親との関係の再評価
おはようございます。ライフコーチのえりこです。
私は小学校1年生の双子と、生後6ヶ月の赤ちゃんの3姉妹を育てながら活動をしているライフコーチです。
今日のお話はですね、前回に引き続きまして、先日私のマイコーチと対談を取らせていただいて、
その中で、私は今までずっと親に中指を立てて、それを原動力にして頑張ってきた。
で、そこで頑張ってきて、何かしらの成果が出ていて、その成果をもとに認めてもらう。
ある意味、条件付きで親に認めてもらうっていうようなことをずっとしてきて、
もう今、中指を立てる相手、親も離れて暮らしていますし、私は私で家族がいて、
その家族には尊厳を親のように踏みにじられるみたいなことがなく、
もう中指を立てる必要がないにもかかわらず、中指を立て続けているよねっていうようなところに気づきまして、
そこをね、今いろいろ深掘りをしております。
で、今回はその時の幼少期からのですね、当時の親との関係とか親からの関わり
っていうのを、ちょっと捉え直してみたいなと思っております。
それではですね、今6時20分にもうちょっとでなるところなんですけれども、
朝方の産女の授乳が終わって、なんかすごいキャッキャッキャーって言ってたんですけど、何かもう1回寝るようで今その寝かしつけも終わりまして、
よし、これってもしかして今朝ラジオを撮れるのではということで、はいこのチャンスめったにないぞと思って今このように撮っております。
では本題のお話に入る前に、先に告知をさせてください。
ただいまミニ体験セッション企画というのを実施しています。
特に、家族とのコミュニケーションですね。家族間でのコミュニケーションをもっと、よりよく、家族とのコミュニケーションをとっていて心地がいい、その関係性をもっと築いていきたいとか、
関係性自体をもっと、より変えていきたいなとか、
それからですね、家族間の中でも特にパートナーシップをより変えていきたい、もしくは子供との関係っていうのをもうちょっと見つめ直したいとかですね、
あとはパートナーと子供との関係性っていうのも何か自分ができることってないんだろうかとか、
そういったところで悩みを持たれている方、それから他の人間関係、友人との関係もそうですし、それから職場での人間関係とかもそうですし、
やっぱり人の悩みっていうのは人間関係っていうのが大半だというふうによく言われていますが、
その中で、どのようにその相手との関係性を作っていったらいいかとか、コミュニケーションをとっていったらいいかっていうところでもし悩まれている方がいらっしゃれば、
一緒にお話をしてみませんか。
お話ししてみたいな、ちょっと具体的にまとまってはないんだけれども、
ちょっとそのモヤモヤしているところを一緒に紐解いていきたいなと思われた方は、
私のこの放送の概要欄に公式ラインのリンクがありますので、そちらからご登録の上、「ミニ体験セッション希望」と一言メッセージを添えてお送りいただければなと思います。
子育て中の方は大歓迎です。私自身も3姉妹の子育てをしながらこのように活動していまして、
実際に過去のクライアントさんでも、お子さんがいらっしゃる中で、お子さんをなかなか預けられなくてっていう方も、
お子さん、例えばお昼寝している時間とか、あとはお子さんが好きな遊びちょっとやっている間にお話できないかなって相談をしてくださった方もいらっしゃいます。
そういうのも大丈夫です。そこのところはお子さんの様子に合わせながら、一緒にそのセッションでお話できる機会というのを設けさせていただきますので、
もしちょっとお子さんを預けられなくて話してみたいんだけどできないかなというふうに、
自己認識の形成
もし不安になられている方がいらっしゃれば、大丈夫なので、ぜひお問い合わせいただければなと思います。
というわけで、では本題に戻っていきたいとおもいます。
それでですね、そのマイコーチとの対談と、それから前々回とですね、
①②ということで、私が親との関係をいろいろ捉え直してみたり、もうちょっと深掘りをしてみたりっていうところをやっているので、
詳しい内容については概要欄の方にリンクを貼っておきますので、そちらを聞いていただければなと思います。
で、今回はですね、私が昔から、むしろ今現在も、もう親とは距離を、物理的にもそうだし、もう家族としても別家族になっていて、
別の、ちゃんと世帯を持っていて、ちゃんと私には、私の尊厳を踏みにじることなく、ちゃんと一人の人間として尊重してくれる大事な家族、夫や子供たちがいるにもかかわらず、
