キャリアの始まり
日本最大級のエンジニアコミュニティ Qiita プロダクト開発部 部長の清野
敏文です。この番組では、日本で 活躍するエンジニアをゲストに
迎え、キャリアやモチベーション の話を深掘りしながら、エンジニア
の皆さんに役立つ話題を発信して いきます。今回からのゲストは、
Microsoft Cloud Developer Advocate のちょまどさんこと千代田まどかさん
です。よろしくお願いします。
ちょまど よろしくお願いします。Microsoft のちょまどです。最近まで行く
給でしたが、復帰一発目がこうして このPodcastに呼んでいただいて大変
光栄でございます。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。こちらこそ 行く気がけってところで、結構
いろいろバタバタしてるところ かなと思うんですが、お時間いただき
本当にありがとうございます。
ちょまど よろしくです。ありがとうございます。
よろしくお願いします。今回 ちょまどさんとお呼びすればよろしい
ですかね。
ちょまど うれしいです。
じゃあちょまどさんで行かせて もらいます。ということで、今回
1回目のところでは、今までのキャリア というところについていろいろ
お伺いをしていきたいなと思って ます。結構いろいろな記事とかでも
インタビューされて記事になってる かなと思うんですが、改めて今までの
キャリアってところをいろいろ深掘り させてください。ちょまどさんと
お送りする1回目のテーマは、文系 からSE挫折、そしてMicrosoftへちょまど
さんのエンジニアキャリアストーリー です。まずいろいろ今までのキャリア
についてお伺いする前に、今のお仕事 についてお伺いできたらなと。
ちょまど はい。今はMicrosoftのクラウド デベロッパーアドボケートという
職業なんですけれども、これは要 するにMicrosoftの技術をエンジニア
の皆さまにより広く深く浸透させて いただくという感じで、それであと
もう1個重要なのが、そのアドボケート 職はうちではエンジニアロール
なんですね。レポートラインもサティア からスコットガスリーってエンジニア
のトップからシューってなっている ので、エンジニアとしてエンジニア
のコミュニティに飛び込んで、エンジニア の皆さまにMicrosoftの技術を知って
いただく、できれば使っていただけ たら嬉しいみたいなのがクラウド
デベロッパーアドボケートのまた 大体のロールになります。そういう
お仕事なので、もともと私が息を 吸うように吐くようにやっていた
ことがたまたまお仕事としても できるかとても嬉しい感じのロール
になっております。アドボケート になった理由が、エンジニアコミュニティ
にはこの後お話ししようと思うん ですけど、エンジニアコミュニティ
にとっても助けられたので、その 恩返しがしたくて、Microsoftのクラウド
デベロッパーアドボケートにアプライ したという経緯があります。
プログラミングの探求
おだしょー ありがとうございます。ちょっと
そこら辺もこの後いろいろ深く お伺いさせてください。プログラミング
はいつから始めたのかというところ をお伺いできたらなと思っております。
ちょまど 私は結構遅めで2回前くらいの
ゲストとしていらっしゃったピアセレ さん。ピアセレさんは確か小学校
4年生か5年生の頃からプログラミング やってマシンゴやってとかそういう
人たちとかそういうつよつよな 方たちがここにいらっしゃっている
なんか大変心苦しいというか。私は もう大学入ってからプログラミング
始めたのはそれまでそもそもパソコン も触ったことなくてですね。うちの
教育方針が結構固くてパソコン 危ないみたいならしい。大学入学
祝いでお母さんからパソコンを 買ってもらってそこから私のオタク
道開発が始まりました。
おだしょー ありがとうございます。そこで
始めたきっかけ結構パソコンを 大学で始めたんです。実は僕も
大学入って初めてパソコンを触った ぐらいの感じの人間なんですけど
