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  2. 真ん中が空洞の網目状な組織か..
2024-10-06 44:05

真ん中が空洞の網目状な組織から、親子像への進化?

参加者(敬称略):nagi、けいた、くろぴー、おだっち、キクティー、Sat、ほん

nagiさんの研究テーマ「アズワン」が最近違う形に変化しているらしいというところから
 

サマリー

エピソードでは、アズワンが親子像への進化を迎えた背景と、それに伴う対話の減少について考察されています。組織が平和的な解決を模索する中で、環境や生態系からの学びが重要視されています。また、真ん中が空洞である組織の構造とその親子関係への影響についても考えられています。アズワンの体験を通じて、人間関係の複雑さや親子間の育成の問題が浮き彫りになっています。組織の親子像への進化についての対話が進められ、対話の重要性や疲弊感が議題に上がる中で、個々の関係性の改善が求められています。親子関係を通じて自然に帰ることを考えることで、対話の課題が共有され、文化的背景を打破しようとする試みが見られます。親子関係と対話に焦点を当て、理想的な親子像についての考察や教育的な要素が語られています。

アズワンの背景
え、もう録音されてるの?はい、じゃあ放課後トーーーク始まります。 パチパチパチ
パチパチパチパチパチ ハイ、今日テーマ決まってましたっけ?
あのー、なぎさんのがいいんじゃないかなと、私は思ってます。 なぎさんがディスコードで投げてくれた
テーマに行ってみましょうか。 いいんですかね、えっと
うーん、結構衝撃的だったの。アズワンの今起きていることを聞いたらね。
70いくつの人で、ずっと長年やってきた人が
最後の方に、もう全部2時間終わった後に出てきて、結局何かが危機感があったから、こういう状態になってるんじゃないの?って聞いたら
やっぱりなんか、今のままでは、なかなか平和的解決を望んでいるのが、自分たちだけが幸せになるのではなくて
えっと、Be as oneというぐらい、ジョン・レノンの言葉からとっているように、やっぱりみんなが世界が一つになるじゃないけど、こう
平和になるはずなんじゃないか。それのやり方として、事実、実際はどうなんだろうというのをゼロベースで考えていく。
本当に今、今起こっていることとか、自分の感覚とかもできる限り、ゼロで本当にそれはそうなんだろうか、みたいなことを考える訓練をしていく。
そういう実験をしていくっていうのが、アズワンのテーマだったなというふうに、私は認識してたんだけど
親子像への進化
今実際にやっていることが、ほぼほぼ対話をやめて
自然の在り方に学んで、親子像というところに向かってきた。
それがやっぱり、親が模倣し、リードし、子供がついていくみたいな関係性を維持した方が、その対話みたいなものが促されていく。
もしくはその平和的解決というか、アズワンに進めるんじゃないかと。
もしくは今の状態でずっと続けていたとしても、なかなか世界は平和にならないんじゃないか。
アズワンということにはならないんではないかという危機感があったから、親子像っていうのをある程度、
生態系というのかな、どちらかというと、そういうところから学び、そこに向かっていったと。
それをある程度やってみたところ、もともとセミナーの講師をやっていたその子は、対話が少なくなってしまった。
しかも自分の仕事となる、セミナーの仕事がなくなったわけ。
外部からのことは一切なくなったから、セミナーが何もなくなってしまった。
なので、おふくろさん弁当とファームのところをもう一回会社を立て直そうよと言って、みんなそこにやり始めてやっていたんだって。
で、そうしたら自分は全然面白くないっていうことに気づいて、なんだこれ面白くないんだけど、面白くないんだけど、僕全然ここにアズワンにいても面白くないんだよねっていうのを、何回も親となるような対話の相手、上の人と喋ってたけど、解決に至らず、
