2025-04-09 37:06

#1 不動産ベンチャーのあれこれを語る番組が始まります

この番組はメインパーソナリティである(株)北開道地所CEOの山崎さんが、不動産ベンチャー業界のリアルを語ります。

初回となる今回は、山崎さんの人物像に迫り、ファーストキャリアから起業、そして現在の事業展開について深く掘り下げています。ぜひお聞きください!


番組への感想をお待ちしております。メールアドレスはこちら↓

⁠aristo.podcaststd@gmail.com


▼今回のトーク内容

番組の紹介と目的/山崎さんのファーストキャリア/起業の経緯

/事業の転換と成長/会社のビジョンと目標/山崎さん自身のビジョン/番組への思いとリスナーへのメッセージ


- メインMC: (株)北開道地所CEO 山崎明信

⁠https://x.com/a_yamazaki69⁠

- アシスタントMC: 阿部 真理

⁠https://x.com/TwHip7T58e89387⁠

- 制作: Aristo Podcast Studio






Summary

このポッドキャストエピソードでは、山崎明信氏が不動産業界の実情や自身のキャリアについて語っています。リクルートコスモスでの経験から起業に至るまでの道のりや、不動産ベンチャーのビジョンについて深掘りしています。また、不動産ベンチャーの起業家が彼のキャリアと会社の歴史について語り、シェアハウスやゲストハウスなどの事業転換、現在の不動産企画事業に至る流れを振り返り、ビジョンや企業支援の重要性に触れています。さらに、挑戦できる環境を作りたいという思いを持つ会社のビジョンや、若者の起業支援に力を入れたいという未来の計画についても語っています。シェアオフィスや新規事業の面白さも取り上げ、不動産業界への興味を引き出すことを目指しています。加えて、不動産ベンチャーに対する興味を持つ幅広いリスナーへのメッセージや、挑戦することの重要性についても言及されています。

