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#1721 3.11の記憶とその時感じた思い
2025-03-11 11:26

#1721 3.11の記憶とその時感じた思い

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00:07
はい、フォーニッツアガレディオ 小山です。
いつもですね、友のレディオを聞いただきましてありがとうございます。 はい、こちらの番組ですけれども、これから不動産賃貸経営をね、始められる皆様。
それとですね、将来事業処刑をね、行う予定の息子に残す音声の記録ということで収録させていただいております。
はい、今回のね、テーマになりますけれども、3.11ということでね、3.11の記憶ということでお話したいと思います。
はい、えっと、3月11日ということで、東日本のね、大震災が発生してからね、今2025年ですから、14年ということになりますよね。
で、改めてね、その14年前の震災が起きた際にですね、本当にたくさんの方がお亡くなりになられたり、被災されたり、本当に甚大な被害があったわけですね。
ご冥福をね、本当にお祈りしたいと思います。
それでですね、3月の1日にですね、あのうちの青森県の高校に通ってました次男がですね、卒業して、神奈川に帰ってくる道中ですね、
一度ですね、次男にも見せておきたいなと思って、ちょうどね、東日本の大震災があった陸前高田とかね、仙台の荒浜とかね、若林区の荒浜とか、あの辺をね、次男を連れてね、
東日本大震災があったところが、今現状こういうふうになっているというところをね、見せたりしたんですね。
で、あのう、その次男がですね、14年前と言いますと、今18歳ですから、4歳の時ということで、まだ幼稚園生だったんですね。
で、あのう、その2011年のニュースの報道でですね、津波が押し寄せてきたりとか、大きなタンカーでしたかね、船が座礁している映像であったり、また福島第一原発のね、屋根が1号機のね、3号機と屋根が飛んで、非常にね、大変な状況の映像が出てたりとか、
いろんなね、映像が本当に出てて、かなり衝撃的でしたよね。
あのう、私、阪神大震災もね、あのう、経験しているので、あのう、阪神大震災のね、阪神高速がひっくり返って倒壊している映画だとか、
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神戸市のね、市役所がこう、火葬会がね、潰れて、そういったものとか、三宮のね、ビルが倒れてたりとか、六甲アイランドがね、駅上化になってたりとか、いろんなのを見てね、衝撃的だったのを記憶しておりますけれども、
東日本大震災もね、あのう、ちょっとまた違う映像でね、かなり、あのう、インパクトがあって、衝撃的だったのを今でも覚えてますよね。
で、その次男、このね、東日本大震災の時の話でいうと、すごい頭に残っているのがですね、次男が、あのう、その当時、まあ4歳ですから、まあ幼稚園生ということで、どっかね、車に乗せて連れて行くと、必ずこういうことを半年ぐらい言ってたんですよ。
パパ、ここ、津波来る?って、そういうね、あのう、必ず言ってたんですよ。もう本当。で、まあそれぐらいね、あのう、ニュースの津波が押し寄せてきたりとか、あのう、タンカーがね、こう座礁しているような映像とか、まあ4歳のね、まああのう、幼稚園生のね、次男についても、
それ相当のね、あのう、やっぱり衝撃だったということだったと思うんですよね。
で、実際にですね、その3月1日に高校卒業してね、まあ2日とかね、まあ3日とか、まあその辺でちょっとね、陸前高田とか行ってですね、実際にその被害にあって全部流されて、で、今、きれいになっているんですね、町も整備されて。
で、あれなんていうんだろう、スーパー堤防っていうのかな、すごいあのう、防波堤、堤防がね、できていますよね。で、町もきれいになっているんですよ。
ただ、それ裏を返すとね、町自体がすごいきれいになっているということは、すべてね、流されて、えーと、確かね、残っているのが私の記憶だとなんか、ユースホステルのなんかこうね、あのう、残っている建物ですとか、まあ陸前高田のね、あのう、確か高田松原って言ってたかな、の道の駅の、もともとあった道の駅のね、建物が残ってたりとか、
