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前回の収録で、株式会社以外の活動として、障害者スポーツによるクラス分け、理学療法士という資格の教育システムの話をしましたが、
もう少し抽象的に、自分がこれまで感じていたもので、ストレスに感じていたこと、それがどういう原因にあったかというと、
不平等なゲームというところと、努力と成果の不一致、それぞれによるストレスによるストレス、
自分が今取り込もうと思ったら、具体的にこういうことができるというのが、前回話した2つのところなんですけれども、
根本的にはこういうものが減るといいなと思っているというのが、ちょっとふと感じたところだったので、その辺の話をしてみようかなと思いますけれども、
まずその不平等なゲームというところで、具体的に自分が挙げたのは、よくこれまで関わっていた障害者ボート競技というところのPR1という一番重いクラスの中で、
結構選手間の障害の度合いとかの確率が高くなってきて、
結構重い障害のある方は、どこまで努力したとしてもその差を埋められないぐらいのところがあってですね、
そうするとやっぱり同じ競技としてやるのが難しいんじゃないか、そういうので不平等なゲームというのが、
そういう不平等な競技としてやるのが難しいんじゃないかというところがあってですね、
そうするとやっぱり同じ競技としてやるのが難しいんじゃないか、そういうので不平等なゲームというのが、
そういうルールになってしまうとよくないよね、みたいなことを思ったっていうのと、
努力と成果の不一致っていうのは、理学療法士の教育っていうのを考えた中で、
理学療法士っていうのは何かしらの疾患病気とかを抱えている人が回復していく過程でサポートしていくみたいなところなので、
いかに何か疾患を抱えている人が満足いくような形で回復できたとかですね、
いろんな疾患に対応できるようになったかみたいなところが理学療法士としての技量かなと思うんですけども、
その能力を高めていったとしても、なかなか成果として評価されづらい仕組みがあったりして、
これは前回話し切れなかったかもしれないですけども、
例えば病院で理学療法士として働いたときに、何単位仕事をしたのか、
20分一単位として何人見たかとか、何件対応したかみたいなところが保険請求としては見られるところなので、
いかに早く回復できたかとか、精度高くアプローチできたかみたいなところはなかなか評価しづらいところで、
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理学療法士としてキャリアアップしていこうと思ったら、単に技術を磨くだけじゃなくて、
学術的な論文を書いていくとか、もちろん大事なんですけどね、
あとはマネジメント能力を身につけて、その組織の中で管理職になっていくかみたいなところが評価されるポイントなんですけども、
その本文であるその知識技術を高めていくことがなかなか給料とかの形で評価されない、
これが努力と成果の不一致みたいなところかなと思うんですけど、
こういうのがあるとやっぱりモチベーションも上がりづらいし、ストレスもかかるかなと思うんで、
こういうところを解消できるといいんじゃないかなと思うんですよね。
不平等なゲームに対するストレスって、自分はスポーツ領域で挙げましたけども、結構いろんなところであるんじゃないかなと思いますし、
事例として障害者ボートっていうのを挙げましたが、障害者じゃなくて健常なボート競技であっても、
軽量級と重量級っていうカテゴリーがあったりして、やっぱりなかなか人によって身長の伸び具合とかは違うと思いますし、
体格にも限度があるので、体格によって例えば70キロぐらいの人と100キロぐらいの人だったら、
圧倒的にボート競技であれば100キロの方が速かったりとか、強くなれる可能性があるっていうので、
埋められない差が起きてしまうと思うんですよね。
こういうところで何かゲームみたいなのに参加した時に、ちょっと劣った特性を持った人が、
どんなに努力をしても勝てないようなところっていうのは、やっぱりそもそもゲームの種類を分けたりとかする必要があるかなと思いますし、
個人にとっては違うゲームに移るみたいなことも必要だったりするかなと思うんで、
いろいろ観点が違いますけども、今回はどっちかというとゲームを作る側の視点に立った時に、
より多くの人にそのゲームに参加してもらおうと思ったら、