引き続き、私は親にずっと心の中で中指を立て続けているっていう状態。
で、そこのところをちょっと紐解いていくときに、当時の親との関係性とか関わりを捉え直してみようと思ったんですね。
で、特に私の中で強く記憶に残っている、もちろんたくさんポジティブな記憶も、嬉しかったこととか、楽しかったこととか、そういうポジティブな記憶もありますが、
今回その中指を立てているという状態なので、ということはどちらかといえばポジティブというよりかは、ちょっと負のマイナスのような印象ですよね。
そういったものがあるよねっていうことを、もうちょっと捉え直していきたいなと思います。
この出来事、その経験があったからこそ、自分の中で培ってきた力とか、力かな能力というかですね、そういったものがあるよねっていうことをもうちょっと捉え直していきたいなと思います。
それではですね、過去の親との関係や関わりっていうのを、今その中指を立てているっていうところで関連したものを挙げてみると、まずやっぱり親は子供の私に対してかなり過干渉だったのではないかなと思います。
子供の意思を第一に尊重するというよりかは、どちらかといえば親の言う通りにしなさいというふうにコントロールを基本的にはしようとして、
子供の意思を尊重すると言っても、子供が親の意思を考えた上で、こういうふうにしたいなって言ったことで、親のジャッジがOKっていうふうになれば、その子供が言ったことも尊重する、みたいな条件付きの承認や尊重だったんですよね。
それからそうやって条件付きで認めるけれども、そうでないところは怒ったりかなり否定をしたり、それはありえないみたいな、そういう感じで怒ったり否定をするっていうような反応を必ずしてくる。
それから、親が思う理想とか親の望みですよね。子供にこうなってほしいとか、こういう職業に就いてほしい、こういう子供であってほしい、みたいな、そういう親の理想とか望みを子供にぶつけることによって、
一種の親がこれが正解、これがいいよねって思っていることを、そのまま子供で叶えようというか、それに従わせよう、押し付けようとしている。
親からしたら、それが愛情というふうになっていたのかもしれませんが、子供の受け取る私からすると、それはただの押し付けで、親の言う通りにしなさいというふうに従わせるような、コントロールするような、そういう関わりに捉えられていたっていうところですね。
あとは、しょっちゅう祖父母と両親が喧嘩したり、両親が夫婦喧嘩をしたり、っていうようなことが常によく頻繁にあって、全員一家が揃うと空気が基本はピリピリするみたいな状態だったんですね、いつも。
時に土豪が飛び交ったりとか、自分自身はあまり関係ないんだけれども、関係なくても、お前も関係あるんだ、みたいな感じで、怒りの矛先が自分にもくる、攻撃が飛んでくるみたいな、そういうことも結構ありました。
あとは、その中でも、なんだかんだ私も親の思いを汲んで折れるけれども、親も私の意思が強いと思うと、折れて何かしらのサポートはしてくれたり、金銭面だったり、全力で承認してのサポートではないけれども、仕方なく諦めるしかないかっていってサポートしてくれるような状態。
あとは、かなり批判とか否定は子供に対してするけれども、だからといって全部を拒否っていう形ではなくて、少しは何かそうやってサポートお願いするとかの甘えられるような余地は一応残しておいてはくれているっていうところですね。
そういうような関わりがありました。
これらの当時の親との関係やその親からの関わりっていうのを、私が記憶している範囲でこういうふうに出してみると、これらのことがあったからこそ、私の中で育っていった培われた能力っていうのもあるんですよね。
例えば、どんな能力かというと、周囲の機嫌とか反応、かなり喧嘩をしていて、機嫌が悪くて当たられるみたいなことも多かったので、そういう周囲の機嫌とか反応ですね、大人の反応とかをパッと読み取る癖とか、それをしっかり観察する力ですね。
相手の変化とかを微細に読み取ろうとするとか、そういう細かい部分まで見る観察力、しかもそれは言葉だけではなくて、言葉ではあんまり攻撃をしていないような状態でも、他の仕草や出している雰囲気とか表情とかで、
実はすごく怒りが煮えたぎっていたりとか、言語とその他の非言語で表れているもので、食い違いが大きいみたいなこともめちゃくちゃあったので、
それをやっぱり子供流れに微細にその変化とか、そういうのを読み取る力っていうのは、おかげでついたんじゃないかなと思います。
