アフター・ザ・クエイクの考察
始まりました、映画の話したすぎるラジオ第233回になります。
この番組は、大阪で映画トークバーイベントを、映画の話したすぎるBARを開催している店長メンバーらによる映画トーク番組です。
私、映画の話したすぎるBAR店長の山口です。
マリオンです。
大石です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
お願いします。
はい、では近況の話、入っていきたいと思います。マリオンさん、いかがされてました?
そうですね、今週は1本ちょっと映画の話したいなってやつがあるんですけど、
アフター・ザ・クエイクを見ました。
これ、元はなんかあれですよね、NHKでドラマをやっていて、それの映画に編集したみたいな作品らしいんですけど、僕全然知らなくて。
で、村上春樹の神の子は皆踊るでしたっけ、あれ。
はい。
やってましたかね。
はい。
それの実写映画家っていう感じなんですけど、僕全然知らずに見たんですけど、これスズメのとじまりの元ネタってこれだったんです。
そうですね。
そうですね。
カエル君の東京を救うでしたっけ。
はい。
これだったんだっていうのを全く知らずに見てしまって、ようやく点と点が繋がったっていう感じでした、個人的に。
知ってる人は知ってるよみたいな感じかなと思うんですけど、しかも何も知らずに見に行った割にTシャツはちゃんとスズメのとじまりのTシャツ着てたっていう。
めっちゃ好きな人じゃんみたいな。
拾っていってる人ですね、それ。
そうですね。完全に分かって寄せていっている人の動きをしてしまったんですけど。
全くそんなつもりはなかったんですけど、たまたまタンスで何着よっかなーみたいなやつで、たまには着るかって着て見に行ったら、めっちゃスズメのとじまりじゃんってなったっていう感じだったんですけど。
神の子供たちは皆踊るか。ちょっとタイトル間違ってました。
で、見てみてすごい面白かったです。
やっぱり僕、村上春樹の小説1冊も読んだことないんですけど、やっぱり村上春樹っぽいやつ好きなんだなっていうのを映像作品で見るとすごいやっぱ思うんですよね。
今回もそれはすごい感じたというか。
まあ本当にあの、やっぱり重なるのはやっぱり、君の名は以降の新海誠の震災三部作みたいなものってここから来てるんだなという感じがすごいしましたし。
やっぱりなんか災害とか、そういう災害といった大きな事象を目の前にして、個人としてはすごくそこに対する虚無感というか、なすすべもできないというような定感みたいなものが、
ちょっと変わったストーリーの中に込められてるというか。
で、あるエピソードにおいては、自分の存在の薄さ?軽さ?空っぽさ?みたいなものを重ね合わせるって感じもやっぱりすごく村上春樹っぽいというか。
男女の関係の中での男の空っぽさみたいなところを重ねるのもやっぱり村上春樹っぽいのかなってすごい思いましたし。
そういったのを積み重ねた果てに、じゃあそれでも希望を持って生きていけるのかというか、みたいなことを問いかけるみたいな着地というか。
っていうのでやっぱりすごく深海誠で摂取してきたものの原点を見たみたいな感覚に個人的にはなりまして、結構見ながらすごく面白いなと思いながら見てました。
ちょうど最近アニメでもめくらえないけど眠る女ってやってましたけど、あれも結構原作同じだったはずですよね確かね。
そうですね、重なってますね。カエルくん東京スクと、あと何かも重なってたと思うんですけど。
たぶんクシロのUFOのやつじゃないかなって気がするんですけど。
ああ、そうですそうです。クシロのUFOが。
あったあった、そんな予想があったあったとかですかね。
こっちのアニメの方は僕見て、アニメの方とか全く別の企画なので比べるのはあれですし、
あとアニメの方は確かフランス人の監督の作品っていうのがちょっと変わってるっていう感じだったと思うんですけど、
こっちはこっちで、何て言うんだろう、村上春樹の原作にした実写化ってやっぱり映画的なエッセンスを込めないと、
なかなか文体に宿ってるものと違うものに結局なっていくって話が多いなと思う中で、
割とアニメーションっていう手を使えば村上春樹の文体をそのまま表現できるんだなーっていうのが隅って思ったんですよね。
僕もそんなに読んだことはないんですけど、ただ確かに、『ゆっくり歩いて眠る女は』を見てる間、村上春樹っぽいなっていうのをすごい接触できた感じがするっていう。
そうですね。そういう意味で今回、アフターザクウェイクは実写なわけですけど、
そうですよね。
変なことをやっているっちゃやっていると思うんですけど、