そういう不平等感みたいなことは解消していかないと、なかなか人が集まらなくなってしまうよねみたいなところですかね。
なので、逆に個人単位でいくと、どうしてもその不平等なゲームっていうのが目の前にあるんだったら、
自分の特性を生かせるようなところに移っていくっていうのが必要なんじゃないかなと思ったりする感じですかね。
あとは次の努力と成果の不一致っていうところなんですけども、
ここで例を挙げたのは理学療法士っていうところですが、
本格的に理学療法士のベースであるリハビリテーションみたいな能力を高めていった先に、
なかなか給料としての成果が上がりづらい仕組みになるので、
うまく政治的に人間関係で仲良くなって引き上げてもらうみたいな動きをしていくとかですね、
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その管理職的な方向に行くとか、あとはその学術方面で目の前の患者さんを改善するというよりは、
自分の学術的な論文を出すとか、そういう成果を元にして、
やっぱり目の前の患者さんとかに関わってしまうと、本当にその人にとっていいことじゃなくて、
そのセラピスト側の成果のための行動とか言動になってしまうこともあるわけで、
こうなるとですね、やっぱり良くないと思うんで、
今結構課題としてあるのは、現場で本当に頑張っているセラピストみたいな人が、
なかなか制度の中だと評価されづらい仕組みにあるという感じですね。
だからここも、さっき言ったゲームのルールを変えるとなると、
例えば理学療法士であればですね、国家資格を取った後に、
教会で認定とかそういう仕組みもあるんですけども、
こういうのを取っていけば何か報酬が増えるとかですね、
あとは関わっている患者さんの改善度合いとかですね、
こういうところをプラスアルファの評価として何かインセンティブがついていくとか、
こういうのがあると、より現場の能力を高めていこうというモチベーションは上がるかなと思うんですけど、
正直結構ここは難しさがあったりはするので、めちゃめちゃ時間かかりますし、
そういう動きは別でした方がいいと思うんですけど、
どっちかというと、理学療法士側で言うと個人単位でスキルを身につけたのであれば、
やっぱり制度の中だけじゃなくて、一応フリーランスセラピストというカテゴリーを自分は提唱していったりしますけども、
もうちょっと資本主義の中でっていうかですかね、
ちゃんとこう改善できたりとか満足度を高めるような能力がつけば、
それによって対応するクライアントの数が増やせたりとか、
単価を自分で設定して上げていくことができるみたいなところでいくと、
そのセラピストの努力っていうのが成果と一致してくる連続性があるような感じになってくるので、
個人単位で見ればですね、その理学療法士含めたセラピストっていうのは、
本当に現場の活動を重視して、それを成果としてその報酬につなげていくのであれば、
結構独立していくっていうのはいいんじゃないかなと思ったりしてますかね。
あとはですね、それも完全に個人に寄りすぎずに、さっき言ったような何でしょうね、
ゲームのルールを変えていく方向でいくと、前回言ったような臨床推論っていうのを学んでいって、
何か認定が受けれたりしたら、それによって報酬が上がるような仕組みもできたらいいなと思いますし、
またいろいろやり方はあると思うんですけどね。
なので今回思ったのはというか、前回の話を含めてストレスに感じてしまいやすい構造っていうのは、
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ゲーム自体が不平等であるっていうのと、努力した結果、それが成果に結びつかない状況にあるとストレスに感じやすいんで、
そういう状況っていうのは個人単位であれば何かゲームを変えたりとかやり方を変えますし、
そのゲーム自体のルールを変えていくっていう方向性もあるよねみたいなことを自分の中でちょっと気づきもあったので、
前回の話をちょっと抽象度を上げて話してみました。
今回話したところは自分の例なので、ちょっと他の方で言うと、こういうのも不平等なゲームとして存在するよねとか、
こういう業界も何か努力した成果が直接結びつかずに、なかなかモチベーションが上がりにくい構造になってるんですよねみたいなことはもうちょっと知ってみたいなと思いますし、
自分の取り組みが何かそういう業界の改善にも応用できたらいいんじゃないかなと思ったりするので、今後も色々考えてみたいなと思います。
以上です。ありがとうございます。