映画『呪怨』の考察
始まりました、映画の話したすぎるラジオ第225回になります。
この番組は、大阪で映画トークバーイベント、映画の話したすぎるBARを開催している店長メンバーらによる映画トーク番組です。
私、映画の話したすぎるBAR店長の山口です。
マリオンです。
大石です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
お願いします。
まず、前回もお知らせしました、大阪のルクアで開催する映画紹介屋さんが、
9月6日、土曜日と7日、日曜日に開催しますので、ぜひ、ご視聴いただけたらと思っております、という告知をさせていただいて、
では、緊急の話を始めていこうかと思います。
マリオンさん、いかがされていましたか?
そうですね、今週は2本話したい映画があるんですけど、
まず1本目が、近畿地方のある場所について、話題作ですよね。
ちなみにこれ、原作読んでる人っていたりします?
僕は、せすじさんの原作読んでます。
あ、読んでます。
はい。
これ、映画見てます?
いや、映画はちょっとまだ見れてないんですよ。
なるほど。
僕は、原作読んでないまま見に行ったんですけど、
なんとなくこれ、原作読んでない映画見た感じで思ったんですけど、
これ、あれですかね、資料みたいなのをいっぱい読んでって、それがつながるみたいな感じ?
そう、まさにモケメンタリーの資料が、ただそこに連なってるような感じの、
ただ真相は、そこまで明示されないタイプのホラー小説って感じですね。
なるほど。
そんな感じなんだろうなっていうのは、ちょっと映画を見ながら思ってはいて、
ただその分、映画はやっぱり映像メディアになるんで、
当時のテレビの録画であったりとか、ニコニコ生放送であったりとか、
みたいなのが、ちゃんとそういった映像がスクリーンに映し出されて、
ああ、やばいなみたいなのがちゃんとわかるみたいな。
っていう感じになってて、その一個一個の映像資料みたいなのが、
マジで不気味で怖かったですね。
特にニコニコ生放送とかね、すごい懐かしいなという気持ちで見てたんですけど、
ちゃんと徹底してるなって思ったんですけど、流れてくるコメント?
画面に横からさーって流れるコメントも、ちょっとマイルドにしてるなと思ったんですけど、
まあやっぱり、平気でそういうワード使うんだみたいなコメントとか流れてくるあたりとか、
すごいやっぱりニコニコ生放送らしいなっていう感じがしたりとかしましたね。
これ木!やん!みたいな、普通に流すあたり、
ああそうだよね、こういう場所だったわっていうのを思い出しますけど、
まあ元現実は酷いんですけどねっていうのがあるんですけど。
まあね。
まあでもなんかね、そこでそのニコニコ生放送のやつはあれなんですよね、
心霊スポットに行ってみたみたいな感じの、
でその配信後、その配信した人は行方不明になっちゃってみたいなのなんですけど、
めちゃくちゃ怖かったですね。
すごいこれよく作ってんなっていうか、その舞台となっている心霊スポット、家なんですけどとある。
めちゃくちゃ怖くて早く出て行きたいなって思いましたし、
本当に至る所にね、よからぬものが映ってるんですよねみたいな。
っていうのがすんごい描写されてたりとか、
あとたまに結構オカルト系の事象みたいなの解説した動画とか見るのは結構好きで、
2chで話題になったそういうホラーのオカルト系の話題であったりとか、
都市伝説とかみたいなのとかもちょっと知ってたりしてたので、
なんかそういうのとかもすごいよく、あったあったみたいな感じで見れるっていう、
ちょっと懐かしい気持ちにもさせられるような感じの作風なんだなっていうのはすごい思いました。
そんな気持ち悪い資料の羅列をどうまとめるかっていうのが映画のあれなんですけど、
白石浩二監督ですよね。
はいはいはい。
どうまとめるのかっていうか、その作風でまとめあげてるんですよね、ちゃんと。
なるほど。
なので、ちょっと原作を読んでる人からすると、おいみたいな人もいるっぽいんですけど、
僕はいいんじゃないのかなっていうふうに思いましたけどね。
なんか結構ね、賛否というか好き嫌いが分かれてそうな感じの意見をよく見てますけど、
