結婚して大人になれた気がする投稿時期を勘違いしていたので再録です
サマリー
このエピソードでは、20代の重要な出来事について振り返ります。結婚や日本への移住、子供の誕生といった人生の転機が語られています。また、20代の結婚についての経験や考え方が紹介され、結婚のタイミング、周囲の友人の状況、結婚と子どもがもたらす人生の変化について深掘りされます。 さらに、20代の経験と結婚に関する思い出が語られ、特に飲み会の文化や新入社員の適応、社会人としての成長の過程が強調され、参加者のユニークな視点が展開されます。また、主に結婚と子どもがもたらす生活の変化についても触れられ、二十代の思い出や社会人としての課題に焦点が当てられます。リスナーに対して、二十代の経験についての意見を募る呼びかけも行われています。
20代の思い出
明日のファクトリーオートメーションへようこそ、メインパーソナリティの高橋です。
クリスです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
本日も企画会です。
よっしゃ、来た。
我々今までポッキャトークテーマという企画にずっと参加してきて、
それは小学生、中学生、高校、大学と今まで3回やってきたわけですけど、
今回はついに大人になります。20代ですね、20代編と。
ここから参加者が減ってくるわけですね。10代のポッキャスト参加できないわけですから。
今日寂しいな。寂しかったです。やめよう。
というわけで、トークテーマはフリーで、基本的に20代はどうでしたかという話をしていきたいなと。
どうでしたか、20代の思い出って。20代に何がでかいことでした。
いろいろあると思うんですけどね。就職したとか。
いろいろあると思うけど。
20代で一番でかい出来事は、3つぐらいかな。1個目は日本に行きました。
2個目は、ぜひこっちに入りましょう。1個目は日本に行きました。
前にラジオで何回喋ったんですけど、今の嫁どてで本郷の仕事を辞めて日本に行ったんですけど。
何歳で来たんですか。
24かな。
24歳。働いて2年ぐらいですか。
3年働いて。
3年働いて、本郷で3年働いて、で日本に来て。
これは結構大きなポイント、人生の結構でかいポイントだったんですね、これは。
いろいろ聞いてもいいですか、それって。
これがないと、たぶん今の私がないんですね。
ちなみにですけど、奥さんと出会って、付き合ってから来たんですか。
付き合ってから来た。最初は3年目で本を働いた時は、ちょうど嫁どてやってて。
嫁が本郷に来て、付き合って本郷にたぶん来たんですけど、最後年末ぐらいで私は日本に行くと、今度は。
それで私ワーキングホリデー申し込んで、一発でできた。
で、オッケーで。
それは奥さんが本郷に滞在したことがあるってことですか。
何回か来て、クリスさんがそれやったらワーキングホリデーで行きますわって言って、日本に来たんですね。
はい、それで日本に来て、これ結構大きなきっかけですね。
結婚と在住資格
日本に行ったことないんだったら、たぶん私がないんですね、まずは。
まあたぶん、皆さん知ってるんですけど、香港ってやっぱりそういうインダストリーが結構弱いので、今はすごい弱いんだよって。
私の母さん生態はまだ工場がたくさんあったんですね。
で、私はメッキ工場でメーカー働いたんですけど、
私、メッキの工場で就職したときに、香港まだ数少ないのメッキ工場があったんですよ。
で、あそこで、すごい珍しい基板の1工程、2工程、1工程ずっと作ったみたいですね、2、30年で。
で、たぶん、あのときの正直話を聞くと、このボードは次はロシアを運んでまた別の工場に加工していくとか、アメリカとか加工していくとか、
そういう特定工程がやる工場が多かったんですね、香港は昔は。
ほぼ潰れたんですけど、今残っているのは手間一丁の工場と、あとはビールの工場。
あと、細かい、私は就職したときの小さいランプ清掃機の工場ぐらいはあるんですね。
それぐらいしかないね、今、たぶん。
ちなみに、いつ結婚したんですか?