あと、消防署か学校かのなんか建物もありましたよね、そういうのがあってですね、これがその震災にあった当時のまま残っているものだよと、で、今、他のところは全部きれいになってね、まあ住宅なんかもね、あのう、まあ、ここ10年とかね、ぐらいなんで、14年ぐらいなんで、まだね、比較的きれいな建物ばかりで、
なんかあの風景を見るとね、非常にこう、なんとも言えない感情になりますよね。
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次男はね、まだその4歳でしたので、そこの部分の記憶というのが、津波が来るとかって言ってた、そのこと自体はね、ちょっと覚えてるのか覚えてないのかという感じでしたけども、やっぱりあのう、その震災のこう歴史観みたいなね、資料観みたいなのがあって、そこ一緒にね、見て回りましたけれども、やっぱりかなりね、その当時の大変な状況の写真とか残ってまして、
まあ本当にこう、心痛い、そういうね、あのう、東の大震災と言いますとね、非常にそういったインパクトも大きくてですね、
あの私もですね、福島第一原発に震災が起こってね、2ヶ月か3ヶ月ぐらいしてからね、震災の復旧工事ということで、当時勤めてましたゼネコンがね、あのう、
高車能のね、除染作業とか、そういったのでね、人を出して、いろんなゼネコンがね、全国のゼネコンから職員を派遣して、そういった仮設の工事とかをやって、私もそちらのほうに行ったんですよね。
ちょうどですね、福島第一原発、本当にニュースの映像、そのままの映像を目の当たりにしたんですね。福島のね、日本サッカー協会のJビレッジっていうね、サッカーの大きな施設があるわけですね。
そこを拠点にですね、福島第一原発に従事する作業員の人間は、タイベックスーツを全身まとって、線量計とかつけてですね、何時間とか何分とかってね、こう管理された中で作業するわけですね。
そのJビレッジから福島第一原発って結構距離あるんです。20何キロあったと思うんですけど、そこをね、車で移動中ね、ついこの間まで生活感があった街がですね、全て人がいなくなってるわけですね。
まさにゴーストタウンみたいな、そういう状況が目の当たりにあってですね、その時車で移動しながらすごい感じたのが、ここにね、住んでた方の生活って今どうなってるんだろうっていうことを非常に感じたんですよね。
人がいなくなっているそういう状況にね、家畜の牛とかがそのまま野生化して出ていって、何とも言えない、映画のような世界かなというね、すごい何とも言えない、そういった感情になってしまったのを覚えていますよね。
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もうそれから14年も経つんだなと思うと、本当に早いもんだなと思いますよね。
その当時ね、福島第一原発とかその辺にお住まいだった方がね、その通りの元の通りの生活というのは遠く及ばなくて、なかなかね、それ以降は生活環境が変わって本当にね、大変なご苦労とかをね、されているかもしれませんしね、本当に考えるだけで心が痛いですよね。
生きているとね、いろんなことって本当にありますけれども、阪神大震災とか東日本の大震災なんかを見てもね、世の中いつ何が起こってももうね、不思議ではないかなという気もしますし、事件や病気とかね、なれば自分の命だってね、今こうして生きていることにはね、本当に感謝しています。
ですからね、生き方とかそういう部分についてもね、いろいろやっぱり考えさせられる機会にもなりますよね。
3月11日ということでね、今回の放送は毎年ね、震災の日が来るたびに人の命の尊さとかそういうものを感じたりするわけですけど、生き方についてもね、ある意味考える良いきっかけになるのかなということをね、感じたりしますよね。
ということでですね、今回の放送はですね、3.11の記憶ということでお話をね、させていただきました。
いつもですね、東のレディを聞いただきましてありがとうございます。
またですね、コメント欄にいいねもですね、頂戴しましてありがとうございます。
それではね、今回はこちらので失礼いたします。ありがとうございました。
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