しかも各、それぞれの短編みたいなのが、実際にはドラマ、一話一話ドラマとしてやっていってっていうのを実際にはやってたわけですけど、
これドラマで見てたら、すごい何のオチもない話見せられたなみたいになると思うんですよね。
でもそれが一本の映画にまとまって、すごく阪神大震災から始まって、そこから2025年まで飛ぶんですけど、
そういうアレンジを加えてるので、そういった期間にあった東日本大震災であったりとか、
あとちょっとコロナ禍も入ってたりとか、みたいなそういう大きな事象っていうのをすごいモリモリ入れて、
そこに変な話も加えてっていうか、っていうのは結構うまく、
重なってるようで重なってないけど、ちょっとずつ響き合ってるみたいな感覚が映画を見ていてすごく感じられるっていうような作りになってて、
すごく僕は一本の映画として結構ちゃんと面白かったなっていう感じがありましたね。
話聞いててすごいなるほどなって思ったのが、
マクラナギの方ってアニメーションにすることでより現実から離れていくというか、
より抽象度高い映画だったなっていう印象があって、
それが多分村上春樹の文体に近いような気がしてるんですけど、
たぶん森さんがおっしゃった、むしろ現実にあった嘘みたいなことをある種紐づけて村上春樹を下ろすことで、
そもそも現実だって嘘みたいじゃんっていう風に描いてみせてるのかなと思って、
それは確かにいい描き方だなっていうのを聞いてて思いました。
そうですね。ちょっとそこはかなり頑張って描いてるのかなっていうのは思いましたね。
で、監督さんがアマちゃんとかの人で、
あとその町の子供ですね。
はいはいはい。
っていう意味でも、やっぱちょっとちゃんと半信半疑大震災に縁のある作品を撮ってるような人が、
ここまでこういう作品を撮るっていうのもすごくいいなと思いますし、
そういった意味でも。
なんか予告編見た時はなんか、ほんわりした話なんかな?ふんわりした話なんかな?みたいな抽象的な話なんかな?って思ったんですけど、
見てたら結構ちゃんと一個一個身のある話っていうのを、
一個一個粒が際立ってるけど、一つのまとまりのある話としてもちゃんと読めるような感覚のある作品になってて、
僕は結構良かったなって思いました。
ゼア・ウィル・ビー・ブラッドの分析
今週はこんな感じです。
はい。大井さんいかがされてましたか?
そうですね、今週も劇場は加大作以外見れてないくてですね、
ただ今週の加大作がポール・トモ・サンダーソンということで、
それこそファントム・スレッドは見てた、見ましたよって話は多分したと思うんですけど、
あんまり正直ポール・トモ・サンダーソンの作品見れてないなと思って、
で、一応なんか一本有名なやつは見とくかっていうところで、
There Will Be Bloodを見ました。
お二人の方がご覧になられてるかもしれないんですけど、
アメリカの、なんていうかな、多分、
いつ頃っていうんだろうな、
おそらく開拓期をちょっと空けたぐらいの頃なのかな、
石油で一山当てをする父親とそこについてくる子供の話っていう感じでざっくり捉えてるんですけど、
なんというか、ファントム・スレッドの時も思ったしながら、
ワンパトラフトアナザーの時もちょっと思ったりはしたんですけど、
彼ってものすごいクラシカルな映画の撮り方をするというか、
現代的な画面作りはするんだけど、
音楽の使い方とかがめちゃくちゃクラシカルな感じがするなっていうのを見ながら思って、
それこそ、70年代、60年代ぐらいの名作と呼ばれてるような映画の作り方、
ハリウッドの映画の作り方みたいなものをすごい模倣しながら、
現代にそれを生みがえらせるような形の作り手なのかなっていうのをなんとなく感じていて、
特に音楽使いはすごい独特じゃないですか。
音作りというか、めちゃくちゃクラシックなんだけど、
映画音楽というよりもオペラに近いような感じの音楽を持ってくる感じとかが、
すごい騒音な雰囲気もありますし、
その中で何を描くかっていうと、
ファントプスレッドもそうだし、ゼアベルビルブラッドもそうだっていう意味では、
今作もそうなんですけど、不正の話をしたい人なんだなっていうのをすごく思って、
今年結構そういう映画多いっちゃ多いですけど、
不正から逃げるというか、これが不正だっていうふうに突き進んだ男が、
そうじゃないところにぶち当たって悩むというか苦しむ話。
最後は必ず苦しむっていうところは共通してるのかなとは思って。
特にゼアベルビルブラッドなんかまさにそれのすごい典型的なところもありますし、
よく言われてるのは終盤のポール・ダノとの掛け合いのシーンは、
