00:11
はい、始まりました。ポッドキャスター吉野映画酒場第7回ですね。第6回から続けて話しているので、すでにちょっと疲れているっていうね。
でもやっぱり、第6回の方の冒頭でも言ったんですけど、一応これ、Twitchで配信っていう形でライブ配信しながら収録してるんで、あんまり気が抜けないんですよね。
それのおかげで、ちょっとメリハリが効いてるなって思うとこがありますね。
あんに1人で喋ってるっていう状況に完全にしてしまったら、ここまで集中力持たないかもしれないですね。
その意味では、誰も見てないライブ配信もありなのかもしれない、なんて思ったりはしますね。
ライブ告知したらいいのにね、1人ぐらい見てくれるかもしんないので。
イデッシャーの、なんかね、僕ちょっと人前に出ていけるところと人前に出ていけないところのバランス、ちょっとおかしいかもしれないですね。
ポッドキャスト配信してるのに、なんかライブ配信してますっていうのは恥ずかしいみたいな、ちょっとバランス感覚おかしいのかな。
はい、では映画の話に入っていきたいと思います。
今回はですね、劇場版バイオレットエバーガーデンの話をしたいと思います。
いつも通りですね、映画.comの解説を読ませていただきたいと思います。
2018年にテレビ放送された京都アニメーションによる人気アニメ、バイオレットエバーガーデンの完全新作、劇場版。
戦時中に兵士として育てられ、愛を知らずにいた少女、バイオレットエバーガーデンが自動主義人形と呼ばれる手紙の代表を通じて様々な愛の形を知っていく姿を描く。
人々に深い傷を残した戦争が終結して数年。
新しい技術の開発によって生活にも少しずつ変化が現れ、人々は前を向いて歩み始めた。
バイオレットも大切な人であるギルベルトがどこかで生きていることを信じ、彼への思いを抱えて生きている。
ある時、ギルベルトの兄イートフリートと対面してバイオレットはギルベルトのことを忘れるよう悟される。
しかし、バイオレットにとってギルベルトを忘れることなどできないことだった。
そんな彼女にユリスという少年から代室の依頼が入る。
時を同じくしてバイオレットが働くCHUV社に宛先不明の一通の手紙が届き…。
監督はテレビシリーズに引き続き石伊達太一さんかな?が勤めたと。
はい、えっとですね、まず僕がこのテレビアニメーションバイオレットエヴァガーデンをどこまで見てたかって話なんですけど、
テレビシリーズ13話だったかな?までは見てます。
あとスペシャル、37分間のスペシャルは見てて、
外伝っていうのがあるんですよね。劇場で上映してたやつ。
03:01
実はそれは見れてなくて、テレビシリーズ13話スペシャル劇場版で見たってとこですね。
はい、ちょっと正直な話させてもらえたらと思うんですけど、
僕テレビシリーズまでのバイオレットエヴァガーデン、そこまでハマらなかったんですよね。
これは何でかわからないんですけど、
おそらく、もしかしたらなんですけど、手紙っていう題材がちょっとあんまりピンときてなかったのかなっていうのがあったのと、
すごい完成度が高いシリーズで、一話一話が本当に無駄がないんですよね。
一つの手紙の代筆を依頼された依頼人のドラマを一話の中で気象点決して描き切るっていうのに対して全く無駄がないので、
すごい完成度高いんですよね。
ただ、ちょっとそのとてつもない完成度の高さが、遊びようなく感じてしまったって言ったらいいのかな。
精錬されすぎてて、自分が入り込む余地がないみたいな物語に捉えたんですよ。
つこの余白というか好きみたいなものはちょっと僕欲しかったなと思ってて、
まあ、人情物なわけですよ。
手紙の代筆を頼まれてその人の心を解きほぐしていくっていう物語なわけで、
人情物なんですけど、人情物って完成度が高すぎると、
自分の心に入り込む余地というか好きみたいなものがあんまりなくなってしまうのかなと思って、
感動って結構自分の心の中に何か間違って入っちゃったみたいな瞬間に生まれるのかなって思う時があって、
完成度の高い彫刻を見て、
完成度のあまりの高さにその彫刻は自分の世界のことではないのかなっていう風に感じてしまったって言ったらいいですかね。
すごいんですよね、本当に。
そんなに完成度だなと思って。
