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2024-07-16 26:16

#13 アジャイルに出会って会社を起こすまで

今回からのゲストは株式会社レッドジャーニー 代表の市谷 聡啓さんです。


<トークテーマ>

 ・今やっている仕事について

・具体的にどのようなことをしているのか?

・学生時代に学んでいたこと

・新卒で始めた仕事について

・どうして今のような仕事の方向へキャリアを進めることにしたのか

・今の会社を作ったきっかけ


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サマリー

彼はアジャイルに出会い、アジャイルの実践を通じてキャリアを築いたアジャイル侍・石谷さんです。アジャイル開発に関する知見を広めるために会社を設立し、仮説検証の重要性に気づいています。その過程でアジャイルの活用方法やビジネスへの影響を探求しています。また、Web 2.0の登場以降、ブログやSNSが人々の情報交換や交流の場となり、ネットコミュニティが大いに盛り上がっています。技術ブログを通したマーケティングの有効性が高まっていることも彼は確認しています。

エンジニアコミュニティ
日本最大級のエンジニアコミュニティQiita プロダクトマネージャーの器用の
としふみです。この番組では、日本で活躍するエンジニアをゲストに
向かい、キャリアやモチベーションの話を深掘りしながら、エンジニア
の皆さんに役立つ話題を発信していきます。今回からのゲストは、株式会社
レッドジャーニー代表、市谷俊博さんです。よろしくお願いします。
市谷 よろしくお願いいたします。レッドジャーニーの市谷と申します。
おだしょー よろしくお願いします。僕は本当に改善ジャーニー、チーム
ジャーニー、正しいものを正しく作る、組織を真からアジャイにする、本当に
全部参考にさせていただいているので、本当にいろいろ今日はお話できたら
なと思っております。よろしくお願いします。市谷さんとお送りする1回目の
テーマは、アジャイルに出会って会社を起こすまで、です。早速お話の
ところに入っていきたいなと思いますが、まず最初に今やっているお仕事について
伺いたいなと思っています。結構僕の中の印象だと、本の中の人のイメージが
すごいあったりするので、今やっているお仕事についてもいろいろお伺いできると
ありがたいです。市谷 そうですね。結構やっている仕事を説明するのがやや
難しくなってきているところがありまして、何やっているんだろうなというと
ちょっといい問いになるんですけど、端的に言うとプロダクト作りですとか、新しい
事業をつくるだとか、そういったところを支援する、一緒にやっていくという
活動と、もう1つはその事業というよりは組織ですね。組織をもっといい状態に
したいとかですね。そして運営とかですね。そういったところのお手伝いをする
というので、その2つを両輪にしているようなところになりますかね。
ありがとうございます。本当にいいものをつくるというところもそうですし、いいものをつくるための組織のところも
アジャイルと組織支援
一緒に作っていく、伴奏していくというところのお仕事をされているという感じですかね。
そうですそうです。やっぱりプロダクト作りとかやっていくにあたって、もちろんチームとして
いろいろとやれるところはあるものの、そのチームがどんどんどんどん前に進んでいくためには、やっぱりその受け皿となる組織として
組織における考え方とか、文化とかフードとかそういったことになると思いますけれども、そういったところも含めてですね、やっぱりこう
プロダクト作りに適した形みたいなものに近づいていかないと、なかなか難しいかなというところがあり、組織と結構繋がりのある話になるかなと思ってます。
ありがとうございます。今お話を伺ったところ、今されていると思うんですけど、現時点でこうやっていることを今お話を伺っていろいろ分かったなと思うんですけど、
なぜここまでこういうキャリアを描いてきたのかというところを今回いろいろお伺いしていきたいなと思うので、その後にまずお伺いしたいのが、
お仕事を始める前の学生時代、どういう学生さんだったかとか、どういう勉強をしていたかみたいなところをお伺いしてもいいですか。
これは学生時代は特にプログラミングとかそういったところをやっていたわけではなくて、
違うんですね。