日本に来てから1年後。
ちょうどホリデーが切れるぐらいですか。
そうですね。
で、まあ、それで帰るか、営業するか、どうするんだみたいな話になり、みたいなことですか。
そう、なりつつ、結局は結婚してから、結婚する前に、
というかと言うと、日本ワーキングができる前に仕事見つかったんですよ、初めて。
そう、そう。
で、あのときはドイツ系の仕事が見つかって、初めて入ったんですね、ドイツの会社、日本で。
で、このときは初めて、あ、言語力が追い使い方があるんだと、ちょっと分かってて。
少しだけPS知識分かってて、言語力もあって、それで仕事に慣れたった、ということですね。
で、これは、まあ、感覚ですね。
で、結婚はもちろん大きなということですね。
結婚したことをよって、日本でちゃんと在住資格を持ってて、ちゃんと仕事をさせるんだったとかね。
前は、そんなことできない。
契約者みたいなもんなんで、毎月更新するんですね、いろいろ。
だからすごく不安なんで、それで結婚できたことは、いろいろ安定な気持ちになったんですね。
これはもう2個目育ってきた、20代で。
で、3個目は子供が生まれました、この結婚した年で。
25で、これ。
そう、結婚した年で。
大阪での経験
早いな。
めっちゃ早いですね。
だから、多分26かな、26くらいかな。
25、26。
25、26で、そっから1年後くらいに生まれたってこと。
そうですね。
で、子供も生まれて、お父さんになって、いろいろ稼いだらあかんなーとかね、ちゃんとケラ積んでおかないとあかんなーと思ったんでね。
だから、あの時も頑張って働いて、給料って結構かたいですよね、あの時は、大阪で働いてて。
あ、そう、もう1個。
もう1個の結構大きな点は、大阪にいた子供結構多かったね、大阪。
もともと東京でいたんですけど。
最初から大阪じゃなくて、最初は東京なんですか?
もう嫁は東京に住んでるので、東京の人なんで。
あ、そうなんですか。
最初から大阪におったもんやと思ってました。
え、それ東京なんですか?
東京ですね。
あ、じゃあ今戻ってきたんですね。
戻ってきた。
戻ってきた。
で、大阪っていうのは、ちょっとずっとPSC行くと。
ちょうどその時ね、会社つぶれそうだったんですね。
いろいろ問題があって。
で、上司を探してて、あのPSCのマフィアの仕事を探してて、ちょうど大阪の会社があったので、
ちょっと、一回大阪行こっかという話になってて。
家族でサインで大阪に行ったんですね。
大阪で5年ぐらい働いてて。
まあそこまで高いんじゃないんですけど、やっぱりあそこでシーメンスを触ったんですね、初めて人生で。
シーメンスのPSC触ってて。
で、これも結構大きなきっかけですね。
このシーメンス、PSC触ったから、外国のPSC触ってて、それで今の海外のPSCに対して歩きがないということがあったということですね。
なるほどね。
今からこれが結構大きな適応と連続が発生した。
すごいですね、めちゃめちゃ激動の時代じゃないですか。
日本に来て、結婚して子供生まれて、会社つぶりかけて、そのまま家族3人で大阪行くって、すごいな。
そうそう、大阪行って。
やっぱり東京なんか逆ですよ、PSCの仕事があんまりなくて。
男性が多分わずかだったと。
そうそう、結構蹴ったんですよ、結構わずかで初めて仕事が、あの求人が。
で、多分大阪の会社の社長が結構オープンマイナーの人なので、あなたが大阪に来てくれるんだったらいいですよって言って。
でも当時だと大阪工場多かったですからね、当時は。
そうなんですか。
いやだってまだシャープもね、全然バリバリな頃ですし、パラソニックも元気な時代だったと思いますから。
仕事多かったと思いますよ、関西。
そうです、そうです。あと大阪に入っても結構忙しかったんですよ。
お客さんも関西だけでも精一杯だったので、関西と岡山も、まだもう関西じゃないですよね、一応。
岡山は関西じゃないです、兵庫までです。
兵庫、そうそうそう。
あの辺までは、岡山とかあったりとかよくいたので、結構面白かったですね、あの時は。
シーメンスのトレーニングも初めて受けて。
楽しかった、楽しかったけど、最後やっぱり会社とかいろいろあってて、いろいろね問題があってて。
それはいいですよね。
大阪行ったのは何年ですか、20何年?
6年。
2006年?
6年か。違う、2015年?
2015年、2016年。
じゃあ僕はもう就職してたか、その頃は。
そうですね、2016年くらいかな。4月1日はすごい覚えてるけど、4月1日はすごい覚えてる。
2016年ですね、2016年の4月1日で初めて大阪で会社を始めたんですね。
結構よかったんですよ、大阪会社は。
まあいろいろあったんですけど、やっぱり今の人脈もある程度、あの時のスタッフの4人のおかげで、今の私になったし。
だから今の社長4人も、毎年連会長とか所長みんな来てるんですね、今は。
なるほどね。
ですよ。
いやー激動の時代ですね、本当に。
そう、まあ今考えたら、あの時に乗り越えてよかったなと思った。
乗り越えてから今。
ちなみに聞いてもいいですか?
