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#14【雑談】早起きは三文の徳どころじゃなかった!〜デューイから始まる、濃すぎる朝の思考ログ〜
2026-01-25 20:42

#14【雑談】早起きは三文の徳どころじゃなかった!〜デューイから始まる、濃すぎる朝の思考ログ〜

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今回は雑談回です。朝5時半に起きて、オンライン読書会で全国の先生方とジョン・デューイの『経験と教育』を読み、その足でスタバに向かい日々の探究について友人と対話。朝から何気ない時間の中にもたくさんの気づきや学びがありました。

クルト・ハーンの言葉やデューイの思想をヒントに、これからの教師や役割やファシリテーション、組織開発まで。

早起きは三文の徳どころじゃなかった!そんな濃密な朝の記録です。お楽しみください! 


#朝活 #ジョン・デューイ #経験と教育 #経験学習 #市川力 #ジェネレーター #MIMIGURI #クルト・ハーン #Project Adventure #探究 #組織開発 #社内ラジオ


▼ジョン・デューイ著、市村尚久訳『経験と教育』(講談社、2004年)

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▼市川力、伊庭崇『ジェネレーター』(学事出版、2022年)

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▼ティム・インゴルド著、古川不可知訳『教育とは何か?』(亜紀書房、2025年)

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▼「好奇心のたまり場」とは?

