1. エンジニアストーリー by Qiita
  2. #5 マイクロソフトで働いて気..
2024-05-21 30:08

#5 マイクロソフトで働いて気づいた事【ゲスト:『世界一流エンジニアの思考法』の著者 牛尾剛さん】

今回からのゲストは『世界一流エンジニアの思考法』の著者 牛尾剛さんです


<トークテーマ>


・マイクロソフトに入社したきっかけ、経緯

・マイクロソフトに入ってびっくりしたこと

・いつまで海外で働こうと思っている?

・海外で働くことの面白さ、大変さ

・日本に戻りたいと思うことはある?



< 牛尾さんTwitterページ>


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サマリー

牛尾剛さんは、マイクロソフトで働く中で気づいたことについて話しています。

マイクロソフトでのキャリアチェンジ
日本最大級のエンジニアコミュニティ Qiita プロダクトマネージャーの
清野俊文です。この番組では、日本 で活躍するエンジニアをゲスト
に迎え、キャリアやモチベーション の話を深掘りしながら、エンジニア
を皆さんに役立つ話題を発信して いきます。今回からのゲストは、
世界一流エンジニアの思考法の著者 牛尾剛さんです。牛尾さんは、現在
シアトルにお住まいですので、 オンラインで収録した音声になります。
よろしくお願いします。
牛尾剛 よろしくお願いします。マイクロソフト
でクラウドのサーバーレスのプラットフォーム を作っています。牛尾剛と申します。
よろしくお願いします。
おだしょー よろしくお願いします。今日は
いろいろお伺いできるのを楽しみ していたので、ぜひ聞かせてください。
牛尾剛 それはよかったです。
おだしょー ということで、牛尾さんとお送り
する1回目のテーマは、マイクロソフト で働いて気づいたことです。今、
牛尾さんはマイクロソフトで働いて いらっしゃると思うんですが、そこ
についていろいろお伺いできたら なと思っております。マイクロソフト
に入社したきっかけとか経緯みたいな とかもお伺いしたいなと思って
いて、要はそこまで全然プログラミング とかを本格的にやってなかった
わけじゃないですか、本業として。
牛尾剛 うん。やってなかったですね。
おだしょー なので、そこからマイクロソフト
だと思うんですけど、マイクロソフト で。マイクロソフトっていう大きい
会社で新しいキャリアを始める ことができたきっかけとか経緯
とか理由みたいなのをお伺いしたい と思います。
牛尾剛 スーパー適当ですけどね、はっきり
言ってね。
おだしょー スーパー適当。
牛尾剛 正直、そうですね。だから当時、
なんていうのかな、アジャイルコーチ とかやってて、ありがたいことに
全然余裕で食べていけて、誰に縛られる こともなく、だって自分の会社
でしゅみたいな。言うたらいいんですけど、 僕は技術をやりたかったんですよ。
人間経営じゃなくて技術をやりたくて。 技術をやりたくて、当時だからクラウド
勉強したいなとちょっと思ってた ところ。あとはさっきのアジャイル
コーチ、自分でやるのもないけど、 僕はそういうの結構才能がある
人で、人にやってもらうのは才能が あるんですよ。自分でやるのは最悪
なんですよ。だからそういうのは結構 うまくいってたんで、まあ楽勝
やし、なんか、ぶっちゃけ飽きてきた。 飽きてきて、別のことしようかな
と思って、空いてる時間を使ってね、 海外で働きたいなと思って。
英語の勉強をスタートして、いろいろ オッサンになってから、だから英語を
勉強して、で、なんかやってるうちに、 英語の環境で働きたいな、みたいな
思ってて、で、そういう話をしてたん ですよ。自分の友達のミーさん
というやつがいて、で、ミーさんに、 ああ、俺は英語を使える環境で働きたい
んやな、みたいな話をしてたら、 ミーさんは、うーん、そうだね。
