身体を考える旅
はい、どうもゆうとです。今回はですね、身体について人文的に考えていくと、どこに行き着くのかという話をしてみようかなと思います。
全く答えみたいなものじゃなくて、今まさにですね、身体についてなんかいろんな人文的な知見をもとに考えていってるんですけど、自分の中でですね、これを続けていくとどこに行き着くんだろうなぁみたいなのが全く答えが見えないまま進んでるっていう感じなんですよね。
まあでも今すごい興味があって、なんか見つかるんじゃないかなみたいな気差しっていうかですかね、そういうのはあるんですけど、ただ単純に楽しんでやってるっていうような感じで、逆にこれまでですね、自然科学的なというか客観的で論理的な形で、どっちかというと身体については考えてきたっていうところで、理学療法士という資格を取ったりとか、
ステレティックトレーナーとかですね、ハートスポーツをやってきたとか、大学院で研究とかをする中だと、例えば身体っていうのを考えた時に解剖学とか運動学とか生理学っていうような学問があって、まず体がどういうものによって成り立っていて、中には臓器とか神経とかそういうのがあって、どれが機能してですね、体が動いていくとか、それが運動学とかというと、
体の動きっていうのにもつながってくるので、スポーツとかですね、特に自分の理学療法士とか、ステレティックトレーナーでいうと、動きの悩みとか、体の痛みとか、そういうとこに不具合が起きたりとか、こういうふうな動きをしたいという時に、どうしたらいいのかみたいな、こんな感じですね。
身体っていうと、あんまり感情が乗らずに、肉の塊っていうまではいかないですけど、物理的なものとして身体を捉えて、痛みとかってなるとまたちょっと複雑にはなってくるんですけど、それもできるだけ客観的な見方を通して解決策を探ってきたというか、こういうようなアプローチで考えてきたので、
あんまり人文系の知見というのが入り込んでなかったんですけど、ここ数年ですかね、大学院で研究してきた腰痛とか痛みっていうのも探求していこうと思うとですね、やっぱり物理的だったりとか客観的なものでは考える限界がきたりとかですね、歴史とか文化とかそういうのを学んでいくと、ちょっと新しい見え方ができてきたりして、個人的には面白いなと思ってますし、
ただこれがどこに行き着くかは全くわからないみたいな感じで、最近考えていることとかですね、気になることとかどんな取り組みしてるみたいなのをざっと喋ってみようかなという感じですかね。
この今スタイフのチャンネルはちょっと前に身体のユートピアっていう名前に変えたんですけど、これは元々ですね、今関わらせてもらっているオンラインコミュニティの和製サロンという中で始めた取り組みっていうかですかね、
身体に関することとか身体について学んでみようみたいな発信をその中でやっている中で、なんかちょっと対話するイベントみたいなのが始まった時にこの身体のユートピアっていう風に名付けたっていう感じですね。
そこでは身体に関するいろんなことをざったに対話するみたいな機会なんですけど、ここでも全くというわけではないですけど、あんまり科学的な知見とはあんまり出てこなくて、
参加した人がこう思うんですけどっていうか、こう身体としてはこういう風な感じだったんですけどみたいなこととか、その身体、皮膚みたいなところで言えばその実際の皮膚だけじゃなくて、外に見えるところだとこうファッションみたいなところに通じてきたりとかですね、なんかいろんなこう話の流れがあって、個人的にはすごい面白いなぁと思ってるんですけど、
どっちかというとこう人文的な話を広げていくような形で、対話みたいなのが行われているかなぁとは思いますかね。で、そこから最近ですね、一緒に体を動かすようなイベントをやってみたりとか、一緒になんか読書会っていうわけではないですけど、こう身体にまつわる本を一緒に読み解いていこうというかですかね、まあこういう取り組みも派生して出てきたというところではありますけど、
