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2024-04-23 21:58

#1 シリコンバレーで働いた経験【ゲスト:日本CTO協会理事 藤倉成太さん】

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今回からのゲストは日本CTO協会理事の藤倉成太さんです


<トークテーマ>

・元々大学で勉強していたこと

・キャリアとしては初めどのような仕事から始まった?

・シリコンバレーでの仕事について

・なぜSansanに転職したのか

・Sansanでやっていたこと

・なぜ今回のタイミングで転職をすることにしたのか


< 藤倉さんX(Twitter)ページ>

https://twitter.com/sigemoto

<X(Twitter)ハッシュタグ>

#QiitaFM


番組へのメッセージはこちらから

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サマリー

今回から、番組名がQiita FMにリニューアルされています。日本CTO協会理事の藤倉成太さんがゲストとして登場し、シリコンバレーでの仕事について話しています。アメリカとフィリピンでの働きの経験を通じて、異文化や共通点を楽しんだり、海外で働くことの重要性について語られています。

番組名のリニューアル
日本最大級のエンジニアコミュニティ、Qiita プロダクトマネージャーの清野俊文です。
今回からですね、番組名がQiita FMにリニューアルされました。
引き続き、日本で活躍するエンジニアをゲストに迎え、キャリアやモチベーションの話を深掘りしながら、エンジニアの皆さんに役立つ話題を発信していきます。
ということで、今回からのゲストは、日本CTO協会理事 藤倉成太さんです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
それでは簡単に自己紹介をお願いしてもよろしいでしょうか。
今ですね、日本CTO協会理事もやらせていただいてますが、本職といいますか、所属している企業としてはキャリー株式会社になってまして、この1月ですね、3ヶ月くらい前に転職しまして、
今キャリーのドロワーといいますSaaSビジネスの開発チームを全般に責任を持つということで、VPOEという役割でやらせていただいております。
はい、よろしくお願いします。
藤倉さんですね、結構本当にいろんなキャリアだったりとか、いろんなことをやっていらっしゃると思うので、ちょっと今日はいろいろお伺いしながら、僕の今後のキャリアの考えるきっかけにしていきたいなと思っているので、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
シリコンバレーでの仕事
はい、ということで藤倉さんとお送りする1回目のテーマは、シリコンバレーでの仕事編です。
藤倉さん、海外でお仕事することも結構やっていらっしゃるかなと思ってます。
今、海外でお仕事するエンジニアの方も増えてきていると思うので、ぜひですね、そこら辺のお話、リスナーの方にとってもご参考になるんじゃないかなと思ってます。
ということで、結構いろいろ聞いていきたいなと思うんですが、実際行ってみてどうだったかも聞いてみたいなと思ってて、どうでした?ぶっちゃけ。
えっとですね、もちろん言語的なものだったりとか、生活とか文化の部分だったりとか、いろいろ何か適応しなきゃいけないことっていうのはたくさんありましたけど、それは一つ一つクリアしていくというか、時間が解決するところもありましたし、
でもやっぱりそうですね、本当に優秀な方が、もちろん当時日本国内でも社内同僚でも先輩方でも優秀な方ってたくさんいらっしゃいましたけど、本当になんかそういうすごいなっていう人が本当に日常ずっと周りにいるみたいな感覚だったので、とても刺激を受けましたということと、
それこそその後の自分のキャリアをちょっと方向づけていくことになるんですけど、当時私がその現地でやっていた仕事のミッションの一つに、日本国内ではいわゆるSI事業者なので、当時の大地創権さんは技術力とかオブジェクト思考みたいなもので、他のSIの事業者さんとの差別化を図るというか、そういう特徴があって、
