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こんばんは、ふらっとです。今日もふらっと日記スタートです。
というわけで、3月21日、木曜日の公園日記となります。
この日はですね、長女、4歳長女の言葉がね、すごく心に響いたので、
その言葉を記録として残しておこうかなというふうに思っています。
それは何かというと、ママとまた同じ世界で会いたい、というような言葉なんですね。
これはどういう状況で使ったかというと、煙突町のポペルというのかな、
西野さんの絵本であると思うんですけど、
あの本を夜、一緒に読んでいた時に、こういう言葉が後々出てきた、
後々というか、その後の会話の中で出てきたんですね。
少年のルビッチという少年のお父さんというのは亡くなってしまって、
結局物語の一つのあらすじとして、ゴミ人間のポペルというキャラクターが、
ルビッチのお父さんの生まれ変わりだったんだ、というようなストーリーがあるんですね。
そのストーリーは、その長女、彼女にはあまりまだよく理解ができていなくて、
お父さんは死んじゃったんだけど、また戻ってきたんだよ、という話をしたんですよね。
また形を変えて戻ってきたんだよ、という話をしたんです。
で、そこの部分が、まだ彼女的にはよく理解ができていないんだけれども、
その話の続きで、じゃあママもまた戻ってくるの?みたいなことを言ったんですよね。
そうね、という話をしていて、もしかしたら、みんな一手、最後死んじゃうこともあるし、
戻ってきたと、死んだとしても、戻ってき、違う形でね、またどこかに戻ってくることがあるかもしれないんだよね、みたいな話をしたんです。
で、そしたら娘が、最後その話をしている中で、ママとまた同じ世界で会いたい、というふうに言ってくれたんですね。
本当に、なんかね、ジーンときてしまって、
なんていうのかな、あったかい気持ちというか、なんとも言えない、なんか複雑というかね、
なんかいろいろ考えてしまったね、なんか言葉だな、というふうに思ったんです。
で、こういった話をするのって、子供にもなかなかこういう話の機会もなかったから、つい、なんか割と深い話をしたんですけど、
で、やっぱり、娘の言葉は本当に、一つの話としては、この話は本当に嬉しい言葉だったし、
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なんていうのかな、こういうふうに娘が思ってくれているっていうことに、
思ってくれていることのこの状況に、本当にありがたいことだな、というふうに思ったんですよね。
こういった家族を持てたことが、本当にありがたいっていうのが思ったのが、まず一つですね。
で、脱走するとね、今やってる、こう、なんか普段やってる、そうだな、なんかこういう発信活動とか、
人と比べたりとか、あと、タイパーとかコスパーとか、まあいろんな言葉が並んでいる中で、
やっぱり身近なところに、幸せを感じられる瞬間っていうものが、存在しているんだっていうことを、
なんか改めて実感したっていうのがね、あります。
で、あともう一つは、やっぱりこう、親もそうですけど、親も70ぐらいになってくると、
まあ親も、こうなんていうか、なんとなくあと10年から15年なのかな、とか思ったりとかもするし、
で、あと自分も、まあそろそろ40が見えてきて、折り返しかなって思ったりとかすると、
どうしても昔よりも、遥かに死が近づいているというか、死を意識する瞬間が、やっぱり増えてきたなっていうふうに思っていて、
で、まあ子供ができて、まあ家族ができたからこそだと思うんですけど、
やっぱり、なんかなんていうか、ふと死にたくないなって思う瞬間がね、ずいろんなところでね、感じるようになってきているなって思うんです。
で、でも、でもですね、さっき言ったように、本当にこう、
死の先に何かまた戻ってこれるっていうような、この考えをこれから、どんどんどんどん自分の中で植え付けていくと、
なんか医療、なんかこう、なんていうのかな、もっと死っていうものを違う考え方ができてくるんじゃないかな、なんてこともね、ふと考えたんですよね。
で、別になんかこれ本当に何言ってるか自分でもよくわかんないかもしれないっていう、なんかちょっと、なんていうかな、難しいから、
私はこれこういうことってなかなか考える機会がないから難しいので、うまく言葉にはできないんですけど、
なんかね、そんなことを考えたりとかしました。
で、医療の世界にいると、どうしても死って本当に最後なんですよね。その先ってやっぱり考えられないし、考えられないというか、そこがね、やっぱり終わりというか終了で、
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下手したらそこで負けみたいに見えてしまうんですよね。医療ってどうしてもその病気を治して寿命を延ばすっていうような行為だから、
今言った死の先に死は通過点、ちょうどこの前ウサギさんっていう方がスタイルでもお話ししていたんですけど、死が通過点っていうような考え方をすると、
医療行為自体が成り立たないんですよね。私のずっとやってきた仕事の中で。だから、今までの医学生から始まって、医者10年やってきた価値観の中では、まだまだ死っていうものが終わりの存在に見えてくるし、
治療がうまくいかなかったことへの敗北感とか、そういう感じとかも一緒になると思うんですけど、まだ、やっぱりデッドラインという感じがするんですよね。でも、そうじゃなくて、
仕事ではね、そういう思いでいいとは思うんだけれども、ただ、もし今後自分が年を重ねていく中で、より死っていうものが近くなるにつれて、そういったまた戻ってくるっていう感覚をつけることができたら、
また少し自分のものさしというか、視野が広がっていけるんじゃないかな、なんていうこともね、感じました。ちょっとだらだら話してしまったんですけど、今日はちょっと娘のですね、4歳娘のママとまた同じ世界で会いたい、この言葉を記録として残したいと思っています。
ではまた次回お会いしましょう。 またねー
バイバイ