正直なんでそこで入ってくるのかなっていうのがわかってないかったりとかもするし、
そういうよくわからないところは多いんですけど、
けど誰かに見られている、誰かを見ているっていう関係性がちょっとずつ変わっていったりとか、
見られているのか見ているかの関係がガラリと変わってしまうみたいな体験って、
多分映画だとすごくそれはめちゃくちゃ面白い体験になるものになると思うので、
18:06
そういう観点で見るとこの最高のサイコロジカルな感じので、
独特なモノクロの世界観での話っていうのは結構見ごたえは普通にあったかなっていう感じはしましたね。
監視カメラとか、あと着ぐるみが出てきますけど、
着ぐるみって、着ぐるみの目のところには多分目って開いてなかったりとかしますよね。
実は別のとこから見てるとか、そういう見てるのか見られているのかとか、
そういうのがちょっと曖昧になっていくみたいなモチーフの使い方とかは、
多分考えてるんじゃないかなとかっていうのはすごく思ったんですよね。
あとフクロウとかのモチーフもチラチラ出てるとか、
そういうところでの部分ではかっこいいかなと思いつつ。
ただ精神的に曖昧になっていくみたいなのに関して言うんだったら、
これよりも面白いやつはあるよなというか、
それだったらコンサートシステムとかね、パプリカとかパーフェクトブルーとか見てたいなという気はしました。
前田さんどうでした?
私、深いことをあんまり考えずに感覚的に楽しんだんですけど、
結構モノクロで大阪の、さっきおっしゃったようにディープスポットだったり、
街並みを見れるっていうのは面白いなと思ったり、
おしなりしゅうごさん、私結構好きなんですけど、
おしなりしゅうごさんの演技はすごい個人的に好きで、
主人公が撮影してたでしょっていうのを確かめるために積み寄った時に、
それ全然普通の8ミリカメラだよとか言って、
ちょっと今から着替えるけどみたいな普通にまた来なよとか言ってるのに、
そこがもう違法民法だったりとか、
そういう、なんていうんですかね、
ああいう普通に嘘つける演技ができる人すごい好きで、
なんかすごいリアルというか、
いるよな、こういう普通に嘘つく人っていうのが、
それがこうやっぱり男女の間で起こりやすかったり、
そこで別にカメラ自体が撮るものじゃなくて、
カメラ自体それで撮ったんじゃなくても、
実際上がってる映像があるわけだから、
言ったらいいじゃない本当は、
いや見たんだけど上がってるっていうのが、
その相手にとっても本来やばいものであるはずなのに、
そこを詰め寄ることのできない主人公の弱さだったり、
別にその相手の男の人のことがそんなに好きなようにも見えなかったんですけど、
そこで詰めることができない、
それに対して決定的なものにしたくないっていう、
弱い部分だったりっていう、
21:00
そういう心の描き方も、
ちょっと共感できる部分もあるかなと思ったりしながら見ていて、
結構最後顔を変えて、
完璧に、完璧にじゃないかもしれないですけど、
もう違う人生を歩み出すっていうところも、
ある意味、ちょっとその気持ちわかるというか、
もうなかったことにして新しい人生歩みたいっていう部分は、
結構その描き方がスパーンと思い切りが良くていいなと思ったりしながら見てました。
なんか僕は違いますけど、
人間関係を一度完全にリセットしてしまう人っていますよね。
あんまり映画と関係ない話かもしれないけど。
連絡先とかばっさり消すとか、
一切の連絡を断つとかっていう人がたまにいるっていうのは聞くんで、
そういうところと繋がってくるのかな。
そうですね。そう言われてみると、
確かには家族と一緒に住んでたのも、
あんまり楽しくなかったのかなとかって、
福祉的な要因としてあったりするのかなとかはちょっと思いますね。
そう考えると。
単純にもう見られる以上に今より自分リセットしたい願望みたいなのは、
ちょっとあり得るのかなっていうのは確かに。
また一応その女優目指しててって中で、
最後もう顔を変えてからは、
もう完全におそらく派遣で何か事務をやってる感じだと思うんですけど、
本当にその夢とかもリセットしちゃったのかなっていう。
ちょっとね、その映画全体の話し運びと、
ファンに見られること自体じゃなくて、
全部の人生リセットしたっていうのがちょっと飲み込みきれてないんですよね、そこは。
なんでその役者の夢を捨てたのかっていうのが、
顔変えながら役者続けるっていうのではなかったんだなっていうのは、
どういう意味なんだろうっていうのはちょっと引っかかってるとこではあって。
なんかわかんないですけど全然。
最初役者を目指してみんなで演技の練習するときに、
自分とは全然違う人を演じてみようっていうお題があるじゃないですか。
そこに対してなんかこう、
うまくできないような描写もあったりっていうのがあったと思うんですけど、
役者っていうのが自分以外の人間を演じること、
それに対してそこはうまくいってなかったのに、
話の最後で実際に違う人間として生きていくっていうことの皮肉なのかなっていうのも、