特徴づけをしている企業さんで、ある種武器になるというか、ネタになるような技術を探していくとか、プロダクトを見つけに行くっていうのをもう一つミッションとして与えられていて、その一環で現地のベンチャー企業さんと共同研究とか共同開発みたいなことをやっていたんですね。
当時はミドルウェアとかがメイン、私の割とメインだったので、いろんな新しいミドルウェア、新しいテクノロジーを使ったミドルウェアっていうのがたくさんあって、それを開発している企業さんと一緒に、もちろん彼らは彼らで完成したというかずっと開発を続けているプロダクトがあるわけですけど、
日本のSIに当てはめるならもうちょっとこういうとこ強化したいなとか、このぐらいの安定性がないとちょっと厳しいなみたいな部分に私が一緒に監視チームに入れていただいて、一緒にコードを書くってことをやってたんですね。
出先の企業さんのエンジニアの方々も本当に世界中から来られている方々と日々一緒に朝から晩まで一緒にコードを書いたりとか議論したりとか、日々ご飯一緒に食べに行ったりとか、その中でも本当に彼らはこの技術があったら世界変わるよって結構本気で言ってるように私には聞こえたんですね。
寝ても覚めてもそういうことをやってますし、そんな議論ずっとしているし、なんかすごく素敵だなと思ったんですよ。やっぱりまあ私はね、なんかある種不純な動機でアメリカに行っていてかっこいいなと思うだけで行っていて、やっぱりその共同開発といってもやっぱりその先方さんというかベンチャー企業さんのプロダクトに私がちょっとヘルプで入っているとかいうだけなので、どっちかというとやっぱり私は外部の人間として関わっているわけで、
自分のプロダクト、自分の技術とはやっぱり思ってなかったんですが、彼らはね、自分のってものなので、そういうプロダクトを開発するエンジニアが、私も技術自体はすごく好きですし熱中するんですけど、なんかその先にあるものというか、で何するのみたいなところが彼らが知っているような感覚があって、
こういうエンジニアっていいなとか、なんか自分もなんかいつかその自分の技術で自分のプロダクトで世界変えてやるとか、もしかしたらあわよくば変えてやったかもしれないとか言えるようななんかこう仕事ができたらいいのかなと思ったみたいなのはそうですね、現地で感じた。
やっぱりかなり熱量が高いんですね、シリコンバレー。
熱量はそうですね、高かったと思います。
特に当時のということですね。
そうですね、当時は本当にいわゆる黎明期というか、シリコンバレー自体が盛り上がっていく、本当にその過程に多分いたと思うので、といっても2000年、2001年ぐらいになんかドットコムバブルみたいなのがあって、私が行ったのはその後だったので、
一回お金がわーっと集まってみんながグーっと立ち上がって、それでもちょっとバブルがちょっと終わっていって、そっからさらにもう一度盛り上がっていくみたいな安定的なフェーズに入っていくみたいな瞬間だったと思うんですけど、でもやっぱり熱量がすごかったと思いますね。
そうなんですね。
はい。
なんか今のお話の中で仕事だと熱量すごいなと思ったんですけど、なんていうんですかね、シリコンバレーでのプライベートってどんな感じだったんですか?
えっとですね、まずは当時現地に私の城長にあたる方がいらっしゃって、日本人の方なんですね。
彼にはご家族がいらっしゃったので、そんな日々日々一緒に遊びに行くみたいな、年齢ももう10個ぐらい上の方だったんで、そんな友人と言えるほど、そんなおっかもしることは言えないぐらいの立場の方だったんで、
これはまずちょっと友達を作らないことには話にならんぞと思ってたんですけど、あのですね、私現地に出国したときに城長の方がアドバイスしてくださって、現地のESL、English as a Second Languageのカリフォルニア州って特に南の方もそうだと思うんですけど、非英語圏から来ている人っていうのが、州の人口の当時は3分の1ぐらいが
そんなに多いんですね。
外国から来ている人だとも言われていて、そういう人たちを含めて州としてきちんと行政を回していく。例えば何か犯罪があったときに英語を話せない人はどうしたらいいんだろうとか、事故があったりとか火災があったりとかっていうのもあって、そういう非英語圏から来た人たちをどう支えていくかみたいなのは多分州としても取り組まれていたと思うんですよ。
で、近所の高校とか学校とか教会とか行くと、英語の先生を学んでいる大学生、大学院生が先生となってESLのクラスがボランティアで運営されていたんですね。そこに行くといろんな国から来たいろんな年齢の人たちがいて、
