街中での緊急事態
こんにちは、えりむすです。この番組では、自分らしく幸せに生きるための学びについて発信しています。
さてさて、午前中、勉強しにカフェに行ってたんですけど、ちょっと冷房が強くて、図書館に移動したんですが、
図書館から自宅までのちょっと距離が長くてですね、歩きながら収録をしています。
先日ですね、町で倒れていた人がいて、救助して救急車を呼んでっていうことがあったんですけど、
その時に感じたこととかをちょっと話したいなと思います。
なんかね、大丈夫かなって思っても、まあ大丈夫だろうと素通りすることとかって、
経験されたことがある方も多いんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。
傍観者効果って言ったりするんですけど、それも認知的なバイアスの一つなんですけど、
周りに人が多ければ多いほど、自分が助けなくていいと思ってしまうっていう心理なんですね。
誰かがやってくれるだろうと思って、結果的に誰も動かないっていう現象で、
実際に、そういった助けを求める声が聞こえてたけれども、
通報する人が誰もいらず、被害者の方が亡くなってしまうというような事件があったりとかもしますよね。
あと、その傍観者効果っていうバイアスだけではなくて、
そういう無視をしてしまうっていう心のメカニズムとして、認知的負荷っていうのがあります。
仕事のこととか家庭のこととか、スマホの通知とか、
頭の中がいろんなことでいっぱいの時って、目の前の変に気づきにくい時とか、
気づいても自分の余裕がないから、対応したくないって思うとかですね。
なので、こういう認知的なバイアスとかって、無意識に人間働いてしまうので、
冷たい人とか思いやりがないとかっていうことではないんですよね。
ただ、脳の仕組みとかに関わるもの。
気づかないままだと、本当に無意識に行動支配してしまうので、
そういうバイアスがかかってしまう、人間という傾向にあるっていうのは、
頭に入れておいた方がいいんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。
今回、街中のとあるコンビニの敷地内かどうかギリギリの境目みたいなところに、
人が倒れててですね。
最初、すいませんみたいなふうに言ってたんですよ。
最初ですね、酔っ払いの方かなというふうに思って、
ちょっと乗りすぎようかなって思ったんですよね。
なんですけど、その人が、すいません、助けてくださいって言ってて、
うーん、これはちょっと様子見た方がいいかもなーって思ったんですけど、
でもですね、正直街中で声かけられて、よくなかった経験の方が多いんですよね。
皆さんも経験あると思うんですけど、声かけられたら、
お金くださいみたいな、100円貸してみたいな人だったとか、
あなたは神を信じますかみたいな話だったりとか、
飯行きませんかとか、露出狂の方もいらっしゃいましたけど、
今まで話しかけられて、応じたことでマイナスを受けるみたいなことの方が多いなというふうに思ってて、
だから声をかけられて答えたが故に、嫌な気持ちになるのが嫌だなみたいなのがあったりして、
だからもし本当に酔っ払いの方だったりとかして絡まれたら嫌だなーみたいな思ったりもあったんですけど、
でも明らかに私に向かって助けてくださいって言ってる感じがしたんですよね。
様子見るだけ見ようと思って近づいて行ったら、流血してたんですよね。
これはちょっと大変だと思って近づいてどうされましたかって聞いたら、
ちょっと気持ち悪いなと思ってたら意識がフッと飛んで、顔から地面に落ちてしまって、
そのままちょっと動けないでいるみたいな感じで言われてて。
周りを見渡すと松葉杖と眼鏡がそこらへんに散らばっててですね。
足の不自由な方で気分が悪くなって意識を失って倒れて、そこから動けない状態でいるみたいな感じだったんですね。
かなりその炎天下の下で横たわっていらっしゃって、意識を失ってから今までどのくらい時間が経ってるかもわからないんですけど、
気持ち悪いっていう風に言われてて、熱中症っぽいなっていうのもあって、これはちょっとまずいなと思って。
ちょっと待っててくださいって言って近くのコンビニに入ってですね。
ちょっと助けを求めて救急車を呼んで、本当は傾向保水液とかを買いたかったんですが売ってなかったので、
ポーカリーセットを買ってストローをもらって、私は水分補給をしていただきながら、
コンビニの店員さんとかは一人が救急車を呼んで、もう一人が氷を持ってきてくださって、
氷を当てたりとか、ベンチに横たわって仰いだりとかしてて、救急車が来るまで待ってたりしたんですね。
結局すぐに救急隊員の方がいらっしゃって、あとはお願いして終わったっていうことがあって、
今回は応じてよかったなっていうふうに思ったし、これもし応じてなかったら結構やばい状態だったかもしれないなと思って、
助けを求める勇気
その人の様子を見る限りですね、命に関わるようなですね。
だからよかったなとは思ったんですけど、なかなか難しい問題だなと思って、さっきの話じゃないですけど、
応じれないことってあるだろうし、でもそれって応じたことで不快な思いをするのも嫌じゃないですか。
だけど応じないと、もしかしたら人の命に関わるようなことが起きてるかもしれないみたいな感じで。
いろいろ自分なりに考えて出した答えとしては、心に余裕があるとき、それこそ認知的な負荷が高いとき、
本当に自分のことを考えて、その日すごい忙しくて予定が詰まっててみたいな時に困ってる人がいても声かけられないかもしれない。
それはもうしょうがないことなのかなと思ったりもして、でも精神的な余裕があるときとかは、
もしかしたら全然声かけられたのに応じた存になるかもしれないけど、
でも応じた方がいいんだろうなっていうふうに思いました。
助けを求める側の大変さというか勇気とかもすごくわかるというか、
私10年前くらいに東京に住んでたときに、どうしてもちょっと周りに助けを求めたいときがあってですね、
そういう状況下に陥ったことがあって、ただ助けを求める声を上げるのにもめちゃくちゃ抵抗があるんですよね、まず。
なんですけど、でもこれは助けを求めた方がいいなっていう状況だったので、すごい意を決して助けてください。
SOSを出したことがあったんですけど、周りめちゃくちゃ人いたんですけど、
誰一人助けてくれなかったというか、助けてくれなかったってちょっと押し付けが惜しいかもしれないですけど、
声をかけてもらうことができなかったということがあったんですね。
まさに傍観者効果ですよね。
その時の体験が結構自分の中で大きな出来事で、
当時はもうなんかだから東京は嫌いみたいになってて、
今はですね、そんな一つの出来事に対して、だから全部全部東京が悪いとか、
そんななんか反過した考えを持つことはないですけど、
とはいえやっぱすごく苦しかった体験だったんですよね。
今思い出してもちょっと胸が痛くなるような、
声を上げてSOSを出してる人、声なき声に気づくのは難しいと思うんですよね。
だから本当は助けが求めたくても声にできなくて、
その状況下にいるっていう人もたくさんいるのかもしれないなと思うんですけど、
そこに気づくのは難しかったとして、すごく勇気を出してSOSを出してるんだとしたら、
やっぱり気づいて対応したほうがいいなっていうふうに思うし、
でももしかしたら全然そういう涙頂戴的な話かもしれないしみたいなので、
すごく葛藤をしてて、葛藤を感じて改めてそういうことを考えたっていう出来事を話してみました。
葛藤と考察
なんか想定してたよりもずいぶん暗い回になってしまいました。
失礼いたしました。
いやぁセミが陽気ないちょるなぁ。
なんかね、ミミミミシャシイけど、
でも生きちょる間、すごい精一杯な口聞いたことがあるけん。
まぁ英中ごとで応援していきましょう。
夏ですね。
夏の素敵な日をお過ごしください。
それではまた次回の放送でお会いしましょう。
エリムスでした。