不動産業界の紹介
不動産ベンチャー談義 仕事とお金のよもやま話
こんにちは、この番組のアシスタントMCを務めます。将来はノマドワーカーを夢見る阿部まりです。
この番組では、不動産業界の一般的なイメージと実際というお話を通して、
仕事をしたことがない人でも不動産をより身近に感じ、不動産の仕事に関わってみたいと思えるような番組になります。
早速メインのパーソナリティの方をお呼びしたいと思います。
株式会社北海道辞書、代表取締役の山崎明信さんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ということで早速本編に入っていきたいと思いますので、よろしくお願いします。
お願いします。
都会なので、不動産ベンチャー談義、仕事とお金のよもやま話と目打ってはいるんですけど、
山崎さんって一体何者なのっていうところで、リスナーさんへの紹介も兼ねていきたいと思います。
はい。
まずは山崎さんが経営されている会社の事業だったりのご説明を教えていただいてもよろしいですか。
会社としては不動産事業企画というような領域で、土地からホテルを建てたりとかシェアウォーシスを作ったりというようなことをやったりですとか、
一般の住宅向けですね、マンションだったりとか中古のマンションを買ってリフォームして販売するというようなことをやっています。
それ以外にはどんどん新しい事業を作っていこうというふうな会社なので、新規事業を毎年2,3個チャレンジしてだいたい失敗しているという、そんな会社です。
そうなんですね。いろいろ幅広くされていると思うので、そういったお話も別の回でも深掘りできればなと思っているんですけど、
山崎さんのまずはファーストキャリアからお話聞きたいんですけど、もともと北海道大学の農学部卒業されて、東京の上場企業の不動産会社に入社されているということだったんですけど、どういった思いでお仕事を選ばれたんですか。
そうですね。入社した会社がコスモスイニシアという会社なんですけれども、もともとはリクルートコスモスという会社でして、リクルートってあるじゃないですか、スーモとかホットペッパーの。
あの会社の子会社に不動産会社があったんですよ。リクルートコスモスという会社があって、そこに入社しました。
いくつか理由があるんですけど、将来的に起業したいっていうふうな思いが学生時代になりましたので、リクルートって起業する人が多いんですよ。
リクルートコスモスともその時にリクルートのカルチャーが残っているっていうんですかね。昔のバンバン経験どんどんで起業がどんどん排出していくみたいな風土が残っている会社だというふうに言われたので入ったと。
起業する人たちがどんな準備をしていくのかとか、あるいは起業後の仲間みたいなところはその会社に入ることでできるんじゃないかというふうな思いで、ここにも理由はいくつかあるんですけれども、一番大きな理由はそこで選んだという感じですね。
もともと起業を目指されたきっかけっていうのもあるんですか。
そうですね。就活をした時に東京と北海道の差をすごい感じたんですよ。
確かに実家が転勤族だったっていうのもあって、就職活動の時に実家がこう埼玉にあったんですよ。
埼玉ベースで、かつ私は休学してたんで、その時にどっぷり関東圏で就活できて、就活仲間、関東の就活仲間みたいなの結構できたんですよね。
一方で大学時代の友達っていうのは北海道札幌ベースに就活をしていて、すごい情報格差っていうかすごい感じたんですよ。
情報格差があるがいえに選択肢がすごく狭いなっていうふうに思っていて、能力は変わらないはずじゃないですか。
みんなゼロベースで社会人スタートするのに情報格差だったりとか、情報の差があることによって面接においてしゃべれることも結構差があるんで。
関東圏の学生たちは第一志望、第二志望のところをバンバン内定とっていく一方で、地方の北海道の学生とかが第一、第二志望のところは落とされて、
第三、第四志望のところにやや妥協しながら就職していくみたいなことを見たときに、なんかすごい純粋に悔しいなと思ったんですよ。
もう俺の仲間たち、こんなに適正に評価されてないみたいな思って。
いずれそういう北海道とか札幌で企業、一つの種なんですけど、企業としてそういったところのギャップを埋めることができたらいいなみたいなのはなんとなくもんやり持ってたって感じですね。