なんとなく白石監督とはっていうのを知ってる人からすると、
まあ、なるほどなって感じもしなくもないっていう。
そうですね、なるほどなって感じします。
あ、物理的にきますねみたいな感じって言ったんでしょうかみたいな。
はいはいはいはい。
そういったところであったりとかもすごいするし、
結構そのものズバリみたいな変なものが出てくるみたいな感じなんですよね。
たぶんそれ原作にはないんだろうなっていうのはなんとなく想像ができるぐらいには。
でもちょっとその資料の積み重ねだけで映画にするってなると結構難しいのかなっていう。
それを誰が見てるのか調べてるのかみたいなのを込みで描くってなると、
それは必要かなっていうふうに思ったりはしたので、
たぶんそうしたことによってある種のこの話の嫌な気持ちにさせてくれる感っていうのが、
ちょっとめびりはしてるのかもしれないんですけど、
これ何のためにあったんだっけって気づくとすごい怖いねみたいな。
こちらにも呪いを吹っかけてくるタイプの作品っぽさもあるんだけど、
ちょっとそこまでは言ってないみたいなのはしょうがないんですけど、
でもちゃんと怖いですね。
お前さーみたいな感じになりますんでちゃんと。
そういった意味ですごいちゃんと面白い怖い映画でしたね。
結構他のメディアでのホラーを映画に落とし込んだ時にどうするかっていう話、
前回ぐらいからしてますけど、
前回もアンティールドーンでしましたけど、
僕もこの後そういう話をするんですけど、
結構映画ってその自由度の低さがどうしても枷になる部分はあるよなっていうのは思いますね。
そうですね。
なかなかこうどう盛り上げようかっていう映画としての盛り上がりを作ろうってなった時に、
なかなかちょっと難しいよなっていう。
一個一個こう自分で読み込んでいく。
なんか自分がその探偵役として怪異の存在に近づいていくみたいな感覚には、
なかなか映画ではちょっと難しいところがある。
それをするとなったら、
例えばですけど呪詛とかは普通に近いようなことができるかなっていうのをちょっと思ったんですけど、台湾映画。
ああいうのにしないとちょっと厳しかったりするのかなーみたいな思ったりしたかなーっていう感じですかね。
敵映画でもあり、モキメンタリーでもあるというハイブリッドでこれを映画作ってるので、これに関しては。
それによって半端じゃんって思われるかもしれないんですけど、
僕はそんなことないけど、普通に怖かったし面白かったけどなっていう感じはすごくしましたね。
やっぱり映像になると映ってしまうというか、映さざるを得ないってところが多分結構ネックなのかなって気がしますよね。
映画『I'm Still Here』の紹介
そうですね。
だからちょっとそこに苦戦してる感じはちょっとあったりしたんですけど、
ある人の家に行くっていうシーンがあるんですけど、
頑張ってそこで撮影みたいな。
え、テレカメラで撮るの?みたいな。ビデオカメラで撮るの?みたいな感じで。
頑張ってそこでモキメンタリー感出そうとしてるとかはしてたりとか。
でもだんだんそれ影薄くなってくるんであんま意味ないなとか思ったりするんですけど。
そういうちょっと苦戦もしてるような気はしたんですけど。
でもちょっと怖くてね、いい映画でしたよ。面白かったですよっていう。
なるほど。
なんででしたね。
で、もう一本がI'm Still Hereっていう映画でして、
今年のアカデミー賞の作品賞にノミネーションされてて、
国際長編に撮ったのかな?ブラジル代表?の撮った映画ですね。
簡単な話を言うと、軍事独裁政権下のブラジルが舞台で、
結構裕福な家庭があるんですけど、
リオデジャネイロのビーチのめっちゃ近くみたいなところに住んでる。
すごい幸せな家族なんですけど、あるとき父親が連行されてというか、
事情聴取があるんで来てくださいみたいな感じで連行というか、
連れて行かれてそのまま帰ってこなくなってしまってっていう、
それを待ち続ける妻、そして家族たちの話っていうことなんですけど、
結構壮絶だなという話には、
こういう話を聞くなりそういうものになるだろうなっていうのは思ってはいたんですけど、