まあすごかったですけど。
ボーリング場のピーを使ってね、みたいなとかを。
ストローの下りのね、あの癒さたるやというか。
そこを両面描いてきた監督だから、
そういう意味で本作ワンバトルアフターナザーも、
ちょっと解像度が変わって見えるなっていうのはちょっと思ったので、
そういう意味では不正の癒さを描いてきた監督が、
とはいえ不正を描こうともしてるっていうのが、
この作なのかなっていうふうにも見えてきて。
しかもそれをこうある種二つに、不正の癒さととはいえ不正の必要性というか、
お父親っていうものの存在の意義みたいなものを、
二つのキャラクターに分けて描こうとしてるんだなっていうふうに見えてくると、
なんかそれはそれでまた味わいがあるなっていうふうに思えたので、
結構その反例というか、真逆の描き方をしている映画として、
WBブラッドは結構面白いなと思いました。
もうどんな話か全然覚えてなくて、
結構公開からそんなに時間経ってない頃にレンタルで見たんですけど、
まだそんなに映画の見方を覚えてなかった頃というか、
ただただ重くてしんどい話だなっていう曲があって、
ボーリング場のシーンは覚えてます、やっぱり。
ちょっと僕すごいトラウマなんですよ、この作品。
知り合いの家に遊びに行った時に、
なんかTSUTAYAで借りてきてみようぜっていうところで、
僕がこれを押してこれを借りてみることになったんですよ。
軽いのりでTSUTAYA行こうぜみたいなところでこれを借りてきて、
長いじゃないですか、まず。
長いですね。
長いですよね。
しかもこの内容でしょ。
もうね、空気冷え切り返ったんですよ。
重いですね。
さらに甘津さえ、ちょっとしんどすぎて泣き出す人が出てしまったりとかして。
そうですか。
本当にもう良くない思い出なんですよね。
そのチョイスをしたという、この自画がすごい悪い思い出になってる作品なんですけど。
確かに。
どんな面で見るかとかにもよりますけど、
少なくとも友達とTSUTAYAに行って、これ借りようぜのタイプの映画ではない。
そうですね。
ちょっとね、人と見るんだったらもうちょっとコメディとか行くかとか、
ドタバタなアクションとかに行くかという感じになるかなと思うんですけど。
そうですね。
ちょっと僕もその選択肢は絶対やらないですになっておりましたね。
僕もTHERE WILL BE BLOODを見てるんですけど、
結構僕も山口さんと似た感想というか、
見たことは覚えていますみたいな感じなんですよね、正直ね。
だいぶ前に見たんで、ただただ重かったなみたいな。
もうちょっと深くこう味わうまで行ってなかった時期に見ちゃったなっていうか、
まだまだ青い時期に見てしまいましたみたいなのがあって。
今見たらもう思うこと多々ありって感じなんだろうなと思うんですけど、
ただでも大石さんが言ってたようにTHERE WILL BE BLOOD、
ファントムスレッドからのワンバトルアフターナザーって流れは、
確かに不正というものへの折り合いの付け方みたいな感じとして、
すごくなんか綺麗な流れっていうのはすごい僕も思いましたね、そこはね。
そうなんですよね。だから僕も一応ポール・トーマス・サンダーソンって、
全部名作みたいなことよく書いてあるじゃないですか。
映画のリアリティと作家性
リコイル・スピザも見てるんですけど、リコイル・スピザはあんまりわかんなくて。
わかる。いいのはわかるけど、なんかあんま良さはわかってないみたいな。
あの当時、わりと映画評論家の方だったりとか、
映画をよく見られる方が絶賛っていう感じの雰囲気だった中で、
いまひとつ何にも刺さらずに終わったなって思ってるよ。
そこの課題感があって、ポール・トーマス・サンダーソン自体。
なので今作は、そういう意味で楽しめたいのは文脈が必要なんじゃないかとか、
色々考えながら見てたりはしたので、
ファンタムス・レッドとジャイビーブラッドを挟んだのは結構良かったんじゃないかなと思ってますね。
もちろんそういうのなくても今作は楽しめるんじゃないかなと思うんですけど、
とはいえ、それよりもより深く彼の作家性みたいなものが見えてきたかなっていう気はしました。
なんとなくプロサルバーで大人の方々が触れた理由もなんとなくわかってきたというか、
30代以降に刺さる映画なのかもしれない、この人の映画ってちょっと思えてきたっていう感じはしてます。
今週はそんな感じです。
僕はですね、もう久々に時間を作って、1日5本ハシゴをしてきたんですよ。
もうちょっとで牧場さんだったのかなっていう本数ですね。
確かに。
もう6は入らなかったですね、対応できるときに。
