植物と心の考察
前回は、植物についてどう考えていこうか、という話をしてみようかなと思うんですけども、
前回は、植物についてどう考えていこうか、という感じで、つらつら喋っていったんですけど、
これまで、自分は人の健康とか、動物とかにはちょっと触れてきたんですけど、植物っていうのはまだどう考えていっていいか、
わかんないなーっていう感じがあったのと、心っていうのもですね、考えてきたかなと思うんですけど、まだまだちょっとよくわからないなっていう部分が多いので、
その辺の経緯とか、どんな感じで学んでいってるかな、みたいなところを喋ってみようかなという感じなんですけど、
学問を理系分系で分けるっていうのもどうかなっていう感じなんですけど、自分はどっちかっていうと理系タイプで、数学とか物理とかですね、
こういう公式があったりとか、考えればこれに対する、ある程度正しかろうという答えが出るような学問の方が得意っていうか、好きな方だった感じで、
どっちかっていうと現代文みたいな、被写の考えはとか、思いはとか、そういうのなんでしょうね、答えがこれっていう風な、一応問題ではあるかもしれないですけど、
ちょっと人によって解釈が異なりそうなこととかは、ちょっとよくわかんないなーみたいなのがあったりして、この辺はいろんなところに通じてくるんですけど、
スポーツとかっていうのも、水泳をやってたりとか、大学だとボート競技みたいなことをやったりとか、本当にそのパフォーマンスみたいなのが数字でわかるもの。
このパフォーマンスを、この数字を伸ばすためにどうしたらいいのかっていうので、体を鍛えようかとか、体の使い方を変えようとか、道具の使い方とかですね、
そういう法定式が組めるような感じですかね。こういうところのほうが、自分が考えた結果が何に結びついかったかっていうのが結構わかりやすいので、それがモチベーションが上がりやすい。
逆にチームスポーツみたいなこととか、球技とかですね、こういうのはあんまりやってきてなかったのは、やっぱり変数がかなり多くてですね、
試合に出れるかとか、試合で勝つかどうかみたいなことを考えていても、その時のチームの状況というかですね、人の組み合わせとか環境とか、変数が多すぎて頭で追いつかないという感じで、
なんかちょっと苦手意識を感じていた部分もありますし、セラピストという立場で現場で活動したりとか、研究とかもしていったんですけど、
研究に関してもですね、どっちかというと自然科学よりの数字で結果が出るというか、メインの研究で白紙家庭では腰痛の研究をしてたんですけど、腰痛というのもですね、いろいろ言葉で分類していったりとか、
腰痛の程度みたいなことを数値化するものもいろいろあったりしますし、ここでも今回のテーマの心みたいな心理的な要因が絡むものみたいなこともあったりするんですけど、
腰痛に関してもですね、やっぱり物理的な要因がかなり強いものとか改善のアプローチをとっても、手で施術をするとか運動指導とか、電気とか温める冷やすとかですね、物理療法というのがあったりするんですけど、
ここでも自分は物理療法というのの効果検証を注目したというので、腰痛というのもあまり心が絡まない、身体的な要因が強い腰痛で、しかも改善のアプローチというところもできるだけ数値でパチッと決めれる、再現性があるようなアプローチというので、物理療法というのを選択して、
こういうタイプの腰痛にはこういうのがいいんじゃないかっていう、ある程度結論めいたものを言えるような形で研究していったという感じで、だから20代後半ぐらいですかね、スポーツ役だりとか研究でも自然科学的なことをやっていった時っていうのは、あんまり心に考えすぎなくてもいいというか、それで結果を出せるようなところで活動していったんで、
学問の分野と自己経験
ちょっと心について考えるところから離れてたというか、逃げてたというか、こういう状況があったりするんですけど、そこからですね、例えば結婚して子供ができましたとか、自分で会社作って事業を始めましたみたいなところで言うと、そういう論理的な思考というかですかね、これにはこれがいいみたいなもので考えても、本当に欠陥に繋がらないというか、
家族が円満に暮らすとか、地域の中で関係性を築いていくとか、そうやって事業としてクライアントを獲得して、仕事をして、信頼関係を得て、そこから先に繋げていくみたいなところは、まさに心みたいなのが関わる部分で、どうしようかなみたいなことを思ってたんですよね。