そうなんです。仕事に就いてからプログラミングを始めたので、学生時代は全然そういったところから無縁でして、普通の学生をやってましたという感じでして、経済学部だったんですね。
そうなんですね。
直接的には当時はあんまり繋がりがなかったですかね。
今のお話だと新卒で会社さんに入れるタイミングで、いわゆるエンジニアというかプログラマーっぽいお仕事を始めたみたいな感じですかね。
そうですね。そうなんです。新卒の時に初めてプログラマーという職業をちゃんと理解しましたし、そこから開発というものを学び始めたという感じですね。
そうなんですね。今学生時代の時は、いわゆる経済学みたいなところを学んでいらっしゃったと思うんですけど、そこからいわゆる新卒で入る会社では結構全然違うことをプログラマーというところでやっていると思うんですけど、そこでそういう業界に入ったのは何か理由があるんですか。
そうですね。これも面白い話にはならないんですけど、僕が新卒で仕事を始めたのは2001年になるんですね。2001年というのは当時結構就職するのが難しい時代でありまして、仕事がないというか仕事に就けないみたいな状況がそんな状態だったんですね。
という中で、特に専門性のない私が何か仕事に就こうにもなかなかやることがなくて、そんな中で当時ちょっと流行っていた言葉にシステムエンジニアという言葉があって、すごいかっこいい名前だし、これ物作れる仕事らしいと。
自分は文系だけで物作れる仕事もできるのかというところで、物作りの方の職業を選んだという、そんな感じですね。
そうなんですね。そこでいわゆる未経験でプログラミングというところを始めていらっしゃると思うんですけど、実際そこを仕事として始めてみて楽しかったですか。どうでした?
これは楽しかったですね。やっぱり自分次第ということになるじゃないですか。自分がちゃんとコードを書けば物は動くし、間違ったことをやっていれば全然物は動かないし。
っていうので、なんていうか、自分の手の内でいろんなことが結構できるっていう仕事じゃないですか。なので、そこはすごく楽しかったですね。
言ったら自分がどんどんどんどんいいコードを書こうとする。そのためにいろんな知識を学び、練習もするし、そういったものが直接的にその仕事に現れてくるっていうところなので、なんかやりがいがあるというかわかりやすいですよね。
なるほど、そうなんですね。当時、今のお話だと結構同じような感じで、いわゆるSEみたいな業界に入ってくるような方って多かったんじゃないかなと思うんですけど、その中で向き不向きみたいなのもあったりしましたか?同期とかを見たときに。
そうですね。たくさんの人がシステムエンジニアに群がっていた時代ですから、いろんな人がいたと思いますけど、向き不向きでいくと、実は今はもう大事だなと思うことでつながるんですけど、
やっぱり何か仕事をするときに目的みたいなんて何みたいなところを想像したりとか、ちゃんと取りに行ったりとか、他の人と会わせたりみたいなことがちょっとできてるかできてないかっていうのは結構違いになるなと思っていて、
開発プログラミングだから当然技術を知ってなきゃいけないんですけれども、でもやっぱりやってる仕事が本当にこれでいいか、あってんのか、期待通りなのか、正解になるのかみたいなことを問うていくと、やっぱり何狙ってたんだっけってところと、ちゃんと成功性取れてないと勝手にやってるだけになっちゃいますから、やっぱりそうなると、一生懸命頑張ってるけどなかなか報われないというか、結果につながんないななんてのはよくあったんじゃないかなと思います。
なるほど、確かにそれは結構今のシステム開発の業界と似てる感じはしますね。なんかやっぱりそこを本当にプログラミングって言っちゃえばただ文字を書く、やってること自体文字を書いてるだけではありつつ、やっぱりその奥にものづくりをしているっていうところがあると思うので、そこまで見れるかどうかっていうので仕事の面白さってすごい変わるんだろうなって思いました。ありがとうございます。
プロジェクトマネージャーの役割
なるほど、なんかここまで聞いてると、結構今までのこのポッドキャストでもいろいろお話を伺ってきた方たちと、結構そのキャリアのスタート的には似ているなと思っていて、ただ先ほど今やってるお仕事みたいなところを聞くと、結構その順当にプログラミングとかエンジニアリングってところをやっていくと進んでいくキャリアではないなって正直僕は思ってたりします。
