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2025-10-13 1:09:59

第232回(2)『ワン・バトル・アフター・アナザー』テロルの季節を過ぎても、人生はもうちょっとだけ続くんじゃ

『ワン・バトル・アフター・アナザー』の話をしました。

とうとう来てしまったポール・トーマス・アンダーソン回。映画作りの上手さに慄きながら、現代アメリカを射抜く視点の鋭さ、コミカルながらも複雑な人間描写などを、おっかなびっくり話しています。

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サマリー

『ワン・バトル・アフター・アナザー』は、ポール・トーマス・アンダーソンが監督した映画で、レオナルド・ディカプリオが演じる元革命家ボブが、命を狙われる娘ウィラを守るために悪党ロックジョーと戦う姿が描かれています。作品には追いかけっこや興奮のシーンがあり、父親としての複雑な感情や社会的なテーマが織り交ぜられたモダンな物語となっています。このエピソードでは、映画『ワン・バトル・アフター・アナザー』の複雑なキャラクターや劇的なカーチェイスシーンについて深く掘り下げています。特に、ロック・ジョーというキャラクターの多面的な性格とその表現が、この作品の魅力に寄与していることが強調されています。ポール・トーマス・アンダーソンの新作映画は、アメリカンニューシネマの影響を受けたアクションシーンとキャラクター描写に注目されており、特にディカプリオの演技が話題となっています。ストーリーでは、過去の作品との関連性やキャラクターの成長がテーマとなり、映画としての新しさと娯楽性が巧みに融合されています。エピソードでは、ポール・トーマス・アンダーソンの作品における母性と父性の描写が探求されており、特に『ザ・マスター』や『ファントム・スレッド』を通じて、ジェンダーの力関係の変化や家族内の役割に関する考察が行われています。映画『ワン・バトル・アフター・アナザー』では、テロリズムと革命のテーマが描かれ、地道な戦いの重要性が強調されています。また、主人公が家庭を持つことで社会に調和しなければならない葛藤が描かれ、希望を見出す姿が印象的です。

映画の概要
今日のテーマトークは、『ワン・バトル・アフター・アナザー』です。はい、ではマリオさん、解説をお願いします。
はい、映画ドットコムより解説を読ませていただきます。
ベルリン・カンヌ・ベネチアの三大映画祭で受賞歴を誇るポール・トーマス・アンダーソンが、レオナルド・ディ・カプリオを主演に迎えて出かけた監督作。
トマス・ピンチョンの小説、バインランドからインスピレーションを得た物語で、冴えない元革命家の男が何者かに独り娘を狙われたことから、次々と現れる死脚たちとの戦いを強いられ、逃げる者と追う者が入り乱れる逃走劇を展開する。
かつては世を騒がせた革命家だったが、今は平凡で冴えない日々を過ごすボブ。そんな彼の大切な独り娘、ウィラが、とある理由から命を狙われることとなってしまう。娘を守るため、次から次へと現れる死脚たちとの戦いに身を投じるボブだが、無慈悲な軍人のロックジョーが、異常な執着心でウィラを狙い、父娘を追い詰めていく。
逃げ続ける中で革命家時代の闘争心を次第に蘇らせていくボブをレオナルド・ディカプリーは演じ、ボブの宿敵であり娘ウィラに必要な執着を見せる軍人ロックジョーをショーン・ペンが開演。ボブのピンチに現れる空手道場の謎の先生をベネチオ・デルトロ、ボブの革命家仲間をレジーナ・ホール、妻でカリスマ革命家をテアナ・テイラーが演じ、新親俳優チェイス・インフィニティが娘ウィラを務める。
はい、ではここから内容に触れる話に入っていきますので、ネタバレ気にされる方がいらっしゃったら是非見てから聞いていただけたらと思います。ではアサリの感想、マリオンさんいかがでしたか。
そうですね、なかなかポール・トーマス・アンダーソンの作品を語るっていうの難しいなって感じするんですけど、すっげー荷が重いなって感じがあるんですけども。
で、僕自身はゼア・ウィル・ビー・ブラッド以降は全部長編は見ているという感じです。初期作はちょっと見てないので、あんまりきちんと語れてはいないかなっていう感じではあるんですけども、でも今回見て思ったのは、まずめっちゃシンプルでわかりやすい映画になってて、ちゃんと娯楽作になっているっていうのが、やっぱりポール・トーマス・アンダーソンの映画イコール難しい。
っていうイメージがすごい先行していたので、そういう意味ではちゃんとわかるっていうか、ちゃんと面白い、普通に面白いみたいな、楽しいみたいな映画になってて、けどめっちゃ癖が強いみたいな、癖しかないみたいな、何この新感覚みたいな映画になってたなっていうふうにすごい思いました。
上映時間長かったですけど、なんか全然飽きなかったですね。ちょっと面白すぎるなって思いました。けど僕が見ている範囲のポール・トーマス・アンダーソン的に言うと、やっぱりオイさんもさっきオープニングのトークの時に言ってましたけど、不正に対する、不正を固執して描いている人っていう感じがあったのと、
プラス、ある種のすっとぼけ感みたいな作品、すっとぼけた感じを映画に落とし込むみたいなこともよくしている人っていうイメージがすごくあったので、なんかその感じが2つとも見事に合わさってて、ちゃんと楽しめるみたいな娯楽作品になってるのかなっていうふうに思いました。
なんかここまで終始活躍できない父親がすごい魅力的に感じるみたいな珍しい映画だなってすごい思って、もうちょっとこれも新しい感覚というか新感覚だなって思った要因の1個かなって思いましたね。
本当追いかけっこしてるシーンがことごとく面白いっていうのも本当にすごいなっていうふうに思いました。これはちょっとやっぱさすがっすねっていう作品だなって思いました。
はい、大井さんいかがでしたでしょうか。
僕も結構見てて面白かったなっていう感想ですね。いやー本当に2時間40分くらいでしたっけ、全然飽きないですし、さっきマリオさんもおっしゃってた、追いかけっこ、特にあのカーチェイス、荒野でのカーチェイスの道路を使ったあの演出、なんだあれっていう。
そこだけでもめちゃくちゃ見てて興奮しました。
もうなんか本当すごい重たいというか、あすに不正をずっと描いてきている、僕は3作しか見てない人ですけど、なんとなくその不正の匂いみたいなものを感じている中で、本作はそれを2人の登場人物にあえて分けて描くというか。
ということで、むしろ現代的な、男性性とはどうあるべきかっていう描き方、あるべきかというか、どうあったとしてもっていう描き方でもあると思うんですけど、その2つを見事に描いてみせているような気もするし、