はい。
なんで結婚したんですか?
まあ子供ができたから。
あーそっちが先なんですね、なるほどね。守るべきものができちゃったわけですね。
まあでもまあいいじゃない、結構もうそろそろ。
まあ別に悪くないと思いますけどね、それも。
あとはやっぱり早いうちに結婚、まあ子供ができた方が、なんか子供が遊ぶ体力があるし。
そうそう、で子供が避けた時、毎週と一緒に公園にいたんですよ、子供と。
朝9時から12時まで遊んで、1回昼ご飯食べて、また昼1時からずっと公園でなんですよ、子供たちで。
いやでもやっぱり、子供早い方がいいっていうのは僕も思いますね。
僕もね、それなりに早い方だと思うんですよ。
そうなんですか?
僕結婚は27なんで、27、28に子供ができてるのかな、たぶん。
28か29くらいの時に子供ができてるんですけど。
多分その、愛知県って結婚早いんですよね、まず愛知県めっちゃ結婚早いんですけど。
でもやっぱりその、なんていうか、今35ですけど、35で初めて子供できるようになった人もいっぱいいるじゃないですか、今世の中って。
今こっちも多いんですね。
多いですよね、僕の知り合いもね、今ようやく結婚してようやく子供ができてるっていう人がたくさんおられるのを見てたとしても、やっぱり若い方がまずいいっすね、元気ですね。
元気。
でもいろいろ意見があって、若い方がたくさんパリパリ働いていて、キャリア積んで、それでお金余裕持っているときは子供を産むとかどういう考え方もあるんですけれども、いやー体力が大事っすよ。
子供の後も体力がないんです。
そうですね。やっぱ年々フットワークが重くなっていくのもやっぱりあるのと、
あともう一個さ、家族がいるっていうのを20代の頃に経験できたって結構大きいなって僕思うんですけど、そんな感じません?
もう一回でいいですか?もう一回、もう一回。
家族っていうか、ちょっとこれはまたジェンダー論になってくるかもしれないですけど、守るべき存在が20代の時にできるっていうよりは、今僕35ですけど、家族できて7年くらいですけど、今35歳の時点で家族が7年間いたっていう経験結構でかいなって思ってるんですよ、僕。
いやこれね、考えたらだいぶ変わるんですよ。家族、そうそう本当にそう思ってて。
ですよね。
結婚とそのタイミング
だからこれ時に、なんかね、うかつ言い方で言うだけ、ある意味決定的なのがいいんですね。なんかすごい考えたら、これは本当にいいの?大丈夫なの?泣いちゃうんですね、本当に。
そうですね、いやそのなんていうかさ、35とか30、まぁすぐ37ですけど、これからのことを考えるじゃないですか、この年齢って。
でもこの時に、7年間の家族の経験があるから、じゃあ次の7年大体こんな感じだなみたいな、なんとなく予想つくじゃないですか。
そうだね。
でもこれが35で結婚して、35で子供生まれるとわかんないじゃないですか、もうこれからどうなるかなって、経験ないから。
だからなんとなくこのいろいろ考えるこの時期に、いろいろ考える材料がすでに7年っていう時間であるのが、めっちゃ良かったなって思ってるんですよ。
なるほどね、そうかもしれないですね。
僕もいろいろそのキャリアとかその人生計画考える中で、なんかその良かったなって思ってるんですよね。
そう、そう思うんですよね。子供が変わってきて本当に、今思ったより良かったなと思ったよね。
だからその若い時に結婚しても、その35で結婚しても、多分そんなにそこまで大きく何か変わることないんですけど、そこから何年間っていう時間ですよね。
これだけはもうどうにもならんですから、経験値として。
なるほどね、でもこれ20代から経営者と30代経営者とはちょうど違いますもんね、この感覚が。
そうですね。
なるほどね。
って思ったら。
周りの人結構結婚したんですか?周りの人が。
僕自動車メーカーにいるじゃないですか。
大体3択なんですよ。
一つが、学生時代から付き合ってた人と、社会人になった瞬間に結婚するやつ。
有あるパターン、愛想パターン。
これがそれなりに多いです。多いです。だから24とか25で結婚するやつですね。
で、子供が26とかで生まれるぐらいのやつが、まず先頭集団としているんですけど、いわゆるその学生時代が充実した人たちですよね。
そうですね。
で、もう一つが、僕はこのグループに属しますけど、社会人になってお付き合いをして結婚する、いわゆる3年目とか4年目ぐらいで結婚する人たち。
なるほどね。
ここの27っていうところで僕は結婚してます。
なるほど。
もう一つが、社会人になって、ちょっと一生懸命仕事とか、遊びもそうですけど、いろいろやって、そろそろやっぱり結婚したいなってなるのが、だいたい30ぐらいなんですよ。
そこから探して。
探して、その31か35ぐらいに結婚する人たち。だいたいこの3グループぐらいです。
なるほど。そうか。面白いね。そういうこと?