福岡の現役高校教員のかわむーが日々の生活の中で生まれる好奇心やワクワク、問いやモヤモヤをリスナーの皆さんと一緒にじっくりと味わう番組。

みんなんで好奇心を持ち寄り、日常を少しだけ豊かにする「知の冒険」に出かけましょう。

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はい、始まりました。好奇心のたまり場。この番組は、福岡の現役高校教員が、教育現場のリアルや探究、キャリアなど、日々の生活の中で生まれる好奇心やワクワク、問いやもやもやを、リスナーの皆さんと一緒にじっくりと味わうポッドキャストです。
パーソナリティを務めます。かわむーこと川村周平です。 好奇心のたまり場第14回です。よろしくお願いします。
はい、ということで、えー、今日はなんですけれども、今日はですね、何かこうテーマを設けて、これについて話をしますというよりも、あのー朝からですね、色々と今日ちょっとあのー動いてきたので、なんかこう、熱が冷めやらぬうちに、ちょっとなんか朝の出来事だったりとか、なんか思考の流れを、なんかそのふもう、このまま記録しちゃおうということで、今ちょうど1月25日のお昼ぐらい、前なんですけど、あの朝のことをですね、ちょっとつらつらと喋るので、
まああのー興味のある人だけ聞いていただければと思ってます。もう完全な雑談会になってます。はい、じゃあ今日ちょっとどんなことを考えたのかっていう、まあ本当に、あの僕の休日の思考をちょっと、あのー垂れ流すんですけど、えっとですね、今日は朝の5時半に実は起きてて、あのーというのもですね、今日あのー読書会に朝からオンラインで参加してて、
それどういう読書会かっていうと、あのスロースクール、遅い学び場って言ってですね、あのオンラインであの全国の先生方が集まって、えっと教育に関する本を読むっていうそういったコミュニティがあったので、私今回これ参加させていただいておりまして、あのーそのコミュニティですね、前回はえっとパウロフレイレの書籍を読んでたんですけど、
今日はですね、あのジョン・デュイの経験と教育ですね、あのー学校の先生であれば一度は必ず聞いたことがある、あのーデュイ、そしてまあ経験と教育なんですけれども、まあこれにちょっと今日参加をしてきました。で、朝結構早い5時半ですよ、5時半。
僕も久々にこの5時半に起きたんですけど、まあなんかほんと全国の先生たちとあとは海外とか、あのイギリスとかニュージーランドから参加されている方もいて、ほんとなんか5時半なんですけど、もう10人以上いてすごい熱気があった読書会だったんですけど、あのー今日ジョン・デュイの経験と教育ですね、1章からじっくり読んでまして、今日はちょうど最初の回だったので1章でした。
で、まあ正直言うとですね、デュイはあの教職課程取られている方、大学とかで勉強されている方だったらわかると思うんですけど、必ず名前出てくるんですよ。で、あの経験教育っていうところでそういった文脈で出てくるんですけど、なんかあのー私ですね、何度も見聞きをしてたんですけど正直教育学の授業とかで扱われて、まあなんかレポートのために読んでて、なんかまあ試験前にもう一回なぞるみたいな。
正直頭に残っていたかと言われると、うんって感じなんですよね。
私もその歴史学の専門だったので、教育学をずっとやってきたわけではないので、本当に教職課程の知識ではあったんですけど、なんかあの改めてですね、本当最近探究学習とかワークショップとかそれこそファシリテーションとか場作りみたいなところに真剣に関わるようになってきて、なんか改めてデュイ読み直すとですね、なんか驚くほどやっぱ今の現場に刺さってくるような内容、クリティカルな指摘もすごく多いし、
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なんかこのタイミングで読んでおきたいなっていうことがすごく衝動的にあったので、申し込んでですね、今回の読書会に参加をしました。
で、最初30分くらいみんなで読んで、その後対話を2、30分くらいグループでやってたんですけど、なんかまずこの今日第1章だったので、まず印象に残ったのが、やっぱこの第1章のタイトルってあれなんですよ。
伝統的教育対進歩主義的教育っていう、そういうタイトルなんですけど、まぁあの印象残ったのがですね、このデュイがこの伝統的教育と進歩的教育っていう二項対立から議論を始めてる点なんですね。
ただ、彼がどっちが正しいかっていうことを決めようとしてるわけではなくて、むしろその二項対立っていうものが教育を貧しくしてしまうっていう、そういった問題意識が流れてるような感じですね。
で、第1章の終盤ですね、28ページとかだったかな、に出てくる問いが本当に印象に残ってて、
どうすれば年少者は過去の知識が現在の生活を理解する上での仲介者になるような仕方で、過去を親しく知れるようになるのかっていう、そういった文章が書かれてます。
で、この問いって本当にいつでも普遍的だなーって思ってて、やっぱりこの過去の知識をただインプットするだけでは、その子供の個性だったりとか好奇心みたいなものがある種こう潰されてしまうというか、