ちょっと思ったりして、
ところどころ結構シュールな、
あえて多分シュールにしてるんでしょうけど、
シュールなシーンが結構あったなと思ったりしていて、
それが個人的に面白い部分でもありました。
24:02
演技レッスンのときに指導内容に切れて、
指導者にやり返すシーンとか、
あれどういう意味なんだろうってちょっと考えてたりはしたんですけど、
結構あそこ、話、この映画全体から見ても割ととっぴなシーンというか、
すごい結構あそこだけなんか引っかかる部分なんですよね。
話全体からしてもすごい打てるし、
何なのかなと思って、
何だろうね、ちょっと全然言語化できてないんですけど、
自分じゃない人間になろうとすることの滑稽さでも、
違うな、ちょっとそこもね、
すんなりこの話のテーマのためにこのシーン差し込んだなっていうのが、
すんなり言うとちょっとわかんないんですよね。
結構全体的にこの映画の演出とかシナリオって、
まあその違和感自体が面白いっちゃ面白いっていうのはあるんですけど、
難しかったなあそこは。
単純にこう、安全だと思ってたところから見返されるっていうところの、
モチーフの反数なんじゃないですかね。
なるほど。
見る見られるの関係が変わるっていうのと連動した話というか、
だとは思うんですけどね。
あとなんだろうな、結構白黒が効果的な映画だったのかなとはちょっと思って、
まああのちょっとした風景がまあスリリングに見えるっていうのはあるんですけど、
あとまあこれカラーだとちょっとなじみのある風景すぎて、
なんかローカル映像みたいな感じで見えちゃいそうだったなと思ったんですよね。
なんか白黒になることでちょっとまあそのフィクション感が出たというか、
あれで普通にカラーの大阪の街並みとか見てたら、
なんか探偵ナイトスクープとかとの違いそんなにわからなかったんじゃないかなと思って、
単なる記録映像じゃなくてそのテーマを持った劇映画ですよっていうのはやっぱり白黒だから出てたというか、
背景があまりに大阪の下町の連続だったんで、
あとそこの日常感を出してるのに白黒なのが良かったのかなと思いましたね。
これ監督にインタビューしたことがあって、
やはり撮ってるのはデジタルやん。
デジタルなモノクロで何ができるかっていうチャレンジをしてるんですよ。
白黒にしたことでごまかしがないように心がけたみたいな。
気になったのが、被害者の回のシーンか、
俺が非常に気持ち悪く感じてんけど、あれどう思うのかな、サヘルローズさんが。
サヘルローズさんね、一人だけ演技のラインが違いすぎてすごいんですよね、あのシーン。
めっちゃ浮いてて、あの人はもともと外国の人で、
ちょっとその誇張された日本語喋る人ですけど、
27:03
割と全体的にちょっと白っぽっぷに演技してるこの映画の中で、
あの人の芝居がかったリラリティの、何でしょうね、すごい何か笑ってましたよね、あそこ。
目とかもね、まっすぐ見据えてきて、ちょっと胴骨開いてる感じがあって、
この人の言う通りにちゃんと救われないと、
この人に別の呪いをかけられそうだみたいな。
なんかちょっと本当ヘビーに睨まれたカエルじゃないけど、
ちょっとなんかどうですかって言われたら、なんか言わなきゃって気持ちになっちゃいますよね。
感じがすごいですね、あの人。
しかもあれ、自分の話をするんじゃなくて、
人が言ったことをなぞっていくっていうのが、
実際にあるセラピーの方法なのかどうかちょっとわかんないんですけど、
なんなんですかね、自分の話をしないことで全部相対化していって、
癒しというかトラウマを軽減するような力があるってことなんですかね。
一般的には多分自分の話するのが、あなたのグループセラピーって普通だと思うんですよ。
自分の話をしてそれが受け入れてくれるから、救われたってなると思うんですけど、
人の真似してって、要はその人が悩んでたことも客観的事実として、
他人に真似して語られちゃうことだから意味のないことだよねっていう、
軽薄化していくような効果があるのかなと思って、
結構やってることとしてはめちゃめちゃひどいことをやってるんじゃないかなと、
あなたのされたことは別に大したことないから気にしなくていいよって、
ちょっとそれ効果あるとしても割とえぐいことをしてるよなとは思いながら見てましたね、あそこは。
あなたは悪くないとか言われて、一番あそこは精神的に気持ち悪かったですね。
うん、そう。
ビジュアルというよりは精神的嫌いなっていうのが。
どんなエピソードを言っても最後あれで締められるじゃないですか。
なんかそんな簡単に締められるもんなんですかね、みたいな感じをめちゃくちゃするんですよね。
あれはなんか被害者の会だけど、なんかねカルトス宗教感があるんですよ。
そういう意味での気持ち悪さをすごく感じた。
なんかその映画にグループセラピーってちょくちょく出てくると思うんですけど、
なんかこう自分の性格が曲がってるからか、絶対あんなとこ行っても、
なんやろ、共感とかできひんわって思っちゃうんですよね。
