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2025-12-02 25:41

#82 Google・Wantedlyを経て、なぜ「調達なし」の成長を選んだのか?【ゲスト:Rimo合同会社代表 相川 直視さん】

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今回からのゲストはRimo合同会社代表の相川 直視さんです


<トークテーマ>

・保険室で Visual Basic に熱中|三角関数に挫折した中学時代

・大学時代に再燃|天才的な同級生との出会い

・刺激的な出会いが転機に|ICPCが繋いだコミュニティ

・Google入社のリアル|想定外のミスマッチ、キャリア軸の見直し、新たな挑戦

・自分の責任でやるしかない!|「調達なし」で創業を選んだ理由


<相川 直視さんX(Twitter)ページ>

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<番組へのメッセージはこちらから>

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サマリー

相川直視さんは、Rimo合同会社の代表として、GoogleやWantedlyでの経験を経て、資金調達なしでの成長を目指しています。大学時代にプログラミングへの熱意が再燃したエピソードを語り、仲間と共に切磋琢磨することで成長してきたことを振り返ります。相川さんは、競技プログラミングから得た経験やGoogleでのキャリアで直面した課題、そしてスタートアップの魅力について触れています。また、経験を通じて感じた課題に基づき、新たな挑戦としてリモ合同会社を設立した経緯も明かされています。