非常にやっぱり私、仕事が終わっていくタイミングって同じような境遇のいろんな国選機の方がいらっしゃって、そこで出会った人ってやっぱり立場が近いので話が言いやすいじゃないですか。
なので、そういうところで出会った人とちょっと遊びに行ったりとか、あとはたまたま当時住んでいたアパートの隣の人がですね、大学生だったんですけど、私が引っ越しの荷物運び入れてたら、引っ越してきたの?って気軽に話しかけてくれて、それからわりと週末2人で車で出かけるようになったりとか。
私はあんまり人見知りするタイプなので、気軽に友達で作れたりとかするタイプじゃないんですけど、でもその時はちょっとこう積極的に友達で作んないと、本当に週末誰とも喋らずに家に閉じこもっちゃうぞと思ってたので、自分の性格よりはだいぶアクティブに生きてた気がします。
へー、そうなんですね。じゃあもう結構自分からそういうコミュニティに飛び込んでいくみたいなのをやって繋がりつくっていったみたいな感じですか?
そうですね。まだ私も20代半ばぐらいだったんで、そのぐらいのエネルギーはあったっていう感じではありますけど、日本だとなんかなかなかできないような行動も頑張ってやってたかもなと思いますね。
なんかホームシックとかにならなかったですか?
それはないですね。
そうなんですか。それはないんですね。
はい。報告をしたりとかいろんなので、年に数回は日本に出張で来ることがあったので、1週間ぐらい日本に滞在するってことが何回かあったんで、その頃に友人に会ったりとか家族に会ったりとかはできてましたし、特にホームシック的な感覚は全くなかったと思います。
へー、そうなんですね。なんか日本戻ってきたとき、やっぱ日本いいなみたいにならなかったですか?
当時はですね、ならなかった。
へー、そうなんですね。
ただ、最近もね、海外で仕事をしたりとかってしてましたけど、もしかしたら年齢なんですかね、最近はやっぱ日本って最高だなって、ご飯が美味しいしとか思ったりしますね。
最近は感じるんですね。
最近は感じますね。
へー、面白いな。
フィリピンでの仕事
今シリコンバレーのお話聞いたと思うんですけど、333ではフィリピンでもお仕事されてたと思います。
なんかそこの同じ海外でも、いわゆるアジアと西海岸、働き方の雰囲気の違いとか、それこそプライベートの雰囲気とか、どんな違いあったかとかありますか?
そうですね、いた時期もだいぶ、私の年齢もだいぶ違っていて、20歳くらい違うので、そういう違いも多分大きく影響してると思うんですけど、アメリカにいる時っていうのはやっぱりみんながすごく先に進んでいて、
自分や自分の会社はその大きな流れの中に遅れないように絶対食らいつかなきゃいけないみたいな、そんな感覚、そういうベクトルでの努力が多かったように私個人的には思ってたんですね。
自分が年齢が若かったっていうのは多分あると思うんですけど、一方で最近いたフィリピンですと、やっぱりソフトウェア産業自体がまだまだ本当にこれから伸びしろもたくさんあるっていう状態の中で、
日本で開発の子会社を作ろうということで、私が端子に行くわけですけど、その時はちょっとおこがましい表現になるかもしれないですけど、自分もその業界を盛り上げる一人として、何だったらちょっとリードできるぐらいに頑張らなきゃいけないみたいな、
なので、例えばフィリピンで私がいた会社に中途入社をしてくれたメンバーなんかには、まだやっぱりフィリピンで英語ができるので、欧米の会社からのある種オフショア先みたいなお仕事の経験ってすごくみんなあるんですね。
ただ、自社プロダクトの開発の経験がある人ってやっぱり少ないので、その魅力を伝えて、あなたはとても優秀だからうちの会社に絶対来たほうがいいっていうアトラクトみたいなことをするのも、多くの方がプロダクト開発、想像をして興味を持って応募をしてくださるものの現実を知らなかったりするんで、その魅力を伝えるだとか、
それこそ給与みたいな話も、もちろん物価が違ったりするので、日本と同じ水準で塩ペソ換算をしてお支払いするって話ではないんですが、これは私が前職フィリピンに立ち上げるときに、グループ内オフショアの拠点みたいなことにはしたくなかったんですね。
もちろん人件費が安いっていうのは結果論ついてくるし、それは会社の運営経営に関してはポジティブだと思いますが、例えば日本で働いてくれているエンジニアと同じぐらい成果があったら、同じだけ払っても会社としては別に悪くないじゃないですか、おかしくないはずで。