なので、なんかどうしてこう今みたいなところにキャリアとして進んでいったのかみたいなところをもうちょっと詳しくお伺いしたいなと思っていて、なんかそうですね、最初まずお伺いしたいのが、今お話の中で言うと、最初こうSEとしてキャリア始めたってお話だったじゃないですか、SEとしてはどのぐらいそこからこう、なんていうんですかね、仕事はされてたんですか。
そうですね、どのぐらいでしょうね、5年ぐらいですかね、その後、いわゆるプロジェクトリーダーとか、その先のプロジェクトマネージャーとかそういったところに進んでいくんですけど、
当時思ってたのが、やっぱり自分の仕事がもっと価値あるものとかですね、人に喜んでもらったりとか、そういうところに行こうと思うと、やっぱりこうエンドユーザーとか顧客と呼ばれる人の近くにいて、そこでものづくりをしなきゃいけないなというふうに思ったんですよ。
当時の僕はずいぶん遠いところにいて、なんかこうね、顧客と話しする人がいて、その顧客と話しする人が仕事を渡す先の人がいて、その人がさらに仕事を渡す先があって、順繰りに渡す先の最後に僕がいるみたいな感じだったので、なんかこう全然エンドユーザーとか見えないんですよね。
そういう中でものづくりしても、やっぱりこれで合ってるのかなみたいな、これで使えるのかなとかってわかんないですね。間にいる人たちがいろいろこうだ、ああだと言ってくれるけど、やっぱりそれは伝言ゲームに近くて本当の価値を出してるのかわかんないし、結果を見ればやっぱり明らかになったりもするので、なのでエンドユーザーのそばに行かなきゃなと思って、そんなことを最初のキャリアの方針に置いたんですね。
それがいわゆる最初開発をしてたところからプロジェクトマネジメントみたいなところに移ったときに感じたっていう感じですか。
そうですね。
そうなんですね。
やっぱりプロジェクトマネージャーがエンドユーザーというか顧客と話をする役割みたいな感じだったので、そこに行かないといけないなと。
当時からプロマネの人はコードを書かないっていう役割になっていたので、そういう役割の違いってなるんですけど、僕はプロマネしながらコードが書けるのが最強だよなと思って、なので作るってことを持ちながらそういう役割をもっともっと顧客の方に近づけていくみたいな、そんなことやってましたね。
そうなんですね。ありがとうございます。
いわゆるプロジェクトマネージャーみたいなお仕事って今も普通にあると思うんですけど、みんながみんな、いま市谷さんがされてたお話みたいな思いを持ってるわけではないなと思っていて、
プロジェクトマネジメントそのものに面白さとか感じてたりとかそこに対して突き詰めるって方向でいろいろ頑張ってる方もいらっしゃると思うんですけど、
今の話だと市谷さんは特にエンドユーザーとの接点ってところにすごいこだわりを持っている感じがしていて、なんでそこに対してこだわりを持っているのかなみたいなところがちょっと気になりました。
この話の前半に通じるんですけど、やっぱり自分のやってる仕事が価値あったり意味あるものであるためには一人ぐらいでやっててもしょうがなくて、それを受け取る人がいるわけじゃないですか。
アジャイルの知見を広めるためのステップ
その人たちがそこに価値なり意味を見出してくれないとどうにもならないと。なので僕がそういう人たちとの距離感を縮めて仕事をしていく。
そこもやっぱりそういったところを大事にするからこそそっちに行かなきゃいけないかなっていうので、そんなことを選び続けてた感じですかね。
そこの思いみたいなのは結構昔も今もあんまり変わらない感じではあるんですか。
そうなんです。そこは変わらなくて。自分の立ち位置みたいなものが当然役割上あったりすると思うんですね。開発する人とかプロ真似する人とか。
そういう役割は当然必要なんですけど、そこをはみ出て飛び出していってで顧客の方に踏み出していくのが多いんですけれども、それだけじゃなくて要は役割を超えてですね。
やれてないことをもっとやっていくだとかチャレンジしていくだとか、誰もまだそこ手に出してないところに踏み込んでいくだとか、そんなことをやっていくところに何か新しい価値が見つかるんじゃないかなという思いがあって。
なのでプロ真似を目指したりとか、その後サービス作りに行ったりとか、サービス作りの中でプロデューサーをやったりだとか、それを突き詰めていくと自分で会社を立ち上げるだとか。
だからそんなふうに越境していくというのがずっと続いている感じですかね。
