地方創生の範囲と具体性
はい、おはようございます。皆さんは日本の地方を駆けるフリーランス個人事業主ということで、私はセット内科医の島根で病床をしている坂井力をお届けしてまいります。
ということで、今日のテーマはですね、地方創生に関わるときに気をつけたいことというテーマでお話をしていこうかなというふうに思います。
地域の活性化、地方創生、こういったことにフリーランスだったり個人事業主でも関わることってあると思うんですよね。
地方のために何かしたい、地域活性化のために何かしたい、みたいな文脈っていうのはよく聞く話なんですね。
ただ、結構これは注意しないと、すごく中途半端になってしまう場合があるかなというふうに思っているので、
実際に山口県の諏訪島町、そしてその中でもかなり家族高齢化が進んでいる集落で普段暮らしている坂井力から、
ちょっと気をつけた方がいいなというふうに思うことをいくつかお話をしていこうかなというふうに思います。
大前提としてですね、そもそも地方というものは活性化できない。
どういうこと?っていうことなんですが、地方って主語として大きすぎるんですね。
地方というものをじゃあ活性化しようっていうふうに言った時に、どうしたらいいかそもそもわからないんですね。
地方って、じゃあ首都圏を除いた他の都道府県すべてなのか、
島なのか、っていうことが全く特定されていない言葉になってしまうので、
地方は活性化できないと思っていた方がいいと思います。
それよりも、例えば、坂井力自身で言えば、
今、LLC、株式会社村上海賊、フリーナスの学校の代表の村上修平くんがやっている事業の中で、
今治市が彼の故郷でもあって、会社の招待地でもあるので、
今治市と一緒に、今治市のブランディング戦略みたいなことをやっていたりするんですけど、
坂井自身は、今治市のために貢献することはできないと思っているんですね。
なんだけれども、村上修平くんのためになることはできると思っている。
これぐらいの改造度を高めていかないと、
誰かのためになること、そしてどこか特定の地域のためになることっていうのは難しいかなと思っています。
特定の地域の関わり方
やっぱり今治市に坂井自身は頻繁に行くことができない。
それこそ、行けたって月1回とか2回とか。
それよりも自分の今住んでいる集落がやっぱり大事だし、
そこでの住民としての活動っていうのがやっぱりあるわけだし、
どうしても活動の限界があるわけなんですね。
やっぱり自分自身がなんとかできる範囲っていうのは意外と狭くて、
そこをやっぱり自覚していないと、すごく薄っぺらい橋になってしまうし、
何ができると思っているんですかっていうのも、
やっぱり現場にいる人からすると思われてしまうよなっていうところっていうのがやっぱりすごくあるなというふうに思っていて、
そのあたりやっぱり気をつけないといけないなというのを思っているという感じですね。
なんで坂井自身の、衆平くんが今治市でいろいろとエリエリッシュハウスっていうコワーキングスペースを作ったり、
それから今治市と観光に関係するようなプロジェクトを進めたりっていうのを実はお手伝いしていたりするんですけど、
あくまで中心は彼であったり、株式会社村上海賊であって、
坂井自身が直接的に何か今治市に貢献できるかというと、
それは村上衆平くんだったり、村上衆平くんの会社の企画を通して、
そこを一生懸命頑張る、もうそれ以上でもいかでもない。
それぐらいのスタンスでいないと、非常に地に足がつかない議論になってしまう。
死のために一生懸命頑張ります。死を活性化させます。
そんなことができるのであれば、自分自身は本当にそれをやるのであれば今治市の住民になるし、
今治市に住んで、実際にその今治市で何かをするし、
そういうことがやっぱり必要になってくると思うんですね。
だからこそ、たまにやっぱりあとは言われるのは、一ついい取り組みができたりすると、
これこっちでもできるよね、みたいな横展開ですね。これが2つ目ですね。横展開。
例えば今治市でNFTを使っていい取り組みができました。
できました。じゃあ次、ちょっと他のところでもやってもらえませんか。
できるわけがない。と思ってます。
なぜかというと、やはり自治体という単位っていうのもこれもすごく大きくて、
一つの自治体でとりあえずうまくいったから、じゃあ他でもうまくいくだろう。
これはですね、非常に慎重にいかなければいけないことかなというふうに思っているんですね。
人口の規模も違えば、それこそ歴史的な背景も違えば、
そして産業構成、就業形態、いろんなものが複雑に絡み合ってできているのが地方自治体であって、
地方自治体の構成要素っていうのは非常に複雑なんですね。
その土地土地にある民間企業であったり産業であったり、そこで暮らしている人っていうのは多様、
極めて多様であって、そこに同じような雛形のものっていうのを当てはめていくことこそ
弊害がある。 具体例で言ってしまう。例えば自治体の総合計画みたいなものって、
国からこういうような計画の雛形みたいなのが与えられて、それを埋めていくことである程度その自治体の計画みたいなのができていくんですけど、
そんなものを作るから良くないんですよね。やっぱりその土地土地、その場所場所で特性というものがあって、
何かやっぱり雛形であったり、一律に使えるもの、横展開できるものっていうものがどこか役立つと思ってしまうからこそ、
各土地土地の特性っていうのがやっぱり埋もれてしまうわけで、どこまで行ってもより具体的により一つの村、町、人ですね。
物、金、そういったところにしか自分たちが具体的にやり取りができる先であったり、やり取りができる企画であったり、
主語が大きすぎる議論
とにかく個別具体的、ひたすら具体的なものにアプローチすることでしか
地方との関わりっていうものは持てないと思うんですね。 なので、作家自身は地方は活性化できないと思っている。
なので、そうではなくて、ただ自分自身にできるのはやっぱり今住んでいる山口県相馬町、
そしてそこのサレ地区、大河にある沖川の地区の中で一生懸命漁業をやること。
そしてそこで、なんて言うんでしょうね、田舎での暮らしっていうのは楽しいんだよっていう、ここでの暮らしって楽しいんだよっていうことを発信していくこと。
やっぱり田舎っていう言葉であったり、地方って言葉であったり、作家自身もよく使ってしまうんですけど、
本当にグラデーションがある言葉なので、私は地方のために頑張ってますみたいなことが言えてしまうこと自体が、
やっぱり解像度が低すぎると思ってるんですね。
なので、やはりフワッと地方に関わるっていうことではなくて、特定の
LACハウス、茨城市の大島にできる、そこのコワキング施設の活性化をちょっとお手伝いさせてもらっているとか、
それを通じて朱平くんが住んでいる島、そこでの朱平くんの活動によって、将来の働き方の選択肢がたくさん島の子供たちにとって増えてくれるようになればいいなとか、
やっぱりそのぐらいまで解像度を高めて、具体的に関わっていく、そういうことを特に地域の外にいる人間については、
そういうことをやっぱり意識することが大事なんじゃないかなと思っていて、そういう考え方でいること、
自分の活動に外から関わるには限界がある、そういうことをきちんと自覚して、じゃあピンポイントでどこに関われるかっていうことを謙虚に考えていく。
そういうことをすることで、やはりそこに根差して生きている、働いている住民であったり、特定の企業であったり、人であったり、
というのとがっぷり4つでいけるんじゃないかな、そういう謙虚さっていうのがやっぱり必要になるし、
自分自身もやっぱり改めてより具体的に物事を考えていかないといけないなと、
主語が大きい時はやはり気をつけないといけないなというふうにたびたび思っているという話でございました。
はい、ということで皆さん今週末も楽しんでいきましょう。それでは良い週末を。