分かんないです、実際には分かんないですけど、
ああいうのを見るたびにこの映画じゃなくても、
なんか自分が言ってもなんやろ、たぶん口では同調というか、
合わせて言うと思うんですけど、
頭の中ではくだらねーことさせやがってと思ってしまいそうだなっていうふうに思いながら見ちゃいます。
なんかファイトクラブみたいに冷やかしで見に行ってる側になっちゃいそうですよね。
あとまあ、あそこですかね、警察のシーンかなとすごい印象残ってるの。
被害届に行って逮捕された女性警官の態度の、なんて言ったらいいのかな、冷たいこと。
30:02
あの人が妙に演技が下手っていうのもすごい印象残ってるんですけど、
女性警官が。
突き放すというか、あそこであの人、主人公の愛がずっと苗字青山でしたっけ、
治ってたのがパクって言われて、あなた第2次韓国人ですよねっていうのを出してくる。
ちょっとあそこで差別のテーマも少しうっすら入ってくるのかなと思って、
自分がこう見てほしいっていうのを他人がしてくれないみたいな感じのシーンでもあったのかなとは思ったんですけど、
あそこまで警官の嫌な感じを出したいっていうのが、そこまでテーマと噛み合ってないように僕は感じて、
ただ嫌な感じのシーンとしてはすごい良かったですね。
私あのシーン、警官に言われた時の主人公の気持ちにすごいなりながら見てたんですけど、
全然あの人の名前も知らんし、化粧品会社で働いてたところもはや多分嘘やし、住んでたところも嘘やし、
なんかその体の関係を持った人のことを何も自分は知らなかったんだっていう、
なんかそう言われてみたら、自分が本当にこの人のこと知ってるって思える人ってどれぐらいいるのかなと思ったりして、
なんかそういう、それを言われることですごい詰められてるみたいな気持ちになるっていう意味で、私もあのシーンすごく印象的でした。
確かに普通に本名を知らないで仲良くなるっても、もはや当たり前のことになってきてるじゃないですか、やっぱそこの辺ね、確かに。
なんかそこで、名前も知らないとこと関係もあった、あなたも悪いんじゃないの?みたいなニュアンスも入ってると思うんですよね、あそこって。
それもちょっとおかしな話というか、別にそれぐらいの関係性のことって普通にあるよなってなったら、
まあ普通にそういう生き方してる女の人に対するある種の蔑視でもあるし、まあすごい人種的な蔑視でもあるし、結構いろいろ言い合わせのあるシーンだったなぁと思いますね。
私もマリオンさんの本名も知らないですしね。
Yes, you thought so.
結構本当にちょっと飲み込みきれなかった映画であったんですけど、久しぶりにちょっとザラザラした乱暴な映画見たなぁとは思って、
やっぱあの正直よくできた映画見がちだと思うんですよね。大作映画見るっていうのは基本的にまあ起承転結あって、
ちゃんと10人中7人がちゃんとわかるようになってるよねみたいな映画に行っちゃうとは思うんですけど、
特に僕今子供できてからやっぱり見る映画の数も限られているから、
ウェルメイドの方行きがちなんですけど、このあの乱暴なインディー感バリバリの映画、
本当久しぶりに見たなぁと思って、なんか体験としては良かったですね、そこ。
ちょっと今の自分が自らの意思でこの映画を手に取らなかったなぁと思って、
33:04
たまにこういうのを見とかないと、なんか映画の乱暴さみたいなのはね、たまに味わうと、
あ、乱暴やなぁって思えて、なんか逆によくできた映画、よくできてるなぁみたいに思い返すとか、
ちょっと新鮮でしたね。
大阪市の映画祭でもインディフォーラ部門でやってて、
シネフィル向けの実装映画ではあります。
ですよね。
もともとそういうのが好きなので、あえて選びました、今回。
映画から見返されたっていう体験としては、ビデオフォビアの内容としても合ってるし、いいんじゃないかなっていう。
映画が逆に優しいと思うなよと。
監督自身もむっちゃ映画見ててシネフィルな感じはあって、
作品もアート作品的なやつではある。
そうですね、すごくアート作品っぽかったし、
あと単純に何て言うんですかね、ああいう不思議な世界観の中に、女性が迷い込んでしまうっていうやつ、
何て言うんですか、いわゆる不思議の国のアリス的なモチーフって、
それだけでも結構好きっちゃ好きなので、全然見れちゃいましたね。
主役の広田智奈さんの雰囲気はめっちゃ良かったですね、本当に。
カバコ吸ってるシーンがめっちゃかっこよくて。
あんまり映画で見た記憶がないんですよね。
そうですね、初めて見た。
多分僕もビデオフォビアが初めてやったから。
個人的にはおしなり集合が好きで、
それこそリリース種の全て出て、青い春に出て、
これが結構メジャーに行くかなと思ったら意外と一緒映画がバレてて、
あえてそっちばってのが結構気になりつつ、もうちょっと売れてほしいなっていう。
そうな開演、結構な開演ですよね、今回のも。
めっちゃ気持ち悪いというか、
なんかすごい会話できるけど、なんか共感できない人みたいな感じがすごかったですね。
リリー出身のスルイって見てるの?
