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2025-10-14 1:09:59

第233回(2)『ワン・バトル・アフター・アナザー』テロルの季節を過ぎても、人生はもうちょっとだけ続くんじゃ

『ワン・バトル・アフター・アナザー』の話をしました。

とうとう来てしまったポール・トーマス・アンダーソン回。映画作りの上手さに慄きながら、現代アメリカを射抜く視点の鋭さ、コミカルながらも複雑な人間描写などを、おっかなびっくり話しています。

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サマリー

映画『ワン・バトル・アフター・アナザー』は、ポール・トーマス・アンダーソン監督による作品で、レオナルド・ディカプリオが演じる元革命家ボブが娘ウィラを守るために奮闘する姿を描いています。作品では父親としての不完全さや、現代における男性性についての深い考察がなされ、観る者を飽きさせない工夫がされています。参加者はポール・トーマス・アンダーソンの最新作に関する感想を豊富に語り、特にカーチェイスシーンの革新性とキャラクター描写の深さが高く評価されています。アメリカンニューシネマの影響を受けた独特なアクション表現が印象的で、映画の新しさが際立っています。このエピソードでは、ポール・トーマス・アンダーソンの作品を通じて、ディカプリオの演技や登場人物たちの関係性が深く掘り下げられています。また、親子の描写や作品全体のテーマについても考察が展開され、観客に感情的な影響を与える重要な要素が指摘されています。第233回では、テロリストの存在とそれに伴うジェンダーの力関係の変化をテーマに、映画『ファントムスレッド』で描かれる父親と母親との関係性が掘り下げられます。また、物語の中での母性の重要性についても議論され、登場人物たちの葛藤が映し出されています。映画『ワン・バトル・アフター・アナザー』は、複雑な現実を背景にした親子の関係や革命の意義について探求しており、登場人物たちが直面する静かな戦いと資本主義の影響が描かれています。最終的には、日常の中での正義を見出すことが重要であると訴えています。

映画の概要とテーマ
今日のテーマトークは、ワンバトル・アフター・アナザーです。はい、ではマリオさん、解説お願いします。
はい、映画ドットコムより解説を読ませていただきます。
ベルリン・カンヌ・ベネチアの三大映画祭で受賞歴を誇るポール・トーマス・アンダーソンが、レオナルド・ディ・カプリオを主演に迎えて出かけた監督作。
トマス・ピンチョンの小説、バインランドからインスピレーションを得た物語で、冴えない元革命家の男が何者かに独り娘を狙われたことから、次々と現れる死脚たちとの戦いを強いられ、逃げる者と追う者が入り乱れる逃走劇を展開する。
かつては世を騒がせた革命家だったが、今は平凡で冴えない日々を過ごすボブ。そんな彼の大切な一人娘、ウィラが、とある理由から命を狙われることとなってしまう。娘を守るため、次から次へと現れる死脚たちとの戦いに身を投じるボブだが、無慈悲な軍人のロックジョーが、異常な執着心でウィラを狙い、父娘を追い詰めていく。
逃げ続ける中で革命家時代の闘争心を次第に蘇らせていくボブをレオナルド・ディカプリーは演じ、ボブの宿敵であり娘ウィラに必要な執着を見せる軍人ロックジョーをショーン・ペンが開演。ボブのピンチに現れる空手道場の謎の先生をベネチオ・デルトロ。ボブの革命家仲間をレジーナ・ホール。妻でカリスマ革命家をテアナ・テイラーが演じ、新親俳優チェイス・インフィニティが娘ウィラを務める。
はい、ではここから内容に触れる話に入っていきますので、ネタバレ気にされる方がいらっしゃったら是非見てから聞いていただけたらと思います。ではアサリの感想をマリオンさんいかがでしたか。
そうですね、なかなかポール・トーマス・アンダーソンの作品を語るっていうの難しいなって感じするんですけど、すっげー荷が重いなって感じがあるんですけども。
僕自身はゼア・ウィルビー・ブラッド以降は全部長編は見てるという感じです。初期作はちょっと見てないので、あんまりきちんと語れてはいないかなっていう感じではあるんですけども。
でも今回見て思ったのは、まずめっちゃシンプルでわかりやすい映画になってて、ちゃんと娯楽作になってるっていうのが、やっぱりポール・トーマス・アンダーソンの映画イコール難しいっていうイメージがすごい先行してたので、
そういう意味ではちゃんとわかるっていうか、ちゃんと面白い、普通に面白いみたいな楽しいみたいな映画になってて、けどめっちゃクセが強いみたいな。クセしかないみたいな。何この新感覚みたいな映画になってたなっていうふうにそう思いました。
今回、上映時間長かったですけど、なんか全然飽きなかったですね。ちょっと面白すぎるなって思いました。けど僕が見てる範囲のポール・トーマス・アンダーソン的に言うと、やっぱりオイさんもさっきオープニングのトークの時に言ってましたけど、不正に対する、不正を固執して描いてる人っていう感じがあったのと、
プラス、ある種のすっとぼけ感みたいな作品、すっとぼけた感じを映画に落とし込むみたいなこともよくしてる人っていうイメージがすごくあったので、なんかその感じが2つとも見事に合わさってて、ちゃんと楽しめるみたいな娯楽作品になってるのかなっていうふうに思いました。
なんかここまで終始活躍できない父親がすごい魅力的に感じるみたいな珍しい映画だなってすごい思って、ちょっとこれも新しい感覚というか新感覚だなって思った要因の1個かなって思いましたね。
本当追いかけっこしてるシーンがことごとく面白いっていうのも本当にすごいなっていうふうに思いました。これはちょっとやっぱ流石っすねっていう作品だなって思いました。
はい、オイさんいかがでしたでしょうか。
僕も結構見てて面白かったなっていう感想ですね。
本当に2時間40分くらいでしたっけ、全然飽きないですし、さっきマリオさんもおっしゃってた追いかけっこ、特にあのカーチェイス、荒野でのカーチェイスの道路を使ったあの演出、なんだあれっていう。
そこだけでもめちゃくちゃ見てて興奮しました。
すごい重たいというか、朝に不正をずっと描いてきている、僕は3作しか見てない人ですけど、なんとなくその不正の匂いみたいなものを感じている中で、本作はそれを2人の登場人物にあえて分けて描くというか。