やっぱりじゃあ外に出ようかみたいな話に至ったというのが、私が理解したことかな。
対話が減ってしまっているから、昔みたいになんだろうな、コミュニティは多分そのまま起きていたので、一個のお財布の中でやっているということで、
たぶん真ん中にあるご飯を供給する、一緒にみんなでご飯を食べるところとか、たぶんみんなで一緒に例えばトイレペーパーを山積み買って、みんなでこう小分けして持っていくみたいなスタイルなんだよね。
一個の財布にしているから。そういうようなスタイルで、人と人とは合っているんだけど、彼がどんどん落ち込んでいった時にも、あんまり周りから落ち込んでいるなーっていうのは、みんなが気づいたとしても、親がいるから何か話しかけにくかったっていうのは後から言われたんだって。
親と対話をしているんだろう。そこの中に張り込んでいって、話しかけていって、アドバイスじゃないけど、そういうふうにすると親と子の関係が崩れやすいというか、信頼していないみたいに見えるから、あんまり見て見ぬふりをしていたら、実際に辞めるみたいな段階になって、本当にそうなの?みたいな話がありましたみたいな。
心配してくれる人とかがあって、今実際に出てみたら、僕はやっぱり対話が好きだし、なんかそういうの、こないだ来てるメンツ、私にとっては7、8年前の同窓会みたいな感じでもあって、昔一緒にセミナー受けてた人が結構入ってたりもしたんだけど、
そんな中で全国そういう対話をしたい人たちに回ってもいいんじゃない?みたいな話になったというのが、今現時点で彼は、今ベップにいるけど、今度は八ヶ岳じゃないけど長野とか、その辺で自分が住む場所とか、そういうところをもう一回構築していきたいという報告会だったんですよね。
そこですごく思ったのは、結局私からすればソースがいない、ゼロの真ん中が空洞化している組織で、アミメ上なすごく面白い組織感だったアズアンが一気に親子像に転換した。これがびっくり。
それによって、最初やろうかと言った時には思ってもみなかった対話が減り、結局アミメ上が実際は崩れているように外から見ていると見えたみたいな。そんな感じの印象だったんですよね。
はい、ちょっとそれがすごく私にとっては生態系のところとか、その辺で似てる。なんか同じような感じだなぁって。何なんだろう、これみたいな、衝撃的な。
平和的解決への挑戦
聞き逃しただけかも。アズアンはなぜ親子像の方に、どんな流れで進んでいったのか。
結局その危機感として、このままずっと対話型のことをやっていても、なかなかビー・アズ・ワンになり得ないんじゃないかっていうのがすごく危機感にあるっていうことだったらしい。
現状このままだと難しいから、新しいチャレンジしてみよう。
新しいチャレンジしようっていう方も、鍵を切ったみたい。だから今までのような研究所があって、それをセミナーを受けようところがあって、セミナーをやって外部の人も受け入れながら、これだと全然世界が平和になるのが遅いということもあるだろうし、自分たちだけが平和になってもみんなが全然世界が変わらないんじゃないの。
もうちょっと分かりやすい方式にした方がいいんじゃないか。みんなが模倣しやすいようにって言ったらいいのかな、みたいなシステムを取り入れてやってうまくいったら、それが伝播していくんじゃないか、みたいな思惑があるんじゃないかなというふうに思ったけどね。
じゃああれですか、親子像に変えることで実現したかったことは、分かりやすくするとかっていうことなんですか。
分かりやすくする。シンプルにもっと話し合いと、話し合いが大切なんだよとか、お互いがお互いを支えるじゃないけど、本当にbe as oneになるっていうことだと私は目指しているのはね。本当に一つ、もともと私たちは一つなんだよねっていうことを思い出して、つながりを感じて生きていくっていうことなんじゃないかなと思ったけどね。
でもなんかちょっと親子像は、私からするとトップダウンと似てる、みたいな感じで。結局トップダウンじゃねえの?みたいな感じで。
急に閉鎖的になったなって思った感じがしましたよね。
