村山薩斗司と羽生義晴のラブストーリーなんですよ、この映画は。
羽生義晴って言ったらご存知かと思うんですけども、
将棋のタイトル7巻取ったりとか、
本当に将棋史の中でもトップ中のトップの大騎士なんですけれども、
その羽生義晴が村山よりも先に活躍して、
村山より前を走ってると。
村山はその羽生に勝つことが、
自分が将棋を指す意味であると。
自分が生きている意味であるっていうことを、
羽生を追うことに預けていく話なんですって。
で、ここって原作とちょっと温度感が違うところかなとは僕は思ってて、
原作は本当に村山っていう騎士が、
限られた人生の中で将棋に命を燃やしたっていう記録のような温度感なんですけど、
多少距離感のある感じかなと僕は読んでて思ったんですけど、
映画の方は完全にエモに振ってるんですね。
村山が羽生を思うエモーションをバチバチに練り込んでる感じの映画になってて、
本当に羽生の歩く後ろをちょっとつけて追うみたいな、
本当にちょっと幼い感じさえ漂うような憧れの感情があったりとかするんですけど、
で、この辺り実際に作中でも村山と羽生は対等の関係として、
お互いにライバル関係として引き合うんですけど、
ここも実際とはちょっと違う部分かなとは思ってて、
実際には羽生さんっていうのは、
羽生世代と言われるぐらい群雄駆挙してる世代の中で、
しのぎを削ってる世代なんですよ。
だから同じくらい強い騎士がいっぱい他にもいて、
別に村山だけが突出してたってわけではないんですね。
その中でこの映画では羽生に対等するのは村山だけであるっていう、
すごい疎行とした、誇張した表現を取ってるんですよ。
でもそれはかなりフィクションが入っている部分ではあるんですけど、
そこはもうこの話は羽生と村山の2人だけの世界であると、
っていう割り切った描き方になってて、
そこのエモーションが刺さった時はもう本当にヤバいです。
そこは注目していただきたい2つ目のポイント。
で、3つ目が羽生義晴を演じた東出雅博の演技なんですよ。
これ本当に素晴らしくて、
実際の羽生さんっていうのは結構お茶目であったりであるとか、
あと勝負事をやってる人間としての負けん気であるとかっていうのを、
感情は割とちゃんと持ってるタイプの人間なんですけど、
この作品の中では将棋の化身として描かれるんですね。
もう神に等しい存在として描かれると。
そうなった時に東出雅博っていう非人間的な存在感を持った役者がバチッとハマってるんですよ。
この非人間的な感じ。
もうその東出雅博であるというだけで漂う、
その非人間性みたいなのに加えて、
ちゃんとその羽生さんの仕草みたいなのをトレースしようとやってるんですよ。
そこから撮影されることへの恐怖っていうのがちょっと飛躍があるのかなとは思ったんですよね。
盗撮されてそれが広まることから、撮られることそのものへの恐怖にそんなスムーズにつながってなかったんじゃないかなっていうのと、
最終的に自分とは違うカードを手に入れることで撮られることの恐怖から逃れるみたいな結論に行くと思うんですけど、
ちょっとそこも唐突に感じて、まずこの主人公愛が役者志望で自分じゃない誰かを演じるっていうこと。
だから自分じゃない存在と自分の境界線はどこにあるのかみたいな話もおそらくテーマ的にはあるかなと思って、
それは中盤ぐらいであった性的被害にあった人たちのグループセラピーで、
自分じゃない誰かの被害を演じることで救われるみたいなところともちょっと重なってきてたところだったと思うんですけど、
そこからの最終的に完全に外科生計で顔を変えてしまって別人として生きるっていうことが救いになるっていうのが、
あくまで盗撮されたことに対する嫌悪感とか危機感に対する恐怖と、
自分であること自体で生きていくことで注意から見られることが生きづらさにつながっているっていうのは結構乖離してるんじゃないかなって正直僕は思ってしまって、