そうですね、言葉ではいいよって言ってるけど、他の表情や仕草や出ている雰囲気が明らかにいいよっていう承認の状態じゃないけど、もうすごいちょっと半分怒りに満ちてるけどいいよって言ってるとか、なんかそういうのを微細に読み取るみたいなのはやっぱりあったなと思いますね。
言葉をそのまま受け取らないというか、そういう力がついたのかなと思いますし、それに近いですが、やっぱり小さな変化とかその場の空気感っていうのを察知する力。
しかも次、この調子でいくと今までのデータからいくとこんな展開になるであろう、みたいなことも予想するっていうような力もついたと思います。
場の空気を読む力
なので、例えば場の空気的に、この感じでいくとこのままだと母親が多分思いっきりまた怒り出すであろう、そしてそれもそうだし、このままでいくと多分祖父母がこんな風に怒り出すであろう、みたいな。
これはまずい、危機的状況になるかも。じゃあそうなる前に、例えば同居を演じて、ちょっと面白いことを言う感じにして、場を和ませようとかですね。
なんかそういう感じで次の展開を予想して、自分の行動をちょっとバランスをとるみたいなことをやったりとかですね、そういうことも小さい頃から培われてきた力なんじゃないかなと思います。
あとは相手が求めていることを読み取ろうとする。それはやっぱり先ほどの力ともちょっと近くて、しっかり観察した上で、例えば言葉ではこういうふうに言ってるけど、多分その奥にある気持ちとしてはこういうふうにしてほしいんだろうなとか、
そういった求めていること、要求みたいなのを言葉で言ってるのとまた奥で思ってるの違うよねっていうのを、なんかこう子供心にわかっていて、それを読み取ろうとする力みたいなのもついたかなと思います。
で、そうやって行った時に、場の空気とかも読むので、その中でこの場をどう収めていくかっていうのを判断して、その状況によってその行動や振る舞いを変える。
あとは急に何かちょっとこれは急に雲行きが怪しいぞみたいな状態になった時にも、それに変化するような適応力というかですね、そういったものもあったのかなと思います。
あとはですね、本当に親からやりたい、これをやってみたいとかこういうふうに思ってるって言った時に、それに対してそのまま受け止めてもらうこともありましたが、結構反対されたりとか否定されたりっていうことも多かったりしたので、
その時にその親の反対とか否定を押し切るための何か根拠とか否定されたり批判されたりするのがデフォルトだったので、それを覆すための戦略というか、何かそうやって覆す根拠とか戦略っていうのを立てて、
親に対して自分の意思とか要望とかを伝えたり、なるべくそれを通そうとするみたいな、親のただの言いなりにはならないぞっていうのを示すとか、何かそういうことをやる力、根拠をつけて戦略を立てるとか、そういう力も育ったし、
それがあったからこそ、どうやったら自分の意思とか要望を通せるかっていうのをやっぱり考えていろいろやっていたので、そうするとやっぱり相手の価値観とか考えを丸ごと否定していては自分の要望って通せないんですよね。
なので、相手の価値観とか考えとかですね、そういったものをしっかり受け止めて、それを考慮した上で自分の意思とか要望をどうやったら通せるかっていうのをひたすら考えてトライアンドエラーをしていたので、そういうコミュニケーションとか交渉する力みたいなのは、そこをやり続けてついた力なんじゃないかなと思います。
ここちょっとAIで壁打ちしてみたら、条件ですね、相手が譲れない条件、価値観とか大事にしている考えとかありますよね。
そういう相手の条件を読み取った上での交渉力、条件読み取り型交渉力っていう風にね、AIではなんかフィードバックをくれました。
あとは、そういうかなり否定してきたりとか受け止めてもらえないような相手だとしても、付き合っていかないといけないですよね。子供のうちは特に。
どうしてもその親元から自分の意思で離れるみたいなことは、なかなか難しいわけです。
親にもね、保護して育てる責任というものがありますし、子供も自分の意思で勝手に出ていて、
全くできないわけではありませんが、やっぱり親元で育つ、親の援助を受けて育つしかないわけですよ、まだ当時の幼少期の自分は。
自己実現への努力
ってなった時に、その状態で親と付き合い続けなくてはいけないので、どうやったらその親と付き合い続けられるかみたいな形を探す。