ということで、むしろ現代的な男性性とはどうあるべきかっていう描き方、あるべきかというかどうあったとしてもっていう描き方でもあると思うんですけど、その2つを見事に描いてみせているような気もするし、
いかんせんちょっとだけ現代的な、これ撮影したタイミングってまだトランプが大統領になる前らしいんですけど、全然今起こっていることだよねっていうぐらいの話にもなって、時代性もしっかり捉えているし、
じゃあそれだけキラーズ・オブ・ザ・フラワー、同じくデカプリーが言われたキラーズ・オブ・ザ・フラワーみたいにしっかりとした重厚な話なのかと思いきや、もうちょっと軽々しいというか、ポップで暗号を思い出せなかったりとか、そういう見やすさも同時に兼ね備えているっていう、確かにちょっとすごい映画だなっていうふうに思いましたし、
宣伝でスピルバーグが3回目とかっていうのをよく流れてますけど、確かにスピルバーグっぽい気はするなっていう、エンタメ性とか時代性とかメッセージ性をこう一緒に兼ね備えてパッケージ化してお送りするみたいなバランス感含めて、これは僕もすごい今年を代表する一本になるんだろうなっていうのはすごい感じました。
キャラクターと社会的な視点
はい、僕はですね、ついにポール・トーマス・サンダーさんを触れる時が来てしまったかという、もう巨人ですよね、もう我々世代のというか、僕はまあ多分むしろこの2000年代ぐらいに映画見てたら、本来どっぷりハマってたはずだと思うんですけど、
この時代はあんまり映画がっつり見てなかったので、まあ少し距離を置いてここまで来たって感じで、今まで見てるのもマグノリアとジャウエル・B・ブラッドとファントム・スレッドかなっていう感じだったんで、まあどれも記憶フワッとしてて、まあファントム・スレッドは10年弱ぐらい前だから覚えてますし面白かったですけど、
マグノリアとジャウエル・B・ブラッドは前すぎてもうフワフワなんですよね、記憶。で、今回パンチ・ドランク・ラブをついさっきまで見てたんですけど、めちゃくちゃ映画撮るの上手い。もしかしたら皆さんご存知だったかもしれないんですけど、ポール・トーマス・サンダーさん、むちゃくちゃ映画撮るの上手いです、本当に。
で、今回のテーマ作品を見て、こっちもむちゃくちゃ面白かったですね、本当に。あと、まあ難しくないですね。もう普通に面白いってやつだったと思います。むしろなんかこう派手なCGとか使ってない分、地に足ついた迫力がある映画だったなぁと思って、やっぱりそこも巨匠の上手さだなぁと思いながら見てて。
見てたんですけど、僕やっぱりフィクションには革命を描いてほしいっていう気持ちありますね。フィクションぐらい革命しようぜっていう。
既存の価値観ぶち壊そうぜって、せめてフィクションぐらいっていうのがあるから、なんかあんまりこれにぶつくさを言ってほしくないなって思ってて、なんか本当良かったですね。
あとあの、さっき映画ドットコムの解説、今回初めて読んで思ったんですけど、そんな話じゃなくね?って思って。次から次へと現れる資格との戦いとかも別になかったし。
いやもう、すごいっすよね。
うん。で、かつての闘争心を蘇らせていくみたいなことも別にないしみたいな。
うんうんうん。
こいつ何もしてないの?こいつ何もしないのよね?っていう。そこすごいんですけど。
そう、敵はただの変態なおっさんですからね。
そうなんだよな。
ただ、最終的に頑張りどころっていうのが、テロリストとしてというよりやっぱ父親としてっていうところなんですけど、あんまりそれも不正確あるべしって感じの父親像でもなかったのが良かったなと思って。
もうなんかいろんなことがフワフワのまま、腹も座りきってないし、まあ別に血も繋がってないけど、俺はやるぜっていう感じなのが、いやちょっとなんかこのバランスの父親感は僕すげえ良かったですね。
なんかもう血繋がってないとか気にすんなよって思って。
そうですよね。こればっかりあのディアストレンジャーの西島秀俊に言って聞かせたいみたいな感じは思いますよねっていう。
これぐらい父親としてちゃんとできてなくてもいいじゃん。それでいいのよ。これが見たかったのよ。
分かります分かります。
父親になれないまま父親やんのよ。それが大事だってっていうね。そこが良かったなと思いました。
もうあの最高の映画だったなと思います。
はい、ではお便りいただきますので紹介させていただきます。大石さんお願いします。
ナスナさんからいただきました。
メインである親子を巡る物語の展開が素晴らしく面白いのはもちろんですが、
早くに至るまでキャラクター全員にそれぞれの小さな物語があり、生き生きと話し動く姿を見せてもらえたことに感動しました。
おそらく国境沿いのたくさんの街で、それぞれの場所の先生がリーダーシップを発揮し、スケボーキッズたちがそれを支える。
それがアメリカの現実なのではと思わせてくれる魅力がある作品でした。
気が遠くなるぐらい手間と時間とお金をかけて小さな物語を集めた作品。
それを遠く離れた日本で大きなスクリーンで見られることに幸せを感じてしまいました。
しかも大きな物語でもの問題を和尚化する人が選ばれてしまった日に。
ありがとうございます。
いい切り口ですね。小さな物語がたくさんというのは。
結構こう見てて、人々の御所っていうものがすごい描かれてたと思うんですよね。
だから公からの支援というものが確かでない、寄るべない人たちが集って、御所のコミュニティの中で生きていこうとしているっていう。
なんかその感じすごい爽やかに見れたなと思って。
見ててちょっとあの空論上のこととかも思い出してたんですけど。
そこも香港の政府からの支援というか、管理とかはほぼされてない状態。
インフラとかは届いてたみたいですけど。
ただあそこの空論上の中の、そこにいる人たちがコミュニティを作ってそこで運営したってある種の無政府状態でうまくいってるケースみたいな。
そこをなんかこう連想しながら見てたんですけど。
もちろんこう非合法なこととか酷いことももちろんその中にはあったとは思うんですよ。
本作の中でもあのシスターたちが成り割にしてたのって、もしかして本当に薬物育ててたのかなみたいなの。
ちょっとあれもアメリカ側の言い分だからどうかわかんないですけど。
もしかしたら生きるために非合法な商品を扱ってたかもしれないんですけど。
それはそれとして公の支援がないんだったら生きていくためにはそうもなりますよねっていうのもあるかなと思って。
なんかあんまりそこの負の側面を強調して描いてないことも良かったなとは思ったんですよね。
それこそねデカヘップリオたちのいるパリ75でしたっけ?