企業は結構もう北海道でしたいビジョンを持ちながらリクルートに入られたっていう感じですか?
そうですね。いずれはなるべく早いうちに北海道札幌に戻ってきて、企業をチャレンジしたいなみたいなのは思ってましたね。
起業後の苦労
どんなお仕事されたんですか?
そうですね。まさに不動産デベロッパーというような感じな仕事で、文庄マンションを作って、メインは文庄マンションを作って売る会社だったんですよ。
で、文庄マンション用の土地の情報を集めて、土地を買ってというふうな、まず仕入れっていうんですけど、土地の仕入れの舞台で経験を進まって、その次には営業の方に移ったんですけど、その時はリーマンショックって安倍さんの記憶があります。
2008、9とかですね。
小学生です。
小学生。何残っちゃった話じゃないですか。
まさに新現地にいたっていうか、リーマンショックから結構影響を受けて、サブプライムモードで不動産業界に対してすごくインパクトが、ネガティブなインパクトがあって、不動産をみんな買い控えるみたいな状況があってですね。
最終的には僕がいた会社も倒産したんですけど、仕入れってもう仕入れをしてる場合じゃないと、もう今自分たちが持っている文庄マンションを売って現金化してないと潰れるみたいな感じになって、仕入れの舞台からみんな全員で営業舞台に移るってことなんですけど、営業舞台に行って、街の中に文庄マンションのモデルルームとか建ってたりするじゃないですか。
あれいうところにいてですね、文庄マンションいいですよみたいな感じで文庄マンションの販売をして、最後は人体マンションの管理をする舞台があったんですけど、そこに倒産した後にそっちに移動して、その後に独立をしたっていう感じです。
営業されてた時代、厳しい時期に営業されてたと思うんですけど、みんな売りたいから売れなそうみたいなイメージあるんですけど。
そうですね、本当にその時マンション全然売れなかったんですよ。だからみんなどこの会社とかも、新築の文庄マンションなんですけど、100万円家具プレゼントしますとか、いろいろあってですね。
あれやこれやりながら、僕もひたすらチラシの倒産とかしたりとか、過去の検討者っていうんですかね、1回モデルルームに来てくれた人みたいなところもひたすら電話して、1個1個売っていくっていうようなことをやってましたね。
大変でしたね、やっぱり売れない時代だったんで、本当にどうやってるかみたいなことをひたすら考えてやってたタイミングですね。
しかも倒産の仕入れから販売までも一通りをリクルートの会社でご経験できたっていう。
そうですね、時は本当にリーマーショックの時代だったんで、自分自身が見つけてきた土地を会社が買うっていうことは経験できなかったんですけど、
その仕入れの舞台にいるんで、この買った土地の進捗管理とかそういったものはやらせてもらったんで、大胸の川上から最終的な出口のところまで見るっていうところはざっくり経験はできたっていう感じですね。
そこからの起業、そこから次はもう起業された、退職して起業されたっていう感じですもんね。
もう不動産の業界からスタートされたんですか?
ではなくてですね、ウェブのマーケティングからスタートしました。
なぜかというと、リクルートコスモス出身の人が作った会社にライフルっていう会社があるんですよ。
ホームズって分かります?
分かります。
不動産ポータルサイト。
あれはそこ出身の人が作った会社なんですけど、ホームズ、今で言うライフルの社内の人たちとおく親しい人が何人かいて、その人たちにウェブマーケティングのことを教えてもらってたんですけど、
社会人2年ぐらいやると落ち着いてくるんですよね。
初めは仕事分かんなくて激無じゃないですか。だから朝から晩まで働いてるんですけど、
6時ぐらいに仕事が終われるようになってきたタイミングから、新しいこと勉強したいなっていうのがあって、
ホームズの人たちに信濃川のロイヤルホストで毎日ウェブマーケティングについて教えてもらって、コンページの作り方みたいなのを教えてもらって、
これ起業してもいいんじゃないかみたいな感覚もつかんだので、それをベースに起業しまして、
元々は不動産なんで、不動産会社の人たち向けにウェブマーケティングの支援をするっていうところから起業スタートしたって感じですね。
起業してからの実際みたいなところで、思い描いてたようにいったかどうかってどんな感じですか?
全然うまくいかなくて、やっぱり会社でそれなりに文字マンションを立てたとこも売れてた方なんで、