本の中にもすごい越境というキーワードが出てくるので、そこに繋がるのかというのを今お話し聞いていて感じました。
なるほど。ありがとうございます。
そうですね。今プロジェクトマネージャーになるところまでお話伺ったんですけど、そこからまだ今やってらっしゃることとはちょっと距離があるなという気がしてて、そこから次どういうキャリアに進んでいったみたいなのってありますか。
やっぱりいわゆる自宅開発と言われるビジネスモデルがありますけど、そこをずっとやってたんですよね。
そうするとやっぱりサービスを自分たちで考えて世の中に届けて問うというようなことの経験が当然足りないというか詰めないので、すごくそっちのバランスも取りたいなと思ってサービスを作る会社に移るということを選んだんですね。
そこでプロデューサーという役割でそれこそエンドユーザーに向けて何が必要なんだろうねというのを考え、そしてそれに向けてチームで開発していくというそんな役割をですね、になったというのが次ですね。
なるほど。じゃあまたプロジェクトマネージャーというところからエンドユーザーのところに近いところにキャリアとしては進んでいったってことですね。
そうですね。
なるほど。ありがとうございました。僕の中で言うとやっぱり千谷さんってやっぱりアジャイルみたいなところとか越境というところがすごいキーワードとして僕は印象としてあるんですけど、
そうですね。アジャイルみたいなものに出会うというか、そこに対してまた変わっていくと思うんですけどやっていることが。
そのアジャイルというところに対して出会ったタイミングとかそういうのって言ってますか?
そうですね。これは良いご質問で、これを話そうと思うとまた位置から戻らないといけないですけど、2003年ぐらいにアジャイルに出会っているんですね。
そんな前から。
そうなんです。で、要はやっぱりさっき言ったような問題意識を持っているので、良い仕事がしたい、価値あるものを生み出したいというのは結構初めの方から何となく思っているわけなんですよね。
だけど自分の力もそうだし、当時の仕事の進め方、開発の方法とかが何かあんまりその価値につながっているかどうかどうかなみたいな思うところがあると。
なのでやり方がちょっと何かもうちょっとあるんじゃないかなっていうのをこうやっぱ思って。
当時そのアジャイル、2001年からアジャイルという言葉はありますけれども、2003年頃には結構徐々に書籍という形で色々目に触れるところがあったので、そういうのを手に取り入れ始めてですね。
なるほど、今の開発の進め方の違和感はここにあったのかと。こういうアジャイルっていうものをもっと取り入れて、我々は試行錯誤しなきゃいけないんじゃないかなっていうのを思ったっていうのが始まりですね。
アジャイル開発の実践と変遷
そうなんですね、2003年。ただその当時はまだ先ほどのお話だといわゆるプログラマーっぽいお仕事をされているタイミングですよね。
当時はインプットしてもアジャイル自体をうまく活用していくみたいなところはやってらっしゃったんですかね。どんな感じだったんですか。
いやいやもうそこはですね、やれるわけないんですよ。
私だけじゃなくて、日本中の人がアジャイル開発なんていうのは都市伝説みたいな感じのところがあってですね。いいよいいよと聞くけど誰かがやったのかっていうと手が上がらないみたいな感じで、やれてなかったんですよね。
そうなんですね。
そこはみんなそういう実例とかですね、やってみたよみたいな話にすごく飢えていたし、なのでコミュニティみたいなものができて、そこでいろいろアジャイルの知見を交換していこうぜみたいな動きがあったのも結構早い段階からあったんですよね。
なので2003年頃にはコミュニティあったと思いますし。
そうなんですね。
そういう中で僕もアジャイルを学んでいきましたし、自分の学んだことを他の人とシェアしたりとかそういうので、ちょっと言葉はでかいですけど日本としてのアジャイルっていうものをみんなで頑張って開拓してたみたいな感じですかね。
そうなんですね。
そこから今のお話をインプットしていろいろまずは学んでいく作っていくっていうところをやってらっしゃったと思うんですけど、それ実際実践したタイミングっていつですか。
そうですね。いい質問ですね。実践は徐々にやっていくんですね。みんなアジャイルやりたいから。なのでやるんですよ。何のかの取り入れをするんですけれども、必ずと言っていいほど失敗をするんですね。