まず普通の子供を見ていきまして、
お二人が前回マリオンさんが話の焦点にされてた部分なんですけど、
結構僕これ、終盤のめちゃくちゃ重要なシーンがあると思うんですけど、
保護社会みたいな席のシーンですよね。
あそこでこの話リアリティ変わるなと思ったんですよね。
はいはいはい。
あそこまではちょっとフィクション寄りだなと思ってて、
なんだったら僕、ちょっとクレヨンしんちゃんみさえあるなぐらいにちょっと思ってたんですよね。
決してリアルな子供ではないとは思うんですよ。
ただ本作の撮り方が、その大人と子供が同じリアリティラインで撮られてることがやっぱり結構本作の特色だとは思うんですよね。
やっぱりその大人は劇なんだけど、子供だけドキュメンタリックだったりとかっていう撮り方もあると思うし、
あれがその大人の物語を語るために子供はあくまで添え物みたいな、
もう子供的なステレオタイプを演じさせてるみたいな、
もう子供のクリシェですみたいな演じ方をしてる作品もあったりしますけど、
本作ってやっぱり主役が子供だから、別に決してああいう子供がリアルにいるわけではないんだけれども、
大人とリアリティラインがずれてない子供として撮られてるっていうのがやっぱり本作が、
子供を撮るっていう強い意思を持って作られてる映画として思う部分であったんですけど、
ただ決してそれはリアルなものってわけではないっていう。
ただ終盤のシーンで、なんか現実の生感がポンって出てくるシーンがあって、
あれはかなり意図的だなと思って、だから前半ちょっと茶化してるようにさえ見てしまうのも、
なぜならそれはリアルじゃないからっていうふうに僕は見たんですよね。
で、後半のそのとあるシーンで、現実の生感がポンって出てくることで、
ここからが真に迫ってるものなんですっていう。
そこまではやっぱりちょっとまだフィルターかかってたというか、そんなに分かってなかったというか、
解像度が低い状態として世界で撮られてたものが、なんかその奥があるなみたいなのを見せるっていう、
そのメリハリを聞かせてる感じはあったのかなとは思いましたかね。
なんかまあ、映画として面白かったですね。
ただまあそのすごい重要なシーンで、とあるキャラクターがすごい切実な思いをトロするわけなんですけど、
社会とか世界の問題って、個人の切実さに紐づいてるから、それを受け止めないといけないって、
なんかその切り口って結構危険だなって気もしているんですよね。
ちょっとそれってなんか逆もしっかりになってしまうんじゃないかなっていう気もしてしまって、
個人が切実にこう思ってるから、それに寄り添わないといけないんですって。
じゃあこれ、例えばこれは環境問題の話ですけど、
外国人の話とかにした時に、え?とかってなっちゃうんじゃないかなみたいな、
いやでも私としては切実なんですとかってなったら、
そうやってどこまで向き合うべきなのかなっていう。
だから周りはいなしてるけど本人は切実なんですっていうのが、
本人が切実だから、その意見は全う正があるみたいなことではないとは思うんですよね。
だから結構、ごめんなさい、僕が今言ってることもかなり聞こえ方間違ったらだいぶ良くないこと言ってると思うんですけど、
なんて言ったらいいのかな。
難しい、ごめんなさい、ちょっと言葉整理しきれてないんですけど、ちょっと難しいな。
ただ、やっぱりだから、どうぞ。
例えばですけど、普通の子供でやってる彼らがやってるのはエコテロリズムなわけですよね、例えば。
例えば切実な思いがあればテロもOKになるのかって話になるような気がするんですよ、例えばですけど。
それって、もちろんそうではないはずではあって、
とはいえじゃあ、そうなってる人に対して対話ができるのかっていうところも結構取られているかなと思っていて。
確かにそこすごい難しいというか、一口にこうだよねって答えは出ないんですけど、
あの映画の中だと、たぶんそこにも、最後の保護者会でちょっとカメラが引くイメージがあって、
そこってちょっと客観的になってるなっていう気がするんです。
そこがまさに山口さんがおっしゃったリアリズムのところなのかなと思うんですけど。
映画のパンフレットの中だと子供の世界の普通の子供の評論で、
どなたかちょっと覚えてないですけど、遠景と中景と近景の話をされている表があって、
子供の世界は近景と遠景であると。だから世界の問題と個人の問題がすぐにつながってしまう。
一方で大人はある程度近景と中景の間を生きているっていう。
まさにその中景が保護者会では出てくる、立ち現れるように見えるっていう話を書いてて、
なるほどなって思ったんですけど、中景を書いて話してしまいがちじゃないですか。
