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こんばんは、ライフコーチのえりこです。
私は小学校1年生の双子と、生後6ヶ月の赤ちゃんを育てながら活動しているライフコーチです。
今回のお話もですね、前回の続きでございます。
前回ですね、先日マイコーチと対談をさせていただいて、その中でいろいろ対談をしながらお話ししていたら、
私は自分の親に中指を立てていた、っていう風に気づいたっていうところから、
そこを、私はどうして今も引き続き親に中指を立て続けているのか、
どんなことが過去にあって、それでどんな風に自分が認識していって、そういう風になっていったのかっていうのを整理したり、
そこからじゃあ、今の自分にそれは必要なのか、捉え直しとかですね、そういうのを一つ一つしていくっていうのを今やっております。
で、その続きを今日はしていきたいなと思っています。
では本題に入る前に、先に告知をさせてください。
ただいま、ミニ体験セッション企画というのを実施しています。
具体的にはですね、例えば家族でのコミュニケーションですね、パートナーとのパートナーシップ、
それから子供との関係や子供とのコミュニケーション、関わり方とかですね、
あとは、子供とパートナーがどういう風に関わるかっていうのを、自分がどういう風にサポートしていけるかとかですね、
そういったその家族のコミュニケーションについて、それから他の人間関係について、職場でもいいですし、友人関係でもいいですし、
そういった特に人間関係とかコミュニケーションについて、
こうもやもやするなとか、なんかこういろいろ関係性を変えていきたいと思ってるんだけどどうしたらいいんだろうって悩んでいるとか、
そういう方ですね、もしピンと来られた方、それからあともうちょっと具体化してはいないんだけれども、
ちょっと話聞いてほしいなとか、一回ちょっと話をしてみたいなーって思われている方もですね、
ぜひぜひこの機会に一緒にお話をしてみませんか。
お話ししてみたいなと思った方は、この放送の概要欄にあります私の公式LINEのリンクの方を飛んでいただいて、
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公式LINEにご登録の上、ミニ体験セッション希望と一言メッセージを送りいただければと思います。
それではですね、本題に入っていきたいなと思います。
今日はですね、前回が、まずそもそも幼少期に結構自分の尊厳を踏みにじられるとか、
一人の人間としてなかなか尊重してもらえないような経験っていうのを結構してきたと。
もちろんそういう経験だけではないんですけれども、どうしてもやっぱりそういった、
ちょっとこう自分の中で負の感情が伴うような経験というのはやっぱりどうしても強く印象には残るんですよね。
そういう経験を積み重ねてきた結果、
親も含めて、そういう自分の尊厳を踏みにじるような人に対して、その人を見返してやるっていうような反骨心ですね。
そういった負のエネルギーで頑張る。
しかもその人を見返すためには、
やっぱり成功する。その人が何も言えなくなるような、尊厳を踏みにじることができなくなるような、
成功が必要っていうふうに思っていて、そこに見返してやるっていう負のエネルギーを燃やして頑張ることによって、
何かしら成功だったり何かを成し遂げるみたいなところをずっとやってきた。
それをやることによって、親に認めてもらうっていう学習をしてきたんですね。
そういう頑張り方をして、成功と言われやすいようなことをすることによって、
親を見返し、そして認めてもらいやすくするみたいな学習をしてきて、
そうやって承認してもらうことを何とか勝ち取ってきたみたいな感じだったんですよね。
そこを言語化していきました。
今回はその続きということで、自分自身がそういう学習をして何度も何度も繰り返し積み重ねをしてきたことによって、
自分の中にすごく根深く、強く根差した考え方みたいなのが、本当に骨の髄まで染み付いているような考え方っていうのがあって、
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そこに気づいたので、今日はそこのところも言語化をしていきたいと思います。
さらに今までやってきた、自分の学習してきたこと、やってきたことっていうのが、
じゃあこれからの自分に、今この瞬間からの自分に必要なのかっていうと、そうではないよねっていうような話。