フレンチ75じゃん。
フレンチ75がおそらく資金源にしてるのは銀行強盗ですけど。
それもある種公のカウンターとしてっていうバランス感。
だから見ててどちらかというと遊牧民みたいな感じなのかなって思って。歴史上の。
遊牧民って国家、近隣の村を襲ってそのものを略奪してっていう。
自分たちの食べ物がなくなったらそういうことをしていくっていうのに結構歴史上襲われられていた人たちですけど。
現代におけるアメリカのそれなのかなっていう感じがするというか。
そうですね。
確かに結構明確に正しい人というか正しいものみたいなのがみんなない感じはすごいあったんですよね、そのフレンチ75にしろ。
そのかくまわれる教会のことだ、教会というかとかも。
そこになんかシンパシーはあるんだけどやってることだけ取り出すとちょっとあんまり寄りたくないなみたいな。
そのなんかちょっと複雑さも物語にはあって、そこの単純ではないっていうこともすごく結構効いてる映画なのかなっていうのは本当になんか思いましたね。
後助組織的なことで言うとやっぱり先生たちの、劇中でも地下鉄道でしたっけ?って言ってましたけど、実際ね、ありましたけどね。
ハリエットって映画でそういうので描かれてましたけど。
キャラクターの深さ
あの人もね、ベンチエオーテルトロの先生もむっちゃいいキャラなんですけど、タイミング違ったらめっちゃ怖い人だと思うんですよ。
そうですね。
それこそボーダーライン。
めっちゃ思い出しました。
あの人みたいな感じのところって多分あると思うんですよね。
そうなんですよね。あの人ね、めっちゃかっこよくて頼りになるんですけど、敵に回したら絶対死ぬなってなる。
そうそうそうそう。
確かにボーダーラインの時の彼、名前忘れちゃったけど、彼にそっくりそのままの感じがしましたよね。
アメリカとメキシコの国境服にあるベンチエオーテルトロは怖いんです。
怖いです。
やっぱ先生とかも人狂の人じゃないですか。狂客じゃないですか。やっぱ怖いですよ、やってることは。
やっぱ身内に対する優しさではあると思うんで、ただやっぱりその怖さは本作に合わせてるとは思うんですよね。
隠してはいない。絶対前としては描いてないとは思うんで、そのバランスじゃないかなとは思いましたかね。
はい、では次のお便り、マリオンさんお願いします。
はい、たずささんから頂いてます。
店長メンバーの皆さんこんにちは。いつも楽しく配置をしております。早速テーマ作品の感想です。
恥ずかしながら、今作で初めてボル・トーマス・アンダーソン作品を鑑賞しました。
162分という長尺の映画ですが、2幕目以降ほとんどずっと追いかけっこうしているので、映画が止まることなく走り続けている印象でした。
また、ユーモア、サスペンス、カワーアクション、社会風刺、エンタメ性、魅力的なキャラクターなど、いろんな要素が良いバランスで配置された傑作だったと感じました。
良かったポイントを2つに絞って書かせてください。
1つ目はロック・ジョーというキャラクターです。
ロック・ジョーはゴリゴリのレイシストかつ待ち相撲の持ち主であり、自身の肉体的な欲望に貪欲です。
ウィラにTシャツがピチピチ、ブーツは上げ底と指摘された時の反応、感情が高ぶった時に歯を見せる仕草、銃を突きつけられているのに股間を臨戦態勢にできるあたり。
現実にいたら絶対書かれたくないですが、この映画の中ではなぜか目が離せないキャラクターになっていたと思います。
ショーン・ペンの名演も相まってこの映画の大きな魅力だったのではないでしょうか。個人的な今年ベスト悪欲でした。
2つ目はクライマックスのカーチェイスシーンです。あのうねうねの坂道でのカーチェイス、めちゃくちゃフレッシュでした。
いい意味でそれぞれの車の距離感が掴みづらいのでめちゃくちゃハラハラするシーンでした。
カーチェイスに縦軸をプラスするとあんなに面白い映像になるんですね。映画史に残るカーチェイスと言っても過言ではないと思います。
印象的な劇犯、ディカプリオの最高、音ハメ的な編集、溢れるようなストーリーテリングと良いところが多すぎますね。
いつもお便りが長くて読みづらくて申し訳ございません。皆様がどのように今作をお話しされるか楽しみにしております。
カーチェイスの革新
ありがとうございます。
ロック城のキャラ素晴らしいですね。
あれは面白かった。
だいぶ変なやつですからね。
史上でしかないですからね。
結構序盤から、役割的にはターミネーターみたいになるのかなと思ってたんですよ。
一番初めに出たところでは。こいつが無敵の追跡者になるんだなと思ってたら、速攻でそれは裏切られるんですよね。
あれ?って。こいつ、あれ?ってなるんですよ、あそこで。
同期それ?みたいな。設定だけ聞くとゴリゴリの、お便りにも書いてますけど、レイシストでかつマジズマな存在で、
トランプとかバンザイって打ちそうなタイプの感じの人だなって。そういう人に付け狙われるというか。
それは間違ってないんですけどね。
間違ってないんですけど、本当の同期はそういうことじゃないみたいな。
そこで複雑さを自己否定したがるからどんどんややこしいことになっていくわけじゃないですか。
そうなんですよね。
俺は黒人女が好きなんだとかって言って。
ただそれも、なんか上位からそうするのがだぞ!みたいなフリしてたら、実際に言ってるのむしろ攻められてる方がそうみたいな。
さらにそうなんですかみたいな。
なんかね、ねじれすぎててね、おかしすぎるっていうか、説明に困るキャラクターでもあるなっていうか。
そうなんすよね。なんか表かと思ったら裏があるキャラでしたじゃないんですよね。そっから何回かねじれてるから。
表か裏かわかんないみたいな人なんですよね。
何の動機にこいつは動いてるんだろうっていう。
そうそう。なんかそう、ちょっと哲学してるなあというか。
このサディストは何なのかみたいなというか。サディストすぎて逆にマゾヒストではみたいな感じって言ったらいいんですか。
でもね、それこそFBIかCIAかCIAの初代長官がちょっとそういうところあったっていうのは有名な話じゃないですか。
その芸を。
それはFBIじゃないか。
あ、FBAかFBAすいません。
エドガですよね。
そうそうそうそう。
そういうところもちょっと重なるなと思いつつ。
確かにそういうのも含めてるのかもしれないですね。
社会の規範の中で良いとされてるものと悪いとされてるもので、悪いとされてるものが自分の中にあった時に、
ある種の自己否定、自己嫌悪から外部に対して攻撃的になるみたいなのはよくある話だと思うんですけど、
結構そこも、なんか一方的に攻撃的になってるわけでもないところがこいつの複雑すぎるところだなと思うんですけど、
むしろね、あの女の人に執着してるじゃないですか。
なんかそこは否定しないから、あいつ自身も自分に対して否定しないから、
こいつなんか、自分に正直なんか誤魔化してるのかわからんぞみたいな。
だからお世話の中にも、肉体的な欲望に動欲って書かれてるのはマジでそうなんだろうなっていう。
そうっすよね、そこなんすよね、やっぱ彼。
すごい動物的な人って感じがしますよね。
そこになんとか自分なりに理由をつけようとしてるというか、
こういうもんだからっていうのとか、
自分が動物的である理由づけのためにクリスマスの冒険者でしたっけ?