勘違いもありまして、部屋なんでもできるみたいなのを思ってたんですけど、
実際はほとんどは会社の力で売ってただけだったってことにある段階で気づいてですね、
なぜかというと、そのウェブマーケティングの仕事をひたすら不動産会社に売ってもらったんですけど、
全く売れずにすごいお金が、しかもお金も本当に10万円ぐらいしか貯金してなかったんです。
すぐにそこをつきまして、当時は一人暮らしもして、オフィス、事務所も借りてたんですけど、
東京で起業したんですよ。一番初めに東京スタートしたんですけど、東京の家賃ってすごい高いんで、
一瞬でお金がなくなるというふうに思って、そうです。めちゃくちゃ苦労しましたね。
その時に本当にやばいなと思って、生活費削ろうと思って、
5人でですね、起業したての5人みたいな、5LD系の1軒を借りて一緒に暮らし始めるみたいなことをやって、
めっちゃそこで生活水準を下げたというのがありますね。
起業された時、絶対一回は苦労するみたいなお話あるじゃないですか。
それは例に漏れずと言いますか、山崎さんも苦しい時期がやっぱりあったということですね。
起業家のキャリアの始まり
そうですね、特に多分才能なかったんで、僕らが今いるDBSのシェアオフィスと一緒にいると、周りに若い世代の企業とかいるじゃないですか、
あの人たちって本当にスタートから結構上手くいってるなっていうふうに僕には見えてて、
みんな才能あるなっていうふうに思うんですけど、本当に上手くいかなかった部類なんだと思うんですけど、
お金に関してはすごい苦労したっていう。
サラリーマン時代、それもらえてたんで、あんまお金使ってたんですよ。
そっか、一回そのカコンと生活水準落として、その経験、ちょっとつらいんですよ。
やっぱ生活ね、お金の使い方っていうのを下げるって結構つらい経験なんですけど、
それがあった限りに、本当当時よりはすごく稼げるようになったんですけど、
自分自身でめちゃくちゃ派手な生活したいって別に思わない、その時の苦労があるんで。
っていうようなちょっと話ずるい話だけど。
この前なんかツイッターでツイートされてたと思うんですけど、
お金ない時期に治験してなかったんですよ。
よく見てますね。治験ってわかります?
当薬のバイトですね。
新しい世に出す前の薬を飲んで人体実験されるっていうやばいやつがあるんですけど、
それ本当にね、2泊3日を2回とかで15万とかもらえるんですけど、
そうなんですね。
その間も薬飲んで自由にしてていいって感じなんですよ。
その時ウェブマーケティングの仕事をしたんで、
クライアントのホームページの制作とか自宅したんで、
薬飲んで、眠たくなる薬なんですけど、
睡眠の覚悟をしながらホームページを作るみたいな感じで、
副業です。
パソコンあればできる仕事をたまたまされてたっていうので、
会社はいいですね。
周りの人とかスラムダンク3週くらいしてるんですけど、
僕は横でひたすらホームページ作り続けるっていう、
当時の今でいうワーケーション的な位置づけで、
投薬バイトを使ってましたね。
大変だった時期みたいなイメージがあんまりなかったので、
不動産事業の変遷
山崎さんに対して意外だなって思ったっていう。
いやー、その時の話とかたくさんできますからね。
ちょっと一本分、別の回でゆっくりお聞きできればと思います。
はい、では先ほどは山崎さんのファーストキャリアから
起業するまでっていうところをお話いただいたと思うんですけど、
今創業してから何年目になりますか?
会社は15期目なので、まだ14年やったって感じですね。
おそらく14年のうちで事業の転換だったりとか
いろいろされてると思うので、
そこの現在に至るまでの流れみたいなところも
教えていただいてもいいですか?
一番初めは不動産会社向けのマーケティング事業から
スタートしたんですけど、
それがメインだった時代があり、
その次にシェアハウスがメインだった時代が
テラスハウスっていうドラマがあったじゃないですか。
あれが流行ったタイミングで、
うちの会社もシェアハウスとして一気に成長できて、
シェアハウスがメインだった時期があります。
その次にインバウンドで旅行者がすごく増えてきたタイミングでもあったので、
2015年ぐらいからゲストハウスという宿泊施設ですね。
これがメインだった時代があります。
