でもね、本当にそれを通して、今度はちょっと男同士になりたいのかなっていう風な感じの話もあったじゃないですか。
今までは監督、そして親子っていうところだったんだけど、
今度はなんとなく息子君と男同士になりたい。
携帯電話、9時の寒い、今はちょっと暖かくなってきましたけど、
ちょうど聞いていただいてたその時期は寒い時期だったので、
その時にもう、何回夜外に出て、携帯してる感じなんだよね、みたいな。
そのあたりはいかがですか。
あれからですね、その素振りは全くなくて。
そこは突っ込んではないんですけど、もしかするとね、
好意にしてる女の子と何か良くないあれだったかもしれないですけど。
でも見てればわかりますから、特段大した問題じゃなかったんだろうなっていうのは思ってますけどね。
こちらの方はね、ほんわかな感じの変化であったからね。
それはね、深刻になる感じの、ちょっとね、前半の部分とは違う話ですからね。
そうですね。
まあまあ、でも女っ気がまだないのがちょっとたまに傷というか、たまに傷でもないんですけど。
だって中二でしょ。
そうなんです。お前も中学校2年生なんだからお前っていう。
まだないですよ。
いや、まだないです。逆に中二、ってことはだからマサルちゃんはあったって話ですよね。
ありましたよ。当たり前じゃないですか。
なんかね、回の中でもそのハグの下りとかでなんかちょっとプレイボーイ感をすごくマサルさんに感じたんですけども。
いやいやいや、そんなことないですよ。
あ、突っ込む突っ込む。
そこ突っ込む回じゃないですよ。
そこ突っ込む回じゃないんですか。
どうなのかなと思ってその辺ちょっと来てたんですけどね。
でも割とですね、ハグとかは躊躇なくできるタイプだと思います。
多分それがもう、のりこさん、トーマスさんと同じですよ。
オープンマインド。ただのオープンマインドですよ、これは。
なるほど、いいこと言ってくださるじゃないですか。
何もないです。
ただのオープンマインド。
ただのオープンマインドって何。
いやーでもね、本当にまたイオリさんとかとは地元も近かったってことが発覚してね。
そうですね。
でまたほら、マサルちゃんはそっちの九州の方のもしかしたらイベントというところの事業っていうのも展開してるかもしれない。
その辺りは今どんな感じになってるんですか。
これもですね、私たちは領域としては地方局ですね。
とある紀伊局系の地方局さんの実動舞台みたいな形でやってるだけなので。
あれなんですけど、いわゆる長崎で新しい観光名所を作ったりですね。
そのテレビ局さんが第三セクターというような形で。
そこの一角のイベントスペースみたいなところをうちの方で企画だったりとか、アテンドだったりとかをしていくというような立ち位置でやってます。
へー。
先ほどご紹介だと営業代行のお仕事とか、スーツのお仕事等っておっしゃってましたけど、イベント業もマサルさんの会社でされてるみたいな。
そうですね。イベントだけを年から年中いろんなあらゆるイベントやってますよというものではないんですよ。
これはですね、うちの会社だけではなくて、アウトドアシアタージャパンっていうですね。
この野望でですね、複数社で私の仲間の会社で集まってですね。
もともとアウトドアシアターっていう名前なんで、その名の通り野外映画のイベントをやるためにプロジェクトとしてやってるんですね。
これもともとは、とある四国の会社さんでですね、ちょっと廃業なさるバルーン会社ですね。
その会社さんがエアーで膨らむこのスクリーンですね。400インチの大きなスクリーンを。
でかいですね。
それを一つ譲り受けたのが、私の仲間が譲り受けたのがきっかけで、このスクリーンを使って映画館のない街に映画を持って行ってあげようぜっていうボランティアイベントからスタートしたプロジェクト。
素敵。
優しい感じなんですよ。本当は。
人がいられて。
私は田舎が長崎県というところなんで、長崎県って離島が多いんですよ。
島々もすっごい小さな島々がバーってたくさんあってですね。
有名なところで言うと後藤列島とか行き津島とかっていうものがあったりしますけど、長崎県で実は小さい島々を合わせるとですね、47都道府県の中で4番目に県道が広いと言われてるんですよ。
そんなイメージないですね。
そうですよね。でもこれやっぱり島の数が圧倒的に多いらしいです。
そんなのがあって、でも当時ですね、私たちがこのプロジェクトを発足したときには、まだ長崎県道全てで映画館が5カ所しかなかったんです。