結構そこ僕はでも情報系の学部 に進学してたのでそこでプログラミング
やってたっていうのがあったんです けどちょまどさんどういうきっかけ
てプログラミング始めたんですか ね
ちょまど はいそうですね。まず高校 でオタクになって高校女子校だったん
ですけどもう婦女子しかいなくて 本当にひどい婦女子というかBLという
かオタクになってしまって。それで その時はガラケー世代でガラケー
でいっぱいオタクのサイトを見て て私もリードオンリーじゃなくて
私も発信してみたいという気持ち が強かったんですけどガラケー
でできることが大変限られてて もっとやるならパソコンがない
と無理なんだろうなっていうのは 思ってたんですね。お父さんの
パソコンをこそこそ使うのも考え たんですけどウェブの閲覧履歴
とかを消し忘れるとBLがやばい ことになってしまって流石に両親
がいたんだので自粛しましてそれで 大学入学祝いでお母さんからパソコン
買ってもらってこれで私もBLサイト 作れるって思ってBLサイト作る
ためにいろいろ調べまして当時は スタティックなサイトからHTMLと
そこでマウスカーソルにうざいくらい アイコンをついてこさせたいという
理由でJavaScriptを当時はやったじゃない ですかゼロ年代のカラフルにH1の
タイトルが虹色にうざい感じの やつとかマーキーで文字が流れる
そういううざいやつを当時は本当に いいと思って作っててその流れ
でJavaScriptを勉強し始めてそこが 始まりでしたそこから最初は手段
だったんですけど徐々にプログラミング 自体に興味を持って例えば何か
したいことをググるとコードの スニペットが出てきてそれコピペ
職人だったんですけど同じことを する動作同じことをするコード
でもパブリッシュしてる人によって 全然書き方が違って例えばJavaScript
のコードも計量が当時はすごく データの今は無限に使えるけど
当時は読み込み速度とかをすごい 気にしててネットが遅いのでだから
計量化を重きとして今でいう民事 エースみたいな感じで開業とか
全部取っ払ったやつをパブリッシュ してる人もいれば過読性を重視
してもちろん開業するしインデント もちゃんとしたコードスニペット
を配布してる人もいて配布してる 人によってJavaScriptの同じ動作
をするやつでも書き方が違う あとはちゃんと関数化してる人
もいれば全部バッて書き出しちゃう 人もいるしこの違いは何だろう
とかそこで沼に入りました
ああそうなんですねじゃあ 最初サイト作りたいっていうところ
から勉強を始めていったらプログラミング とか開発自体にハマっていっちゃ
ったっていうような感じだった
大平 そうなんですね最初はJavaScript だったんですけど次に掲示板を
立てたくてレンタル掲示板があ ったんですけど当時はレンタル
掲示板はバナー広告が無料枠 バナー広告が結構きつくてデータ
の通信の速度もすごい少なかった からバナー広告読み込んでる間
にみんな離脱するみたいな何とか してバナー広告消せないかと課金
すればいいんですけど当時貧乏 学生で次500円とか払えなかった
ので調べたら掲示板自作すれば いいということが分かりPHPとか
当時はまだCGIの時代だからパール とかやったりとかしたりとかして
どんどん沼にっていう始まりは だから質問の答えとしてはプログラミング
始めたきっかけはBLサイトを作り たいからでした
システムエンジニアからの転職
ありがとうございますちなみに大学 でプログラミングを学んでたとか
ではないんですよね
大学はガチ文系で英文科でシェイク スピア専攻だったので
シェイクスピア
シェイクスピアを読むでもすごく 成績は悪かった本当は私も清田
さんみたいに情報科に行きたかったん です高校のときにパソコン触り
たいなって思ってて触れなくて よく分かんないけど情報科って
そういうところに行けばパソコン を触れるらしいということだけ
聞いててでも何を思ったか絶対 行けるわけないのに受験して落ち
たんですね数学が全然分かんない 数学も分かんないのに数3Cが必要