結構質感もちょっと違うような感じはあって、
もちろん帰ってこない夫をどこにいるんだみたいな、探すみたいな感じのシーンってあんまなくって、
いなくなってからどう頑張って普通の暮らしをしていこうかみたいな。
なんとかして普通の暮らしをしようとするんだけど、
どうにもこうにもやっぱりうまくいかなくなるよねっていう部分がすごくフォーカスして描かれてるなっていうふうに思って、
取り繕ってるけどやっぱり普通じゃないんだよなってことを思い知らされてしまう。
その夫の不在をめちゃくちゃ感じてしまうっていう、
なんかそのことがすごく悲しいなっていうふうになってて、
時折これもビデオカメラ当時ので撮ったみたいな映像とか流れていくんですけど、
なんかでもそこがもうあまりにも楽しかったりとか、
いい思い出だった分余計になんかそこが今の現実がすごく悲しく思えるみたいな感じになってて、
ちょっと近いで言うとアルフォン・ソキュワロンのローマとかにもちょっと似たようなテイストを感じるかなっていう映画ではあったかなって感じですね。
そこから結構時間も飛ぶんですけど、すごい長い期間の話になるので、
結構いろんなことが語られてなかったりするので、
どういうこの人たち人生を歩んでいったのかなみたいなのが結構バッサリカットされてたりもするので、
パンフレットを見て初めてこんなことしてた人なんだみたいなのがわかるりするんですけど、
映画の意義と抵抗
ぜひ映画から見てもらって後で衰えてもらうって感じでいいと思うんですけど、
この夫を待ちつける妻、フェルナンダ・トーレスが演じている妻が実はその後すごい人になってきますっていうのがあるんですけど、
そこはほぼ描かないんですよね。
それも結構珍しいというか不思議なバランスなんですけど、
ちょっとそこを含めてびっくりもしたんですけども、
結局そして最終的にこの映画の意義というか、この悲劇を忘れないっていうことと、
それを受け付かなきゃいけないっていうことをめちゃくちゃ意識してる映画だなっていうのは本当に思いましたね。
私はここにいるっていうことですけど、まだここにいるっていう。
それはどんなに強い思いがこもった言葉かっていうことをすごく実感させられる。
今のちょうど時代背景ともですけど、今のブラジルの時代背景的にも、
当時の軍事独裁政権下のようながまたやってくるんじゃないかみたいな足音が聞こえてくるみたいな時にまたこの映画が公開されてるっていうのもあったので、
そういったこともまた思い出してしまうみたいなっていう流れの映画らしいので、
やっぱりちょっとこれは見るべき映画だなというふうにすごい思いました。
こういうのって普通になるんでしょうね。こういう政治とか普通になるんだろうなってしれっと。
結構普通に日本が、今と地続きって言ったらちょっと言い方違うかもしれないですけど、
でも何でしょうね、平然と軍事政権ありますよねって、
すごい素朴なこと言っちゃうんですけど、
いやーなんか世の中って普通に軍事独裁政権いっぱいあるなーみたいな、
全然民主主義って通ってないよなーみたいなのを思いちゃいますね本当に。
そうですね。
なんか簡単に手の中からこぼれていくものなんだなっていうのを本当に切に思います最近。
そんなことならんやろって思っててもなっちゃってるような気がするし、
なんかそういうまたあの頃の再びみたいなこと言ってはばからない人とかもいるじゃないですか。
怖いですよね本当に。
その軍事というかある種の暴力というものに対して、さっきマリアさんがおっしゃってたのすごいなんかいいなと思ったのが、
暮らすっていうことが抵抗だっていうふうに描いてるんだろうなっていうふうに切れて思って。
そうですね。
暮らしを手放さないっていう形の抵抗というか、
なんかそれを要は多分おそらくすごいことされた方がモデルになってると思うんですけど、
そこのドゥイングの部分じゃなくて、まさにスティリヒアとしているっていう状態、
それこそが抵抗であるっていう、ある種少しこう読み替えてるというか、
っていうような話でもあるような気がして、なんかそういう意味でも今すごい、
僕らの手元にある形での、というか暮らしの中でできる形での、
抵抗?反抗?みたいなものでもあるのかな?