ただ断絶したりとか、ずっと対立してるだけじゃなくて、どうやったらその親と関係性を築けるかみたいな、そういう関係を維持するような交渉力もあったんじゃないかというようなAIからはフィードバックをもらったんですけど、確かにそうだなと思って。
どうやったらその相手の条件を大事にしつつ、自分の意思とか要望を通せるかみたいな、そういう交渉力、そして相手との関係性を維持していく落とし所とかですね、そういったところを探す力みたいな、そういうのも培われたと思います。
あとは、かなりリスキーなというか、大人同士がめちゃくちゃ喧嘩を日常的にしている家だったので、喧嘩しているとその日の子がこちらにも飛んでくることが多々ありまして、
そうすると、なんかここでこういうことしているとリスクだな、例えばそうですね、大人同士が喧嘩していて、そこに私が子供の時に、例えば宿題をやらないでそのまま遊んでいたとか、あとはそうですね、おもちゃをそのまま出しっぱなしにしていたとか、
何かその、怒っている家族の大人たちが、多分その状況を見た時に、怒りの矛先が、日の子がポンと飛んできて、なんかそっちが燃えちゃう。
なんでおもちゃ片付けてないんだとか、なんで宿題やらないで遊んでるんだとか、そういう形で、これをやっておくことによって、多分今この状況ではリスクだよねっていうようなのを読み取って、それを回避しようみたいな力もついたんじゃないかなと思います。
あとは、その相手によって、近づき方とか話し方とかを、いろいろその時によって何が適切かを考えて変えていく力っていうのはあると思います。
関係のバランスをとったりですね、っていう力もついたんじゃないかなと思いますし、あとは、そうですね。
あとは、大人からの条件がやっぱりあるわけで、その条件のもと、制限があったりとか、何か否定とかがあっても、その中でどうにか認められる、認めてもらう形を探して、
それを認めてもらうにつなげられるように、結果を持ってくる、結果を出す、みたいなことをやり続けていたので、そういう何か制限とか、そういう何か条件とかそういうのがあっても、その中で力を発揮して、どうにか承認という形に持っていく力っていうのはついたんじゃないかなと思います。
なんか否定されたりとか制限があるからできないよね、ではなくて、そういう制限とか否定があっても、どうにか認めてもらう認め、承認を得られるように、策を講じる、行動をする、みたいなこともあるんじゃないかなと思います。
あとは何よりも、自分がやりたいことをそのまま言って、そのままなるべく叶えてもらえる、みたいなことなかったんですよね。
例えばこういうところに出かけたいって言っても必ず否定はされるし、ちょっと日常の、例えばじゃあ、そうですね、なんか本当に夕飯とかも、これが食べたいって言っても否定されるのは当たり前なんですよ。
日常茶飯時、なぜなら本当にね、祖父母の影響力がめちゃくちゃ大きい家だったので、なんかこういうのが食べたいって子ども心に言っていても、そのリクエストを聞くどころか、子どもが何でしゃばっているんだと、大人に合わせて生きていくんだ、お前らはぐらいの感じだったんですよね。
なので夕飯のメニューだって大人が、特に祖父母の権力が強かったので、祖父母の食べるもの、祖父母が好むものを中心に用意するのが当たり前なんだと、子どもはそれを黙って食べなさい、みたいな感じが当たり前。
昭和とか平成初期とかそういう考えが当たり前だったんだと思うんですけど、それをそのまま我が家もその考え方が主流だったので、子どもが意思を尊重するなんておこがましいぐらいの感じがやっぱりあったんだと思うんですけど、
そういう感じで日常的に自分がこういうふうにやりたいとか、こういうの食べたいって言ったとしても、それは大人に合わせなくてはいけないことで、子どもの願いを叶えてくれるみたいな状態ではなかったんですね、家の状態が。
なので、それは親だけじゃなくて祖父母も入るので、本当にその家の大人たちがそういう状態にならざるを得なかったっていうのはあると思います。
親としては子どもの希望を少しでも叶えてあげたいという思いもあったのかもしれませんが、どうしてもその構造として大人が絶対です、みたいな状態で子どもの願いを叶えてくれるとか、子どものやりたいを叶える状態ではなかったっていうような、ちょっと長くなっちゃったんですけど、
その前置きを言った上で、そうすると自分がやりたいことってなかなか叶えることができないわけですよ、日常的に。
そうするとやりたいことを叶えるってなった時に、これならやれる、よしやりたいっていうことを見つけて、しかもそれを叶えられるかもしれないっていう状況になったら、努力を惜しまないんですよね。