なんですよね理系の受験なぜ行ける と思ったのかよく分かんない謎
の地震で受験して落ちてお茶の 水女子大の情報科落ちまして受験
科目に数学とかがない女子大の 英文科に二次試験は英語一科目
だけでした
そうなんですねじゃあもともと 大学入る頃からやっぱりプログラミング
とかやりたいなと思っていたけれど
いやなんか当時はプログラミング という概念はなくて
ものづくりがサイトづくりがしたん ですか
パソコンが触りたいというだけで よく分かんない情報科ってとこ
行けパソコン触るらしいぞっていう ので受験して落ちてシェイクスピア
専攻英文科に行ってお母さんから 入学へパソコンをもらってサイト
作るうちにプログラミングという 概念を知ったという感じでした
じゃあ最初本当にパソコンを触る ようなのが大学でもやりたくて
ってところで専攻というか受験 はしてたけど結果的には文系の
ところに進む
そうですね数学ができなくて
僕もちなみに大学一応情報系の 学科には行ったんですけど入る
頃僕も全然パソコンを触ったこと なかったんでパソコンを触って
みたいというかパソコンでかっこ いいことできそうだからみたいな
そのくらいの印象で入った記憶 があります
そうなんですねそれが今や聞いた でバリバリ記事書きまくってる
気がついたら
すごいですね
ありがとうございます
ありがとうございます独学で大学時代 は開発みたいなところをやられた
と思うんですけどファーストキャリア としてはそういう開発職に行かれた
というような感じなんですかね
そうですね新卒で入った会社3ヶ月 で辞めたんですけど一応ロール名
としてはシステムエンジニアという 名前だったと思います
なるほどいわゆるSE
そうですね
SEとして入られて3ヶ月で転職された ってことですか
そうですね転職しましたどうしても やっぱ大学時代すごいプログラミング
にハマって基本情報技術者試験 とかも一発で受かったりとか全部
独学で国家資格が欲しくなって ハガレンの影響で私も国家錬金術士
はうちにはないけどIT系の国家 資格があるということで矛弁して
受かってとかこのまま私はプログラマー の道に進むぞって思ってでも自信
がないので文系大歓迎って書いて あるところに行ったんですね私
はそちらに進んで確かに研修とか 充実してて大変感謝してるし全然
ブラックとかじゃなくて普通に お菓子とかが置いてあるし教養
部分にとってもいいホワイトな 会社だし残業とか強いられたことも
ないんですけど4月に新卒入社して 研修があって5月のゴールデンウィーク
明け5月の半ばくらいに現場配属 だったんですけどそこがプログラミング
をしない仕事だったんですねだから 私が悪いんです入社して受ける
就活のときに会社について調べ なかったんですシステムエンジニア
という肩書きだけで当時私は多分 後でコミュニティへの感謝の話
とかすると思うんですけど女子大 で一人孤独にしかも英文科で一人
孤独にプログラミング勉強した ときに話せる相手がいなくて本当
孤独だったんですけど当時ツイッター のオンライン上のプログラミング
のエンジニアコミュニティにとっても 助けられてたのでつまり私の中の
エンジニアの人たちってツイッター の上積みの当時のツイッターの
最初の挫折と適応障害
2000年代のツイッターのエンジニア 界隈とかどんな感じか覚えています
人間性を捨てて機械のほうが近い みたいな人たちだったのでそれが
普通だと思ってたんですねだから エンジニアの人たちはああやって
機械に魂を捧げた人たちばっかり なんだろうと思ってたからシステム
エンジニアっていう名前もやっぱり プログラミングをしろくじてコード
を書かないと死ぬような人たち ばっかりだろうって勝手に思って
受けて実際の仕事がExcelの文章 を書き続ける仕事だったんですね
Excelにスクショを手動で貼り続ける お仕事だったんですけどちゃんと
それが納品されてお金になるので その仕事がどうのとかそういう
つもりは全く立派な仕事だと思 うんですけど私には合わなかった
というか期待値が全然違うところ にあったのでそれで上司に私はいつ