そうそう、えーっていう感じで。だから結局、昔前からする、誰もがなんとなく見てないようで見ているっていうお互いをね、気遣っているっていうか。
で、その人の思いで、なんだろうな、こうしなければいけないということではなく、なんか悲しそうな人がいるねって言ったら、えーどうしたの?みたいなことが、その社会ですごく起きていたのが、突然なんか、それさえもなんかちょっと薄れていたみたいなことにちょっと私は驚いたし。
まあ、私からすると生物学的にというか、やっぱりすごく空洞になっているソース、ソースが言葉が真ん中にあって空洞になっている方が一番強いんじゃないかな、強い組織なんじゃないかなという、自立分散にも近しい考え方を私は思っていたから。
まさか、あずさんがそっちの方向に進んでいるとは思わなくて、何か改善、改良して、なんかまた外部を受け入れるのかなと思ったら、そんなことはなかったみたいな。まだまだ全然、そのそういうふうにはいきそうにない。
まあ、でも彼らもやっぱりすごく思っているのは、実験であるというのはすごく思っているから、またある程度実験して、やっぱりこれダメだわって言ったら、戻ってくるというか、また方向転換する可能性は十分もちろんあるけど、今現時点ではそんなような感じで、
すごくあずあんをすごく好きだった人が外に出てくることにもなってしまっているというのが、今現状なのかなみたいな、という感じがした。最果ての結城くんとかも出てたり、田原山の大ちゃんとかもなぜかそこに入ってたりして、質問が結構出たりしたかな。
そこで言って親子像のところもちょっと理解ちゃんとしたんですけど、どういう生活づくりなんですか、親子像。実際の親子じゃないってことですよね。
実際の親子じゃないよ。なんか、なんとかって言ってたな。
なんかよく企業とかでメンター制度とかってあるんですけど。
そういう、どちらかというとそんな感じ。だから、メンターの人がもうきちんと決まってるから、他の人は受け入れないというか、一応メンターに相談して、何かあって誰かに相談しそうになったら、一応メンターいるんだからメンターに相談してみたら、みたいな感じにも促されるし、そこがいるっていうことをみんな周りが理解しているから、
その人がだんだんだんだん元気がなくなっていったとしても、なんか声かけづらかったんだよねって後から言われたって言ってた。
結果として、外に出るっていうふうになった時に、やっぱり話しかけてくる人はいたみたいな。
ちょっと対話が少ないなっていうのが、やっぱりあるかなっていうのも言われたし。
でも、彼がもう出てきて2ヶ月ぐらいなのかな。でもまただから変わってるかもしれませんみたいな感じで。
今現状として、僕が出てきたので話すとそうだし、ただもうまずワンテ、みんなが知っているようにすごく変わるところ、実験上だっていうのがあるから、もうちょっとまたやり変わってるかもしれないねみたいな話もちらっと出てたりしたけど。
でも結構みんなが驚いていたかな。その今の感じに。
極端な方向に取ったなっていう感じが確かにありますよね。
そう。えぇーっていう感じだった。
めっちゃ言っちゃうのっていう感じはある。
そうですね。実現したいことと手段があんまりリンクしてないように思いましたけどね。
最終的にアズワン、アズワンというかその世界は一つであることを広げたいってことですもんね。最終的に。
みんなが平和、自分が生きてていいよねとか自分が生きてて楽だよねっていうことがみんなそれぞれ体感できたらすごく素敵なことじゃないみたいな。それが平和なんじゃないっていう感じも私は思ってるけど。
組織の構造と人間関係
なんかでも100点にはならないのはそれはそうなんだろうなと思うので、どっちもデメリットメリットあると思うんですけど。
一回こうエヴォーグの中でもペアシステムの話が出ては消えては消えてるじゃないですか。結局だからペアシステムをやっても一つのリスクとしてそれがあるわけですよね。
ペアの人がいるからそこに割って入るの割って周りが遠慮するっていうのはあるよなとは思う。