すごいっすね。そんなに少ないんですか。
そうなんですよ。なので、これだったら映画デリバリーできるねみたいな軽いノリからスタートしてですね。
で、コロナ禍のときには結構娯楽がなくなってしまったんですね。映画館にも行けないという中で、ドライブインシアターという形で。
昔、たぶんのりこさんとかお詳しいと思うんですけど、海外では結構やられてるんですよね。そういったのがあるみたいで。
日本でも一時なんか流行ったときありますからね。
そうなんですよ。あれね、やっぱりコロナ禍で結構流行ったんですよね。皆さん車で、それこそサマーランドですか。
サマーランドの駐車場とかでやったりして、もう駐車場にバーンって空気で膨らみますから、スクリーン立ててですね。
で、皆さんは車でバーンって入ってきてもらって、映像はその前のスクリーンから見てもらう。
音声は社内のFMを1個使って、社内で音声聞いてもらうというような形で実施したというような感じは結構コロナ禍にやりました。
じゃあね、やっぱりそういう実績があったからこそ、今回のお話もマサルちゃんのところに来たって感じなんですね。
そうです。たまたまですね、その時に長崎の方でも一度その野外映画のイベントを持って行かせてもらって、その時に一緒に共産で入られてたテレビ局さんなんですよ。
で、そのテレビ局さんが第三セクションという形で温度を取って、新しく観光名所として作っているところのこのイベント催し物。
これちょっと井上さんに頼んでみようかということで、お連絡いただいたというのがきっかけです。
やっぱり地元を盛り上げるっていうのは監督業からするとワクワクすることだったりするんですか。
そうですね、監督業を生むというよりかはですね、やっぱり地方出身者って結構そういうのって濃い気がするんですよ。
特に私は長崎って西の果てから来てますんで、結構大学では私、長崎日大高校というところから日本大学に進学してるんで、大きな大学にバーンって来てるんで、大学までは東京に上京してくる子多いんですよ、長崎から。うちの高校からですね。
でもみんな就職では戻るんですよ。お腹いっぱいになって戻っちゃうんですよ。
あ、Uターンする感じ?
そうです、そうです。が多いです。
それはやっぱり長崎に魅力があるからですよね。
長崎に魅力があるのと東京につかれちゃうということだと思います。本当に。
私が一番最初東京に上京してきたのは、高校3年生の10月か11月ぐらいだったんですよ。
それは大学に入学するための、入部するための野球のセレクションって形でテストできたんですよ。
ああ、そっか。
そうです。だから高校の制服を着て、長崎日大高校っていうバッグを背負って来たわけですね。
で、野球のテストを受けて。その日、また2日目も面接があったんで、その日は僕フリーだったんですよ。
で、私ファッションとかも好きだったんで、当時ファッション雑誌とかを見てて、お店の情報とかあるじゃないですか。
それをちゃんと切り抜いて集めて、当時PHSぐらいしか持ってなかったんで。
それを持ってきて、渋谷、原宿のあたりの行きたいお店をピックアップして。
野球のテストを受けたところが、世田谷区の方だったんですね。
渋谷とか原宿に行くには、新宿で乗り換えなきゃいけないっていう感じだったんですけど、
新宿駅まで行くじゃないですか。で、気づいたら、長崎日大っていう野球のバッグ持ってるんですよ。
これ恥ずかしいんで、高3の私にとって恥ずかしいんですよ。
長崎日大を持って、1車足らず8校前に行くなんて、恥ずかしいじゃないですか。
なので、新宿で京王線から山手線に乗り換える間に、コインロッカーにバッグ入れたんですよ。
これは置いていこうと思って。置いて、渋谷に行って。
渋谷で降り立ったら、私何を思ったかというと、8校前ですよ。
未だに忘れもしないですけど、めちゃくちゃラッキーだと思ったんですよ。
8校前の光景が、長崎で一番人が集まる港祭りっていうお祭りぐらい人がいたんですよ。
だから今日は特別な日なんだって思ったんですよ。
お祭りなのかなと。
お祭りやってるぞ、今日と思って。
そしたら何のことなのか、平日の渋谷でした。
日常ですよね、それがね。
そう。だからそれぐらいカルチャーショック受けるぐらい違うんですよ、長崎と東京ってやっぱり。
そっかー。
なんでみんな帰っちゃうっていうのがあるんじゃないですか。
人当たりしちゃうってこと?