00:08
日本最大級のエンジニアコミュニティQiita プロダクト開発部部長の清野俊文です。
この番組では、日本で活躍するエンジニアをゲストに迎え、
キャリアやモチベーションの話を深掘りしながら、
エンジニアの皆さんに役立つ話題を発信していきます。
今回からのゲストは、Rimo合同会社の代表兼エンジニアの相川直視さんです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
相川さんの経歴
ではですね、最初に軽く自己紹介をお願いしてもよろしいでしょうか。
はい、Rimo合同会社の代表をやってます相川と言います。
自分はGoogle Wantedlyっていうケーキを持った後、
Rimo合同会社っていうところを創業しました。
合同会社でやってるので、本当に調達なしで、
でも成長を目指したいということで、
毎年2倍にするっていうのを目指して、
大体達成しつつやってるって感じです。
ありがとうございます。
Rimoさんのお話も色々お伺いをしていきたいなと思ってるんですが、
今回ですね、この1回目のテーマとしては、相川さんの今までのキャリアについて
色々深掘りをしていきたいなと思っております。
まずはこの1回目で相川さんのことを知っていただきながら、
Rimoさんのお話もお伺いさせてください。
相川さんとお送りする1回目のテーマは、
Google Wantedlyを経て、なぜ調達なしの成長を選んだのかです。
ということで、まず最初に聞きたいなと思っているのが、
プログラミングの始まり
まずプログラミングを始めたきっかけですね。
そもそもプログラミングはいつ始めたのか。
自分は中学校の頃に保健委員会っていうところをやっていて、
放課後に怪我した人を手当てしてあげるみたいなところなんですけど、
大体暇なんですよね。
その暇なところで、自分の先輩がゲームを作るみたいなことをやっていて、
その時やってたのがVisual Basicっていうものを使ってゲームを作るみたいなことをやってて、
それでハマったっていう感じですかね。
自分で始めたというより先輩がやってるのを見て、自分も始めてみてみたいな。
そうですね。
いわゆるコンピューターみたいなものを自分で持ってたりしたんですかね。
でもそういう感じではなくて、家にはパソコンがあったような気がしましたけど、
でもそこにVisual Basicっていうのの保健室にパソコンがあったので、
そこに勝手に先輩がインストールしたものを使ってやったりして、
ゲームをやってみるみたいなこととか。
その時は本を買って、そのままモグラ叩きゲームを作ってみるみたいなこととかをやってたりしました。
なるほど。そこからプログラミングには結構熱中して、
ここまで来たって感じなんですかね。
全然そんなことはなくて、やっぱりそうしたらサラブレットになったかもしれないんですけど、
高校では実は一切やってない感じで、中学の時にちょっとだけやって飽きちゃったみたいな感じでした。
その理由で言うと、シューティングゲームを作ろうとした時に、
サインコサインみたいなのが出てきて、弾をその方向に向けて飛ばす時にはサインコサインが必要なんですけど、
今考えたらそんなに難しくないんですけど、
中学校の自分では分からなくて、それは高校生になったら習うよって書いてあったんで、
高校になってからやろうって思ったんですけど、高校になってはそういうことをやろうと戻ってこれなかったみたいな感じですね。
なるほど。高校ではやらずに、でも今本当にエンジニアとしても経営者としてもいろいろやられてたりすると思うんですけど、
大学での成長
そのプログラミング熱が再燃したタイミングはいつなんですか。
それは多分大学の時なんですけど、基本的にそんなにモチベーションがずっとあったわけでもなく、
大学受験する時に学部をどこか選ばないといけないみたいな時に、理系だよなーみたいなところだけは思ってたんですけど、
その中で物理がちょっと好きだったから物理か、今までコンピューターも好きだったなーとか思って情報を選んだっていうのがすごいパッシブな理由です。
そういう感じです。
そうなんですね。じゃあ大学に行く時も本当にプログラミングを勉強したくて行きたいっていう感じで、
勉強頑張ったとかではなくて、どっちかっていうと行くならコンピューター系かみたいな。
そうですね。
結構僕も同じ大学なので、そこら辺の雰囲気はすごいわかるなって思うんですけど、
やっぱりコンピューター系入ってみんながプログラミング熱中するかというと全然そんなことないなって僕は思ってて、
なんだったら半分そういうのにキャリアとして築いてたら結構多い方ぐらいのノリなんじゃないかって僕は勝手に思ったりするんですけど。
そうですね。授業もみんな非常に聞いてますね。