だからそれぞれメリットデメリットがあるけど、あの何だろうな、アズワンに感じてたそのノレに腕押し的な空気感が変わっちゃってるんじゃないかなと思ってちょっとびっくりしたかな。
なんかこう層が厚い感じとか見えないところがすごい繋がってる感があったのね。アズワンって。やっぱりそのみんながみんな結構そのコアな人たちがなんか不思議な空気感だったんだよね。
いろんなことにすごい気合い入っているわけじゃないんだけど、すごい力が抜けてなんかどうでもいいやねっていうふうな話でもない。なんかただ淡々とそこにあるみたいなことの存在感みたいなのがあったんだけど。
本当にこうある縦の関係性を入れただけでこんなに脆いものかなみたいなのも一方で私の中では驚きだったんだけどね。
確かにそこまで安定感があるからこその実験してみたらもう結構思ったよりも脆かったっていう感じかもしれないですよね。
感覚はみんな感受性がすごく高まっているから、自分の痛みのように相手の感じているところが感覚が解き澄まされていたと思うんだけどね。
そういうふうに育ってきているだろうし、でもなんかそれは感覚で感じながらもなんかね本当にちょっとそのまま無視するわけじゃないんだけど、まあいいかみたいな、見ないふりをしてたみたいなところがあったんだよね。
まあでもこれも一つの実験であり、外に出る人がまた散っていくのもまた良しみたいなところも、やっぱり一方であるのねっていうのもあったんだけど。
どうでしょうか、みなさん。感想とコメント。
クロピーがめっちゃ上見てる。
おだちが感じてるのよ、何が出てくるかなと。
アズワンの知識はそこまでね、もちろん知ってありますけど。
普通だったら職という気楽なもんだったりするけど、アズワンだと仕事と家族とコミュニティと全部を変わっていくのが、すごい壮大な社会実験をしてるところなんだなっていうのを改めて感じつつ、
PDCAサイクルじゃないけど、そこからどういうふうに感じて、アズワンが変化していくんだろうっていうのを定点観測していけたら面白いなっていうのを感じたところですかね。
親子関係の影響
どうなるやら。
今は開かれてないから、情報がね、辞めた方からのなぎさん経由っていう。黄色だから。
だから変わってるかもしれないけどね、また。面白いね。
PDCAって人間がやってるから、Doのタイミングでいなくなる人はいなくなるわよな、みたいな感じもあって。
対象が戻ってないから全く同じ環境で何度も繰り返し実験できるわけじゃないからね。
一人一人の人生の中の、どのタイミングにそのDが入ってくるかわからんから。
なんかその焦りがすごい面白いというか。
なんかその、どうなんだろう。なんかすごいそこに、私は腹で考えたら絶対真ん中空洞なのにって思うから、それは女性的な感じなのかな。
腹で考えたら空洞なのにってのは。
腹でなんとなく腹落ちしてるっていうか、なんだろう。
その、真ん中に誰かがトップであるっていうことのすごく危ういさみたいな。
誰かその、どのコミュニティでも何かがトップだとやっぱりすごく継続的にやっていくっていうのは難しいよね、みたいな。
だから、ひみこみたいな人がいても、ひみこの役割をやる人がいるみたいな。
なんか、それこそ真ん中っていうのは結局、ある意味いないんじゃないかなっていう、私の中では感覚があるから。
それがすごく長期的な組織としては継続的に、割に継続できやすいんじゃないかなっていうのは。
まあわかんない。それは男女なのか、私の仮説的にもそうだなーって思ってるところで。
親子関係で、親の親の親の親は1人だったんですか?
いや、何人か。ベンタみたいな感じのタイプになってるみたい。そこは。
7人か親みたいな、5、6人かいる。
なるほど。1対1じゃなくて。
今言ってるで言うと、例えば研究員さんっていうのがいるわけよね。
間近研究員の人とかがいたりとか、元々そこにカルチャーセンターみたいなのがあったから、
カルチャーセンターが相談ごとを一定に引き受けてたりする、そういう人たちがある意味メンターになってるんじゃないかなというふうに思ってる。
じゃあ、1対複数?