そういうものを描いてるのかな?っていうふうにちょっと聞いてて思いました。
いや、本当に大石さんがズバリそうですっていうことを言ってくださったんで、
もうそうだなって僕思ってるんですけど、横切にも出てるシーンで、
写真撮ってるシーンがあるんですけど、家族で写真撮ってて、
悲しそうな顔でってカメラマンさんから言われるんだけど、「いや、笑って。」って言うんですけど、
まさにそういう抵抗だと思うんですよね。
そういう悲しい家族、悲劇に生まれた家族として回収させないっていうところの、
やっぱりその反抗というか、普通であることをやっていくみたいな、
っていう反抗が、そういう精神っていうのがあると思うんですけど、
多分本当に大石さんのおっしゃる通りのことを描いてる映画だなっていうふうに思います。
今週はこんな感じです。
キムズビデオのドキュメンタリー
はい、大石さんいかがされてました?
今週ちょっといろいろ見れたんで、2本話したい映画があるんですけど、
まず1本目、入国審査を見まして、おもろかったっす。
めちゃくちゃ面白かった。
もちろん社会派的な側面というのは、このタイトルから分かる通りでもあると思うんですけど、
結構人生についての話でもあるんだなというところが非常に刺さったというか、
中盤以降、それでもおっしゃってた、ちょっとガラッと展開が変わるじゃないですか。
あれ、こういう話なの?っていうふうになっていく。
それを受けて、ラスト、一番最後の切れ味がすさまじかったなと思って、
久しぶりにストーリーっていうもので、はぁーって思いながら帰るというか、
ほんとなんかね、卒業のラストみたいですもんね、ほんとラスト。
この2人これからっていう。
そうですね。
そこに対してエンディングで曲線とかも、別名でアイロニーが効いてて最高だったんだと思うんですけど。
やっぱ劇見てて、空港の入国審査って緊張しますよねっていうのはすごい、僕も実体験があって、
去年、今年の3月、2月か、2月にニューヨークに行った時に、これ日本の空港だったんですけど、
飛行機乗る前に突然呼び止められて、で、体中からなんかちょっとサンプル撮るからみたいな感じで、
端っこの方に寄せられて、で、靴脱いでみたいな感じで言われて、いろいろな体中の検疫みたいなことされたんですよ。
で、だからどうやら、これ僕、パスポートってのは初めてだからそういうことされてるのかなと思って、アメリカ嫌いだなって思ったんですけど、
どうやらアメリカの、たぶん911以降になると思うんですけど、
一定数抽選でアメリカに渡航する人の何人かを、そういう風に検査するっていう制度ができてるらしいんですよね。
で、そこになんか偶然当たったというか、初めてなのに突然そんなことされてしまって、めちゃくちゃアメリカ嫌いになっちゃったんですけど、それで。
だからその時に呼び止められて、で、本当になんか人権ないみたいな感じなんですよ。
カバンの中も全部開けられて、なんかサンプル撮られるし。
なんかね、その時の気持ちだなって思いました。入国審査の、二次審査にこう突然呼び止められて、で、カバン開けてみたいな。
で、断ったらみたいなこと、いや断ったらもっと長くなるよみたいな感じの態度取られるみたいなのって、あ、これだって思って。
割と、ああいうこと、あれじゃない、二次審査、入国審査ではないんですけど、それに近いようなことされたので。
いやー、わかるよって思いながら、隊長の方は見逃れしました。
いやー、嫌だなー、それ、みたいな感じですけど。
人権ない感じしますよね。仕事なんでしょうけど、みたいな。
そうそうそうそう。
本当なんかそういう時になって、僕が何かしたわけじゃないはずなんですよ。
はずなんですけど、明らかにね、何か扱いが不当なんですよ、あの時の。
すごいですよね。もうちょっとなんか、丁寧な感じでいけないんですかね、みたいなね。
そうそうそうですね。