仕事でプログラミングができるん でしょうかって言ったら料理人
も最初の3年は皿洗いから始めるんだ と早くて2年後と言われて完全に
心が壊れてしまいまして適応障害 というか席が止まらなくなったん
ですね私もともと生まれつき肝心 が弱くてストレスがかかると呼吸
器に来てしまうんですけど席が 止まらなくなっていつもの息づけ
の呼吸器内科に行ったらこれは 前足の胸の音じゃないって言って
診療内科に行ってくれって多分 精神的なものだって言われて診療
内科に行ったら適応障害ですね 診断書書いてもらって人事院に
行ってすみません退職しますって 言って退職処理に1ヶ月くらい
新しい挑戦と成長
かかってそれで3ヶ月で辞める ことになってその後は社員数20
人未満のちっちゃなスタートアップ にエンジニアとして退職日の翌
週に転職してそこでめっちゃCシャープ 書く生活になったって感じです
寺田 なるほどじゃあ最初のところ はいわゆるSE的なところで自分
がやりたいところとはちょっと ズレていたってところでギャップ
があってそこからいわゆるソフトウェア エンジニアというかプログラマー
としてのキャリアってところは 2社目から始まってるみたいな
大平 そうですね実質その通りです
寺田 なるほどその1社目のときに 今適応障害になったってお話も
あったと思うんですけどやっぱり 新入社員として入社した会社を
3ヶ月とか早く辞めるのって人によって は似たような感じでギャップとか
を感じて入る会社間違えたかも みたいな思ってる方とかいらっしゃる
と思うんですけどそこを結果的に っていうところもあるかもしれない
んですけど退社されて次のチャレンジ をしたってところで振り返って
みてそこをいい選択だと思った のかそもそも1社目からもっといい
ところ入れればよかったのかなので 言うとどういう感じですかね表現
が難しいんですけど
平野 そうですねどうなんでしょう ね最終的に確かに木野さんがおっしゃ
ってた最初に結局3ヶ月で辞める ようになった会社に入ってよかった
のかそれとも最初から自分が入り たかったとこに入ったほうがよかった
のかっていうのは私が最初にやっぱり 数学勉強して情報科に入っていれば
よかったのかそれともA文科で孤独 に頑張ってたから今があるのだろう
かとかいろいろ考えることがあって もし最初から行きたいとこに行け
たらよかった説はあるかもしれないん ですけど結果的に私今マイクロソフト
3社目なんですけど2社目がすごい もちろんマイクロソフトも最高
なんですけどマイクロソフトアドボケイト 職で2社目は普通にソフトウェア
エンジニアでアプリ開発をガリ ガリしててあんまり人間と会話
せず1日が終わるみたいな感じの 本当にガリガリ私便所サンダル
で出社してました便所サンダル で化粧もせずにパジャマみたいな
格好で出社してていうのででも そこも2社目はスタートアップだった
んですけどスタートアップのCTO にあたる人が私をTwitterで見かけて
声かけてくれたんですねプログラミング できなくて精神病で発狂しそう
になってる若い子がいると実際 私そのときに大学時代からいっぱい
技術ブログを書いてて当時まだ 聞いてなかったと思うんで普通
に自分のブログサイトを作って そこに投稿してたんですけどみんな
に役立つような情報とかじゃなくて 私の学習ブログは例えば参考演
談誌でしたっけあるじゃないですか あんまりそんな会話に出てこない
から実際に言うと参考演談誌を 覚えたとかそしたらif文で2行に
書いてたのが1行にまとまって すごいなとかその程度のことを
いっぱい毎日書いてたんですよ 記事をそれを見てこの子はプログラミング
を勉強するのが本当に好きなんだ なと思って伸びしろがあると思
って伸びしろ枠として声かけて くれて一応入社試験もあったん
ですね覚えてるんですけどコーディング テストでハノイの党言語何でも
いいから書いてくださいって言 って再起で書くやつで書いたんですよ
確かCプラとハスキル両方で提出 したんですけどそれをパスして
2社目に行ってだから私が1社目 があったから2社目に行って3社
