2025-09-08 40:24

#340 【結婚はいいぞ】20代の思い出【ポッキャトークテーマ:20代編】

結婚して大人になれた気がする

サマリー

20代は日本に移住し、結婚と子供を持つことで新たな人生のステージに立っています。特に大阪での働きやすさや家族の存在が、彼らの成長に寄与した重要な瞬間を共有しています。このエピソードでは、人生の経験値としての結婚や子供を持つことの意義について語られています。特に20代の過ごし方や結婚後に得られた共通の話題に触れることで、社会との繋がりや共感を感じることの重要性が強調されています。20代の思い出として、自動車会社の飲み会や社会人としての初めての経験について話し、特にカルチャーショックや各種の飲み会の雰囲気が印象に残っています。友人との台湾出張では、初めてのカラオケ体験が思い出となり、社会の中での人間関係の難しさについて考察されています。このエピソードでは、20代の思い出や結婚生活の変化について語り、特に自身のライフステージの進行とそれに伴う悩みを中心に話しています。

20代の思い出
明日のファクトリーオートメーションへようこそ。メインパーソナリティの高橋です。
クリスです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
本日も企画会です。
よっしゃ、来た。
我々今までポッキャトークテーマという企画にずっと参加してきて、
それは小学生、中学生、高校、大学と今まで3回やってきたわけですけど、
今回はついに大人になります。20代ですね、20代編と。
ここから参加者が減ってくるわけですね。10代のポッキャスト参加できないわけですから。
今日寂しいな。
やめよう。
というわけで、トークテーマはフリーで、基本的に20代はどうでしたかという話をしていきたいなと。
どうですか、クリスさん、20代の思い出って。
20代に何がでかいことでした。
いろいろあると思うんですけどね。
就職したとか。
いろいろあると思うけど。
20代で一番でかい出来事は3つぐらいかな。
1個目は日本に行きました。
2個目は、ぜひこっちに入りましょう。
1個目は日本に行きました。
あと、前にラジオで何回喋ったんですけど、今の嫁どてやって、本郷の仕事を辞めて日本に行ったんですけど。
何歳で来たんですか。
24かな。
24歳。
働いて2年ぐらいですか。
3年働いて、本郷で3年働いて、で日本に来て。
これは結構大きなポイント、人生の結構でかいポイントだったんですね。
いろいろ聞いてもいいですか、それって。
これがないと今の私がないんですね。
ちなみにですけど、奥さんと出会って、付き合ってから来たんですか。
付き合ってから来た。
3年目で本郷で働いた時は嫁どてやってて、妻と。
妻が本郷に来て、付き合って本郷に来たんですけど。
最後、年末ぐらいで私は日本に行くと、今度は。
結婚と家族
それでワーキングホリデーを申し込んで、一発で出会ってきた。
それは奥さんが本郷に滞在したことがあるってことですか。
旅行に行って。
何回か来て、クリスさんがそれやったらワーキングホリデーで行きますわって言って日本に来たんですね。
それで日本に来て、これは結構大きなきっかけですね。
日本に行ったことないんだったら、私がないんですね、まずは。
皆さん知ってるんですけど、香港ってインダストリーが結構弱いので。
今はすごい弱いんだよって。
私の母さん生態はまだ工場がたくさんあったんですね。
私はメッキ工場でメーカー働いたんですけど、
メッキの工場で就職したときに、香港まだ数少ないのメッキ工場があったんですよ。
あそこで珍しい基板の1工程、2工程、1工程をずっと作ったみたいですね、20,30年で。
あのときの正直話を聞くと、
このボードは次はロシアを運んで別の工場に加工していくとか、アメリカとか加工していくとか、
そういう特定工程がやる工場が多かったんですね、香港は昔は。
全部ほぼ潰れたんですけど、今残っているのは手間一丁の工場と、
あとはビールの工場、あとは細かい、私は就職したときの小さいランプ清掃機の工場ぐらいはあるんですね。
それぐらいしかないね、今多分。
ちなみに、いつ結婚したんですか?