押し込まれてしまうわけで、やっぱり学びにはならないと思うんですね。でもだからといって、過去や伝統的な教育みたいなものが全面的に間違ってるわけでも決してないわけです。
なので、たぶんここで言いたいのは、大事なのはですね、やっぱり過去とか現在、あるいは伝統とか進歩とか、なんかそういう二択ではなくて、過去と現在をどう連続させるのか、過去と未来をどう直線というか線で繋いでいくのか、
こう行ったり来たりしながら、その王冠の中でその時代なりの最適な教育の形を、ある種暫定的かもしれないんですけど、探し続けるそういったプロセスがすごく大事なんだろうなということを、ちょっと今日読書会しながらですね、思ってました。
後半はですね、このタイトルにもあるんですけど、経験という曲のこの経験ですね、この言葉を軸に語ってたんですけど、なんかやっぱり生徒と教員の関係性についてもちょっとそこで話しになったんですよね。
で、自分の中でも改めて問い直したいのが、教師がどの立場で語るのかというふうな問題です。それこそデュイの書籍の中にもですね、出てくるんですけど、27ページか。
それは未成熟な子供たちの教育的な発達を促進するにあたって、教師及び書物の役割はまさに何であるのかという問いであるというふうに表現があるんですけど、やっぱりこの授業で何かを説明するときとか、教師がこれはこういう意味でこう考えるのがいいよみたいな、そういった正しい的なスタンスで語ると、やっぱり生徒はそれを正解として受け取ってしまう可能性があるし、
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そうするとあれですよ、こちらが正解と思って語ってなくても、やっぱりその教師と生徒みたいな関係性がある中で、そういうふうな語り口というかそういうふうなコンテクスで喋ってしまうと、やっぱり生徒そういうふうに正解だろうなというふうに受け取ってしまうので、
そうすると考える余地がなくなるしですね、やっぱり問いが閉じちゃうような学びがそこで終わってしまうという感じがあるんですね。
で、やっぱり話してたのが一方で教師が自分はこういう経験をしたんだとか、私個人としてはこう思うんだ、正直答えはまだ出てないんだみたいな、そういった個人的な経験として語る教員も、
そしたらやっぱり授業の中でもそうなんですよね、自分がどうこうしたとか、自分がここで迷ったとか、ここに行ったみたいな話をすると、やっぱり明らかに生徒の顔が上がるし、空気が変わる感じがするんですよね。
やっぱりこの先生も迷ってるんだとか、先生ここに行って勉強してるんだみたいな、そういったものがあると学びが共有されたものになる、そんな感じがしていて、
例えばグループの中で出てきた例え、とてもわかりやすかったんですけど、例えばバスケットやりなさいみたいな体育の時間とかに言って終わるのと、あとは探求やりましょうとか言って課題出したりとかタスクを課して終わる、
これだとやっぱり生徒はやらされる側になるわけですよね。いくら時間的なゆとりがあっても、やっぱり関係性的にはやらされる側になってしまうので、
でももしですね、教員自身が一緒にバスケットボールをやってみる、そういう流れってどうだろうみたいな、実際その一緒にグループになった先生がやられてたんですけど、
例えばコートに立って実際にシューと打ってみると、思ったより入らないわけですよね。なんで入らないんだろうとかフォームが崩れてるのか、こうしたらいいんじゃないかなとか、
一部の得意な生徒からは先生こうしたらいいですよみたいな、そうやって先生自身がうまくいかず悩んでるみたいな、そういう姿を見せる。
これ探求学習みたいなものも一緒で、やっぱり探求しなさいとか探求しましょうではなくて、やっぱり教師が自分の探求テーマを語る。
今先生これが気になっていて、正直全然まとまってないんだけどとか、正直先生もここで詰まってるんだよねみたいにすると、探求が課題とか授業っていうよりも、
ある種生きた学びというかプロセスとして立ち上がるような気がしていて、そういった意味で先生ってやっぱり教える人ではなくて、一緒に学んで、
一緒に失敗する、一緒に経験を共にするような仲間になるべきなんじゃないかなっていうふうにちょっと今日朝思っててですね。
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この話は別にグループであったわけじゃないんですけど、この感覚って市川力さんって方、学習環境デザインの方がいらっしゃるんですけど、
その方がおっしゃってるジェネレーターっていう立場と非常に共通してるなーってなんか自分で喋ってて途中から思い出してて、
やっぱり答えを出す人とか、あるいは問いを生み出し続ける人、そういう存在がジェネレーターであって、前に立って引っ張る存在っていうよりもその場に入り込んで、
一緒に巻き込まれていく、一緒に企む存在というか一緒に楽しめる存在っていうのが先生として大事なんじゃないかなーっていうことを朝5時半から7時にかけて考えてたというところです。
それが最初朝1時の話で、その後ですね読書会が終わってすぐ8時ぐらいから近所のスタバに行って仲良くさせてもらっているミミグリのテラクラさんと朝会してきてですね、