で、うしろくん、マイクロソフトも 言ってんじゃね?って言われて、
あ、そうなんだ、と。えー、なんか1ミリも 興味なかったけど、まあ、そんなん
言うんやったら、出てみようかな、 とか言って、っていう話をしてて、
そしたら、ミーさんっていう人が、その場で、 こう、携帯で、マイクロソフトに
勤めてるし、ますもちさんってやつに、 まず、メールをして、メッセー
みたいなをして、なんか、面接してもらえん みたいな、みたいな。あ、そうなんや、
じゃあ、受けるわ、みたいな。そういう 感じでした。
そんなふっかる感だったんですね。へー。
はい。そんな感じでしたよ。だから、 そんなに、全くストラテジック
じゃないし、まあ、単にだから、自分の中で、 その、英語を伝えたいっていう、
まあ、ぶっちゃけ、もう、なんか、アジャイル コーチ、飽きたから、もう、英語を使いたい
っていうのと、その、なんていうのかな、 技術をやりたいっていうのが、自分は
強かった。だから、アジャイルって言うとね、 ヒューマン系が多いので、その、
なんか、導入だけやと。だから、その、 もっと技術をやりたいなあと思って。
で、まあ、今、その時点で、いきなり、この、 なんていうの、今みたいなSDAになる
ので、たぶん、無理があるので、ちょうどね、 ポジションはね、エヴァンデリストっていうのが
空いてたんで、そういうの良かったんですよね。 だから、エヴァンデリストって、人前で
説明したりとか、デモする仕事じゃないですか。 そんなに言うでも、技術力はいらない
んですよね。でも、だから、自分が今まで養った、 コンサルで養ったものを、人の前で喋る
とか、説明するっていうスキルが使えるし、 で、自分でデモとかするから、まあ、
技術には触れるわけじゃないですか。 だから、そうやって、なんかちょっと
プログラミングもできるし、だからなんか、 自分にとってちょうどいい階段だったんです
よね。自分が将来、その技術をやりたい っていうのに向かっていくにあたって、
ちょうどいい階段で、しかも、まあ、 自分の相手の会社に対しても、バリューを
提供できるじゃないですか。自分はもうだって、 長年コンサルとかやってるし、講演とか
エヴァンジェリストからSDEへ
慣れてるし。だから、まあ、だから、ちょうど いいな、みたいな。で、まあ、なんか気軽に
受けて、気軽にやったら、なんかこう、 海外のポジションに採用してもらって、すごい
面白いな、みたいな。最高だ、みたいな。 そんな感じでしたね。
そうなんですね。じゃあ、最初に入社した時の ポジションで言うと、エヴァンジェリスト
だったって感じですか? エヴァンジェリストですよ。
SDEじゃないです。
入社してから、そういう、いわゆる エンジニアの方に、内部的なキャリア
チェンジをしていたみたいな感じですか? そうですね。
じゃあ、マイクロソフトさんの中でも、実際 エヴァンジェリストみたいな働き方も
してた時はあるんですか? 僕、最初の2年とか、もうゴリゴリ
エヴァンジェリストですよ。 ああ、そうなんですね。はい。もうはっきり
言って、自分で言うのもないけど、 エヴァンジェリストとして、私は才能が
あるんで、何の努力もせずに、1位取れたり とかしました。
へー、そうなったんですね。
僕は人にやってもらうのが得意です。 自分がやると最悪なだけで。そうなんす。
へー、そうなんですね。
なんかその、社内でのこう、ジョブチェンジ みたいな感じだと思うんですけど、
そこでのこう、なんて言うんですかね、 先行みたいなものとかって、どういう
感じなんですか? なんかなりたいって言ったら、
割と簡単になれるものですか? あのね、2つの要素があって、
でまぁ、ちょっとラッキーな1つの要素があって、 もう1つは、
なんて言うのかな、 本当にジョブチェンジなんですけど、
まず、そのラッキー、僕にとってのラッキー その1は、エヴァンジェリストのチームが
なくなったんですよ。 組織変更なんですね。