いかんせんちょっとだけ現代的な、これ撮影したタイミングってまだトランプが大統領になる前らしいんですけど、全然今起こっていることだよねっていうぐらいの話にもなって、時代性もしっかり捉えているし、
じゃあそれだけキラーズ・オブ・ザ・フラワー、同じくデカプリーが言われたキラーズ・オブ・ザ・フラワーみたいにしっかりとした重厚な話なのかと思いきや、もうちょっと軽々しいというか、ポップで暗号を思い出せなかったりとか、そういう見やすさも同時に兼ね備えているっていう、確かにちょっとすごい映画だなっていうふうに思いましたし、
宣伝でスピルバーグが3回見たとかっていうのをよく流れてますけど、確かにスピルバーグっぽい気はするなっていう、エンタメ性とか時代性とかメッセージ性をこう、一緒に兼ね備えてパッケージ化してお送りするみたいなバランス感含めて、これは僕もすごい今年を代表する一本になるんだろうなっていうのはすごい感じました。
父親像の描写
はい、僕はですね、ついにポール・トーマス・サンダーさんを触れる時が来てしまったかという、もう巨人ですよね。もう我々世代のというか、僕はまあ多分むしろこの2000年代ぐらいに映画見てたら本来どっぷりハマってたはずだと思うんですけど、
その時代はあんまり映画がっつり見てなかったので、まあ少し距離を置いてここまで来たって感じで、今まで見てるのもマグノリアとジャウェル・B・ブラッドとファントム・スレッドかなっていう感じだったんで、まあどれも記憶フワッとしてて、まあファントム・スレッドは10年弱ぐらい前だから覚えてますし面白かったですけど、
マグノリアとジャウェル・B・ブラッドは前すぎてもうフワフワなんですよね、記憶。で、今回パンチ・ドランク・ラブをついさっきまで見てたんですけど、めちゃくちゃ映画撮るのうまい。もしかしたら皆さんご存知だったかもしんないんですけど、ポール・トーマス・サンダーさん、むちゃくちゃ映画撮るのうまいです、本当に。
で、今回のテーマ作品を見て、こっちもむちゃくちゃ面白かったですね、本当に。あと、まあ難しくないですね。もう普通に面白いってやつだったと思います。むしろなんかこう、派手なCGとか使ってない分、地に足ついた迫力がある映画だったなぁと思って、やっぱりそこも巨匠のうまさだなぁと思いながら見てたんで。
ですけど、僕やっぱりフィクションには革命を描いて欲しいっていう気持ちありますね。フィクションぐらい革命しようぜっていう。
いや、わかりますわかります。 既存の価値観ぶち壊そうぜって、せめてフィクションぐらいっていうのがあるから、なんかあんまりこれにぶつくさ言ってほしくないなって思ってて、いやー、なんかほんと良かったですね。
あとあの、さっき映画ドットコムの解説、今回初めて読んで思ったんですけど、そんな話じゃなくね?って思って。次から次へと現れる資格との戦いとかも別になかったし。
いやもう、すごいっすよね。
で、かつての闘争心をよみがえらせていくみたいなことも別にないし、みたいなことはしてない。
こいつ何もしてないの?こいつ何もしないのよね?っていう。そこすごいんですけど。
そう、敵はただの変態なおっさんですからね。
ただ、最終的に頑張りどころっていうのが、テロリストとしてというよりやっぱ父親としてっていうところなんですけど、あんまりそれも不正確あるべしって感じの父親像でもなかったのが良かったなぁと思って。
もうなんかいろんなことがフワフワのまま、腹も座りきってないし、まあ別に血も繋がってないけど、俺はやるぜっていう感じなのが、いやちょっと、なんかこのバランスの父親感は僕すげえ良かったですね。
なんかもう血繋がってないとか気にすんなよって思って。
そうですよね。あのー、こればっかりあのディアストレンジャーの西島秀俊に行って聞かせたいみたいな感じは思いますよね?っていう。
これぐらい父親としてちゃんとできてなくてもいいじゃん!それでいいのよ!これが見たかったのよ!
うんうんうん。わかりますわかります。
父親になれないまま父親やんのよ!それが大事だってっていうね、そこが良かったなぁと思いました。
はい、もうあの最高の映画だったなぁと思います。
はい、ではお便りいただきますので紹介させていただきます。
おしさんお願いします。
はい、なすなさんからいただきました。
メインである親子を巡る物語の展開が素晴らしく面白いのはもちろんですが、
早くに至るまでキャラクター全員にそれぞれの小さな物語があり、生き生きと話し、動く姿を見せてもらえたことに感動しました。
おそらく国境沿いのたくさんの街で、それぞれの場所の先生がリーダーシップを発揮し、スケボーキッズたちがそれを支える。
と、それがアメリカの現実なのでは?と思わせてくれる魅力がある作品でした。
気が遠くなるぐらい手間と時間とお金をかけて小さな物語を集めた作品。
それを遠く離れた日本で大きなスクリーンで見られることに幸せを感じてしまいました。
しかも大きな物語でもの問題を和尚化する人が選ばれてしまった日に。
とのことです。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
いやー、あの、いい切り口ですね。小さな物語がたくさんっていうのは。
うんうんうん。
結構こう、見てて、その人々の御所っていうものがすごい描かれてたと思うんですよね。
うんうんうん。
だから、まあ公からの支援っていうものが確かでない、寄るべない人たちが、
まあ集って、御所のコミュニティの中で生きていこうとしているっていう、
なんかその感じ、すごい爽やかに見れたなぁと思って。
うんうんうん。
で、見ててちょっとあの、空論上のこととかも思い出してたんですけど、
あそこも、その、香港の政府からの支援というか、管理とかはほぼされてない状態。
まあインフラとかは届いてたみたいですけど、ただ、あそこの空論上の中のって、
まあその、そこにいる人たちがコミュニティを作って、そこで運営したってあって、
ある種のまあ、無政府状態でうまくいってるケースみたいな。
うんうんうん。
そこをなんかこう、連想しながら見てたんですけど、
まあもちろんこう、非合法なこととか、ひどいことももちろんその中にはあったとは思うんですよ。
本作の中でも、あのシスターたちがなりわいにしてたのって、
え、もしかして本当に薬物育ててたのかなみたいなのが、
ちょっとあれも、アメリカ側の言い分だからどうかわかんないですけど、
もしかしたら生きるために、非合法な商品を扱ってたかもしれないんですけど、
それはそれとして、公からの支援がないんだったら、
行っていくためにはそうもなりますよねっていうのもあるかなと思って、
なんかあんまりそこの負の側面を強調して描いてないことも、良かったなとは。
思ったんですよね。
それこそね、デカヘップリオたちのいるパリ75でしたっけ?