その中でそのパッシブな理由で大学入ってプログラミングをまた勉強始めてってところで、ここまでやってこれた理由ってあやかさんは何なんですか?
やっぱり本当にいろいろ運だなと思ってるんですけど、一つは本当にプログラミングをできる同級生がいたみたいな感じで、
そいつは本当は中学中大で。
中学中大?
中学中大なんてあるんだみたいな。
で、カナダに行ってこの都でゲームとか作ったりしてたみたいな感じらしくて。
でもそれをなんで築いたかというと、プログラミングの授業でいろんな課題みたいなのがあるんですけど、
その時の課題はGUIプログラミングみたいな形で黒い丸がちょっと出ててちょっとだけ動いたりするみたいな。
これを使ってちょっとコード変えて何か提出しましょうみたいな感じだったんですよ。
そいつは何を作ってきたかというと、自分はちょっと黒い花火みたいに複数にしてとか、
二次曲線にしてみたいなのを他の人は提出してるんですけど、その人は炎を作ってきたんですよ。
その炎っていうのは小さい粒子として見立てる、それを1000個同時ぐらいに出して、
それぞれにもフニャフニャって上に向かって動かして、色をいい感じに白から赤を経由してちょっと黒に変えていくみたいなすると、
炎みたいに見えるんですよね。炎を作ってくるんだと思って、そんなことができるんだみたいなところで、
まず課題の発表を何個か見せてくれるんですけど、その次はマウスイベントの回で、
その丸をマウスクリックしたところまで動きますみたいなサンプルがあって、それを元に何か作ってこいみたいな感じだったんですよね。
そいつは本当ビリヤードゲームを作ってきて、1週間でビリヤードゲーム作れるんだみたいな。
僕今ですらAI使ってギリギリ作れるかなみたいな感じなんですけど、そういうものを作ってくるっていうことができて、
そんな人と一回大学まで行くと結構就職とかもそこら辺の業界でするってなるのかなみたいなのはちょっと思うと思うんで、
こいつと戦うのちょっと大変だなって思ったっていうところで、ちょっと頑張ろうかなみたいなところを思ったっていう感じなんですよね。
ありがとうございます。
やっぱり大学って、僕もそもそもパソコンをまともに触りだしたのが大学入ってからぐらいのノリで、
僕も結構雰囲気で、行くならここかなみたいな感じで大学入ったんで、ここまで来た立ちなのですごいわかるなってお話聞いていて思ったんですけど、
いわゆるすごい人たちを目の当たりにしたときに、自分向いてないなと思って辞めちゃうパターンも全然あるじゃないですか。
実際大学でもそういうタイプも多かった気がするんですけど。
確かにね。
その中で相川さんが頑張らなきゃなって燃えるほうに倒れたのは何でなんだろうなっていうのはちょっと気になってて。
でもそのプログラミングの授業で大学の教授がちょっと休校しますみたいなときに、
プログラミングのICPCっていう競技プログラミングの問題の過去問を出してくれてたんですよ。
それをちょっと簡単目のほうからABCぐらいのところから6問選んでやってて、
自分はそのタイミングで4問とか解けてて、
そのすごいできる人は最初の20分ぐらいで5問とか解いて、最後の6問目だけ1個解けなかったみたいな。
そのときもう1人は誰か1人だけ解いてるとかあって、
そういうので自分はすごいできない方ではなかったんだなっていうのが1個あったんですよね。
それは本当に大学対抗の3人でチームを組むプログラミングコンテストだったので、
そのときにそいつととりあえず引き込もうというか、
そいつとプログラミングコンテスト一緒に出ようっていうことを言ったっていうのが結構きっかけになったのかなと思っていて、
その繋がりで運良くいろいろきっかけがあったって感じですかね。
そういうできる人たちを目の当たりにしたときに、
それで比べて自分が諦めようではなくて、
一緒にそこで切磋琢磨ある程度できたというか、
仲間として頑張れたみたいな経験が燃える方に頑張れた理由みたいな感じなんですかね。
実際は、例えばそのプログラミングコンテストを実際に出ると、
基本そいつだけでいいんですよね。
簡単に言うと本当に最初そいつだけでいいんですけど、
その人は本当にタイピングもすごい早かったので、
最初の1問目、2問目とか3問目ぐらいは誰よりも早く解いてるんですけど、
そこからピタッと止まるんですよね。
やっぱり競技プログラミングがだんだん途中でアルゴリズムの領域になってきて、
結構ちょっと数学力が問われたりみたいなところがあって、
その彼もそういう部分は逆にもうできなくて、
逆に自分は長く考えたらその4問目とか3問目か、
それを頑張ったら解けたんですよ。
そういうところでもうちょっとアルゴリズムだったりとか、
ちゃんと考える部分を役割分担したらちょっと役に立つのかなみたいな。