何かここまでがあったら、そう、1対複数だけど、4、5人ずつぐらい持ってるとか、子供が。
全員じゃなくて、1人に対して5人ぐらいお子さんがいるみたいな感じなのかなと思ったけど。
そこまで詳しくは。
ピラミッドみたいな感じなのかな。
そういうふうなことでやってみてるみたいな感じだったけど。
その彼も結局何回も何回も、ちょっと面白くないんだよね。ちょっと面白くないんだよねって何回くらい言いに行って。
でももうちょっとやってみたら、やっぱもうちょっとやらないとダメなんじゃないとか。
もうちょっとやってみた方がいいんじゃないみたいな感じでやって、いやもうちょっと無理かもって。
確かに。もうちょっとやってみないと年は取るわけですし。
そうそう。で、自分対話好きだったのに対話がないなんてみたいなのがやっぱりすごくあるみたいな。
なんか会社で辞めたいっていう相談を受けてるのとあんま変わんないですね。
そうそう。変わんないね。
よくあるよね。
あるあるある。
あるあるですよね。
もうちょっと頑張ってみようみたいな。
やるやる。次のやつやってみようよみたいな感じのことを言って、結局辞めていくよね。
1年はやってみないとみたいな。
そうそう。でも難しいよね。なんかそういうのって今の時代結局。
みんな我慢するのかね。分からんけど。
意見があるかどうかですよね。いつまでもこの環境だって思うかどうかで辞めていくか辞めていかないかを考えるみたいな感じですね。
こんな辛いのがあと1ヶ月なんですって言ったら耐えられる人は耐えられるんだけど、いつか終わるかもって言われたら思いますよね。そりゃあと思って。
多分でも一番中堅がいないんだよね。40、50ぐらいが。少ない。
70の人たち、60、70の人たちがもともと20年でやってきたわけじゃない?20年、25年とかやってきてるから。
だから今若い子を育てるっていうふうに、7、8年前からシフトして若い子の寮とかを作ってそこの中で研究所を作ってやってきたわけだけど、
その20歳ぐらいの人たちとその間の人たちに30、40、50とか、その辺がすごく私からすると薄いんだよね。層が。
それでメンバーとメンティー関係になっちゃうとなんかもう完全上下関係に見えちゃいますよね。
上下関係になっちゃうよ。どうしても。それが上下じゃないんですって。
社会実験と心理的反応
上下関係じゃないですって言ってもなんかあるよね。どうしようもないよね。
えー、でも本当親子沢でびっくりしたな。
経緯を払わざるを得ないもんなって思うんですね。少なりとも。
オダンチやキクティの声も聞きたいなぁと思って。
うん、そうだね。
なんかここはさっきの親子って話から、結構やっぱり幼児性の問題が残ってるのかもなーっていうね、思い。
それがクリアされないまま、残ったのか再燃したのかちょっとわかんないですけど。
なんかそれで結局そういうふうに、なんていうか。
幼児性とは。
要は親子っていう、なんだろう。親がいて子供が。ちょっと僕も文明科博士なんでわかんないですけど。
親がいて子がいるっていう、それを前提としたシステムというか。
育てる人がいて育てられる人がいるみたいな。
そういう力関係というか構造が、なんかそういう色んな心理的な反応だったりとか。
うん。
それは残されたまま来たのかなーとか。
あとその中堅の人がいなくなったみたいなところから、なんかそういう問題。問題というか。
事象がこう出て浮き上がってきたのかなーとかっていうのはなんか、もう矢島レベルですけど。
聞いていて感じました。
今の親子のことで言うと山西で結構やってきた人たちが。
あ、ミュート。
山西でやってきた人たちがやっぱりその上の方にいるわけだけど。
自分たちその時の子育てって集団で子育てしてるんだよね。
だから親と子が引き離されてる。一回。
だからその育ってきた人たちはあまりに恨んでる。親子を恨んでる人たちが多かったりとか。
なんか、それぞれも自分たちがちゃんと子育てしてないかなーっていう後悔ももちろんあるのかもしれないなっていうのも今の話聞いてちらっと思ったんだけど。
山西のその一番絶頂期って結構集団で親から子供離してみんなで育てようみたいなのがすごく強くて。
そうすると、なんだろう、親に、親の愛情を受けられてないというか、なんかちょっと不完全燃焼というかね、なんかそれぞれトラウマを抱えているようなところもあるなーみたいな。
だからなんか、なんだろうね。
学校行くと、普通に学校行くとみんな親と子供でやってるけど、その山西の子たちだけがなんか集団生活で親がいるんだけど離されてるみたいな。
すごくいびつな感じで育っている人たちもいて、なんかあまり納得できなかったよねとかいう人たちもいたりとか。
その人たちが今、
今40くらいじゃない?