僕見てないですね。
で、サプリンの中で結構いじめられる役ではあるんだけど。
見てますけど、おしなり集合大概出てくる映画、
だいたい変な役が多いから、本気の印とかだいぶ変でしたからね。
もうちょっとメジャーに行くかなと思ったらそういう作品も結構出てるので。
はい、そんなところですかね。
じゃあビデオフォビアの話はこれにて締めたいかなと思います。
はい、じゃあもう一本。
サトシの青春ですね。
こちらも映画ドットコムより解説読ませていただきます。
難病と戦いながら将棋人生を賭け、29歳の若さで亡くなった騎士、
36:01
村山サトシの生涯を描いた大崎良雄による同名ノンフィクション小説を松山健一水園により映画化。
幼い頃から腎臓の難病、ジンニフローゼを患い、入団院を繰り返した村山サトシは、
入院中に何気なく父から勧められた将棋に心を奪われる。
師匠との出会い、そしてプロ騎士として羽生義晴ら同世代のライバル騎士たちと首都を繰り広げ、
まさに命を削りながら将棋を指した村山サトシの壮絶な人生が描かれる。
監督は宇宙兄弟の森義隆、脚本を輪打輪打輪打の向井光輔がそれぞれ担当。
羽生義晴らとは東の羽生、西の村山と並び称された村山演じる松山は、
役作りのために20キロ以上も重蔵、羽生役の2は東江雅博が扮したと。
はい、えーと、そうです。じゃあ、まあどんな感じで見たか、原口さんどうでした?
原口さんはご覧になったことあった感じですよね。
もともと大崎義雄が好きで、
学生の時に大学の図書館にパイロットフィッシュっていう恋愛小説があって、
エモいんだけど結構ハマって、その後にアジアンタウンブルーってさらにエロい恋愛小説があって、
というのを見てる中で、今回、アジアンタウンブルーは映画愛になって、
ようやくサトシの青春が本領覇気のノンフィクションをやるなぁと思って、
結構ね、ハグさんのやつは、実際の人物を誰かどうやるかを楽しみながら、
切なくも、おっちが分かってるだけに切なくも、
エモく見れたなぁというのはなかった。
前野さんはどうでした?
私はもう胸にきすぎてつらかったです。
もうなんかああいう映画見ると、本当にぼーっと生きてる自分がまじで嫌になるんですけど、
本当に松山健一と東さんの演技むちゃくちゃ良くて、
もうなんかそういう本人にしか、本人はあんまり知らないんですけど、
もう本人にしか見えないなっていう。
ハグさんとかもむちゃくちゃ似てるなと思って、
自分のイメージの中のハグさんそのものだなと思ったりして、
本当に同じぐらい、同じものに情熱を注いでる人と出会えるっていうことが、
人生ですごく価値のあることなんだなっていう。
でも本当に、お前の人生なんてスカスカなんだよみたいなことを、
言うセリフの時、自分に言われてるみたいで、
すごいボディブロック食らったなって感じでした。
そんな聞いてんでもいいっすけど。
マリオンさんどうでした?
いやーそうですね、これなんで公開当時見に行かんやったんやろうなーってぐらい面白かったんですけど、
やっぱ村山聡と吉原の、もうその2人にしか分からない関係性っていうところにも、
39:01
ロマンとかエモーショナルが溢れてて最高ですね、本当に。
居酒屋での2人のシーンとか多分もう、名シーンだと思うし、
というかまあ多分これもうほぼこれ、なんて言うんですかね、
村山聡の壮大な片思いの話やという風に完全に見てたので、
もうそれはもう大変エモい関係性も得というか、
尊い関係を見せてもらえたなっていう感じです。
居酒屋のシーンが本当にヤバくって、
どうして僕たち将棋を選んだんですかね、に対して、
僕は今日あなたに負けて死にたいほど悔しいっていうところでボロ泣きするんですよ。
そうなんです、それだけが全てなんですよね。
あの居酒屋のシーン、本当泣けて泣けて、村山が生きてきたことが報われるようなんですよね。
ずっと孤独で一人で将棋をさせてきて、師匠もいるし弟弟子もいて、
孤独じゃないはずなのにずっと一人、自分から一人になっていっているので、
結局俺の世界観で生きている人間なんて誰もいないじゃないかという、
もう半分時期的に、なんか俺なんて将棋の中で死ねばいいみたいな感じで、
いや、クソで生きてる奴が、そいつが唯一見てるのが羽生さんなんですよね。
そこで自分が求めてた答えを返される。
なんで将棋させているのかって言われたら、もう負けたくないからだと。
それだけしかないっていうのを、自分と同じ答えを自分が最も追っかけてる人間に言ってくれたっていう、
本当に救いのシーンで、そのこと考えただけで本当に泣きそうになってくるんですよね。
この映画を評価するときに、すごいポイントになるかなっていうのが、
村山は基本的に正しくない人間なんですよね。
人に迷惑かけるし、人の行為をないがらしろにするし、自分の健康も全然気遣わないわけですよ。
絶対体に悪いのに、酒ガブガブ飲むし、麻雀真っ赤させてるし、心配してる親の言うこと聞かないしって。
で、将棋に命を注いでいくわけなんですけど、
それで例えば、村山が将棋の狂気に囚われてる人間であるとか、将棋の鬼であるとか、そういうタイプの人間なのかなって言われるとちょっと違うなと思うんですよ。
で、突き詰めると結局村山って子供なだけなんだと思うんですよね。
結局だから自分の健康のこと気付かないし、人の言うこと聞かないし、親にも心配かけっぱなしなのって結局子供だからだと思うんですよ。