競技プログラミングの影響
最初は本当に最初の3問が早いだけでもアジア大会までは通ってしまって、
それのおかげで一応ちゃんとプログラム、
競技プログラミングの界隈にちょっとのめり込むみたいな感じになったんですけど、
もうでも少しでも役に立とうくらいな感じで、
切磋琢磨みたいなレベルにもなかったかもしれないなと思ったりしますね。
そうなんですね。
当時はそれが結構やっぱり楽しかったんですかね。
そうですね。
たまたまそのタイミングにちょうどICPCの世界大会が東京だったみたいなことがあって、
そこの時に大学の教授が、加藤先生という教授がちょっとボランティアに呼んでくれて、
その時にICPCのOBとかもみんなボランティアでやっていて、
そこで世界大会の問題とか見ながら、
これはこうやって解くんじゃないかとかいろいろなことを話していて、
そこのコミュニティとつながれたので、
当時はアットコーダーみたいなのもなかったし、
プログラミングコンテンツチャレンジブックみたいなのもなかったので、
本当に過去問だけあって答えを見ることができなかった、
そういうサイトしかなかったんですよね。
なのでその時も過去問を何問も頭にストックしながら、
大学の図書館に行ってアルゴリズムの本をやりながら勉強するみたいな方法しかなくて、
そんな中でちょっとそういうところで、
よりできる人にこういうことをこういうふうにやるんだよと、
ちょっとだけ教えてもらう機会があったりとか、
これは大学の何年の時にこういう理論を習うよみたいな話とかを聞いて、
少しやる気になったのもあるし、
逆にもちろんそういう人たちって本当に東大生だったりとか京大生だったりするんで、
自分の大学ではそこまでやらないのみたいなことも正直あったりして、
だからこそちょっと自分で勉強するしかないんだな、
みたいなことも思ったりして、
逆に授業中もちょっとそれを解いたりとか、
よくも悪くもなんですけど、
そういう感じでちょっとのめり込んだといえばのめり込んでいったという感じですかね。
競技プログラミングとかが得意な人とか本気で取り組んでいる人たちがいて、
その中に自分も飛び込んで、
それからから刺激も受けるし、
いろいろインプットもするしってところで、
ここまでいろいろプログラミングってところがある意味で続いているところがあるってことですね。
Googleでのキャリア
そうです。
なるほど。ありがとうございます。
そこで今学生時代は競技プログラミングをいろいろやってたってお話あったかなと思うんですけど、
ファーストキャリアとしてはGoogleさんに行かれてますよね。
そうですね。
Googleさんにそのタイミングで行った理由みたいなのって何かあったりするんですか。
競技プログラミングのつながりとかで、
割とバイトだったりとかそういう部分で結構経験を積ませてもらったみたいなところが多くて、
一個はそのときにバイトでやってた部分としては、
プリファードネットワークスってある程度今LLMとか開発してるところの前身で、
調達する前のプリファードインフラストラクチャーっていうときがあった。
まだ住人もいないところとかで、
そこも競技プロの先輩たちがやってるような感じで、
そこにちょっとだけ入って、
そこは最初は検索エンジンみたいなの作ってたりとかしたんですけど、
そういうところをやったりとか、
株のロボットで株を自動売買するみたいなことができるような会社に入って、
ちょっとそうやってたら、
その先輩はその先マネーフォワードの一番初期のCTOになるみたいな感じだったりとか、
結構本当に環境と運が良かったなみたいなところは結構ありました。
あとはそのとき、
競技プロ生の中では結構Googleに入るっていうのは、
ある意味簡単というか、
今までずっとテストの点が良くて、
大学までテストの点が良かったら、
最後だけ面白いこと言ってみたいなことになる演説みたいなところもあるんですけど、
Googleの場合は本当にコーディングをホワイトボードで書いて、
それがちゃんと全部書けてたら簡単に言えば通るような試験だったりするので、
ある意味競技プログラミング勢はちょっと有利みたいなところはあって、
そういうのもあって入れたっていう感じでしたね。
そうなんです。
じゃあそのGoogleに入るためにめっちゃ色々頑張ってたっていうよりも、
そこまで頑張ってきたことの結果としてGoogleに入れちゃったみたいな、
そういうイメージなんですかね。
本当にやっぱり競技プログラミングの界隈で一番多いのがその当時Googleで、
もちろん逆にプリファードネットワークに行く人もいたし、
でも本当にそういう感じではあったので、
一択みたいな感じではあったなと思って。
そうだったんですね。ありがとうございます。