日本に来てから1年後。
ちょうどホリデーが切れるぐらいですか。
そうですね。
それで帰るか、営業するか、どうするんだみたいな話になり、みたいなことですか。
なりつつ、結局は結婚してから、結婚する前に、
日本ワーキングができる前に仕事を見つかったんですよ、初めて。
で、あのときはドイツ系の仕事が見つかって、初めて入ったんですね、ドイツの会社、日本で。
そのときは初めて、あ、言語力がドイツの会社にあるんだとちょっと分かってて、
少しだけPS知識分かってて、言語力もあって、それで仕事を慣れたったということですね。
で、これはまあ、間着ですね。
で、結婚はもちろん大きなということですね。
したことは、よって日本で財政資格を持ってて、ちゃんと仕事をさせるんだったとかね。
前は、そんなことできない。
契約者みたいなもんなんで、毎月更新するんですね、いろいろ。
毎年。だからすごく不安なんで、それで結婚できたことは、いろいろ安定な気持ちになったんですね。
これは2個目育ってきた、20代で。
で、3個目は子供が生まれました、この結婚した年で。
25で?
そう、結婚した年で。
早いな。めっちゃ早いっすね。
だから、多分26かな、26くらいかな、結婚したの25、26。
25、26で、そっから1年後くらいに生まれたってこと?
そうですね。で、子供も生まれて、お父さんになって、いろいろもう稼いだらあかんなーとかね。
ちゃんとケラ積んでおかないとあかんなーとか思ったんでね。
だから、あの時も頑張って働いて。
給料って結構かたいですよね、あの時は、大阪で働いてて。
あ、そう、もう1個。もう1個の結構大きな点は、大阪にいた子供結構多かったね、大阪。
いつも東京でいたんですけど。
最初から大阪じゃなくて、最初は東京なんですか?
もう、嫁が東京に住んでるので。
あ、そうなんですか。
最初から大阪におったもんやと思ってました。
最初は東京なんですか?
東京ですね。
じゃあ、今戻ってきたんですね。
戻ってきたんですか、戻ってきた。
で、大阪っていうのは、ずっとPSC行くと、その当時会社潰れ、そうなったんですね。
いろいろ問題があって。
で、調子を探してて、PSCのフュージ仕事を探してて、ちょうど大阪の会社があったので、ちょっと大阪行こうかという話になってて。
家族でサインで大阪に行ったんですね。
大阪で5年ぐらい働いてて、ここ結構給料、そこまで高いんじゃないですけど、やっぱりあそこでシーメンスに触ったんですね、初めて人生で。
大阪での経験
シーメンスをPSCに触ってて。
で、これも結構大きなきっかけですね。
このシーメンス、PSC触ったから、外国のPSC触ってて、それで今の海外のPSCに対して歩きがないということがあったということですね。
なるほどね。
今考えたら、これが結構大きな出来事が連続が発生した。
すごいですね、めちゃめちゃ激動の時代じゃないですか。
日本に来て、結婚して子供生まれて会社つぶりかけて、そのまま家族3人で大阪行くって、すごいな。
そうそう。
大阪行って。
やっぱり東京は逆さですよ、PSCの仕事。
あんまりなくて。
男性が多分わざと。
男性が多分わざと。
そうそう。
結構蹴ったんですよ。
結構同じようなことを初めて仕事が、求人が。
大阪の会社の社長が結構オープンマイナーの人なので、あなたが大阪に来てくれるんだったらいいですよって言って。
でも当時だと大阪工場多かったですからね、当時は。
そうなんですか。
いやだってまだシャープも全然バリバリな頃ですし、パラソニックも元気な時代だったと思いますから、仕事多かったと思いますよ、関西。
そうです。
大阪に入っても結構忙しかったんですよ。
お客さんも関西だけでも精一杯だったので、関西と岡山も、まだもう関西じゃないですよね、一応。
岡山は関西じゃないです、兵庫までです。
兵庫、そうそうそう。
あの辺までは、岡山とかあったりとかよく行ったので、結構面白かったですね、あの時は。
シーメンスのトレーニングも初めて受けて、楽しかったけど、最後会社とかいろいろあってて、いろいろ問題があってて。
大阪行ったのは何年ですか、20何年?
6年。
2006年?
6年。
違う、2015年?
2015年。
2016年。
じゃあ僕はもう就職してたか、その頃は。
そうですね、2016年くらいかな。4月1日はすごい覚えてるけど、4月1日はすごい覚えてる。
2016年ですね、2016年の4月1日で初めて大阪で会社を始めたんですね。
結構よかったんですよ、大阪会社は。いろいろあったんですけど、やっぱり今の人脈もある程度、あの時のスタッフの4人のおかげで、今の私になったし。
だから今の社長4人も毎年連会長とか所長名もこってるんですね、今は。
なるほどね。
ですよ。
いやー激動の時代ですね、本当に。
そう、今考えたらあの時に乗り越えてよかったなと思った。
ちなみに聞いてもいいですか?