体を動かすのもですね、例えば腰痛を改善しようとか肩こり改善しようとか、そういう目的もあるとはいえ、もうちょっとこう体を動かすこと自体を楽しむっていうかですかね、以前から無目的運動みたいなものも大事じゃないかなと思ったりしてて、これも今現代で言うと、痩せるためにとか健康のためにとか仕事のためにとか、なんか目的思考が強くなりすぎているけど、それだとやっぱり運動ってあんま続かないよね。
とか楽しめないよねっていうのがあったりするんで、こう自分が気持ちいいと思うとかですね、なんか習慣化して続けちゃうみたいな形に落とし込む、無目的な形の方がいいんじゃないかなみたいなことを思ったりして、体を動かすっていうのもですね、こういう流れでできるといいかなと思っているので、あんまり目的を決めすぎずにそういう体を動かすみたいなことも今後もやっていけたらいいかなと思ってますし、その本を読むっていうのも以前もちょっと取り上げたんですけどね、
身体の意味とか人間的な理解の美学みたいな本なんですけど、その意味みたいなものってまさになんか哲学的なっていうか、存在論、認識論、意味論みたいな括りもあったりしますけど、その意味みたいなものっていうのを身体を通して考えていこうっていう本になってて、これもすごい面白いなと思ってるんですけど、
痛みの理解と無意識
まあよくですね、心と体みたいな2つ分けたりするかなと思いますし、個人的に最近メンタルヘルスみたいな取り組みもあるんで、心とかメンタルについて考えることもあるんですけど、やっぱり人間はですね、心っていうのがなんか分離してそれがあるっていうよりは、やっぱりかなり体と結びついているところがあるかなと思いますし、そのメンタルヘルスみたいなことを考えるにあたってもですね、
頭の思考とかメンタル、心みたいなところだけに向き合って、例えばカウンセリングをするとか、認知行動療法みたいな思考を切り替えるっていうか、そういう療法もあったりしますけど、これもですね、脳だけとか心だけにアプローチしたりしようと思うとやっぱり限界があるんじゃないかなみたいな、そこの根本にはやっぱり身体があってっていうのは思うので、
この辺もですね、さっきの本を読んでいくとより理解深まっていくところかなと思いますし、最近ですね、その生成AIとか言語化だったりとか、こういうところも結構話題に上がることが増えてきて、じゃあ人間は何ができるのかみたいな話もあったりするかなとは思うんですけど、ここでもやっぱり身体っていうのは結構キーワードっていうかポイントになってくるんじゃないかなっていう気がしてるんですよね。
特に生成AIだと言葉をうまく要約したりとか、その質問に対して答えるみたいなことがあるかなと思いますけど、これってやっぱり意識に昇っているところを言語化した上で、それを処理するっていうか、そういうところが生成AIだと特に得意なところかなと思いますけど、
やっぱり人間で言うとですね、本当に意識に昇っているところってそこまで多くなくて、無意識的に活動している身体機能というのもいろいろありますし、あとは行動するにしても事前に考えて、論理的に意識して行動するというよりは無意識的に動かされているというか、その環境に応じて動いているみたいなところも結構多いかなと思うんで、こういう言語化できない体の動きとか行動っていうのもかなりあるかなと思うんですよね。
こういうのを読み解いていこうと思うと、やっぱり科学的なところには限界があって、人文的なところが活かされるのかなぁみたいな感じはしてますかね。
もともとこういう痛みとか、腰痛肩こりとかですね、こういう人の悩みを聞くことも多かったんですけど、まさにこういう痛みとか腰痛とかも含めてですね、これも科学的に考えれば何か物理的にこういう刺激が入って、それが脳に入って痛いって感じるみたいな仕組みはあるかなと思いますけど、
こういう痛みの定義とかを見ていくとですね、なんか不快な情動っていうか、まあこういうような言葉も入ってきたりして、なんか本当に物理的な刺激が同じように関わってもそれを痛いと感じる人もいれば痛くないというふうに感じる人もいますし、
