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#1608 30年前の記憶と今感じる事
2025-01-17 09:22

#1608 30年前の記憶と今感じる事


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00:07
はい、こんにちは、ラディオ、小山です。
いつもですね、東方のラディオを聞いただきまして、ありがとうございます。
はい、こちらの番組ですけれども、これから不動産賃貸経営を始められる皆様、
それとですね、将来事業処刑を行う予定の息子に残す音声の記録ということで収録しております。
はい、今回のテーマですけれども、今回のテーマはですね、
生きているだけでありがたいという話ですね。
今回のテーマですけど、本日ね、1月17日ってね、
30年前に阪神大震災が起きた日なんですよね。
その当時っていうのがですね、私は大学3年生から4年生になるタイミング、大学3年生だったんですね。
今朝ですね、長男とちょっと話をしてまして、今長男が今年22歳になるということで、
その当時ね、私がちょうど長男と同じ年代だったんですよね。
そういうお話をちょっと長男としたわけですね。
それから30年経つということですよね。
その当時ですね、私は神戸市の兵庫区の方に住んでまして、
震災の日ね、インフルエンザかな、風邪かなんかでね、寝込んでたんですね。
朝方にちょっとそういう大きな震災が起きて、
なんかうなされてるのかなっていう、ちょっと具合が悪くてね、うなされてるのかな、なんか夢かなとかっていうね、
そういう感じでね、その震災の大きさに飛び起きたという状況でしたね。
それからね、もう30年も経つのかなっていうのは本当にね、そういう感覚ですね。
今でもその時の、その瞬間のね、衝撃の大きさとか、なんか体感したね、
ことっていうのが、すごい鮮明に覚えてるんですね、30年経ちますけどね。
その当時をね、振り返りますと、まだね、携帯電話とかも全然そこまで普及してませんでしたし、
その震災の大きさとかそういうものを知るのっていうのがね、いわゆるメディアで言えばテレビのね、
報道を見て、例えば高速道路がひっくり返ってるとか、長田区で大規模な火災が起きてるとか、
そういうものをね、知ったのもですね、当然建物の外に出ると震災の大きさって当然前のお店の看板が落ちてたりとか、
03:03
そういうのがあったんですけど、本当にそれぐらいの大きい、大規模なね、
被害があったっていうのは、そのテレビの報道で初めて知ったという感じですね。
今ですとね、本当に携帯電話とかいろんなね、地震とかの災害の速報とかそういうものがね、
発達しているからあれですけど、その当時はね、それまで生きてた中で一番衝撃的な出来事だったんですよね。
で、そういったところでね、阪神大震災を経験したんですね。
その当時はですね、一週間ぐらいね、うちの実家のね、親父とかから連絡取れなかったんだけど、
当然電話も繋がってなかったりとかいうことで、なかなか連絡が取れなくてですね、
安否がどうかということで、うちの親父とかも親戚からね、大丈夫なのかと、
ちょっと役所とかに連絡して安否を確認しなさいみたいな感じでね、親父とか言われたって言ってましたけど、
パンクしてますんでね、とてもじゃないけどそういう状態ではないのはね、想像がつくかと思うんですね。
そういう状況でね、多分阪神大震災が起きるまでは、なかなかそういうものって、
世の中ね、そういうのって起こり得る、起こり得ない、なかなかないことかなという感じでしたけども、
その後はね、東日本大震災とかね、昨年の野党の地震とか、北海道とかね、
熊本とかいろんなところでそういう大きい震災とか、そういうのがあって、
日本中どこにいてもね、日本中というか世界ですよね、
どこにいてもそういうものって今では起こり得るもので、というのはね、
阪神大震災を昨年にちょっと感じましたよね。
やっぱり阪神大震災で被災された方というのがね、
本当に数千人という大きい規模で被害に遭われてお亡くなりになった方がいらっしゃるということを考えるとね、
改めてご冥福をお祈りしたいと思うんですけども、
今ね、私なんかこうやって生きててね、普通に生活できているというのを考えますと、
やっぱりなんか本当にありがたいなという感じですね。
そのありがたいというのはですね、生きていることって当たり前ではないなということですよね。
神戸市の兵庫区におりましたので、震災の中央に近いところにいて、
そういう体験をちょっとして、もしかしたらね、
そのお亡くなりになられた方の中の一人になっていたかもしれない、
06:00
自分がそうなっていたかもしれないということを考えますと、
本当にね、生きているだけでありがたいかなというふうに思いますしね、
やっぱり生かされているという感覚をね、この1月17日で毎年迎えるたびに本当にね、感じますよね。
なんか30年経ってもね、記憶が薄れないというのはそれだけ大きなインパクトのあるね、
出来事だったということをね、私の人生の中でも感じますよね。
それを東日本大震災とかね、いろいろありましたけども、
私の中ではね、その当時ね、阪神大震災というのは今まで経験したことのない、
なんか本当にこう、震災の真ん中にいますとね、地面がバリバリバリって割れていくようなね、
そういうなんか、この世の終わりじゃないかなというそういう感覚に襲われたのをね、今でもやっぱり記憶してますよね。
その当時ね、携帯電話ってね、普及してなかったんですよ。
で、私のね、学生時代の友達がやっぱり家がね、大きな被害にあって連絡も取れないというので、携帯電話を持ち始めたという、そういう時代でもあったんですよね。
で、あの、その当時はね、携帯電話をなかなか、私は学生だったというのもあるんですけども、携帯電話を持っている人も少なかったんですよね。
で、私も携帯電話を持ち始めたのっていうのはね、その2年後ぐらいの社会人だって1年半とか経ってね、
社会人になって携帯電話をようやく持ち始めたかなという状況でしたね。
だから今から30年前というと、そういう時代でもあったのかなという感じですね。
だからその30年経ってみてね、今世の中の進歩ですよね、いろんなものですね。
携帯電話なんかにしても、単純にね、電話の機能だけではなくてですね、もう本当パソコンと変わらないような状況であったり、
本当にいろんな技術の進歩と時代の流れをね、本当に感じますよね。
ただね、その30年前の記憶が薄れないというのもね、またそれだけインパクトのある出来事だったのかなということをね、感じたりしますよね。
私ね、1月17日はね、そういった感じで思い出すんですね、阪神大震災のその当時のことをですね、
生きているだけでね、やっぱりありがたいというそういう気持ちになれるのもね、この1月17日かなということで思いますよね。
ということで、日々ね、生きていく中で感謝しながらね、やっぱり生きていかなきゃいけないのかなと思ったりしますよね。
ということで、本日はですね、1月17日ということで、そういった阪神大震災にね、まつわるその記憶ということでね、お話しさせていただきました。
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いつもですね、友のレディをお聞きいただきましてありがとうございます。またですね、コメントや意見もですね、頂戴しましてありがとうございました。
それではね、今回はこちらので失礼いたします。ありがとうございました。
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