辻コーチの紹介
こんばんは、こんばんは、こんばんは、アーカイブに 残らないから、適当にしゃべるところです。
こんばんは、こんばんは、えりむすです、こんばんは、えりむすです。
あ、つじCorchさんいらっしゃいました。 招待しますね。
こんばんは、聞こえますか?
はい、聞こえます。
よかったです。ありがとうございます、今日は。
こちらこそありがとうございます。何が何でも返ってこなきゃと思って。
ありがとうございますと。
ここは、アーカイブちょっと残らないところなんですけど、
今日、ちょっとお忙しかったみたいで。
いやいや、全然。
ねえ、兵庫に行ってるって聞いて、「えぇー?」と思って。
あ、そうですね。姫路のちょっと先のほうまで行ってました。
どうですか?おつかれさまでした。
いえいえ。やばいと思って。
いやいや、ほんとにありがとうございます。
約束してたのに、まずいこれはと思って、何とか間に合いました。
ありがとうございます。
よかったです。いえいえ。
そしたらですね、今からちょっと最初の入りをするんですが、
本日のゲスト、辻コーチさんですって言ったら、
お話、入ってきていただけたらなというふうに思います。
よろしました。
はい。では、少々お待ちください。
はい。
このコーナーでは、人のルーツをたどるのが大好きなエリムスが、
気になる人をゲストにお招きして、その人の人生観について深掘るコーナーです。
本日のゲスト、辻コーチさんです。どうぞ!
こんばんはー。
食品業界の役割
こんばんはー。よろしくお願いします。
ぱちぱち、ぱちぱち・・・、ありがとうございます。
あきねさん、ありがとうございます。やっほー、ぱちぱちぱち・・・ということで、
はい、久しぶりの人の風丈学びがあるでございます。
辻コーチさん、どうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いします。どきどきしております。
ドキドキしないでください。大丈夫です。
それではですね、まず辻コーチさん、自己紹介をお願いします。
スタンドFMのタイトル通りなんですけれども、
現役の管理職とプロのコーチをしている私、辻コーチと申します。
現役の管理職とプロのコーチ。
どっちも詳しく聞きたいんですけど、
まず現役の管理職っていうのはどういうお仕事なんですか?
どこまで言っていいんでしょうかね?
言える範囲で大丈夫です。
別に隠してるわけではないんですけど、
大きく言って食品業界ですね。
食品業界に長らくおりまして、
今所属させてもらっているところは2社目なんですね。
そうなんですね。
前職がありまして、前職も食品業界なんですけど、
食品業界といってもいろいろ大きくなってしまうんですが、
前職どちらかというと、サービス業とか、
ちょっと派遣業に近い業態というか、
そういう業界におりまして、
今はどちらかというと、川下、川上で言うと、
川下から川上に移ったような感じですね。
ということは、辻コーチさんは管理職っていうのは、
どういう部署での管理職なんですか?
食品の品質とか安全性を担保するとか、
それに伴って人の教育をしたりとか、
そういうところになりますでしょうかね、大きく言うと。
私が質問する中で、それはちょっと答えられないですことがあれば、
遠慮なくおっしゃっていただければと思うんですが、
それはメーカーなんですか?
そうですね。メーカーっていうのも、いろんな立ち位置があるとは思うんですけど、
今はメーカー職に近いかもしれないですね。
その会社の中でも、幅広く食品というところにまつわる、
いろんなものを展開されていらっしゃるっていうような会社さんなんですかね。
そういう大きなメーカーっていう感じではなくて、
一つのアイテムというか、それに関連するものを関わってるというか。
なるほど。私、カットよっちゃんが好きなんですけど、
よっちゃんって何でしょうか?
ごめんなさい。そっか。
よっちゃんっていう駄菓子があってですね。
よっちゃんはイカのお菓子なんですけど、
よっちゃん工業株式会社っていうところが、
本当に、よっちゃんと梅虎兄弟っていう梅のお菓子と、
本当にそれが主軸で、お菓子を出してる会社なんですね。
そういう感じの会社とは全く違う感じですか?
お菓子はちょっとやってないんですけど、現時点では。
何かを作っているっていうのは間違いがないかもしれないですね。
なるほど。
いわゆる食品製造業に近いというか、そういう業界でしょうか。
そうなんですね。ありがとうございます。
すいません、全然詳しくない業界なので、少し解像度を高めたくてですね。
なるほど。食品の製造とかに関わる会社さんで管理職をされてらっしゃると。
コーチングの本質
そうですね。
その、プロのコーチっていうことなんですが、
コーチっていうのはどういうものなんですか?
どういうものなんでしょうかっていうことですね。
コーチとかコーチングって聞き慣れない人も多いと思うんです。
もちろん馴染み深い方もいらっしゃると思うんですけれども、
全く知らない人からして、コーチングとかコーチって何なのって聞かれたときに、
どんな感じかなと思ってですね。
いろんな答え方する人いると思うんですけれども、
僕の場合はですね、
僕の場合はその、コーチとかコーチングって一体何なのっていうふうに言われる場合なんですけど、
割と直近最近で、ある業界誌にちょっとコーチングのことを書いたんですね。
ちょっと執筆したんですけど。
なんか掲載されましたって聞きました。おめでとうございます。
ありがとうございます。
そこにもちょっと書いているんですけど、
平たく言うとですね、いろいろ勘違いされてる人多いと思うんですけど、
平たく言うと、対話によって、対話のプロセスを通じて、
自分の講師とも自分の可能性を開いていくっていうような、
そういうことをしていくんですよね。ものすごく大きく言うとですね。
その焦点の当て方によって、
自分のビジネスだったり、お仕事だったり、
例えば会社関係の人間関係だったり、
プライベートだったり、
そういうものを自分の望む方向に進めていくというかですね、
コーチが進めていくわけではなくて、
共にパートナー環境を作りながら、一緒に動かしていくと。
そういう答え方をしています。
そのどこに焦点を。
もっと言うならば、
ごめんなさい。
いえいえ、どうぞ。
もっと言うならば、
自分のコーチングをもうちょっと解像度を上げて言うならば、
対話のプロセスを通じて、
自分の、何て言うんでしょうね。
例えば能力というか、
自分の物事を動かすとか、
自分の実現したいものが仮にあるとするならば、
そういうものを再現性を持って生み出す能力を作る、
対話を一緒に作っていくっていう感じですかね。
なので、よくコーチング説明してる人とかって、
なんかこういうことができるようになりましたとか、
こういう成果をこのクライアントさん出しました、
みたいなことを出している人多いと思うんですけど、
あれ、僕個人的にあんまり好きじゃなくてですね、
それはクライアントの成果であって、コーチの成果じゃないでしょう、
みたいなことが自分の中にあるんですけど、
だから、それはなんか自分の成果のように言うのおかしいんじゃない?
