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#15 なぜ教員は「教えすぎ」てしまうのか?学校現場とファシリテーション(ゲスト:髙木先生)
2026-02-01 1:05:51

#15 なぜ教員は「教えすぎ」てしまうのか?学校現場とファシリテーション(ゲスト:髙木先生)

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今回は、前任校の「戦友」であり、公私共にお世話になっている髙木先生をお迎えしたゲスト回です。


収録時間1時間超え、台本なしのガチンコ対話。 今回のテーマは、「学校現場におけるファシリテーション」について。

授業やホームルームで、教師はいかにして生徒の学びを最大化する「場」を作れるのか? その実践について語り合う中で、議論はどうしても避けては通れない「なぜ、教員は『教えすぎ』てしまうのか?」という核心的な問いへと派生していきました。

生徒をコントロールすることで得られる「教員の万能感」と、そこから抜け出すための「フェーディング(Fading)」や「沈黙を歓迎する」という姿勢。 ジョン・デューイやクルト・ハーンの哲学を補助線に、ファシリテーションを特別なスキルとしてではなく、学校の日常に溶け込ませるためのヒントを探りました。

 現場で悩み、試行錯誤する一教員として、この正解のない問いをリスナーの皆さんと一緒に味わいたい。 そんな願いを込めた、熱量高めの60分です。


【Topics】

テーマ: 学校現場で「ファシリテーター」として生きるとは?

教員の病理: 生徒が言うことを聞くと「気持ちよく」なっていないか?

沈黙の肯定: 沈黙は「気まずい時間」ではなく「クリエイティブな時間」

北風と太陽: 変化を生み出す「トランスフォーム・エージェント」としての在り方


#高校教員 #世界史 #ファシリテーション #教育哲学 #コーチング #組織開発 #教員研修 #対話 #キャリア教育 #探究学習 #主体性 #先生の悩み #学校のリアル #マインドセット #教育の未来 #ワークショップデザイン #場づくり

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▼「好奇心のたまり場」とは?

福岡の現役高校教員のかわむーが日々の生活の中で生まれる好奇心やワクワク、問いやモヤモヤをリスナーの皆さんと一緒にじっくりと味わう番組。

みんなんで好奇心を持ち寄り、日常を少しだけ豊かにする「知の冒険」に出かけましょう。

お便りや感想は「#好奇心のたまり場」で!