っていうのと、あともう一本ちょっと今日話したい映画があって、キムズビデオっていう映画なんですけど、
ニューヨークに実在した伝説のレンタルビデオ屋さんって、そのビデオ屋さんどう伝説だったかっていうと、
海賊版とか、あと、どこでどうやって撮ったの、その映画みたいな、ここでしか見れない映画みたいなものをゴロゴロ集めてたレンタルビデオ屋さんだったらしいんですよ。
だからニューヨークのサブカルの拠点みたいな形になっていたビデオ屋さんっていうのが実在していて、
それが2008年ぐらいにインターネットとかの煽りも受けて閉店しちゃうんですよね。
数千本のDVDやら、VHSやらっていうのがその中に在庫としてというか、アーカイブとしてあって、
閉店しましたってなったときに、これどうすんのって話になるじゃないですか。
で、どうやらそのタイミングでイタリアのシチリア島にあるとある村が、
うちが人って博物館というか、保管して、移行としてというか、そこに来た村の人もそうだし、
あるいはキムズビデオの元ユーザーとかが来たらいつでも貸し出せますよみたいな感じの施設を作ったので、
ぜひぜひうちにビデオの在庫をくださいって言って受け取った島があると。
で、ただそれ以降何も話を聞かんぞというのを監督が不審に思いまして、
これドキュメンタリーなんですけど、実際その島の方に行って、
半ば無理やりその在庫のとこ見に行ってみると、めちゃくちゃホコリ被ってたりとか、
保存状況が最悪だったりとかっていうことがわかるんですよね。
で、多分誰もこれ見に来てもいないなっていうことがわかると。
必要とされずにただただ放置された在庫になってしまっていると。
監督はこのキムズビデオに対して異常な愛着があるので、
なんとかこれを取り戻そうっていうふうにだんだんなってくるんですよ。
若干犯罪みたいなところまでちょっと行きかけるというか、ちょっと行ってるというかっていう話なんですけど、
この監督はちょっと変わってるなって思うんですよ、映画見てると。
文化保存の重要性
結構いろんなシーンで、ある種シネフィル的な感じでいろんな映画の引用が飛び交っていく。
最初はある意味そういう映画好きというかシネフィル的なニュアンス、
俺これだけ映画知ってるぜみたいなニュアンスなのかなって思ったら、
絶対知らんだろみたいな映画もだんだん出てくるんですよ。
なんならこのキムズビデオを経営してた韓国人か、
アメリカでそのまま事業成功したら事業家の人がいるんですけど、
その人が監督した映画とかが引用されてくるんですよ。
知るわけねえじゃんみたいな話になってくるわけですよ。
なのでバランスがまず崩れてるんですよね。監督の映画愛があまりにも行き過ぎてて。
これマウントとかじゃないな、そういう形でしか物語れないタイプの人だなってことがわかってくると。
で徐々にそのバランスの崩れ方、最初だからその語り方がバランス崩れてるなぐらいに思ってたのが、
作品のいわゆるドキュメンタリックな部分というか、
映画の境界線
その真偽の部分って言って言えばいいんですかね。
ある種ドキュメンタリーはそのうまく編集することでフィクションを絡ませることもできると思うので、
その真実の部分までだんだん映画に侵されていくんですよ、この作品。
ちょっとね、一周回ってやばいなっていう映画でして。
万人に勧められる方はむずいんですけど、僕は好きですっていう。
ちょっと異常な熱量の作品でしたね、これは。
見てます。
見ました。
僕もむちゃくちゃ言いたいことがある映画であって、
正直ね、これめちゃくちゃもったいない映画だと思ってて、
本当今年見た映画で一番やばいと思ってるんですけど、
何がやばいって、監督の自我がやばいと思ってて。
ドキュメンタリーの体で始まるけど、これって実質的にはモキメンタリーだと思うんですよね。
ただそこの境界線の曖昧にしてるのがそんな上手くないなと思って、