って思ったりするんです。
まあ、いろんな意見があると思うんですけど。
そこをコーチの実績として打ち出してるのがどうなのかなって思われるってことですね。
そうですね。
コーチの実績って、成果や結果を生み出すその能力を一緒に育めたかどうかっていうことなんだと思うんですよね。
作り出せたかどうか。
その能力が作れると、クライアントさんは再現性を持って、
自分でそれを動かすことができるわけじゃないですか。
確かに。一回学んだら。
そう。だから、例えばこういうことができるようになりましたとかっていうのって、コンサルの領域だと思うんですよ。
なるほど。
うん。
それはこういうことを示唆したとか、こういう助言をしたとか、こういうアドバイスをしたとか、
こういうプログラムを提供したことによって、それが開花しましたよっていうのだったら、
それはコンサル領域だと思ってるんですよね。
それをコーチとしてやってるっていう、組み合わせてやってらっしゃるマーケティングの領域でやってらっしゃることが多いと思うので、
間違いではないと思うし、表現の仕方っていうのもあると思うんですけど、
僕はそういうのはあんまり好きじゃなくてですね、自分自身もそういうコーチはつけてないんですね。
そうですよね。辻コーチさんはご自身もコーチングを行いながら、コーチングも受けてらっしゃるんですよね。
それはプロだったら当たり前のことだと思ってるんで、別に特別なことだと思ってないんですけど。
で、その中でも相手の成果を重視するというようなコーチの方にはお願いしてないっていうことなんですね。
お願いしてないっていうか、僕の場合は全員で4人のコーチをお願いしていて、
そういうふうに言うと、かなり惹かれるケースが多いんですけど、
どれだけコーチングマニアなんだって思うかもしれないですけど。
それぞれのカテゴリーで対応してもらってる内容がちょっと異なるんですよね。
なので、色がそれぞれ違うというか。
なるほど。さっきおっしゃってたみたいに、どこに焦点を当てるかみたいなところが違うっていうことですか?
そうそうそう。コメントにいただいてる、きねさんのエリムスさんでいうところのスーパーバイズみたいなっていうのは、
例えば僕がもう11年ぐらいその方にお世話になってるコーチングだと、メンターコーチングっていうのがあるんですね。
メンターコーチング。
いろんな事象を共有したりすることもあれば、僕カウンセリング領域のことあんまり詳しくないので、もし間違ってたら言ってほしいんですけど、
コーチングの事象の中でこういう事象があってこういう場合どうだったんだろうみたいなことをお話しする場合もあれば、
例えばそのテクニカルな部分をちょっとこうトレーニングするというか、聞いてもらってその場合こういうこの進め方があるんじゃないとか、
ここはこういう風にした方がいいよみたいなことをフィードバックしてもらうこともあったり、
もっと言うと、コーチングセッションそのまま受けて、コーチとしての在り方や自分のその今進めているやり方とか、
コーチングの、例えば僕今メンターコーチなんかで焦点が当たってるのは、
その試験受けるさなかにいるので、その試験対策ですね、自分が所属しているICFっていうところの実技終わって、
エグザム試験っていうオンラインのテストがあるんですけど、倫理規定っていうのがあって、コーチの倫理規定っていうのがあって、
あとコアコンピテンシーっていう、コーチの核となるものがいろいろ書かれているものを、
実技は実技でそれはあるんですけど、それ終わって、
何て言うんでしょうね、最良と最悪を選択して答えていかなきゃいけないみたいなのがあるんですけど、
これ今ちょっと手こずっていて、このことについて今メンターコーチにお願いしていたりとか、
あとは普段のお仕事ですね、管理職の仕事がメインなんですけど、そのことについて別のコーチの方にお願いをしていたりとか、
あとは去年かな、今ぐらいからお願いしているライフコーチの方ですね、
なんか僕のプライベートのことにちょっといろいろ話をしている人がいて、そういう方だったり、
あと最後は、ちょっと自分の先輩コーチにあたる人とピアコーチングって言って、
お互いにこうセッションを、練習とはちょっと異なるのかなと思うんですけど、
お互いにセッションしあって、そのフィードバックをお互いに共有を最後するみたいな、
辻さんの多様なバックグラウンド
を通している、それはお金発生しない10日交換みたいな感じでやってますけど、
それ以外はフィーを押し払いしたいみたいな感じですね。
なるほど、じゃあこの4つはメンターコーチとお仕事に関するコーチと、生活に関するライフコーチと、
あとその先輩コーチと一緒にセッションの振り返りをするみたいな感じで、すり分けして、
ただ触っていらっしゃるってことなんですね。
そう、そんな感じです。
そうですね、本当はアキレさんからいただいたコメントで、
エルミスさんで言うところがスーパーバイズで言うところかなっていうことで、
それがきっとメンターコーチに近いんだなというふうに思いました。
ありがとうございます。
そうだなぁ、辻さんはなかなか見えてこないんですけど。
見えてこない。素顔なのかな?結構出してるんですけどね。
ロマンにあふれる豊かな人だなっていう印象はあるんですが、
どんな個人生を歩まれてきたのかとか、そういうことは全然知らなくて。
そもそも、もともと食品業界にずっといらっしゃる方なんですか?