あとね、テレビシリーズなのにめちゃめちゃ作画がいいんですよね。
ここ驚きましたね。
てな感じでした、テレビシリーズまでは。
僕の中のヴァイオレット・バーガーデンに対する感想はですね。
ただですね、劇場版ですよね。
今回の140分ある劇場版は、
刺さったというか、ほぼ自分の内側の森の物語として捉えてたっていう感じでしたね。
まず冒頭でテレビシリーズの10話の滝の物語が描かれるんですよね。
このポッドキャスト、余裕でネタバレしていくんで、すいません。
まだ見てない人に対する紹介とかじゃないです。
完全なネタバレポッドキャストです。
もし見てなくて聞いてる方がいたら、ここでやめてもらった方がいいと思います。
テレビシリーズの10話が、
嫁いくばくもない女性から、
自分が死んだ後の娘に向けて50年間送り続ける手紙を、
50年分書き溜めるっていう話なんですよね。
で、ファンの間でも、このエピソードが最も評価が高いと言われているエピソードで、
確かに1個のエピソードとしての完成度が高いし、
いわゆる泣けるエピソードですよね。
親から子に向けて何かっていうのは、感動として巨大なものになるっていうのはありますよね。
で、その10話の続きのエピソードから始まると、
06:00
で、ここでね、冒頭のエピソードがね、
この映画いけるわ、この映画刺さるわって思った部分だったんですけど、
さっき言ったんですけど、テレビシリーズのバイオレット・エバーガーデンが、
手紙っていう媒体がピンとこなかったっていうのを言ったんですけど、
その中で10話が一番手紙の役割みたいなものに、
自覚的に作られた話だったなぁとは思って、
基本的に他の話の物語って、
遠くにいる人に言葉を届けるための手段なんですよね。
それは空間的な距離であったりとか、
ちょっと話しかけづらい人に対して、
文字という形を通じて語りかけたりするっていう役割がより強い物語だったんですけど、
10話は、すでにいない人からの言葉を、
今の言葉として届けるための手段としての手紙っていうものが描かれてるんですよ。
で、そこがすごい重要だったなぁと思って、
単に距離であるとか、心の隔たりを超える以上のものを手紙に預けられてるんですよ。
それは、死の世界と生の世界ですよね。
もうないものと、まだあるものを繋げる機能としての手紙が使われてると。
いつかなくなってしまうものが、いつかなくなるとしても、
存在の価値をこの世界に刻みつけるためのものなんですよね、手紙って。
手紙ってというか、その10話においての役割は。
それを煮詰めたのが劇場版なんですよ。
そのテーマを煮詰めたのが。
そこがすごいいいなと思って、
10話自体は僕そんなに刺さらなかったんですけど、
劇場版はすごいいいなと思ったのが、
ようやくバイオレット自身の物語を紡ぐ話になってくるんですよ、劇場版で。
で、今までバイオレットは感情のない兵士として扱われたものが、
心を扱う手紙の代筆業を営むギャップが生み出す奇跡みたいなものを、
物語に生かしたアニメだったんですね。
要は感情っていうものがないけれども、
すごい純粋で真っ直ぐなバイオレットだからこそ、
感情に迷いを抱えてしまった人たちの心の絡まりを解きほぐすことができるという話として描かれてて、
バイオレット自身の話は、手紙を書くこと自体の当事者ではずっとなかったんですよね。
手紙を書きたい、書いてほしいって思っている人たちの思いを常に傍観し続ける立場だったわけですよ。
で、その傍観者としてちょっと超越的な、感情を持たないある種神的な存在として物語に働きかけるバイオレットっていう輪っかわりが効果的だったと思うんですよ。
またそのバイオレットが戦争で両腕を失って義手なんですよね。
それがまたより超越した存在としての存在感を増しているっていうのもありますし、
いわゆるデースXマキナっていう物語において最後に強引な解決を見せるための機械仕掛けの神っていう概念をちょっと帯びているようにも見えるんですよね。
09:01
機械仕掛けの存在として。
これが機械の腕っていうのが、そのままバイオレットが人の心に近づいて心を紡ぐためのタイプライターって手段とバイオレットが直接的に繋がっているように見えるツールとしても働いているなと思ったんですよね。