これからの自分にとっては書き換えが必要だよねっていうような話を、マイコーチとの対談の中でもあって、そういう話をしていたんですよね。
で、その時に、なんかこう、そうですね、今までの自分の経験をいろいろ見つめ直した時に、
なんか、今まで反骨心で、親に認めてもらうとか、見返すとか、そういうところでずっとやってきたと思ってたんだけれども、
一つあるエピソードだけ、そういう状態ではなく、頑張ってきたことがあったなぁと思ったんですね。
で、そこのところを最後言語化してみることによって、もしかしたらこれって、自分がこれから書き換えていくためのヒント、
自分がこれから進んでいく時の、これは大事なヒントになるんじゃないかなって思うところがあるので、
今日はその2つを言語化していきたいなと思います。
はい、それではですね、そもそもまず最初のスタートですね。
この私が一人の人間として尊重してもらえないとか尊厳を踏みにじられるみたいな、そういう経験をしてきたことによって、
その親との関係の中で、そうやってこの尊厳をまた踏みにじられるかもしれないっていうところで、
自分をどうにか守ろうとか、自分の思いをどうにか尊重してもらおうっていうためにですね、
あとは証人ですね。親からの証人を得られるように何とかしようとして、生き残りの戦略として、
自分がその親に対して反骨心で親を見返してやろうというようなところで、
ひたすら見返すというような風のエネルギーをもとに、ひたすら行動をして、何かしらの成果だったりやり遂げるみたいなことをして、
それによって、ある種の成功みたいなところで、その条件をクリアすればある程度親が認めざるを得ない、
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承認せざるを得ないので、そういう風な形で親に尊厳を踏みにじられないように守る、戦うみたいなことをずっとやっていました。
で、そうやって成功と言われるようなことを見返すっていうような悔しいとか、見返してやるっていうような風のエネルギーで頑張って、
成功と言われるようなことを手にすることで、親に認めてもらえるっていうような学習をずっとしてきたんですよね。
そういう学習をしてきた中で、実はもともと一番最初って、本来は自分は尊重されるべき存在であるっていうことを自分でちゃんと、
自分のことをちゃんと尊重するっていうことがそもそもできていたんですよね。もともとは幼少期。
で、ちゃんとそういう尊重されるべき人間であり、ちゃんと尊重される価値がある人間だっていう風に、
幼少期の一番最初は思っていたから、多分尊厳を踏みにじられて、
なんでだ悔しいっていう思いがあったんですよね。で、ただもともとそういう思いがあったはずだった私が、何度も何度も踏みにじられ、
そして何度も何度も見返してやると、何度も何度も負のエネルギーを燃やして頑張ってきた結果、
結局私の中で成功することで承認してもらえるっていう風な形になったので、
そうすると成功することで承認認めてもらえるということはイコール、それが自分の存在価値になっていったんですよね。
はい、もともとそういう成功とかがなくても自分は尊重されるべき存在であり、ちゃんと価値がある人間だっていう風に存在価値があるっていう風に、
幼少期の初めは思っていたはずなのに、だんだんだんだん尊厳を踏みにじられる経験がどんどん増えていくにつれ、
自分が成功をすることで認められる回数も増えていったが故に、成功イコール存在価値になっていったんですね。
ということは逆を言えば、成功していない状態、もしくは途中で成功に至っていない途中経過の状態イコール、自分の存在価値がないっていう風に、
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自分の中でそういう公式みたいなのが出来上がっていったんだなという風に色々自分のことを振り返って思いました。
なので、自分が自分の価値、存在価値を信じられるのは、何かしら成功した時のみ、何かをやり遂げた時、何か例えば他の人から強く求められた時とか、
そういう何かしら成功だなって思えるようなことがあった時のみ、自分の価値を信じられるというわけで、結局自分の価値が条件付きになっちゃったんですよね。
だから、成功に至っていない、成功に至るまでの途中の過程とかは、結局まだ成功に至っていないからやっぱり存在価値はないし、
そうやって、自分はまだダメだから、まだ足りないんだっていう風な感じで自分を否定するっていう方向に、その癖がかなり強く根付いてしまったんですよね。
