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こんにちは、つぶつぶです。
いや、今日、今本当につい1時間前かぐらいまで、久しぶりにコーチとですね、セッションをしました。
約3ヶ月ぶりでしたね。
で、そこでお話ししていて、
その前に、自分でもちょっと、
ああ、なんかこのお休みの期間って、実はこういうことを気づけるために必要だったんじゃない?っていうような思いがあり、
それをコーチに話してみたら、コーチもそう思うってお話をいただいて、
さらに深掘っていくと、1つ、これって本当大事なことよねっていうものがあったので、
ちょっとそれを感動とともに、ちょっと共有したいなと思って、ラジオを撮っています。
で、その大事だよねっていうのは、
そもそも、今の自分の願い、本当に本音ベースの、自分の無意識下にあるような本音ベースの自分の願いを反映しているものが、現実で起こっているよっていうお話なんですよ。
その願いがあって、その願いを叶えるために、現実が起きているよっていうことなんですけど、
で、それを言われたときに、
例えばこう、辛い経験とかは、なんで私ばっかりこんな目に遭うの?みたいなことが例えばあったとするじゃないですか。
で、それって、ぱっと、それっていたしかたないよねってだけ流すっていうこともできるんですけど、
あとは、流すだけじゃなくて、自分でなんでこんな風になっちゃったんだろうって、
自分のこれがダメだったんだとか、逆に相手とか周りのこういうのが良くなかったんだとかって、
いうふうにいろいろこう、思考がぐるぐるぐるぐる回るっていうことあると思うんですけど、
そもそも、例えばその辛いことがあったときに、
実は、本当意識に昇ってない本音の部分では、
そういう辛いことを望んでるんですよね。
それが必要だから、その本音ベースの願いを叶えるために必要だから、その現実が来る。
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その現実が起こるっていうことなんですよね。
で、それ言われて全然ピンとこなかったんですよ。
その言葉を言われたわけじゃないんですけど、コーチとか、あとは夫にも、
そもそもさ、これってあなた本当にそれ願ってることなの?って本音ベースで違くない?っていうようなフィードバックを、
コーチからも夫からもしてもらってたんですけど、私その言葉が全然受け取れなくて、
いやいやいや、自分が思っている理想はそうじゃないですよ。
私が思っている理想は、こういうふうにありたいっていう理想ありますよ。
それ本当に願ってるんですよって口では言ってたんですよ。
でも無意識の、本当に奥底の本音ベースでは、
その理想じゃない理想を叶えるべく望んでいるから、
それの通りに現実が来ていたんだっていうことに、ようやっとこのお休み期間を経たことで気づきました。
で、これって本当に言われただけじゃわかんないなーって、自分自身がすごく思います。
で、やっとこうやってお休み期間を経て、なんか自分でも、あれおかしいぞ。
なんでこんなに自分が望んでいるものと違うものになっていくんだろう。
なんかおかしい、なんかおかしいと思っていたんですよね。
で、なんかおかしいなーって思っていて、お休み期間を過ごしてパッと急に、
あれそれ私、本当は意識的には違うことを望んでいても、
本当は本当の心からの本音では、実は全然違うことを望んでたんだっていうことが、
気づけたんですよね。
で、今日のセッションでもそういうお話をして、やっぱりそうかーっていうことに、
すごく腑に落ちて、やっとやっとコーチからたくさんフィードバックいただいてた言葉、夫からももらった言葉が、
やっと受け取れる段階に成長したなって思いました。
で、ちょっと具体的に少しだけお話しすると、
コーチから自分自身が、じゃあどんな風に、どんな願いがあるんだろうとか、
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どんな風に生きられてたらいいんだろうっていう話を問いをですね、もらった時に、
私はとりあえず生きるのが楽しいって思える。
今パタッと亡くなってしまっても、もう1日1日が楽しいって思える。
そうやって生きるのが楽しいっていう風な、
そういう生活、生き方がしたいって言ってたんですよね。
そこにもうちょっと掘り下げると、
例えば他の人からは辛く見えたり、いろんな困難があったよねとかあるよねって言われても、
自分自身はすごい楽しいって思って笑っていられるみたいな。
で、それが願いだったんですね、私が口にした。