サカイ人になってからはそうですね。
そこに進もうと思ったきっかけは何なんですか?
なかなかいい問いを共有していただいてありがとうございます。
そこをついてきたみたいな感じで。
僕ね、もともと最初学歴専門学校なんですけど、
専門学校も多分日本にそんなにそういうジャンルの学校って聞いたことがあまりないんですけど、
NGOがやってる、NGOってわかりますかね?
NGOがやってるんですか?
NGOが母体になっている専門学校を出ていて、
なんならもっと言うと、NGOが母体になっている高校に進んだんですね。
そこは全寮生の学校で、
その後に専門学校に行こうかなと思って、
その当時海外とか、今もそうですけど、団体が海外とかにいろんな支援をしていたり、
農業とか、植林とか、産業とかの教育とかもやってたんですけど、
そういうことをやっていたので、
これはなかなか面白そうだなと思って専門学校に行ったんですよね。
どういう学科だったんですか?
国際協力みたいなやつですね。
もう本当にそういう国際協力に関する、へー面白い。
その団体は、主は村作りとか農業とか人作りみたいなことをやっていたので、
当時、19、20歳ぐらいなので、面白そうだなっていう勢いだけで行ったわけです。
ただ実際卒業するときになると、2年生のときに、
当時は1年間ぐらい、約10ヶ月ぐらいフィリピンの山奥にいたので、
日本に帰ってきてから就職活動するにしても、あんまなかったんですよね。
それってどのタイミングでフィリピンに、2年生のとき?
2年生の頭の進学期から。
10ヶ月なので、年が明けちゃってるわけですよね。
特殊ですね。
今はちょっと少し変わったみたいですけど、当時はそうだったので。
そのまま、その団体の職員になる人もいたり、
そのまま海外に開発団員っていうふうに言うんですけど、
開発団員になって、地元の人たちと海外に行って、どこかの国に行って、
そういう活動をするみたいな人も同級生はいたんですよ。
ただ、そういうの憧れたものの、実際現実になると、
ボランティアの延長なので、なかなか生活厳しいなと、
実際どうするんだこの先はとなったときに、
やっぱり僕は一旦就職しようと思って、現実をとったんですけど、
学校から紹介された東京のとある全職の会社に就職することになったんですね。
そこから食品関係を歩むと。
入社されたときは、どういうポジションで入ったんですか?
入社されたときはね、僕は食品会社といっても調理師とか医療師とかじゃないので、
たまたま学校の紹介の推薦みたいな感じですかね。
そこの会社のオーナー企業だったんですけど、
オーナーさんがNGOの支援をしていた関係で、
その学校だったらいいんじゃないかと入れてもらったと。
それで最初に入ったときに、そういう専門性がある学校を卒業してるわけじゃないので、
一応2年間現場でやって、何かモノになりそうだったら、
職業人生の変遷
当時の本社の品質部門にあげるか、営業部門にあげるか、みたいな話だったんです。
モノにならなかったら、現場だよみたいなこと言われて、
とりあえずやってみようと思って、入れてもらったからとりあえずやってみようと思って、
当時僕は静岡に住んでたんですけど、
学校が静岡県の県内にあったんで、
僕もともと関西なんですよね、実家が。
関西のご出身なんですね。
そう。和歌山県なんですけど。
ただ両親とか父親の仕事の関係で結構静岡県内が長かったんですね。
転勤族だったっていう。
そうだったんですね。
高校生上がるときに、全寮生の学校に入ったというか、結構家が厳しかったんで、早く家を出たかったんで、全寮生の学校に入ったんですけど。
なるほど、そういうのもあったんですね。
ただ、全寮生入ったものの当時、めちゃめちゃそこが厳しくて、
1年生のときに半分ぐらいいなくなってますね。
えー、高校1年生のときに。
そう、みんな脱寮しちゃうんですよね。世の中に逃げ出しちゃうんですよね。
ちょっとだけでいいので、その厳しさみたいなのを教えてもらっていいですか?
今も時代錯誤もはなはだしい感じですけど、
当時、畳敷きの部屋に1人1畳ぐらいのところに、3年生、2年生、1年生で、どのくらいいたのかな?10名から15名ぐらいいたんですかね。
密集してますね。
密集ですよ。ほんと1人1畳ぐらいですよ。
そこに、3年生、2年生、1年生の一層ピラミッドみたいなのがあって、
3年生とかが部屋の室長みたいになってるんですね。
非常に厳しい学校で、当時、滋賀県にあった学校と比べられたぐらい、ダウンタウンの浜ちゃんとかが行った学校と結構厳しかったと思うんですけど、そことかと比べられるぐらい厳しかったという、当時はですね。
学校自体も厳しいけれども、上下関係とかも激しそうですね。
なかなか激しかったですね。大浴場とかあるんですけど、大浴場に入るときに、すれしまーすなんて入って、出るときはお先にすれしまーすなんて、今でも覚えてるんですけど、出て、
で、先輩が背中を流してると、もうすぐみんな取り合いで後ろに行って、背中を流すと。
どんな世界?