40、今子育て時代です。
いないのか。抜けてるのはそこらへんで。
抜けてるというか、何人かは帰ってきて子育てしてる人たちももちろんいるけど。
でもやっぱり複雑だったかなーみたいな、ちらっと聞いたことはあるけど。
自分の育ち方というか育たれ方とか。
だからそういう山西とかから離れて行っちゃった人もすごく多い。
その時の親世代が今、
今が70代になってるでしょ?70くらいになってて。
親子関係を初めて結んでるの?
分かんないけど、だからその後悔もあるのかなーって今キプティの話を聞いてて、
親子像の重要性
なんとなくちょっと思い出して、そのなんか年少できてないというか、ちゃんと親子関係ができてないのか、
もしくは親子関係できてない、自分の子供との関係性がうまくいってないからこその、
まだ分かんない罪悪感みたいなものがベースにあっての親子像なのかなーっていう気もしてきたり。
もう一回、親育て子育てをお互いにするのか、分かんないけどね。
だからそれも、それこそ矢島的なものだけど。
でもちょっとその組織論的にはちょっとね、
結城くんも言ってたけど、やっぱりすごく進んでる感。
そのコミュニティの中でも、やっぱりあずわん進んでるよねっていう印象が強かったから、
その中でこの方向転換というのはなかなか、今からあずわんのやり方をみんなが
方針に来るんじゃないかっていう段階で方向転換したから、ちょっとびっくりだねって。
なんかでもやっぱりあれですね、なんでそれをやったのかがやっぱり、
あんまり、あんまりそういう判断をしなそうな。
今これ聞こえてます?
聞こえてますよー。
みなさんまだ日常中なんですけど、ずっと聞いてました。
なんか、親子像っていう、こういう施策に行ったっていうことを、
多分すごく気になる、なんだろう、そこに対する
口座、なんだったろう、これが良い悪いとか、
っていうのは結構いくらでも言えるけど、さっきケイダさんも言ったように、
なんでこれに至ったのかっていうのは、なんかそこに対してすごく何か意図を感じるんだよなって思って。
なんか、なんだろう。
例えば、すごい対話対話って、全て対話で解決するっていうところに、
結構みんな疲弊感があったりだとか、
これで平和って実現できないよね。
平和ってこういうことだよねっていう感覚が、誰かしら何かがあって、
そこに向けてどうすればいいかって思ったときに、
なんかよくわかんないけど、じゃあこれかみたいな思ったのが、
親子の関係を持ち込むっていう、
そういうところに落ち着いたのかなっていう。
だから、何が知りたいかっていうか、分かりたいなって思ったのは、
やっぱりそこに、今のままじゃダメだよねって言ったところの、
何をイメージしてそれを言ったのかっていう。
今のままじゃない何かっていうところを、誰かが何かをイメージして、
そこに向けた施策として、今ファーストステップがそこに入ってるって、
親子像に落ち着いたっていうところなんじゃないかなと思って。
対話の課題
それはちょっと、自然に帰るっていうのはキーワードだったような気がするんですけど。
うん、まあそうね。
そこを突っ込んだけど、彼も当事者、これを言い出しっぺではないから、
それを言い出したときに、やっぱり危機感があったんじゃないかと、
僕は想像してますとは言ってたけど。
だから、彼が最初に親子像を聞いたときに、結構面白いかもっていうふうに思ったんだけど、
結局実際自分が受けてみたら、なんかトップダウンと似てるよねっていう感じだったみたいなのが、
すごく彼の印象、どうしようもできないというか、
じゃあ出るしかないかみたいな感じになったっていうことと、
私にとってすごくタイムリーだったのは、
やっぱ対話をしたくないっていう人たちが非常にこの世の中に多いっていう、
なんか対話を避けようとするというか、
お互いに分かり得られないよねみたいなのが、
日本人の中にすごく多くすくっている感じも、私の中では一方であって、
いろいろ今回もちょっとイベントでやってきたけど、
なんで人は聞き合えないんだろうみたいな、
この人とちょっと聞き合えないよねっていうふうに思う人とかがいたりしたときに、
なんだろう、でも聞き合いなさいよって言っても逃げるし、
聞いてよって言っても本当に逃げるし、