フレンチ75じゃん。
あ、フレンチ75だ、すいません。フレンチ75が、まあおそらく資金源にしてるのは銀行強盗ですけど、
はいはい。
そうですよね。
それもある種、公のカウンターとしてっていうバランス感。
だから見てて、どちらかというと遊牧民みたいな感じなのかなっていうのをちょっと思って、歴史上の。
遊牧民って国家、結構その近隣の村を襲って、そのものを略奪してっていう、
で、要は自分たちの飛び口がなくなったらそういうことをしていくっていう、結構歴史上襲われられていた人たちですけど、
なんか現代におけるアメリカのそれなのかなっていう感じがするというか。
そうですね。
うん、確かに。
結構その、明確に正しい人というか、正しいものみたいなのがみんなない感じはすごいあったんですよね。
そのフレンチ75にしろ、そのかくまわれる教会のことだ、教会というか、とかもそう、
なんか、そこになんかシンパシーはあるんだけど、やってることだけ取り出すとちょっとあんまり寄りたくないなみたいな、
映画の複雑さ
そのなんかちょっと複雑さも物語にはあって、そこの単純ではないっていうこともすごく結構聞いてる映画なのかなっていうのは本当になんか思いましたね。
うんうん。
あとまあ、補助組織的なことで言うと、やっぱり先生たちの、劇中でも地下鉄道でしたっけ?って言ってましたけど、
まあ実際ね、ありましたけどね、そういうのがあってね。
ハリエットって映画でそういうので描かれてましたけど。
まああの人もね、あのベンチエオウっていうところの先生も、むっちゃいいキャラなんですけど、タイミング違ったらめっちゃ怖い人だと思うんですよ。
そうですね。
もうそれこそ本当にボーダーライン、まあ俺は。
めっちゃ思い出しました。
あの人みたいな感じのとかって多分あると思うんですよね。
そうなんですよね。あの人ね、めっちゃかっこよくて頼りになるんですけど、敵に回したら絶対死ぬなってなる。
そうそうそうそう。
確かにあのボーダーラインの時の彼、名前忘れちゃったけど、彼にそっくり、そのままの感じがしましたよね。
アメリカとメキシコの国境服にあるベンチエオウデルトロは怖いんです。
怖いです。
怖いです。
やっぱ先生とかも人狂の人じゃないですか。狂虐じゃないですか。やっぱ怖いですよ、やってることは。
うんうんうん。
やっぱ身内に対する優しさではあると思うんで、ただやっぱりまあ、その怖さは本作に合わせてるとは思うんですよね。別に隠してはいない。
ロック・ジョーというキャラクター
そうですね。
なんか絶対以前としては描いてないとは思うんで。
うんうんうん。そうですね。
なんかそのバランスじゃないかなとは思いましたかね。
うん。
はい、では次のお便り、マリオンさんお願いします。
はい、たずささんから頂いてます。
店長メンバーの皆様こんにちは。いつも楽しく配置をしております。早速テーマ作品の感想です。
恥ずかしながら、今作で初めてボル・トーマス・アンダーソン作品を鑑賞しました。
162分という長尺の映画ですが、2幕目以降ほとんどずっと追いかけっこうしているので、映画が止まることなく走り続けている印象でした。
また、ユーモア、サスペンス、カワーアクション、社会風刺、エンタメ性、魅力的なキャラクターなど、いろんな要素が良いバランスで配置された傑作だったと感じました。
良かったポイントを2つに絞って書かせてください。
1つ目はロック・ジョーというキャラクターです。
ロック・ジョーはゴリゴリのレイシストかつ待ち相撲の持ち主であり、自身の肉体的な欲望に鈍欲です。
ウィラにTシャツがピチピチ、ブーツは上げ底と指摘された時の反応、感情が高ぶった時に歯を見せる仕草、銃を突きつけられているのに股間を臨戦態勢にできるあたり。
現実にいたら絶対書かれたくないですが、この映画の中ではなぜか目が離せないキャラクターになっていたと思います。
シャオンペンの名演も相まってこの映画の大きな魅力だったのではないでしょうか。個人的な今年ベスト悪欲でした。
2つ目はクライマックスのカーチェイスシーンです。あのうねうねの坂道でのカーチェイス、めちゃくちゃフレッシュでした。
いい意味でそれぞれの車の距離感がつかみづらいのでめちゃくちゃハラハラするシーンでした。
カーチェイスに縦軸をプラスするとあんなに面白い映像になるんですね。映画史に残るカーチェイスと言っても過言ではないと思います。
印象的な劇犯、ディカプリオの最高、音ハメ的な編集、溢れるようなストーリーテリングと良いところが多すぎますね。
いつもお便りが長くて読みづらくて申し訳ございません。皆様がどのように今作をお話しされるか楽しみにしております。
はい、ありがとうございます。ありがとうございます。
ロック城のキャラ素晴らしいですね。いやー、あれは面白かった。
もうだいぶ変なやつですからね、あいつ。
師匠でしかないですからね。
結構序盤から役割的にはターミネーターみたいになるのかなと思ってたんですよ。一番初めに出たところでは。
こいつが無敵の追跡者になるんだなと思ってたら、速攻でそれは裏切られるんですよね。あれ?って。こいつ、あれ?ってなるんですよ、あそこで。
そうなんですよね。動機それ?みたいなというかね。設定だけ聞くとすごいゴリゴリの、お便りにも書いてますけど、レイシストでかつマジズマな存在でっていう。
もう諸にトランプとかバンザイって言ってそうなタイプの感じの人だなって。そういう人に付け狙われるというか。
それは間違ってないんですけどね。間違ってないんですけどね。間違ってないんですけど、本当の動機はそういうことじゃないみたいな。
そこで複雑さを自己否定したがるからどんどんややこしいことになっていくわけじゃないですか。そうなんですよね。
俺は黒人女が好きなんだとかって言って、ただそれもこう、なんか上位からそうするのがだぞみたいなフリしてたら、実際に言ってるのむしろ責められてる方がそうみたいな。
さらにそうなんですかみたいな。
なんかね、ねじれすぎててね、おかしすぎるっていうか、説明に困るキャラクターでもあるなっていうか。
そうなんすよね。なんか表かと思ったら裏があるキャラでしたじゃないんですよね。そっから何回かねじれてるから。
表か裏かわかんないみたいな人なんですよね。
何の動機にこいつは動いてるんだろうっていう。
そうそう、なんかそう、ちょっと哲学してるなあというか、あのなんか、このサディストは何なのかみたいなというか。
サディストすぎて逆にマゾヒストではみたいな感じって言ったらいいんですか。
でもね、それこそFBIか、CIAか、CIAの初代長官がちょっとそういうところあったっていうのは有名な話じゃないですか。
芸を、その、よく私、FBIかい、すいません、FBIだ、すいません。
江戸川ですよね。
そうそうそうそう。そういうところもちょっと重なるなと思いつつ。
確かにそういうのも含めてるのかもしれないですね。
社会の規範の中で良いとされてるものと、まあ悪いとされてるもので、悪いとされてるものが自分の中にあった時に、
その、ある種の自己否定、自己嫌悪から外部に対して攻撃的になるみたいなのは、まあよくある話だと思うんですけど、
結構そこも、なんか一方的に攻撃的になってるわけでもないところが、こいつの複雑すぎるところだなと思うんですけど。
うんうんうんうん。
むしろ、あの女の人に執着してるじゃないですか。
なんかそこは否定しないから、あいつ自身も自分に対して否定しないから、
こいつなんか、自分に正直なんか、誤魔化してるのかわからんぞみたいな。
うん。そうっすね。
だからお世話の中にも、肉体的な欲望に動欲って書かれてるのは、なんかマジでそうなんだろうなっていう。
カーチェイスシーンの魅力
うん。
そうっすよね。そこなんすよね、やっぱ彼。