で、それコーチに、今その願いって叶ってるんじゃないって言われて、
ああ、確かに。
辛く見えたり、困難があるとか、辛いとか、
そういった中でも楽しいって思いたいということは、
辛いとか困難だっていうようなことが起こらないと、
自分の願いとして叶えられないから困るのよ。
だから、その辛いとか困難っていうのを一緒に引き起こすようなことをして、
困難を求めていかないと自分の願いが叶えられないから、困難を求めていってんだよねっていう話になりました。
なるほどなあと思って、そうなんですよね。
自分の願いの中に、人から辛く見えても、困難の中でも楽しいって思える。
だから、困難とか辛いって思えるようなことが起きないと自分の願いは叶えられないんですよ、今の。
で、そこが分かって気づけた時に、
ふとあれ自分自身は、なんかすごい困難を求めがちだったんだなあっていうことにも気づけたし、
これから先の、本当に自分が理想だなって思う自分に困難って必要?って思った時に、あれいらないって思ったんですよね。
なんかそこの困難とか辛いっていうのはもういらなくて、
別にそこは、そこにこだわる必要ないなあって思ったんですよ、自分自身で。
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そうしたら、やっぱり生きるのが例えば楽しいっていうものだとしても、その具体的な中身が、辛くても困難でも楽しい。
ではなくて、本当に理想としたいものが、困難がなくても、全然困難っていう文字すらなく、
また違う具体的な形の願いっていうのが、見えてくるんじゃないかなあって思います。
で、そういった願いがあるからこそ、それに伴う、それを叶えていくような現実っていうのがついてくるので、
それでいくと、その願い、もう困難っていうのいらないなあ。
じゃあ違う願い、じゃあ具体的にどんな風に生きるのが楽しいっていうのだといいんだろうっていうのを掘り下げていって、
その願いっていうのが、自分の本当に本音ベースの下の根底の部分から書き換わっていったら、
その願いを叶えるための起きる現実っていうのも、変わっていくわけですよね。
いや、そんなことないでしょうって思う自分もいるんですけど、でも実際に自分の過去を考えてみると、
やっぱり望んだものは叶っているなあって思ったんですよね。
本当にあの社会人1年目あたりからも振り返ってみて、こうちょっと振り返ってちょっと話してみて、
あれこれ私やっぱり、こういうことをしたいっていう願いがあって、それを叶えるために私動いてるじゃんっていうことに気づいたんですよ。
で、まあ動けばもちろんそういう現実がついてきますよね。
なので、その願いっていうのを、自分はどんな願いを持っているのかっていうところをしっかり見つめ直すっていうのはすごく大事だなあって思っています。
で、ただその願いっていうのも、一見私も陥りましたが、一見なんかこういうのが理想で、こういう願いを叶えたいんだっていうものをいっぱいこう挙げて想像しがちだと思うんですけど、
実際本音ベースから願っていることが現実として叶えられてるんだなって思うので、その本音ベースで願いが、どんな願いがあるのか、そしてどんな願いをこれから持っていくのかっていうことが非常に重要なんだなって思っています。
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はい。こんな感じで、ちょっともう楽しすぎて、ちょっと興奮が冷め払わぬまま喋りました。
しかもちょっと、これは完全にもう余談パートになるんですけど、
ちょっと私、もう人と3時間ぐらいほぼほぼノンストップでこうやって対話をする、もしくは普通の会話をするみたいなのを、今ほんとはかはかして、全然体がそこまで対応しきれないとき多いんですけど、
いやー、コーチとの今回のセッションの対話は、もう終わっても冷め払わぬぐらい、もう楽しい、楽しいって一言で簡単に表すのはもう簡単すぎるんですけど、
もう言葉で表せないぐらい本当に、なんか心がそのまま動いて、そのまま踊って、もう時間っていう概念すら超えたなーっていう感覚があります。
こういう対話を積み重ねていくっていうことが、自分自身もクライアントさんとやっていきたいんだよなーっていうのを、すごい心からしみじみ思った、そんなセッションでした。
はい、というわけで、はい、ちょっとこのままずーっと興奮冷め払わぬままぶっ通しでいくと、ちょっとほんとにめまいして倒れそうなので、少しこの後は休みたいと思います。
はい、では最後までお聞きいただきありがとうございました。つぶつぶでした。