でも村山は唯一の自分のできることでやる将棋だけやり続けるんですけど、この映画何ヶ所かめっちゃ泣くシーンがあるんですけど、
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手術した後、もうしばらく将棋させなくって家で安静にしてる時に、親が旅行に行く準備をしてるシーンで、
ずっと村山の体のことだって旅行行けてなかったよねっていうのをお父さんとお母さんが話して、
この夫婦は村山のために人生を捧げて他のこと何もできてこなかったんだなっていうのがちょっと語られた後に、
2階から将棋の駒をさそうと聞こえてくるっていうので、お母さんが泣くっていうので、もうあそこはボロ泣きするんですけど、
結局親の心配をよそに将棋しかさないっていうシーンでもあるんですけど、村山は結局将棋しかないんですよね。
あそこの親とこの帰りみたいなのもすごい悲しいし、それでも村山は将棋さすっていうところもすごい印象的なシーンで、
この映画、とにかくその医者が厳しいんですよ。
まずその村山の病気が発覚するシーンも、親に向かってお母さん、佐藤君を大変な病気にさせてしまいましたねとか、
一番親にとって言われてなくないことをズバズバって言うんですよ。
で、後々村山が大人になってから体調を崩した時も、もうなんでこんなんになるまで来なかったんだみたいなんで、
医者に怒られるんですよね。本当は親からしたら、あんなこと言われたらその場で崩れると思うんですけどね。
基本、この村山の親、両親ってすごい老いめというか、村山の子の体を悪く生んでしまったみたいなすごい気持ちを持ってしまってると思うんですよ。
たぶんこの両親にとって村山が将棋を指し始めたことって、決して嬉しいことではなかったと思うんですよね。
入院中にお父さんが将棋盤を持ってきて、将棋を指し始めて、周りの入院している子供に対して将棋に勝ち続けたから将棋を指しちゃったってことだと思うんですけど、
結局村山が将棋を指している理由って、自分がそれを強くって、そこで負けないからってことだと思うんですよ。
村山の人生観ってすごい歪で、勝てば生きるし負ければ死ぬっていう価値観にとられてるんですけど、
結局それって自分が将棋を指して、将棋で負けない限り自分は生きられるっていうその究白観念みたいなものだと思うんですね。
だから爪切らないとか紙切らないとか、何かを終わらせることに病的に起死してるとこがあって、
それで、ただ、結局弟弟子の彼、名前忘れちゃった。
染谷翔太がやってる。
結局将棋騎士って26歳までに余談にならないと、プロになる権利剥奪されるんですよね。
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26歳のリミットが来て、負けたけどこれから人生続いていくみたいな感じで捉えてて、
それが普通だと思うんですけど、村山はそれを許容できないんですよね。
でも村山がもっと将棋が弱くて、早いうちから同世代の子供とかに負けてたらきっとそうならなかったと思うんですよ。
負けても人生は続いていくと。
村山が敗北をしてたら、もっと病院にもちゃんと通ったし、自分の命を削りながら将棋を指すみたいなことはしなかったと思うんですけど、
何の因果か村山には将棋の才能があってしまったんですよね。
でもそこ、村山にとっても両親にとっても、それが救いだったのか、それとも呪いだったのか、もはや分かんないと思うんですよね。
将棋に出会ってしまって、将棋に才能があってしまったと。
村山はそれこそが自分の生きる意味であると思ってしまったけれども、実はそうじゃないんじゃないかっていう声は誰の声も届かないんですよね。
そこの親を見守ることしかできない感じとか、すごい刺さるというか、めちゃめちゃ単なる子供なんですよね、本当に。
それしか遊ぶものがないから、それで遊んでる子供なんですよ。
ただその病的な姿勢感を持ってしまった人間は、多分死ぬまで止まれなかったと思うんですけど、
そこで羽生さんに出会えたってことだけが、本当に村山とっても唯一の救いだったのかなって考えると、それだけでグイグイ狂うんですよね。
あとちょっと僕、音がすごいポイントとなる映画ってタイムアップ前に喋ってたんですけど、
家で見るとちょっとそこ弱くて、僕は塚口さんさん劇場の音響科で見たんですけど、やっぱ低音が効いてるんですよね、将棋のコマ刺すシーンでも。
単に音量がでかいというより、割と体の芯にドンってくる感じで、村山のコマ音は響く感じなんで、
映画館で見た時はあれだけでちょっと泣いちゃったんですけど、やっぱり家でイヤホンとかで聞くと単に音量の差にしか感じられなくて、
ちょっとそこはあんまり来なかったですね。そこは違ったなぁとは思いました。
まあでも確かに、村山の刺す将棋の音は確実に違ってたので、それはまあわかって、その演出は上手いなと僕も思いましたね。
あと、将棋刺すシーンって基本的には絵としては退屈になってしまいがちというか、なかなか難しいと思うんですよね。
基本的に2人座ってちっちゃい盤面のコマを動かすだけって。
けど、それの中でもちゃんと勝負がどうなるかっていう部分での見せ方もすごくスリリングに見れたし、
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ただの顔のにらめっこだけになってないようなところはとても頑張ってるなと思ったし。