今回その劇場版の大画面で見て思ったんですけど、タイプライターとバイオレットの義手の間に境目がないんですよ。
どちらもが機械的に動いてて、ただそのやっぱりその義手はバイオレットの一部なわけなのでね。
バイオレット自身が誰かにとってのタイプライターなんですよ。心を紡ぐための媒介なんですよね。
媒介って考えると、さっき神的って言ったんですけど、巫女っていう言い方ができるかもしれないですね。
あちら側とこちら側を繋ぐ巫女としての役割を持っていると。それがやっぱり十話だと際立つんですよ。
十話は生の世界と死の世界を繋ぐ存在なので、まさに巫女的な存在ですよね。
それを今度はその力を自分自身の物語を解きほぐすために、自分自身の思いを紡ぐために使うっていうのが劇場版なわけですよね。
そこが良かったんですよ。結局テレビシリーズってずっとどこかバイオレットって完全に当事者にならない傍観者なところが寂しいなと思ってたところがあって、
もっともっと当事者になってほしいなっていう思いがあったんですよね。そこでようやく当事者になってくれたと。
それが多分言ってることちょっとこんがらがっちゃってるんですけど、手紙の役割を最も強烈に持っているその生の世界と死の世界を繋げるっていう物語の中でバイオレット自身の物語を紡いでいくっていうのが
テレビシリーズでやってきたことの集大成であり、テレビシリーズでやりきれてなかったことの判決編でもあるなと思ったんですよ、劇場版は。
また劇場版は現在進行形の時世の中ではバイオレットはもうすでにいないわけなんですよね。過去なんですよ。バイオレット自身がもうすでに過去であると。バイオレットの生きた時代よりも未来の話。
かつてバイオレットの大失業のお客さんにあったその10話の手紙を残された女の子が年老いて死んだ後の物語。10話の物語の2代後か。2代後の女の子が現在進行形の時世の中での物語の語り手となっている形で、
バイオレットっていうかつていた自動式人形の存在を追いかけていくっていう物語ですよね。現在進行形の時間の中では。この映画自体がバイオレットが生きたっていうことに関する手紙なわけですよ。その手紙をその女の子は受け取ったわけですよね。
実際に具体的な手紙として作中に出てきてそれを女の子が読んだわけではないんですけど、自分の祖母が自分の祖祖母が死んだ後に祖祖母から送られた手紙が届き続けてそれによって支えられてたっていう話を聞いて、その手紙を代筆したバイオレットという自動式人形に関しての物語を受け取ったっていうこのこと自体が手紙なわけですよ。
12:09
手紙っていうのは要するに記憶ですよね。この世界で生きた記憶ですよね。それを人に紡ぐと、人に受け渡すとっていうことが手紙の役割として持っていて、それの話を突き詰めていくと。
それは自分の生きたという物語を人に受け渡していくっていうことは手紙じゃなくてもいいわけですよね。さっき言った通り、その話を聞いて、その中に自分の祖母の話を聞いて、その祖母の話の裏側にいたバイオレットっていう女性の物語を受け取った女の子がいたのと同じように、例えばこの映画がその誰かが生きたっていう証の物語なわけですよね。
そこがね、やっぱりちょっと語彙力足りなすすぎてあれなんですけど、いいんですよ本当に。最近ここから僕自身の知性化の話になるんですけど、娘がいるんですよね僕。結婚してて一児の父なんですけど、娘がいて、いつか娘が来てるうちに自分は死ぬと。
自分が死んだ後も娘は生きると。あるいは不幸にも、もしかしたら自分が死ぬ前に娘が先に死ぬ可能性もあるわけですよね。そうなった時に自分生きていけるのかなってさっき思って。変えられないですよね。自分の子供が自分より先に死ぬとか、あるいは自分が死んだ後に子供が生きてるっていうことに対して怖いんですよ。
自分の死、あるいは子供の死、それでも世界が存在しているっていうことが怖いんですよね。耐えられないくらい怖いんですよ。想像できます?なんか自分の大事に思っている人が死んじゃった後に自分が残されるとか、あるいは自分が大切に思っている人よりも自分が先に死んじゃってその人を守れなくなるとかって、想像したら身の毛が立ちません。あの、とんでもないことですよね。