この時に海外展開なんかもゲストハウスでしてたんですけれども、
2020年にコロナがあって、
その宿泊事業が結構厳しくてですね。
その時に立ち上げたのが不動産企画事業というところで、
それがメインになっているというような形で、
なのでウェブマーケティング、シェアハウス、ゲストハウス、
不動産企画という、
大きくこの4段階ぐらいですね。
大きな事業の転換があったというような感じです。
会社のビジョンと目標
その中でもキーワードとしては不動産というところは
ブレずに変えていったという感じですかね。
そうですね。不動産というよりも事業企画というようなところで、
新しい今世にない事業を作っていくんだというようなところを
ぶらさずにやっているというようなところで、
もちろん僕ら私とか社内のメンバーがリクルートコスモスだったり、
不動産領域がバックボーンにある人たちが多いので、
結果そっちにちょっと偏っている部分もあるんですけれども、
会社としては新しい事業を作っていくんだというようなことを
ぶらさずにやっているという感じです。
一般的にその3回の事業転換というのは多い方なんですか。
多いんですかね。そうですね。
おそらく一つのことをやり続けている会社さんの方が
多いかなというふうに思うので、
多分皆さん細かいピボットみたいなのはあるかもしれないですけど、
うちとしても業種から全体に転換しているという意味でいくと
多い方かなというふうに思いますね。
180度事業を変えるというところの決断力が必要かなと
やるぞというきっかけとかってあるんですか。
コロナの時は必然止められたという感じで宿泊事業が厳しいので、
新規事業を土産企画以外にも5個ぐらい同時に立ち上げて、
その中の1つがうまくいったという感じなんですけど、
常々新しい事業に僕らも毎年2,3個新規事業を立ち上げて
それが失敗しているみたいな話もあったんですけど、
あれ本当にやっていて、
なので自分たちの優位性というか強みを活かしてできるような事業を
毎年チャレンジしているんですよ。
種まきみたいなのは常にしていて、
例えばシェアハウスからゲストハウスに切り替えたときって
会社として大きな方向転換だみたいに意思決定したというよりも、
シェアハウスの派生でやったゲストハウス事業がちょっとずつ大きくなって
気づいたらその利上げ比率が逆転していたみたいな話なので、
ちっちゃいチャレンジをたくさんしていって、
そのうまくいったものが育っていったらいいなぐらいの感じでやっていて、
めちゃくちゃリスク取って大胆にやっているというよりも
取れるリスクの中でちゃんとチャレンジを継続していくということを
大事にやっていました。
今もなので種まきをしている状態っていうことですよね。
そうですね。
まさにミクルートにリングっていう制度があるんですよ。
これは何かというと社内から近畿事業ビジネスコンテストみたいなのがあって、
みんな参加できるんですけれど、
こういった事業を作りたいというのを毎年リクルートでやっているんですけど、
我々も今年やるんですよね。
今年の年末にやって、
その中から優秀賞に関しては実際に事業として取り組むということを
これを毎年どんどんやっていこうというふうに思っているので、
毎年毎年ですね。
種をまき続けていこうというふうに思っています。
この後ちょっと話を聞こうかなと思っていた
ビジョンの部分にも関わってくるのかなと思うんですけど、
種まきというところで、
会社のビジョンだったり山崎さん自身のビジョンについて
詳しくお聞きできればと思います。
会社のビジョンは誰もが挑戦できる世界を作る
というふうなビジョンを掲げています。
もう少し平たく言うと、
自己実現、起業してチャレンジして
自己実現できる人を増やそうというふうに思っています。
僕らも海外とかでも授業をやったりもしてですね、
若い世代の人たちを起業とか見る中で
なりたいものがすごく多くて、
なかなか立ち上がらなかったりみたいなことをすごく見てきて、
さらに日本って人口がどんどん減っていて、
僕らとかもっと上の世代の人たちが起業チャレンジしてきた難易度と比べて、
市場が小さくなっていく中で
チャレンジしなければいけない、
より難易度は高くなっていると思うんですよね。
そういう若い世代にとって起業しにくいみたいな環境が
一定あるんじゃないかなというふうに思っていて、
そういったものを変えてですね、
チャレンジする人たちが増えてきたらいいなというふうな思いで