結婚、まあ、私の周りの友達、どうなんかな。
今後の友達はみんな結婚してない人が多いね。
35、37ってことで言っても、みんなやっぱり独身でずっと遊びたいとかの人ばっかり。
お前結婚したらバカじゃないの?って言ってもらうんですけど、ずっと言われてる。
そんないろいろでもね、結婚した後、子供あったし、もうしょうがないですよ、そんな。
結婚後の変化
そうですよね。
お父さんだから、もう違うんですよ、私もうお父さんです。
よく言う、私はもうお父さんですから。
あとなんか、僕結婚して子供ができてすげえよかった。
よかったなんて言うとちょっと語弊あるかもしれないですけど、すごい自分の中で得になったなってことが1個あって。
僕って今まで人とちょっと外れた人生を送ってるわけですね。
めっちゃ外れてるわけじゃないですけど、一般的なルートとは違うわけですよ。
高校に行って、高先生の行く大学に行って、それも部活も普通の人がやるような部活じゃなくて、ロボットコンテストやる部活をずっとやって、就職してみたいな。
だから就職したときって、全然周りと話し合わなかったんですよ。
周りのときどんな多彩な大学生活を送っているのに、ロボットとずっと過ごしたと。
入ったときに初めて思ったのが、みんなテレビの話をするんですよ。
テレビ?
テレビ番組の話をするんですよ。
そのときテラスハウスっていうのがめっちゃ流行ってて、僕のとき。
僕知らなかったんですけど、テラスハウスっていう番組知らなかったんですけど、自分の会社がスポンサーしているのに知らなかったんですけど。
熱いね。
そう言ったらその話ばっかりしてるんですよ。
昨日テラスハウス見た?みたいな。あの子可愛いよね?みたいな。あのシーンよかったよね?みたいな。
言ってないな、言ってなかった。
一ミリもわからなくて。
まずそのテラスハウスっていうのが番組ってことすらわからなかったんですよ。
これは、完全周囲外れてるってことですね。
でもそれが世の中のデファクトなんですよね。いわゆるそのマジョリティなんですよ。
いわゆる大学生っていう集団がいて、サークルであったりいろんな大学生同士がいろいろ話をしていく中で、
その共通で話せるような話題っていうのがそういう話なんですよね。
だからある程度こういう関係をある程度広く持っている人はそういう話になるんですよ。バイト先とかもいろいろあるんで。
でも僕はアルバイトもせずに、一生ロボコンしかやってなかったから。
うち一ついいです。
そう、全然そういうことをする必要がなかったんですよ。
あー、もうロボと話しかしない。もうノーヒーと機械設計の話しかしない。
なんなら僕はAKBの話をしたらちょっと頑張ってると思ってましたよ、自分のこと。
AKBの話?でも大学生と合わせてくれなかった。
そうなんですよね。だから入社した時ってめっちゃ困ったんですよ。
自分が全然、もう外に行った。
そう、要はみんなが話したいことがわからないじゃん。
はい。
だからその入社して3年ぐらい経つともう仕事の話すれば全然オッケーなんで、それは解消されたんですけど。
はい。
最初そういうことがあったんですよね。
これうちでどうすればいいのか。
で、結婚して子供ができてよかったのが、いわゆるそういうみんなが経験することっていうことを一つ手に入れた。
今日方言どうだった?子供方言入りましたか?とかね。
もう子供方言入った?夜泣き終わった?とかね。
運動会どうでした?みたいな。大変だよね?みたいな。
そういうみんなが分かる話を手に入れたんですよ、僕。
結婚と子供が生まれたことによって。
確かにそうだね。高須さん今マイクロロード配信できましたね。マイクロロード配信。
子供ないとマイクロロード配信できないね。
別に子供をそういう目的で見てるわけではないんですけど、世間一般の大多数が経験することをようやく手に入れた。
これが20代で一番大きかったことかもしれない。
ちょっと焦ったんですか?最初やっぱり。
焦った焦った焦った。俺もうやっていけんと思いましたもん。会社で。
今日からテレビ見ないと。
いやもうテレビ見るっていう気さらさらなかったから。だって家にテレビなかったんだもん。
でも焦ったんですね、焦ったんですね。
そういうこと?