目のMSも2社目での私の活躍という か2社目がたまたま技術スタック
がMicrosoftのCシャープでVisual Studio でクラウドはAzure使ってみたいな
感じでMSの技術スタックだった からそこでの開発経験などなど
あと週末に副業で漫画書いてて プログラミング言語擬人化とか
たまたまそれが見つかってたから いろいろあってMS受けるのどう
ですかって言われたからちょっと 説明が私苦手なんですけど要する
に全部つながってるので結果的に 良かったのかなとは当時はめっちゃ
辛かった本当にめっちゃ辛かったん ですけど最終的には良かったかな
と何だっけ人生万事最陽が生まれて いました
Microsoftでのキャリア
さすがです強要を感じますそれ 言葉をググったときにこれこれ
って言おうと思ってて忘れました ありがとうございますさすがです
強要
ありがとうございます
それだと思いました
本当に全部がうまくいってたわけ ではないと思うんですけどその
瞬間瞬間取れる選択肢っていう ところを自分で行動して取って
きたからこそ今があるのかなと お話聞いていて感じたのでこの
タイミングでちょうど今新卒とか で入られてる方とかもいらっしゃ
ると思うので今うまくいってない なみたいなとか新卒で転職どう
しようみたいな思ってる方とか もいろいろいらっしゃると思うん
ですけどやっぱり自分が信じる ものとか自分が大事にしてること
とかそういうのを大事に重きを 置いてそこの行動を取っていく
みたいなのも意図なしではない のかなっていうのをお話聞いて
すごい感じましたねどうしても 何するにしてもリスクはあるし
戻ることはできないと思うので 勇気はいると思うんですけどその
選択をし続けることがやっぱり 人生なんだろうなっていうのは
今お話聞いていて感じたところ です
清野さんの聞き手能力というか うまくまとめるスキルいつもすごい
なって思ってるんですけどそうですね うまくまとめていただいてありがとうございます
ありがとうございます
最後にお伺いしたいのが今働いて らっしゃるマイクロソフトに入る
ところの経緯というかそこをちょっと いろいろお伺いできたらなと思
ってますまず1個目ちょっと僕が 今気になっているのが2社目まで
いわゆるプログラマーソフトエンジニア として働いてらっしゃったわけ
じゃないですかそこから今エンジニア でありつつクラウドデベロッパー
アドポケートっていう形でまた ちょっと単純なものづくりとは
違う形でお仕事されてらっしゃる と思いますそのお仕事みたいなところ
はマイクロソフトに入られたタイミング でそういうポジションとして入られた
のか入ってからそういうポジション になったのかというとどういう
感じなんですか
ちょまど ありがとうございます先に 答えを言うと入る前からテクニカル
エヴァンジリストっていうロール で当時は2016年にマイクロソフト
に入社しましただから最初は結構 大丈夫かなみたいな不安があったん
ですけどそうですねその話を入社 のきっかけとかからの話からする
と私2社目で入って月曜から金曜 までもずっとコード書いて土日
も次は趣味プログラミングして みたいな通勤の電車の中でもプログラミング
してとかすごい楽しかったんですけど だから要するに精神が回復したん
ですねだいぶ1社目で精神崩壊 したんですけど2社目入って3日目
ぐらいで精神が回復しましてやった ぜって感じだったんですけどそう
したら当時コードIQマガジンっていう ので今名前変わっちゃったリクルート
なんとかだったかな当時コードIQマガジン っていうITエンジニア向けのウェブ
マガジンの人があって編集の方 からメールをいただいてプログラミング
言語擬人化のマンガをうちのメディア で連載できたらなと思ってます
なのでプログラミングができて かつマンガも書ける人を探して
ますと私もともと昔から絵描く のが好きで昔セラムばっか書いて
たんですね絵描くのが大好きで 絵描いてたんで高校のときはビゲル
マンガばっか書いててビゲルマンガ によって画力がある程度ちょっと
上がっていまして絵をたくさん Twitterに投稿してたんですねだから