会社のビジョンとしてやっています。
その上でも僕らも今この時点でそういう企業支援みたいなのを
ちょこちょこやることはできるし、
私はやってはいるんですけど、
もっと大きなスケールでやりたいと、
本当にもっと大きなインパクトを与えているぐらいの規模感でやりたいな
というふうに思っているので、
まずもっと自分たち自身がでかくなろうと。
会社を今のまず10倍にしようと。
10倍にした上で10倍の支援ができるようになるということを
優先させようというのを今の会社として意識してやっています。
中期目標としては、
北海道のNo.1デベロッパーというふうに言っていて、
不動産ですね、北海道の不動産領域で1位になろうと。
その先には年収100億、利益10億というふうに言っているんですけど、
10億を北海道の企業支援に回せるようになれば
結構大きなインパクトがあると思っているんですよね。
毎年10億使えると。
そこまでしっかり持っていくぞというのが中期目標として持っていて、
その先には本当に僕が一番やりたい企業支援みたいなことを
僕もやっていきたいなというふうに思っているという感じです。
その中で僕らも、僕ら自身も挑戦者であろうというような
挑戦者を支援するまた自分たちも挑戦者であるという
スローガンとして言っているんですけど、
僕たち自身が周りの若い世代の人たちに刺激を与えられるように
どんどん新しい事業を作って自己実現をしていくと。
人たちがわりと新しいことをやっているし、面白いことをやっているし、
挑戦できる会社のビジョン
そしてちゃんと稼いでいるような、みたいな状態を
社長のみならず、私のみならず社員が実現していくという
ふうな会社になっていきたいなというふうに思っています。
誰もが挑戦できるというところで、そういえばこのポッドキャストも
そもそもシェアオフィスがあって、
そのシェアオフィスを使っている方からお話いただいていて
今があるというのが、まさに挑戦の場を作っているなみたいな
すごいリンクする部分がありました。
ありがとうございます。
僕も安倍さんと裏方にいる杉野さんという方がいらっしゃって
こういうことをやりませんかというふうに提案してもらって
すごい良い提案でもあったし、
新たな2人にとって挑戦にもなるわけじゃないですか。
そういうのはすごい良いなと思うし、一緒に応援すると言ったら恐ろしいですけど
一緒に何かできたらいいなというふうに思うので
そういうやりたいが気軽にできるようになっていたらいいなというふうには思いますね。
若者の起業支援
今って社員は何名いらっしゃるんですか。
社員は12名いまして、来年新卒のメンバーが3人入ってくるので
入ってきたら15人になるという感じです。
皆さんどういったビジョンを持たれてこの会社に入ってきたりするんですかね。
起業したい、自分で事業を作れるようになりたいという人たちを採用したいなと思っているので
そういうビジョンを持っている人たちが多いです。
いくくはうちの会社から卒業していくというメンバーもいるんですけれども
それはウェルカムという感じで
リクルート自身もそうだったんですけれども
過去にもうすでに起業して独立しているメンバーもいるんですけど
その人たちと一緒に仕事したりするということもあるので
どんどん社内から、うちの会社から起業する人たちも増えていってほしいなというふうに思っています。
一人は土産関連のデザインとか建築の方に行っている人と
もう一人は全然関係ないんですけど
うちの会社を辞めた後にエンジニアの学校に通って
システム開発の事業を立ち上げているという人がいますね。
全然畑が違う感じがしますけど
そういった方もいらっしゃるんですね。
そうですね。なるべくうちの社員メンバーにも
知識的なことを教えるというよりも
知恵を教えるようにしていて
事業を作るためにはどういうふうに考えていくべきなのかとか
そういうようなことを話しているので
僕らもいろいろシェアオフィスやったりとか
シェアハウスやったりとかホテルやったりとか
いろいろやってるじゃないですか。
基本的には一緒だと思っていて
共通項があるわけじゃないですか。経営する上での
そういったことを伝えているので
多分彼にとってはうちで学んだことをベースに
起業してくれてはいると思うので
役に立っているのかなというふうに思います。
オールジャンルいけるように育てるというのが