絶望ですよ。なんかこの世に絶望があるとしたら、大切な人を残して自分が死ぬか、自分の大切な人が自分より先に死ぬかどっちかですよ。この世界で最も巨大な絶望ですよね。こんなことを感じるために自分は生まれてきたのかって思うと嫌になっちゃいますよね。生きてるの。
ただ、そこに対して僕たちは戦わないといけないわけですよ。いつか死ぬとしても、自分の大切な人を残して自分が死ぬとしても、あるいは自分の大切な人が自分より先に死ぬとしても、この世界で生まれた以上は戦っていきないといけないわけですよ。
いつか終わるものに対して、絶対に勝てない戦いを挑まないといけないわけですよ。それは命であったり時間であったりするわけですよね。有限なものに対して、その終わりに怯えながら、それでも戦わないといけないわけですよ。
その戦いを何か想像した時に、死を恐れないことだなと思ったんですよ。この映画を見ながら。それのためにはどうしたらいいのかなって言いながらずっと思ってて、それって自分が死んでも何かが残っているように努力するってことしかないのかなと思ったんですよ。
15:08
あるいは、たとえ自分の大切な人が万が一自分より先に死んだとしても、その人が残した何かを絶対に自分の中に受け止めることだと思ったんですよね。絶対に来る終わりに絶対に負ける戦いを挑む方法はそれしかないなと思ったんですよ。そこを信じてないと生きていけないなと思って。
この劇場版バイオレットエヴァーガーデンが、自動式人形っていう職業自体がもう既に社用になりつつある時代のものとして描かれているんですよね。いろんな物の終わりが掛け合わされてるんですよ。誰かの死であったり、楽しかった時代の終わりであったり、あるかつて栄えた業界の衰退であったりとか、いろんな物が終わっていく物語なんですよね。
その中で何かを残す、残そうとする人たちの話かなと。さっき解説の中でも言ったんですけど、バイオレットがこの話の中で入院している男の子の仕事を受けるわけですよ。この入院している男の子はもうすぐ死んじゃうので、家族に言葉を残したいっていうのがあるんですけど。
結局その男の子が本当に最後のところで、手紙では間に合わないってなった時に電話が登場するんですよね。電話が登場することで誰かが亡くしたっていうことにはなるんですけど、同時にそれはその手紙の時代の終わりなわけですよ。
手紙っていう形自体が残ったとしても、その電話が登場する前にあった手紙の魂みたいなものがそこではもうすでに終わっていっちゃってるわけですよね。かつてあった手紙はそこで死んでいってるわけですよ。さっき言った現在進行形の時世の中では、かつての手紙はもうすでに死んでるわけなんですよね。
ただその女の子はかつてあった手紙という物語を受け取ってるわけなんですよ。何かが残ってるんですよね。ただそれでもこの女の子もいつか死んでなくなってしまうんです。いつか終わるものに挑戦して何かを残したとして、次世代に残したとしてもその次世代もいつか朽ちてなくなってしまうわけなんですよ。でもそれでもやるしかないんですよね。残酷な話ですよね。
なんでこんな勝ち目のない戦いをしなければならないのかって思うんですけど、勝てるかどうかには多分、勝てるかどうかが希望ではないんですよね。きっと。やるかやらないかしかないんですよね。それをやろうとすることだけが生きるってことなんですよ。きっと。多分ね。こんなことを考えながらこの映画を見てたんですよ。僕。ちょっとどうかと思いません?なんか逆にずれてますよね。逆にこの映画が言おうとしたことを受け取ってない気がする。
ちょっとその、もうちょっと身近なところの話をさせてもらうと、ちょっと気になったところを何個かあげると、少佐っすよね。ギルット少佐が実は生きてたと。で、ちっちゃい貧しい島になんか流れ着いて生活してるんですよね。これまでの素性を隠して。地中海の孤島みたいなとこですよ。なんかシチュギアとかそっち系の。
18:09
で、そこで身柄を隠して、過去は自分は傷ついた記憶しかないから、そしてそのバイオレットを戦争に巻き込んで傷つけた記憶しかないから、ここでそのかつての過去は捨てて生きていきたいっていうので、バイオレットに会おうとしなかったりするわけなんですけど。ここ結構気になりませんでした?