そこからGoogleでもキャリアを始めて、
その後ウォンテッドリさんに行ってますよね。
行ってるじゃないですか。
僕の印象で言うとGoogle入れたらなんていうんですか。
平たく言うと勝ち組というか、
エンジニアとしてはやっぱり待遇ももちろんいいし、
社会的な地位というか見られ方もいいと思うし、
やっぱり大ってなるし、
やっぱりかなり本当に世界中のプラットフォームを支えているサービスなので、
やっぱり取り組む意義みたいなところも結構やりがいがあるんじゃないかなって
印象があったんですけど、
そこからまた当時のスタートアップのウォンテッドリさんに
トライをしていった理由をお伺いしたいなと思っていたんですけど。
そうですよね。
まずは一個はやっぱり自分はGoogleの中で実力がなかったみたいなところは
一個あるのと、本当にこれも運みたいなところで、
ちょうどGoogleに入ったタイミングで
地震があったんですよ。
そのタイミングでGoogleの、
自分は本当にこれは逆に運良く検索チームっていう
本当にGoogleに入る人でもそんなに人数、
その時10人とか入ってたんですけど、
その時はだいたいChromeとかのチームとかに大きくいって、
検索に入るのは数人って感じだったんですけど、
そこに入れましたと。
入ったんですけど、
自分のメンターに当たる人とかも本当に
自分が今日プロ界隈でも尊敬してたような
メンターの人だったんですけど、
その人はパーソンファインダーっていう
その当時失踪者が結構すごい地震で多くて、
それを見つけられるサービスをGoogleが日本のために出してて、
それをもちろん日本の人が結局作ってたので、
それを結構支えるような、
それを出してるメンバーが自分のメンターで結構忙しかったっていうところがあって、
自分入って1ヶ月で本当に本社のほうで育ててくれるというか、
面倒見てくれるみたいなことになりました。
そこで面倒見てもらうんですけど、
そこで3ヶ月いるときに、
そこのチームっていうのはどちらかというと、
今までやってたサービスを日本に預けて、
自分は別のことやりたいみたいな気持ちが、
次に音声検索みたいなのを結構やれるといいなと思ってたみたいなところで、
なるべくメンテナンスをこっちに預けようみたいなところが、
逆に僕からすると見えてしまった部分もあって、
ちょっと面白くないものをもらってるなみたいなふうに、
一人行って見えてしまった部分もありました。
実際に自分がやってた仕事みたいなので言うと、
Googleの中にタベログとかそういうので、
星3.4とか3.5とかっていうのがあると思うんですけど、
その当時は星を出すところまではもうあって、
でも1.2.3.4.5の星がただ出てるだけだったんですよね。
でも小数第一位まで大事でしょみたいなところは、
ちょっといろいろ言われてるところはあって、
そこを自分が引き受けてやってみるんですけど、
マップリデュースっていう今で言うリクエリみたいなのを全部叩いて、
いろんな結果が本当にこれで大丈夫かみたいなのをチェックして、
いろんなレビューを上げて、
ようやく2.3週間とかでして、ようやく出るんですよね。
他にもいろんな値段みたいなのも小数点が
ピリオドなのかカンマなのかみたいなのが世界によっては違うんです。
ブラジルとかだと小数点がカンマになってて、
それだと値段が変わっちゃうケースがたまにあって、
それをどうすればいいのかみたいなことを考えたりとかして、
意味はあるんだけどちょっと今まで検索エンジン作ったりとか
自動で売れるものを作ったりとかしてるのに比べて、
Googleに入ってやりたかったこととは
ちょっと想定してるものとはやっぱりちょっと違うし、
今考えたらもちろん日本の使者の進卒程度が
まずやるべきことっていうのは何なのかみたいな考えて、
それでちゃんと自分のやりたいことをちゃんと見出して、
ちゃんとやるっていうのは正しいやり方だとは思うし、
実力がなかったなとは思うんだけど、
Wantedlyへの挑戦
そういう理由もあって、
自分はもうちょっとやりたいことあるなっていうところがあって、
その時にずっと単純に就職ランキングで
Googleが上だったから上に行ったみたいな、
そういう選び方だけじゃよくなかったなみたいなところとかを
感知もしたので、
ワンテトリーっていうのは本当に友達のつながりとか、
ある意味、今までの仕事の探し方、
業界選んでランキング順にやるみたいなとは、
ちょっと一線を隠すようなサービスを作れる感じがあって、
すごいいいなと思ったので、そこに行ってみようみたいな。
本当は自分がやろうと思ってて、
いろいろ考えてる中で、
エンジニアの自分だったら企業との関係性を、
小魅力の問題もあり、できないかなと思って、
そういうところに入ってやるっていう選択を選んだって感じでした。