僕は将棋ルールあんまりわかんなくて、けどわかんなくても、やっぱりこの2人の関係性もいいっていうのももちろんあるんでしょうけど、
まあちゃんと勝負がどうなるかっていうのを片図を飲んで、同じように見守るっていう体験ができたので、とても良かったなと思います。
あともう、羽生義晴役の東礼雅宏ですよ。本当に。
僕が東礼雅宏、演技下手くそっていう意見をたまに見ると、割と怒るんですけど、こいつは演技力とかじゃなくて、
どんだけ合う役を当てがわれるかどうかだと。それに当てがわれた時の爆発力がすげーんだぞと言ってやりたいんですよ、僕は。
やっぱもう非人間的なことをやらせたら天下一品で、今回に関しては、あっち側に行っちゃってる天才将棋師である羽生義晴っていう役、
ちょっと現実よりも誇張された羽生さん像ではあるんですけど、それを当てがわれた時に、あの無機質な感じは本当に見事にはまってるなと思うんですよね。
天才同士の勝負の話って、何でも面白いですよね。
それだけ結構好きというか、去年将棋の映画があったんですよね。
アウェイクっていう将棋の映画があったんですけど、あれも面白かったし、ドラマですけどね、クイーンズギャンビットとか、チェスのドラマシリーズがありましたけど、
あれもめちゃくちゃ最高だったし、やっぱああいう限られた天才しかいない、他の人にはわからない勝負の世界って、それだけで熱いものがありますよね。
あと、さっき山口さんが言ってた、26歳の壁やねんけど、それでもなおプロになろうと決めた人の話、泣き虫ショッターの奇跡。
これもオススメですよ。26歳でしたけども、どうにか頑張って交渉して、勝負をかけてプロになった人の話。
結構ね、本当に将棋騎士になるための仕組みって、他の業界だと類を見ないぐらい残酷なんですよね。
1年間に4人しかなれなくて、しかも年齢制限があって、本当に中学校も6人行かずに、中学校というか高校も6人行かずに弟子入りして将棋だけやり続けて、
結局将棋士になれずに社会に放り出されるみたいなことが普通にあるんですよね。
勝てば生き、負ければ死ぬっていう世界観は、村山に限らず将棋士を目指してる人間、割とみんなの話でもあるんですよね。
本当に将棋士になれなくて、命を削ったような人もいれば、自ら命を絶ったような人も本当にたくさんいるわけなんですよ。
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それの構造は全然良いとは思わないんですけど、ただ将棋士っていう圧倒的な存在を権威付けているものとしても、
そこにはやっぱり残酷ゆえに圧倒的なパワーみたいなのはあるし、
最近だと慣れなかった人に対するフィルターみたいなのも整備されてきている状況かなと思うんですけど、
やっぱその勝つしかない人たちの話っていうのはやっぱりパワーがすごいなとは思うんですよね。
スマリオを考えていた青江君、確かプロになれなくて、都市だけ行って大学入ってAI将棋部に。
そうですね、確かそう。
片方はプロ棋士になれずに、AIの分野で将棋ソフトを作って、
で、片側、ライバルはプロのプロ棋士として活躍してて、ある意味ちょっと代理戦争的な立ち位置にもあるような感じなんですけどっていう。
AIで思い出したんですけど、雑誌のアンケートを頼まれるじゃないですか。村山が。
で、なんかその中の項目、最後から2個目ぐらいに、AIって書いてたかロボットって書いてたか忘れました。
なんかロボットが将棋で人間に勝つ日は来ると思いますかっていう質問に思わない。
あれも結構グッとくるっていうか、なんかそもそも何て言うんですかね、結構そういう話題ってちょくちょくニュースになったりすると思うんですけど、
なんか人間が考えることとか挑戦することをやめない限り、そんな日は来ないんだっていうふうに思えるのがすごくいいなって。
私結構あのちょっとしたシーンですけど、あの汚い字も含めて、あのシーン結構グッときますね。
生きてることに対するその信仰みたいなのがあるから、なんかAIとかが強くなるはずがないっていうものがあるのかなと思うんですよね。
もはやね、今AIときって話せないですからね、将棋でも。
実際に棋手が指してるところももうAIを通してみて、もう勝率が何パーセントとかって出ちゃうような世界で、でも羽生さんも今それで苦しんでるしっていうのを、なんかちょうどドキュメンタリーは、
ちょうど新エヴァかなんかのドキュメンタリーの前になんかBSでやってたのがあって、それを見てたんですけど、そんな話をしてたんで、なんかそういう意味ではなんかやっぱり村山がいた時期の将棋界ってなんかある意味のちょっと面白い時代だったんやなっていうのはすごく感じましたね。
昨年の青春の頃は、まだ人間の経験の積み重ねによって処理される人間頭やから、そこに対してAIが勝ってるわけはないって言ったけども、AIが発達しすぎてやばい。
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そもそもなんかそのAIにさせる意味あるのって思っちゃうんですけど、私は。結構その人間がAIに絶望するようなことって結構ニュース流れたりすると思う。職を奪われるとか。じゃあやらんかったらいいやと単純に思っちゃうんですけど、