めちゃくちゃ楽しくてこれが朝8時ぐらいから始めて、気づいたら10時過ぎてて、むちゃくちゃ濃密に喋らせてもらったんですよね。
それこそ私も大好きなこの株式会社ミミグリさんなんですけど、
去年の4月に京都代表のアンザユキさん学校にお呼びしてイベントやってからですね、
やっぱりうちの今の学校も探究的な学校、組織として作っていきたいよねということで、やっぱりこの探究をキーワードにやってきてるんですね。
やっぱりミミグリさんって探究的な組織としてすごく面白い組織作りされている会社なので、
個人的にも学校作りの文脈でもかなりモデルとしてというか参考にしている会社なんですね。
テラクラさん家がめちゃ近いので、テラクラさんといろいろ喋りながら、来年度学校を探究する組織としてもう一段グレードアップしたいんだみたいな話をさせてもらって、
なんかそう考えた時にやっぱり一人一人の探究、これ先生なんでしょう、やっぱりこれ子供たちにやっぱり総合的な探究の時間とかっていうものがあったりだとか、
今探究学習すごく重要視されてるんですけど、なんかこれ生徒にやっぱさっきの流れ、Dの話じゃないんですけど、
やっぱり生徒にやらせるだけじゃなくて、やっぱり先生たちも一緒にこう探究を楽しめるようなそういった構造とかシステム、
あるいはそういった先生たちの探究を支援するような仕組みが学校の中にあってもいいんじゃないかなということを最近強く感じていて、
例えば定期的な発表の場であったりとか、まあそうですね、あとは101とか、まあなかなか学校じゃないんですけど、
リフレクションとかフィードバックの機会ですよね、なんかどれもめちゃくちゃ大事だと思うんですけど、やっぱり学校でそれをやっていくっていうのは難しいなっていうところがありつつですね、
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なんかやっぱこう忙しい現場の中で、まあもちろん我々メインは授業をやって子供たちと関わってプロジェクトをやって部活やってみたいなすごいたくさんあるわけですよ、
まあなんかその中でなんか自分の探究、毎回なんか文章を書いたりだとか、なんかちょっと片肘張ったアウトプットを続けるっていうのは正直かなり大変だと思うんですね、
やっぱりそこで話題になったのがやっぱポッドキャストというか、まあこうラジオ形式で社内ラジオをうまく使っていくということですね、
なんかやっぱ書くってなると皆さん少し共感いただけるかと思うんですけど、やっぱこう誰かに見られるから表現めちゃくちゃ気遣ったりだとか、
なんかこの言い回し合ってるかなとか、この引用大丈夫かなみたいな、ちょっとやっぱこうハードル高いと思うんですけど、
なんかこうやって私が今喋ってるみたいに、喋るってやっぱ少しハードル下がると思うんですよね、
でやっぱこう考えながら話す、まああとはなんかまとまりきらなくてもいいんで、なんかその生贄の状態でこう話してみる、
こう場に出してみるっていう、なんかそれ自体がすごく探究のアウトプットと質が高いんじゃないかなっていう風なことを思ってるし、
あとはなんかそのラジオをちゃんとこう学校内で他の先生たちにも広めていくっていう中で、
多分それを聞いた先生とかがね、この先生こんなこと今やってるんだとか、こういう興味関心が今あるんだっていうことが知れますし、
あとはやっぱこう自分も同じテーマに関心があったなっていう、まあそういった気づきがあれば、
なんかそこでコラボレーション、あるいはなんかこう共同的な探究みたいなものが起こって、
一緒にちょっと授業作りませんとか、これ一緒に行きましょうよとか、なんかこれで面白いことできそうじゃないですかみたいな、
なんかその偶発的にですけど、コラボレーションが生まれる気がしてて、なんか探究をですね、やっぱこう個人の努力にしたくはないので、
やっぱこう関係の中で育っていくものだと個人的には思ってるんで、
なんかそういった意味で社内ラジオってなんかすごく有効な仕組みとしてありなんじゃないかなということをちょっと思ったりしてます。
本当はですね、4月から、前どっかの回で喋ったかと思うんですけど、
4月からですね、ちょこちょこやっぱ社内ラジオ撮ってたんですけど、
まあなんか別にそれが業務ではなくて、単純にこう個人のなんかこう活動として、
いろんなゲストの先生呼んで喋ったりしてたんですけど、
なかなか自分が忙しかったりだとか、どうしてもそこまで持っていけない時っていうのがやっぱ更新が止まっちゃったりとかでうまくいかなかったので、
なんかそこを仕組み化していくようにしたいなっていうのがちょっと最近というか、
まあなんか来年度の思惑としてあったりします。
で、あとは朝会の中でなんかもう一つ強く印象に残った話があって、
それがですね、ドイツの教育者でクルトハンっていう方がいらっしゃるみたいで、
これあの寺倉さんから聞いたんですけど、
えっとハンがですね、なんか体験学習の祖とも言われていて、
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よく言うアウトドア教育というか冒険教育の分野で世界的に影響を与えた人物らしいんですよね。
私ちょっと今日初めて知ったんですけど、