もうここはフィクションですっていう。
ここがフィクションってめっちゃわかりやすくなるじゃないですか。
なんかその実際のドキュメンタリー部分とフィクション部分の淡いみたいなのがグラグラしていく感じがなくて、
グラグラしてるのは監督の自我やぞみたいな感じがすごいあって。
正直これ監督が前に出過ぎないバランスで作れたら、もっと面白くなったと思うんですよ、この映画。
ちょっとすごいもん見たけど、なんかもっとすごいものになり得たなっていうのがあって、
なんかもうちょっと監督のわがわがが強すぎて。
これ僕も見てるんで、僕も見てやべえなって思ったんですけど、
すごいですよね。映画の主人公に自分重ねてなんか犯罪行為を犯す人と何の違いがあるんだろうって思ったんですけど正直。
殺人事件起こしちゃったみたいなと、なんか違いがあるかねみたいなことをやってると思うんですけど、この監督。
だいぶ映画オタクの悪いファナティックさが出てるって思いましたけど。
いや、すごい。
そうなんですよね。だから監督の主張というか、そのビデオというかそこがある意味何が示されてるってことは確かに何とかしなきゃねっていうのは共感はできなくはないんですけど、
そこへの執着が異常すぎて、こっちが置いてかれるんですよね。
うん。ちょっと引いちゃいますよね。
うん。なんか、映画ってそんなに物理的なもんだっけってなってくというか。
別にそこまでではないかもごめんっていう。
ちょっとヤバい人だったなっていう。
本当はね、このビデオの行方のところにだいぶ闇深ポイントがたくさん籠ってたと思うんですけど、だいぶ怖いことありましたよね、劇中ね。
なんかマフィアとか出てきてましたよ。
出てきましたからね。
なんか僕って、あ、すごいこれあれだ。ネットフリックスのドキュメントのイカロスみたいで大変面白いぞって思ってたんですけど、だんだんヤベェのが監督になってくから、おかしいんだよなっていう。どういうことかなって思っちゃって。
そうなんですよね。作品のバランスがそんなことより、そんな社会のことよりも映画だってなってくから。
ちょっとヤバかったっすね、あれは。
そうなの。だから、キムズビデオを引き取る側もある種どうかしてるじゃないですか。ある意味ね。批判できるぐらいにはどうかしてるんですけど、それを取る監督側もどうかしてるから。
なんか、化け物同士の戦い見てるなって感じになってきちゃって。
そうなんすよね。なんかそのキムズビデオ自体の面白さ、あるいはその、あの頃のニューヨークのアンダーグランドカルチャーみたいなものの魅力がめちゃくちゃあるし、登場人物むちゃくちゃ全員濃いから、もうその、舞台がまずむちゃくちゃ面白いように、カメラの7割監督が映ってるから、ちょっともっと後ろ見せてよってなって。
そうなんすよね。ほんと僕見る前は、アザーミュージックっていう、これもニューヨークのあるレコード屋の話があるんですけど、伝説的な。なんかそういう話なのかなって思ってたんですよ。
だからもうこのお店がすごくみんなに愛されていて、ここで文化が花開いたかみたいな。あーなるほどなーって、こういう場所あったらいいなって思えるみたいな。ドキュメンタリーなのかなって思って。キムズビデオ自体にはそう思えるんですけど、ドキュメンタリーではそういう映画ではないっていう。
だから、若干最後の方、キムさん引いてましたからね。
そうですよね。あそこで監督のオファー的なやつ、虚偽ったらたぶん殺されるって思ってたんじゃないでしょうかっていう。
でもなんかもう、僕逆にこの猟奇性が、なんだろう、パーソナルすぎておもろいなっていうか、なかなかここまで字が出る映画もないなと思うんですよ。
もうだって、そのドキュメンタリーであるって、そのある種のカメラが客観性を帯びるっていうのが結構大事な要素だったりするじゃないですか。