俺、なんかの相撲の世界とかそういうのって、なんとなくイメージがつきますけどね。
ほんと、弟子入りしたみたいですね、どっかに。
そうですね。そんな感じですよね。
へー。
そんな、食べ物も食べられる時間とか決まってたりとか、僕はお腹減りすぎて、当時トイレの個室に隠れて、よくスーパーで売ってるウインナーとかあるじゃないですか、
あれを上着の下に隠し持って、トイレをするふりしながら、それを泣きながら食ってたことを思い出します。
いやー、しかも泣きながら。
泣きながら。1年生の時。
でも、そこを脱落していく人もいる中、辻さんは耐えしのんだんですね。
耐えしのんだ。途中、専門学校行くきっかけになったきっかけがあって、あまりにも厳しいので、2年生の時に3ヶ月ぐらい、交換留学みたいなのがあったんですよね。
で、もともとの母体になってるNGOの団体がやっているフィリピンのある島の交換留学みたいなのがあって、
それ3ヶ月ぐらい行けるって言うんですよね。
俺だと。
3ヶ月行ける。
リフレッシュしてください。
この寮から出られるみたいな。
ねえ、あきめさん逃れられるチャンスが。そうですよ。
そうそう、そうなんですよ。チャンスが来ましたみたいな。
それで行ったんですけど、一緒に3年生、2年生も一緒に行くので、あんまり変わらなかったんですけど、
まあ、多少はね、ちょっとホームステイができたりして、のびのびできたわけですよ。
よかった。
そう、そういうのをちょっと体験した時に、そういう世界も面白いなと思って、専門学校に進んだんですね、その世界のね。
なるほど。専門学校はそういう厳しさみたいなのはなかったですか?
専門学校はね、2年生で、2年生は当時、海外に行ってしまっているので、
結構、のびのび好きなことをできましたね。
じゃあ、もう高校卒業してから、ほっとしましたよね、きっと。
ほっとしてね、だいぶ、ちょっとゆるみすぎちゃった感じが。
いやあ、そうなりますよね。
ありますけどね。
話が戻って、2年、2年じゃない、働いてみて、品質管理か営業か、行くかどうかみたいな。
うん、そうですね。
運良くなのかなんかわかんないですけど、たまたま空きがあるっていうので、1年半ぐらい現場にいたんですけど、
その後、本体のほうにあげてもらって、そのまま24年ぐらいなので、
僕は20歳のときに入ったので、45のときに転職したんですね。
心理学と教育の新たな道
そこから24年?25年?
そうそう。
すごい!
いろいろ文句を言いながらも、なんだかんだ行動できない人でしたね。
いやいやいや、それだけ積み上げてきたものがあって。
その転職はどういうきっかけだったんですか?
転職はね、いろいろな会社に対して不満やなんやら、いろいろあったんですけど、
不満の穂先を、僕は真の30代って言うんですけど、不毛な30代を過ごしてて、
全然成果を認めてくれない時期が10年ぐらいあったんですよ。
会社側がですか?
会社側が。
30代半ばぐらい、30代前半は20代からやっていた、ちょっと外の遊びに結構目覚めてて、
そういうところにすごく注力していたり、
当時30ぐらいの時に結婚したんですけど、
子どももできて、なかなか遊びもできなくなりつつ、みたいなところで、
35ぐらいの時に、高校生の時に担任をしていた人が、
神奈川のほうで、子どもたち向けの自然体験教室みたいなのやってたんですよね。
そこの田植えとか、稲刈りとか、そういうの手伝いに行ってたんですよ。
時々。
子どもも遊べるし、ちょうどいいなと思って、
そういうボランティアとか、自然体験系のNPOみたいなのをお手伝いをしているうちに、
むくむくっと、会社で認められないこのエネルギーを、そういうところに持っていくようになったんですよね。
よくありがちなパターンですけど。
いやいや、素敵ですよ。
その後、今は団体としてなくしちゃいましたけど、
自分でNPO、法人まで行かなかったんですけど、
20数名ぐらいの秘密基地プロジェクトっていう団体を作って、
えー、辻さんがですか?
はい。
すごい。
で、それは最初3人ぐらいのメンバーから始めて、
ツリーハウスを作っていったんですよ。
ツリーハウスですか?へー、素敵。
で、今も長野県にある、長野県の大町にツリーハウスを山ごと持っている団体があって、
そことちょっとつながって、いろいろイベントしたりとかやってたんですけど、
そういうものを、外に向けてエネルギーを発信してたわけですね。
で、その35、6、37、8ぐらいかな、ぐらいのタイミングで、
そこにプラスオンして、心理学を学び始めるんですね。
へー、それはどういうきっかけで?
これはね、当時30代ぐらいから、不毛な30代と言いつつも、
従業員教育みたいなことをやらされ始めるんです。
やらされ始めるって、やれと言われたから始めたんですけど、
だけど、いろいろやっていくと、人の言うことを聞く人と聞かない人がいるなと。
あとは、講師の人によって、受け入れる人と受け入れない人がいるなと。
これはどういうことだろうと思って、
どうせやるんだったら、いろんな話を聞いてくれる人になりたいなと思い、
それで、これはきっと心理学が影響してるんじゃないかと。
その関わり方みたいなところですね。
で、心理学を学び始めるんですね。
自己実現への旅
自然体験系の団体のイベントで、そういうのもエッセンスを含めながら、
っているんだけれども、ゼロから何かを作るっていう、
そういう形をツリーハウスに見立てて、団体を作っていくっていうので、
こうやってたわけですね。
だから、何かを作るとか何かを行動できるっていうのは、
自分のイメージしたものは、それが形になるんだよっていうようなことを、
まさに体現するような団体を作っていこうと。
へー、おもしろい。
やってたんですよ。
えりむさんご存知かどうかわかんないんですけど、
NLPっていう心理学を学び始めたんですね。
で、僕はバンドラ博士のラインに入っていたので、
結局、リチャード・バンドラ博士のセミナーを受けて、
トレーナートレーニングに行ったんですよ、アメリカのオーランドまで。
それ、40の時ですね。
で、一旦学んだんだけど、その後、
37、8ぐらいの心理学を学ぶときに、
ちょうど迷っていたコーチングの門を裁くべきかどうするべきかみたいな。
当時、NLPトレーナーになった後、NLPコーチングって始まったぐらいだったんですよ。
へー、NLPってそういうのもあるんですね。
そうなんですよ。
で、どうしようかって迷ったときに、
当時僕が迷っていた、自分が今国内のほうで所属している、
ICFの参加になるんですけど、
あるコーチ行政機関の門をたたくかどうか迷ったときに、
実際そこ、一番最初に37、8のときに迷ったときに、
費用がすごいかかったんですよね。
NLPも結局としてすごいかかっちゃったんですけど、
フロリダ行くのも大変だったりしたんですけど、
1週間ぐらい休まなきゃいけないとか、
確かに、仕事との絡みもありますね。
でも、やっぱり迷っていてはいけないというのと、
コーチングはやっぱり気になっててやりたいなと思っていて、
NLPでコーチングやってもいいけど、
やっぱり自分は王道っていう言葉にすごく当時から引っかかりがあって、
王道と言われているものをやっぱりやりたいと思って、
いろいろ調べたときに、ICF、国際コーチング連盟っていうのがあり、
世界中に展開している、
プロのコーチの関数以上が入っていると言われているっていうことを知り、
ならば、コーチ要請機関も日本のトップクラスの方に入ること。
何社か回り、ある上場しているコーチ要請機関があるんですけど、
そこの門を叩いて入ったと。
最初にコーチングいいなーって思い始めたのは、
会社で人を育成することだったり、
NPOでの人との関わりだったりっていうところで、
興味を持っていったっていう感じなんですか?