うん。すごい動物的な人って感じがしますよね。
うん。
うん。そこになんとか自分なりに理由をつけようとしてるというか。
うんうんうん。
こういうもんだからっていうのとか、あと、その自分が動物的である理由づけのために、
クリスマスの冒険者でしたっけ?なんかわけわからん秘密結社的な。
白人史上主義みたいな感じの、どこにもなんとか入りたいみたいなことをするってことですけどね。
うん。
本人は複雑さをわかってないけどめっちゃ複雑な人ですよみたいな感じですね。
本人はすごい単純な人間だと思ってそうだと思うんですけど。
うんうんうん。
いや僕、一つめっちゃ好きなシーンがあって、あの、娘のウィラを尋問してるシーンで、
母さんをレイプしたの?っていうのを聞かれて、答えないんですよね。
うん。
で、母さんを愛してたの?っていうのを聞かれたのに対しても、答えれないんですよ。
うんうん。
で、もううるせえバカみたいな感じでもう、なんか投げやりになるんですけど、
その、ちょっと俺の口からは言えないですねみたいな、あのなんかこう、言語化するわけにはいかないっていう、
その、自分に対してもそうだと思うんですよね。
それを言葉にしてしまったらまずいみたいなのを、こう、ちょっとそこからそれてる感じの、こいつ複雑やなみたいなのがすっごい好きで。
うん。
そうねー。
いやー、それをなんとか細かそうとする時にあの、下唇をこうちょっと出してこう、歯を出す仕草とかも、あれもね、なんか抑えてるんだろうなっていう顔をしていて。
うん。
いやー。
ちょっと、あのー、今年のベストビランです。間違いなく。
いやー、ほんとにそうですね。
やっぱあとは、ぶちゃり書かれてるカーチェイスのシーンはさすがですよね。
はい。
見たことないですもんね。
うん。
なんかなかったんですかね、この切り口って。
いや、たぶん引用があるとは思うんですけど。
はいはい。
でも見てないので何も僕は言えないっていう。
けど、なんかたぶんわかんないです。
こんなシーンがあるか僕見てないんで知らないんですけど、たぶんこうやって追いかけられる車のみたいなのでやっぱ、
スピルバーグの激突を連想してる人多いイメージありますよね。
はぁはぁはぁ。
あー。
うんうんうんうん。
なんか、そのものズバリなことしてるわけではないんだろうとおそらく思うんですけど。
はい。
うんうんうん。
けどなんかそれに近いシンプルさみたいなのはあったりしますよね、今回。
うんうんうん。
うんうんうん。
いやでもやっぱ、縦に隠れるってちょっと見たことないっすね。
いや、そもそもあの道は本当にあるのかとかすごい、ちょっと思いますけどね。
やっぱ日本ではあんな道ないじゃないですか、というかは。
ないですよね。
高野に一本道みたいなのはそもそもないっていうのはあるんですけども。
なんかね、北海道だったらあるのか、でも北海道は平地か、平野かって感じになるでしょ。
いやー、もうちょっと慣らすんじゃないかなって思ってたし。
うん。
劇中でもありましたけど危ないんですよ、単純に。
あのー、なんか見えないの危ないんですよ、あれ。
そうですね、うん。
自己利やすいと思いますよ、ああいうところは、本当に。
いやただ、本当見たことなかったんで。
うんうんうん。
えー、こう、カメラが動かないのがいいんですよね。
いやー、そうですね。
うんうんうん。
この、まあ例えば、こう、断崖絶壁のところを通っている道とかで、こう追跡劇みたいな、まあモチーフとしてはよくあると思うんですけど、
こう、カーブを曲がった先が見えないみたいなのはあると思うんですけど、やっぱりそのカメラがついていかんとダメじゃないですか。
うんうんうん。
それを描くためには。
うんうんうん。
カメラ別についていかないんですよね。
うんうんうん。
カメラの向きはもう固定。
うん。
車だけが上下するって、ちょっとこれは見たことなかったですね、本当に。
うんうんうん。
えー、まあそれは、たぶんその、伏線とかそういうことで絶対ないと思うんですけど、その、ずっと先生が波をイメージするんだみたいなことも言ってるじゃないですか。
言ってた言ってた。
めっちゃ伏線というか、こうね、繋がる瞬間ですよね。
そう、たぶんモチーフとしての引用なんだろうなーとかってのもちょっと思ったりはして、上手いなーっていう。
上手いなーって思いますよね。
うんうんうん。
あと、冷静に考えると、あそこって別になんか、勘違いですよね、お互いよく考えると。
そうそうそうそうそうそう。
お互いのこと知らないんで、勝手に追いかけられてるみたいな、なんか映画の演出によってさせられてるみたいな感じ。
うんうんうん。
なんかそこも考えると面白いなーって思うんですよね。
うん。
アメリカンニューシネマの影響
絶対ね、あのクリスマスに属してるあのおっちゃんは別に前の車なんとかしてやろうとは思ってないはずですからね。
絶対思ってないじゃないですか。
うん。
なのに、めちゃくちゃこっちはスリリングだ、もうすごい誰かに追いかけられてどうしようみたいなシーンにさせられている?なっている?みたいな、そこのなんかおかしみ?みたいなのもやっぱありますよね。
うん。確かに。
いやちょっと、面白すぎるんだよな、あのシーン。
見たことないし、面白いし、そこに込められてる情感含めて豊かすぎるっていう。
うんうん。
いやー見事だったな、あれ。
うん。
はい、では次のお便り、オイスさんお願いします。
はい、タウルさんからいただきました。
こんにちはタウルです。大好きなポール・トーマス・アンダーソンがこんなに面白いアクション映画を作るなんて、しかもエキスパイマックスで見ることができ興奮が止まりません。
語りたいところは山ほどありますが、私からはアクションについて少し。
本作のアクションはアメリカンニューシネマの頃のハリウッドのやたら派手ではない人や車の動きの面白さを信じて、やや引きのショットで捉えた人肌を感じる映像ですばらしかったです。
オマージュも多くて映画ファンの心をくすぐりますし、俗、衝突、カージャックのような車でのドタバタ追走劇は初期スピルバーグの風味があってたまりませんでした。
特に最後の坂道でのロードアクションは、道路スルスルな撮影でカットを細かく割らずに上下と奥行きのある動きを体感させ、相手が見える見えないという映画的快楽が詰まった最高に新しさも感じるカーアクションでした。
しかもテカ背のある若い女性が戦闘を突き進み、中年の男性が銃を持って追いかけて、同志だが愛だけをある父親が必死に追いつこうとする、その構図と結末に痺れました。
2回目見に行こうと思います。とのことです。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
おそらくオマージュ元はいろいろあるんでしょうけど、ちょっとそこまで分かってはないっていうのはあるんですけど、確かに古い映画の渋いアクションシーンっぽさはありますよね。
カメラグリングリン動かしたりとか、カット終わりまくってとかじゃなくて、もうグッと腰を据えて撮ってるみたいな感じは、そこも良かったなとは。
革命っていうモチーフも結構アメリカニューシネマでよく出てくると、古い映画は挟んだので、確かにそういう雰囲気はあるってあるかもしれないですよね。
ディカプリオの魅力
そうですね、確かにな。
そして確かに言われてみると、追いかけっこうしてる3人の並びっていうところに時代性を見出すっていうのは、そうだなって思ったし。
そうですね。
この3人の追いかけっこう、全部本当に勘違いみたいなところっていうのは、さっきも言いましたけど、本当に笑っちゃうんだよなみたいな。
結末もすごく良いですしね、その展末もね、本当に。
そうですね。