うーん、かもしれないですね。
ちょっと、東京に遊びきらーんって思ってみんな行くんでしょうね。
じゃあその中でどうしてマサルちゃんは残る選択をしたんですか。
私はですね、就職自体が、まず大学で4年間野球やりまして、大学でも実は私日本一になってるんですよ。
えー、そうだったんだ。
そうなんですよ、大学4年。講師園っていう方がエッジが立ってるんでそれしか言わないんですけど。
大学の一番最後4年生の日本選手権ってやつで優勝して。
おめでとうございます。
一応私日本代表のメンバーとして台湾にも出張、あ、出張じゃない、遠征とかも行っててですね。
へー、そうなの。
そうなんですよ。だから今で言うと当時そんな言葉ないですけど、サムライジャパンですよ、大学サムライジャパン。
なるほどな。
大学サムライジャパンなんだ。
まあでもプロにはいけなくてですね。
で、要はそこから大学の野球部の監督さんが就職口を圧戦してくれたんですよ。
はいはい。
野球を続けられるぞとここだった。
うんうん。
いう形だったんで自然と残るのが自然だったという感じですね。
あー。
え、その時は何やってたのマサルちゃん。
その時はですね、なんと、今はないんですけど、厚生労働省の中にですね、社会保険庁っていうのが昔あったんですよ。
ほう。
今の庁は解体されてないんですけど、その社会保険庁っていうところが管轄をしている、全国に点在してるですね、社会保険病院っていう病院があったんです。
うん。
新宿社会保険病院とかですね、なんとか社会保険病院っていうのが全国に点在してたんですよ。
うんうん。
で、ここで私は野球やってました。
なるほど。野球をやりながらできるお勤め先ってことなのね。
おっしゃる通りです。
なので平日3時ぐらいまで仕事をして、その後は野球の練習をして、土曜日は野球の試合をずっとやる。
あー、なるほど。
感じのちょっと変わった感じですね。ま、いわゆる社会人野球みたいな類になると思うんですけど。
あー、それの国番ってやつ。
あ、やってるわけじゃないですよ。
やってるわけじゃないですよ。ただ勤めていたそこが、社会保険庁が管轄したその病院、社会保険病院っていうところの横浜にある病院に私が就職したっていうだけなの。
へー。
なんか当時ここの病院さんが珍しくて、日大の医学部系の先生だったらしいんですね。
うーん。
そういうのがあって、院長先生の堂楽で野球部が強くしたいって言ってて。
で、日大の野球部から私の先輩たちから毎年2,3人ぐらいそこに入るっていうのがなんか慣習だったんですよ。
へー。
特に就職活動もろくにやってなかったもんですから。
いやー。
まさるさんの人生は結構前半はずっと野球で。
ずっと野球です。私25歳まで野球しかやってないです。
すごい。そこからこうやってね、ビジネスご自身で始められて、経営者として発動されてるって、ほんとすごいなーと思いますね。
いやーどうなんですかね。結構サラリーマンは向いてなかったですね。
それに気づいちゃったんですね。
気づきました。
なるほど。
全く向いてなかったですね。なんでこの人からこんなでかい顔されないといけないのやろって。
それが納得できなかったですね。
でもほら、まさるちゃん、それこそ暗闇の読書会の中で、先輩にはご指導いただいたりとかしたことがありますっていうくだりがあったじゃないですか。
はい。
いわゆる先輩からちょっと理不尽系な感じのこともちょっとやっているような、そんな野球部というようなイメージがあるのですが。
もちろんです。
それでもやはりその上司の方の言動は収まりきらなかったってことですね。
いやでしたね。
営業会社なんですよ、その時もですね。犬の営業会社で。
だって、なんて言うんだろう。ほとんどが部外級のみたいな感じなんですよ。そこの組織、私がいたところはですね。
それぞれがやっぱり自分のこの報酬を稼ぐために、あんまりチームで営業活動するというよりは個人プレイみたいな会社だったんで。
そんな中でですね、よくわかんない説教に時間を取られたくないわけですよ。
っていうのがちょっと嫌でしたね。
じゃあまさるちゃんはやっぱりチームプレイが好き。
チームプレイ好きですね。
個人よりもやっぱり何か、さっきもバルンレっていうところのお話があったけど、仲間とチームを組んで仕事をするとか、そういう感じのことの方が心が躍る感じがするんですか。
おっしゃる通りです。みんなで達成するっていう方が私はたぶんワクワクしますね。
なんですけど、とはいえですね、私は2016年から自分で創業して会社をやってるんですけど、
自分のこと自分の会社の中で、自分の社員と私っていう風になった時に、あまり上手なコミュニケーションを取れる方じゃないなと思ったんです。
ただ、例えば他の会社のこの方とタッグを組んでとか、会社の垣根を超えてチームを組んで何かをやるみたいな方がすごくやりやすかったんですね。
要は利害関係は一致してる。で、責任の所在みたいなのもちゃんと分離できて、でもゴール、目的が同じで、そこに向かって一緒にそれぞれの領域のことをやっていけるみたいな感じの方が超似合ってるなと思って。
そんな時代じゃないですか、わりと最近。
っていうのもあってですね、野里子さんとトーマスさんともご一緒してましたけど、BNIっていう組織とかこういったの面白いなっていうのはきっかけとしてありましたね。
だから本当に目的、ゴールを掲げてそこに向かうって感じですもんね。
そうですね。
なんか今日はトーマス聞き入ってますけどどう?