また、下記URLからリスナーの皆さんの感想や質問、たまり場で一緒に話したい好奇心をドシドシお寄せください!📻

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00:03
はい、始まりました。好奇心のたまり場。この番組は、福岡の現役高校教員が、教育現場のリアルや探求、キャリアなど、日々の生活の中で生まれる好奇心やワクワク、問いやもやもやを、リスナーの皆さんと一緒にじっくりと味わうポッドキャストです。
パーソナリティを務めます川むーこと川村周平です。はい、ということで今回はですね、コラボ会となっております。
はい、じゃあ本日のゲストをご紹介いたします。高木先生です。よろしくお願いします。よろしくお願いします。
はい、前回出ていただきましたけれども、全人校で同期としていろいろお世話になった高木先生に今日も来ていただいてます。よろしくお願いします。
はい、こちらこそお願いします。はい、高木先生、じゃあ最近のちょっと近況報告というか、最近どうですか?学校の方は。
そうですね、高3生の学年にいるので、なんといっても共通テストが行われて、今結果をリサーチが返ってきているので、それを見ながら国立大学の出願と、それの裏側でも来週から私立大学の入試があっていくので、そのあたりをバタバタバタバタと。
この時期マジで忙しいですよね。国公立のことも考えないといけないけど、次第もうババッと2月頭始まってくるから、やっぱりここら辺りがね難しいですよね。
めちゃくちゃ難しいし、やっぱり次第の問題も今年はどんな風に出てくるのかがすごく気になるところで、とりわけ我々の担当している科目であるこの歴史が、大体どこの大学も今年からその入試の中に歴史総合の分野を入っているので、
近隣の福岡県内の大学とかも例年とはちょっと違った題文構成になるのか、拝点が変わったりするのか、それともあまり大きな変化はなく問題の中にちょろちょろと絡めてくる程度なのか、あたりがちょっと読みづらくてどうかなっていう感じですね。
確かに、もともと大学は別に協定の流れ、歴史総合とかそういうのはあんまり組んでなかったりする、さすがにどの大学も意識をしているって感じですかね、今年くらいから。
やっぱりその去年の段階で、一部の国公立大学、例えば千葉市とか名古屋大とか、そういったところも二次試験の中で工夫を凝らしてきたりとか、あるいは慶応義塾とかところは例年通りとはいえ、意識をしているときに出してくると、やっぱりリーダー校というか、
まずは去年先行してやって、それはもうやっぱり他の大学も追従していくというか、その流れの中に乗っていくような形で、自分たちも歴史総合を範囲として出してみるかみたいなものがありそうな、そんなふうに感じてますね。
03:10
確かに。
いわゆる難関大みたいなところがどのくらい気合い入れて問題を作ってくるかっていうのは結構楽しみですね。ただでさえ世界史の問題でもやっぱり結構大学によって色が出るから、そのあたりどういうふうに作ってくるのか、日本史との絡みみたいなところもあるでしょうけど。
生徒はちょっと対策がむずいですけど。今回は本題のほうというか、ほんちゃんのテーマに入っていきたいなと思っているんですけど、高木先生といえばですね、僕、実は高木先生の第一印象って、もちろん世界史の先生っていうのもあったんですけど、
結構ファシリテーターとしての属性というかあり方みたいなのが僕のイメージとして結構強くて、そのあたりをちょっと今日高木先生と一緒に考えれたらなと思っているので、今日はファシリテーションをテーマに喋っていきたいなというふうに思っております。
ということで、お互い実はファシリテーターとしての顔を持っているので、お互いにファシリテーションについてどう関わってきたのかっていうところをちょっと話していきたいなと思うので、高木先生、学校の教員やりながらある種ファシリテーターとしても色々活動だったりとか、学校の中でそういうふうな立ち振る舞いされていると思うんですけど、今までどういうふうにこのファシリテーターとしては活動されてきたんですか。
僕は今から数えると6年前に2030 SDGsっていうハードゲームのファシリテーションの講習を受けて、そこで認定をもらって、そのワークショップそのものをいわゆる運営することができるようになったものの、ファシリテーターとしていろんなことをできるようになる、そういうことを学ぼうと思ったのはまさにそのタイミングで。
やっぱり教員として生徒といろんな場を作っていく上でも、ティーチャーなのか、コーチなのか、それともファシリテーターなのか、いろんな振る舞い方が必要になってくるなという中で、このファシリテーターとしての在り方というものが、そのタイミングおよそ6年ぐらい前から自分の中で探っていったり勉強していったりして、
ちょうどこっちに至るという感じですね。
なるほど6年ぐらい前か、ってことはあれですかね、ちょうど僕らが入職するちょっと前とかですか?
ちょっと前ぐらいに。
ああそうなんだ、じゃあコロナ前ぐらいですか?
そうちょうどそれがもう始まる直前ぐらいのタイミングで。
なるほど、いやなんか僕大学卒業までずっと歴史やってて、大学院卒業までか、で教員として入職して初めて恥ずかしながらファシリテーションとかファシリテーターっていうものをちょっと知って、
06:18
あとその最たる例がある種高木先生だったんですけど、それまでなんかファシリテーターっていう言葉があるんだってことすら知らなくて僕。
これってなんか教育系の分野とかだったら全然当たり前にあったものなんですかね?
いや全然そんなことはなくて、その自分も何というか名前そのものは学校教育の中であまり語られるのは見たことがない。
ああそっかそっか。
たぶん2016、7、8とかそれぐらいのタイミングのところで、そういった企業向け研修を行っている人たちの中にそういうふうに呼ばれている人たちはいるっていうのは知ったが、
でもそれはまあ別に学校の教育とは別物であろうということで、特に興味もなかったし、それを必要とすることも当然なく、こっちからもという形でずっとその存在とある一定の距離感を置いている感じがある。
そっかそっか。まあそうですよね、ビジネス文脈でファシリテーションとかいわゆる会議の進行みたいなそういったものがあって、いつぐらいからなんでしょうね、その学校教育とか教育現場にどんどんファシリテーションって言葉が入ってきたので。
やっぱりこの今行われているこの新課程の学習指導要領が見立てられていく、その中身とかがどんどん広がっていく中で、割と文脈としていろんなところに登場しだしたのかなというか。
なんか多分そのこの今やっている学習指導要領の教育のいろんな議論が2015年ぐらいからバーッとされていった時に、全国の教員の中でもトップランナーみたいな人たちが全国で講演をしたりとか、
あるいはいろんなところで教育実践とかをやっている中で、一つ教育の中に位置づけられたというか。そもそもは最初からファシリテーションをする目的で入ったというよりは、やっぱり授業改革が最初の念頭にあったんじゃないかなといわゆるトーク&チョークで一方的に喋る授業をやめましょうよみたいな。
一方的で喋る授業じゃないやつって何?ってなった時に、最初はグループワークなどのアクティブな活動を中心としたアクティブラーニングがなんとなく走っていって、アクティブラーニングの状態を作る一つの教職員としての振る舞い方にファシリテーターっていうのがその後から乗っかって動いてきた。
09:20
アクティブラーニングをする一つの在り方にファシリテーターっていうのはあるよね、大事だよね、必須だよね、みたいな感じになってきてるのかなっていう。