なんかわけわからん秘密結社的な、白人史上主義みたいな感じのとこにもなんとか入りたいみたいなことをするってことですけどね。
本人は複雑さをわかってないけどめっちゃ複雑な人ですよみたいな感じですね。
本人はすごい単純な人間だと思ってそうだと思うんですけど。
僕一つめっちゃ好きなシーンがあって、娘のウィラを尋問してるシーンで、
母さんをレイプしたの?っていうのを聞かれて答えないんですよね。
母さんを愛してたの?っていうのを聞かれたのに対しても答えれないんですよ。
で、もううるせえバカみたいな感じでもう投げやりになるんですけど、
ちょっと俺の口からは言えないですねみたいな、言語化するわけにはいかないっていう、
自分に対してもそうだと思うんですよね。
それを言葉にしてしまったらまずいみたいなのを、
ちょっとそこからそれてる感じの、こいつ複雑やなみたいなのがすっごい好きで。
それをなんとか細かそうとするときに下唇を出して歯を出す仕草とかもあれもね、
なんか抑えてるんだろうなっていう顔をしていて。
ちょっと今年のベストビランです間違いなく。
本当にそうですね。
あとはぶちゃり書かれてるカーチェスのシーンはさすがですよね。
見たことないですもんね。
なんかなかったんですかねこの切り口って。
多分引用があると思うんですけど、
でも見てないので何も僕は言えないっていう。
なんか多分わかんないです。こんなシーンがあるか僕見てないんで知らないんですけど、
多分こうやって追いかけられる車のみたいなのでやっぱスピルバーグの激突を連想してる人多いイメージありますよね。
なんかそのものズバリなことしてるわけではないんだろうとおそらく思うんですけど。
それに近いシンプルさみたいなのはあったりしますよね今回。
いやでもやっぱ盾に隠れるってちょっと見たことないですね。
そもそもあの道は本当にあるのかとかすごい思いますけどね。
やっぱ日本ではあんな道ないじゃないですか。
広野に一本道みたいなのはそもそもないっていうのはあるんですけど。
北海道だったらあるのか。でも北海道は平地か平野かって感じになるでしょ。
いやもうちょっと慣らすんじゃないかなって思ってたし。
劇中でもありましたけど危ないんですよ単純に。
まったく見えないの危ないんですよあれ。
自己利やすいと思いますよああいうところ本当に。
いやただ本当に見たことなかったんで。
カメラが動かないのがいいんですよね。
そうですね。
例えば断崖絶壁のところを通っている道とかで追跡劇みたいな。
モチーフとしてはよくあると思うんですけど。
カーブを曲がった先が見えないみたいなのはあると思うんですけど。
やっぱりそのカメラがついていかんとダメじゃないですか。
それを描くためには。
カメラ別についていかないんですよね。
カメラの向きはもう固定。
車だけが上下するってちょっとこれは見たことなかったですね本当に。
それは多分その伏線とかそういうことで絶対ないと思うんですけど。
ずっと先生が波をイメージするんだみたいなことも言ってるじゃないですか。
言ってた言ってた。
めっちゃ伏線というかつながる瞬間ですよね。
そう多分モチーフとしての引用なんだろうなーとかっていうのもちょっと思ったりはして。
上手いなーっていう。
あと冷静に考えるとあそこって別に何か勘違いですよねお互いよく考えると。
お互いのこと知らないんで勝手に追いかけられてるみたいな。
映画の演出によってさせられてるみたいな感じ。
そこも考えると面白いなって思うんですよね。
絶対ねクリスマスに属してるあのおっちゃんは別に前の車なんとかしてやろうと思ってないはずですからね。
絶対思ってないじゃないですか。
なのにめちゃくちゃこっちはスリリングだすごい誰かに追いかけられてどうしようみたいなシーンにさせられているなっているみたいな。
そこのおかしみみたいなのもやっぱありますよね。
確かに。
面白すぎるんだよなあのシーン。
見たことないし面白いしそこに込められてる情感含めて豊かすぎるっていう。
見事だったなあれ。
はいでは次のお便りオイスさんお願いします。
はいタウルさんからいただきました。
こんにちはタウルです。
大好きなポール・トーマス・アンダーソンがこんなに面白いアクション映画を作るなんてしかもエキスパイマックスで見ることができ興奮が止まりません。
語りたいところは山ほどありますが私からはアクションについて少し。
本作のアクションはアメリカンニューシネマの頃のハリウッドのやたら派手ではない人や車の動きの面白さを信じて
やや引きのショットで捉えた人肌を感じる映像ですばらしかったです。
オマージュも多くて映画ファンの心をくすぐりますし
ゾク・衝突・カージャックのような車でのドタバタ追走劇は初期スピルパーグの風味があってたまりませんでした。
特に最後の坂道でのロードアクションは
道路スルスルな撮影でカットを細かく割らずに上下と奥行きのある動きを体感させ
相手が見える見えないという映画の映画的快楽が詰まった最高に新しさも感じるカーアクションでした。
しかもテカ背のある若い女性が先頭を突き進み中年の男性が銃を持って追いかけて
同志だが愛だけをある父親が必死に追いつこうとするその構図と結末に痺れました。
映画の新体験
2回目見に行こうと思いますとのことです。
はいありがとうございます。
ありがとうございます。
おそらくオマージュ元はいろいろあるんでしょうけど
まぁちょっとそこまで分かってはないっていうのはあるんですけど
まぁ確かに古い映画の渋いアクションシーンっぽさはありますよね。
カメラグリングリン動かしたりとかカット割りまくってとかじゃなくて
グッと腰を据えて撮ってるみたいな感じはそこも良かったなとは。
革命っていうモチーフも結構アメリカニューシネマでよく出てくると
古い映画は挟んだので確かにそういう雰囲気はあるってあるかもしれないですよね。
そうですね確かにな。
確かに言われてみると追いかけっこうしている3人の並び?
っていうところに時代性を見出すっていうのはそうだなって思ったし。
そうですね。
この3人の追いかけっこう全部本当に勘違いみたいなところっていうのはさっきも言いましたけど
本当に笑っちゃうんだよなみたいな。
結末もすごくいいですしね、その天末もね本当に。
そうですね。
そういう人物というか特に娘の言葉というかセリフの意味合いというのが
20人も30人も相まってというかあそこも上手かったですよね。
はい、ではそんな感じで我々からトピック出していこうかと思うんですけれども
もうここから自己責任でポール・トーマス・アンダーさんを語らないといけないですね。
いやー、クーって感じですけど
不正の話はまた多分発すると思うんですけど
オープニングで一回話ちょっと出たので
最初の感想の時に言ったスッとボケ感のことちょっと惚れるかわかんないんですけど
ちょっと見ようかなって思うんですけど
僕が今見てる範囲でのポール・トーマス・アンダーさんのスッとボケ感は
インキアレント・ヴァイスとニコリス・ピザなんですけど
特にやっぱりインキアレント・ヴァイスはトマス・ピンチョン
今回のインスピレーション元であるバイン・ランドを書いた作者と同じ作品を撮ってるので
そのスッとボケ感っていうのはやっぱり今作にもあるなってすごい思ったんですよね。
インキアレント・ヴァイスは面白いか面白くないかでよくわかんないっていうのは正直なんですけど
ただこれもすごくヒッピーでグルービーな