そうそうそうそうですね。
30代の時に思っていた会社で評価されないエネルギーを外に向けていたのが、
自然体験系の団体だったりとか、
専業学学んだりとか、そういうイベントをこしらえたりとか、
それこそ、夢としては、
社会企業家みたいなのを目指していた時期があったりとか、
で、それが、組織を動かすのは、
その時に団体を解散しちゃったので、
40の時に、
なんか一人でやるほうがいいなと感じて、
それでプロのコーチになろうと思い、
42の時かな、
コーチ養成機関の門を開いたっていう感じなんですね。
プロのコーチとしての成長
そこから、前職は数年間続くんですけど、
いよいよ、
その前職の時に、
その前職の店長さんとかリーダーさんみたいな人をコーチングしていたり、
あとは、営業の人かな、
営業の人とかをコーチングしていたことがあるんですよ、何人か。
その人たちが相次いで辞めちゃったんですよね。
僕のコーチに向けて、一人はお店を出しちゃったんです。
すごい、自己実現に向かって進んでますね。
そうなんですよね。いまだに経営されてますけど、
で、もう一方は、
結構不毛な扱いを受けてたんですけど、
その後、転職してものすごく実力を発揮して、
とんでもなくマグロのような人なので、どんどん上ってったんですけど、
それで、その人たちって同じ部署にいたんですよ。
相次いで転職してしまったがゆえに、人が不足して、
なんと、その不足に僕があてがわれることになったんですね。
そう、なんかこうね、回り回ってくるもんだな、不思議だなと思ったんですけど、
で、僕は嫌だったんですよね。
そうですよね。
もうずっとその、20数年、同じ仕事をきてて、
今さら営業かよ、みたいなね。
そう、運命のいたずらです。
ね、あきねさん運命のいたずら、ほんとに。
で、いよいよその、なんかこう先延ばしにしていた、
なんか不満ばっかり言っている自分が、もう嫌になったというか、
コーチングも受けていたし、いよいよ自分が試されているのかと。
なるほど、転換期ですね。
そう、自分がコーチングしていた人が相次いで成果を出して、
外に出て行って、自分は何してるんだろうか。
こんなんでいいのかって思って、
当時まだ、子供とかが中学生ぐらいだったんだけど、
大丈夫なの?みたいなこと言われながら、
転職したんですね。
で、さっき言った食品業界の、
わりとサービスとかに近いところの品質に関わるようなことをやっていたんだけど、
同じ部署で移動しようと思ってですね、
メーカーのほうに近いところに、上流のほうに行こうと思って、
文房にも受けたところが、たまたま今のところが拾ってくれた。
それまでのキャリアがありますからね。
本当に引く手余ったとは思うんですから。
そんなことはないんですけどね。
そのコーチの、養成コーチの門を叩いた養成所に入って、
どんなプロセスを踏んで、いわゆるプロのコーチというのになるんですか?