僕の目標ではあるので
一つ体現してくれているという意味ではすごく嬉しいなと思います。
もう一つ私がすごいなと思ったのが
私が社長だったら社員手放したくないなというか
できないなと思って
そう思えるのって何でなのかなというか
そうですね。
自分自身もそうさせてもらったっていうのもあるので
イクルートってすごい偉大な会社ですけど
辞めていく人たちにもちゃんと仕事を出す会社なんですよ。
生命体として結構巨大なのかなというふうに思って
それを見てきたからみたいなのが
影響としてすごく大きいんだと思うんですよ。
もちろん辞められるということは
会社にとってマイナスという見方もあると思うし
一方で何ですかね
その人が辞めたとして
辞めて自分で起業してチャレンジしたら
また能力とかも伸び入れたりするじゃないですか
その上で一緒に仕事をした方が
それじゃ会社にとってもいいかもしれないという考え方もあるし
もちろんそういう人たちが
うちの会社の中で新しい事業をチャレンジできるような環境は
どんどん作っていこうと思うので
辞めずに一緒にやれるというのが
うちの会社は僕にとってはベストかもしれないですけど
いろんな形があってもいいかなというふうに思って
もちろん半年とか一緒に働いて起業していくということじゃなくて
少なくとも3年は一緒に社内でやろうねという話をしているので
そういう約束みたいなものがあって
それを守ってくれた人たちとは一緒にやっていこうというふうな思いでいますね
山崎さん個人の話になるかもしれないんですけど
社長は何歳ぐらいまで続けたいのかとか
今後の山崎さん自身のビジョンとかもお聞きできればと思うんですけど
そうですね
北海道自社という会社は45歳まで任社長を退任するという
そうなんですか
私今40なので
いろんな人と社内のメンバー含めてガールの人たちと仕事しながら
43から3年ぐらいで後継者を探すというふうな活動を今しています
そうなんですね
ちょっと今衝撃だった
予定調和じゃなかったですよね全然
その質問を引き出すための質問のように聞こえますけど
森さん全く知らずにこの話をされていますね
そうなんですよ
経営意思決定っていうのも
やっぱり若い人っていうものがする方が正しいと僕は思っているので
特に僕らの仕事って今でいくと
街を作るみたいなことだったりとか
新しい事業を作るっていうことをやっているんですけども
一定の経験積んだ20代後半から30代の人たちがやっていける方が
会社にとっていいというふうに思っているんです
僕ももう14年やって
その時までは20年弱やることになると思うんですけど
それぐらいのスパンで引き継いでいけるのがいいなというふうに思っていて
リクルートも今4代目か5代目の社長がやってると思うんですけど
ごみ役ごみ役と成長してるじゃないですか
あれが素晴らしいなっていうふうに
大体30代から40代の経営者が着任してると思うんですよ
あれが60代とか70代の社長がずっとやってたとしたら
すごい伸びたやつなんですよね
僕らもそういう永続できるような
成長していけるような会社にしたいなと思っているので
サクセッションを若い人にしていくっていうことを目指してやってますし
自分自身は社長を退任したとしてもまだまだ
45歳になって働けるじゃないですか
バリバリ前線で働こうというふうに思ってますし
企業支援とかそういったところに時間を費やしたいなというふうに思ってます
あくまで社長っていうポジションとはまた別になるけど
その関わりとしては続けていくみたいな
不動産業界への興味
そうですね
社長が許せばみたいな感じで
営業部長なのかわからないですけど
新規事業部みたいなのかわからないですけど
そういう形でやっていきたいなというふうに思ってます
ちなみに45歳っていう数字の決め手とかってあるんですか?
そうですね
将棋が好きなんですよ
話がすごく変わるんですけど
小さい頃からの趣味みたいな感じで
やっぱり40くらいになるとピークアウトしてるなって思うんですよ
羽生義晴先生とかいろいろいるんですけど
やっぱり20代から皆さん強くなり始めて
30前後くらいでそれぞれピークを迎えて
40くらいになると如実にちょっと結果が落ちていくなっていうふうに思ってて
脳みそを使うゲームじゃないですか
意志決定のゲームなわけですよ
その意志決定が40代になればなるほど
後半になればなるほど衰えていくっていうふうに思っているんで
