科学的思考の履歴
はい、どうもゆうとです。今回はですね、なぜ科学的な考え方を重視してきたのかという話をしてみようかなと思うんですけども、
これまでですね、自分は大学院とかで研究もしてきた中で、主にどっちかというと自然科学寄りの考え方で行動してきた部分があるんですけど、
最近で言えばですね、結構哲学とか人文系のところも勉強して、そちらの面白さも感じてきてはいるんですけど、
根っこの部分ではどっちかというと、そういう科学的な考え方の方が合うかなと思う部分があるんで、改めてしゃべってみようかなという感じですが、
科学的な考え方って何?みたいなところもあるんですけど、どっちかというと自然科学的な考え方、
文系理系で言うと理系っぽいというかですかね、なんかこう普遍的な事実というか、数字で客観的に測れるとか、人による認識のズレが少ないものとか、
真実に近そうなものみたいなものが結構個人的には考える方が好きだったというか、得意だったというか、
そういう感じですかね。自分は理学療法士とかアスレティックトレーナーというような資格で、体の健康についてよく考えたりとか、
人間健康科学という分野で研究して博士号も取ったりしているんで、体の不調とか何か医学的な問題とか、こういうのがあった時に、
やっぱりできる限り正しそうな答えっていうのは見つけ出したいなと自分の中では思いますし、それが関わる患者さんとかクライアントにとってもいいことだろうなと思うんで、
やっぱり可能な限り正しさみたいなことは追求したいなと思ってたんですよね。それで、近年で言えばエビデンスみたいなものが結構重視されてきて、
それを見つけ出すためには、一人の患者さんとかが効果が出たというだけじゃなくて、複数で効果があるとか、
しかも実験的にこういう治療法とこういう治療法を比べた時に、やっぱりこっちの方が効果があるよねっていう、薬の研究とかもそんな感じですけど、
こうやって、ある程度科学的に正しさみたいなことを考えていく、因果推論というような考え方もあるんですけど、これもどんどん発展してきて、今に至るっていう感じなんですけどね。
こういうのを学んできて、科学的な正しさみたいなことを重視するのが、自分の中では正しさを感じやすかったからっていう感じですかね。
もともと学生時代というか小中高とか、こういう時でも理系的な数学とか物理とかの方が考えるのが得意なタイプっていうので、
そういう難しい問題みたいなところに答えに行き着く過程みたいなものを考えるのが好きだったタイプなんで、
そこからですね、理学療法士とかアスレチックトレーナーとして体の不調がある人っていうのがいた時に、
理系的な考え方で正解を見つけるみたいな方が良かったというか、自分に合ってましたし、それは前回もちょっとスポーツみたいな話もしたんですけど、
水泳とか、例えばボートとか、そういうのでも数字で目指す結果というかパフォーマンスが高いものっていうのがわかるんで、
それのためにはこういうトレーニングした方がいいとか、休業休むところとしてこういうふうにした方がいいとかっていうのも科学的な研究でもいろいろあったりしますし、
それを自分の体の中で人体実験というか繰り返してやっていく中で、やっぱりこれが良かったのだみたいなことを、
自分の中で理解していく過程みたいなことも好きだったんで、こういうスポーツの活動とか研究とか含めて科学的なことを考えていくと、
より前に進んでいける感覚みたいなのが感じやすかったからですかね。で、科学的に結構考えてきたのがありますし、
逆にですね、数字によらないものとか人の解釈次第でどうとでも取れるみたいなことも世の中あるような気がして、
なんか自分の中では絶対そうではないかもしれないですけど、例えば球技とか団体スポーツとかって、
監督とかコーチとかの意向というか考え方とかで絶対的なパフォーマンス動向というよりもチーム組成が考えられるとか、
これもチームビルディングというかチームのことを考えたら、やっぱりこういう配分がいいからとか、こういう素性がいいからというような考え方もあるかもしれないですけど、