なるほど、面白いですね。確かに教育の文脈だったら先にアクティブラーニングっていう言葉があって、確かに今だったらアクティブラーニングとか主体的に対話的に深い学びみたいなものとファシリテーションとかファシリテーターって結構セットで語られるじゃないですか。
確かに文脈的に言うとファシリテーションとかファシリテーターみたいなものは後からビジネス文脈から入ってきたんだろうなって確かに想像できますよね。
うん、なんかそんな気がする。
ちなみにSDGs 2030をファシリテーターとして成ろうと思ったきっかけとかってなんかあるんですか?聞いたことあったかな?
うん、元々ちょうど2019年に熊本から福岡に移動してきて、こっちでいろんな人たちと出会っていく中でようやくちょっと参加したいなと思ってたけれども、なんかちょっとタッチする機会がなかった。
自分が参加する機会があり、そこでめっちゃ感銘を受けて自分の学校でもやりたいなと高校生向けてやりたいなというふうに思ったけれども、やっぱりそれをする上では自分がやれたら一番早いなと。
そうですよね。
だからファシリテーターになったら早いなということで、もう速攻でそのファシリテーターの講座を受けようと考えたものの、その講座、養成講座がめちゃくちゃ人気で、半年先とか、なんかそんぐらいのやつしかもう空きがないみたいな。
そんなに人気だったんですか?
だから2019の夏ぐらいに、次空いてるのが半年先ちょうど2020年1月年明けすぐだねみたいな感じになって、もうそこかとりあえず学校の予定とか勤務の予定わからんけど先行くかというふうに入れて、そこで受けたみたいな。
そうか、でも感銘受けたっていう点ではなんか僕も似てて、なんか僕もなんかファシリテーションとかワークショップもそうですけど、本気で体験したというか、なんか学びたいなと思ったのはやっぱこうレゴシリアスプレイのワークショップが一番最初で、僕は93代でキキマ先生のレゴのワークショップを2日間みっちり受けたんですけど、
12:00
やっぱなんかその時にワークショップすごいなっていう感じもあったし、講師というかファシリテーターの先生がなんか別にめちゃくちゃ喋るわけでもない、なんかそこにいる、でなんか我々の存在を肯定してくれるじゃないけど、でもなんかどんどんどんどんなんか湧き出てくるものがある。なんだこの体験はみたいな。
大人になってなんかこんな場を体験したことないぞっていう、なんかすごい不思議な感覚というかパワーを感じて、でこれを僕だけで収めておくのはもったいないと思って、もう全く互い先生と一緒ですけど、高校生に届けたいとか思った時にじゃあもう自分がやった方が早いじゃんっていう、もうまさに同じような文脈である種レゴのファシリーダーになりましたね。
同じね、なんかそういうふうな体験をしつつですけど、結局なんだろうな、別にレゴだけとかSGG2030だけじゃないじゃないですか、ファシリテーションとかって、やっぱなんか授業もやっぱそういうあり方で僕教員やっていくべきだなって最近はやっぱ思ってて、今それこそティーチャーなのかコーチなのかファシリテーターなのかとかいろんなやっぱ立ち振る舞いのあり方があるわけなんですけど、
高井先生その授業との絡みで言ってどうですか、ファシリテーションとファシリテーターとしてのあり方って。
うん、ものすごく意識はするかな、なんかこのファシリテーションを学んでやっぱすごく大切だなと感じたのが、
はいはいはい だから本当に事前準備が8割方かなと本当に思って、なんかその場の中の環境っていうか、例えばなんか使える机の形がどうなっているんだと、それは例えば2つ3つ重ねた時にはこういう形になるから、
はいはい 例えばこの机で4人でやるのはワークとしては成立しやすいけど、5人になった瞬間に形がちょっといびつになって、その形の構造が発現しやすさしにくさに繋がるなあということとかすごく見るようになったというか。
なるほどなるほど、確かなんかその環境設計というか場を見るみたいな感じですよね そう 樋口確かにファシリテーターとしてはなんかすごく自然というか、場を観察してこうね参加者がどういうふうに立ち振る舞うのかみたいなのを支援していくわけですけど、
普通になんかそのなんて言うんでしょう、言い方あれですけどね伝統的な教育館というかもうチョーク&トークでやってたらそんなところに意識いかないじゃないですか そう、なんかそれはもう必要ではなくて、なんか人が座れてなんか物を置けたらそれでいいんですか、だいぶ乱暴だったんだなあみたいな 樋口いやーめちゃくちゃわかる、でもうひとまず座って俺の話聞きとけ、番書写しとけみたいなねえ
なんかそれを考えたら全然やっぱ視点が変わりますよね なんかやっぱりほんと今言ってくれた通りでその場の中にこだわりがないということがなんかその場に参加する人間からすると
15:10
なんか私たちは前に立っている人間にまず定義があって、そこに主導権があって、それに従っていれば良いのだなというふうな形になりやすい構造を作ってしまっているというか
なんかその場に入った瞬間にもうこれ自分たちでなんとかせんといかんのかなとか、自分たちで生み出していくもんだなというふうに思わせたら勝ちだと思うから、そういうふうに自然と字湧き出てくるという場にするためにはやっぱりその構造ってとても大事で
なんかめちゃくちゃ面白くてなんか色々今どんどん湧き出てるんですけどちょっと喋っていいですかなんかその湧き出る感じで
どうぞどうぞ
いや僕今日朝から朝5時半からデューイの経験と記憶を読む読書会に参加してて、今日デューイ読んでたんですけどやっぱ変人ですよね
まあまず今朝5時半って言ったかな
朝5時半です
なかなかねクレイジーな
そうなんですなんかそういう最近やっぱこう教育系の理論書というかなんかそういう本を名著と呼ばれるものを色々読んでいく中で
もっとちゃんと誠実にやっぱ教育に向き合いたいなとめちゃくちゃ最近思うようになってきて
本当に今までなんか自分の思い込みというか自分の経験値だけで全部授業やってきたからすごい乱暴だったなっていうのを思うんですよね
でやっぱりいろんな教育書にも書かれてますけどやっぱり一方的な知識の注入とか伝達っていうものはやっぱこう僕は教育じゃないっていう風になんか最近思うようになってきて
なんかそれだけあのなんだろうそれが全て悪いってわけじゃもちろんないと思うんですけどやっぱりそれをメタ認知した上で伝統的な教育観というかなんか知識を伝達すること
でもそれはある種その現代とかやっぱり現在のこういった学びにつながるんだみたいななんかそこまで意識した上でそういった授業スタイルを取らないと本当にダメだなって最近すごく思ってきてて
なんかそれこそデュイの今日一生読んでたんですけどにもあったのがやっぱこう知識の注入というかねただその知識を伝達するだけでやっぱその人の参加する子どもたちも生徒とかの個性とか経験をすごくないがしろにしてしまう
やっぱなんかそこをちゃんと組み取った上で学びの場を作っていくっていうのがやっぱすごく大事だなって
でもそれってやっぱこうファシリデーター的なあり方だなっていう風なことをめちゃくちゃ今日考えてました以上です
いやでもこの間その共通テストがあった後にその共通テストの問題をAIに解かせてみたら9科目中9科目はもう満点が出た
18:01
らしいですね
ニュースとか見た時にもう知識を掘りながら学びの軸に据えていくっていう時代はもう終わったなーみたいなのはすごく感じていて
だからなんかそれではないところにやっぱり人を育てるこの教育の価値を見出そうという風になったら
たぶん自然とそこに行き着くのかなっていうのはほんとそういう風に感じていて
だからいかにしてその場の中に参加している生徒たちとかに自己開示をしやすくするような仕組みを整えてあげたりとか