はい。
なんで結婚したんですか?
まあ子供できたから。
あーそっちが先なんですね、なるほどね。守るべきものができちゃったわけですね。
まあでもまあいいじゃないですか、もうそろそろ。
まあ別に悪くないと思いますけどね、それも。
あとはやっぱり早いうちに結婚、まあ子供できたほうが、なんか子供が遊ぶ体力あるし。
そうそう。
で、子供が遅かった時に毎週と一緒に公園にいたんですよ、子供と。
朝9時から12時まで遊んで、1回昼ご飯食べて、また昼1時からずっと公園でなんですよ、子供二人で。
いやでもやっぱり、子供早いほうがいいっていうのは僕も思いますね。
僕もね、それなりに早いほうだと思うんですよ。
僕が結婚は27なんで、27、28に子供ができてるのかな、多分はい。
28か29くらいの時に子供ができてるんですけど。
多分どう、その、まあ愛知県って結婚早いんですよね、まず愛知県めっちゃ結婚早いんですけど。
でもやっぱりその、なんていうか、今35ですけど、35で初めて結婚したんですよ。
僕の知り合いもね、今ようやく結婚してようやく子供ができてっていう人がたくさんおられるのを見てたとしても、
やっぱり若いほうがまずいいっすよね、元気ですよね。
元気。
でもいろいろ意見があって、若いほうがいいですよね。
たくさんパリパリ働いてて、キャリア積んで、それでお金余裕持ってる時は、子供を産むとか考えたこともあるんですけれども、
いやー、体力が大事ですよ。子供の後は体力がないです。
そうですね。
そうですね。やっぱ年々フットワークが重くなっていくのもやっぱりあるのと、あともう一個さ、家族がいるっていうのを20代の頃に経験できたって結構大きいなって僕は思うんですけど、そんな感じません?
もう一回でいいですか?もう一回、もう一回。
家族っていうか、ちょっとこれはまたジェンダー論になってくるかもしれないですけど、守るべき存在が20代の時にできるっていうよりは、今僕35ですけど、家族できて7年くらいですけど、今35歳の時点で家族が7年間いたっていう経験結構でかいなって思ってるんですよ、僕。
いやこれね、考えたらだいぶ変わるんですよ。家族、そうそう本当にそう思ってて。
ですよね。
だからこれ時に、なんかね、うかつ言い方で言うだけ。ある意味決定的なのがいいんですね。すごい考えたら、これは本当にいいの?大丈夫なの?泣いちゃうんですね、本当に。
結婚の経験
そうですね、いやそのなんていうかさ、今35とか30、もうすぐ37ですけど、これからのことを考えるじゃないですか、この年齢って。
でもこの時にその7年間の家族の経験があるから、じゃあ次の7年大体こんな感じだなみたいななんとなく予想つくじゃないですか。
でもこれが35で結婚して、35で子供生まれるとわかんないじゃないですか、もうこれからどうなるかなんて、経験ないから。
だからなんとなくこのいろいろ考えるこの時期に、いろいろ考える材料がすでに7年っていう時間であるのがめっちゃ良かったなって思ってるんですよ。
なるほどね、そうかもしれないですね。
僕もいろいろそのキャリアとかその人生計画考える中で、なんかその良かったなって思ってるんですよね。
そう、そう思うんですね。子供が変わってきて本当に今思ったより良かったなって思ってるね。
だからその若い時に結婚しても、その35で結婚しても多分そんなにそこまで大きく何か変わることないんですけど、そこから何年間っていう時間ですよね。
これだけはもうどうにもならんですから、経験値として。
なるほどね、でもこれ20代から経験者と30代経験者とはちょうど違いますもんね、この感覚が。
そうですね。
なるほどね。
って思ったら。
ある人結構結婚したんですか?