でも今手に入れたら面白い体験だったんですね。あときは良かったんですね。本当に。
奥さんのおかげで食べ打ちできるようになりましたね。
その何て言うんですか?その時は初めて、なるほどっていう。
世間一般の人ってこういう感覚なんだっていうのをめちゃくちゃ理解したというか。
一年目が寂しそうですね、高橋さん。社会人の。
要は基本的にロボコンなんてやってると、ロボコンの話をして伝わることなんてめったにないんですよね。
基本的に。
そこにともロボコンやってるかどうかわからないしね。
やってる人は伝わらない。だから自分の話は伝わらないっていうことが大前提になるんですよ。
僕は自分のことを相手に話すときに相手が伝わると思ってないんですよ、その時は。
そこまで気にします?
するというか伝わらないんですよ、事実。ずっと伝わらないんですよ。
僕15歳から24歳まで自分の喋ってることほぼ伝わってないんですよ、相手に。
でも持ちネタがなかったんですよね。相手が絶対わかるである持ちネタがなかったんですよ。
で、結婚して奥さんができて子供ができて相手に話したら大体わかるであろうってことを話せるようになったんですよね。
これの感覚が全然違うんですよ。
楽しました?最初はやっぱり。
楽しいとか楽しくないっていうよりは全然考え方が違ってて、その2つ。
なるほど。
だから今まで僕マジョリティの気持ち全然わからなかったんですよ。
結構シビアな話をしてたんだけど。
それがわかるようになった。嬉しかった。
嬉しかったっていうかその。
そうなんか、こういうことなんだって。
でもこれ一生使えるからね。一生使えますからね、この経験が。
なるほどね。
いい悪いっていうのはわかんないけど、すごい感じたことなんですよね。
僕が20代で。
社会人としての悩み
この結婚と子供ができたっていうことを契機に、自分が感じたことの大きいことなんですよ、これ。
そうなんだ。
これから、これを多分一生でこの話題使えるし。
えー、中橋さん意外だね。
こんな悩みあるの知らなかった。
この正義の合わない、一般の合わないというのがこんな悩みだったんですね、最初は。
そうですね。で、なんかその、入った時もその、
そいつのやってることでヤバいことなんかどうなのか見分けがつかないんですよ。
例えばさ。
あ、カサト見てないから。
そう、例えばその、自動車会社なんで、結構その、やんちゃなやつが来るわけですよ。
ある程度ね、学生でやんちゃをしてる人が来るわけですよ。
まあその、例えばその飲み会、飲み沢の部長とかサークル長とかいうその、めちゃめちゃその、
コミュ旅行バケみたいなやつとかその、宴会でめっちゃ好きなやつとかいっぱいいるんですよね。
そうですね、はい。
で、そいつがなんか例えばその、宴会で服を脱ぐとしますよね。
もうそれが普通なのかどうなのかも分かんないですもんだって。
出たことないからそんな飲み会に。
そうそう、飲み会持って行きたいしそんなに行かないし。
そう。
っていう状態で放り込まれて、やっぱ難しいっすよね。
ああ、難しい。
例えばその、まあちょっと嫌悪感ある人いるかもしれないですけど。
はい。
男性同士で飲み会で酔っ払って中号するとかね。
マジ?
これ異常かどうか分かんないですよ、もう見たことなさすぎて。
うわ、分からんくない?
分からない、今でも分かるんですけどね。
なんかその、普通のその飲み会いっぱい出たらそれが普通かどうか分かるじゃないですか。
はい。
いや俺そんな見たことない。
いや例えば飲み会100回出たけどそんな見たことないこれ以上やってなるじゃないですか。
飲み会と文化ショック
そもそもこの飲み会その中で行きたいんですけど、それ言えない、それは分からない。
飲み会1回も言えないですよ。
そんななんか、なんていうんですか?