なるほど。ありがとうございます。
ある意味でGoogleがミスマッチだったっていうことなんですね。
就職として。
どうなんですかね。
でも、そういうことになるのかみたいな。
そこの体験っていうところを元に、
次は就職だったり転職みたいなところに向き合えるようなサービスのところで、
というので、Wanted Lisaに行ったっていう感じですかね。
そうですね。
なるほど。ありがとうございます。
そこで、そういう課題を感じながらWanted Lisaに入られて、
いろいろやられてたんじゃないかなと思うんですけど、
そこからリモさんを創業されているわけじゃないですか、今。
そこからまた自分で創業に乗り出した理由みたいなところを
お伺いしたいなと思ってるんですけど、どうですかね。
まずはWantedlyのときは、結構どのマッチングみたいなところとかやってたんですけど、
最初の頃Wantedly自体は、今まで面接から始まるっていうものしかなかった中で、
面談みたいな、ちょっと会社に遊びに行くみたいな、
カジュアルに採用始めるみたいなのがあんまりなかったんですよね。
そういうふうな観点で、結構世の中を変えていったなみたいなところはあったんですけど、
どんどん時代が流れていくと、それがわりと当たり前になって、
それをWantedlyのほうにパクられるみたいなのもあって、
いろんなリクルートとかも面接と面談みたいなのがあるようになって、
そうなって次に転職みたいな界隈で何が必要になってくるのかとかっていうのを、
どんどん新しいことができればなと思ってたんですけど、
例えば副業をするだったりとか、リモートワークをどうするかみたいなところも、
取り組めばいいのになーみたいなのを思ってたんですけど、
やっぱりWantedlyっていうところも資金調達をしていて、
結構投資家のプレッシャーみたいなのも、
僕は100%わかってたわけではないですけど、
ある中で、じゃあそういう失敗するかもしれない、副業OKにしますみたいな話だったりとか、
リモートワークやりますみたいなことは進められないですよね。
それを進められてないものをプラットフォームとして支えるみたいなのって、
裸感がないものを進めるみたいなのってやっぱり難しくて、
そういうところを自分たちはやったらいいと思うけど、
自分がそこまで責任を持って、それで会社が壊れたときに責任を持てるわけでもないかったりもするし、
そういうのはやるのは自分の責任でやるしかないんだなみたいなところが、
すごく強く感じることがあって、自分でやってみようみたいなところを持って、
合同会社っていう形でやってみたって感じです。
リモ合同会社の設立
ありがとうございます。
ある意味でやっぱりそこのWantedlyさんにスタートアップの時代から入って、
そこが成長していくところも経験していく中で、
やっぱりまたいろいろ感じることがあって、
そこから自分で挑戦できるかつ資本を入れないっていうところで、
今新しいチャレンジをされてるってことですね。
そうですね。
ということで、今回は相川さんのキャリアについていろいろお伺いをしてきました。
本当に今までの経歴だけを聞くと、
GoogleからWantedlyからVimoさんでっていう感じで、
きらびやかなキャリアのようには見えますが、
実際お話を聞いてみると、
本当に一つ一つのタイミングでいろんなことを考えたりとか、
その中で見つけた課題ってどこに対して向き合ってきて、
今のキャリアを築いてきてるんだなっていうのをすごい分かって、
相川さんの行動指針というか、
原動力みたいなところを感じることができました。
ありがとうございました。
さて、この番組では感想や次回ゲストへの質問、リクエストなどお待ちしております。
番組詳細欄にあるリンクよりお気軽にご投稿ください。
XではハッシュタグKiita FMを付けてポストしてください。
表記は番組名と一緒でQFMが大文字、残りは小文字です。
そしてApple PodcastやSpotifyのPodcastではレビューもできますので、
こちらにも感想を書いてもらえると嬉しいです。
Kiita株式会社は、
エンジニアを最高に幸せにするというミッションのもと、
エンジニアに関する知識を記録、
共有するためのサービス、Kiita、
社内向け情報共有サービス、Kiitaチームを運営しています。
ぜひ買ってみてください。
来週も火曜日の朝6時に最新話が更新されます。
番組のフォローをして最新話もお聞きください。
お相手はKiitaプロタクト開発部部長の清野俊文と、
リモ合同会社代表の相川直嘉でした。
25:41

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