えっとね。
ある人が。
僕自動車メーカーにいるじゃないですか。
大体3択なんですよ。
一つが、学生時代から付き合ってた人と社会人になった瞬間に結婚するやつ。
あ、いろいろあるパターン。
これがそれなりに多いです。多いです。だから24とか25で結婚するやつですね。
で、子供が26とかで生まれるぐらいのやつが、まず先頭集団としているんですけど、いわゆるその学生時代が充実した人たちですよね。
そうですね。
で、もう一つが、僕はこのグループに属しますけど、社会人になってお付き合いをして結婚する、いわゆる3年目とか4年目ぐらいで結婚する人たち。
なるほどね。
ここの27っていうところで僕は結婚してます。
なるほど。
もう一つが、社会人になって、一生懸命仕事とか遊びもそうですけど、いろいろやって、そろそろ結婚したいなってなるのが、だいたい30ぐらいなんですよ。
そこから探して。
探して、31か35ぐらいに結婚する人たち。だいたいこの3グループぐらいです。
共通の話題
なるほど。そうか。面白いね。そういうこと?
結婚、場所周りの友達、どうなんかな。
今後の友達はみんな結婚してない人が多いね。
35、37とかにいても、みんなやっぱり独身でずっと遊びたいとかの人ばっかり。
お前結婚したらバカじゃないの?って言ってもらうんだけど、ずっと言われてる。
結婚したうちに子供があったし、しょうがないですよ。
父さんだから。
違うんですよ、お父さんです。
よく言うお父さんですから。
あと僕、結婚して子供ができてすげえ良かった。
良かったなんて言うとちょっと語弊あるかもしれないですけど、
すごい自分の中で得になったなってことが1個あって。
僕って今まで人とちょっと外れた人生を送ってるわけですね。
めっちゃ外れてるわけじゃないですけど、一般的なルートとは違うわけですよ。
高校に行って、高先生の行く大学に行って、
それも部活も普通の人がやるような部活じゃなくて、ロボットコンテストやる部活をずっとやって、就職してみたいな。
だから就職したときって、全然周りと話し合わなかったんですよ。
親ときどんな多彩な大学生活を送っているのに、ロボットとずっと過ごしたと。
入ったときに初めて思ったのが、みんなテレビの話をするんですよ。
テレビ?
テレビ番組の話をするんですよ。
そのときテラスハウスっていうのがめっちゃ流行ってて、僕のとき。
僕知らなかったんですけど、テラスハウスっていう番組知らなかったんですけど、自分の会社がスポンサーしているのに知らなかったんですけど。
熱いね。
そう言ったらその話ばっかりしてるんですよ。
昨日テラスハウス見た?みたいな。あの子可愛いよね?みたいな。あのシーン良かったよね?みたいな。
言ってないな、言ってなかった。
1ミリも分からなくて。
まずそのテラスハウスっていうのが番組ってことすら分からなかったんですよ。
これは、完全主義外れてるってことですね。
でもそれが世の中のデファクトなんですよね。いわゆるマジョリティなんですよ。
いわゆる大学生っていう集団がいて、サークルであったりいろんな大学生同士がいろいろ話をしていく中で、その共通で話せるような話題っていうのがそういう話なんですよね。
だからある程度こういう関係をある程度広く持っている人はそういう話になるんですよ。バイト先とかもいろいろあるんで。
僕はアルバイトもせずに一生ロボコンしかやってなかったから。
一途一途です。
全然そういう話をする必要がなかったんですよ。
もうロボと話しかしない、ノーヒーと機械設計の話しかしない。
なんなら僕はAKBの話をしたらちょっと頑張ってると思ってました、自分のこと。
AKBでか。でも大学生に会わせてくれなかった。
そうなんですよね。だから入社した時ってめっちゃ困ったんですよ。
自分が全然、もう外に行った。
そう、要はみんなが話したいことがわからないじゃん。
はい。
だから入社して3年ぐらい経つともう仕事の話すれば全然OKなんで、それは解消されたんですけど。
はい。
最初そういうことがあったんですよね。
家でどうすればいいのか。
で、結婚して子供ができてよかったのが、いわゆるそういうみんなが経験することっていうことを一つ手に入れた。
今日方言どうだった?子供方言入りましたか?とかね。
子供方言入った?夜泣き終わった?とかね。
運動会どうでした?みたいな。大変だよね?みたいな。
みんなが分かる話を手に入れたんですよ、僕。
結婚と子供が生まれたことによって。
確かにそうだね。高須さん今マイクラで話してきましたね。マイクラ話してるから。
そうなんですよ。
子供ないとマイクラで話してきないね。
別に子供をそういう目的で見てるわけではないんですけど、世間一般の大多数が経験することをようやく手に入れた。
これが20代で一番大きかったことかもしれない。
ちょっと焦ったんですか?最初やっぱり。
焦った焦った焦った。俺もうやってけんと思いましたもん、会社で。
今日からテレビ見ないととか。
いやもうテレビ見るっていう気さらさらなかったから。だって家にテレビなかったんだもん。
マジ?