なので、できるだけお給料を抑えるみたいなバイアスはできるだけかけないようにしてトップラインを引き上げていく。
それはやっぱりちゃんと仕事をしてちゃんと貢献をして認められれば誰でもそうなれる。そういう事例を一人でも多く出したいみたいな。それがもしかしたらサンサンじゃないところに行ったとしてもやっぱりそのマインドを持っていってくれれば、地域全体がそういう人たちでいつか盛り上がっていくのかなとか、ちょっとそういうメンタリティで働いていたところはありますかね。
なるほど、確かに。やっぱりアメリカだといわゆるおっしゃられた通り流れに乗っていくっていうところから逆に流れを作っていくというか、そこの雰囲気はだいぶ違いそうですね。
あとね、当然アメリカにいたときは本当にその現地の公害者の本当にもうテーペイというか一番若手として言っているのに対してフィリピンだとね、一応肩書きとしてはダイレクターとして言っているので、なんかそういう自分自身のちょっとこう、資座というとちょっとあれですけど、なんか目線の違いみたいなものも当然人間としても一定の成長はきっとしたと思うので、20年間で。
その違いもあると思うんですけど、でもまあそうですね、そういう感覚はやっぱりありましたね。
アメリカとフィリピンで働いた経験
そうなんですね。なんかそのアメリカとフィリピンで働いたっていうご経験の中で、なんかどっちの方が楽しかったとかありますか。
いやー、どっちも楽しいですよ。やっぱりなんか、もちろんその日常生活の中で全く違う文化に触れるとかっていうのも楽しいですし、なんか一緒に働いている人たちがやっぱり何でしょうね、その文化の違いとか考え方の違いもそうですし、やっぱり一緒だよねっていう共通点もあって、なんかそういうものに触れるとなんか、だって人間だもんねとか、だってエンジニアだもんねとか思えることもたくさんあって。
そうですね、割となんかそういう人と、さっきも言ったように私は人見知り激しいんですけど、でもまあやっぱり人と触れるとそういうところがなんか嬉しいなという気持ちになったりするので、そうですね、どこでもきっと私はたぶん楽しいなと思って生きちゃうんだと思います。
へー、いいですね。今海外に挑戦したいって思っている人がいたとして、最初どっちを勧めるとかありますか、それというか。
いやどっちでも、もし何かその特別な好みというか思いとかがないのであれば、とにかく何かチャンスがあれば、チャレンジをするってスタンスでいいんじゃないかなという気はしますね。やっぱり海外の経験があるのかないのか、ゼロか1かでやっぱり大きく違いますし、何かの経験をすればそれがきっかけでまたなんかその次につながっていくとか、
それこそ私、お姉さんアメリカで前職でそういう経験があって、多少英語で仕事をするということも慣れていたので、前職時代はフィリピンの立ち上げ頼むねって言っていただくみたいな流れになっていると思うので、何かやっぱりこう連鎖していくというかつながっていくということはあるから、チャンスがあればトライしてみるのはいいんじゃないかなと思いますよね。
ありがとうございます。とりあえずまずやってみるってところですね。
色々考えるというより。
はい。
なるほど。ありがとうございます。
最後にですね、番組ではリスナーの皆さんにも参加して、より楽しんでいただけるようゲストに質問したいことをですね、番組詳細欄にあるフォームにて事前に募集しています。採用されたご質問は番組内で紹介し、直接ゲストの方にお答えいただきます。
はい。ということで、では早速、リスナーネームたちごけめいじんさんですね、からのご質問です。
エンジニアタイプの記事を読みました。アメリカで自らの技術ではなく事業に全てをかける死に物狂いなエンジニアの姿を目の当たりにしてから意識した行動はありますか?と聞いています。ちょうどこれお話しあったところでもありますね。
そうですね。意識したことがあるかというと、なんか個別具体で意識して行動を変えたってことではないですが、やっぱり自分の価値観が本当に変わってというか、それまでは本当にその何でしょうね、いつか世界でも活躍できる一流と言われるようなエンジニア、そんな技術力のあるエンジニアになりたいって当時はずっと思っていて、