個人の切実さに気も付いてしまうと。そこの危険性なのかなって気がして。
そうですね。だから本作ってどこまで行っても環境問題を描いた映画ではないと思うんですよね。
やっぱり本作って子供、特に普通の子供を描いて話として見るのが多分適切なのかなって気はしてます。
本作の結末が何かの結論なわけでも全くないっていうのが大前提。
本当に小学生のまだ幼い子供のワンエピソードを切り取りましたっていうだけであるっていう着地は結構大事かなとは思いました。
あとは普通の子供の話であると同時に普通の大人の話でもあるなと思うんですよね。
大人たちの普通さ。
確かに。めっちゃ普通でしたねっていうか。よくある実像をあそこにめちゃくちゃ三者三様寄せてきてるっていうのはめっちゃ思いました。
フィクションのベールで包んだ普通なんですよね。登場人物みんなが。
そうなんですよね。そこをベールで包みながらもフィクションライン、もちろん出てるって言ったら出てるんですけど、
フィクションであることは作品であることはどこまでもわかるんですけど、とはいえそうなんですよ。描いてるものは割と僕らの話をしてるなって思える。
人そのものが映ってるっていう意味では、僕も一応なんかうーんって言いましたけど、映画の感想自体は。
ただ子供は描けてるというかちゃんと子供っぽい子供がいるみたいなっていうところはすごく僕良かったところだと思ってるはいるので。
それがテーマだからそれが描けてたらオールオッケーだっていう話ではあるんですよね。
いらんこと僕が気にしちゃうだけで。環境問題のこともちょっと気にしようやみたいになっちゃってるだけで。
そこに多分環境問題じゃなくて、何かしら複雑な社会問題っていうのを何かしら入れ込んだ時に、それ結局ダシにしてることになるよねみたいな。
っていうことにも見てて同時にも引っかかる、もう持っちゃうっていう部分が難しいなって感じですけど。
そのむずさも含めて意図的なチョイスだと思います題材自体も。
かなりチャレンジングな作品だなと思いました本当に。
それはその通りだと思います。
普通の子供の描写
あとね、これの次にワンバトルアフター見たんですよ。もう2連続でテロリストの話だったんですよ。
間違いないです。本当ですね。
テロリズム映画のハシゴいいですね。いいですねいいですね。
こういう意図してないハシゴの連続性感じるのってやっぱこれですよね、映画ハシゴの魅力というか。
にしては濃いですけどね。
そうだな、もう味濃い2本ですね。どっちも面白くて。
その2本ハシゴした後に次にひくい鳥を食うっていう、今やってる小説原作の映画を見てちょっと気になってたんで見たんですけど。
まず大前提として僕は全く小説に触れてません。原作小説に触れてないので映画だけの話しますけど。
これね、かなり僕は合わんかったんですよ。
まずね、全然要素を整理できてないなと思って。
で、まずまあ表面上怪奇ホラーっぽさはあると思うんですね。
で、あとまあこの題材がこの主人公の祖父の兄が戦争に行ってたんですけど、戦地から帰ってこなかったんですよ。亡くなって。
で、その人の十分にしっきが見つかって、それを現地から持って帰ってきてってなったら、そっからこう呪いらしきものがその実家に広がっていくみたいな話なんで。
戦争ものの話でもあるんですよ。あと、人怖の要素もあって。
生きてる人間の怖さみたいなのも描いてるんですけど、あとあの、君の名は要素が入ってくるんですよ。
そうか今ことの君の名は要素が入ってくるんですよ。
で、今言った4つがあんまりうまく馴染まないまま入ってる。一つの箱に。
あー、なるほど。
っていう風に僕は感じたんですけど、ただね、これね、僕基本的に映画見ながら要素を因数分解しながら見る癖があるんですよね。
あ、ここはホラーだなーとか、ここはサスペンスだなーとか、ここはラブストーリーだなーとか、そういう風に分けていくんですよ。
だから今みたいにここは怪奇ホラーとしてあって、ここはその戦争ものの電気であって、ここは人怖要素で、みたいに。
で、わーい、君の名はじゃん!みたいなのもあって、その分けることですごい散らかってるように見ちゃってるんですけど、
そこを気にせずに見たら、なんか一つの大きな変な映画として純粋に受け止め入れたりするのかなって気もして、
僕の映画スタイルと合わん映画だったのかなって気はしてます。
あとまあ、それらのジャンル的な因数分解要素とは別に、強烈な異物が本作の中に入ってるんですけど、
9番以降出てくるとある登場人物が、むちゃくちゃ癖がすごいんですよ。
僕もまともにスクリーンを見れなくなるぐらい癖がすごいってなって。
どういう存在だ?