焦ったんですね焦ったんですね。
そういうこと?
でも今手に入れたら面白い体験だったんですね。あの時は良かったんですね。本当に奥さんのおかげで。
まあそうそう。
食べ打ちできるようになりましたね。
その何て言うんですか?
その時は初めて、ああなるほどっていう。世間一般の人ってこういう感覚なんだっていうのをめちゃくちゃ理解したというか。
寂しそうですね、高橋さん。
基本的にロボコンなんてやってると、ロボコンの話をして伝わることなんてめったにないんですよね。基本的に。
そこにともロボコンやってるかどうかわからないしね。
だから自分の話は伝わんないっていうことが大前提になるんですよ。
僕は自分のことを相手に話すときに相手が伝わると思ってないんですよ、その時は。
でもさ、そこまで気にします?
うん、するというか伝わらないんですよ、事実。ずっと伝わらないんですよ。
僕15歳から24歳まで自分の喋ってることほぼ伝わってないんですよ、相手に。
でも持ちネタがなかったんですよね、相手が絶対わかるであろう持ちネタがなかったんですよ。
で、結婚して奥さんができて子供ができて、相手に話したら大体わかるであろうってことを話せるようになったんですよね。
これの感覚が全然違うんですよ。
楽しました?最初はやっぱり。
楽しいとか楽しくないっていうよりは全然考え方が違ってて、その2つ。
なるほど。
だから今まで僕マジョリティの気持ち全然わからなかったんですよ。
結構シビアな話じゃない?今の。
それがわかるようになった。嬉しかった。
結構。
嬉しかったっていうかその。
上手に出た。
そうなんか、こういうことなんだって。
でもこれ一生使えるからね。一生使えますからね、この経験が。
なるほどね。
それはなんかその、いい悪いっていうのはわかんないけど、すごい感じたことなんですよね。
僕が20代で。
この結婚と子供ができたっていうことを契機に、自分が感じたことの大きいことなんですよ、これ。
そうなんだ。
これから、これをたぶん一生でこの話題使えるし。
中橋さんちょっと意外だね。
こんな悩みがあるの知らなかった。
この何か正義の合わない、一般の合わないというのが悩みだったんですね、最初は。
そうですね。で、なんかその、入ったときもその、
そいつのやってることでヤバいことなんかどうなのか見分けがつかないんですよ。
例えばさ。
見たことないから。
例えばその、自動車会社なんで、結構その、やんちゃなやつが来るわけですよ。
ある程度ね、学生時代、やんちゃをしてた人が来るわけですよ。
例えばその、飲み会、飲み沢の部長とかサークル長とかいうその、めちゃめちゃその、
コミュ旅行バケみたいなやつとかその、宴会でめっちゃ好きなやつとか、いっぱいいるんですよね。
そうですね。
で、そいつがなんか例えばその、宴会で服を脱ぐとしますよね。
それが普通なのかどうなのかも分かんないですもん、だって。
出たことないから、そんな飲み会に。
そうそう、飲み会持って行きたいし、そんな行かないし。
そう。
っていう状態で、掘り込まれて、やっぱ難しいですよね。
あー、難しい。
例えばその、まぁちょっと嫌悪感ある人いるかもしれないですけど、
はい。
その、男性同士で飲み会で酔っ払って中後するとかね。
マジ?
これ異常かどうか分かんないですよ、もう見たことなさすぎて。
分からんくない?