そういう学習をしてしまったというか、そうですね、そういう公式を自分の中にインストールしてしまいました。
そこで、そうですね、もともとは自分のことをしっかり信じてたし、自分が価値があって尊重されるべき存在だって思っていて、
ちゃんと尊厳があって尊厳を踏みにじられるべき存在ではないっていう風に思っていたはずなのに、
尊厳を踏みにじられる経験を重ねた結果、尊厳を踏みにじられないため、認めてもらうために、
ちゃんと何かしら成功や成果を手段として出して、そうやって反骨心を持ったエネルギーをぶん回して頑張っていたんですけど、
結局、成果がないと認められない、自分にも価値を感じられないっていう状態がどんどん出来上がっていったっていう感じですね。
だから結局、成果とか成功とか何かを成し遂げることっていうことと、自分の価値っていうのがセットになってしまったんですね。
本来別のものだったはずなものが、そこがくっついてセットになってしまったんですよね。私の認識っていうのが。
だからそのままの自分、何も成し遂げていない自分、何も成果を上げていない自分、何も成功と周りが言うようなことをできていない自分でも、
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大丈夫っていうふうに自分を認めることっていうのができにくくなってしまったっていうのが、今までの状態だなっていうふうに自分で分析すると思います。
だから何かの条件をクリアしていれば、例えば何かの成功を収める、何かの成果を出す、
周りの人から成功と思われなくても何か自分なりに成し遂げたっていうふうなことがあれば、存在価値を自分の中でちゃんと安心して感じられるんだけれども、
例えば何か条件自体がない、何か成果を出すとかそういう条件自体がないとか、何かの成果とか何か成し遂げることとかそういった条件をクリアしていない時の自分でも、
ただそうやって自分は存在するだけで価値があるっていうふうなちゃんと尊重されるべき人間であり、ちゃんと価値があるっていうふうになかなか思える状態じゃなくなっていったんだなっていうことがわかります。
その結果、私はマイコーチとの対談の中でも出てくるんですけれども、自分の価値を信じるためには成功が必要なんですよね。
そしてさらに成功するためには反骨心とか、何か怒りとか悔しさも含めての反骨心とか、誰かそういった踏みにじってきた人たちを見返してやるというような負の燃料を燃やすことで頑張って成功するっていう方法しかないっていうふうに、
2つご学習をしてきたっていうような状態に至ったんじゃないかなと思います。
ここまで話してみて、そういう形でいろいろ尊厳を踏みにじられる経験でいろいろ学習してきたんだけれども、
結局はそうやって自分がその自分の尊厳をこれ以上踏みにじらせないように、自分をなんとか守る手段としていろいろとってきた。
その中で、そういう手段を何度もとってきているうちに、成功すること、何か成果を出すことが自分の存在価値っていうふうになってしまって、
成果とか成功、何かを成し遂げることと自分の価値っていうのが、本来はそれは一緒にセットになるべきものじゃないのにセットになってしまったっていうところですね。
で、そうやってそのままの自分っていうのを、自分の存在価値っていうのを自分が認めることができにくくなっていってしまって、何か成し遂げたり成果とか成功っていうのがないと自分の価値を感じられないっていうふうな状態になってしまった。
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というふうなところだったんですが、それを30数年やってきて、じゃあそれどういうふうに向き合っていったらいいんだろうとか、これからの自分にそれって本当は必要なかったりするんだけれども、
どういうふうに、じゃあその自分のご学習してきたことを書き換えていったらいいんだろうっていうところで、自分の中をいろいろ経験を棚卸し、今までもしてきたんですが、その中でふと、
あれ、この経験って、なんかその、今回と前回話してきたようなご学習じゃない形で経験ができたエピソードがあったなぁと思ったんですね。
唯一一つそれがあったなぁと思ったので、ちょっとそこのところを最後に棚卸しして終わりたいと思います。
で、それは何かっていうと、中学校の部活動の経験ですね。
私は卓球を中学校からやっていて、そちらの方で、私は宮城県に住んでるんですが、東北大会に出場、東北地方の6県ですね。