マーキン・フィニックス演じる探偵が事件解決に奔走するんですけど
解決、この人に手によってできたのかできなかったのかよくわかんないみたいな感じっていうのは
今回のディカプリオの事態に深く関わってるけど何もしなかったとかできないみたいな感じとすごく近いなっていうのはやっぱすごい思って
だからなんかその感じはやっぱ今回もすごい同じ原作から原作者というか
トマス・ピンチョンからそういうのが出てるからなのかもしれないんですけど
本人的にもそういうちょっとスッとボケた感じが好きなんだろうなっていうのは今回見てもちょっと改めて思ったなっていうのがありましたね。
僕は見たので言うとパンチ・ドランク・ラブもかなりスッとボケた感じの映画ではあって
結構これもね表現難しいんですけど
めちゃめちゃ情緒不安定で社会と折り合いつけれてない男が初恋で奮起してとんでもない感じになるっていう話なんですけど
いきなり相手が旅行してる先のハワイに手ぶらで行くとかっていうそういう極端なことをする感じで
いやこいつ抜けとんだみたいなのを半笑いで見ながらでもこの切実さに同調してしまうみたいな
結構味の濃い映画だったんですけど
だからこうイメージより固くないですよね、ポルトマス・サンダーソン。
そうなんですよね。なんかちょっとゼアウィル・ビーブラットとかファントム・スレッドだけ見ちゃうとめっちゃ固い人って思うじゃないですか。
重厚なイメージでした僕は。
これにザ・マスターまで見たらもう重い重い重いみたいな感じになるんですけど
でもやっぱ初期作はどっちかっていうと軽いイメージ?見てないので完全にイメージですけど、みたいなものがやっぱあって
今でもその重たいものの中には時折そういう軽いものもちゃんと挟み込んでくるというか
ディカプリオの演技とキャラクター
それもまた魅力の人っていう価値があるよなっていうのは今回見て思いましたし
でもすっとボケてるんだけど結局なんかこの人が今求められているヒーロー感があるというか
結果たくましいのこの人だったなみたいな。っていう風になるっていうのも今回ちょっとインキュアレントバイスとの連続性というか
トマス・ピンチョンらしさなのかなというか、それを抽出してるっていう感じが今回もしたなっていうのはありましたね。
すっとボケで言うともう近年のディカプリオの結構こういう役多くないですかっていう。
多いですけどね。結構質もちょっと違うくないですか?なんかここまでなんだろう、ディカプリオのすっとボケってだいぶコテコテしてるじゃないですか。
あーわかりますわかります。ドントルックアップとか。
そうそう過剰になってて、そこがいいんですけど、ウルフ・オブ・ウォールストリートとか、どんどんもう過剰に増し増しみたいな。
もうディカプリオ劇場みたいな感じになると思うんですけど、あんま今回そこまでいってないというか、あえて外してますよね、そこは。
とにかく頼れねえ親父だなっていうところまでは。
だいぶ変ではあるんですけどね。でもやっぱ使い方がやっぱ他の監督と違う感じはやっぱしますよね。
いやでもやっぱディカプリオすごいですね。今回見てもらいましたけど、花があって抜けたことができるこのバランス感覚、今他に持ってる役者さん思いつかないっすね。
すごいですよ。この話、ディカプリオだけで花持たせきってると思うんですよね。
見てて退屈しないんですよ本当に。
ディカプリオと先生が話してるシーンだけで永遠に見てたらいい。
ディカプリオが先生のことありがたがってるのがすごい好きですけどね。先生って慣れてるとこ好きとか。
とりあえず銃もらってどうしようどうしようするのに、とりあえずテンションだけ上げとくみたいな。
勇気だ!みたいなこと言って。
クベバーザー!みたいな言って別れていくところが好きですけどね。
今の映画ってディカプリオかライアン・ゴズリングに無様を晒させると面白くなるっていう。
はいはいはい。確かに確かに。
ポール・トーマス・アンダーソンってそういうの乗る人なんやって。
確かにね。
電話のシーンむっちゃ面白いですからね。
めちゃくちゃ面白かった。
かと思ったら結構最初の頃とかはディカプリオちょっとちゃんとかっこよく映ってるじゃないですか。
銀行事じゃないな。裁判所かテロ仕掛け行くぞみたいなスーツ着てた時とかはやっぱりちょっとシュッとして、
あ、インセプションの頃のようだなみたいな感じもちゃんとあるから、やっぱり華のあるスターっていうのは違うねって思いましたね。
できる男が年を取っていったって感じがすっかりする。
すごいですよね。やっぱいいんだよな。なんかハリウッド黄金時代を知ってる人だなっていう。
僕前も言ったかもしれないですけど、タイタニックが最後のハリウッド映画だと僕的な感覚としては思ってて、
この映画一本だけで成り立ってるものというか、そういうシリーズとかでもなく、華のある役者を使って華のある映画を撮るっていうので、
全員見に行くみたいな映画の最後ぐらいがタイタニックだったんじゃないかなっていう、僕の主観的な意見ですけど、
なんかその感覚を空気として持ってる人っていう風に僕には見えるんですよね。ディカプリオ。
しかも今年くしくもね、その当時スターをやっていた俳優主演の3作品というか、ミッションインポッシブルの最後から、
ブラッドピッドのF1があり、今回ディカプリオっていう、意外とその3人の華のある映画が実は揃ってるっていう。
ちょっとすごい年ですね、そう考えるとね。
劇中トムクルーズの名前出てたらちょっと笑いましたけどね。
元気がありましたからね。
そこと比較しないであげてよっていう。
すごい嫌なんだよな。しかもあれでしょ、ポール・トーマス・アンダーソンの作品の中でもオープニング興行としては一番みたいな感じなんですよね。
まあ、そりゃそうだろうなっていうレベルで希望で公開してるのプラス、めっちゃわかりやすいっていう。
マジで基本は普通の闘争ものみたいな映画になってるのがやっぱすごいというか、
上手い人が当たり前に娯楽作撮ったらそりゃ上手いねみたいなっていうことだなってちょっと思いましたね。
白いんだよな、やっぱり。
割と役者さんつながりでいくと、娘さんの演技も、演技というかもう役柄もめちゃくちゃ好きで。
チェイス・インフィニティーさん、今回ってデビュー作だと思うんですけど。
すごいですね、すごい。
めっちゃかっこいいし、目がいいじゃないですか。
強いですよね、仲間が。
そうそうそうそう。
そこがもう一番被害者的なポジションではあるのに、誰よりも強い、強さを持ってる人というか、希望を託してる人のようにしっかり見えてくる。
だから中盤、本当に暗殺者たちがタンブローしてる場所に行って、自らもインディアン、ネイティブアメリカンで仕事をおそらくさせられてる人が、これは違うって思わせる。
その納得感が、ただ本当に黙って座ってるだけであるんだよなと思って。
あなたたずまいがすごい良かったなと思ってますね。
かっこよかったですもんね。
めちゃくちゃ一番ヒロイックと言ってもいい。
そうですね。
ディカプリオはとことんヒロイックじゃないから。
ヒロイックじゃないことがヒロイックになってるっていう。
うんうんうん。
対象的に女性であり一番若者である人にそこにヒロイックさを、花を持たせてあげるっていうところも作品としてのスタンスだと思いますし。
そうですね。
まさにラストのメッセージ、叱りって感じはするんですけど。
ある種の継承の話でもあるという。
そうですね。
しかもそれが母系というか、母からのっていうところもありますしね。