まあそれはそれでまあ別に今もなくはないんですけど、なんかそれよりもなんかそうですね、その世の中にインパクトを与えるエンジニアになるっていうことの方が、よりなんか自分の中でかっこいいと思えるとか、追いたい姿って思えたっていう、まあその価値観が変わったので、それに伴って多分いろいろな行動が変わっていったっていうことなんだと思いますね。
本当に一番大きいのは、まあそういう感覚になって、でまあそこからでもさらに5年ぐらいは全職か、続けるんですけど、まあ最終的には日本に戻って転職をするって決めるのもやっぱりその価値観が変わったからなので、なんかそうですね、そういう行動が変わっていったのかなとは思います。
なるほど、一番変わったのは価値観で、そこからこういろいろな、まあそれからのキャリアも変わっていったってことですね。
そうですね、思考も変わったりとか。
なるほど、ありがとうございます。
シリコンバレーでの景色と価値観
例えばなんですけど、もしそのときにシリコンバレーに行ってなかったとしたら、何ですかね、今どういうことやってると思いますか?
いやー、ちょっとわかんないんですけど、でも本当にその新卒で入った会社、オリジスオーケンさんって本当にいい会社で、今思い出してもそうで、で当時その同期入社をした仲間とか、まあ1個上2個上ぐらいの、いつも仲良くしてくださった先輩方も結構多くまだ残ってらっしゃった。
そうなんですね。
もしかしたらあの時アメリカに行ってなかったら、僕も彼らと一緒に今もなおあの環境を楽しんでたのかなとかは思いますし、本当にその、まあSI事業なのでやっぱりその自社でプロダクトを持つというよりはいろんな企業さんを助けていく、そこから支援していくっていうスタンスだと思うので、
本当にその自分の技術力やプロジェクトマネジメントの力とかを企業さんに役立てていくっていう立場じゃないですか。
そしたらやっぱりその技術を追い求めるみたいなことをしてたのかなと、まあそれ自体はね、別に決して悪いことでは全くないし、すごく難しい挑戦の一つだと思うので、なんかその方向で努力をし続けてたのかなとかは思いますかね。
ありがとうございます。じゃあもう本当にそのシリコンバレーで目の当たりにした景色っていうところとそこで買った価値観っていうのが本当にガラッとそこからの人生を変えてる感じなんですね。
変えてると思います、はい。
いや、そういう話を聞くと僕も行きたくなっちゃいますね、本当に。
はい、もう今回はそうですね、もう海外で働くってところ、僕は結構漠然と海外行くなら本当に石橋を叩くというか、まず英語を勉強しないといけないし、ビザ取るために色々まず資格とかも取らないといけないかもとか、そっから就職活動をアメリカでするなら色んな試験対策しないとか、色々なことを考えて二の足踏んでたんですけど、
とにかく行ってみる、とにかくやってみる、それで楽しんで、うまくいこうがいかないかとしても、そこさえも学びとして次のキャリアに生かしていく、そんなスタンスで色んなことに挑戦していくといいんだろうなって本当に今回お話聞いていてとても感じました。
僕も結構今ちょうど30手前ぐらいになってきていて、今後のキャリアどうしようかなみたいなのを正直考えたりする身でもあるので、本当に今日のお話はとても参考になりました。
藤倉さん、今日はありがとうございました。
まだまだお話ししたりないので、次回も藤倉さんとお送りします。
よろしくお願いします。ありがとうございました。
よろしくお願いします。
さて、この番組では感想や次回ゲストへの質問、リクエストなどお待ちしております。
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XではハッシュタグキーターFMをつけてポストしてください。
表記は番組名と一緒で、Q、F、Mが大文字、残りは小文字です。
そして、Apple PodcastやSpotifyのPodcastではレビューもできますので、こちらにも感想を書いてもらえると嬉しいです。
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来週も火曜日の朝6時に最新話が更新されます。
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ご相手は、Kiitaプロダクトマネージャーの清野俊文と、キャリー株式会社の藤倉重本でした。
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