そういうこうビーイングっていうかあり方をその場の中に投じるようなそういう場作りにつなげられたらなーっていうのとかも感じていて
いやーめちゃくちゃわかるなー
ちょっとじゃあちょっと問い投げていいですか
いや僕なんか今日めちゃくちゃこの場に出したいものがいっぱいあるんですけど
どれから手つけていいかわかってなくてちょっと一旦先にちょっと問いを投げるんですけど
じゃあ高橋先生にとってファシリテーションってどんなものですかちょっと言葉にしてみると
なんかねこう一般的に使われるような言葉はたくさんあるし学びの促進というものはなんかねはまりやすいものではある
なんかこういまいちそれを言語化するのはなかなか難しいなーっていうふうには感じるかなっていう
でもなんかあのイメージとして個人的な考え方は我々はそのファシリテーションをするのであれば
我々の存在っていうのはトランスフォームエージェントであるべきなのかな
なるほどもっと詳しく聞いていいですかそれ
でもなんかもうそのまま日本語訳したものがその意味という感じになると
なるほどなるほど
トランスフォームをするっていう大きな目標があって
そこを促進する我々エージェントとしての振る舞い方が必要なのかなと
ただ一方で心のどこかには変革をするってすごく難しいこと
まあそうですよね
変革をすることそのものが別に全て良しではないし
なんか目の前の人を変えてやろうっていうのはなんかちょっとおこがましいなっていうふうな
それはめちゃくちゃわかります本当に
なんか手助け支援サポートというようなものを売れたらこれでいいのかなっていうふうには考えているかな
21:12
どうですか
いやいやめちゃくちゃ今の最後のやつすごく僕なんか共感してて
なんかそれこそ僕今年青岳のワークショップデザイナー受けて
いろいろそのファシリテーションとかワークショップみたいなものちょっとだけやっぱこう理解が進んだというか
いろんな人の考えとかも入ってきたんですけど
青岳の埼玉先生という方がいらっしゃるんですけど
学習論の埼玉先生も言ってたのがやっぱファシリテーターの役割っていうのはなんか北風と太陽に置き換えてて
北風っていうものからやっぱこう太陽お天と様みたいなものに地点を転換するべきだみたいなことを言ってて
今最後の高橋先生の話にもつながりますけど要は参加者を誘導したりだとかっていうある種の北風ですよね
ああいう風に行けとかこっちにこうなってほしいみたいなそういうものではなくて
やっぱこうなかなかやっぱ参加者がどうなるかっていうのはこっちのやっぱ意図というか
それはちょっとやっぱおこがましいというかちょっと違っていて
やっぱなんかただそばにいるというか照らしている
なんかそういう風な何て言うんでしょう
なんか余計なお世話役じゃないけどそこにそばにいてそれでいいんだよみたいな
でなんか迷っているところとか悩みみたいなものを共にするみたいな
そういうあり方でいいんじゃないかっていうことを言ってて
なんかすごい素敵だなって僕も思ったので
めっちゃ不倫落ちるようでなんかストーンとはまる感じ
そうなんですよね
なんかすごくスキル面でなんかファシリテーションとかファシリテーターっていうのがやっぱり言われがちじゃないです
どう介入していくかみたいな
でもなんかそこそれってなんかちょっとある種ちょっと傲慢だなと思ったりもするので
なんかここそばにいる人っていうふうに埼玉先生おっしゃってたので
なんかそういう風なものでいいのかなーって
なんかそのあり方がなんか電線してって
なんかそれこそ場がね柔らかくなってったら
それはそれでファシリテーターとしてはいいのかなとかちょっと思ったりしながら
ちょっと抽象的ですけどなんかそんなことを今ふと思いました
いやーなんかめちゃくちゃこうなんていうかね
あーそこそこっていうなんかポイントの
なんか近世に触れるようななんか言葉だなってすごい感じる
なんかそこにこう視点を置きながら
自分の日常の業務の中での振る舞い方
言葉のかけ方とかそういったものを
なんか研ぎ澄ましていきたいなっていうのは
なんか自分自身の中でこうやっていたところではあって
その通りだなというふうに感じるし
なんか一方でちょっとあのすごく話ずれるけど
24:04
全然いいですよ全然いいですよ
あのやっぱこの教育の現場って
そのファシリテーションの目線からいくと
全部が全部別に介入すればいいわけではなくて
一緒にその場にいる人たちが自ら見つけ出すというプロセス
自ら手にした自らたどり着いたという経験体験を
できるような設計するかっていうところとかが
大切になるとそこはこう手を出さないとか
介入しない干渉しないっていうのとか
結構やりがちなんだけど
一方でこうなんていうか教員って
関わりたがる人がめちゃくちゃ多い
そうですねそういう生き物ですかね我々も含めですけど
だからなんか手をかけない
なんか手をかけないっていうかなんだろうね
もう黙ってはいられないとか
言わずにはいられないみたいな
人たちがゴリゴリゴリゴリこう
なんか手取り足取りこういろんなものをしているのを見ると
個人的にはすごくうーんとかって思いながら
見てるとかそれはもう
自分たちで考えてやらせてあげたらいいんじゃないかなと思うけど
失敗をさせたくないとか
失敗をさせたいとか
成功パターンのこのレールに
よいしょって乗っけますみたいなことを覚えて
それを仕事として
勤務時間内の中に取り組まれている姿とかを見てしまうと
自分の方がマイノロティなのかなとか
自分の居場所ここじゃないのかなとか
少なくはない
教員やってたらそういう場面ありますよねぶっちゃけ
それこそ1から10まで全部こっちが言っちゃうみたいな
そこまで言ったら子供たちは何に気づいて何を発見するっていう
そこまで言ったらもう
ただ言ったことを頭に入れるだけじゃんみたいな
本当これもワークショップデザインじゃないけど
どこまでデリバリーして
どこからは自分でやってみようみたいな
そこの設計ができてないと
昔だったらよかったと思うんですよ
例えば教科書と先生が全てであって
教科書の内容を子供たちに叩き込む
先生が言ってる内容を生徒は一生懸命覚える
それしか学ぶ手法がなかったし
それが全てだったから
でも今いろんな学び方があって
いろんな経験をしてる子供たちがいる中で
全部伝えて何の価値があるんだっていう
結局高校生活で3年間しかないけど
27:03
3年間の中だけですごくクロージングしやがるという
3年間自分の目の前でいる間には
なんかカッチリやれるけど
でもそれ高校卒業して
自分の手で何かをしないといけなくなった時に
何かができる何かはあるんですか?
残るんですか?
それを身に付けさせる
そういう資質能力の育成につながるんですか?
みたいなものってやっぱりしたくなくて
だからそういうふうに
全部手取り足取りする面倒見がいいとか
手厚い指導みたいなのって言われるものって
なんとなく
なんか聞いたことあるぞ
あなたの人生
この高校在学中の3年間しか見てないですよ
みたいな言い方している
メッセージに聞こえて
嫌だなーっていうふうに
いやー面白いな
ちょっとまた続けるとですね
今日それこそ知り合いと読書会した後に
知り合いとスタバで喋ってたんですけど
プロジェクトアドベンチャーとかってご存知ですか?
わかんないかな
なんかPAって呼ばれるやつで
冒険教育じゃないけど
フィールドワークというか
外に出てアスレチックとかいろいろ体を動かしながら
学んでいくみたいなそういう活動があるんですけど
ドイツの教育者で
クルトハーンっていう人がいるんですけど
クルトハーンが言ってたのは
子供に考え方を教えるのは間違っている
けど経験を教えることは義務である
っていうふうなことを言っていて