で、組織変更でなくなって、その、なんて 言うのかな、お客さんに新しい技術を
導入するのを、なんか推進する時に、 エヴァンジェリストの時は、まあいったら
デモとか、そのプレゼンじゃないですか。そういう スタイルから、もっとお客さんと一緒に
ハッカソンとかをやって、それによって、 その、なんて言うの、お客さんに新しい技術を
導入するのを支援するっていう風なスタイルに 変わってきて、だからエヴァンジェリストから
まあその時に、タイトルだけはSAで、 まぁでもだからハッカソン職人みたいな
感じですよね。 だから、そのエヴァンジェリストの時より
ちょっとだけまた、必要な技術レベルが上がって、 自分としてはもうこのトランジション最高
みたいな。 だって俺はプログラマーになりたいもん、みたいな。
ちょっとレベル上がったら嬉しいみたいな、 そんな感じでしたね。
なるほど。で、そこからまあ徐々に徐々に、 その、いわゆるエンジニア側に、こう、
ポジションとしては変わっていったみたいな感じですかね。 そうですね、だからそれでやりながら、
えっと、まあ僕はやっぱり将来的に、そのなんていうの、 あのやっぱりSDEになりたかったんで、
その、まあなんかその日本にコントリビュートしたりとか、 その、まあやりながら、まあその上司とかにもだから、
まあ将来アメリカで働きたいんだーとか言ってたら、 まあ3年ぐらい経ったら、強氏おめでとうっつって、
忘れた頃に言われて、何のこと言うたら、 いや、アメリカでお前働けるようになったよ、と言う。
あ、マジで?みたいな、ありがとうって言う。 で、速決してアメリカ行って、だからその時はまだだから今のチームじゃないんですよ。
前のチームで、そのHack職人チームでアメリカに行って、 で、えっと、まあそのHack職人チームもね、かなりいいとこやったし面白かったんやけど、
あの、やっぱり僕SDEになりたかったんで、 その、まあしかもそのポジションがDevOpsやったから、
まあインフラストラクチャーズコードとか、 まあコードも書くけど、そんなゴリゴリに書く感じではないっていうかね、
ちょっとエクステンション作りますとか、まあそんな感じのノリやったんで、 なんていうのかな、もっと僕はだからゴリゴリにやりたいなーって。
で、それで、まあアメリカ経って1年ぐらい経ったぐらいかな、 それの時に、まあちょっと、まあコロナ始まった頃ですけど、
まあ、準備をして受験した。他のチーム。 まあそれはほぼ他の人、外の人が受けるのとあんまり
プロセスとしては変わらないですけど、 まあリートコードってやつ、ちゃんとやって、
まあそういう、そういう普通の、普通のやつをちょっとやって、で、 まあ受験したら一応2チーム受かったんで、
で、このファンクションズチームは僕の夢やったんで、 こっちも受かったんで、まあラッキーなことに。
だからまあ、それで、SDNはまずは慣れました。 そうなんですね、そこからあの本に書かれているようなところが始まっていくってことですね。
そうそう、だから元々だから、コンサルからまずは、デブオープス、 なんかエヴァにやって、エヴァからハック職人やけど、
デブオープスのハック職人やったんで、 自分としては2つジャンプがあるんですよ。
プログラム、アプリケーションのSDNじゃないので、 アプリケーションのSDNなんのと、そのSDN、多分人生で、
ほんまにプログラマーみたいなんて初めてなんで、 結構自分にはチャレンジしかやったんですけど、全部エヴァやしね。
そうですよね、えー。
まあ、そんな経緯です。
なるほど、ありがとうございます。
お話聞いていると、本当に今のポジションになるまで、 本当に細かいチャレンジをたくさん重ねて、ここまで来ていらっしゃるんじゃないかなと思ったんですけど、
やっぱりそのチャレンジって一つ一つ、やっぱり 弾力もいるものではある気がしていて、
一つ一つやっぱりちゃんと壁があって、 それを一個一個ちゃんと乗り越えていかないといけないというか、