それはあなたは聞き合ってないんだよねって言っても、
なんかやっぱり逃げる感がすごく私の中であったりとか、
もしくは怒り出すみたいな次のステップとして、
なんかなんだろうな、なんかすごくその、
やっぱりその辺が外国のところはやっぱり親が私の気持ちを聞いてくれたとか、
なんかそういうのが子供の時からやってるような気がするけど、
なんか日本人すごくそこら辺が弱いというか訓練もしないし、
なんかあんまり聞かないで育ってるな、私自身もと思って、
そういうところもちょっとベースにあったりとかかな、
だからなんかすごくこう、みんなでやろうよ、やろうよって言っても、
いや私は対話できませんからみたいな感じでみんなが去っていくというのも一方であるな、
というのが私の中ではすごくその、
それを感じてた矢先さんのその話だったから、
いや実にタイムリーだねと思った。
そのなんかその対話疲れみたいなのとかって、
アズワンだけじゃなくていろんなところである話だなって思って聞いてて、
それはね、イエールだったりとか、いろんなところはこうコーチングだとか、
みんながこう対話スキルを、
これからの時代はいや対話スキルが必要だということで、
対話の自分にはないものとしてスキルを使わなきゃいけないみたいな意識で、
やろうとしている人たちが結構いるなっていうふうに思っていて、
なんかそれってなんか、
結局やっぱりさっきのマネジメントプログラムのところで思ったんですけど、
ないものをあるというか、
自分にないから身に付けないといけない、こういうふうにしようみたいな、
そういうものってなんかうまくいかないような気がしていて、
っていうことじゃないかなってちょっと思ったんです。
自然に帰る、じゃあ自分たちの中に自然にあるものっていうところが何なんだろうと思った時に、
いや親子って絶対あるじゃん。
自然界の中で親子がないような関係性とかって絶対ないよねっていうところになって、
親子になったんじゃないかとか、
なんか勝手な推測ですけど、
そういうふうに思ったりとかして。
なんで親子にしたかっていうのは、
ここから先は外の人だからわいわい予測するしかないからね、
そこはわからないだろうとは思うけど、
なんか今言ってたその対話疲れっていうのと、
なぎさんが言ってた対話から逃げるっていうのは多分別の、
少し別の話かなと思ってて、
対話疲れは確かにあると思うんですよ。
対話しなさい、対話しなさいで疲れてる人はいると思うんですけど、
なぎさんが言ってた対話疲れって、
馬が合わない人と対話をするのを諦めることを言ってるのかなって思ったから、
他の人となら対話するんだけど、
この人との対話はもう無理だわって諦める人がいるよねって話なんかなと思って。
対話疲れもあると思うよ。
私が言いたかったのは対話疲れじゃなくて、
そもそも対話は苦手ですと言って逃げる人が多いっていうことかな。
対話できるとか、ちゃんときちんと分かり合えるっていうのにも、
諦めてる人、そうありたいと思うけど、
それができないっていう人が非常に多い気がする。
一方でそれに努力した人の話だと思うんだけど、
それに努力してきたんだけど、
やっぱりその分かり合えないが、
結局いっぱいいろんなところで起きているっていうのが、
サッと抜いたところかな。
私はなんとなくそのベースとして、
結構多くの人が分かり合えないところから対話に向かない、
実は自分は対話はできないっていうふうに決め込んでいる人がいるっていう人と、
自分は対話をしようしなきゃいけないんだっていうふうにしたけど、
なかなか対話ってうまくいかないよねっていうふうな、
SNSと人間関係
2ついるよねっていう感じに今聞いている限りは捉えたけどね。
電車の人は何を怖がってるんでしょうね。
対話をするとできないってことは、
対話すると何か、対話に何か別に失敗なんはないじゃないですか、本来は。
失敗してもなんていうの、両性敗というか、
お互いの話だから片方側でできないっていうよりは、
したくない、すると何かを、
その人にとって嫌なことが起きるんでしょうね、
という予測をしてるからしないんだろうなと思うんだけど、
何が怖いんだろうな、自分の本性が悪いことが分かってるからしたくないんだろうなってちょっと思うときは、