そういう人物というか、特に娘の言葉というかセリフの意味合いというのが20人も30人も合いまってというか、あそこも上手かったですよね。
はい、ではそんな感じで我々からトピック出していこうかと思うんですけれども、
もうこっからは自己責任でポール・トーマス・アンダーさんを語らないといけないですけど。
いやー、クーって感じですけど。
まあ、ちょっと不正の話は、また多分初すると思うんですけど、オープニングで一回話ちょっと出たので、
最初の感想の時に言ったのが、すっとぼけ感のことちょっと惚れるかわかんないんですけど、
ちょっと時間の範囲で見ようかなって思うんですけど。
僕が今見てる範囲でのポール・トーマス・アンダーさんのすっとぼけ感は、インキアレント・ヴァイスとリコリス・ピザなんですけど、
特にやっぱりインキアレント・ヴァイスはトマス・ピンチョン、今回のインスピレーション元であるヴァインランドを描いた作者と同じ作品を撮ってるので、
そのすっとぼけ感っていうのは、やっぱり今作にもあるなってすごい思ったんですよね。
インキアレント・ヴァイスは面白いか面白くないかでよくわかんないっていうのが正直なんですけど、
ただこれもすごくヒッピーでグルービーなフォアキン・フィニックス演じる探偵が事件解決に奔走するんですけど、
解決、この人によってできたのかできなかったのかよくわかんないみたいな感じっていうのは、
今回のディ・カプリオの事態に深く関わってるけど何もしなかったとかできないみたいな感じとすごく近いなっていうのはやっぱすごい思って。
だからなんかその感じはやっぱ今回もすごい同じ原作から、原作者というか、トマス・ピンチョンからそういうのが出てるからなのかもしれないんですけど、
本人的にもそういうちょっとすっとぼけた感じが好きなんだろうなっていうのは今回見てもちょっと改めて思ったなっていうのがありましたね。
はいはいはいはい。
あの、僕は見たので言うと、パンチ・ドランク・ラブもかなりすっとぼけた感じの映画ではあって、
結構これもね、表現難しいんですけど、もうこう、めちゃめちゃ情緒不安定で社会と折り合いつけれてない男が、
初恋で奮起してとんでもない感じになるっていう話なんですけど、
いきなり相手が旅行してる先のハワイに手ぶらで行くとかっていうそういう極端なことをする感じで、
なんかその、いやこいつ抜けとんだみたいなのを半笑いで見ながら、でもこの切実さに同調してしまうみたいな、結構味の濃い映画だったんですけど、
だからこう、イメージより固くないですよね、あのポルトマ・サンダーソン。
そうなんですよね。なんかちょっと、ゼア・ウィル・ビー・ブラッドとかファントム・スレッドだけ見ちゃうと、めっちゃ固い人って思うじゃないですか。
重厚なイメージでした、僕は。
これにザ・マスターまで見たらもう重い重い重いみたいな感じになるんですけど、
でもやっぱ初期作はどっちかっていうと軽いイメージ?見てないので完全にイメージですけど、みたいなものがやっぱあって、
で、今でもその重たいものの中には時折そういう軽いものもちゃんと挟み込んでくるというか、それもまた魅力の人っていう感じがやっぱあるよなっていうのは今回見て思いましたし、
でもすっとボケてるんだけど、結局なんかこの人が今求められているヒーロー感があるというか、結果たくましいのこの人だったなみたいな。
っていう風になるっていうのも今回ちょっとインヒアレント・バイスとの連続性というか、トマス・ピンチョンらしさなのかなというか、それを抽出してるっていう感じが今回もしたなっていうのはありましたね。
すっとボケで言うと、もう近年のディカプリオの結構こういう役多くないですか?っていう。
多いですけどね。結構質もちょっと違うくないですか?なんかここまでなんだろう、ディカプリオのすっとボケってだいぶコテコテしてるじゃないですか。
あーわかりますわかります。あの、ドントルックアップとか。
過剰になってて、そこがいいんですけど、ウルフ・オブ・ウォールストリートとか、どんどんもう過剰に増し増しみたいな、もうディカプリオ劇場みたいな感じになると思うんですけど、あんま今回そこまでいってないというか、あえて外してますよね、そこは。
とにかく頼れねえ親父だなっていうところまでは。
だいぶ変ではあるんですけどね。でもやっぱなんか使い方がやっぱ他の監督と違う感じはやっぱしますよね。
いやでも、やっぱディカプリオすごいですね。今回見てもらいましたけど、花があって抜けたことができるこのバランス感覚、今他に持ってる役者さん思いつかないっすね。
すごいですよ。この話、ディカプリオだけで花持たせきってると思うんですよね。
そうですね。
見てて退屈しないんですよ本当に。
そうですね。
ディカプリオと先生が話してるシーンだけで永遠に見てたらいい。
わかる。わかる。ディカプリオが先生のことありがたがってるのがすごい好きですけどね。
先生って慣れてるとこ好きとか。
とりあえず銃もらってどうしようどうしようするのに、とりあえずテンションだけ上げとくみたいな。
そうそうそう。勇気だ!みたいなこと言って。
含めばざーい!みたいな言って別れていくところが好きですけどね。
今の映画ってディカプリオかライアン・ゴズリングに無様を晒させると面白くなるっていう。
はいはいはい。確かに確かに。
その通り。
ポール・トーマス・アンダーソンってそういうの乗る人なんやって。
確かにね。
そうですね。
電話のシーンむっちゃ面白いですからね。
めちゃくちゃ面白かった。
面白いんですよね。
と思ったら結構最初の頃とかはディカプリオちゃんと格好良く映ってるじゃないですか。
銀行…銀行ゴードじゃないな。
裁判所かテロ仕掛け行くぞみたいなスーツ着てた時とかはやっぱりシュッとして
インセプションの頃のようだなみたいな感じもちゃんとあるから
華のあるスターっていうのは違うねって思いましたね。
できる男が年を取っていったって感じがすっかりする。
すごいですよね。やっぱりいいんだよな。
ハリウッド黄金時代を知ってる人だなっていう。
僕前も言ったかもしれないですけど、タイタニックが最後のハリウッド映画だと
僕的な感覚としては思ってて、
この映画一本だけで成り立ってるものというか、そういうシリーズとかでもなく
華のある役者を使って華のある映画を撮るっていうので
全員見に行くみたいな映画の最後ぐらいがタイタニックだったんじゃないかなっていう
僕の主観的な意見ですけど、なんかその感覚を空気として持ってる人っていう風に
僕には見えるんですよね、ディカプリオ。
しかも今年くしくもね、その当時スターをやっていた俳優主演の3作品というか
ミッションインポッシブルの最後から、ブラッドピッドのF1があり
今回ディカプリオっていう、意外とその3人の華のある映画が実は揃ってるっていう
ちょっとすごい年ですね、そう考えるとね
劇中、トム・クルーズの名前で、ちょっと笑いましたけどね
元気がありましたからね
そこと比較しないであげてよっていう
すごい嫌なんだよな、しかもあれでしょ
ポルトマス・アンダーソンの作品の中でもオープニング興行としては一番みたいな感じ
そりゃそうだろうなっていうレベルで、希望で公開してるのプラス
めっちゃわかりやすいっていう
マジで基本は普通の闘争物みたいな映画になってるのがやっぱすごいというか
上手い人が当たり前に娯楽作撮ったらそれは上手いねみたいな
っていうことだなってちょっと思いましたね
白いんだよな、やっぱり
割と役者さんつながりでいくと、娘さんの演技も、演技というかもう役柄もめちゃくちゃ好きで
チェイス・インフィニティーさん、今回ってデビュー作だと思うんですけど
キャラクターの成長
すごいですね、すごい
めっちゃかっこいいし、目がいいじゃないですか