なんかそこをこう、なんて言うんですかね、 やり続けることができた理由って、
なんかさっきやっぱりそのやりたいって気持ち自体はあったと思うんですけど、 なんかそれを持ち続けられるのって何でなんだろうっていうのはすごい気になりました。
そうなんですか。僕は多分ね、ダメにゃんにゃんやからですよ。 子供の頃から何やってもできへんやつやったんですよ。
だから、自分がやると暗黒なんですよ。何やっても。
勉強もできへん、運動もできへんって、 ほんまに俺伸びたくんみたいなって子供の頃思ってましたよ。
人のなんか3倍ぐらいやったらようやく、なんていうの、 人の頑張ったぐらいの成果が出るみたいな感じなんで、
3倍ぐらいやらへんと、並の人にすらなれないって感じなんですよ、僕って。 もし僕は何も努力をしなければ、もう普通になってたら多分だから僕はもう何もできないので、
なんていうのかな、もう後がないって感じですよ。 やらざるを得ないっていうか。
なんかめっちゃ後ろ向きですよね。まあでもだから僕としては必死です。 必死でやらないと人並みにすらなれないんで。
マイクロソフトで働く経験
ありがとうございます。結構大多数の人っていろいろ挑戦していく中で、壁があって挑戦して、うまくいかなくて、
挫折しちゃうみたいなパターンも多いんじゃないかなって気がするんですけど、 今の牛尾さんのお話で言うと、何て言うんですかね、
挫折ありきというか、それ自体が良い悪いじゃなくて、とにかくやり続けるみたいなところのスタンスというか考え方が、
やっぱり他の方たちとは持っているものが多分違うんだろうなっていうのは、今お話ですごい感じました。
あ、そうなんだ。僕は常にこんなんしかなかったもんね。もうやらないとね、やってもだいたい失敗するんで。
やって、頑張るしかないですよね、ほんまにね。人並みにすらならないんで。
でもだからこそ、言っちゃえば、やっぱ他の人が憧れるような仕事というか、すごいなーって思うような仕事を今はされていると思うので、
やっぱそこをやり続けたからこそなんじゃないかなーっていうのは、今お話聞いて感じましたね。
そうですね、なんか才能がなくても、なんかね、ちょっとずつやってたらなんとかなると思うんですね。
僕もちょっと頑張っていきたいなって、改めてお話にすごい感じました。
さっき海外で働こうって思って英語を始めた話あったじゃないですか。なんで海外で働きたかったんですか?
いやーだってアメリカって明らかになんかコンピューターサイエンスナンバーワンじゃないですか。
だって自分が昔からプログラミングの本とか読んでたら、
大抵すごい質がいいやつってアメリカから来てるやつで、だから、なんかケントベックかっこいいなーとかそういうふうな感じになるじゃないですか。
で、なんかね、なんか新しいすごい世界を変えるようなサービスっていうの大体アメリカから来るじゃないですか。
だからやっぱりなんかかっこいいな、本場で、本場だろうなーみたいな、なんかこう、野球で言うとなんかMLBみたいなイメージじゃないですか。
やっぱりMLBでやってみたいなーみたいな。かっこいいなー、あんなの慣れたらみたいな。
まあそういう安易な理由ですよね、ぶっちゃけ。
結構今までも海外で働いたことある方とか海外で働いている方とこういう感じでお話しさせていただいたことあるんですけど、
やっぱりこうみんなやっぱりそのアメリカっていうところの最先端のところで刺激を受けたいとか学びをこういろいろしていきたいとか、
そこで働くこと自体に意味があるっておっしゃってる方多いので、
やっぱそれだけやっぱそこはアメリカっていう国は魅力的な国なんだなーっていうのを毎回僕も、だからすごい僕もいつか行きたいなーって気持ちになってきちゃいますね。
あーもういつでも来てください。
ありがとうございます。
実際こう海外、海外というかもうアメリカ行ってみて、まあそのいわゆる最先端の地だと思うんですけど、やっぱその最先端感みたいなの感じますか?