ちょっとやりたいことはわかるけど、ギルベルトの役回りちょっと損な役回りですよね。これ正直無責任に感じちゃいましたね。このあたりは。傷つけたからもう会わないって。自分を慕ってた人間に言います?ちょっとあまりに身勝手ですよね。ラストの大団円に向けているための展開とはいえ、ちょっとあまりに濃くな展開だったなと。バイオレットにというよりはギルベルトに対して濃くな展開だったと思うんですよ。
なんかあんまりその好感を持って見れない展開だったかなとはちょっと思っちゃいましたね。あ、でも兄貴良かったっすね。ギルベルトの兄貴。名前忘れちゃった。ディートフリーとか。初め出た時もうバイオレットの人権なんてクソくらいね、みたいなカツ野郎として出てくるんですけど、後々の展開の中でだんだん愛嬌のあるキャラクターになっていったというか、むしろもう萌えキャラみたいになってましたよね。
ギルベルトの思い出を共有できるのがバイオレットぐらいしかいないから、バイオレットに絡んでくるんですけど、でかい犬かみたいな。妙に淡いらしいキャラになった。ちょっとその癒やしいぐらいのキャラになってましたよね。なんか嫌いになれなかったですけど、ほんとカツだったんですけどね。
例えばバイオレットの作画がテレビシリーズよりちょっと大人びた感じになってましたよね。バイオレットテレビシリーズの時かなり肖像前とした見た目だったんで、ちゃんと大人の女性になったなっていう感じはあって、たぶんミドルティーンぐらいですよね、あのテレビシリーズの時のバイオレットって。今18歳で引退って言ってたから、だからほんとに15歳の時がテレビシリーズで18歳が劇場版ぐらいの感じで、やっぱ大人びた見た目になってるんですよ。
顔もちょっと縦に長くなってた感じがあったりとかで、その祝女になったって感じの成長ぶりは良かったし、結構古風な作品でしたよね、男性感、女性感。ただもう一個ちょっと気になったというか、見たかったなって僕があくまでわがままとして思ったのが、バイオレットがおばあちゃんになった映画見たいかなと思ったんですよ。
もうすでにバイオレットがいなくなっているっていうのを描くために、18歳の時のバイオレットとその間を描かないっていうのは、僕的としては正しいと思うんですけど、いつの間にかいなくなってるっていう風な感じにしてしまうよりは、間の過程、要は老いを見せるっていうのはしてほしかったかなと思って。
ちょっとやっぱりそのあたりの、なんて言ったらいいのかな、描き方のデジタルさは僕この作品の気になるところではあったんですよ。終わりは描く、最も華やかな時代と終わりは描くけど、だんだんと朽ちて終わっていくタイミングのことはあまり描かないのかなと思って。
21:12
病気の人がちょっとずつ痩せ細くていくとかは描くんですけど、結構病気の描き方は割と記号的だったりはするので、老人、すでに老人として出てきたキャラクターではなくて若かったキャラクターが老いていくっていうのも描いてほしかったかなっていうのはちょっと思いました。
劇場版の現在の時世の方で、児童式の会社が今博物館になってた中で、解説員みたいなおばあさんがいたシーンがあったと思うんですけど、あれが児童式人形の誰かだったりしたらすげえよかったのになーってちょっと思ったりはしたんですよ。
ただ、たぶん誰も生きてないくらい時代をやってるんですよね。その劇場版の現在の時世とバイオレットが生きてた、劇場版の過去として描かれたバイオレットが18歳の時代っていうのは相当空いてるんですよね時間が。
たぶん60年70年くらいは空いてるのかな。70年くらい空いててもおかしくない気がするな。
まあまあ、誰も生きてないっていうことかもしれないしね。もしかしたら誰かだったのかもしれないですけど、アニメーションなんでキャラクターの思いを描きにくかったのかなっていう風にも思いつつ、そこまでやってくれたらもっとすげえ好きだったなって今思いました。
あとね、これはね完全超物理のこと言うんですけど、バイオレットがね超かっこいい鋼の儀式で戦うシーンも見てみたかったな。
テレビシリーズの最後のエピソードで儀式で戦うんですよね、割と。
橋に爆弾を乗せた列車が向かう、違う、橋に爆弾が仕掛けてあったんだっけ、ちょっと忘れちゃったんですけど、それを止めるためにレバーをめっちゃ引いて、その儀式のワイヤーとかがブチブチってちぎれちゃうみたいなシーンがあって、
好きなやつってなってたんですけど、機械の鋼の腕が限界を超えてブチブチちぎれちゃうやつっていうの、あれをもうちょっと見たかったなっていう、超物理なこと分かって言ってますけどね。