東北6県が集まる東北大会に出場して、その場で一勝してっていうような経験があります。
で、その経験ってすごく私の中でも大きな経験だったんだけれども、実はそれを紐解いてみると、これからの自分にとってすごく大事な経験をしていたんじゃないか。
すごくヒントになるんじゃないかって思ったんですね。
で、その中身を紐解いていくと、その当時っていうのは、まず中学校から私は卓球を始めました。
もうその部活動に入ってからやったんですね。
で、卓球自体も、私は同年代だと福原愛さんで、卓球の愛ちゃんって呼ばれてすごく有名な方いらっしゃると思うんですけど、
本当に愛ちゃんにも東北大会で会ったことがあるんですね。
で、そんな感じで本当にもうまさにど真ん中同年代、同世代なんですけれども、
愛ちゃんのように3歳とか4歳とか、めちゃくちゃ小さい頃からずっとスポーツ少年団としてずっと小さい頃から卓球をやっている人たちもたくさんいる中で、
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中学校から始めた私たちが東北大会に出場できたっていう、しかも一勝したっていうような経験ってすごく大きかったんですね。
で、ただそれって、じゃあその時の私も含めて私やその仲間ですね、一緒にやってきた仲間のエネルギー源って何だったんだろうって考えると、
私自身のエネルギー源って、その時反骨心でもないんですね。反骨心とか悔しいとか見返してやるとか、そういうことではなくて、
そもそもその卓球めちゃくちゃ楽しかったんですよ、私。で、自分がやりたいって言ってやった部活だったんですね。
で、だからこうエネルギーの源っていうのが、もう自分がひたすらもう楽しい。そしてやりたいからやる。
で、やっていったらもっと上手くなりたいとか、もっと勝っていって、もっといろんな選手と試合がしたいとか、そういうもっともっと楽しくてやりたいっていうようなエネルギーだったんですね。
で、そのために必要なことも、基礎練習とかも含めてコツコツ続けていくっていうような自分のエネルギー源でした。
で、その当時、親との関係というのを振り返ってみたときに、親との関係自体は、親からは、そうやって東北大会を目指してっていうところだったので、
で、ただその部活の時間だけ、放課後の部活の時間だけ練習しますっていう方法では、東北大会なんか絶対無理なんですね。
なぜなら周りには、もう3歳とか4歳とか小さい頃から卓球をたくさんやっていて、もうすでに10年とか卓球やってますみたいな人たちが周りにゴロゴロいる中で、そんなちょっとした練習時間、部活のちょっとした練習時間では勝てるはずがないんですね。
で、そんな状況なので、練習時間をたくさん取る、練習をめちゃくちゃやるっていうような形で頑張っていたので、その練習が結局部活動でできる場所だけじゃなくて、すぐ、車だと10分15分で着く場所なんですけど、
スポーツ少年団が隣の町にあって、その隣の町のスポーツ少年団に入り、部活の時間以外はそこでもうみっちり練習する、コーチについてもらって、めちゃくちゃみっちり練習するっていうことをやっていました。
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で、そうやって親からは、結局その隣町のところに車で送迎してもらわないと、結構夜とかにも行ってたので、自分で自転車とかそういう交通手段で行ける状態ではなかったので、親に送迎してもらわなきゃいけないっていうことで、たくさんそうやって日々練習しているということは、親に送迎の協力を頼まなくてはいけなくて、
めちゃくちゃ迷惑がられていましたね。
なので、私がやりたいって思ったことは、親にはそうやって迷惑がられていたんだけれども、だからといって、私のその時の当時の気持ちって、
じゃあそういうふうに迷惑がられていたり、全力でいいねって賛同してくれて応援してくれる状態ではない親。
その親に認めてもらおうとか、見返してやろうって微塵も思ってなかったんですよ。
むしろ親の反応とかどうでもよくて、とりあえず送迎だけなんとか協力してもらえればよくて、どうしても遠征費とかもかかるので、そういうお金の部分でのサポートはお願いするけれども、
親に応援してもらおうとか、逆に見返してやろうとか、そういうことは一切思っていませんでした。
認めてもらうとか関係ないんですね。自分がやりたくてやってるので、そこに親からの評価とか認めてもらうとか、賛同を得られるとかそういうの全然関係なかったんですよ。