最先端感って実はあんまり感じないですよ。
そうなんですね。
実際働いているとなんていうかな、なんていうのかな、うまく言えないですけど、なんかね新しいものに飛びつくのは日本の人の方が早い感じがします。
そうなんですね。
なんかこっちはね意外と地道ですよ。
地道なんで、そのなんていうのかな、例えばなんかチャットGPTが発表されましたとかいう時に、日本とかやったらもう発表された次の日ぐらいにものすごいたくさんの人がなんか試してブログ書いてみたいなんていうかするじゃないですか。
そうですね聞いたのかなりその瞬間、瞬間風俗的にめっちゃ記事投稿されましたね。
ですよね。そんな感じじゃないですか。めっちゃ早いですよね。でもこっちにいると誰もそんなことやってない雰囲気がありますよね。
そうなんですね。もっとアメリカとかの方が盛り上がってるのかと思ってました。
なんかねだから飛びつくのは日本の方が早いんですけど、こっちはなんていうかな、でもその後着実にそういうの使ってなんかするんですよ、イメージとしては。
だからその別にその当日発表されたからって僕らなんかしてへんけど、まあなんか順調に例えばそのチャットGPTとか業務で使えるようにみんななんかねこうあのチャットGPTと契約、
自腹で契約する人もいたりとか、まあ僕もしたけど、まあだからそんなんでみんな徐々に使っていってみたいな、ドカーンっていうよりもこんな感じです。
えーそうなんですか。
こんな感じなんで、でみんなちょっとずつ使っていくんで、なんか気がついたら結構遠いところまで来てるみたいな。だからこっちのほうが遅い感があります。
日本とアメリカの技術文化の違い
なんかそういう感じの雰囲気の中で、いわゆるプラクティスとか知見とか、なんかそういうこういう感じで使っていくと良さそうみたいなもののこう、ナレッジってなんかどういう感じで溜まっていくんですか?
ああ、ナレッジ、そういう風な、なんか新しいもんに対するナレッジですかね。
そうですね、なんかこう使っていったら良さそうみたいな、なんかいわゆる例えばKiitaとかだと、そのチャットGPTが出た瞬間にそういう記事がよく投稿されてて、こういう感じの使い方もできそうとか、APIこういう感じで使ったらパフォーマンス上がりそうとか、そういうのってどういう感じでこう広まっていくのかなみたいな。
こっちはどっちかというとなんか、もうガチで業務に投入してる感じでしたね。
ああ、なるほど。もはや趣味とか、その興味本位で使っているというよりも、本当にビジネスとしてやっているみたいな、そういう雰囲気なんですか?