プロのコーチって、プロの定義って個人個人いろいろあると思うんですよね。
だから、例えばクライアントを取ったからプロだといえばプロかもしれないし、
例えばお試しでやっていてお金をいただいてなければそれはプロと言わないっていう人もいれば、
10円でもいただいたらそれはプロだっていう人もいるし、
何をプロの定義としているかっていうところもあると思うんですけど、
僕はコーチ養成機関の、自分はICFっていうところのプログラム入った段階で、
クライアント取らなきゃいけなかったんですね。
最低5人取ってくださいって。
最初はお願いしてなってもらったりとか。
学習が1年半ぐらい続くんですけど、
1年半の中に全部履修しなきゃいけないのがあって、
あと同時にコーチングを受けるっていうこともやらないといけないと。
だから学習してコーチング受けてコーチングするみたいなサイクル回していくんですけど、
それが始まった時から自分はプロとしてというふうに認識をしているという感じですかね。
だから自分の期限はそこが最初のスタートのところですね。
でもそういうところに入って勉強する中で、さっき言われてた試験みたいなのもあったりするんですね。
それは任意なので別にそういうことしたくないとしてもないんですけど、
国内の方は当時自分が所属しているところの養成機関のライセンスって認定コーチとプロフェッショナルコーチとマスターコーチっていうのがあって、
その試験を受けるのも、今ちょっといろいろ緩和されているのかなと思うんですけど、
僕受けた時はコーチングのプログラムがまず終了していること。
で、隊員が終了している証明を出して、メンターコーチングっていうのを10時間以上だったかな。
当時からずっと受けてたんで全然問題ないんですけど、
10時間以上の証明を出して、コーチング実績みたいな時間を出して、
その認定プロフェッショナルマスターとそれぞれコーチングを実際にするんですよね。
そうした記録っていうんですかね、音声、音源かな、音源を、確か30分以上60分以内の音源を実際音源取ったものと、
一時区無条項使用したデータを出すんですよ。
当時ね、認定はそんなにもなかったような気がするんですけど、
プロフェッショナルマスターはそれぞれ3日ずつぐらい出さなきゃいけなかった。
へー、大変ですね。
文字が半端じゃなく大変で、
一時区言ってないことが書いてあったり、逆だったり、言ったことが書いてなかったりとかすると原点されちゃうんですよ。
それがすごい大変で、それはマスターまで取ったんですけど、
何年か後にIC本体の一番下がACC、真ん中がPCC、最後がMCCがあって、
ACCはだいぶ前に取っていて、国内の大変さが本当に嫌で、
PCC今やってるんですけど、一昨年の12月から。
その大変さがもう嫌で、ずっと、
PCCはたしか積算コーチング時間数800時間とかそのぐらいなんですけど、
何年も前に全然クリアしてるんですけど、ずっと先延ばしにしてたんですよね。
で、一昨年の12月に思い越してあげて、
ACCの方はオンラインの試験だけだったんですけど、当時。
ただちょっとその仕組みが何年か前に変わって、
当時、昔はPCCってその実技だけだったんですけど、
ACCのオンラインのテストを受かってれば、
今は実技と、実技もさっきの一軸も上越しするのを、たしか2人か。
昔3人だったんですけど、今2人になってて。
2人提出して、30分以上60分以内のコーチングセッションが採点されるんですよね。
そのICFが言っているPCCマーカーに沿ってコーチングがなされているか。
その採点基準っていうのは明らかに採点あるので、
そういうものに沿っているかどうかをメンターコーチとすり合わせをしながらやっていくんですけど、
それも去年、本当は提出用で2人とって書き起こししたのが、
1軸あってるかどうかを調整してテストするっていうのがあるんですけど、
その前に去年はメンターコーチのクリアOKが出なかったので、
俺では合格しないって言われて、出すなら出してもいいけど、合格しないよよって言われて、
僕の講師園は夏前に終わったみたいな感じで終わってるんですけど。
そうだったんですね。
今年はこれならいけるんじゃないみたいなことを、メンターコーチから承認OKもらったので、
これはレベル2試験って言うんですけど、出したら無理にそれは合格したんですけど。
えーでも、辻さんの中だと辻さんのポリシーで当たり前のことなのかもしれないですけど、
でもその任意であるスキルアップとかレベルアップっていうことをずっと続けてらっしゃるのが、
本当に素晴らしいなっていうふうにお話をされていました。
スタンドFMの更新
いやいやいや、もうちょっとね、変態の意気ですよ。
いやいやいやいや、素晴らしいです。
いやでも本当、変態ぐらい好きじゃないとやっていけないですよね。
試験をね、オンラインも今はちょっと恥ずかしいんですけど、
こないだ3回目受けて、3回目ちょっと届かなくて、
あー難しいんですね。
で、1回受けるの何万回かかっちゃったりするので、
あと一昨年からその試験に対して、メンターコーチの回数増やしたり、
それこそマネージャーつけてたんですよ。
えーマネージャー?
自分の自己管理をしてもらう、個人でマネージャーをつけて、
今年の春先ぐらいまでつけてたんですけど、1年間ぐらいかな。
もうどれだけ投資してるんだみたいな。
そんな沼にはまっています。
ありがとうございます。
なんかもうあっという間に時間が経ってしまいまして、
残り10分ぐらいなんですけど、
スタンドFMの話と趣味の話も聞きたいと思っているので、
ちょっと話を変えたいんですが、
スタFはすごい毎日更新をずっと続けてらっしゃると思うんですけど、
どういうきっかけで始められたんですか?
俺は、4年半ぐらい前ですかね、たぶん。
コーチングと出会いの重要性
当時、ちょっと知り合いの人がスタFやっていて、
面白いよって言われて、
ついさんきっといいんじゃないって言われて、
やってみたらって言われて、それでその日から始めたんですよね。
すごい、ふっかる。
そうです。そこから始めましたね。
でも、その人も本当に辻さんに会うだろうなと思って、
ご紹介されたんでしょうね。
かもしれないですけど。
そこから毎日?
うん。そこから毎日。
すごい。本当に会う人だ。
おかげさまで、本当に一時期スタF経由で、
僕のコーチングを知ってくれた人がすごく多くて、
スタFさんには感謝しかありません。
ずっと発信しているからこそ、
辻さんの周りの方も、
辻さんがコーチングの世界でどんなふうに活躍されるのかって聞けますもんね。
僕、他のコーチの人と違うのは、
普段音声のみでしかコーチングセッションをしてないんですよね。
なんかおっしゃってましたよね。声だけでって。
そう。だからこのスタFのコラボ収録機能とかを使ってコーチングしたりとかって、
わりと親和性がいいんですよね。
すごい。
相手を見る必要は僕にはないというか、
俺ら相手を見るコーチングって、
相手もいろんなことに気がそがれちゃうので、
僕は音声のみがいいと思ってますね。
声だけで進めていく。
うん。
精進料理みたいだと思ってます。
精進料理?辻さんのコーチング?
はい。
もう少し詳しく知りたいです。
精進料理っていろいろそぎ落とされてるじゃないですか。
なるほど。洗練されてますね。
飾りがないというか、洗練されてる。
素材が良くないと成り立たないんじゃないかなと勝手に思ってるんですけど、
だから飾らなくていいアイテムですね。
だから本物でないとそれ通じない。
これ僕に対するプレッシャーですよ。
本物でないと通じないだろうと思っていて、
だから自分の素材をどれだけ上げられるかしかないんじゃないかなと。
趣味としての車とライフスタイルの実現
別に飾る必要もないし、いろんなものをデフォルメするというか、
大きく見せる必要もないし、って思ってるって感じです。
そういう辻さんの誠実さとかストイックさみたいなところに本当に心打たれるんですけれども、
そういう方はいっぱいいらっしゃるだろうなというふうに思いますね。
辻さんといえば、ロマンを追っかけている。
追っかけてるんですか、あれ。
そういう印象があるんですけど、なんか他趣味ですよね。
他趣味ですかね、どうなんでしょう。
趣味って聞かれて、どんなものをあげますか?