そこを飲み込みきれないまま最後まで見てたんですよね。
要素要素だけ見るとおそらくこういうことなのかなとは思いつつ、ちょっと咀嚼しきれなかったって感じは覚えました。
マリオンさんどうでしたか。
僕はそうですね、一応このお題に上がる前から劇場公開されてた時に話題になったので見てたんですけど、
もう一回今日というか今回の企画に合わせて見たんですけど、
全部が全部咀嚼しきれてはないっていうのは僕も同じですね。
多分大阪でコリアンタウンとかの舞台でっていう辺りの意味とかも多分ちゃんとあるんだろうし、
途中なんかおばあちゃんのインタビューかなんかが入ってきたりとか唐突にしたりとかするのとかも、
正直なんでそこで入ってくるのかなっていうのがわかってないかったりとかもするし、
そういうよくわからないところは多いんですけど、
けど誰かに見られている、誰かを見ているっていう関係性がちょっとずつ変わっていったりとか、
見られているのか見ているかの関係がガラリと変わってしまうみたいな体験って、
多分映画だとすごくそれはめちゃくちゃ面白い体験になるものになると思うので、
割と全体的にちょっと白っぽっぷに演技してるこの映画の中で、
あの人の芝居がかったリラリティの、何でしょうね、すごい何か笑ってましたよね、あそこ。
目とかもね、まっすぐ見据えてきて、ちょっと胴骨開いてる感じがあって、
この人の言う通りにちゃんと救われないと、
この人に別の呪いをかけられそうだみたいな。
なんかちょっと本当ヘビーに睨まれたカエルじゃないけど、
ちょっとなんかどうですかって言われたら、なんか言わなきゃって気持ちになっちゃいますよね。
感じがすごいですね、あの人。
しかもあれ、自分の話をするんじゃなくて、
人が言ったことをなぞっていくっていうのが、
実際にあるセラピーの方法なのかどうかちょっとわかんないんですけど、
なんなんですかね、自分の話をしないことで全部相対化していって、
癒しというかトラウマを軽減するような力があるってことなんですかね。
一般的には多分自分の話するのが、あなたのグループセラピーって普通だと思うんですよ。
自分の話をしてそれが受け入れてくれるから、救われたってなると思うんですけど、
人の真似してって、要はその人が悩んでたことも客観的事実として、
他人に真似して語られちゃうことだから意味のないことだよねっていう、
軽薄化していくような効果があるのかなと思って、
結構やってることとしてはめちゃめちゃひどいことをやってるんじゃないかなと、
あなたのされたことは別に大したことないから気にしなくていいよって、
ちょっとそれ効果あるとしても割とえぐいことをしてるよなとは思いながら見てましたね、あそこは。
あなたは悪くないとか言われて、一番あそこは精神的に気持ち悪かったですね。
うん、そう。
ビジュアルというよりは精神的嫌いなっていうのが。
どんなエピソードを言っても最後あれで締められるじゃないですか。
なんかそんな簡単に締められるもんなんですかね、みたいな感じをめちゃくちゃするんですよね。
あれはなんか被害者の会だけど、なんかねカルトス宗教感があるんですよ。
そういう意味での気持ち悪さをすごく感じた。
なんかその映画にグループセラピーってちょくちょく出てくると思うんですけど、
なんかこう自分の性格が曲がってるからか、絶対あんなとこ行っても、
なんやろ、共感とかできひんわって思っちゃうんですよね。
分かんないです、実際には分かんないですけど、
ああいうのを見るたびにこの映画じゃなくても、
なんか自分が言ってもなんやろ、たぶん口では同調というか、
合わせて言うと思うんですけど、
頭の中ではくだらねーことさせやがってと思ってしまいそうだなっていうふうに思いながら見ちゃいます。
なんかファイトクラブみたいに冷やかしで見に行ってる側になっちゃいそうですよね。