子供にこうしなさいとかあーしなさいっていうのは
ちょっと間違っているけれども
ちゃんと経験をさせるっていうのは義務なんだ
みたいなことをちゃんと言ってて
その人の話で聞いてたのが
繋がるかわかんないですけど
例えばハンバーグとか寿司とか唐揚げみたいな選択肢があって
自己経験の話ですけど
その中でどれが食べたい?みたいなことを言って
じゃあ私ハンバーグが食べたい
次もその場面に出くわした時
私ハンバーグ好きだからハンバーグ食べたい
ハンバーグ食べたい
どんどん自己決定して言ってるから
それはそれでいいじゃないかと
その子がそう望んでるんだからと
でもそれってハンバーグ以外の選択肢というか
経験をさせないまま言ってますよねと
大人である以上は
この前ハンバーグ食べたんだから
今日はお寿司食べてみないとか
唐揚げももしかしたら食べたら
発見があるかもしれないよみたいな
そういうふうな立ち振る舞いというか
関わり方もすごく大事なんだみたいなことを言っていて
ごめんなさい全然繋がんねえわ
喋りたいから喋っちゃった
それめっちゃキャリア教育だよね
でもそうです
キャリア教育の中ではとても有名な
30:00
クランボルツのプランドハッピングスターみたいなところがあって
それを意図的に作り出していく大人の在り方として
惰性で動いている物事の中に
突発的なものとして現れた大人が
何か別のオプションを提示してあげて
別にそれが乗る乗らないに関わらず
オプションが存在するっていうもの
そのものを認識しておくことは
例えばそのタイミングでは気が乗らなくても
いつごろに同じシチュエーションになった時に
今度はそっちやってみようかなっていう風な
道にもなったりするし
それをたくさん提示できることは
キャリア教育の視点からいくと
大切なんやろうなーって思いながら聞いてたかな
なんでこのタイミングでしたのかなって
今ふと思ったりはしたんですけど
学びの中にある程度選択肢は
僕は持たせた方がいいと思ってて
そこは絶対そう
なんかもうこれをやりましょう
あれをやりましょう
これを書いてください
あれを書いてください
これを覚えたら大丈夫
みたいなのは僕ちょっと厳しいんじゃないかな
って思ってるので
それこそファシリテーター的な話になりますけど
その子の経験みたいなものとか
その子がどう知識として獲得していくかって
人によって様々なんで
そこをどう内発的動機を意識しながら
場を作っていくのか
授業をしていくのか
みたいなところがやっぱ大事だよなーって
思ってそんな話をしました
内発的動機付けの基本は選択だと思うので
本当そうですよね
1個しかないものとかだと仕方なくするとか
それを上から提示されると
やりたくないけどやらされる
っていう構造になりがちだけど
とりあえず2つ以上のものがあって
好きなものを選んでいい
っていう風になっただけで
どれかを選んだ瞬間に
それはもうその人が主体的に選んだもの
私が望んでこれをする
という構造を作り出せるから
いかに別にどっちがいいよっていうものが
ほぼあって
もう片方のやつはちょっとお勧めできんけどなーって
なってたとしても
常に2つ以上の選択肢を目の前に提示して
選ばせるっていう構造を取ること自体が
すごく価値的っていうか
教育的ではあると思うね
そういう場作りみたいな
やっぱ授業の中でもしたいなーって
最近ずっと思ってて
ワークショップとかファシリテーション
学べば学ぶほどですけど
ファシリテーションとはみたいな話で
ちょっと僕の話すると
僕はなんかそれぞれが
その場で自己原因性みたいなものを
ちゃんと感じながら
それでかつコラボレーションが起きている状態
を作っていくというか
33:00
そういうふうに促していく
みたいなものがファシリテーションかな
って最近思ってて
特にコラボレーションも大事ですけど
それぞれが自己原因性を持っている
みたいなものが
僕最近すごく大事だなっていうか
大切にしたいなって
最近一番思うんですよね
ていうのも
それこそ青岳のワークショップデザイナーに
また戻りますけど
新井秀夫さんっていう
ワークショップデザイナーの方がいるんですけど
その方も言ってたのが
やっぱり世の中
色々やっぱり属性として認識してる人って
たくさん世の中にいて
例えば先生とか生徒とか
上司とか部下とかっていう風に
属性でラベリングしてる
けど属性であり続ける
属性としてしか認識しないっていうのは
やっぱりズレが生じたりだとか
あるいは行き着く先は争いが起こったり
本当に行き着く先は戦争だと思うんですよね
やっぱりワークショップとかファシリテーション
やっぱりその人でしか成し得ないというか
属性じゃなくて子として出会い直すというか
そういう場を作りたいなって
すごく思ってて
それはワークショップ
授業もそうですけど
その人の考え
その子の考えみたいなのは大事にしたい
それは違いがあるのは当然で
その違いも認め合いたいというか
そういう場を作りたいなって
学校の中でも思うし
そんなことを最近ファシリテーションとして
すごくあなたしか
あなたの大事な意見なんだみたいな
そこにいていいんだよみたいなことを
常に意識してますファシリテーションとして
2030でもそこの視点はものすごく大切
ある誰か参加者
プレイヤーの一人が発した発言が
何か別の結構5メートルぐらい離れていたプレイヤーに
めちゃめちゃ大きな影響を与えて
その人の活動行動に明確な変化を与えた
ようなものっていうのは
ワークショップ中にできるだけピックアップをするようにして
その後振り返りの時間になったら
例えばあの時にそこでこんな発言が出ましたけど
その後例えば誰々さんはこういうことをしましたよね
あれはあの時の心の中でどんな感じだったんですか
っていう風に放っていったりとか
それを通じて何気なく誰かが
発した発言が実は結構世界にインパクトを与えているんですよ
人たちにインパクトを与えているんですよ
っていうことを逆に振り返って認知してもらうタイミングにしたり
そういう風にプレイヤーの中での個別の行動
っていうものをできるだけ振り返りの中では
返していくっていうか
36:00
それを一つの題材として扱うようにしていくと
意外と自分じゃない人間がもしここにいた場合って
全く違ったものになっていたんだろうな
っていう感覚を作りやすい
いやーなんか大事ですよね
子としてそこに存在するっていうか
それこそ同じような話を
この前JAXAと一緒にコラボ授業がうちの学校であったんですけど
JAXA?
そうなんですJAXAと一緒に実は共同の授業があって
JAXAの方も言ってたのがその人すごく面白かったなんですけど
やっぱITじゃなくてUとして扱うっていうことをすごく大事にされてて
いろんな組織においてもそうですけど
やっぱITとして扱った瞬間にやっぱり壁ができるというか
分かり合えなくなる
でもUとして扱うのがすごく大事だっていうことをおっしゃってて
なんかその視点さっきの話とつながりますけど
やっぱその子としてワークショップとかもそうですけど
ファシリテーションやっていかないといけないなっていうのはすごく思うし
なんかさっきのその伝統的なチョークアンドトークの話にちょっと戻りますけど
やっぱりあのスタイルって結局教員とあとはその他全員の生徒っていう風に
その属性としてなんか僕分かれてる気がしてて
あのスタイルは別に全部悪いとか言ってませんけど
生徒一人一人あんまり子として扱えてないというか
なんか見れてないというか
なんかそこに多分僕はちょっともやもやを感じるなーっていうのはちょっと今ふと思ってました
なんかあの全部が全部ではないっていう前提がしておきたいし
その中にはもちろんチョークアンドトークでも素晴らしい授業っていうのがあるのは