なんかこう自分が納得できない可能性を感じたというかそういう人の解釈に委ねられてしまう、
なんか不公平さが生まれてしまう可能性があったんで、絶対的な数字で測られるものの方が納得感を感じられる。
科学と人文の融合
もちろんそっちの方がシビアなものはあるかなと思うんですけど、例えば年齢が若かったりとかしてもしっかりパフォーマンス、
他の人が認めるパフォーマンスさえ出れば認められるっていう、下国上も可能な世界観というのがそういう科学的なところかなっていうのを感じてたんで、
自分は結構そっちを意識してきたという経緯があるんですけど、最近はですね、そうでもないよねというか、
例えば、特に医学的なことに関わってきたところもあるんですけど、実際の人に関わるとかっていうと、
科学的な正しさどうこうじゃなくて、その人の解釈とかその人が持っている物語とかに合わせてやった方がいいというか、
そうやって人が動くものっていうのもだんだんわかってきたのもありますし、本当にこう科学的なものを追求していこうと思うと、
もっとミクロな細胞レベルの研究に行くとか、めちゃめちゃ大きい公衆衛生とか疫学っていうような領域に行くと、
もっと科学的な考え方を生かしたものは追求しやすいっていうのもなんとなくイメージはあるんですけど、とはいえですね、
自分はリアルな人というか、目の前の肌感覚として感じられる人との繋がりみたいなことも結構重視していきたいなと思うタイプなんで、
そうなるとやっぱり科学的な考え方だけじゃダメだよねみたいなのが、やっと30代半ばとか30歳超えてぐらいで踏み落ちるようになってきたっていうのがあるんで、
最近ですね、結構人文系のことも興味深く勉強できるようになってきましたし、逆にそっちの面白さも感じれるようになってきたっていう感じですかね。
人によってはですね、逆にそういう人文系のところから入って、科学的なことも大事だよねっていう風にして進んでいくような人もいるかもしれないですし、
本当にどちらかに振り切ってやるような人もいるかなと思いますけど、自分はセラピスト的な仕事でリアルな人に関わるとかっていうと、
やっぱりそういう文系理系とかその哲学とか科学とか、どっちもですね、バランスよく学んでいくことがいいのかなっていう感じがしてるんで、
今後もですね、結構間の部分でいろいろ取り組んでいくかなと思いますけど、今回話したような理由で、でもどっちかっていうとやっぱり科学的な方の比重が強めかなと思う感じですかね。
なんとなく過去の深掘りで、これまでの自分の行動とかも合わせていくと、最近ですね、なんで科学的なことを結構重視してきたのかなみたいなことも、
今後の学びの方向性
メタ認知的に自分でも分かってきた部分がありますし、それだけじゃないから違うことを学んでいってるみたいな理由も自分の中ではちょっと踏み落ちる部分があってきたんで、
ちょっと振り返って喋ってみたという感じですかね。やっぱり科学的に考えていくことが正しさに近づきやすいっていうのは考えてた部分はありますし、今でもある程度は思うんですけど、
やっぱり100%じゃない部分、科学的に100%正しいものってなかなかなかったりするんで、どんどん批判的に考えていくようなところもあるかなと思いますしね。
そうなると自分の中で納得できない部分とかがあったりするんですけど、それが最近哲学とか勉強していくと、それももうちょっと踏み落ちることが増えてきたりしてますし、
あんまり正しさばっかり追求すると発信するっていうのもしづらくなるんで、ちょっとですね、正しさ重視というよりは自分の主観とか解釈よりで喋っていくのも今後はありかなと思ってるんで、
今回もですね、誰のためになるとか全然わかんないような話ですし、正しさこういうふうにするべきみたいな話でも全然ないんですけど、
自分の中ではこういうふうな過程を歩んで今こうありますみたいなことはまあまあちょっと喋ってみてもいいかなと思ったんで、今回はこんな話でした。
以上です。ありがとうございます。