これ見てる人にだけ伝わってほしいんですけど、癖がすごいんですよ。
逆に気になり始めましたけど。
そうですね、僕のタイムライン上で、この映画の感想を言ってる人が誰一人いなくていいので、
初めてこの映画の感想を聞いたので、めっちゃ気になりますよね。
癖の強いキャラとはみたいな。
癖の強いキャラに要素が盛り盛りっていうところまでしか僕ら情報ないですからね。
とんでもない闇鍋映画だなっていう。
僕は新品だと思ってます。
いろんな具材が入ってるけど、その鍋の出汁の味に馴染まないまま入ってるみたいな感覚だなと思ってて。
あとこれも要素なんですけど、ひくい鳥がモチーフとして出てくるんですけど、そんなに上手に調理できてない気がする。
少なくとも映画としては。
なるほど。
この映画ってひくい鳥を食うってタイトルだから、ひくい鳥鍋になるべきなんですよね。
そうですね。
いろんな料理、いろんな具材がひくい鳥味になってるっていう風になると、僕としてはすごく腹落ちをする料理だったなって思えるんですけど、
ひくい鳥がそれらの具材をうまく包み込めてないなって感覚になってしまって。
これは原作はちゃんとできてるかもしれないんで、あくまでも映画だけの話なんで、ちょっと不誠実なのかもしれないですけど、ひくい鳥微妙に弱くねっていう気持ちが。
めちゃくちゃ薄出汁だったんですね。出汁が効いてない鍋だったんだなって。
なんでしょうね、あんまりひくい鳥味の出汁を各具材が吸ってないんですよね。
なるほどな。
いやー、ちょっと逆に見たいぞ。
こんな違和感を感じる映画久しぶりなんで、ちょっとこの変さは僕人と語りたいんですけど、やっぱ変だと思うんだよなっていうね。
っていう感じでした。で、テレビの中に入りたいものを見てきて、これね、すごい映画だと思います。
映画『アフター・ザ・クエイク』の洞察
ちょっとやばい、人によっては入り込んじゃう可能性があるぐらい。
そうですよね。あれはちょっと人によっては本当に食らっちゃいますよね、あれは。
なんかね、その若者の孤独とか憂鬱のイデアみたいな映画なんですよ。
というか、あの頃の感覚みたいなものが映画になってるんで、すごい嫌なものを思い出すんですよね。
えー、本当に辛くなるんだよな、これなっていう。
前回も話したんですけど、大学時代にこの世界の何とも繋がれなくて深夜のテレビつけてた自分をマジで思い出しました、本当に。
やっぱり思い出しちゃいましたか。
思い出します。
あと、このテレビの中に入ったりっていう中で言ってるテレビっていうのはテレビ番組のことなんですよ。
子供の時に好きだったテレビ番組のことなんですけど、ただ今見返すと別にそんなになんだけど、
あの頃の自分にとってむちゃくちゃ大事だったテレビ番組ってあったかもしれないなとか、
あるいは、今となっては名前もちゃんと思い出せないぐらいなんだけれども、
あの頃の自分にとってむちゃくちゃ大事だった人とかいたなーみたいな、そういうことが思い出される映画なんですよね。
で、それらのものとはもう自分の人生は分岐してもう繋がることがなくなっているっていう。
ただ、その過去は確かにあったっていう映画なんですよ。
で、そこで自分はその孤独の側にもっと向き合っていくべきだったのか、付き合っていくべきだったのか、
あるいは、いやそうじゃない、俺はこの孤独から離れていくべきなんだって言って決断してそこから離れていくのかっていう、
どっちも多分本作は幸せなものとして描いていなさそうなんですよね。
そう、そうですよね。
いや、どっちも辛いですよね。男の子の方も女の子の方も。
ただ、もうその絶対的な2つの孤独がそこにあったっていう映画になってて、ちょっとね、喰らいますマジでこれ。
なるほど。
やばいです、これは。見るメランコリーです、これは。