お母さんの扱いは僕ちょっとうまくわかんなかったです。
あの最後の手紙とかは。
確かに。
一応だから、組織としては全てを情報を明かしてしまった人っていう扱い。
裏切り者ですからね、扱い的に。
うんうんうん。
なんかすごいこれイメージなんですけど、僕の印象論でしかないんですけど。
親子関係の描写
なんとなくやっぱりポルトガマサンダーソンの親子の描き方ってやっぱりなんか片親なイメージなんですよね。
あー。
あーうんうんうん。
なんか父と母と子供みたいな関係ではないんですよね、なんか。
うんうんうんうん。
なんかどっちか描けてる、まあ主に母親が描けてるみたいな印象があって、そことの関係がめっちゃこじれてるというか。
うん。
もうある時は憎々しく思ったりとか、もうめちゃくちゃ関係強すぎて逆に離れられないみたいな、
ザマスターとかちょっとそんな言い合わせがあったりするんですけど、みたいなのがあるので、
なんかそういった意味では最初その、あ、なんかいつもの漢字と言ったらいいのかの話かなって思ったら、
でも最終的には合流ちゃんとするみたいなところに持ってってるっていうのはなんかまあ、
ある種のこう、これまでの流れを踏まえていくと変化としてなんかすごい興味深いというか、
ものがあるんじゃないかなっていうふうには思いますよね。
それこそこれまででいう不正を背負ってるのがあの母親なのかなぐらいちょっと思ってて。
うん。
それこそゼアウィルビーブラッドの父親的なというか、
その社会に生きる、仕事に生きるっていうスタイルを持ってるのはむしろ母親の方なわけじゃないですか。
そうですね、確かに。
なんかそれはもちろん時代感の変化っていうのは間違いなくあるかなと思うんですけど、
テロリストとジェンダーの力関係
なんかそのフェミニズム的なというか、女性と男性の力関係の変化みたいなもの。
僕それ一番感じたのはファンスモスレッドですけど、
夫婦を描くことで男女間のそもそも力関係の入れ替わりを描いてみせるっていう。
そうですね。
だから本当にちょっとその流れは本当に今に即したというか、
それは監督本人の不正の考え方も変わってきているからこその流れなのかなって感じすごいしますよね。
そうだな。
ちょっと僕はお母さん途中でいなくなって、最後に手紙だけ登場してっていうのが、
物語内での意味がそんなにわからなかったんですよね。
もう音沙汰なかったです、でも良かったぐらいかなと思って、
なんだろうな、なんか過去の存在が辻褄合わせに来なくてもいいっていう感覚があって、
もう父娘2人で終わりました以上でもいいんじゃないかぐらいにはちょっと思ったんですよね。
もちろん過去のしこりではあるんですけど、お母さんの存在っていうのはなんですけど、
そこに生産したら話としては丸くは収まるんですけど、
なんかその思い出を伝えたらいいとか、ずっと思ってたからいいってことでもないんじゃないかなと思って、
もういない人はいない扱いでもいいんじゃないかなって気はして、
それは逃げました以上でもありなんじゃないかなって思ったんですけど、
僕基本は逆にしたらどうなるかなって想像するんですよね。
ずっとどっか行ってた父親が手紙を送ってきてて、ずっと娘のこと思ってましたよっていうので、
別にそれ丸く収まらなくねって思うんですよ。
むしろその手紙を、手紙はあったけど娘が開かないとかでもいいんじゃないかなって思って、
そういう選択肢があってもいいんじゃないかなって、
この手紙は過去の話だから今の私には必要ないみたいな言い方もありなんじゃないかなっていう、
非常に個人的な意見ですこれは。
僕個人としては物語上そのウィラーが戦っていく理由の中に多分母性みたいなものを、
この物語に起きる母の残像みたいなものをどっか追っかけてるような形にはなっていくので、
どうしてもやっぱり最後そこに帰着はしちゃうのかなっていう気はむしろしていて、
だからこそお父さんであるデカプリオ、ボブがそこで何か言うとかではないっていうのはなんとなくそうなのかなとは思ってたんですけど。
そうですね。
あとやっぱり途中、銃の撃ってるシーンが重なったりとかするあたりもやっぱりそこは面影を重ねるというか、
その経験を通じて母を知るじゃないですけど、
母の存在を自覚なしに身体の中に染み込ませていくみたいな感じ?って言ったらいいのかな?
っていうのがあるので、
そういった意味ではやっぱ手紙は読んだ上で、
そこでどう思うかは別として生きていくみたいな流れでなればいいのかなっていうのはちょっと見ながらは思いましたかね。
まあ継承の話でもあるから、その視点も必要かなって気はするんですよ。
実際出てくる女の人、だいたい元テロリストじゃないですか。
そうですね。
テロリストですね。
現在進行形か元テロリストじゃないですか。
だからその手段は引き継がずに思いは引き継ぐっていうラストでもあるから、
そこの伝承っていう意味はあるんだけど、
僕、リカプリオの存在あんまり不正的な存在として見てなくて、
立ち位置として父親というか保護者ですよね。保護者。
ジェンダーの意味を持ってない保護者としていて、
結果その保護者やってるのがダメな男っていうだけで、
あんまりその不正的な人物じゃないようにも見える。
もちろん不謙的に振る舞う瞬間もあるんですけど、
友達が迎えに来た時とかの振る舞いとかは嫌な不正のあり方ではあると思うんですけど、
全体像としてその不正的なロールモデルに収束していってないような気はしてて、
むしろその敵側のあいつの方がザ不謙な存在だから、
そこの対比として父親的でありきれてないけど、
保護者としては頑張ってますみたいな着地が好ましいなって思ってたんで、
そこに最終そのお母さんが入ってくることで、
母性っていうまた別の要素が入ってくることで、
やっぱ母性は入ってくるのかいみたいに感じちゃったんですよ。
なるほどな。
不正は排除していったのに母性は入ってくるのかいみたいなのが、
あそこで僕は感じちゃったっていうのはあったんですよね。
なるほど。
あの手紙に母性なのかなってすごい思ったんですよむしろ。
母性と父娘の関係
あれはもはや不正なのではって思っていて。
確かにな。
結局だから本作って結構ウィラの父探しの話ではあるんだなと思って。
そうですね。
ある種のセッション的な意味合いでですけど、
結局その母に不正を見いだしてるってことなのかなともちょっと思ったんですよ。
これは従来的な意味での不正。
もう本当にそこにはジェンダーの意味がなくなってるんですけど。
そうですね。
その辺は確かにカーチェイスの天末のあたりのセリフのやり取りって、
あなたは誰って言って父親だよっていうあたりのシンプルなセリフのやり取りでもすごくそこは感じましたよね。
うんうんうん。
いやディカプレート、ボブってわかるじゃんみたいな。
わかるけどそこであえてセリフで言わせてるってことの意味とかも、
思うとちょっとそこはかなりテーマとして重要かなっていう感じがしますし、
あとまあ仮にこれ母性だと捉えたとしてもやっぱりファントムスレッドからの流れ的に、
母性にはかなわないじゃないですけど、
なんか不正こそが全てではないみたいな。
ニュアンスのところに今の着地をしたいっていう感覚はやっぱあるから、
まあどちらとして捉えてもまあ納得が結構いくなって感じがしますね。
なのでなんかたぶんかつて不正と言われてたものって、
実存社会性というか、
家庭ではなく社会の中で居場所を作ってることっていうふうに、