やっぱりね、常日頃いろんなやりたいことを叶えてもらえる環境ではなかったっていう状態だったからこそ、得られた力なんじゃないかなと思います。
やりたいことがあってもちょっと大変だからやめておこうとか、そうですね、なんかちょっとうまくいかないかもしれないですけど、
もう本当にやりたいことをやれる機会がそもそもないから、日常でも小さなやりたいことも叶えられるみたいな状態じゃないから、やりたいことを叶えられそうかもしれないって思った途端に、もうこれは努力を惜しんでいられない、もうこの機会はもう二度と訪れない、
みたいな、そういう危機感もありながら、その力がある、その状態だったからこそ、そうやってやりたいことを叶えるために粘り強く行動を積み重ねるみたいな状態だったんですよね。
はい、というわけで、もうそれだけ喋っていたらめちゃくちゃ長くなったんですけど、
はい、というわけで、もうそれだけ喋っていたらめちゃくちゃ長くなったんですけど、そんな感じで、今までの関わりっていうのは、今までの親との関係っていうのは、
というわけで、もうそれだけ喋っていたらめちゃくちゃ長くなったんですけど
そんな感じで、こう今までの関わりっていうのは
今までのその親との関係性とかそういう関わり
親、祖父母も含めてですね
そういう家族の大人たちとのそういう関係性があって
関わりがあったからこそ
そこの中で自分がどのように
ついた力たちだったんですよね
過去の振り返りと自己成長
今こうやって喋ってみても
かなりたくさんの力がつきました
しかもそのついた力の中で
今後も生かせる力
今もその力が生かせているし
さらに今後もその力が生かせるっていうような力って
たくさんあるんじゃないかな
というふうに思いました
さらに今後もその力が生かせるっていうような力って
たくさんあるんですよ
なので実はそうやって中指を立てていて
今もずっと中指を立て続けている状態だけれども
実はその中指を立て続けていた
そんな状態、そんな関わり、そんな関係性があったからこそ
ついた力っていうのがあるっていうところですね
なので今日はそんな力がついた
っていうふうに捉え直してみると
実は自分の過去を振り返った時に
あの時あんな風にしてすごく嫌だったとか
嬉しかったとかもそうですけど
その当時を振り返った時に
いろんな感情は出てくるとは思いますが
それがあったからこそついた力とか
そうですね、なんかそういうのがあると思うんですよね
なので私自身もこうやって話していて
中指は立ててはいるんだが
なんかその当時のことを今も
そうですね、なんかもうあれはあり得ない
だから嫌だみたいな
ただ当時を嫌だなって否定しているっていうよりかは
そうではなくて
なんかそれがあったからこそ
なんか今こうやって
生かせる力ってたくさんついたんだなっていうふうに
捉え直すことで
なんかその当時が
ただ嫌だったとか
ただ苦しかったとか
そういうので終わらない
でむしろ
それがあったからこそ
今の自分のこの力がついているんだな
むしろあの当時
あの環境があって
そしてそれにへこたれず頑張った自分がいて
ありがたいなというふうにも思います
それがあったからこそついた力なので
なかったらまたどうなっていたんだろうってやっぱり思いますし
人生を何度も何度もやり直す
やり直すというか
その当時に戻ってやり直すことはできないので
過去を捉え直してみると
実はただ嫌だったとかそういうことではなくて
その当時
そういうふうにちょっと負の思いがあったけれども
それがあったからこそ
自分の中で培われた力があるっていうふうに捉えると
またその今までの経験というのを
未来への展望
振り返りができるんじゃないかなと思います
はい
はいというわけで
今日は
過去のいろんな出来事を振り返った時に
特にその親に親に中指を立てるというところでしたが
そこを振り返った時に実は
自分の中で
過去そういうことがあったからこそ培った力があるよね
っていうような捉え直しができるなと思ったので
今日はそのお話をしてみました
最後までお聞きいただきありがとうございました
今隣にはですね
双子のうち長女がですね起きてきて
私の隣にいて今
ラジオ終わったって言っておりますね
最後この締めだけラジオ撮らせておくれって言って
今隣にいる状態なので
この後はゆっくり朝ごはんを一緒に食べようかなと思っております
では最後までお聞きいただきありがとうございました
それではまた