強いですよね、仲間が
そうそうそうそう、そこがもう一番被害者的なポジションではあるのに
誰よりも強い、強さを持ってる人というか、希望を託してる人のようにしっかり見えてくる
だから中盤、本当に暗殺者たちがタンブローしてる場所に行って
自らもインディアン、ネイティブアメリカンで仕事をおそらくさせられてる人が
これは違うって思わせる
その納得感が、ただほんと黙って座ってるだけであるんだよなと思って
あのたたまえがすごい良かったなと思ってますね
かっこよかったですもんね
うん、めちゃくちゃ一番ヒロイックと言ってもいい
そうですね、ディカプリオはとことんヒロイックじゃないから
ヒロイックじゃないことがヒロイックになってるっていう
対象的に、女性であり一番若者である人にそこにヒロイックさを、花を持たせてあげるっていうところも
作品としてのスタンスだと思いますし
まさにラストのメッセージ、叱りって感じはするんですけど
ある種の継承の話でもあるという
ポール・トーマス・アンダーソンの作品への考察
しかもそれが母系というか、母からのっていうところもありますよね
お母さんの扱いは、僕ちょっとうまくわからなかったです
あの最後の手紙とかは
確かに、一応だから、組織としては全てを情報を明かしてしまった人っていう扱い
裏切るもんですからね、扱い的に
なんかすごい、これイメージなんですけど、僕の印象論でしかないんですけど
なんとなくやっぱり、ポール・トーマス・サンダーソンの親子の描き方ってやっぱり片親なイメージなんですよね
なんか、父と母と子どもみたいな関係ではないんですよね
なんかどっちか欠けてる、主に母親が欠けてるみたいな印象があって
そことの関係がめっちゃこじれてるというか
ある時は憎々しく思ったりとか
めちゃくちゃ関係強すぎて逆に離れられないみたいな
ザ・マスターとかちょっとそんなニュアンスがあるんですけど
みたいなのがあるので
そういった意味では最初、いつもの感じと言ったらいいのかの話かなって思ったら
でも最終的には合流ちゃんとするみたいなところに持ってってるっていうのは
ある種の、これまでの流れを踏まえていくと変化として
すごい興味深いというか、ものがあるんじゃないかなっていうふうには思います
それこそ、これまででいう不正を背負ってるのが母親なのかなぐらいちょっと思ってて
それこそゼアウィルビーブラッドの父親的なというか
社会に生きる仕事に生きるっていうスタイルを持ってるのはむしろ母親の方なわけじゃないですか
そうですね
それはもちろん時代感の変化っていうのは間違いなくあるかなと思うんですけど
フェミニズム的なというか、女性と男性の力関係の変化みたいなもの
僕それ一番感じたのはファンスモスレッドですけど
夫婦を描くことで男女間のそもそも力関係の入れ替わりを描いてみせるっていう
そうですね
だから本当にちょっとその流れは本当に今に即した
というかそれは監督本人の不正の考え方も変わってきているからこそ
流れなのかなって感じすごいしますよね
そうだな
ちょっと僕はお母さん途中でいなくなって
最後に手紙だけ登場してっていうのが
物語内での意味がそんなにわからなかったんですよね
もう音沙汰なかったですでも良かったぐらいかなと思って
何だろうな
過去の存在が辻褄合わせに来なくてもいいっていう感覚があって
もう父娘2人で終わりました以上でもいいんじゃないかぐらいにはちょっと思ったんですよね
もちろんその過去のしこりではあるんですけどお母さんの存在っていうのはなんですけど
そこに生産したら話としては丸くは治るんですけど
なんかその思い出を伝えたらいいとか
ジェンダーの変化とその影響
ずっと思ってたからいいってことでもないんじゃないかなと思って
いない人はいない扱いでもいいんじゃないかなって気はして
父親は逃げました以上でもありなんじゃないかなって思ったんですけど
僕基本は逆にしたらどうなるかなって想像するんですよね
ずっとどっか行ってた父親が手紙を送ってきてて
ずっと娘のこと思ってましたよっていうので
別にそれ丸く収まらなくねって思うんですよ
むしろその手紙を手紙はあったけど娘が開かないとかでもいいんじゃないかなって思って
そういう選択肢があってもいいんじゃないかなって
この手紙は過去の話だから今の私には必要ないみたいな言い方もありなんじゃないかなっていう
非常に個人的な意見ですこれは
僕個人としては物語上そのウィラーが戦っていく理由の中に多分母性みたいなものを
この物語に起きる母の残像みたいなものをどっか追っかけてるような形にはなっていくので
どうしてもやっぱり最後そこに帰着はしちゃうのかなっていう気はむしろしていて
だからこそお父さんであるデカプリオボブが
そこで何か言うとかではないっていうのはなんとなくそうなのかなとは思ってたんですけど
そうですね
途中銃の撃ってるシーンが重なったりとかするあたりもやっぱりそこは面影を重ねるというか
その経験を通じて母を知るじゃないですけど
母の存在を自覚なしに身体の中に染み込ませていくみたいな感じって言ったらいいのかな
っていうのがあるのでそういった意味ではやっぱ手紙は読んだ上で
そこでどう思うかは別として生きていくみたいな流れで
なればいいのかなっていうのはちょっと見ながらは思いましたかね
継承の話でもあるからその視点も必要かなって気はするんですよ
実際出てくる女の人だいたい元テロリストじゃないですか
そうですね
テロリストですね
現在進行形か元テロリストじゃないですか
だからその手段は引き継がずに思いは引き継ぐっていうラストでもあるから
あそこの伝承っていう意味はあるんだけど
僕ディカプリオの存在あんまり不正的な存在として見てなくて
立ち位置として父親というか保護者ですよね保護者
ジェンダーの意味を持ってない保護者としていて
結果その保護者やってるのがダメな男っていうだけで
伝承の不正的な人物じゃないようにも見える
もちろん不謙的に振る舞う瞬間もあるんですけど
友達が迎えに来た時とかの振る舞いとかは
嫌な不正のあり方ではあると思うんですけど
伝承として不正的なロールモデルに収束していってないような気はしてて
むしろその敵側のあいつの方がザ不謙な存在だから
父親的でありきれてないけど
保護者としては頑張ってますみたいな着地が好ましいなって思ってたんで
そこに最終お母さんが入ってくることで
母性っていうまた別の要素が入ってくることで
やっぱ母性は入ってくるのかいみたいに感じちゃったんですよ
なるほどな
不正は排除していったのに母性は入ってくるのかいみたいなのが
あそこで僕は感じちゃったっていうのはあったんですよね
あの手紙に母性なのかなってすごい思ったんですよむしろ
あれはもはや不正なのではって思っていて
確かにな
結局だから本作って結構ウィラの父探しの話ではあるんだなと思って
ある種のセッション的な意味合いでですけど
結局その母に不正を生み出してるってことなのかなともちょっと思ったんですよ
これは従来的な意味での不正
もう本当にそこにはジェンダーの意味がなくなってるんですけど
そうですね
その辺は確かにカーチェイスの天末のあたりのセリフのやり取りって
家族内の役割と複雑さ
あなたは誰って言って父親だよっていうあたりのシンプルなセリフのやり取りでも
すごくそこは感じましたよね
ディカプレとボブって分かるじゃんみたいな
分かるけどそこであえてセリフで言わせてるってことの意味とかも
思うとそこはかなりテーマとして重要かなっていう感じがしますし
あと仮にこれを母性だと捉えたとしても
やっぱりファントムスレッドから流れてきて
母性にはかなわないじゃないですけど
不正こそが全てではないみたいなニュアンスのところに
今の着地をしたいっていう感覚はやっぱあるから