この中で事業に関しては、やっぱりマーケティングみたいなものとか、マネージメントとか経営とかっていうのも、ここもですね、やっぱり心理学とか社会学とかも関わってきますけど、もうちょっと経済学的なところとか、ゲーム理論とかですね、そういうところで言うと、数字でもある程度見えてくる部分もありますし、
そっちでも自分の得意な思考の形を生かせるようなところは見えつつも、実践する中で実体験として学んできたというか、そういうのはありますし、あと家族とか地域の関係とかっていうのも、自分が子供を生まれてきた家庭の中だったりとか、地域も結構交流が田舎地方であったりするとかなんで、
なんか体系的に理論として学んでこなくても、実体験として経験してきたこととか、それである程度家族の関係とか地域の関係とかはうまく整えていけたりしてるところもあるんで、言語化できてないけど、ある程度仕事とか家庭のところでもいい方向には向いてきたんじゃないかなという感じなので、
身体感覚としては心の理解の仕方、コミュニケーションの取り方みたいなことはわかってきてるかもしれないけど、やっぱりなかなか言語化しきれないなという感じはありますかね。
最近結構心とか、カウンセリングとかですね、特に阿藤畑海人さんとか有名になっていろいろ本とかも出されて、自分もその本を読んだりしてますし、そこで心理学的なものって、今まで感覚的にとか自分の経験の中でやってきたことを言語化してもらえたなみたいなことはあったりするので、心についての理解も少しずつは深まってるかなと思いますけど、
やっぱり全て理解しきるみたいなのはすごい難しいなと思ったりしますね。
そこでちょっと知り合いから紹介されて、マーク・ジョンソンという哲学者の身体の意味・人間的理解の美学みたいなかなりカタックルしい本があるんですけど、
今回の心みたいなテーマでいくと、身体と心みたいなのを2つに分ける心身二言論みたいな考え方があって、特にデカルトとかあの辺の時代で言われてた、心と体っていうのは別物で、心については心で考える、身体については身体で考えるみたいな2つ分けて考えようみたいな時代もあったりしたんですけど、
それより以前だと結構もう心と体は一体でっていうか、特に分けるものじゃなくて繋がってるっていうところとか、東洋思想もそんな感じもあると思いますし、
近年ですね、もうその心身二言論っていうような感じよりは、一言論的な心と体っていうのは繋がっていてというか、心と言われるものもやっぱり身体に根差したものだよねみたいな考え方がその本だと結構詳しく書いてあって、まだ全然理解はしきれてはないんですけど、
自分はどっちかというと身体の方から考えてきたりとか、実体験として心的なものに触れてきたかなと思うんで、心っていうものから考えていくっていうよりは、そういう身体の方からどう心に繋がってるのかみたいなことを考えていくことがちょっと腑に落ちやすい感じはして、
とはいえですね、がっつり心について考える精神分析とか推進理学みたいなものとか、もちろんここも身体との絡みとかっていうのは考えられている部分はあると思いますけど、自分はどっちかというと身体的なところとか理論とかそういうところから考えてきたところがあるんで、
そっちからの方が今までの経験的には理解しやすいですけど、逆に本当に何かその二言論的な心っていうものから考えていくと違う見え方もするかなと思いますし、その間で多分どっかで自分の中でこれはしっくりくるなみたいな考え方が見えてくるんじゃないかなと思うので、今後もですねもうちょっと心についても考えていきたいなという感じですかね。
自分が見えている体みたいなものって目に見えますし、体の中はなかなか見えないところもあると思いますけど、自分は目に見えないものっていうのをなかなか信じれないというか腑に落ちづらいみたいなところがあるんで、どっちかというと身体寄りで考えていく方がしっくりきやすい感じではあるんで、そっちから考えていくと面白そうだなみたいな感じですかね。
本当に心ってよくわかんない感じですしっていう、後半なんかダラダラこういう風に喋ってますけど、この辺ですね、ちょっとまた真ん中ごととかあれば喋っていこうかなと思いますし、興味ある人はいればですね、こういうディスカッションをしていけたらいいかなと思うので、またコメントとかリターとかいただけたら嬉しいかなと思います。
以上です。ありがとうございます。