上位な人たちがいるような飲み会1回も行ったことないから、分かんないです、それが。
普通かどうか。
今では分かんないけど。
なるほど、なるほど。
すっげえカルチャーショックでしたね。
俺は全然違うよね、分かんないね、分かんない分かんない。
いやどれくらいその、なんていうか、自動車会社の飲み会、新入社員の飲み会が上位なのかっていう話をすると、
例えば僕、内定式っていうのがありますよね、普通の社会人って。
はい。
内定式っていうものが。
お祝い、内定で。
そうそう。
わざというとお祝いですかね。
お祝いというか、君は内定しました、この会社に内定しましたっていう式があるんですよ、儀式がね。
それが終わった後に全社員が集まってるんで、内定式の懇親会をしましょうというのを、
はい。
いわゆる就活制の誰かが企画してみんなやりましょうって言って500人ぐらい集めるんですよね。
はい。
そこに名古屋のクラブを貸し切ってやってみましょう。
どこですか、クラブ。
どこだっけ、堺かな、堺のクラブですね。
はいはい。
クラブっていうのはキャバクラとかそういう感じの雰囲気のとこですね。
すごいな。
そこに行って、もう経験したことないわけですよ、僕なんてそんな。
もちろんね。
で、そこでみんなワイワイやって、その前に漢字みたいなやつがいるんですよね。
東北代表みたいな、関西代表、中部代表みたいな人に続いて漢字が。
で、そいつらが集まって、マイクオーバーフォーマーズみたいな。
今日はみんな来てくれてありがとうみたいなのを言ったりとか、とりあえず上半身脱いでウェーイみたいな動揚げしたりとか。
すごい時代だな。
僕が初めて言った大規模な飲み会、それですか?
分からんくない?
それがせいなのか。
他の同じ代表がいるんじゃないですか、中田さんと。
そういう精度を持っちゃって人生が狂い始めた人もいると思いますよ。
いるというか、僕は分かんなかったから、それに自分を適応させないといけないのかっていうのはちょっと考えてましたもんね、当時。
20年後の私もこんな感じなんだろうとかね。
そうそう、だからちょっと無茶しましたよ、自分でも。
赤橋さん、無茶した赤橋さん。
キャラでもないけどテンション上げて飲み会に出たりとか、そういうもんだと思って。
やっぱ最初の1年は色々思考が錯誤の年でしたね。
社会人の適応と挫折
最初の1年どうなってんだろうな、自分が。
懐かしかった。
っていうのが20代なんですよ、僕も。
面白いね、面白い。
自動車会社の飲み会はやばい。
いろいろいい意味で?
うん。
いい意味で、悪い意味で。
なんていうんですか、最初だけやばいんですよ。
キーボー、え、これは何?
ウィンキー?
キーボー。
そういう飲み会をしてきた人たちが一旦集まるんですよ。
内定式、乗車現場に入った時に。
そういうやばい系のやつ。
そうですね。で、それは徐々になくなっていくんですよね。
皆さんも大人になって。
そう、大人になって、だいたいもう3年もしたらなくなります、そういうの。
そういうのをやっちゃダメって。
そうそう、やっちゃダメっていうか楽しくなくなる、そういうのが。
乗車が消えたってことですね。
大人だったらね、大人になって。
そうそう、そういう大学生のノリで飲み会をしてもあんま楽しくないねってなります、だんだんね。
大人になりました。
大人になりました、皆さん。
でも最初は、要は先月まで大学生の頂点にあった人たちがバッと入ってくるわけですから。
はい。
とんでもないですよ。
とんでもない。だからさ、これはちょっとびっ、ちょっと衝撃を受けた。
衝撃。
衝撃。
そんな、私もそんな人生になると。
だって、わからんくない?その、さ、飲み会してさ、目の前の男性2人がさ、いきなりチューを始めた時にさ、
どういう反応したらいいか、何が正解かとかわからんくない?