ジェンダーを剥がした時に見えてくるような気がしていて、
社会で役割を持って動いてるか、家庭で役割を持って動いてるかっていう、
今現代のほとんどの人はおそらくその両方を持ってなきゃいけないよねっていう話になってる中で、
その母親である彼女に、
社会でのというか社会との関わり方っていうのを託して、
保護者としての父親っていうふうな形で、
ある種のロールモデルを入れ替えてるようにも見えるので、
まさに山田さんおっしゃってた逆のパターンっていうのはむしろ古典的な、
おそらく物語であって、
ある意味その逆転をしてるだけと言えばしてるだけでもあるんですけど、
でもなんかそこに何かもうジェンダーが剥がされてるような感覚はすごい僕は見てて覚えたかなと思いました。
なるほどな。
ちょっと僕はその裏返しただけだと、
まだ足らんかなって感覚になる時があって、
だから最後にその理想化された不在の父に母親側がなってるっていうことで、
ジェンダーの裏返しを描いてるってことでも、
でも結局理想化された不在の父っていう像はいるんやみたいな感じにも見えちゃうかなっていうのはあって、
物語の構造と逆転
あと僕ハントムスレッドに関しても、
男女の権力勾配の逆転みたいなのが描いてる話ではあるんだけど、
外では威張ってる男が家の中では嫁に尻に敷かれてますみたいなのも、
そのテープル感もちょっとそれってよくある話で、
家では嫁に勝てねえんだよなって言ってる男性の、
実質的に社会の権力としては男性の方が上なんだけど隙は見せてますみたいな、
なんかそれは別に乙女誤化しでもあるぞっていう思いはあるから、
だからそれ自体は逆転足りえないと思うんですよ。
より外側の世界を見た時には全然逆転にはなり得てないと。
社会で権力を持ってる男性たちが、
嫁には勝てねえなってお互い共有してやってるホモソーシャルっていうのはあるから、
嫁は怖いよねっていうその団結の材料になってたりするわけじゃないですか。
それはあんまり健康的なものではないとは思うんで、
ファントムスウェットで描かれてることが悪いんじゃなくて、
それ自体はジェンダーの不均衡の否定まではリーチできない、
それ自体ではとは思うんですよ。
だからあくまでメタファーにはなるかもしれないが、
結局それをもってその影響というか、
社会のそういう実情を描いたことにはならないのかなっていうところですよね。
それは確かに、確かにと思いました。
トランに翼の劇中で、
うちのパパとうちのママがっていう歌がよく歌われるんですけど、
あれって家の中では奥さんの方が強いですっていうのを、
男たちが面白がって歌う歌として劇中で扱われてて、
それを別に女性たちはその歌歌ってないんですよね。
その歌を喜んで歌ってるのは男性側だから、
なんかその、それを面白がってるのはやっぱ男性なんですよね。
逆転してるっていう状態自体があるから、
やっぱそこまで一回裏返しただけだと、
この構造の否定まではまだリーチしきらないっていう風な見方を
僕はしているはいるんですよね。
もっとぐちゃぐちゃにしないと、
なんていうか、もっと複雑化しないと、
そこまでは届かないんじゃないかなって気はしてはいるかなっていう。
だからあの、僕ロックジョーのキャラとか好きなんですよね。
なんか一回裏返しただけじゃない、
もうこじれすぎてるから、
そのこじれすぎてて、
こいつの立ち位置がよくわからないってなってるキャラがやっぱ僕好きなんですよね。
なるほどなるほど。
そっか、なるほどな。
ちょっとこじらしすぎてて、
壊しすぎてるみたいなところまでは言ってないって感じなんですね。
それは確かに。
そうですね。
言われてみればまあそうか。
そこを確かに典型的に描いているような気はしちゃいましたね、話を聞いてると。
なるほどなるほどっていう。
どこまでそこを拾って作ってるかわかんないんで。
まあそうですね。
やれる範囲でのある種の複雑さというか、
ちょっと反転みたいなことはしてるかなとは僕は思ったので、
僕はそこまでぐらいなんですけど、結局は。
逆にこのぐらいの反転までじゃないと、
もうついていけなくなっちゃうっていう危惧もなんとなくなきにしもあらずなんで。
まあまあそうですね。
その中でもまさにロック城がいたことがすごいむしろ、
奇跡的なバランスっていうとこはありますよね。
ロック城を描く以上、他はある程度、
まあ反転はさせるぐらいまではするんだけど、
とはいえひねりすぎないっていうバランスで収めないと、
エンタメから離れていっちゃうような気もしなくはないなと思いますね。
今のところですけど、あくまで。
でも悪役って一番ステレオタイプに乗っとった方が、
面白くできるタイプの役割だと思うんですよ、悪役って。
カタルシストは絶対ありますよね。
で、現実世界においても一番ステレオタイプな感じに見えるのが、
あのロック城のキャラだとは思うんですよね。
ザマッチョ、ザ不健みたいな感じだったら、
いやこいつ倒すべき敵だわーみたいな感じ。
現実でもこういうやついるしなーみたいな。
でも逆に現実において、
そこまでその人の中にある複雑さって見えないじゃないですか。
現実ではエバってるだけで終わるから。
でも裏見たら、この人ねじれすぎてても、
もはやどこに座ってんのかよくわかんないなーみたいな。
でも実際にはみんなそうやと思うんですよね。
物語の核心
そういう人たちが現実と折り絵付けようとして死んでいくみたいな話が、
僕はやっぱ好きなんですよね。
だから本作においてもそうなるから、
結局自分のことわからないせいで死にましたよねーみたいな。
それを物語の中に見るのは好きなんですよね、僕は。
それこそアプレンティスにおけるロイ・コーンとかも結構そういう感じですよね。
トランプって存在もだいぶ複雑なままでもあるからっていう意味では、
その複雑さを保ちきってちゃんと端に抜けたって感覚は、
確かにアプレンティスの方が強いのかもしれないですね。
ある意味本当に今回の、今作の、
すごいスピルバーグっぽいってスピルバーグっぽいストレートな親子の話になるみたいなところはやっぱあるのはあるので、
そこと比べられちゃうとちょっとまた違うかな。
違うというわけではないけど、またちょっと違うリングでの戦いになるのかなって感じがしますね。
シンプルな悪役はクリスマスの冒険者たちの、あいつらがザシンプルなクソレイシスト。
だから外側にしっかりヤバい奴がいるっていう。
ヤバい組織は結局消えてないっていうね。
あれもだいぶ単純化した組織感すごいですよ。
すごいですよねあれね。
だからちょっとあれで現実のどこを語れちゃいそうだけど語れてもいない感じがするというか。
ちょうどよく現実から切り離される感じがあるというか。
現実のあれやこれやとめっちゃ重ねてるところがすごいあるんですけど、
なんかそこが絶妙というか。
いや、わかりますわかります。
あれそのものはないですよ。絶対に現実には。
それらしいものはきっとあるでしょうけど、あれそのものはないはずですからね。
なんか絶妙に外してるというか、けど妙なとこリアルななぁみたいなところがあるから。
暴動の時に偽の潜りみたいなやつ潜り込ませて暴動を引き起こさせて突撃する口実を作るみたいなシーンあったじゃないですか。
ありそうっていうかあるやろうなーって思いますし。
そこ妙にリアルやけど、なんかああいう変な組織みたいなとかは絶対ないやろうなーみたいな感じもするし。
ほぼショッカーですもんねあれ。
ショッカー?