私今フォロワーさん94,000人いて よく最初の1,000人くらいはどう
やって獲得したんですかみたい に聞かれるんですけど最初の1,000
人は私絵で獲得してたんです
そうだったんですね
向井 そうなんです最初の1,000人 は絵なんでプログラミングを勉強
してます大学生ですってやって アカウント作ってプログラミング
してる人たちをウォッチするために いろいろプログラミングしてる
人たちをいっぱいフォローしま くってでも私はまだプログラミング
に関して何も投稿できないので 何も話せることがないからまず
は趣味の絵を描いて投稿したら 当時プログラミング界隈の中で
絵描ける人がいなかった当時は まだ2000何年代Twitterできて新しい
初期なので絵描ける人がいるみたいな 感じでフォローいただいて私プログラミング
言語擬人化してみましたみたいな 感じで投稿したらちょっとバズ
ってそれで最初の1,000人はそこで ちょっとそれちゃったんですけど
ということでもともと絵は投稿 してたのでプログラミング言語
擬人化っていうのも私勝手に自分で やってたんですね
そうだったんですね
向井 そうで勝手に自分でやって たんです絵も好きだしプログラミング
言語も好きだからプログラミング 言語の各言語の特性学ぶ上で全部
女の子にしたらいいんじゃない かっていうオタク特有の謎思考で
そしたらいろんな有識者の方々 がいろいろ助言いただいてっていう
のを多分見ていただいてたと思う のでウェブマガジンの方からうち
で連載しませんかっていうのが あってキャラデザはちょまどさん
が今やってるやつじゃなくて新たに 権利関係的に塗り直すけどぜひ
書いてもらいたいですプログラミング 言語とマガ書ける人っていうこと
でというのでとにかくプログラミング 言語擬人化のマンガの走れコード
学園ってやつが連載が始まりました いろんなチーム組んで毎週もしくは
各週くらいかな最終的にで連載 しててそして2015年の12月くらい
にコードIQマガジンのイベント が200人くらいあるイベントが
千代田まどかのエンジニアキャリア
あったんですねコードIQマガジン 感謝祭みたいなのがあって当時
私のコード学園のPVが結構上だった のでいろんなたくさんの方々に
見ていただいてたのでLT大会には ぜひ出てくれませんかと私びっくり
して人前に出るとか本当になかった のでさっきちょっと言ったとおり
便所サンダルで通勤して3食待つ 屋でとか本当に人間性を捨てている
生活をしてたので人前に出てしゃべる なんて本当に無理ですって挨拶
だけすればいいよと言われていつも 感謝してるしじゃーって言って
初めてマイク持ってこんにちは ちょまろですコードIQ走れコード
学園書いてます私はだから本業 は漫画家じゃなくて本業はプログラマー
でどんなのをいつも作ってるか っていうとCシャープでビジュアル
スタジオでXamarinっていうフレームワーク 使ってスマホアプリ開発してます
バックエンドAzureのあらゆるの 使ってとかいうのたまたま200人
の聴衆の中にマイクロソフトの 方がいてあの子AzureでCシャープ
でアプリ書いてんのってびっくり したみたいでその方がその次の
日ちょうど上司とのワンワンだった みたいでエヴァンジリストの方
だったんですねエヴァンジリスト の上司とのワンワンでなんか昨日
コードIQの感謝祭ってイベント 行ってきたらちょまどさんっていう
方がCシャープでAzure使って運用 関連してたみたいで漫画書いてる
らしいですみたいでなんか雑談 ベースで話したら上司の人がなんか
私に連絡くれて今テクニカルエヴァン ジリストのロール要するに僕の
チームで1人空きが出てますとだから その選考を受けてみませんかっていう
ので来てそのジョブディスクリプション とか書いてあるページのリンク
を送ってきて最初私スパムかと思 ったんですけど本当らしいっていう
のでそれですごい迷ったんですね これはつまりエンジニアではない
のではとかマイクロソフト突然 みたいな私が無理なのではとか