趣味ね、そうですね。
コーチングって趣味でもあり、生き方でもありみたいなところなんですけど、
仕事でもありみたいな。
まずそれが最初に思いつくのと、
あと、僕は趣味って言われると、結構カメラとかも好きで、
趣味と言えるかどうかわからないですけど、インスタあげたりぐらいなんですけど、
写真を。
写真をですね。
あとは、2年半ぐらい前に、自分の好きな車を購入したんですよ。
ね、アバルト。
アバルト。これも趣味っちゃ趣味なのかもしれないですね。
いや、アバルト乗られてるってのを聞いて、
私、夢なんですけど、実現するかどうかわかんないですけど、
いつかフィアットのチンクエーチェント乗ってみたいなって。
僕は同じですね。
チンクエーチェント乗ってみたいんですよ、アバルト仕様の。
今はどんなのに乗ってるんですか?
今はガソリン車の、今EVになっちゃって、ヨーロッパだとハイブリッドになってるらしいですけど、
ガソリン車の595のコンペってやつですね。コンペティオーネってやつですね。
なんでそれにしたんですか?
僕ね、20代ぐらいの時から、なんか僕50代なんですけど、
50代ぐらいになったら、いい大人になるし、
たまたま僕は数年前にまた独り身になっちゃったんで、
結構自由だなと思った時に、
そうだ、20代の時に憧れていた漫画の世界があるんですね。
西川先生っていう漫画家さんがいて、GTロマンっていう代表作があるんですけど、
その漫画の世界のライフスタイルを実現したいなと思ってアバルトを購入したんですけど、
その時の自分の勝手なイメージで、
左ハンドルのマニュアルのイタリア車の赤いスポーツカーが欲しいなと。
その時にイメージしてたんですか?
それが20代の時にイメージしてて、
それはもう西川先生の世界観みたいなのがあって、
僕、タバコは知らないですけど、昔辞めちゃったんで、
そういうタバコとか、アナログなものとか、レコードとか、ジャズとか、
なんかそういうちょっとアナログチックな世界観が漫画の中にあるんですけど、
で、あと旧車とかね、古い車とか。
だからチンクとかはすごいイメージであるんですよね。
だからそのマニュアルとかオートマじゃない、もうマニュアルという不便さとか、
今時左ハンドルの中のテントもめんどくさくてしょうがないんですけど、
そういうのも、この不便さの中に、なんかちょっとオシャレな感じがあるみたいな。
ロマンだ。
そういうちょっと一手間二手間かかっちゃうような、
生活の中の一部にあるって余白があっていいなと思ったんです。
確かに余裕がないとそういうことにいかないですよね、きっと。
で、何年か前に、自分一人になった時に、
今一番若いし、やれること今一番やろうと思って。
よくアバルト乗りの人が言うセリフを言いたくて、
どうせ買いに行くのであればディーラーさんに言って、
いやぁ、僕ちょっとアバルトのサソリの毒にやられちゃったみたいな。
ちょっとちょっと車購入したいんですけど。
いやぁ、言ったんですか?
試乗しましょうよって言われて、
試乗しますねって言って、試乗したら、やっぱサソリの毒きついですね。
買いますって言って。
すごい。
みんながよく言うセリフをちょっと言いたくて。
左ハンドルですか?
左ハンドルとマニュアルですね。
すごい。実現してる。
たまたま試乗車で、そのディーラーさんのグループの店舗で試乗車で、
ちょうど白と赤があったんですよね。
で、本当はグルジオっていうアバルトのカルロ・アバルトさんが当時、
戦闘機の色を塗ったっていう、
アバルトでは大名詞の灰色みたいな色があるんですけど、戦闘機みたいな。
それを本当は第一規模だったけど、それがなくて、
だったら自分の20代の時から憧れてた赤の、
イタリアンレッドみたいな赤の左のマニュアルを探してほしいって言ったら、
たまたま試乗車で1台あると。
白と赤があるけどどうしますか?みたいになって、
いやもうこれ赤でしょみたいな。
赤いいですね。
左ですよ、マニュアルですよって言う。
じゃあそれを押さえてくださいみたいな。
へー。
そんな感じです。
すごい夢をかなえましたね。
かなえました。
じゃあいつも運転はウキウキですね。
未だにドキドキしますね。
未だにサソリの毒にやられてるんですね。
未だに。
やばいですね、ドキドキしますね。
これはだから趣味というか、自分のライフスタイルというか、
チンクエチェントのね、えりむしさんが言っていた古いやつですね。
これも憧れはあって、
名古屋にチンクエチェント博物館ってあるんですよ。
業界へのチャレンジと告知
チンクエチェント博物館があるんですか?行きたい。
名古屋。
そう、名古屋、名古屋市内にあるんですね。
チンクエチェント博物館っていうところの施設博物館があって、
イタリアのチンクエチェントを後世に残すっていうことをやっている人たちがいて、
そのイベントもいろいろ全国各地でやってるんですよね。
ぜひ、報道博のえりむしさん行っちゃうぞって言ってください。
予約すれば誰でも見れますよ。
予約制なんですね。
いいことを聞きました。
あとで送っておきますね。
ありがとうございます。
いや、もうあっという間にお時間が来てしまいまして。
楽しかったです。
いやいや、もうほんと、辻さんのたぶん、そうだな、8%ぐらいしか聞けてない気がしますけど。
秋根さん、コメントいろいろありがとうございます。
そして、園長屋さん来ていただいて、二刀屋さんもありがとうございます。
秋根さん少な。
でも、なんかすごい奥深すぎて、たぶん掘ったらもうほんともっともっといろんなことが出てくるんだろうなっていうふうにも思ったんですけど。
いやでも本当に楽しい1時間過ごさせていただきました。
なんかね、ちょっと話足りない感じがあるんで、一人しゃべりをしないといけないかもしれないです。
しゃべってください。
二刀さん、こんばんは。終盤に来ちゃったのでアーカイブで聞かせていただきますということで。
ぜひ聞かれてください。辻さんのお話とっても面白かったです。
辻さんなんか最後、ありますか。告知なんかあります?