どちらとして捉えても納得が結構いくなって感じがしますね
たぶんかつて不正と言われてたものって
実存社会性というか
家庭ではなく社会の中で居場所を作ってることっていう風に
ジェンダーを剥がした時に見えてくるような気がしていて
社会で役割を持って動いてるか
家庭で役割を持って動いてるかっていう
今現代のほとんどの人はおそらくその両方を
持ってなきゃいけないよねっていう話になってる中で
その母親である彼女に
社会でのというか社会との関わり方っていうのを託して
保護者としての父親っていう風な形で
ある種のロールモデルを入れ替えてるようにも見えるので
まさに山田さんがおっしゃってた逆のパターンっていうのはむしろ古典的な
おそらく物語であって
ある意味その逆転をしてるだけと言えばしてるだけでもあるんですけど
そこに何かもうジェンダーが剥がされてるような感覚は
すごい僕は見てて覚えたかなと思いました
なるほどな
ちょっと僕は裏返しただけだと
まだ足らんかなって感覚になる時があって
だから最後に理想化された不在の父に
母親側がなってるっていうことで
ジェンダーの裏返しを描いてるってことでも
結局理想化された不在の父っていう像はいるんやみたいな
感じにも見えちゃうかなっていうのがあって
あと僕ハントムスレッドに関しても
男女の権力勾配の逆転みたいなのが描いてる話ではあるんだけど
外では威張ってる男が家の中では
嫁に尻に惹かれてますみたいなのも
そのテープル感も
ちょっとそれってよくある話で
家では嫁に勝てねえんだよなって言ってる男性の
実質的に社会の権力としては男性の方が上なんだけど
隙は見せてますみたいな
なんかそれは別に
乙女誤化しでもあるぞっていう思いはあるから
それ自体は逆転足りえないと思うんですよ
より外側の世界を見た時には全然
逆転にはなり得てないと
社会で権力持ってる男性たちが
嫁には勝てねえなってお互い共有してやってる
ホモソーシャルっていうのはあるから
嫁は怖いよねっていう
その団結の材料になってたりするわけじゃないですか
それはあんまり健康的なものではないとは思うので
ハントムスレッドで描かれてることが悪いんじゃなくて
それ自体は
ジェンダーの不均衡の否定までは
リーチできないそれ自体ではとは思うんですよ
だからあくまでメタファーにはなるかもしれないが
結局それをもってその影響というか
社会のそういう実情を描いたことにはならないのかなっていうところですよね
それは確かに確かにと思いました
トランに翼の劇中で
うちのパパとうちのママがっていう歌がよく歌われるんですけど
あれって家の中では奥さんの方が強いですっていうのを
男たちが面白がって歌う歌として劇中で扱われてて
それを別に女性たちはその歌歌ってないんですよね
その歌を喜んで歌ってるのは男性側だから
なんかそれを面白がってるのはやっぱ男性なんですよね
逆転してるっていう状態自体
っていうまあまあがあるから
やっぱそこまで1回裏返しただけだと
なんかこの構造の否定まではまだリーチしきらないっていう風な見方を
僕はしているはいるんですよね
もっとぐちゃぐちゃにしないと
なんていうかもっと複雑化しないと
そこまでは届かないんじゃないかなって気はしてはいるかなっていう
だからあの僕ロックジョーのキャラとか好きなんですよね
なんか1回裏返しただけじゃないもうこじれすぎてるから
そのこじれすぎててこいつの立ち位置がよくわからないってなってるキャラがやっぱ僕好きなんですよね
なるほどなるほど
そっかーなるほどな
ちょっとこじらしすぎててちょっともう壊しすぎてるみたいな
ここまではいってないって感じなんですね
まあそれは確かに
言われてみればまあそっか
なんかそこ確かに典型的に描いているような気はしちゃいましたね
話を聞いてると
なるほどなるほどっていう
まあなんかどこまでそこを拾って作ってるかわかんないんで
まあそうですね
やれる範囲でのそのある種の複雑さというかちょっと
あのまあ反転みたいなことはしてるかなと僕は思ったので
まあ僕はまあそこまでぐらいなんですけど
逆にこのぐらいの反転までじゃないともうついていけなくなっちゃうっていう気分もなんとなくなきにしもあらずなんで
まあまあそうですね
その中でまさに六条がいたことがすごいむしろかなりこの辺り
奇跡的なバランスっていうとこはありますよね
キャラクターの構築
六条を描く以上他はある程度まあ反転はさせるぐらいまではするんだけど
とはいえひねりすぎないっていうバランスで収めないと
エンタメから離れていっちゃうような気もしなくはないなと思いますね
今のところですけどあくまで
いやでも悪役って一番ステレオタイプにのっとった方が
面白くできるタイプの役割だと思うんですよ悪役って
カタルシスは絶対ありますよね
で現実世界においても一番ステレオタイプな感じに見えるのが
あの六条のキャラだと思うんですよね
ザマッチョザ不謙みたいな感じだったら
いやこいつ倒すべき敵だわみたいな感じ
現実でもこういうやついるしなみたいな
逆に現実においてそこまでその人の中にある複雑さって見えないじゃないですか
現実ではエバってるだけで終わるから
でも裏見たらこの人ねじれすぎてても
もはやどこに座ってんのかよくわかんないなみたいな
でも実際にはみんなそうやと思うんですよね
なんかそういう人たちが現実と折り絵付けようとして死んでいくみたいな話は
僕はやっぱ好きなんですよね
だから本作においてもそうなるから
やっぱりお前結局自分のことわからないせいで死にましたよねみたいな
なんかそれを物語の中に見るのは好きなんですよね僕は
それこそアプレンティスにおけるロイ・コーンとかも結構そういう感じですよね
だしトランプって存在もだいぶ複雑なままでもあるからっていう意味では
その複雑さを保ちきってちゃんと端に抜けたって感覚は
確かにアプレンティスの方が強いのかもしれないですね
ある意味本当に今回の今作の
スピルバーグっぽいってスピルバーグっぽいストレートな親子の話になるみたいなところは
やっぱあるのはあるので
そこと比べられちゃうとちょっとまた違うかな
違うというわけじゃないけどまたちょっと違うリングでの戦いになるのかなって感じはしますね
あとシンプルな悪役はクリスマスの冒険者たちの
あいつらがザシンプルなクソレイシスト
そうなんですよねだから外側にしっかりヤバい奴がいるっていう
ヤバい組織は結局消えてないっていうね
でもあれもだいぶ単純化した組織感すごいですよ
いやすごいですよねあれね
だからちょっとあれで現実のどうこう語れちゃいそうだけど語れてもいない感じがするというか
ちょうどよく現実から切り離される感じがあるというか
すごい現実のあれやこれやとすごいめっちゃ重ねて
っていうところがすごいあるんですけど
なんかそこが絶妙というか
いやわかりますわかります
あれそのものはないですよ絶対の現実には
それらしいものはきっとあるでしょうけど
あれそのものはないはずですからね
なんか絶妙に外してるというか
けど妙なとこリアルななーみたいなとこがあるから
暴動の時に偽の潜りみたいなやつ潜り込ませて
静かな戦いの重要性
暴動を引き起こさせて突撃する
後日を作るみたいなシーンあったじゃないですか
いそうっていうかあるやろうなーって思いますし
そこ妙にリアルやけど
なんかああいう変な組織みたいなとかは絶対ないやろうなーみたいな感じもするし
なんかほぼショッカーですもんねあれ
いやそうっすね
悪の組織っていう
存在としてはだいぶフィクションなんですけど
これは主人公側の革命テロ組織もそうですけど
ある種のどっちの側も極端になってきてるみたいな世界
の象徴としてはすごく機能してますよねどちらにしろ