聞いちゃいましたけども。
なるほどね。
一番最初は営業会社がスタートですか?
一番最初は病院の医療事務がスタートです。
医療事務。
そう、職種としては医療事務なんですよ。
その時、電算システムといって、病院って会計がちょっと特殊じゃないですか。
お客様じゃないんで、診療報酬って形で7割が国に請求するわけですよね。
それのちょうど電子カルテっていうものの切り替わるところで、
そのシステム管理室みたいなところにいたんですけど。
わけわかんないですよね。
それなりに作業としてはやってましたけど、やりたい仕事ではなかったので、
25歳の時に野球部が配分になりますというふうになって。
なるほど。退職して。
そうです。残って社業をやるか、それとも自分で転職するか。
この2つしかなかったわけですね。
なるほどね。
で、営業代行の会社に入社し。
そうです。その時はいわゆる不動販ですね。マンションを売る会社に入りました。
本当に滝に渡ってんだね。
そうですね。当時はお金稼ぐっていう目的しかなかったんで。
転職雑誌をペラペラめくってたらですね、
初年度から年収1000万可能みたいなの書いてたんですよ。
当時はこのペラペラめくるやつで見てましたから。
まあね。
で、面接行って。
いわゆるサラリーマンとか公務員さん向け、当時はですね。
ワンルームのマンション投資の会社なんですよ。
で、そのままワンルームを販売していくという会社だったんで。
よく何もわからず行って、入って。
甲子園3階出たって言うとだいたい取ってくれるんですよ、営業会社は。
ガッツがあるからね。
根性ありそうだなって思われて。
それで入ってですね。
で、数年経験されて。
そうです。
で、ご自身で営業の会社を立ち上げられて。
そうです。おっしゃるとおりです。
なんかやっぱりだから全てがね、なんか点みたいな感じだけど、今から思うと全部線でつながってるみたいな。
いやでもなんかね、私思うにはですね、自分はビジネスってところにおいて、特殊な特別な能力を持ってないんですよ。
生み出す能力がないんです。商品を作るとか。
だからいいサービスを伝えるってところしか多分力発揮できないんですよ。
領域としてですよ。クリエイティブな仕事ができないんで。
だから、そのいわゆる、その中でもですね、この商品だ、この商材だ、このサービスだってコミットしてそれだけをやる方っていると思うんですけど、
私結構その気が散りやすい、目移りしやすい。これすごいね、それもすごいねって思っちゃうタイプなんですよ。
なので、なんかそれちょっと売らせてくださいっていう風になっちゃうんで、そういうのをやりながら取捨選択しつつですね、
うちはもうじゃあこれとこれとこれとと、ような感じで組み合わせてる感じなんで。
だから売るものは何だっていいっていう方が意外と極端に言うと近いかもしれないですね。
でも海外の営業の人ってそういう風に言いますもんね。
そうなんですか。
そう営業って言うと、私やっぱり友人で、旦那様がね、セールスっていうところでやってる。
で、今のマサルちゃんと同じようなことを聞かされて、目が点になったわけですよ。
日本ってほら、同じ会社でずっと同じことをしていくようなイメージっていうのが、昔はあったじゃないですか。今はだいぶ変わってきたけれど。
で、売るものは確かに何でもいい。で、その上でっていう仕事があるんだって思って。
だからちょっとやっぱり背景と同じように欧米化なんですね。
おっと、そういうことなんですかね。
でもミリシュからすると気が散りやすいとか、また新しいことやってるんだってよく言われるんですけど、私の感覚的にはそんな感覚なんですよ。
やっぱり世の中に求められるものって今もものすごい感じで流れていきますから、その時その時で僕らは扱うサービスって変えるのが当然だと思ってるんですよ。
それを生み出せないから。それが作れたらいいんですよ、一番。