わかんない。
わかんないよね。難しすぎるよ。その、地方の理系大学生にとって難しすぎるって、東京こうやって思ったもん、その時。
いやー、これはわかる気持ちわかるよ。
うん。
わかる。でも、そっか。
そう、でもね、そういうのと、あの、私も初めて台湾出張の時ね、まあ、多分、メキ会社入ったんです。
入社1年目の3月、3月、3月目?台湾行ったんですよ。行かされたんですね。
で、行かされたんですけど、なんか、あの時、私のもう1人の同じ学校で、まあ、同じ会社入った人ね、あの、2人一緒に台湾に行ったんですけど、
で、台湾は常に多分、10人ぐらいいるんですね、あそこ。あの、工場に常住してるとか、12、13人ぐらいいてて、
で、最初日に来て、みんなさん、あ、今日はクリス君ともう1人来たから、みなさんカラオケ行こうよ、行こうぜって言ったんですよ。
まあ、私今の経験のカラオケって、ほんの普通に歌うやつじゃないですか。
でも、私その日に連れ出されたカラオケは、まあ、歌う系じゃないよね、あれは。
なんか、お姉さんがたくさん来てるやつですね。
私あの場所、すごいビビってて。
なんでかね、私あのカラオケ、まだ1人も、1人の女の子も付き合ったことないですね、あの人生は。
初めてこんな、なんか、17人ぐらいの女の子のカラオケで、あ、もう帰るわ、もう帰るわって。
ちょっと、すごいビビってて。
で、あれ、ほんの帰っちゃったですね、私は。
まあ、タクシー持って帰っちゃった。もういい、まあ、そんな、よくない、やらないですね。
いや、難しいよね、その、なんていうんですか、その、やっぱ高校、大学ってちゃんとさ、その、女性の中で生きてる、来た男性じゃないと難しいですよ、あれやっぱり。
そう、私めっちゃビビったよ。
うん。
向こう、まあ、向こう、たぶん慣れてるから、そういうの余裕だったんですよ、もちろん。
でも、私めっちゃビビってて、もう帰るわって言って、もう無理ですって、そうなるの。
難しい、難しい、難しい。
せ、なんて正解わかんないもんね。
で、私はこの辺は乗り越えていくか、それとも、うん、どうするかわかんないですね。
で、もう一人の子は、あの、行っちゃったですね、そのまま。
うん。
あと遊戯王になるんですよ。で、私はその後、たぶん半世紀からバカされたなと思った。
難しいよね、なんかそういうのにさ、なんかまず入っていくべきかどうかって悩むじゃないですか、そういうのって。
そうそう。
うん。
乗りで入ればいいじゃんって言ったら、いや、やっちゅう、わかんない遊戯系がないから、私。
難しいですよね、入りが難しい。
補修ですね。
入りが難しいですよね。
そう。
わかるわかる、いや、めっちゃわかるわ、その気持ち。
あと20代で、結構人見知りですね、私は。今こんな感じですけど。今でも人見知りですけど、人によっては。
結構、なんか、たぶん高橋さんと同じ悩み持ってるんですよ。私もゲーム好きだし、アニメとか好きだし。
で、最初台湾行くときの10歳先の人は、やっぱり私より10歳とか20歳上の人です、ばっかりですよ、ほぼ。
もう私のお父さん世代、おじいさん世代、おじいさん世代でもなるの年々とばっかり付き合うんですよ、男性の。
話一個も通じないじゃないですか。
うん。
ゲームとかアニメとか。何喋るか全然わかんない。彼はもう競馬、競馬とか女とか。
わかる。
この話しかしないんですよ。
わかる、あの、なんですか?酒、タバコか女かギャンブルかですよね。
そうそうそう。
この話しかしないんですよ。
わかるわかる。
これめっちゃ強いですよね、この話題持ってるやつ。いやマジで思います、それ。めっちゃ強いですよ。
全然この話、もう合わせることもできないですよ。
本を読むの好きなんですか。朝みんな車乗って、でかい車乗って、本を読んでるんですね、だけ。合わない、全然話合わない。
なんぼかんぼ話合わせるようもしないし。最初の、多分タカさんのちょうど最初の3位って結構つらかったね、つらかった。
わかんないよね、そういうの。
そう、いやしかもさ、それが、自分がマイノリティなわけじゃないですか、そういう場では。
そうそう。
みんなその話できるわけですよね。
みなさんこれできて、わしが来てもわしはもうおかしいよねって思ったりしたんですよ。
だからその時にその、なんか自分が悪い気してくるじゃないですか、だんだん。
やっぱりわしがみんなに合わせてないからとかでもなっちゃうんですよね、やっぱり。
それきついのはまあ僕もやっぱり思いましたね、その工場実習中めっちゃ思いました、そう。
そう、みんなこういう話しかやらないじゃないですか。
そうそう、でなんかそのみんなが困ったらその、新入社員みんなができなくてみんな困ってたらまあそういうもんだなと思いますけど、うまくやるってそれなりにいるじゃないですか。
なんでこいつそんな。
そういう話し合ってうまくめっちゃ仲良くなってるんですけど、いますからね。