どうでもよかったんですね、そんなの。とりあえず必要なところは協力してもらえ、なんとか協力してもらえるように動いて、
あとはもう別に見返してやる気持ちも認めてもらおうという気持ちもなく、どうでもよくて、むしろ自分がやりたいからやっているのであって、親の反応なんかどうでもいいと思っていました。
なので文句を言われたからといって、全然傷つきもしないし、それを見返してやろうとも思わないし、もうどうでもいいと思ってたんですね、親の反応自体が。
自分がやりたいからやるんだっていうふうに思ってずっとやっていました。
環境としては、自分のことをちゃんと一人の人間として尊重してくれるコーチと仲間の存在がすごく大きかったなと思います。
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なので、例えば卓球の試合、いろんな試合がありますが、それで勝ったとしても負けたとしても関係ない、どっちにしろ認めてくれているっていうような、そういうコーチや仲間の存在がいたっていうのはすごく大きいと思います。
負けたからすごく非難されるとか、攻められるとかっていうような環境ではないし、勝ったからといって認めてもらって、いい関わりをもらえるとかっていうような状態ではなかったんですね。
勝ったとしても負けたとしても、しっかり認めてくれるようなコーチや仲間がいたっていうのはすごく大きかったんじゃないかなと思いますし、
コーチ自体もそうですね、その人その人の能力とか特性とか性格とか身体的な特徴ですね。
そういうのに合わせて、戦略を一緒に考えてくれるコーチだったんですよ。
で、しかもそれを認め合う仲間っていうのがいたっていうのもすごく大きかったんですよね。
この人はこういう戦術で、こういう特徴があってっていうのをそれぞれが、コーチもそれを認めているし、そして一緒にどうしていったらいいかの戦略を考えて指導してくれるし、
仲間たちも、一緒にやっている仲間たちも、その人その人の良さとか能力とか特性とかをちゃんと尊重し合うみたいな、そういう関係性ができてたので、環境としてはそういう環境の中でやれてたっていうのも大きいなと思います。
じゃあそうですね、そのプロセスとか、結果としてはどういう状態だったかっていうと、
その卓球をやっていて、日々本当に12時間近くとかバリバリやってたんですよ、休みの日とかだと。
平日とかももう学校の部活をやって、その後に夜練習に行くみたいな、そういう感じでやってる日もあったりして、
そんな感じで本当にもう卓球をやって、何度も何度も練習を重ね、そうやってどんどん力がついていくとか、やってること自体がすごく楽しいとか、
いろんな技ができるようになるとか、そうやってできることも増えていったりして、試合もいろんな戦略を自分なりにも立てたり、コーチと一緒に立てたり、
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そうやっていろいろ試行錯誤してやっていくのが、もうそれ自体が楽しいんですね。
なのでプロセス自体が楽しいっていう状態で、もっともっとやりたい、もっともっといろいろ試してみたい、やってみたいみたいになるし、
プロセス自体がすっごく楽しかったし、そうやって自分のやりたいっていう原動力でやっていって、コツコツやっていったら、
結果的に、結果というか成果ですね。成果が、振り返ってみると成果がついてきたよねっていうようなイメージでした。
なので楽しくてどんどんどんどんやればやるほど、成果も出てくる、ついてくるなっていう感じ。
で、その時に、例えばそのやっている時に、その時は成果がついてこなくても、もうすでに練習しているその日々が満たされているというか。
で、さらにそうやって何かの大会とかで試合をして勝ち上がっていけるようになったら、それもそれですごくやっぱり楽しいし、っていうような感じですね。
なのでプロセス自体がすごく充実して楽しくて満たされている。
だからこれだけ満たされて一生懸命充実して練習をして積み重ねていって、最終的にそこで目標だった東北大会に出場できなかったとしても、これぐらいまでやれてたんだから本当に自分たちはよくやったよねって最高だったよねって思えるぐらいの日々を過ごす。
それぐらい日々の時点で満たされているっていうような状態だったんですね。
で、最終的には目標だった東北大会出場っていうのも果たし、さらに目標のさらに上の東北大会で一勝する。
県の代表として出て、東北6県の中での県の代表の人たちと戦って一つでも勝つっていうことができたっていうのも目標以上だったんですね、それは。