そうですね、だから結構日本にいてる時とアメリカにいてる時の違いって、だからそうスピード感では実はなくて、
まあこっちの場合すっごく快適なのが、上の人までもう技術のことがすげーわかってる感があるんですよ。
だから上の人までずっとエンジニアみたいなノリなんで、僕のマネージャーっていう人は、Azure FunctionsのJavaのランタイムを書いた人やし、
その上もなんかPowerShellのすごいのを開発したらしいし、その上もApp Serviceっていうなんかパースのサービス、ゼロから書いたやつやし、みたいな、そういう風なノリなんですよ。
だから、むしろ自分の上司の方が、お前絶対俺よりプログラム書けるやろ、みたいな、そういう風なノリなんですよ。
だから、なんか変な説得とかしなくていいんですよ。
ああ、なるほど。意思決定が早いみたいな感じなんですか。
そう、だから意思決定がなんかすげー適切な感じがする。
だから日本にいる時ってなんか、これがいいからちょっとやった方がいいんじゃないの?って思って提案とかしても、すごい通すの大変じゃないですか。
お偉いさんにわかるようにこう、すっげー説明してとか、だからようやくなんかすごい小さなことがやれるみたいな、そういう感じじゃないですか。
こっちはどう、なんていうかな、そういう風ななんか、上の人に説明する人がないんですよ、そういう、なんか、こういう技術ってすごい技術やから、ちょっと導入した方がいいんじゃないとか。
まあそういうところか、向こうから言われる、どっちかというと。
むしろそっちの方がアンテナが。
そう、向こうの方がアンテナを張ってるので、ちょっとぶち込んでみるか、みたいなノリになって、それとかハッカソンとかのイベントがたまにあったりするんで、
そのハッカソンとかで僕らはちょっと勝手にインプリメントしたやつが、それがプロダクトにしようかってなったりとか、そういうノリですよね。
なんか雰囲気で言うと、やっぱりそのコンテキストが揃っている感と、やっぱなんかテクノロジーっていうものに対しての信頼感というか、なんかそこに対してのパワーみたいなのを、やっぱり日本の組織よりも信じている感がある感じなんですかね、今のお話で言うと。
そうですね、だからこの前もね、結構面白いことがあって、なんか開発してる新しいプラットフォームがあって、で、そのなんていうのかな、まあそれ今発表されたから一応言えるけど、
それで、それにこうすっげー貢献した人が2人ぐらいいたんですよ。そのどっちが出世してもそれはおかしく、僕何も問題もないと思うし、思うんですよ。
思ったんですけど、まあそれぐらい2人ともすごいコントリビュートしてた人がいて。で、1人はもうすごいアーキテクトみたいな人で、もうすべての設計に関わってくれて、すごいアドバイスもくれたりとか、
最終的な設計は自分、各エンジニアがするんやけど、それも全体的なコンセプトを考えてくれて、で、なんか彼に相談したら、もうすごいいいアーキテクチャーのディスカッションがすごいよくできて、
で、彼はもうすべてのアーキテクチャーの何たちとかどうやったらいいっていうのをみんなわかっていて、
ほんますごい奴なんですよ。すごいし、で、そういう彼、だからもうコンセプトから考えて、その新しいプラットフォーム。
で、それですべてを把握していて、で、みんなにそういうような各デベロッパーと技術のディスカッションをして方針を決めていってみたいな、本当に彼すごい知識と実践能力、もちろんコード書いてもスーパー速いし、
で、っていう人がいて、もう一人はどっちかというとガンガンにコードを書いていく人で、ただ彼はプロトタイプを作って、で、この技術をブレイクスルーさせたら、ものすごい速いスケーリングができるみたいなね。
そういうプロトタイプを作って、それを成功させて、で、あと今はだから設計とかそういうふうなところのやつをゴリゴリやってるっていう、
2人とも僕から見たらすんげーすごいしかっこいいんですけど、で、その後者の人の方が早く出世したんですよ。
僕はちょっとびっくりした。これ日本やったら逆じゃないかなと思うんで。 たしかにそうですね。
というか日本でやったらもしかするとこの人らですらなくて、これを統括してるなんかこう事業部長みたいな人が出世しそうですよね。
ノリとしては。エンジニアじゃなくて。 だからでもね、それって僕は、なんか別にこの人が出世したんですけど、僕はそれはそうやと思ったけど、