分からない、今でも分かるんですけどね。
分からない、いや、なんかその、普通のその飲み会いっぱい出たら、それが普通かどうか分かるじゃないですか。
はい。
いや、俺そんな見たことない。
いや、例えば飲み会100回出たけど、そんな見たことない、これ異常やってなるじゃないですか。
そもそもこの飲み会に行きたいんですけど、それ言えない、それは分からない。
飲み会1回も言えないですよ。
自動車会社の飲み会体験
そんななんか、なんていうんですか、ウェイな人たちがいるような飲み会1回も行ったことないから、分かんないです、それが普通かどうか。
今では分かんないけど。
なるほど、なるほど。
すっげえカルチャーショックでしたね。
俺は全然違うよね、分かんないね、分かんない分かんない。
いや、どれくらいその、なんていうか、自動車会社の飲み会、その新入社員の飲み会がウェイなのかっていう話をすると、
例えば僕、内定式っていうのがありますよね、普通の社会人って。
はい。
内定式っていうものが。
お祝い、内定で。
そうそう。
お祝いですか。
いや、お祝いっていうか、君は内定しました、この会社に内定しましたっていう式があるんですよ、儀式がね。
で、それが終わった後に全社に集まってるんで、内定式の懇親会をしましょうというのを、
いわゆる就活生の誰かが企画して、みんなやりましょうって言って、その500人くらい集めるんですよね。
そこに名古屋のクラブを貸し切ってやってみましょう。
どこですか、クラブ。
どこだっけ、堺かな、堺のクラブですね。
クラブっていうのは、キャバクラとかそういう感じの雰囲気のとこですね。
すごいな。
そこに行って、もう経験したことないわけですよ、僕なんてそんな。
もちろんね。
で、そこでみんなワイワイやって、その前に漢字みたいなやつがいるんですよね、東北代表みたいな、関西代表、中部代表みたいな人に続いて漢字が。
で、そいつらが集まって、マイクオーバーフォーメーションするんですよ。
今日はみんな来てくれてありがとう、みたいなことを言ったりとか、とりあえず上半身脱いで、ウェーイみたいな動揚げしたりとか。
すごい時代だな。
僕が初めて言った大規模な飲み会、それですからね。
分からんくない?
それがせいなのか。
やっぱり他の同じない人がいるんじゃないですか、高橋さんと。
そういう精度を持っちゃって、人生が狂い始めた人もいると思いますよ。
いるというか、僕は分かんなかったから、それに自分を適応させないといけないのかっていうのはちょっと考えてましたもんね、当時。
20年後の私がこんな感じになるのとかね。
そうそう、だからちょっと無茶しましたよ、自分でも。
高橋さん、無茶。
何もないけどテンション上げて飲み会に出たりとか、そういうもんだと思って。
やっぱり最初の1年はいろいろ思考が錯誤の年でしたね。
そうか、最初の1年どうなってんだろうな、自分が。
懐かしかった。
っていうのが20代なんですよ、僕の。
面白いね。
自動車会社の飲み会はやばい。
いろいろいい意味で?
いい意味で、悪い意味で。
何て言うんですか、最初だけやばいんですよ。
台湾出張のエピソード
キーボー、え、これは何?
ウィンキー?
キーボー。
そういう飲み会をしてきた人たちが一旦集まるんですよ。
大抵しか、その自動車会社に入った時に。
そういうやばい系なんですよ。
そうですね。で、それは徐々になくなっていくんですよね。
皆さんも大人になって。
大人になって、大体もう3年もしたらなくなります、そういうの。
そういうのをやっちゃダメって。
そうそう、やっちゃダメっていうか楽しくなくなる、そういうのが。
消えたってことですね。大人になったら。
そうそう、そういう大学生のノリで飲み会をしてもあんまり楽しくないねってなります、だんだんね。
大人になりました、大人になりました、皆さん。
でも最初は、要は先月まで大学生の頂点にあった人たちがバッと入ってくるわけですから。
はい。
とんでもないですよ。
とんでもない。だからさ、これはちょっとびっ、ちょっと衝撃受けた。
衝撃。
衝撃。
そんな、私もそんな人生になると。
だってわからんくない?その、さ、飲み会してさ、目の前の男性2人がいきなりチューを始めた時にさ、どういう反応したらいいか、何が正解かとかわからんくない?