あとまあ、あそこですかね、警察のシーンかなとすごい印象残ってるの。
被害届に行って逮捕された女性警官の態度の、なんて言ったらいいのかな、冷たいこと。
あの人が妙に演技が下手っていうのもすごい印象残ってるんですけど、
女性警官が。
突き放すというか、あそこであの人、主人公の愛がずっと苗字青山でしたっけ、
治ってたのがパクって言われて、あなた第2次韓国人ですよねっていうのを出してくる。
ちょっとあそこで差別のテーマも少しうっすら入ってくるのかなと思って、
自分がこう見てほしいっていうのを他人がしてくれないみたいな感じのシーンでもあったのかなとは思ったんですけど、
あそこまで警官の嫌な感じを出したいっていうのが、そこまでテーマと噛み合ってないように僕は感じて、
ただ嫌な感じのシーンとしてはすごい良かったですね。
私あのシーン、警官に言われた時の主人公の気持ちにすごいなりながら見てたんですけど、
全然あの人の名前も知らんし、化粧品会社で働いてたところもはや多分嘘やし、住んでたところも嘘やし、
なんかその体の関係を持った人のことを何も自分は知らなかったんだっていう、
なんかそう言われてみたら、自分が本当にこの人のこと知ってるって思える人ってどれぐらいいるのかなと思ったりして、
なんかそういう、それを言われることですごい詰められてるみたいな気持ちになるっていう意味で、私もあのシーンすごく印象的でした。
確かに普通に本名を知らないで仲良くなるっても、もはや当たり前のことになってきてるじゃないですか、やっぱそこの辺ね、確かに。
なんかそこで、名前も知らないとこと関係もあった、あなたも悪いんじゃないの?みたいなニュアンスも入ってると思うんですよね、あそこって。
それもちょっとおかしな話というか、別にそれぐらいの関係性のことって普通にあるよなってなったら、
まあ普通にそういう生き方してる女の人に対するある種の蔑視でもあるし、まあすごい人種的な蔑視でもあるし、結構いろいろ言い合わせのあるシーンだったなぁと思いますね。
私もマリオンさんの本名も知らないですしね。
Yes, you thought so.
結構本当にちょっと飲み込みきれなかった映画であったんですけど、久しぶりにちょっとザラザラした乱暴な映画見たなぁとは思って、
やっぱあの正直よくできた映画見がちだと思うんですよね。大作映画見るっていうのは基本的にまあ起承転結あって、
ちゃんと10人中7人がちゃんとわかるようになってるよねみたいな映画に行っちゃうとは思うんですけど、
特に僕今子供できてからやっぱり見る映画の数も限られているから、
ウェルメイドの方行きがちなんですけど、このあの乱暴なインディー感バリバリの映画、
本当久しぶりに見たなぁと思って、なんか体験としては良かったですね、そこ。
ちょっと今の自分が自らの意思でこの映画を手に取らなかったなぁと思って、
ロマンとかエモーショナルが溢れてて最高ですね、本当に。
居酒屋での2人のシーンとか多分もう、名シーンだと思うし、
というかまあ多分これもうほぼこれ、なんて言うんですかね、
村山聡の壮大な片思いの話やという風に完全に見てたので、
もうそれはもう大変エモい関係性も得というか、
尊い関係を見せてもらえたなっていう感じです。
居酒屋のシーンが本当にヤバくって、
どうして僕たち将棋を選んだんですかね、に対して、
僕は今日あなたに負けて死にたいほど悔しいっていうところでボロ泣きするんですよ。
そうなんです、それだけが全てなんですよね。
あの居酒屋のシーン、本当泣けて泣けて、村山が生きてきたことが報われるようなんですよね。
ずっと孤独で一人で将棋をさせてきて、師匠もいるし弟弟子もいて、
孤独じゃないはずなのにずっと一人、自分から一人になっていっているので、
結局俺の世界観で生きている人間なんて誰もいないじゃないかという、