メーカーでもあり、販売もできればいいんですけど、販売しかできないので、持ってる武器はどんどん変えていかないと生き残れないです。
そっか、じゃあだから持ってる武器っていうのが今その3つの事業っていうところに携わってるっていう感じですね。
それもありますし、営業代行っていう枠にしてあるのもそうですね。ここで売るものをどんどん変えられるようにっていう感じです。
なんかね、ご自身の性質をしっかり理解して強みを生かして仕事をしてるんだなというのがすごく伝わってきましたけど、
そんなマサルさんの情報をリツナーの皆さんが調べたいと思った時に何かありますか?見れるページだったりとかSNSだったりとか。
SNSぐらいしかないかもしれないですね。
SNSあるんですね。
はい。
何何何ですか?
FacebookとInstagramはもう気まぐれでやってますけれども。
はい。
そっか。
もうだって野球のこととかしか書いてないですね。あと長崎のこととか。
野球にも興味ありますね、それはね。
ちょっとぜひ後でアカウントを教えていただくので、概要欄の方に貼らせていただきますリンクを。
ぜひぜひよろしくお願いします。
またはアクセスしてみてください。
最後になんですけど、どうでしたか?この暗闇読書会に参加されて本の紹介をして、どんな感想を持たれたかとか、何かそこから変わったことがあるよとか、なんかそういうのがあったら聞きたいんですが。
はい、ありがとうございます。
まずですね、お声掛けをいただいた時に、送ってくれた本を掘り下げていく会なんだって長崎さんから聞かされた時に、あれどんな本だったっけと思ったんですよ。最初。
あれどれだったっけって感じだったんですよ。
そうよね。だってマサルちゃんはね、本当に本が好き、活字が好きっていうよね。
本読むんですよ。めっちゃ読むんですよ。
それで失礼ながら実はノリコさんに、ノリコさん、僕がお渡ししたのどれでしたっけって聞いたんですよ。本当にこれ最初に。
これだよって言われて、あ、それでしたねってところからスタートして、これをどういうふうに広げるつもりなんだろう、ノリコさんって思ってて不安だったんですけど、
やっぱりノリコさんとトーマスさん2人のレシーブ力、いやそれ無理矢理でしょって思うぐらいちゃんと広げてくれるこの安心感があって、めっちゃ面白い会員になってよかったなと思いました。
よかったです。
でも本当にさっきトーマスとお話をしていたんだけれども、このやっぱり読書会なんだけれども、本を読み込む読書会というよりも本を返してその紹介してくださった方、その方の人となりっていうのをみんなで語れるっていうところが、
皆さん聞いていただくってことができればいいよねっていうふうな感じからすると、まさるちゃんの会はまさにもう。ほとんど本からはあんまり学ぶところないですかねキーワードしか。
いやそんなことない。それは大きいでしょ。3つその感情のね、分かれたところの部分からハグっていう言葉が出てきて、それが息子くんのピンチの時に大きに役に立ったっていう。
あのエピソードはやっぱりこう皆さんのそれぞれにこうね刺さったところではあったりとかしたと思うので。
そこからするとね本当にまさるちゃんっていうところが皆さんに伝わった。そんな感じの読書会になったんじゃないかなって思ったんですけどね。
素敵でした。お料理もおいしくて最高でした。
お料理は会に参加しないと皆さん食べれないんですけど。
そうですよね。
そんなイベントになっております。
今日はいろいろまさるさんにお話聞きましたけども、何か再告知とかメッセージとかありますか。リスナーに向けて。
この長沢文庫って新しい取り組みで知らない方がたくさんいらっしゃると思うんで、皆さんが聞くだけではなくてこの長沢文庫のことを伝えるってところまでやっていただけると、より味わい深いものになるんじゃないかなと思っております。