なおかつ分断がさらに加速してるみたいな
っていう世界観の中でじゃあ
何が本当に大切なのかみたいな尊いのかみたいなのが結局
ディカプリオのただそこで守るということだったりとか
っていうのがすごくやっぱ映えるじゃないですけど
それが一番この世界で大切じゃんみたいなことに
着地できてるなーっていうふうにすごい思って
分かりますなんか僕はベニチュアデルトロが
助けを求めた時にある種警察が来てるから
逃がさなきゃいけない人たちがいてっていうところで
君らはずっと戦ってきたかもしれないけど俺らもずっと戦ってきてんだよっていう
確かいうシーンがあったと思うんですけどあそこがすごい良くて
テロリズムとかそういう派手な戦いじゃないじゃないですか移民
というか移民たちを守っていくってでもその地に足ついた戦いこそがむしろ
本質というかなんか革命って
要は革命ってある種ひっくり返すっていう行為だと思うんですけど
そんなことをしなくても地道にそれを
繋いでいくっていうのも革命の一つなんだよって言ってるように聞こえて
あそこめちゃくちゃ刺さったんですよね そうですよね静かな
戦いというか確かな正義も
なんかこう父親像もないけどただ静かに
頑張って戦おうよみたいなそのポジティブさみたいなっていうのが
やっぱ結構この映画のすごい真にあるテーマ
と言ってもいいんかなーみたいなのに思って個人的にはなんか
セブンの名台詞思い出しましたよね
世界は素晴らしい戦う価値がある後半の部分には賛成だっていう
なるほどね 世界ってマジで複雑で
どうしようもないけど戦う価値はあるっていう
そこに希望を見出す感じっていうのはちょっと思い出したり
したんですよね
だから今年スーパーマンも結構そういったメッセージを放つ
映画だったなと思ってるんですけどやっぱりスーパーマンって
その力を持つ者ちょっとノブレス・オブリージュ的なところがどうしてもあるな
って思っててだからこそ自分もちろんスーパーマンに
優しさを持ってしてなっていこうよって話だからそのメッセージ自体は大賛成なんですけど
でもじゃあどうすればいいよってなった時に自分たちの生活を守ることだって
戦いなんだっていう風なことを結構ワンバトルアフターナザーは描いて
社会との対峙
くれたなって気がして
だからそれこそすごい象徴的だなって思ったのが
子供が生まれてディカプリオが子育てに行く中で
妻は革命の方に走っていくっていうシークエンスありましたけど
そっか子育てをすると社会これまで叩き続けてきた
消費社会とか資本主義に乗っからなきゃいけないんだよなっていう
スーパーで買い物を始めるじゃないですか
絶対彼もともとそんなことしてなかったはずなんですよ
でも子育てをするっていう文脈においては
そういう風な派手な戦いから地味な戦いに移らざるを得ない
そこに多分普通になってしまったっていう楽端が
おそらく乗ってくるっていうところ
戦い方が変わるというかねそこにちょっとやっぱり
私の戦い方じゃないってなっちゃうから出ちゃうんでしょ
あんな慣れてない土地で一人で娘ティーンエイジまで育てるって
大変っすよすごいことですよ
本当に
絵が描いてないけどすげーなって思いますよねやっぱね
立派っすよ
それ想像したらダメ男って言えなくなっちゃう
そうなんですよね
劇中で終始間に合わない男って感じではあるんですけど
やってきたこと踏まえるとめちゃくちゃすごい人というか偉い人ですよ
全然ダメじゃないですからね
映画でカットされた十数年があるわけですからね
僕ああいう人学生時代に会ったことある気がします
学生時代京都で
兄弟にちょっと出入りしてたんですよね
僕は兄弟生ではないですけど兄弟にちょっと出入りしてたんですけど
学生運動の残りがみたいなのを吸ってた人
ぽいぞみたいな人なんか見たことある
あったことあるんですよね
どうやって生きてるかわかんないけど
社会に馴染みきらないままそのネットワークの中で生きてるっぽい人
あったことあったなと思って
結構いろんなこと思い出したんですよ
どういう人だったのかなみたいなのをいろいろ思い出しました
兄弟って結構独立突破の気分が
強い工夫なんで
たてかん文化とかもいまだにあるし
やっぱちょっとその気分あるんですよね
いまだに今はもうちょっと学生運動のパロディみたいな感じには
なってますけどそれでもちょっとなんか匂いが
残ってるなって思って
もしかしたらあの人たちにも瞳の中燃えてた時代あったのかなとかちょっと
今思い出してました
やっぱ僕もう革命描く映画好きですね
革命というかテロを描く映画好きですね
現実ではもう勘弁してくれと思ってますけど
新幹線大爆破とか太陽を盗んだ男とか大好きだなと思って
そうかそうか確かにそうか
最近で言うとハウトゥーブローアップっていう
あれも元の原作があるんですけど完全に
ゴリゴリに作派活動してる人たちが書いてる本の
映画家なんで当人ですよ
本当にハウトゥー本ですもんね文字通り
テロの仕方の話を
劇映画にしてるだけなんでハウトゥーブローアップ
この人たちやと思って
めちゃくちゃ思いましたね彼らの主張もねおそらくその移民に
関しての人権侵害であったりとかあるいは環境の話もおそらく
ありますもんね電力発電所爆発させるところとかは
明らかに
どうしても繋がりますからね
資本主義による搾取の構造に対する攻撃だから
どうしてもどっちにもなりますよねそこは
そんな男が小空でなると資本主義側に飲まれていく
ところがまたねいいんだよな僕ああいう人好きなんだよね
しゃーないっすよ
大企業が作った粉ミルク買うとダメになりますもんそれは
でもそれも戦いですからある意味
そこからいや俺は違うんだっていう
がを突き通しちゃうとろくなことないみたいなやつとかも
ちょっと別の映画とかであってするんですけどみたいながあってするんで
ねだからねえらいっすよっていうものせ今回で
リカプリオはっていうやっぱ好き
ですねやっぱ本作のキャラみんなみんな好きですね結局
ねそう悪役からこちらの役まで含めて愛せちゃいます
ねほんと本当にあのすっげー
いい映画でした
怖がらずにお題にできてよかったです
怖かったですよねポルトガスアンダーソンなんてそんな
怖い怖い怖い怖いわーって思ってましたけどね
いやーでもむしろいい入り口だったんですよね
って思いますよ本当にこっから入っていいぐらい
これでねなんかねザビルビブラッと語ってくださいって言われたら
困る困るって言われるじゃないですか
いやー15年
前に公開された映画がこっちだったら僕は
スタイでザビルビブラッとを借りなくてよかったのに
確かにみんなでね
ワンバトルアフターアナザーみたいな楽しかったねって追われたのにあの頃の僕は
ザビルビブラッとを借りてしまったんですよね
逆じゃなかったなーって
公開前逆じゃなかったなーって
15年遅かったです
はいではそんな感じでワンバトルアフターアナザーの話は終わっておこうかと思います
はいではお知らせになります映画の話した
すぎれば次回開催日は決まり次第お知らせいたします
これまでは毎月最終土曜日の開催が基本でしたが
今後は開催タイミングが流動的になりますのでご注意ください
場所は大阪南森町週刊曲がり中古市オープン23時クローズです
またこの番組ではお二人を募集しております番組全体や
トークテーマ作品向けてご自由にお送りくださいませ
バーの最新情報次回テーマはxおよびインスタグラムにて告知しております
各ご案内は番組説明文をご確認くださいませ
それでは映画の話したすぎるラジオ第233回ワンバトルアフターアナザーの
回を終わりたいと思いますそれではまたお会いしましょうさよなら
さよなら
01:09:59

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