なんていうかな、ちょっと思ったのは、ああ、多分上層部の人とかもすごい、だからその技術の価値っていうのがわかってるんだ。
すごい思ったんですよね。 だからそういうところがすごい日本と違うところなんじゃないかなと思います。
日本やったら半分ぐらい成長しないといけなかったんで。 寝回しとかを結構やるイメージありますよね。
お偉いさんなんとか説得みたいな。 なんかそれがないのは結構足枷がなくていいかなみたいな。
エンジニア能力がすごい違うとかそういう話じゃない。 なるほど、ありがとうございます。
結構今までそこらへんはお聞きしたことがなかったので、すごい新鮮感がありました。
ADHDへの取り組み
番組ではリスナーの皆さんにも参加してより楽しんでいただけるよう、
ゲストに質問したいことを番組詳細欄にあるフォームにて事前に募集しています。
採用されたご質問は番組内で紹介し、直接ゲストの方にお答えいただきます。
ではですね、早速リスナーネームつばささんからのご質問をお答えいただきたいなと思ってます。
内容がADHD対策でやっていることをまとめているノートの記事を見ました。
牛尾さんはいつどんな時に自分がADHDであることを自覚して記事のような解決法を見つけたでしょうか。
そうですね、僕は子供の頃からできなかったんで、なんでこんなできへんのかなっていつも思ってましたよ、正直。
本当俺自分クソやなぁと思ってましたよね。だからね。しかもさ、努力だけはするんですよ。
努力をするのにできへんっていう、この何ていうかな、自己肯定感もうダダ下がりみたいな状態で。
他でも言ったことあるんやけど、一つ例を挙げると、僕バスケ部やったよ。
で、6年間僕は毎日みんなよりも1時間早く来てランニングをして、練習が始まる1時間前に来て、
それでシューティングの練習とかいろいろして、そんな1時間も早く来て一緒にやってるのって僕とキャプテンぐらいだったけど、
そんなんでやってて、で僕は一体どうなったかというと1秒も試合に出られませんでした、6年間。
そうなんですね。
だからさ、なんていうの、何あってもそんな感じで、すっげえ努力はするくせに全然できへんみたいな。
だからもうね、もう、だから自分本当に嫌いやし、自己肯定感ゼロやし、で、なんていうのかな。
そういうので、なんで俺こんなんなんやって、っていうのがあって。
でまあそういうのを、ある意味救ってくれたのはいろんなメソッドやったんですけど、
著者の働きの経験
当時受験勉強法みたいなのを勉強したら、大学ちゃんとしたとこ入れたんで、
なんていうのかな、自分はクソのようにダメでも、上手くいくメソッドがあれば、なんとか普通の人みたいになれるんじゃないかみたいなもんで。
で、そういう僕は結構メソッドマニアみたいな。
で、そういう過程で、本を読んでるときに、たまたまADHDの本を読んで、あれ?俺?これじゃね?って思ったんですよね。
そう、自分の目覚め、当てはめてみたときに、これ、俺じゃね?ってすげえ思ったんですよ。ADHDの特徴を見て。
で、それで、本当に自分がクソほどにできへんっていうのを本当になんとかしたかったんで。
だから、あれ、何歳ぐらいだったかな?30ぐらいのときでしたかね。
で、それで、なんか当時大阪に住んでたけど、東京だけにADHDの委員があったんで、東京に行って診察してもらったんですよ。
僕はADHDやったんですかね?って言ったら、お薬出しておきますねって言われて、そう言われて。
でもは、だからその時の気分としては、なんていうの、半々だったんですよ。
自分がなんか、半分は自分がある意味救われた気分ですよね。
自分が何か努力してないとか、そういう話じゃなくて、そもそも障害みたいなもんで、自分で勉強しても、いつも空回りして全然うまくいけへんやん。
それはでも受け入れるしかないんやな。なんでかというと、前東洋の機能があんまり活発ではないので、記憶、短期記憶がすごい少ないんですよね、ADHD。
だからもう仕方がないですよ、すぐ物音忘れるとかすぐ気が散るとかもう仕方がないんで、シャンって。
で、だからそれは自分のせいじゃなかったっていう安心感と、まぁある意味諦めですよ。
だからもう自分には左手がないっていうのが分かったみたいなもんなんで、左手投げようとしても絶対うまく行きっこはないと、仕方がない。
僕は気持ち悪いようにしようとしても無駄やと。だから僕はメソッド好きになったっていう経緯があるんで、いろいろADHD勉強して、