もう半分時期的に、なんか俺なんて将棋の中で死ねばいいみたいな感じで、
いや、クソで生きてる奴が、そいつが唯一見てるのが羽生さんなんですよね。
そこで自分が求めてた答えを返される。
なんで将棋させているのかって言われたら、もう負けたくないからだと。
それだけしかないっていうのを、自分と同じ答えを自分が最も追っかけてる人間に言ってくれたっていう、
本当に救いのシーンで、そのこと考えただけで本当に泣きそうになってくるんですよね。
この映画を評価するときに、すごいポイントになるかなっていうのが、
村山は基本的に正しくない人間なんですよね。
人に迷惑かけるし、人の行為をないがらしろにするし、自分の健康も全然気遣わないわけですよ。
絶対体に悪いのに、酒ガブガブ飲むし、麻雀真っ赤させてるし、心配してる親の言うこと聞かないしって。
で、将棋に命を注いでいくわけなんですけど、
それで例えば、村山が将棋の狂気に囚われてる人間であるとか、将棋の鬼であるとか、そういうタイプの人間なのかなって言われるとちょっと違うなと思うんですよ。
で、突き詰めると結局村山って子供なだけなんだと思うんですよね。
結局だから自分の健康のこと気付かないし、人の言うこと聞かないし、親にも心配かけっぱなしなのって結局子供だからだと思うんですよ。
でも村山は唯一の自分のできることでやる将棋だけやり続けるんですけど、この映画何ヶ所かめっちゃ泣くシーンがあるんですけど、
26歳のリミットが来て、負けたけどこれから人生続いていくみたいな感じで捉えてて、
それが普通だと思うんですけど、村山はそれを許容できないんですよね。
でも村山がもっと将棋が弱くて、早いうちから同世代の子供とかに負けてたらきっとそうならなかったと思うんですよ。
負けても人生は続いていくと。
村山が敗北をしてたら、もっと病院にもちゃんと通ったし、自分の命を削りながら将棋を指すみたいなことはしなかったと思うんですけど、
何の因果か村山には将棋の才能があってしまったんですよね。
でもそこ、村山にとっても両親にとっても、それが救いだったのか、それとも呪いだったのか、もはや分かんないと思うんですよね。
将棋に出会ってしまって、将棋に才能があってしまったと。
村山はそれこそが自分の生きる意味であると思ってしまったけれども、実はそうじゃないんじゃないかっていう声は誰の声も届かないんですよね。
そこの親を見守ることしかできない感じとか、すごい刺さるというか、めちゃめちゃ単なる子供なんですよね、本当に。
それしか遊ぶものがないから、それで遊んでる子供なんですよ。
ただその病的な姿勢感を持ってしまった人間は、多分死ぬまで止まれなかったと思うんですけど、
そこで羽生さんに出会えたってことだけが、本当に村山とっても唯一の救いだったのかなって考えると、それだけでグイグイ狂うんですよね。
あとちょっと僕、音がすごいポイントとなる映画ってタイムアップ前に喋ってたんですけど、
家で見るとちょっとそこ弱くて、僕は塚口さんさん劇場の音響科で見たんですけど、やっぱ低音が効いてるんですよね、将棋のコマ刺すシーンでも。
単に音量がでかいというより、割と体の芯にドンってくる感じで、村山のコマ音は響く感じなんで、
映画館で見た時はあれだけでちょっと泣いちゃったんですけど、やっぱり家でイヤホンとかで聞くと単に音量の差にしか感じられなくて、
ちょっとそこはあんまり来なかったですね。そこは違ったなぁとは思いました。
まあでも確かに、村山の刺す将棋の音は確実に違ってたので、それはまあわかって、その演出は上手いなと僕も思いましたね。
あと、将棋刺すシーンって基本的には絵としては退屈になってしまいがちというか、なかなか難しいと思うんですよね。
基本的に2人座ってちっちゃい盤面のコマを動かすだけって。
けど、それの中でもちゃんと勝負がどうなるかっていう部分での見せ方もすごくスリリングに見れたし、