で、そうやって目標で立ててたところ以上の結果が最終的にはついてきたっていうような状態でした。
で、それをじゃあもちろん目指してはいたけれども、なんかそれがないと自分たち、それが達成できないと自分たちはダメだっていうような感じではなかったんですね。
むしろ逆で、日々の時点でも自分たちは本当にすごく楽しんでやりたいからやって、そのために必要なこともコツコツ続けていて、もう既に充実感、満足感、満たされている感じがあった、あるっていうような日々を送っていて、
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その中でそれをやり続けていった先に、自分たちの立てた目標以上の成果が出たっていうような、そういうプロセスと結果だったと思います。
で、その時の立ち振る舞いはどうしてたかっていうと、もうちゃんと自分のことを信頼してたんですね。私自身が。
で、私なら大丈夫っていう自信がちゃんとあったし、しかも私たちなら大丈夫。
トーク大会に出場したのは団体戦で出場したので、チームとして私たちのこのチームなら大丈夫って、自分もそうだし、自分たちの仲間も信頼してっていうような状態でした。
そうやって自分も周りのその仲間たちも大丈夫だし、大切な存在だっていうふうに常に感じられる状態だったんですよね。
なので、卓球をやっている時に、自分はダメだとか、全然チームの役に立ててないとか、そういった自己否定の感じがほとんどなかったんじゃないかなと思います。
ちょっとスランプに陥った時だけ、自分はもう全然ダメだっていうふうにちょっと思ってしまった時期ももちろんありましたが、
でも全体を通してそれがほとんどだったかというと、その時期の方がほぼ少ないっていうような状態だったんですよね。
しかも立ち振る舞いとしてはどうだったかというと、選手としてすでにトーク大会に出たとしても、
あと県の予選ですね。県に、県大会の方に出たとしても、もう県の方にはですね、県のその一番上位に来る、優勝する学校って決まってたんですよ。
それはどこかっていうと、具体的な名前は伏せますが、もう本当に、他の都道府県のめちゃくちゃ強い、スポショーからやってきためちゃくちゃ強い選手を集めるような学校、私立校ですね。
私立の学校が県で1位を取る、しかも県だけじゃなくて、東北の方でももう本当に上位1位や2位を取る、で全国に行くっていうようなレベルの学校と一緒に戦ってたんですね。
なので、もうすでに選手として全国レベルの人と相対する機会があったんですね。ありがたいことに。
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だからこそ、東北大会へ行ったから、東北大会とか全国とかに行くような人たちの立ち振る舞いをするよねっていうことではなくて、すでに全国レベルの、全国レベルで戦うような人がもう県の時点で、県大会の時点でいた。
そういう人たちがゴロゴロいる中で一緒にやっていたので、すでにそういう自分が目標としている、目指しているようなことを叶えているような人たちと相対することができたがゆえに、それをもう叶えている人たちと同じ立ち振る舞いをするっていうことですね。
本当に諸さんもそうですし、挨拶もそうですし、試合との向き合い方とかですね、相手への敬意の払い方みたいなところも、すべて全国レベルでやっている人たちと同じ立ち振る舞いを、もうすでに東北大会出場を果たしたかのように、
本当に地区予選、県のもっと前ですね、の地区予選の時から私たちはずっとやっていたんですね。
で、そういう立ち振る舞いで、だから何というか、自分が目指すところを叶える前から、もう叶えている時の立ち振る舞いをするっていうようなこともずっとやってきました。
で、こうやって見た時に、今までの自分の語学習を書き換えていったり、自分の立ち振る舞いをどうするかっていうのを考えていった時に、
なんかこの中学校での経験ってめちゃくちゃ大きなヒントになるんじゃないかというか、すごくいい経験をしていて、その中学校で経験したことをむしろ本当にそれを活かして、
今この瞬間から自分に反映させていったらいいんじゃないかっていうふうに、いろいろ棚下ろしをして思っています。
はい、というわけで、今日はですね、ちょっともう40分ぐらい喋ってしまったんですけれども、はい、もういっぱいモリモリ喋りましたが、そうやって自分自身がどうしても反骨心を持って、負のエネルギーを燃やして、