いや、そうなんですよ。これ結構メランコリーのやつ好き?な自負があったんですけど、
そんな生半可なメランコリーじゃないみたいなものなんですよね、本当に。
しかもそれが若者だけじゃなくて、多分大人になっている人ほど刺さるみたいな部分もあるじゃないですか、やっぱり最後ら辺のことってすごく。
若者からしたらすごく今の、今まさに来てるこの孤独、痛みみたいなのがすごい刺さっちゃうし、
大人は大人で過ぎ去ったものを本当に思い出させてしまって辛いみたいな映画になっていると思うんですよ。
なんかね、本当に自分が好きだったテレビ番組の最終回と一緒に自分が死んでたらよかったのにみたいな。
そう。
そういう感じなんですよね。
ちょっとね、薬になり得る分量を超えてもはや毒になり得る分量です、この映画は。
怖いな、なんか思い出したくないものを思い出しそうな気が。
この映画見てしまって、この映画のストーリーの話とか誰もしなくて、この時に受け取ったものの話をみんなしたくなるんですよね。
っていう映画なので、僕も山口さんもこの映画のストーリーのことは多分ここまで何も話してないんですよね。
確かに。個人史を引き出してしまうタイプの映画ってことなんですね。
ターミネーターのリマスター
てかそっかに語ってないと思うんですよ。感覚を映し出している映画かなと思って。
特に語ってないけど、そういうことなんかなーみたいな。あるいはそのそういうことなんかなーを自分用にキャッチしてたりみたいな側面もあるんで。
ちょっとこれはね、もうなんかすごいです本当に。
なるほど。見たくなってきました。
ただ怖いですね。見たらどうなってしまうのかっていう。
この日の5本目がターミネーター4Kリマスターだったんですけど、実は見たことなかった作品で、今回見てまずね画面むちゃくちゃ綺麗。
むちゃくちゃ綺麗です。素晴らしいです本当に。
しっかりリマスターされて。
話は今更言うことなんて特にもなく、見ないからしわちゃんがやってくるって話なんですけど、
この話って本来的には、ターミネーターの何が怖いかって人間の形してることが怖いから、その潜伏してくることが怖いわけですよね。
だからあの話的では、ユーセカルのブッダXみたいな楽しみ方ができるはずの作品なんですけど、
それら全部をはみ出してくるしわちゃんという存在の圧倒的存在感。これを楽しむ映画にはなってて。
面白いんだけど、2の方が面白いです正直。
やっぱりその2の方がその要素あると思うんですよね。
ちゃんと人間に化けてるから、しわちゃんはもう人間には化けれないですよ。
あれはしわちゃんでしかないから。
異物なんですけど、その異物感を楽しむ映画にはなってます。
あと、ラストがクールです本当に。
もう本当に終わり方がいい映画にはなってて、これは名作だなぁと思うし、
低予算映画だからこその語り足りてなさがいい感じの余白になってる作品でもある。
なるほどなるほど。
すごくちょうどいい映画でした。
恥ずかしながら僕も見たことないですよね。2しか見たことがない。
多分見たことあるんですけど、何一つ覚えてなくて、2だけめっちゃ覚えてるんですよね。
ジョン・コナーが出てこないっていうのがいいと思うんですよね。
なるほど。
もうあの空白の中心なんですよね。
そうかそうか、そうですね。
だからもうあのモロキリストだなぁと思って。
まあ確かに救世主だしそうですね。
そうなりますからね。
なんかそのあのちょっと描いてないことが神話性も帯びさせてるとこがあるというか、
なんかそういう一方でもシュアちゃんが圧倒的な、
もうシュアちゃんでしかない何かとして暴れまくるっていう楽しさもあるし、
良かったですねっていう感じでした。
なるほど。
はい、ではそんな感じでテーマトーク入っていきたいと思います。