わかんないよね。
わかんないよね。難しすぎるよ。その、地方の理系大学生にとって難しすぎるって、東京こうやって思ったもん、その時。
いやー、これはわかる気持ちわかるよ。
うん、わかる。
でも、そっか。
そう、でもね、そういうのと、あの、初めて台湾出張の時ね、まあ多分メキ会社入ったんです。有写1年目の3月、3月、3月目?台湾行ったんですよ。行かされたんですね。
で、行かされたんですけど、なんか、あの時私のもう1人の同じ学校で、まあ同じ会社入った人ね、あの2人一緒に台湾にいたんですけど、で、台湾は常に多分10人ぐらいいるんですね、あそこ。
あの、工場に常駐してるとか12、13人ぐらい行ってて、で、最初日に来て、みんなさん、あ、今日はクリスくんともう1人来たから、みなさんカラオケ行こうよ、行こうぜって言ったんですよ。
まあ私今の経験のカラオケってほんの普通に歌うやつじゃないですか。
でも、私あの日に連れ出されたカラオケは、まあ歌う系じゃないよね、あれは。
なんか、お姉さんがたくさん来てるやつですね。
私あの場所すごいビビってて。
なんでかね、私あのカラオケにまだ1人も、1人の女の子も付き合ったことないですね、あの人生はなんかね。
初めてこんな、なんか17人ぐらいの女の子のカラオケで、あ、もう帰るわ、もう帰るわって。
ちょっとすごいビビってて。
で、あれ、ほんの帰っちゃったですね、私は。
まあタクシー持って帰っちゃった。
もういい、まあそんなよくない、やらないですって。
いや、難しいよね、その、なんていうんですか、その、やっぱ高校大学ってちゃんとさ、女性の中で生きてる、来た男性じゃないと難しいですよ、あれやっぱり。
そう、私めっちゃビビったよ。
うん。
向こう、まあ向こう多分慣れてるから、そういうの余裕だったんですよ、もちろん。
でも、私めっちゃビビってて、もう帰るわって言って、もう無理ですってそうなるの。
難しい、難しい、難しい。
社会人としての人間関係
なんで正解わかんないもんね。
で、私はこの辺は乗り越えていくか、それともどうするかわかんないですね。
で、もう一人の子は、あの、行っちゃったですね、そのまま。
なんで遊戯王になるんですよ。
で、私はその後も多分反省会ばかされたなと思った。
難しいよね、なんかそういうのにさ、なんかまず入っていくべきかどうかって悩むじゃないですか、そういうのって。
そうそう。
乗りで入ればいいじゃんって言ったら、いや、いや、ちょっとわかんない遊戯系がないから、私。
難しいですよね、入りが難しい。
補修ですよ。
入りが難しいですよね。
そう。
わかるわかる、いやめっちゃわかるわ、その気持ち。
あと20代で結構人見知りですね、私は。今こんな感じですけど。
まあ今でも人見知りですけど、人によっては。
うん、結構、なんか。
なんかね、多分高橋さんと同じ悩み持ってるんですよ。
私もゲーム好きだしアニメとか好きだし。
で、あの、最初台湾行くときの10歳先の人は、やっぱり私より10歳とか20歳上の人です、ばっかりですよほぼ。
もう私のお父さん世代、おじいさん世代、おじいさん世代でもなるの年々とばっかり付き合うんですよ、男性の。
私一個も通じないじゃないですか。
ゲームとかアニメとか。
何喋るか全然わかんない。
彼はもう競馬、競馬とか女とか同じしかしないんですよ。
わかる、あの、なんですか。
酒、タバコか女かギャンブルかですよね。
そうそうそう。
同じしかしないですよ。
わかるわかる。
これめっちゃ強いですよね、この話題持ってるやつ。
いやマジで思いますそれ。
めっちゃ強いですよ。
ああそう。
全然この話、もう合わせることもできないですよ本当に。
で、本を読むの好きなんですか。
で朝みんな車乗って、まあでかい車乗って、本を読んでですねだけ。
合わない、全然話合わない。
僕も話合わせるようもしないし。
最初の、かも高さもちょうどいい、最初の3位って結構つらかったね、つらかった。
わかんないよね、そういうの。
いやしかもさ、それが、自分がマイノリティなわけじゃないですか、そういう場では。
みんなその話できるわけですよね。
みなさんこれできて、わしが聞いてもわしの方がおかしいよねって思ったりしたんですよ。
だからその時にその、なんか自分が悪い気してくるじゃないですか、だんだん。
私がみんなに合わせてないからとかね、思っちゃうんですよね。
それきついのはまあ僕もやっぱり思いましたね、工場実習中めっちゃ思いました。
そう、みんなこういう話しかやらないじゃないですか。
そうそう、でなんかその、みんなが困ったらその、新入社員みんなができなくて、みんな困ってたらまあそういう問題だなと思いますけど、
うまくやるってそれなりにいるじゃないですか。
なんでこいつそんな。
そう、そういう話し合ってうまくめっちゃ仲良くなってるやつがいますからね。