アジャイルでなるものでやったけど全然間に合ってないじゃんとか、全然取れ高が足りてないというか必要なものが揃ってないんだけどとかですね。すごく怒られるみたいなのをみんな等しく洗礼を浴びていたと思いますね。
なのでそれ2010年11年ぐらいまでは僕だけじゃなくてみんなそんな感じだったと思います。失敗の連続みたいなそんな状態だったんじゃないかなと思いますね。
やっぱり今の今やってるお仕事のところで言うとまさに石谷さんはアジャイルってところを実践していく上でのエキスパートであり、いろんなことを今知ってらっしゃる。何だったら僕もすごい参考にさせていただいてるんですけど、そういうところまで今はいたってるっていうところで何て言うんですかね。先ほどのエンドユーザーに近づいたっていうキャリアのお話もありましたけど、そこでどういうステップでそのアジャイルってものの年度が高まっていったか。
それで最終的には今会社も作ってらっしゃるんですけど、そこまでいけるのかみたいな。どういうステップでいったのかみたいなお伺いしてもいいですか。
そうですね。大きく2つありまして2ステップぐらいあってですね。
そうなんですね。
アジャイルって何がいいのとかですね。そもそもどういうことをそこに期待したらいいのかっていうのが作る人とやっぱり何か必要としている人の間で合ってなかったっていうのがあるんですよね。
アジャイルだったらとにかく早くて安くてうまいんでしょうみたいな感じのアジャイルのイメージがあると。
そういうことじゃなくて、アジャイルっていうのはまだよく分かってない何作るべきかよく分かってないところでもチームや関係者も含めて力を合わせて形作っていく中でだんだん何が必要かっていうのが分かってくるみたいなそういう方法だったりするという分かりにくい話なんですね。
なので何なのこれはっていうのを期待合わせをするっていうところがとても大事なんだけど作り手の方からはいいんですよいいんですよしか言ってないし必要な人からは安くできるんでしょうみたいな感じで全然なかったと。
それを合わせ込みができるようになり始めたのが2011年ぐらいでアジャイル侍という伝説的な本がありその中で紹介されているインシプションデッキという活動があってですねフレームワークがあってそういったものをみんなで一緒にやることで期待合わせを適切にできるようになったっていうのが結構大きかったなというふうに思うんです。
これが最初のステップかなというところですね。そこからスクラムに関するケースが結構増えていくんです。実例が増え始めるんですよ。それでも結構先進的なベンチャー的な企業の皆さんがスクラムをやり始めて日本でいろいろと実例が分かりやすく行き渡り始めたっていうところが大きかったなと思うんですけど。
その先にあったのがですねスクラムはちゃんとやりますとスクラムガイドに書いている通りスクラムはちゃんとやれてますよとなんですけどじゃあできたプロダクトがですねもうこれを最初の通りにまた戻るんですけどじゃあ価値あるもので意味あるものなのって言われるとどうもそうじゃないとやっぱ使われないし全然ビジネスも振るわないしみたいなことが多いわけなんですよね。
なのでちゃんとスクラムやってるのに何でこんな結果になってるんだっけというところに行き着くわけなんですよ。それが僕の時間軸でいくと2013年ぐらいがピークだったんですけどもその時にやっぱり何作るのかみたいなところってさっきもちょっと言いましたけど誰かが分かってるわけじゃなくて正解なんか誰かが見えてるような分かりやすい話ではなかったりするのでみんなで探さなきゃいけなかったりすると。
そこって今でこそ当たり前に使いますけど仮説を立てて検証する仮説検証みたいなそういう探索的な活動がいるんちゃうかみたいなところにたどり着くわけなんですよ。
会社設立とビジネスへの影響
そこはなかなかアジャイルで語ってないところだったりするのでスクラムガイド開いても仮説検証どうやりますかなんて書いてないし。なのででもそれは必要だと。だからそこを保管した形でプロダクト作りをしなきゃなっていうのでカジェを切り始めたのが2014年ぐらいからなんです。
そういうステップを通してそこも実際に千谷さんが関わりながらそういうステップを踏んできたっていうイメージなんですかね。
そうですね僕の話ですね。
今実際会社もこうやってらっしゃると思うんですけど最終的にそうやって会社っていうところにもういわゆる独立をして一個の会社に所属してそういうことをやっていくのではなくてそういうのをいろんな会社さんに啓蒙していくというか取り入れていくっていうところに対して思考が変わったのはどういうきっかけだったりするんですか。