告知はね、転職した先のこと言えてなかったんで、業界誌に書きましたっていう話を言ったんですけど、これをもって今地道に一人営業回りをしてますね。
そうなんですね。
いろんなところに持っていってですね、僕業界に一石を投じたいっていう今年の大きなテーマがあって、食品業界に一石を投じたいと。
そこに書いてあるのって、自分がこの数年自分の自分の構造改革みたいなことを、コーチングはしてないんですけど、
プロのコーチという立ち位置で、いろいろ戦略性を持ってやってきたことが、結果として自分の組織が今最強の組織になってるんですよね。
で、周りを巻き込んで、先々月から会社という組織を加えて業界のいろんな人たちを巻き込んで、教育実践研究会っていうのを立ち上げたんですよ。
で、その人たちと教育に関わるとか人の育成に関わる、僕はコーチング的なアプローチになりますけど、その雑誌に書いてあることを皮切りに、業界のエグゼクティブだったりとか組織コーチングみたいなことを、本物のコーチングこういうもんだよっていうのを一石を投じたいと。
なるほど。
俺のコーチングって、俺のなんとかって店あるじゃないですか。
なるほど。
そういうイメージで、一石を投じたい。これは業界史に書いてあるんですけど、これは告知というよりも宣言ですかね。これちょっとやっていきますっていう。
それはもう本当に先ほどのお話にもあったように、やっぱり本物のコーチングをしているっていう意識のもとで動かれて、実際に提供されている辻さんだからこそ、そういう行動ができるんだろうなっていうふうに思いますね。
もう一つだけ告知していいですか。
はい、どうぞ。
9月誕生日なんで、もう何ヶ月もコーチングの体験とか受けているんですけど、スタンドイヘム、過去の履歴を見るとですね。ずっと止めてたんですけど、9月誕生日付きなので、ちょっとこの週末ぐらいからちょっとしばらく一定期間だけコーチングの体験の告知を始めようかなと思っておりますので、
興味がある人はチェックしておいていただければと思います。
ぜひぜひお聞きになられた方で、辻さんのコーチングだったり、辻さん自身に興味持たれた方、ぜひフォローしてみていただければと思います。後ほどアーカイブの概要欄にリンクも載せておきますので、そこからバレて聞かれてみてください。
というわけで、本日はゲストに辻コーチさんをお招きして、辻さんのあれやこれをお伺いさせていただきました。辻さんありがとうございました。
こちらこそありがとうございました。
失礼します。
はい、失礼します。ありがとうございました。
ありがとうございました。
というわけで、ここからはアーカイブ残らないところでございますけれども、皆さん来てくださってありがとうございました。
サイカさんありがとうございます。
コーチングの重要性
こんばんは、終わりがけに来ちゃいました。私もコーチなのでアーカイブ聞かせてもらいます。
あ、そうだったんですね。サイカさんコーチもされていらっしゃるんですね。
私も秋根さんに6つもしてるって聞いたから、サイカさんもチェックしないとと思ってました。
秋根さん、エルムスさんフォローさせてもらってきました。
ありがとうございます。
そうだ、サイカさんもコーチだった。
まだ2年目ぺいぺいだけど、コーチングは本当に良いものだと思ってる。
そうなんですね。
すごい。
俺のイタリアみたいな感じ。
あ、ですね。
俺のコーチングみたいな。
すごい。
でもそれって本当、俺のシリーズもそうですけど、やっぱ自信がないとそういう風に打ち出せないですよね。
でもそれだけやっぱり丁寧にやってこられたからこその打ち出し方だなという風に思って。
なんか胸を張ってそういう風に言えるようになるって、それだけキャリアとかもいると思うんですけれども。
いやーすごいですね。
なんかこれからも楽しみですね。
辻さんありがとうございました。
日本文化との関連
ということでありがとうございます。
サイカさんも秋根さんもありがとうございます。
というわけで、本日辻コーチさんをお招きしてお話しさせていただきましたけれども、
もうなんかあっという間の1時間でなかなかもっと本当にいろいろ深掘りたいこともたくさんありました。
サイカさんコーチングオーストラリアにいるときに知りました。
もっと日本でコーチングが当たり前になる世の中にしたい。
いやー本当ですね。
いや本当にあのー、私自身も本当にそのコーチングのこととか全然詳しくなくて。
詳しくないんですけど。
私は心理学とかカウンセリングみたいなところにどっぷりですけれども。
やっぱりなんかこう同じように、海外では何だろう市民権を得ているのになかなか大勢の人には浸透していかないみたいなところは、
日本の文化的な背景も強いと思うんですけどね。
でも本当サイカさんがおっしゃるように、なんか当たり前になっていったらいいなというふうに思いました。
壮大すぎかもしれんが。
いやいやいや、夢はでっかくですよね。
意外と暑いのがサイカさん。
へー、そうなんだ。
いや本当。
あきねさんもですけどね、本当暑い人ばっかりですよ2Fは。
もう本当にいいですね。
辻さんその気持ち大事ですって。
うーん、ですね。
私もなんか暑い気持ちを群れに頑張っていこうと思いました。
というわけで終わりたいと思います。
ありがとうございましたー。