含み応急しながら言うとやっぱ我々教師の授業のあり方って
そういう風にラベリングをしていけば
生徒というその場の中では従わなければならない存在がいて
教師という言ったことは全て正義になり
それを生徒に言い聞かすことができるっていう力構造ができるものに溺れてしまうと
なんか気持ちよくなっちゃうんで
なるほどなるほど
授業のタイミングでやっとけーっていう風にやったものをやった
俺の言う通りに物事が動いた
気持ちいいみたいな感じのなんかホルモンが出てしまうというか
結局それを教師の仕事だという風に捉えてしまうと
何も多分知的なものは生まれてないというか
まさに反知性主義的な極みになってしまう
39:02
なるほどなるほど
でもやっぱり中にはそういう構造での気持ち良さ
快感性にちょっと若干溺れてしまっていて
抜け出せなくなっているというと変だけれども
変更が効かなくなるぐらいに麻痺してしまっている
病理的なこんなこと言っていいかなわからんけど
そういう病気状況にある人がいるのかもしれないなーとか
これだけいる中でそういう風な酔っている人も当然いるだろうし
それも一つのあり方でありなのかもしれないけど
僕らはちょっと違うかなとそう考えているぐらいじゃないですか
完全否定はしない?
もちろんもちろんですよね
たとえず授業でもいいし
軽に授業でグループワークさせますとか
SDGsでもいいですけどワークショップやります
ってなった時にファシリテーターとして
気をつけていることとか大事にしていることって何かありますか?
ファシリテーターとして気をつけていること
その場ではファシリテーターですというのが
生徒側というか相手側にも認知されている上での振る舞いってこと?
何でもない普通のワンシーン
どうだろうどっちも聞いてみたいですけど
まずその場を作っている状態の時で
僕いくつかあるんですけどタカシ先生どうですか?
あーそうね
一応相手側が自分をどういう立ち位置だと認識しているのかということで
結構自分の中での発言内容とか
舞い方とかは変えるようにはしているので
しかもそれが自分の中でだいぶ明確に最近住み分けできにくくなってきた
この場はこうとかっていう風にあんまりしなくなってきたな
何なんだろうな
あんままとまってない
僕じゃあちょっと喋っていいですか?
もうちょっと喋って
いっぱいあるんですけど
すごく教員っていう性質も相まって
僕すごくフェーディングっていうことをめちゃくちゃ大事にしていて
教員ってめっちゃ喋りたくなるじゃないですか
僕も喋りたくなることあるんですけど
けどどこかのタイミングで参加者というか生徒たちが
共同して何かの目的に進み始めた時に
ファシリテーターとしてそこから消えないと僕はいけないと思ってるんですよね
フェードアウトすることがすごく大事だと僕は思っていて
要は最終教員がいなくても回る場
学習する空気感みたいなものが作れることが僕はベストだと思っているので
もうこれワークショップもそうですけど
結局ファシリテーターが最後は消えていなくなることが僕は理想なので
42:02
なんかだから喋り続けるんではなくて
もう大丈夫そうかなと思ったら勇気を持ってちょっと消えてみる
その場から立ち去る
であとはやっぱそこの見極めですよね
結局参加者というか生徒も何していいか分かんないとか
あんまり共同が始まっていない状態でフェーディングができないので
そこまではやっぱりある程度ファシリテーターがちょっと手綱持って
これをこうするんだよとかこれをこうしてみたらどうみたいなことを誘導する
促進してもうなんか自分たちでできそうだなと思ったらそこからちょっと一歩引いてみる
ここの見極めとフェーディングするっていうことが
僕なんか授業もそうだしファシリテーターとしてもそうだけど
今多分一番大事にしてる気がします
めちゃくちゃ分かるかな
部分っていうのは自決にしているものの一つかもしれないなっていうのは聞きながら
今ちょっと聞きながら頭でぐるぐる考えた中で
大切にしているものっていうのは
沈黙を肯定する
素晴らしいめちゃくちゃ分かります
なんかこちらから場の中に何かの問いかけをして
沈黙になる
別にその沈黙っていうのは
別に無である状態とかっていう風なわけではなくて
自分がまさに逆の立場でもそうでしょっていうのはすごく感じて
その中で考えている時間とかあるいは
これについてみんなはどう感じるとかっていう風に投げた後に
こっち側がその沈黙に耐えきれずに
じゃあさ誰だよ何を
当てちゃうと結局もうそれ持ちになっちゃうから
こういう風にして当てられる人にならなければ
ひとまず自分は考えなくてもいいとかっていう場を
もう何度も何度もそういう風に強化するような振る舞いを自分がしたら
誰も考えなくなるから
めちゃくちゃ大事本当に
沈黙が起こる
でなんかその心の中では
これ今発言しようかな
でもちょっと発言するにもしょうもない意見やもんなとかっていう
圧倒させてる時間を全部肯定して
こっち側も別にそういうものが欲しい時に
無理に誰かに当てようとせずに
なんか場の中でちょっと勇気が出そうな子が
言ってみようかなっていう風になる発言振る舞い
ポジション取り
今例えば黒板の前に立ってても
教室の後ろの方とかにスーッと移動してみて
視界から消えてみて
みたいな
一旦ビジュアル上の変化
その人から見えてる変化を作り出してみたりとか
いろんなことしながら
別に沈黙大丈夫だよ
みんな考えて今ちょうどぐるぐるぐるぐる回ってるところだもんねみたいな
その中でちょうどタイミングが良ければ
45:00
場に共有してもらえたらいいんじゃない
ぐらいの価値観を
持って振る舞うようにしている
めちゃくちゃ
僕もさっきフェーディングの話しましたけど
沈黙はめちゃくちゃ大事なキーワードですね
ファシリテーションにおいて
さっき高橋先生が
言われてたみたいに
教員ってすぐ喋りたくなっちゃうから
沈黙に耐えきれないのは
こっちなんですよね
本当に
これ前誰かに言われたんですけど
沈黙って一番クリエイティブな
時間なんだと僕は教わって
それから
沈黙っていうものに対する
見方がすごく変わったんですよね
この時間すごく大事にしたい
シーンってなったら
気まずいっていう
空間にもしかしたらなるかもしれないんですけど
でもやっぱそこって
めちゃくちゃ考えてる場合があるから
そこ邪魔しちゃダメだし
やっぱちょっとこっちが踏みとだまらないと
いけないなっていうのは
めちゃくちゃ思います
やっぱ沈黙は
今の
子供たちの中でも
だいたい沈黙の状況が
続いたら
先生が勝手に喋りだして
次の転換に持って行ってくれる
という状況の
工程をずっとし続けてしまうと
結局その場になった時に
早く喋って次行ってくれんかなの
要望しか出てこなくなるので
それは絶対違う
それをそうしない
この場を
振興するというか
別に責務は
こっちにあるんじゃなくて
最終的な学び
自分自身が何を学ぶのかと
その学びの価値をどうするのかの
学びの責任はあなた自身にありますよっていう
責任転換を
責任転換モデルっていうか
ありますね
めちゃくちゃ大事だと思います
仮に一方でですけど
僕沈黙をちゃんと
大事にするっていうのもあるんですけど
いい沈黙と悪い沈黙
ちょっとあるような気がしていて
しっかり
思考が進んでいる
例えばいい問いが飛んで
今クリエイティブな時間だっていう
沈黙もあれば
単純に僕もたまにやったりするんですけど
情報伝達というか
指示がうまく伝わっていなくて
何をしたらいいかわからないっていう沈黙
もあると思うんですよね
だからその沈黙は
果たしてちゃんと
思考している沈黙なのか
何も頭が動いていない沈黙なのか
この見受け目も結構重要かなと
思っています
そうね