まあかなりこう人の痛みを理解しようと思うと言語化できないところもあったりとか、その人と比べることもできないというところで、やっぱりここもかなり人文的なとこは影響してくるかなと思いますよね。
なんでその住んでいる土地の文化価値観とかこういうことによってこの痛みっていうのは悪いものなのかというかいう意味付け、例えば腰が痛いみたいな、以前ちょっと腰痛めましたけどね、これも例えば自分がスポーツバリバリやってるとか結構試合が近い時とかそうするとかなり大きな意味を持つかなと思うんですけど、
今現在であれば子育てして仕事もそんな肉体労働というわけでもないしデスクワークが多いしというと腰痛いとはいえそこまで大きな意味は持たないというか、なんで切迫性もないし、そこまでこう心理的な不安とかストレスみたいなことも痛みによって感じないというところもあって、これっていうのはですね、やっぱりこう物理的にはなかなかあきらめかにできないところ、その人の物語とか今住んでいる場所の背景とかこういうところが影響してくるんでまさに
文化的なところかなと思いますし、こういうところもこう痛みの文化史的なものもあったりしますしね、あとまあ序盤で解剖学、生理学、運動学みたいな
結構身体を科学的に捉えていくとそういうところもありましたけど、解剖学っていうもの自体の歴史みたいな積み重ねもあったりとかですね
個人的には科学的に捉える時間が長かったですけど、事務運学みたいなものを通して改めて身体というのを考えていくとかなり幅が広がっていく
だからかなり発散しつつあるんですけどね、まあなんかこれで見つかったらいいなという感じですし、逆にこうなんでしょうね
こういう発信とかそういうのにはしやすいかなとも思ったりしますかね、多くの人に聞かれるかどうかわかんないですけど
科学的に例えばこういう悩みにはこういうところがいいですみたいなことをしゃべることももちろんできるかなと思いますけど
そこにはやっぱり限界があって人によって違うとかですね、その科学っていうのも統計的に明らかになったとしても100%の人に合うわけではないので
なんか自分の中でもこう違和感というか、これはちょっと全体に当てはまるわけではないんだろうなぁみたいなことを思いながら発信しないといけないというところなんで
ここもなんかその歴史とかその自分の主観とかも交えて話そうと思うと結構こう人文的な切り口っていうのは
身体についての人文学的アプローチ
自分も情報発信とか話しやすくなるなぁみたいなことを思っているのでちょっとこれからもですねしばらくこう身体っていうのを
これまでの仕事に関してはですね結構科学的に考えたものとかを使って仕事はするかなと思うんですけど個人的な
まあ趣味だったりとか興味ってかですかねこれは今結構人文的に向いているところがあるのでもしなんかですね
こういうこと興味ありますとかあればそういう話もできたらいいかなと思いますし その肩こりみたいなところも
普段悩みに抱えている人多いかなと思いますけどこれもですねその科学的になかなか明らかにできなかったりするんですよね
ただ簡単順に筋肉が硬ければ肩こり起こるというわけじゃなくてこれも諸説ありますけど夏目漱石の
門っていう小説三代それから門っていうね三部作にだいたいなっている感じ まあ完全に登場人物一致ではないんですけどこの門というとこでまぁ出てきたという
説があってまぁこれ以前にもあったっていう説もあるっちゃあるんですけど まあ一つのこの説で言うとその肩こりっていうもんですね
純粋に肩が凝ってる筋肉が硬いってだけじゃなくて なんか夫婦関係の問題とかお金のこととか
まあ将来とか病気の不安とか全部がこう積み重なって何か方が思い凝ってるなぁみたいな 感じで確か出てきたと思うんですよね
だからこういうメンタルみたいなとこもカーン間関係してきますし文学みたいなところから こう体について考えるっていうのも結構面白いなぁと思っているので
はいまぁいろんなテーマについてまた取り上げていけたらなぁと思いますし今回はなんか何の話 っていう全然まとまったところではないんですけど
まあ最近後身体について文学分人物的によく捉えて考えてますみたいな 緊急報告のお話でした以上ですありがとうございます