例えばこう彼が創設にかかったプロジェクトアドベンチャーっていうその教育実践だったりとか、
アウトワードバウンドっていう団体があるんですけど、そのPAを進めているっていう風になんか結構有名な方で、
その人の話でですね、あの言葉が上がってたのが、
子供に考え方を教えるのは間違ってると、しかし経験を教えることは義務であるっていう風な言葉がありまして、
その言葉を聞いた時ですね、正直かなりうわーってなんかめちゃくちゃわかるっていう、なんかそう結構唸ってですね、
なんか最近その自己決定とか主体性を大事にしようとか、子供に選択肢を与えようみたいな、いう話がすごく一般的になってます。
それってめちゃくちゃ大事だし大切なことだなっていう風に思うんですけど、
なんかこのハーンの言葉ってなんかそのもう一段階なんか奥にあるような気がしていて、
結局ここで大事なのってこう選ばせることそのモデルではないわけなんですよね。
例えば食事の話で今日例えてもらってたんですけど、
例えばそのハンバーグとかお寿司とか唐揚げみたいな選択肢がいくつかあって、
子供たちが例えばハンバーグを食べたいって言ったとしますよね。
一度目はそれでいいと思うんですね。
でも次も次も私ハンバーグがいいってハンバーグを主体的にというか選ばせ続けることが、
果たしてその本当にその子の主体性を尊重していると言えるのだろうかと。
むしろ多分大人はですね、この前ハンバーグ食べたから今日お寿司にしてみようよとか、
なんかあえて選択肢を狭めたりしながら新しい経験へと導く責任がある。
これが考え方を教えないが経験は教えるっていうことだと思うんですね。
自己決定を支えるってなんかその本人することではなくて、
やっぱこう経験の地平を拡張するというか、そこだと思うんですよね。
これって今日ちょっと思ってたのが探求のアウトプットの選択にもそのまま当てはまるような気がしていて、
例えばプレゼンでもいいですよとか論文でもいいですよ、文章でもいいですよ、絵でもいいですよってなったときに、
アウトプットを選択させますよね。
ただしプレゼンが得意な子がもう毎回プレゼンだけを選び続けていたとしたら、
結局それ他の経験の機会を自ら閉じてしまっているとも言えますよね。
ここで問われるのがやっぱこうパシリテーターや教員の役割だと思うんですよね。
単に決めさせることでもないし、かといって決めてあげることでも当然ないわけで、
やっぱり参加者とかあるいは生徒の状態を見取りながらですね、経験の幅が広がっていくように、
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意図的にやっぱこう環境とか選択肢をデザインするっていうこと、
なんかこれがすごく大事なんじゃないかなっていう、
なんかその今までのこう自己決定というか、生徒に決めさせればいいっていう、
そのなんか今までの理解がちょっと一段階解像度上がってなんか更新された感覚がありまして、
なんかすごく印象に残ったんですよね。
で、この話ってなんか最近僕も読んでたんですけど、
ティム・インゴルドっていうイギリスの教育者がいるんですけど、
その教育とは何かっていう本の中に書いてあって、
インゴルドは教育をですね、知識の伝達ではなくて応答の営みとして捉えてます。
要は教える側、そして教えられる側、この教師と生徒、
そうした二項対立を超えて、互いに応答しながら共に変化をしていく。
それが教育の本質だっていうふうに言ってるんですよね。
あのインゴルドの本読んだら分かるんですけど、
非常に前半とかデュイをめちゃくちゃ引用してるので、
まあデュイの思想ともつながりますし、
なんかある種、今日読んでてやっぱりこうインゴルドにつながるなっていうことも思ったりしてました。
はい、というわけで今日はですね、5時半からデュイを読んで、
スタバで寺倉さんに会って、
そしてなんかいろんな教育者の言葉をいろいろ考えながら、
一気にこう思考しまくってた、なんかそんな朝だったんですよね。
でなんか久々に一連の思考がグッとつながったような気もしたので、
なんか最初の音とかなんかで書こうかなと思ったんですけど、
まあいっそのことをラジオにしちゃうかということで、
衝動のままに記録としてポッドキャストにしたという話になります。
はい、ということで、
まあ多分20回とか30回ぐらいまではこんな感じで結構自分の思いつきでポッドキャストを収録していくと思うんですけれども、
ぜひぜひなんかこんな感じで話す内容でもなんか面白いなとか、
誰かの好奇心とかそういった興味関心につながればいいなというふうに思っております。
はい、ということでここまでお聞きいただきありがとうございました。
この番組ではリスナーの皆さんからのメッセージお待ちしております。
番組概要欄にフォームをご用意しておりますので、
皆様の日々の好奇心やワクワク、もやもやをお気軽にお寄せください。
また番組の感想はXでハッシュタグ、
好奇心のたまり場をつけて投稿してもらえると嬉しいです。
あなたの気になるが誰かの面白いになる好奇心のたまり場、
パーソナリティは河村こと河村周平でした。
それではまた。
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