自分自身も全く自覚ないですけど
そうなっていくんだと思うんですよ
一方で若い世代の人たちって
より良い意志決定ができる人たちがたくさんいるわけじゃないですか
そういう人たちにバトンタッチするタイミングは
結構理にかなってるんじゃないかなっていうふうに思ってるんですよね
将棋をベースに判断したって感じですね
ここまでのお話を簡単に振り返ると
まず学生の頃から企業を目指されて
北海道拠点に誰もが挑戦できる社会を作るっていう目標を持ちながら
さまざまなチャレンジされて
無用曲折ありながらも15年間会社を経営されて
そして今後あと5年で社長が退任されて
若者の企業支援の方に力を入れていきたいっていうことだったと思うんですけど
こんな感じで佐々木さんについて深く知れたところで
この番組で山崎さんとリスナーの皆さんに
どんな思いをお届けしたいかお聞きしてもいいですか
阿部さんと杉野さんにお声掛けいただいておりませんかって言われたんで
とりあえずやってみようみたいなところでやっているので
ふどうさんだったり僕らがやってる新規事業企画開発は
結構面白いっていうふうに思っていて
仲間を増やしたいんですよ
社員でもいいですし読みたくてもいいですけど
一緒にプロジェクト変わってくれる人たちが増えたらいいなっていうのが
ふどうさんっていかがわしい話がたくさんあるし
そういうのなんか興味あるじゃないですか
みなさん興味あると思うんで
裏の話とかを話していきつつ
ポジティブな話もこういうこともできているので
ポジティブな話もすごく面白いと思って
そういう話をしながら
ふどうさん業界とかに興味を持ってくれる人たちが増えたらいいなっていう
そんな思いで続けていけたらいいかなという風に思います
はい ありがとうございます
リスナーへのメッセージ
どういった方に番組を聞いてもらいたいかというイメージはあったりしますが
そうですね
ちょっとふどうさん業界に興味あるけど
怖いって思ってる人たちだったりとか
逆に全く選択肢がない人が
興味を持ってくれるっていう意味でもいいかなっていう風に思って
そうですね 幅広い人たちに聞いてもらって
いけばもらいながら
構成を決めていけたらいいかなという風に思います
コメントとか質問とかが来るようになるのが理想ですよね
そうですよね
誰からも聞かれてるんじゃないかっていう
恐怖とか考えながらやるよりも
なんでもいいから
メッセージくれると嬉しいです
私もどういった方々に聞いてもらいたいかというところで
企業に興味のある方にもぜひ聞いてもらえたらなと
思ってます
そして私も挑戦者の一人というか
パーソナリティー
このポッドキャストのMCをするみたいなところが
自信はないんですけど
挑戦させてもらえる場がいると思うので
私自身も頑張りつつ
自分も何かやってみたいという方々に
届けられるものになればいいなと思ってます
素晴らしい
そうですね
目指すって自分が思って
結構大きなことじゃないですか
でもやってみると
そんな大したことなかったよなみたいなこと
結構たくさんあるし
その結果広がっていくというのが
すごいあると思うんですよね
アメさんが今回
正直性格的にも
こういうことをやる人じゃないんじゃないですか
でもそれをチャレンジされて
本当に素晴らしいなというふうに思うし
この一歩って絶対こう何か
動き出すきっかけになると思って
アメさんを見て
ラジオを聴いてくれてる皆さんが
自分もちっちゃくていいんで何か踏み出そう
って思ってもらえたら
最高ですね
そういう人に聞いてほしい
整理できました
成長と期待
そうですね
今後に期待ですね
毎回数重ねていくうちに
アメがどれだけ成長するかというところと
もう既にだいぶ成長しました
本当ですか
実は僕らこれ1回目の収録といって
過去2回ぐらい練習はしたんですけど
その時から比べたら
1回ぐらい成長してますよね
ありがとうございます
一歩踏み出すってめっちゃ大事ですよね
本当ですね
引き続き頑張っていきます
よろしくお願いします
それでは次回もお楽しみにということで
今回はありがとうございました
ありがとうございました
この番組を聞いた質問、感想なども大歓迎です
番組の概要欄に記載がありますので
そちらをコピーしてお使いください
この番組は毎週水曜日に配信されます
それでは次回もどうぞよろしくお願いします
37:06

Comments

Scroll