人間ってこう産業革命の時から同じことを繰り返すのかなーって思っちゃいます。
まあ多分最初はちょっとある種の興味ってから始まってると思うんですけどね。AIと人間どっちが勝つのかっていう。で多分今はそのAIを力を借りて、今まで出せなかったような手で勝つとかっていうのを多分今、いろんな多分騎士はそれで学んでたりするらしいので。
まあ面白いって面白いんですけど。
あとちょっと僕すごい触れときたいなと思ったのが、村山が普通に性欲があるっていうのがすごい切ないなと思ってて、あの古本屋のお姉さんとかにもちょっと恋愛感情を持ってたっぽいし、いろんなところで女性に対する執着を口にしてるんですよね。
あの羽生さんと話した居酒屋の時でも、なんか女を抱きたいとか言ってたし、その手術して抗がん取っちゃった後でもAVいらなくなりましたみたいな、結構プシプシでその女性に対する執着に触れてて、そこがなんかすごい切ないなっていうのがすごいあって、本当になんかあの体じゃなかったらきっとそういう普通に生きてたのかもしれないし、将棋にも出会ってなかったと思うんですよね。
そこの恵み合わせみたいなのがすごい切ないなと思って、あのちょっと性欲みたいな部分で思ってたりとか、あとその羽生さんとの最終決戦で互いに試練をくっつくして限界まで迫り迫った中で、あの時に言ってた、もうどこまで潜れるかみたいなので本当にあの時二人して潜ってたと思うんですよね。
本当に行けるどこまで行こうってなってる状態だけど村山の限界が来ちゃうっていうのが、あの瞬間のあそこが村山にとっての将棋の才能の限界であるときに多分、あのメタ的には命の限界も意味してると思うんですよね。
そこから先も羽生さんとは戦えないと、もうこれ以上ここまでしか村山の体ではもう羽生さんが潜っていく深さについていけないっていうので、もう村山は羽生さんと一緒にはいけないと。で、村山にとってそれは死と同義なんですよね。
だからやっぱりそれを羽生さんも悟って、あそこってもうこの対局の終わりであると同時に村山っていう棋士の終わりであり、村山っていう人間の死とかいろんなものを同時に二人が悟ってしまったシーンです。ものすごい切ないんですよ、あそことかも。
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で、同時に羽生さんが村山を見限ったシーンでもあるなと思って、もう彼は僕を深く身には連れて行ってくれないんだなっていう、そういう見方もしたんですよ。
だからその一緒にここまで来てくれた同志でありライバルであり、すごい愛着があると同時に彼はもう僕の中で価値を持たなくなってしまったっていう風にちょっと僕は捉えて。
だから最後に村山の葬儀というか見取りに来てくれたところも、羽生さんが一番最初に村山に別れを心の中でも告げてたから早く来れたんだなってちょっと思ったんですよね。
他の人はちょっと飲み込むのに時間かかるというか、やっぱりその割り切ってるから過ぎずに動いた。
だから彼は早く村山に対して村山を見送って次の対局に向けて葬儀の中に進んでいかないといけないと思うんですよ。だからもう早く来てくれたんだなっていうふうにも思ったんですよね。
僕普通にそのやっぱ2人の完全に仲が完璧やったからと思ってるので、もう完全にもう特別な2人だからもう誰よりも早く先に来たぐらいにしか思ってなかったんですけど、今の考えもなんかなるほどなーって今思いました。
多分どっちもあるのかなと思って、あくまでその実際の羽生さんがどう思ったとかではなくて、あくまでその映画のサトシの精神の中での羽生義晴はそういうふうに描かれてたんじゃないかなって思って僕は見てたんですよね。
結構本当に好きな映画でめちゃめちゃ褒めてるんですけど、正直野暮ったい映画だなっていうところも本当にいっぱいあって、多分結構皆さんも見てって思われたと思うんですけど、正直演出ダサいんですよ本当に。
一番顕著なのは最後の対局のシーンで、中盤であった羽生さんと村山が一緒に居酒屋で互いの話をするシーンっていうものが完全に全く同じカットのまま差し込まれるんですよね、対局の中で。
あそこが本当に野暮ったくって、2回同じことやるのでめちゃめちゃテンポ添いでるんですよね。あそこってその絵で見せるのはどっちかだけでいいと思うんですよ。中盤でそのちゃんと1個のシーンってやったのを、最後の対局のシーンではセリフのやり取りだけ流して画面としては対局シーンを映してると。
だからそのあの夜に思ったことをもう一度この対局しながら2人が確認し合ってるって感じを出せると思うんですよね、それを。なのに画面もあの夜のことを持ってきちゃってるから、単に別のエピソードが差し込まれてるようになってなくて、重ならないんですよね。
その瞬間と今やってることの意味みたいなのが重ならないのがすごいテンポ添いでるし、もうちょっと上手にできたなと思うし、あとその最後の対局シーンでいきなりそのナレーションが入って、最後のシーンでこれが結局そのサトシの青春っていう小説を書いてた記者の話っていうのがわかるような構造になってるんですけど、それをいきなりその最後の対局シーンでいきなりその記者のナレーションが入ってくるから、あれなんかそういう話あったっけっていきなりなっちゃうんですよね。