そのドキュメンタリーであることを主観として使ってる作品初めて見たなと思って。もうほぼファーストパーソンなのでは、FPSなのではってぐらいの、字がの前の出方をしていて。
なんかもうここまでやってくれたら、まあもうちょっとおもろいわってなっちゃうというか。映画側が120%でボケちゃってるから。
なんかそれはこっちが突っ込む形で楽しむのが正しいんだろうなって思えるという感じがしていて。
なんかそういう意味でも、ちょっとこのバランスの崩れ方で面白がるタイプの映画だったなとは思ってます。
監督撮ってる側やから本人見えないですけど、もう目っギンギンなんでしょうね。目が。
そう、元市長の後ろずっとついてくる間にヤバかったんだろうなと思って。
この監督何撮ってるんだろうと思ってちょっと調べたら、まあドキュメンタリー、結構社会派ドキュメンタリー撮ってて。
評価もされてる方みたいなんですけど、題材割と結構真に迫った視点を持ってるテーマだなって思ってたんですけど。
なんか見てるフィルモグラフィーの中で、ちょっとキムズビデオだけ毛色違うなと思って。
なんかドキュメンタリーとしてのバランス感覚一切ないですもんね。
全くないです、全くないです本当に。ここまでのドキュメンタリーはちょっと見たことがない。
ちょうど僕が見に行った回がその舞台挨拶というか、その配給を担当されてたデザイナーの方がちょっと登壇されてたんですけど、
その方が監督と対談してっていう話を聞いてて、次回作はこのキムズビデオをアニメで撮りたいとか言い始めてるらしくて。
ちょっと呪いなんじゃないかっていう。囚われすぎてるのではないかっていう。
こわ。
だから近畿地方のある場所についてだけどニューヨークのある場所についての映画なのかこれはっていうぐらいレベルの。
ちょっとフッテージなんじゃないかってぐらいの作品だなと思って。そういう意味でちょっと面白かったです。
Vシネマ版『呪怨』の影響
なるほど。
はい、今週そんな感じです。
はい、僕はですね、キムズビデオとあと映画館でジオンVシネ版4Kを見てきたのと、その後で配信でジオン2を見ました。
はい、で、まあもともと20年ぐらい前に劇場版ジオンを見たことがあって、まあそれ以来なんですけど、その劇場版ジオンが僕人生で一番怖かった映画なんですよね。
で、まあそれもあって、ただ聞こえてくる話だと、いやジオンはVシネ版の方が怖いっていう評判がよく聞こえてきていたので、じゃあと思って見に行ったわけなんですね、今回。
で、まずジオン1作目4Kの方の話をしたいんですけど、
まあ怖いですけど、ちょっとこれ、映画館っていうメディアと本来的にVシネっていうものとの相互がちょっと埋もらえてるなと思って。
はいはい。
で、もともとジオンってそのビデオのむちゃくちゃ荒い質感の映像で、もう正直画面荒すぎて何映ってるかわかんないみたいなシーンがむちゃくちゃ多い作品なんですよ。
で、それがまあその作品自体の怖さに寄与してるんですけど、で今回映画館で見て、まあ4K歌ってるから映像綺麗なんかなってちょっとなんとなく思ってたんですけど、
ビデオのむちゃくちゃ荒い映像の質感のまま映画館のスクリーンサイズになってるんですよ。
あー。
あー。
なるほど。
で、それがいいのかどうかって言われると、僕はちょっとミスマッチだった気がしてて、
なんかその本来的にビデオとして家のテレビで見るものだから成立する画面の荒さみたいなものを映画館で見たときに、
わざわざその荒さを映画館に持ってきてるってことの違和感がすごくて、
本当にあのJPEGの一番画質荒いぐらいの劣化度のものを映画館のスクリーンに映してるんですよね。
あー。
確かに。
だからもうディティールが潰れてなんかわかんないみたいな面積がむちゃくちゃでかいんですよ。
あー。
あー。
で、しかも4Kなわけじゃないですか。
んー、なんか何がどう4Kなのかっていう。
そう、この潰れてる部分にどんだけガス入ってるのやろうみたいなことを考えちゃったら、