学校の授業とかでは
割と
そういうのが起こりがちになって
その教科の中の
知識に関する
ものとかを
問うたら本当に
クローズドクエスチョンで
知ってるか知らないかみたいな
どうしてもなってしまうので
仮にそういうのを
入り口にしていったとしても
今考えて欲しいんですよ
っていう風にしている時って
48:00
できるだけその人の
ビーングで
語れるようにする
あなたならどう感じる
あなたの目線ではどう評価する
という
その教科の専門的な知識いらない
その人の
人としての目線で
どう感じるのか
っていうような内容にすることと
その問いかけ方
言葉をできるだけ選んであげて
問い方をちょっと
一個目出した後に
こういう風に考えてもよいとか
っていう風に
考え方の別の方向性とか出してあげて
できるだけ全員に
ちゃんと
こっちが届くような
言葉の選定をする
そこめちゃくちゃ大事ですよね
僕あと
ちょっとしたテクニックじゃないけど
意識するのは僕結構目線
生徒の授業の場合は
生徒の目線をすごく
ワークショップだと3カ所の目線をすごく
見るようにしていて
目線がこっちに向く回数を
結構僕は意識していて
やっぱこう
わからなかったりだとか
何かこう
ちょっとそれどういう意味ですかの場合って
結構目線がこっちに回数向くんですよね
思考をしてるとか
やっぱりこうぐっとやっぱこう今
考えてる時間って
やっぱこうこっちに視線は来ないんですよね
だからなんか
割とその視線を
配る回数みたいなのは
僕ちょっと見てたりします
どうですかそのあたり
えーなんかちょっと逆に教えてほしい
それどういうこと
なんかよくなんか分かってない人とかって
僕にやっぱこう指示を求めるというか
それってどういう意味ですかってよく僕の方
見るんですよね
だけどやっぱこうちゃんと指示が伝わってる
場合とかっていうのは多分僕の目を
見らずともやっぱ3カ所同士で
話し合ったりだとか
作業に進み出すので
変に視線を感じる場合は多分僕
の指示があんま通ってなかったんだろうな
あーなるほどな
っていう話です
うん分かる分かる
なんかすごいそこなんか
今ふと思って意識してるなってちょっと思いました
うん
なんかあんまり明確に
なんか意識したことあんまりなかったけど
多分意識はしてるんだと思うそれは
うんうんうん多分そうだと思います
場の理解度チェックというか
そうですねそうですね
そうそうなんか
あとはこっちが
提示してる例えばスライド資料なんかも
やっぱ頻繁にパンパンパンパン見てたら
多分その人って分かってないんですよね
何していいか
その視線がもう来なくなったら
多分この人も理解して自分の作業
とか自分の思考が始まってるんだな
っていうふうにちょっと僕は
判断をしてますね
なんかその判断材料には多分なるかなと思いながら
うん
そんなことをちょっと具体の話で思ったりしてました
なんかそういうこう
物言わずに
人の行動を分析して
うん
51:00
人の行動を掴む力っていうのは
アシリテーター多分重要だよね
めっちゃ重要だと思います
うん
本当場を見る力は超重要
うん
やっぱその場を見て適切にやっぱ
働きかけること
うん
かなぁってちょっとやっぱもいますね
なんかどうしても
ティーチャーになってしまうと
あーお前もうどこ開けたらいいか分かっとる
なんとか
みたいな感じに
こうしてしまうと
それは
気持ちよくなってるだけなので
そうではなくて
その人が
そのなんか
状況に至るまでに
一回の指示で通らなかった
こっちの指示の出し方の部分に
どういう工夫ができたのか
こっち側のリフレクションが
必要で
それを指示を出すタイミング
というものが
通りづらいタイミングで
出していたんじゃないかとか
あるいは
使っていた自分の
言語の種類が
若干
人にとって理解しづらいものだったんじゃないか
っていうことの振り向けにして
こっち側の成長
はないかなって思うし
そこも踏まえて
場を作っていくのが
バファシリテーターとしては
やっぱりこう
質として大切な
それができないとねっていうのはあるかな
めちゃくちゃありますね
リフレクションはやっぱ
ファシリテーターとか教員とか
っていう
そういう
場に存在する人はやっぱちゃんと
大事だと思いますねそういうのを意識するのは
やっぱ問い投げて
思考深まんねーなとか変な回答しか
こねーなみたいなのは
恐らくですけどこっちが投げてる
問いの質が悪い
っていう風に考えるべきだと思うし
それすごく大事だと思いますね
さっきの働きかけの話ですけど
僕やっぱ思うのが
働きかけって直接的な働きかけと
間接的な働きかけがあると思うんですね
教員って直接的な
働きかけをしすぎる
気がしてて
例えば直接的に声をかける
これほんと直接的な
介入じゃないですか
ファシリテーターとしてはやっぱり
間接的な介入をうまく使っていくのが
大事かなってちょっと思ってて
例えば場の状況を見て
ちょっと時間増やすとか
あとは内容をちょっと調整する
あとは追加のお題を与えるとか
みたいな
直接的に声をかけるんじゃなくて
うまく間接的に
生徒とか参加者の思考を
ちょっと揺さぶっていくみたいな
動きも大事かなってちょっと今
思ったりしてました
なんかやっぱり体験をする
経験をすることの価値をとても
多分我々は大切に思っているので
例えば1分後に何かが
できるような状態になるときに
54:00
どうしても
教員的マインドだと
自分が指示を出した結果
それができるようになった
という自分の
存在
気持ちいいって
なりがちだけど
そこではなくて
気づくという
体験
発見したという体験に
他に感じてもらえるような
状況を作っていって
あれこれって
こういうことじゃねっていうのを
その人自身が
まるで発見したかのように
別にそれは本当にそうでも錯覚でも
別にどちらでも良くて
一見気づくという形式が
大事でそうすることによって
その人の学びの
サイクルが
どんどん回っていくというか
そのお手伝いをする
ことにすごく価値を
我々は感じると思うので
結果1分後に同じ状況になっていた
でも
こっちが言ってそうなったなのか
その人自身が
発見してそうなった
他の
結果の部分の質に
大きな違いをちゃんと
見出している人だよな
っていうのが感じるかな
そうですよね
気づきの
体験設計みたいなもの
めちゃくちゃ
大事ですよね
考えれば考えるほど
教員って別に
授業が全部ワークショップかと言われて
全然違いますけど
場を常に
持ち続ける存在じゃないですか
教員って
常に振り返りの材料はあるし
より良く改善できる
チャンスもいっぱいあるので
そういう目線で
授業作りとかもしっかり
作っていきたいし
気づきの設計みたいなのも考えていったら
なかなか教科書を
ただ教えるっていう授業スタイルで
限界きますよね
もう限界
と言うかつまんないよね
いやほんと
でなったらやっぱこう
教科書でやっぱこう教科書を
教えるんじゃなくて教えたいことがある
ついでに教科書ぐらい使うか
ぐらいのそれぐらいの方が
いいのかなと思ったりしてました
まあもう教科書に
あんまり執着してない
こちら側も
授業で必ず開くことの
前提とも別にしないし
あくまでもなんか
ちょっと言ったら
大変文科省には失礼だけで
文科省側から一応
購入をさせなければならないと
されているので
元にはありますし大切ではありますし
作成された先生方の
ご苦労も大変
承知の上ではありますが
現場では
うまく使わせていただいておりますぐらい
いやもうほんとに
そうなんか
どっかで聞いたのが
教員になりたての人が
57:01
本当指導書ってあるじゃないですか
指導書のまんま
簡コピで授業してたらしいんですよ
儲け授業みたいなもので
めちゃくちゃつまらんかったらしくて