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これをこの映画の始まりの時点でちゃんとそのナレーションを挟んでたら、これは村山聡っていう人間のエピソードをもとにノンフィクションの小説を書いた誰かが語ることを映像化した作品だなっていうのが伝わるのに、それがないことでいきなり最後のシーンでそのナレーションが挟まれるから、なんでってなるんですよね。
あそこ本当にやぼったいし、あともうね、岩がゴロゴロ転がってる、海岸の意味もなく歩いてるシーン、ほんま昭和の映画かよと思うぐらいダサくって、脚本書く方も方だし、あれを演出する監督もどうかと思うんですよね、本当に。ちょっといくらなんでもやめとけよと思ったよ、そこは。
ヤマシタのぶひろ監督と仲のいい、脚本も名前のある人だなっていうのは後でわかって、なおさらなんでってなって、黄昏って海辺を歩くとかって本当に昭和の映画の世界というか、急なんですよね。
なんかその黄昏って海辺歩いたら意味あるでしょみたいな演出方法って結構古いんじゃないかなと思ったりとかは思ったりはしましたね。
正直至らないところは結構ある映画なんですけど、本当に好きで、ここまで魂と魂の関係性を描いた映画って本当に心当たりなくて、めちゃくちゃ燃えるし、めちゃめちゃエモいし、めちゃくちゃ泣けるんですよね。
実在の人物をここまでちょっとそのエモに特化した映画化するのってちょっとどうかなという部分も思ったりはするんですけど、ただやっぱこの映画見て元の原作も読んでましたけど、村山卒っていう人間の存在が魂に焼き付きましたし、村山卒が生きていてくれてよかったなって思ったので、
嫌いになれないっていうかめちゃくちゃ好き。めちゃくちゃ好きなんですよ。だからこの常年を皆さんに共有したくて今回プレゼンしたって感じだったんですけど、付き合ってもらえてよかったです、本当。
好きすぎてだからこそネガティブなとこもいっちゃうってとこかな。
そうなんすよ。あそこでね、つまずかなかったら僕、僕ほんまに深みまでいってましたよ。
つまずかなかったら5億点と。
いやもう5億頂点でしたよ。もう単位おかしくなってますけど。
これやっぱ見る前にも僕クイーンズギャンビットっていうめちゃくちゃチェスのドラマのシリーズ、あれめちゃくちゃ演出がすごくうまいですとかも見てるので、やっぱその辺はちょっとなんかちょっともっさりしてるなというのはやっぱり思いました。
クイーンズギャンビットはバランスが良かったですね。なんかそのエモくなりすぎないところもいいというか、そこがなんかちゃんと自立してる感じがするというか、他人の物語に巻き込まれないぞみたいなちょっと気概も感じるんですよね。
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お前たちのエモさのために私は生きてるんじゃないみたいな感じがして。
他またかっこよくてエモいんだけどねっていう。
逆にそうなんですよね。
そんな感じでプレゼンタイムワーク2回にわたってやったわけですけども終わりたいと思います。
こんな感じで前回と今回にわたってプレゼンタイムワークをやってみたわけなんですけど、どうでした?企画として。
時を超えたわけなんですけど我々。
原口さんどうでした?
これは正直自分の説明をみんながどんな風に見てくれるか普通に楽しみではあったので。
自分の誰も自分しか見てないかもみたいな映画を他人に骨の隅まで語らせれる機会ってあんまないじゃないですか。
ないですね。だいたいオススメしても見ないか見てもすっごい忘れた頃に見てくれるかぐらいかなって感じがするので。
なかなか僕自身もなんかオススメされた映画ってなかなか見なかったりすることが多いのでいい機会だったなっていう。
前田さん楽しんでいただけましたか?
私は何よりも意味のないワープ。
意味ありますって。
意味ありますって。
やっぱりもうこの企画最大の楽しみどころだと思ってるんで日までやりたいです。ワープしたいです。
ちょっとこのエゴに他人を巻き込むという意味でも面白い企画だったかなと思ったのでまたタイミングがあればやりましょう。
ではお知らせになります。これまでもやらせてもらってた大阪の南森町にある企画型のカフェは週間曲がりにて、映画の話したすぎればまたやらせていただきます。
実は今回月1でやってたのを6月を飛ばして7月3日にやらせてもらおうと思ってます。
理由はですね、前日にゴジラvsコングが公開予定だからですね。
だから我々4人もゴジラvsコングを見てからお店に行きますので、ゴジラvsコングの話がしたすぎるっていう人はぜひ来てください。
もちろん他の映画の話していただいて大丈夫なんですけど、久しぶりに町対策がたまたまとしてある映画の話したすぎる場をできるので、ちょっと我々も張り切って見に行こうかなと思ってますのでよろしくお願いします。
時間ちょっとまだ未定でして、週間曲がりのSNSで最終の時間公開するかと思いますので、
一旦週間曲がりTwitterとかFacebookとかインスタとかやってるのでフォローいただいて正式なお知らせを待っていただけたらなと思います。
では映画の話したすぎる場はポッドキャストをしてプレゼンタイムアップ前後編を終わりたいと思います。
1:06:05
それではまたお会いしましょう。さよなら。
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