考えてでも第3回目で多分詳しく 話すことになると思うんですけど
私エンジニアコミュニティに本当に 感謝してるので恩返ししたいって
ずっと思ってた本当にエンジニア のコミュニティがなかった私本当
孤独で女子大時代に心が折れて 多分プログラミングも続けてられ
なかったと思うので感謝してるから 恩返ししたいってそれでこの
テクニカルエヴァンジリストっていう 職は今のアドボケートとほぼ同じ
なんですけどエンジニアコミュニティ を支援する仕事であるとエンジニア
としてエンジニアじゃないとエンジニア の皆さんとの会話のプロトコル
が違いますのでエンジニアとして エンジニアを支援するというこれは
いいんじゃないかとりあえず面接 だけでも受けてみようって当時
の上司と相談してその当時の上司 もマイクロソフトは難しいから
多分千代田さん落ちると思うでも 面接5回あるんでしょうとマイクロソフト
の偉い人5人とそれぞれ50分ずつ 話せるなんてなかなかないじゃん
落ちても今の生活が続くだけなん だし行ってみなよって言われて
確かにと思って英語面接とかある から英語で改めてしたりとかして
突撃してまさか受かったどうしよう って言ったら行ってくればって
言ってそれで私は覚えてるんです 当時の上司との会話マイクロソフト
ってすごい外資だからすぐクビ になるらしいから多分2年くらい
でここ戻ってくるんでそのとき はまたよろしくお願いしますって
言いながら行って今もう9年目ですね っていうのがありました
なるほどありがとうございます本当に そこでいわゆる仕事の役割という
か自分の仕事みたいなところも 単純な開発ってところからいわゆる
コミュニティってところに変わ っていってはいるもののやっぱ
そこ自身も自分がやりたいと思 っていたことというか恩返しみたいな
ワードがあったと思うんですけど そこの意思を持ってマイクロソフト
に入られたってことなんですね
エンジニアコミュニティへの恩返し
そうなんです
ありがとうございますちょっとそこの 恩返しみたいなところまた第3回
のほうでいろいろお伺いをさせて ください
はい
ちょまどさん今日はありがとうございました まだまだお話ししたりないので
次回もちょまどさんとお送りします ということで今回ちょまどさんの
キャリアについていろいろお伺い してきました僕がちょまどさん
を初めて知ったタイミングでもう マイクロソフトに入られていた
気がしていてそこからのキャリア ってところしか僕はあんまり知ら
なかったので今日は本当にいろいろ お話できてとても貴重なお話聞
けてありがたいなと思ってました 本当にマイクロソフトっていう
名前だけ聞くと本当にすごいキャリア を描いてきたんだっていう印象
が僕は結構あったんですけどちゃんと お話聞いてみるといろいろ挫折
もあれば波というかキャリアの タイミングでいろいろ波もあった
と思うのでこの瞬間自分ダメだな って思うタイミングあるかもしれない
んですがリスナーの皆さんもこの 瞬間やれることっていうところ
を一生懸命やっていくことがこれから のキャリアにつながっていくん
じゃないかなというふうに思いました さてこの番組では感想や次回ゲスト
の質問リクエストなどをお待ち しております番組詳細欄にある
リンクよりお気軽にご投稿ください xではハッシュタグkitafmをつけて
ポストしてください表記は番組名 と一緒でqfmが大文字残りは小文字
ですそしてアップルポッドキャスト やスポティファイのポッドキャスト
ではレビューもできますのでこちら にも感想を書いてもらえると嬉しい
ですkita株式会社はエンジニアを 最高に幸せにするというミッション
の下エンジニアに関する知識を記録 共有するためのサービスkita社内
向け情報共有サービスkitaチーム を運営していますぜひカタカナ
でkitaと検索してチェックしてみて ください来週も火曜日の朝6時
に最新話が更新されます番組のフォロー をして最新話もお聞きください
お相手はkitaプロダクト開発部 部長の清野敏文と
Microsoft Cloud Developer Advocateのちょまど でした