だからさっき引いた日もタバコ休憩だったんですよ、みんなも行っちゃって、タバコ休憩?タバコで休憩できるの?みたいなちょっとこれから始める。
そうそうそう、要はなんかアイコンタクトしやしますね、行くぞみたいな感じで、行きますみたいな感じでさ、2人でどっか行ったりしてさ、なんかありますよね。
わかるわかる。
そう、さっきバカでずついでて、喫煙所まで行って、え、みなさんここでタバコ吸うんだと初めてこの合図はタバコ休憩でわかったんだと思いますよ。
そう、いやね、やっぱだからね、そのなんか置いていかれてる感すごい出ますよね。
そう。
あれはできなかったんだみたいな、なんかあれって多分社会人で初めての挫折だと思うんですよ、僕あれ大体って。
あー、みなさん合わない。
成長の瞬間と共感
やっぱその社会人初めて仕事でそんな差出ないじゃないですか。
やることもそんなにね、そんな難しいわけでもないし、みんなできないからそんな差つかないじゃないですか。
でもそのそこで初めて大きな差が目に見えるというか。
わかるわかる。
あ、俺はできなかったんだみたいな。
俺はこのタバコ休憩いけないんだ。
いけない人間なんだ。
俺がダメだ。
そう、で、解決策思いつかないみたいな。
そう、そうですよね。
で、なので大阪で入ってて、まあちょっと新入社入ったときに、いやそんなのね、気にしなくてもいいですよとか言い始めたんですよ、もう。
自分がこれを合われたらもう合わないでいいんですよ、別に無理矢理合わせる必要ないんですよと言ったんですよ、自分。
多分自分それちょっとつらい思いってたから、なんか分かんない、どうするか分かんないという暑さというか。
そうそう、でもそれができなくても問題ないよって気づけるの結構後ですからね。
だんだん苦しいんだよ、あと。
実際。
あと3年、3年。
3年、3年ぐらいかかりますよ。
そのなんというかある程度ね、地盤ができれば別にそれがなくてもいいじゃんってなるますけど、地盤ができるまでね、なかなか難しいですよね。
そうそう、地盤の、なんか自分自身、そう結局タバコ休憩とか気にしなくても、結局一人前でライオン立ち上げるようになってから、これも気にしなくなったんですよ、自分。
やっぱりできなくてもいいじゃん、自分が仕事やってるから。やっぱりこの時間がいるよね、地盤を作るとは。
そうですね。
僕ね、タバコ休憩悪いとか、そんなの全然思わないですけど。
そうです。
思わないですけど。
一生行けないとこ、自分が。
自分ができないから。
そう、今なんか、社会人で10年やったら、タバコ休憩いけない、そういうもんじゃないと思ったんですけど、当時は自分はそうじゃなかったんですよね、やっぱり。
そうですね。
そう、悩みますよね、タバコ休憩に行けないこと、飲み会にうまく参加できないこと、みたいな、そういう。
そうそう。
皆さん、今のショボいですけど、結構大きい形ですよ、壁。
めっちゃわかるわ、それ。
一周大の悩み、新入社員の悩み、ワイワイの生活ができなかった、ワイワイの学生生活がなかったという、そうですね。
二十代の思い出
そう、なんかそれが解消されたのが、結婚して子どもができて、徐々に僕は解消されるようになったなって思ってます。
よかったね、でもちゃんと解消できて、一生問題についてなくてよかったですね。
そうですね、はい。
いやー、意外と一周大、一番進めたですね。
それで、これから金の話と子どもの大学の話になり、健康の話になりっていうふうにいくんだろうなっていうのは思ってます。
そう、そういうのが好きになったり、もうそろそろ花の写真を撮ったりとかね、もう年だなーとか思えてはじめちゃうんですね。
まあ36です、まあ37です、高橋さんまだ35です。
そうです、はい。
まあ人生に繰り返したところなんで、はい。
まあというわけで、はい。
まあちょっと長くなりましたけど。
何話したっけ、今日は。
え、今日はあれですよ、二十代の話ですよ、はい。
そうですね。
ポケットオフテーマで二十代の話をしてきましたけど、まあクリスさんの香港から日本にやってきたときの話を中心に話してきたわけですけどね、はい。
いやいやいや、暴露ですね、大暴露ですね、話が。
はい、というわけで今日はポケットオフテーマ、トークテーマは二十代、大人編ということで、我々のですね、もう15年ぐらい前の話からちょっと話してきたわけですけどもね。
まあみなさまもね、二十代に入ったときいろいろ、まあ二十代結構そのね、生活様式が変わる、大学入ったときもそうだし、社会になったときもそうだし、結婚したときもそうだし、いろいろね、その変わってくるところでいろいろ思ったこといっぱいあると思うんで、もし何かそういうのがあればコメントとかお便りとかで教えてください。
はい。
それではね、このトークテーマはここで終了したいと思います。ありがとうございました。
ありがとうございました。
40:24
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