むちゃくちゃバカバカしいことを今してるんじゃないかっていう気持ちになってしまって。
うんうんうん。
ちょっとこれは、いっそ4Kとか撮らずにやってくれた方がそれを感じなかったんじゃないかなって思って。
やっぱりその、まあ特にその、本来Vシネなものだから家でVHSで見るようなものなわけで、
やっぱそこにあってる作品なんだなと思ったんですよね。
うん。
で、まあただせっかくなんで2見ようと思ったんですけど、
わざわざ映画館行くタイミングがなかったんで、こっちは配信で見たんですけど、
やっぱりね、このサイズ感なんですよ、ジオンって。
あー、なるほど。はいはいはいはいはい。
まあ今テレビじゃなくて、あのパソコンの画面で見てましたけど、
イヤホンつけて、これがジオンなんですよ。
いやー、確かに怖いなー。
むちゃくちゃ嫌なんですよ、本当に。
あー。
イヤホンつけてテレビで見るジオンむちゃくちゃ嫌で、
で、その荒さもわかるんですよ。
ジオンの映像表現の比較
あの、ユーネクストで見たんですけど、ユーネクストって作品によってはむちゃくちゃ画質荒いやつとか普通に入ってるんで、
むしろそれがぴったりなんですよ、ジオンって。
なーるほど。
この荒さ、だからその本来ホームビデオみたいな、
映ってしまったものを見ているって感覚が必要なものを、
わざわざ映画館にそれを作ってるっていうものになった時に違和感がすごくて、
で、さっきまあその小説から、ホラー小説をホラー映画にすることの難しさ、
あるいは先週、ホラーゲームをホラー映画にする難しさって話もしましたけど、
本来Vシネとして作られたものを映画化に持っていくっていう、
同じような映像表現のはずなのに、
媒体が違うだけでこんだけ受け取り方違うんだなっていうのがすごくて、
やっぱりメディアに最適化してるってすごい大事な考え方なんだなっていうのを思いましたね。
で、ジオンの内容そのものなんですけど、
まずジオン2って半分くらいジオン1の後半なんですよ。
だからジオン2の前半はジオン1の後半なんですよ。
ほぼ一本の作品なんですよね。
もう覚えてないんですけど、そうだったんですね。
だからこれ分けてる意味わかんねえみたいな。
そうでしたね。
ただ正直僕、劇場版の方が怖いなと思いました。
たぶんVHSの荒々しい質感のものを家で見るっていう体験自体が、
このジオンっていうものをマガマガしく見せて、
評判が評判を生んで、
今まで続くような超大なコンテンツになっていったとは思うんですけど、
このVシネの頃の一番初めのジオンって階段として筋道通ってるんですよ。
なぜあの家が呪われたかっていう。
カユコとトシオ君がなぜああいう回になったのかっていう理由が分かるんですよね。
でも僕がもう遥か昔見てちょっとぼんやり覚えてるだけの、
劇場版ジオンってなんか分かんないんですよ。
なぜそうなってるのか分からない。
自分がなぜそれに巻き込まれなきゃいけないのかも、
もう不条理すぎて意味が分からないっていう、そこが怖かったんですけど、
結構この元の方のジオンは理由が通ってる、筋道通ってるっていうのがあって、
ちょっと怖さの種類が違うなとは思って、
僕は意味が分かんない方が怖いなと思って、
そこが一番ジオンの嫌なところだったんですよね。
分かんねえっていう。
で、それを終わってからも想像しちゃうのが嫌なんですよ。
でもVシネ版ジオンは画点が行くんですよね。
なるほど。
ちょっとそこは違うなと思いました。
むしろ完成度は劇場版の方が高いなと思いました。
っていう、まあちょっともうこの25年の時を振って、
今更ジオン見てワーワー言ってるのもあるかもしれないですけど、
なんかホラーっていうものの描き方に関してすごい知見を得たというか、
いろんな意味での学びがあったなとは思いましたね。
はい、てな感じで、では今日のテーマトーク入っていきたいと思います。