その授業が
そりゃそうだよみたいな
教科書っていうか
授業が一番つまんなくなるように
作られてるんだからみたいなのを他の
先輩の先生が言ってて
間違いねえよなと思って
なんかファシリテーションも
ファシリテーターとしてもそうですけど
自分がどれだけ信じれるか
面白いというか
楽しめるというか
そこを常に心の中で持ち続ける
のがめっちゃ大事じゃないかなって
あり方の面ですけど
思ってて
自分がつまんないと思ってたら
たぶんにじみ出ると思うんですよね
つまんなさが
そこのマインド超大事だなと今思いました
コンテンツで
面白いだったら
コンテンツで検索して
いくらでも面白いものが転がってる時代
ではやっぱ
あるので
ひとまず年間
そのクラスで
何十時間とかってやっぱやるっていう風になったら
面白いコンテンツ
だけで引っ張っていくのもなかなか
限界があるので
とりあえず
この先生の言うことは
なんとなくおもろいから
とりあえず一旦聞いてみようかなっていう風に
まずマインド開いてもらうためには
そこで大事だよな
っていうのは
そうですよね
だからもう最近
教科書ごめんなさい本当に申し訳ないんですけど
教科書あんまり使ってなくて
自分が体験して面白かったこととか
自分発信で全部授業を
めっちゃ大変なんですけど
作るようにしてて
自分の経験を通して
子供たちに授業すると
自分が面白いと思ってるものしか授業しないから
なんか子供たちの顔も
自然と上がるしやっぱ表情も
いいような気がしてて
なんかやっぱファシリテーターとしても
すごいやっぱ
立ち振る舞いというか
在り方って多分参加者にかなり
やっぱ伝播していくから
なんかそことやっぱ教員としての在り方
みたいに近いなと思ったりしてました
うんなんかそこは
本当なんか言ってる通りだと思う
うんうん
いやー
話はつきないですね
うんうん
どんくらい喋ったかわかんないんですけど多分もう1時間くらい喋ってると思います
そうねそんくらいになるかね
やばいもう
止まらなくなりましたね
なんかでも教員っていう
性質上やっぱこう
ファシリテーションとはやっぱ切っても
切り離せないような気がしますねやっぱり
もうなんかそう
なんかこれを
なんかやるためにどう
ファシリテーションするかとか
なんかそんななんか
問いかけとかもいちいち出なくなって
なんか自然とこう自分の
教育活動のいろんなところに
とても良い影響を与えている
考え方であり
学び方であり
1:00:00
手法って言うと変だけど
なってるかなという気がします
ごめんなさい最後に
僕ちょっと個人的に思うのが
僕なんか
ファシリテーターやりますとか
ファシリテーターの誰々ですみたいな
なんか変にファシリテーター
ファシリテーターって言われるの
僕ちょっと個人的に今まで散々
この1時間くらい喋ってきて
なんだよって感じですけど
あんまり言われすぎるのは僕あんまり好きじゃなくて
別になんか
そんな言わんでもみたいな
別に目立ちたいわけじゃないよとか
個人的に思ったりするんですよね
でも人によってなんか
ファシリテーションやるんでしょとか
ファシリテーターなんでしょみたいなことを
言われるのが僕個人的にちょっと
燃えつくというか
僕好き好きですけどこれは完全に
なんかちょっと思ったりするんですよね
それは
なんか
ファシリテーターだけではない
ものも含めて
ありがち
というか
そういう風にファシリテーターは
すごい人だ
自分とは
違う
存在だ
とかっていう風に
なんか線を引くこと
を
なんか目的とした言い回しになっている
場合も
なんかあったりするのかな
っていう
ないとは思うけれども
場合によっては
なんかこう
教員らしからぬ
なんかちょっと
別の意味を含めた言い回しをしていることは
少なからず
あったりしたりするのかなという気は
していて
そういう文法を好む大人がいる
なるほど
よっ何々何々みたいな形で
なんかちょっと
それに専門的なことをしたら
何々主任とかっていう風に
フレームとかをすぐ
作って
それについては
その人の専門分野であり
その人に任せておけばいい
私は知らん
はい
そんな文法での
言い回しに聞こえてしまう
なるほど
なんかちょっと分断を呼ぶような
うん
でも最初の高橋先生の発言に
戻りますけどやっぱ高橋先生今度
研修やられるって言ってたじゃないですか
その若手の先生に
ファシリテーションの
でもやっぱ僕も
ファシリテーターを誰がやるかとかいう
問題ではなくて
教員たるものやっぱ場を作る
人間たるものはこのファシリテーションとか
ファシリテーター的な
あり方とか立ち振る舞いというか
マインドみたいなものは
僕絶対全員持っておくべきだと思うんですよね
うん
だからやっぱさっき言ったみたいな
誰か特別な存在みたいな話じゃなくて
うん
必須のスキルと言うとちょっとあれですけど
やっぱこう
北方対応じゃないですかやっぱそういう対応的な
立ち振る舞いっていうのはやっぱ絶対身につけた方が
いいなってちょっと僕
1:03:01
最後にそんなこと思ってます
まじゃあもう全国の大学の
教職課程を担当されている
方はどうぞ
必須の科目として入れていただきますよう
よろしくお願いします
でもほんと等身で
今まだファシリテーションって言葉
出てきてないですよね
出てないと思うな
なんかそろそろ出ても
いいんじゃないかなとか
これ前かっきーさんとも話してたんですけど
ファシリテーションって言葉入らんかったか
みたいなことは言ってて
うん
なんかそろそろ出てもいいんじゃないかなとかちょっと思ったりしてるんですけど
うん
多分もうちょっと時間がかかるだろうな
っていう
本当にそのなんか
教育改革の
中身にどういう風に
コミットしていくのかっていうことと
大学での教員養成の
現場でのいろんな構造
とかって全然
ついてきてないから
うんうん
多分学習指導が変わっても
うん
教職課程をどういう風にするかとかは
うん
だいぶなんかほったらかしになってる
なるほどなるほど
だからなんか球体依然的な
教育構成をされた
多分若手の人たちとかが
現場に入って
すごくギャップに悩んだりせんかな
うんうん
聞いてみたいところではあるのか分かってますね
そうですよね
いやー
話はつきないなやっぱ教員として
ファシリテーションファシリテータを語ると
やっぱなかなかつきないですね
うんもう本当にそれぐらい
やっぱ大きいテーマでした今日は
うんうん
ということでもう1時間以上だいぶ
どっぷり喋ってますけれども
しっかりもうこのままポッドキャストに
流していきますんで
高木先生の発言がぶつけようと呼ぶ可能性も
なきにしもあらずということで
いやもう本当よもうすいません
ちょっとpを入れといて
後で編集で
編集でpが必要かもしれませんね
ところどころに
いやでもめちゃくちゃ面白かったです今日もやっぱり
はいじゃあちょっと最後エンディングに
いきたいという風に思ってます
はい
好奇心のたまり場ここまでお聞きいただきありがとうございました
この番組ではリスナーの皆さんからの
メッセージをお待ちしております
番組概要欄にフォームをご用意していますので
皆様の日々の好奇心やワクワク
もやもやを気軽にお寄せください
また番組の感想は
Xハッシュタグ好奇心のたまり場をつけて
投稿してもらえると嬉しいです
あなたの気になるが誰かの面白いになる
好奇心のたまり場
パーソナリティは河村こと河村周平と
本日も高木で
お送りしましたありがとうございました
ありがとうございましたそれではまた
ありがとうございました
ありがとうございました
01:05:51

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