これもいいご質問でまるで台本があるかのような。ないんですけどねここまで。さっき言ったように仮説検証今で言ったらリサーチですよね。デザインリサーチとかそういった活動が大事だよってことにたどり着いたんですけれども。
でも当時そんなですねリサーチももちろん仮説検証という言葉もですねみんな全然よくわかんないし理解がなかなか合わせにくかったりしたんですよね。それで何がいいことあんのとそれにお金使って何かいいことあんのかみたいな感じの時だったんですよね。
でそれ会社に所属してやろうとするとですねいちいちまあそれ説明しなきゃいけないしその成果がこうなんですよっていうのはある種約束しなきゃいけないっていうところがね会社の仕事にありますから。
でも自分だってわかんないしうまくいくかどうかわかんないやり方をやるわけなんで約束できないんだと。なると会社でこうやるのはちょっと難しくてで自分のやったことに結果責任を持つみたいなそういうスタンスでやるしか今はなさそうだなと思って。
それはじゃあ会社を自分で作るってことだなと。つまり自分でこう仕事を作ってでその仕事の中で仕事に取り組むと。その時のやり方っていうのは当然私が責任を持ってやらなきゃいけなくて自分が仮説検証とアジャイルでやっていく人がありますっていうのを皆さん応援いただいてやっていくんだけどその時の結果が何かちょっと重いようじゃないね。
うまくも安くも早くもないじゃんみたいなこと言われた時にそれでも背負ってどうにかすると自分でってことをやるために会社を立ち上げたって感じですね。
そうなんですね。本当にそこをやっていくこと自体の責任をちゃんと自分で取れるみたいなところまでやっていくために1個会社として独立していらっしゃるってことですね。
実際その独立されたと思うんですけど独立して最初ってその何て言うんですかね。最初からいろいろお話があったのかで言うとどういう感じですか。
それはもうさっきの話の延長なのでそのなかなか理解されにくいですね。
そうですよね。
なので要件定義ですと言いながら仮説検証やってるとかですね。
結構あの手この手で紛れこませでやってて。やったら結果が出たりするじゃないですか。そういう結果を大事にしてこういうのやったらこういう結果が出るんですみたいなことが次話せるようになるからそういったものをちょっとずつ広げながら積み重ねながら出たって感じですかね。
なるほどそうなんですね。本当にこうやっぱり市谷さんが信じてらっしゃったものがやっぱり本当に価値が実際あるものでそこをこう実際使ってもらったらそれをやっぱりこういろんな企業さんも価値を感じてくれてってところのサイクルが回って今に至ってるってことですね。
そうですそうです。
市谷さんのキャリアと情熱
なるほどありがとうございます。市谷さん今日はありがとうございました。まだまだですねお話ししたいないので次回も市谷さんとお送りします。
今日はですね市谷さんの今に至るまでのキャリアについていろいろお伺いしてきました。本当にやっぱり根底にあるところはすごいやっぱり情熱みたいなところがあるなと思っていてなんか倫理家になってるとかそういう話以前にやっぱりそこをこうやっていきたいという気持ちをすごいお話し聞いている中で感じました。
僕自身もやっぱり市谷さんの本を読ませていただいてるんですけど市谷さんの本の中から滲み出る情熱みたいなのは普段からもすごい感じているのでそれを次回に聞けてとても面白かったです。楽しかったです。ありがとうございます。
さてこの番組では感想や次回決定の質問リクエストなどお待ちしております。番組詳細欄にあるリンクよりお気軽にご投稿ください。
XでハッシュタグKiita FMをつけてポストしてください。表記は番組名と一緒でQFMが大文字残りは小文字です。そしてApple PodcastやSpotifyのPodcastではレビューもできますのでこちらにも感想を書いてもらえると嬉しいです。
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来週も火曜日の朝6時に最新話が更新されます。番組にフォローして最新話もお聞きください。お相手はKiitaプロダクトマネージャーのKiyono Toshifumiと一体でした。
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