いや、そうっすね。
悪の組織っていう。
存在としてはだいぶフィクションなんですけど、
まあ象徴、これは主人公側の革命テロ組織もそうですけど、
ある種のどっちの側も極端になってきてるみたいな世界の象徴としてはすごく機能してますよね、どちらにしろ。
なおかつ分断がさらに加速してるみたいな。
っていう世界観の中でじゃあ何が本当に大切なのかみたいな、尊いのかみたいなのが結局ディカプリオのただそこで守るということだったりとかみたいな。
っていうのがすごくやっぱ映えるじゃないですけど、それが一番この世界で大切じゃんみたいなことに着地できてるなっていうふうにすごい思って。
わかります。
僕はベネチオ・デルトロが助けを求めた時に、ある種警察が来てるから逃がさなきゃいけない人たちがいてっていうところで、
君らはずっと戦ってきたかもしれないけど俺らもずっと戦ってきてんだよっていう確かいうシーンがあったと思うんですけど、
あそこがすごい良くて、テロリズムとかそういう派手な戦いじゃないじゃないですか、移民たちを守っていくって。
その地に足ついた戦いこそがむしろ本質というか。
なんか革命って、要は革命ってある種ひっくり返すっていう行為だと思うんですけど、
そんなことをしなくても地道にそれを繋いでいくっていうのも革命の一つなんだよって言ってるように聞こえて、あそこめちゃくちゃ刺さったんですよね。
父親像と静かな戦い
そうですよね。静かな戦いというか、確かな正義も父親像もないけど、ただ静かに頑張って戦おうよみたいなそのポジティブさみたいなっていうのが、
やっぱ結構この映画のすごい真にあるテーマと言ってもいいんかなーみたいなのがあって、
個人的にはなんか、セブンの名台詞思い出しましたよ。
世界は素晴らしい、戦う価値がある、後半の部分には賛成だっていう。
あー、なるほどね。
世界ってマジで複雑でもうどうしようもないけど、戦う価値はあるっていう。
そこに希望を見出す感じっていうのはなんかちょっと思い出したりしたんですよね。
そうなんですよ。だから今年、スーパーマンも結構そういったメッセージを放つ映画だったなと思ってるんですけど、
やっぱりスーパーマンって、その力を持つ者、ちょっとノブレス・オブリジド的なところはどうしてもあるなって思ってて。
だからこそ自分、もちろんスーパーマンに優しさを持ってしてなっていこうよって話だから、そのメッセージ自体は大賛成なんですけど、
でもじゃあどうすればいいよってなった時に、自分たちの生活を守ることだって戦いなんだっていう風なことを結構ワンバトル・アフターナザーは描いてくれたなって気がして。
うん。
なるほどね。
映画の総括
だからそれもすごい象徴的だなって思ったのが、子供が生まれてディカプリオが子育てに行く中で、妻は革命の方に走っていくっていうシークエンスありましたけど、
そっか、子育てをすると社会、これまで叩き続けてきた消費社会とか資本主義に乗っからなきゃいけないんだよなっていう。
そうですね。
スーパーで買い物を始めるじゃないですか。絶対彼、もともとそんなことしてなかったはずなんですよ。
でも子育てをするっていう文脈においては、そういう風な派手な戦いから地味な戦いに移らざるを得ない。
そこに多分、普通になってしまったっていう落胆がおそらく乗ってくるっていうところ。
戦い方が変わるというかね。そこにちょっとやっぱり、私の戦い方じゃないってやっぱりなっちゃうから出ちゃうんでしょうね。
あんな慣れてない土地で、一人で娘ティーンエイジまで育てるって大変っすよ。すごいことっすよ。
本当に。
絵が描いてないけどすげえなって思いますよね、やっぱね。立派っすよ、本当。
それ想像したら、ダメ男ってちょっともう言えなくなっちゃうなって思った。
そうなんですよね。ちょっと劇中で終始間に合わない男って感じではあるんですけど、ここまでやってきたこと踏まえるとむちゃくちゃすごい人というか偉い人ですよ。全然ダメじゃないですからね。
絵画でカットされた十数年があるわけですからね。
僕、ああいう人、学生時代に会ったことある気がします。
学生時代京都で、兄弟にちょっと出入りしてたんですよね。僕は兄弟生ではないですけど、兄弟にちょっと出入りしてたんですけど、
この人、学生運動の残りがみたいなのを吸ってた人ぽいぞみたいな人、なんか見たことあったことあるんですよね。
どうやって生きてるかわかんないけど、ちょっと社会に馴染みきらないまま、そのネットワークの中で生きてるっぽい人、会ったことあったなと思って。
結構いろんなこと思い出したんですよ。あれやってたの、もしかしてこういう人だったのかなみたいなのをね、いろいろ思い出しました。
兄弟って結構その独立突破の機運が強い工夫なんで、立て館文化とかもね、いまだにあるし。
やっぱちょっとその機運あるんですよね。いまだに。今はもうちょっとその学生運動のパロディーみたいな感じにはなってますけど、それでもちょっとなんか匂いが残ってるなって思って。
もしかしたらあの人たちにも、瞳の中燃えてた時代あったのかなとかちょっと今思い出してました。
あとやっぱ僕もう革命描く映画好きですね。革命というかテロを描く映画好きですね。現実ではもう勘弁してくれと思ってますけど、新幹線大爆破とか、太陽を盗んだ男とか大好きだなと思って。
そうかそうか確かにそうか。
最近で言うと、ハウトゥーブローアップっていう。
はい、ありましたね去年。
あれも元の原作があるんですけど、完全にあれゴリゴリにサハ活動してる人たちが書いてる本の映画家なんで、当人ですよ。
うんうんうん。本当にハウトゥー本ですもんね、文字通り。
テロの仕方の話を劇映画にしてるだけなんで、ハウトゥーブローアップ。この人たちやと思って。
でもそう、それ思いました。めちゃくちゃ思いましたね。彼らの主張もね、おそらくその移民に関しての人権侵害であったりとか、あるいは環境の話もおそらくありますもんね。電力発電所爆発させるところとかは明らかに。
どうしても繋がりますからね、資本主義による作種の構造に対する攻撃だから。どうしてもどっちにもなりますよね、そこは。
でもそんな男が小空でなると資本主義側に飲まれてくるところがまたね、いいんだよな。僕ああいう人好きなんですよね。
しゃーないっすよ。大企業が作った粉ミルクカラオツダメになりますもん、それは。
そうですよね。
でもそれも戦いですからある意味。
そうそうそうそうそう。
そこから、いや俺は違うんだっていう顔を突き通しちゃうとろくなことないみたいなやつとかも、ちょっと別の映画とかでアペするんですけどみたいな。
アペするんでね、だからね、いや偉いっすよっていう。おのせ今回のディカプリオはっていう。
やっぱ好きですね、やっぱ本作のキャラみんな。
みんな好きですね、結局ね。
悪役からこちらの役まで含めて愛せちゃいますね、本当。
いや本当にすっげーいい映画でした。
よかったです、怖がらずにお題にできてよかったです。
いや怖かったですよね、ポルトガルサンダーソンなんてそんな、そんなみたいな。
怖い怖い、もう怖い怖いわーって思ってましたけどね。
いやーでもむしろいい入り口だったんですよねって思いますよ。
本当にこっから入っていいぐらい。
これでね、なんかね、ゼアウィルビーブラッド語ってくださいって言われたら困るーって。
困りますね。
困るーって言われるじゃないですか。
いやー、15年前に公開された映画がこっちだったら僕はスタエでゼアウィルビーブラッドを借りなくてよかったのに。
確かに。
みんなでね、ワンバトルアフターアナザーみたいな楽しかったねって追われたのに、
あの頃の僕はゼアウィルビーブラッドを借りてしまったんですよね。
逆じゃなかったなーっていう。
公開前逆じゃなかったなーって。
15年遅かったです。
はい、ではそんな感じでワンバトルアフターアナザーの話は終わっておこうかと思います。
はい、ではお知らせになります。
映画の話したすぎるバー、次回開催日は決まり次第お知らせいたします。
これまでは毎月最終土曜日の開催が基本でしたが、今後は開催タイミングが流動的になりますのでご注意ください。
場所は大阪南森町週刊曲がり中古市オープン23時クローズです。
またこの番組ではお二人を募集しております。
番組全体やトークテーマ作品へ向けてご自由にお送りくださいませ。
バーの最新情報、次回テーマはXおよびインスタグラムにて告知しております。
各ご案内は番組説明文をご確認くださいませ。
それでは映画の話したすぎるラジオ第233回、ワンバトルアフターアナザーの回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。さよなら。
01:09:59

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