なんとか成功をつかむ。成功することによって尊厳を踏みいじってきた親に対抗するというか、対抗して自分を守るみたいなことをずっとやってきた。
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結局そうやってやってきたんだけれども、それをやり続けていったら、成功イコール自分の存在価値になってしまっていた。
そういうふうに成果とか成功とか何か成し遂げることと自分の価値っていうのは、本当は別にセットにしなくていいものなんだけれども、セットになってしまっていたので、そのままの自分を自分で認めることができにくくなってしまった。
自分の存在価値っていうのを感じることができなくなってしまっていたっていうところですね。
そういうところで2つご学習をしていた。自分の価値を信じるためにはやっぱり成功が必要。見返すためには成功が必要だし、成功のためには反骨心で見返してやるっていうような燃料を燃やす。
燃やして頑張って成功を手にするしかないんだっていうような、この2つのご学習を重ねてきたっていうところですね。
それをどう書き換えていくかっていう風になると、私の中学校でやってきたその部活の経験っていうのが、これってもしかしたら今後の自分にとってすごく大きなヒントになる経験なんじゃないかなっていうところで、それを棚卸ししてみました。
結構長丁場になったんですが、ここまで聞いてくださった方は是非、いいねボタンを押していただけると励みになります。
あとですね、最後にちょっと余談パートを久しぶりに入れて今日は終わりにしたいなと思います。
今お盆期間のお休みで夫が休みでいるんですけど、昨日はですね、夫が1日リフレッシュをする日ということで、朝からですね、夫は一人で出かけ、岩盤浴のあるスーパー銭湯に行ってすごく楽しんできたようです。
で、ただなんか、やっぱりこう、家族でいる時間がすごく楽しいなって夫は一人で過ごしている時に思ったみたいで、やっぱりなんかそうやって自分の楽しいこととか嬉しいこととか、いろんな感じたこと思ったことを、
家族と共有し合いながら、そうやって過ごすっていう時間がかけがえのない時間なんだなっていうふうに夫は、そのリフレッシュの日があったことによって思ったようです。
ちゃっかりね、ちゃんとバッティングセンターにも寄って100球以上バッティングをして帰ってきたようで、手の顔がしっかり向けていましたね。
そんな風に楽しんでいて、今日はですね、バトンタッチをして、ちょっと午前中は一緒に片付けしたいということで、いろいろそういうことをちょっと私自身がどうにかしたいなっていうところもあったので、
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そういうふうに一緒に家の中のことをやり、そして午後からは私が張り球を受けてるんですね。
その自分のメンテナンスのために時間を使うっていうことと、プラス私は3号カフェにゆっくり行けた時間が全然なかったので、
3号初の米田コーヒーに行ってきましてですね、ゆっくりコーヒーを飲みながら、いろいろノートでいろいろ自分のことを深掘りするのを書いたりとか、
あとチャッピーとですね、チャットGBTですね、チャッピーとちょっと壁打ちをしたりとか、そんなことをして時間を過ごしてまいりました。
もう一人の時間大好き人間なので、すごいもう一人の時間をこうやってカフェでゆっくりとれるのは最高だなって思いながら、
その一人時間をねゆっくり楽しんできたんですけれども、そんなような感じでちょっとまたね、こう夫婦で交換しながら、
リフレッシュ時間っていうのをまたもうけようねっていう話をして、このお盆休みのリフレッシュ日っていうのを夫婦それぞれに過ごしてみました。
これまた続けたいなーって思いましたね。
で、なんかでも夫は、それもいいんだけど、俺は飲み会にやっぱり行って、誰かといっぱい話して帰ってくる方がいいかもって言ってたので、
はい、またこうちょっと一日がかりでリフレッシュというよりかは、夜の時間に夫は飲み会でリフレッシュ。
私は昼間の時間にカフェに行ったり、私も友人とかと一緒にご飯に行ったり飲んだりっていうので、リフレッシュみたいな感じに今後はなっていくのかなと思います。
はい、リフレッシュ大事ですね。ということで、今日はそんな風にして過ごしておりました。
そんな感じで、余談パートもお聞きいただきありがとうございました。
特にね、オチはございません。あのリフレッシュって最高だなーって思ったっていう、そんなお話でした。
はい、それではまたお聞きください。
それではまた。