だからそういうメカニズムをまずアンダースタートしたわけですよね。だから前東洋の働きが少ないので。
だからそういうのでいろいろ情報収集をしたら、例えばなんていうのかな、だからそこでまずは、
そっそりとして当時のリタリン、今は許可されてないんだけど、今はコンサーターなんですけど、当時はリタリンやって、
でリタリン処方されて飲んで衝撃的でしたからね。飲むじゃないですか。だから今まで部屋とかもう超散らかってるんですよ、今もそうやけど。
でもなんか自分で勝手に部屋を片付け始めたりとか、なんていうのかな、ここにこう置いてあるものがなんかちょっと曲がってた気持ち悪いとか、
人生で感じたことない、あ、そういえばなんか前の人ってこんな感じやみたいな。 で、僕音楽やってたから、音楽とかやってたけどなんかコーラスのラインとかよく全然
耳コピできんかったのに、それ飲んでやったら明確にわかるんですよ。 こうなってるみたいな。集中力高い状態最高みたいな。
こんな薬で一つですげー変わるんだみたいな。 まあだからそれもだんだん効かなくなっていくんですけど、だんだんね、
慣れてくると効かなくなるけど、まあだから 薬一つでそんななるんだっていうのはわかったのと、
で、まああとはだからそういうので、自分勉強して、だから何がそもそもできへんやとか、何がそういうのを助けてくれるかとか。
例えばオメガ3っていうのを飲むとちょっとマシになるとか、 あのそういうのは全東洋の働きみたいなんで言うと。で、さっきみたいにディタリンとかもそうやし。
で、最近だと、だから僕はアメリカへとなんかそのADHDのサプリがある。 薬ではないけど。
だからそういうサプリがあったりとか、そういうふうな勉強ですよね。 自分で勉強して、もうADHDだとわかったんで、何が自分ができへんかとか、
それをどうやってサポートするのかとか、まあそういうのを勉強して、でまあ自分でやってうまくいったやつをちょっとブログに書いたりとかしてるっていうノリですかね。
著者のキャリアに対する姿勢
なるほど、そうなんですね。ありがとうございます。 さっきのお話も含めて、やっぱり本当にこう
何て言うんですかね、こういろんなものを言い訳にして諦めるという、とにかくやっぱりこの現状を見て、そこに対してこうやることをしっかりやっていくってことを地道にやっていらっしゃるんだなってすごい思いました。
そうですね、後がないですからね。これやらなかったら。
牛尾さん、今日はありがとうございました。まだまだですね、お話ししたりないので、次回も牛尾さんとお送りします。
今回はですね、牛尾さんのキャリアのところですね、メインにいろいろお伺いしてきました。
本当に現状の、いわゆる壁とかハンディキャップみたいなところもある意味で持っている中で、そこに対してそれを言い訳にして何かを諦めるというより、
そこをあるなりにどうやっていくかって工夫しながら、どんどん新しいことに挑戦していくっていうのはすごい印象的でした。
なんか僕も、なんか結構やっぱ日々業務している中で、いろいろキャリアみたいなのが固まりつつあるぐらいの年代になりつつあるかなと思うんですけど、
そこを言い訳にして、いろんなことを諦めるならやめようって、また改めて思ったところです。
さて、この番組では関西弁1回ゲストへの質問、リクエストなどお待ちしております。
番組詳細欄にあるリンクよりお気軽にご投稿ください。
XではハッシュダグKiitaFMをつけてポストしてください。
表記は番組名と一緒でQFMが大文字、残りは小文字です。
そしてApple PodcastやSpotifyのPodcastではレビューもできますので、こちらにも感想を書いてもらえると嬉しいです。
Kiita株式会社は、エンジニアを最高に幸せにするというミッションのもと、
エンジニアに関する知識を記録、共有するためのサービスKiita、
社内向け情報共有サービスKiitaチームを運営しています。
ぜひカタカナでKiitaと検索してチェックしてみてください。
来週も火曜日の朝6時に最新話が公開されます。
番組のフォローをして最新話もお聞きください。
お相手はKiitaプロダクトマネージャーの清野俊文と、
牛尾剛史でした。
30:08

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