自分の腹ぐらさを理解してるから、
それが明らかになるならやりたくないっていうのはわからなくもないと。
立派な人間じゃないっていうところがバレてしまうっていうのかな。
だから自分を知るのも怖いっていうのに近い。
あるある。
まあそんな感じかな。
あっという間に10時35分、すいません。
私の声は聞こえてなくてね。
どうしようかなーっていろいろ考えてて、
親子関係っていうのはたまたま今日、
この定例の前に聞いてた、
今日切りね。
今日切りが。
ちょうど親子関係みたいな話になってて、
ちょっと元々親から親の背中見てるじゃない。
それで結局見習いたりとか、
ここだけは見習いたくないって半面教室で取ったりとか、
そういうふうなところがやっぱり本人意識しなくても、
そういうふうなところが出てくるっていうか、
まあ意識して出てくるところもあったりとかはするんですけど、
なんかそういうふうなことでどうやっぱり影響してるのかなーって思ったりとかしてたりとか。
先ほど話を聞くとかそういうふうなこともあったんですけど、
たまたまツイッター見てたら、
深井さんのツイートで結構ちょっと刺さってたところがあって、
SNSっていうのはやっぱりそれで議論ってちょっと成り立たないよねっていう、
そんな話があったりとかもしてたので。
なんかそういうふうなところを見てて、
やっぱり人と人っていうか、本当に面と向かって話するっていう環境づくりっていうのは、
本当にいろいろあって、
個人的にもやっぱりいろいろ悩んできたところもあるんですけど、
どういうふうにやっぱり付き合いっていうか、
人と人と人っていうか、付き合ったらいいんだろうっていうことはちょっとなんか、
そういうふうな印象はあります。
ただちょっと前半のところとか何か、なぜかやっぱりすっぽり抜け出してて、この頃。
ちょっとあんまり聞けなかったっていうのがちょっと厳しかったですけど、
この試合の中で感じたことだけちょっとお伝えしました。
親子関係の重要性
なんか親子関係と対話のことで言うと、
自分のちっちゃい頃、親との関係、そんな今もなおよくないんですけど、
対話をすることなんてないんですよ。親と。
だから教育的なのですよね。
対話をするということが、自分の中で全然インストールされてない感は今もなおありますね。
怖いとか逃げるとかでもなく。
目指したのが本当に日本の実際の親子関係ではなくて、
理想的な親子関係だったのかもしれないなって思うんですよね。しっかり対話をしてさ。
そんな親子見たことないんだけど。自分もそんな親にはなってないんだけどね。
今後も、あずわんを定点的に観測していきましょう。
愛さんを経由して知りたい。
違う動きが出てくるんじゃないかな、本当に。
ちょっと外の方に出てる人たちとかが、また違う、あずわん、もっとあずわんです、みたいな人。
サマータイミングのためにやったとしたらすげえなと思いますよね。
ちょっといろんな人を外に放出したかったから、相手の、みたいな感じだったらすごい策略だなと思いますけどね。
でもなんかすごい、ちょっと外がこんなに違うとは思わなかったっていう感想もあったよね、その子から見てみれば。
10年近くいて、やっぱり外のこと、外から来る人とは対話してるけど、
何で感じてるのかわからないけど、何かいろんなものが変わってるんだね、みたいな。
なんか外界はちょっと世界が変わってたんだね、みたいな感覚があるんだよね、とか言って。
あんまりそこらへんちょっと突っ込まなかったけど、ちょっと今度また話したら聞いてみたいな。
何が一番変わったと感じてるのかな、みたいなのもあるけど。
ちょっとこの辺はもう一回のまたね、ケイタのやってる生態系のところから組織論とか、あの辺とかも。
ちょっともういろんなところから考えてみたいよね、みたいな感じではあるんですけど。
一般的にあれなので。
一回閉じましょうか。
はい。
一旦ここで質問切ります?切りましょうか。
そうですね。一回切りましょうか。
はい。
ありがとうございました。
はい。ありがとうございました。
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