あとギルペルトとバイオレットが再会して最後語り合うシーン、海に入って語り合うシーンで、ずっと無表情だったバイオレットの表情が崩れまくるんですよね、フニャフニャフニャって。
本当にサジーな線、グニャグニャっとした線で震えるような口元になってたりとか、頑張って今まで崩そう崩そうとしてきたバイオレットが本当に心の底から感情が溢れ出してしまったシーンとしてすごい良かったですね、あそこは。
てな感じですかね、キャラクターコンテンツのアニメーション動向というより、自分自身の姿勢感を見直すきっかけになった、結構特殊な作品になりましたね、自分にとって。
こういう残り方をすると自分でも思ってなくって、なんか面白かったですね。こういうまさか、ちょっと想定してなかった方向の何かを得たなっていう、なんか面白い体験でした。はい、いい映画を見たなと思いました。はい、以上です。
24:08
はい、では、ポッドキャスト吉野映画酒場第7回、劇場版バイオレットエヴァーガーデンの話を終わりたいなと思います。
次回どうしようかな。今見たいと思っている映画が、絶対見たいと思っているのは、大阪の新世界にある新世界東映っていう、昔の東映のフィルム映画とかをずっと上映している映画館があって、そこで渡利哲哉さんツイットの神儀の墓と、
ヤクザの墓場口なしの花、この映画の上映が今一番見たいんですよ。めちゃめちゃ熱くないです?超楽しみなんですよね。今一番見たいのはこの映画なんですよ。
で、次がね、あれでしたね。異端の鳥っすね。ナチスのホロコーストもののやつと、アーロン・ソーキン監督のシカゴ七才版。この辺りも気になるんだよな。
でもまぁ、今一番最優先するのは神儀の墓場と、ヤクザの墓場口なしの花っすね。この2本が見れたら、今週で他何も見れなくてもまぁいっかって感じですね。
あとは、来週公開で言うと、あ、スパイの妻が、スパイの妻見たいっすよね。超面白そう。
ぼくあの、黒沢木吉監督あんま見てないんですよね。黒沢木吉監督は見れてないからこそ、今見たいなっていう。
イッカーマンファイナルカットか。イッカーマンファイナルカットも見たいな。
あ、鬼滅の刃、そういえば5週だったな。鬼滅の刃、マンガちょっとだけ読むんだけどアニメ全然見てないんですよね。たぶん見たら面白いんだろうなぁ。
とんでもない流行り方してますよね、鬼滅の刃。本当に、瞬発力、瞬間最大風俗で言ったらジャンプマンガ資料でも最大級なんじゃないかな。
ドラゴンボーイとかオンピース超えてますよね、瞬間最大風俗は。
ここまでその老若男女全員が関心持ってるって今あんまり知らないっすね。知らないというか、あった?って感じ。本当に。
みんなが知ってるとかみんながなんとなく好きとかあるけど、みんながここまでの影響的に好きってあったっけ?ない気がするな。
この先の公開予定見てもあんまりピンとくるのないな。
ウルフコーカー見たいけどこれだいぶ先だわ。新作公開映画ではあんまり気になるのはないな。
本当に今神儀の墓場とヤクザの墓場、口なしの花が一番気になるんですよ。
スパイの妻とかかな。スパイの妻は絶対見るからな。
あと、最近見た映画というよりユリ映画論みたいな話をしたいかなと思ってて。
ユリって好きなんすよ。ユリが好き。
あれっすよ。ユリの花じゃないっすよ。わかってると思うけど。
いわゆるシスターフットのことです。
女の子同士の関係性を意外と話している意味合いでのユリが好きっていうことで、
僕が好きなユリ映画の話をしている。
ユリっていう概念全般の試験ですね。
そこまで学術的に勉強しているわけでもないので、
あくまで僕自身が持っているユリとはなんぞや、ユリのどこが好きなのみたいな話を一遍したいみたいなと思ってて、
27:03
もしかしたらそうするかもしれないです。
いいっすよね、ユリ。
僕の言っているユリ、特殊なんだよね。
自分の中で勝手に再定義したユリっていう概念なんで、
リズと青い鳥と献血大組織暴力は僕、同じユリ映画って箱に入れてるんでね。
もしかしたら期待に添えないかもしれないです。
リズと青い鳥と献血大組織暴力、それぞれどんな映画か知ってる方いたら、
多分むちゃくちゃ言ってるなってわかると思うんですけど、
同じテンションで見て楽しんでます。
いいっすよ、どっちも。
自分の中で明らかに一般的なユリの意味と歪めて言ってますけどね。
ただ僕にとって献血大組織暴力語らないとユリを語ったことなんないんですよね。
だって同じ電波をキャッチしちゃったんだもん、リズと青い鳥と。
はい、そんな感じでスパイの妻か、ユリ映画の話をしようかなと思います、次回は。
それでは今回のポッドキャスト、これにて終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。さよなら。