で、だからさっき聞いた日もタバコ休憩でみんなも言っちゃって、え、タバコ休憩?タバコで休憩できるの?みたいな、ちょっとこれから始める。
そうそうそう、要はなんかアイコンタクトシェアしますね、行くぞみたいな感じで、行きますみたいな感じでさ、
二人でどっか行ったりしてさ、なんかありますよね、わかるわかる。
そう、さっきバサでいつついてて、キツイ炎症まで行って、え、みなさんここでタバコ吸うんだと初めてこれ、この合図はタバコ休憩でわかったんですよ。
そう、いやーね、やっぱだからね、そのなんか置いていかれてる感すごい出ますよね。
そう。
あれはできなかったんだみたいな、なんかあれって多分社会人で初めての挫折だと思うんですよ、僕あれ大体って。
あー、みなさん合わない。
やっぱその社会人初めて、仕事でそんな差出ないじゃないですか。
やることもそんなにね、そんな難しいわけでもないし、みんなできないからそんな差つかないじゃないですか。
でもその、そこで初めて大きな差が目に見えるというか。
わかる、わかる。
あ、俺はできなかったんだみたいな。
俺はこのタバコ休憩いけないんだ。
いけない人間なんだ。
俺がダメだ。
そう、で、解決策思いつかないみたいな。
そう、そうですよね。
で、なので大阪で入ってて、まあちょっと新入社入った時に、いやそんなのね、気にしなくてもいいですよとか言い始めたんですよ、もう。
自分がこれを合われたらもう合わないでいいんですよ、別に無理矢理合わせる必要ないんですよと言ったりする。
20代の思い出と挑戦
多分自分はそう言ってたらつらい思い出がなんか、分かんない、どうせ分かんないという辛さというか。
そうそう、でもそれができなくても問題ないよって気づけるの結構後ですからね。
そう、だんだん苦しいんだよ後が。
実際ね。
あとは3年、3年。
3年、3年ぐらいかかりますよ。
そのなんというかある程度ね、地盤ができれば別にそれがなくてもいいじゃんってなるますけど、地盤ができるまでね、なかなか難しいですよね。
そう、地盤の自分自身、そう結局タバコ休憩とか気にしなくても、結局一人前でライオン立ち上げるようになってから、これも気にしなくなったんですよ私も。
できなくてもいいじゃん、自分が仕事をやってるから。やっぱりその時間がいるよね、基盤を作るとか。
僕ね、タバコ休憩は悪いとかそういうのは全然思わないですけど。
思わないですけど。
一緒にいけないとこが、特に自分が。
自分ができないから。
今、社会人で10年やったらタバコ休憩いけない、そういうもんじゃないと思ったんですけど、当時は自分はそうじゃなかったんですよね、やっぱり。
そうですね。
そう、悩みますよね、タバコ休憩に行けないこと、飲み会にうまく参加できないことみたいな、そういう。
そうそう。
皆さん、今のショボいですけど、結構大きい形ですよ、壁。
めっちゃわかるわ、それ。
一周大の悩み、スティン・ユー・シャインの悩み、ワイワイの生活ができた、ワイワイの学生生活がなかったという、そうですね。
ライフステージの変化
それが解消されたのが、結婚して子どもができて、徐々に僕は解消されるようになったなって思ってます。
よかったね、でもちゃんと解消できて、一生問題についてなくてよかったですね。
そうですね、はい。
意外と一周大、一番進めたですね。
これから金の話と子どもの大学の話になり、健康の話になりっていうふうにいくんだろうなっていうのは思ってます。
スーモが好きになったり、もうそろそろ花の写真を撮ったりとかね。
もう年だなと思い始めちゃうんですね。
まあ36です、まあ37です、高谷さんまだ35です。
そうです、はい。
まだまだ人生に繰り返したところなんで、はい。
というわけで、はい。
まあちょっと長くなりましたけど。
何話したっけ、今日。
え、今日はあれですよ、二十代の話ですよ、はい。
そうですね。
ポケットオフテーマで二十代の話をしてきましたけど、
クリスさんの香港から日本にやってきたときの話を中心に話してきたわけですけどね、はい。
いやいやいや、暴露ですね、大暴露ですね、話が。
はい。
というわけで今日はポケットオフテーマ、トークテーマは二十代、大人編ということで、
我々のですね、もう15年ぐらい前の話からちょっと話してきたわけですけどもね。
みなさまもね、二十代に入ったときいろいろ、
二十代結構生活様式が変わる、大学入ったときもそうだし、
社会になったときもそうだし、結婚したときもそうだし、
いろいろ変わってくるところでいろいろ思ったこといっぱいあると思うので、
もし何かそういうのがあればコメントとかお便りとかで教えてください。
はい。
それではこのトークテーマはここで終了したいと思います。ありがとうございました。
ありがとうございました。
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