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2020-10-14 21:58

旧第6回『82年生まれ、キム・ジヨン』と分かってるふりする男。

映画「82年生まれ、キム・ジヨン」の話をしました。分かってるふりする男(私)が分かってるふりする男(デヒョン)の立場をシミュレーションしながら観た話をしています。

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00:11
はい、始まりました。ポッドキャスト吉野映画酒場第6回です。
本日10月13日火曜日収録してます。
今まで木曜日に収録するって言ってて、不適にしますという話にして、前回は月曜日に収録してたんですけど、今回火曜日なんですね。
人に見てもらうつもりはないっていうか、今までずっとポッドキャストをTwitchっていうライブ配信のサービスで配信しながら収録してるんですけど、
ライブで、リアルタイムで見てもらってる人、今まで一人も見てもらってないんですよね。
そもそもTwitterとかでも、今から収録しますよみたいなアナウンス全くしたことないんで、
それは見れるはずないんですよ。しかも不適でやろうってんだから、見れるはずないですよね。
ただ、配信やりますって言って、誰も来なかったら悲しすぎて、怖くて募集できないんですよね。
だから、人が見てる手でポッドキャスト収録をするっていうので、やるっていう形でやってます。
でも、結構ただ収録するだけより、人が見てるっていう体裁だけでも整えて喋ると、結構違うなっていう実感があって、
やっぱ、よりちゃんと喋ろうっていう意識は働くんですよね。
それ、結構大事だなと思ってて、一人でやってると、ちょっとやっぱりより一人ごと的になりがちかなとは思うんですけど、
それが多少抑制される感覚はあるんですよね。
だから、引き続き誰も見てないTwitch配信をしながら、ポッドキャストを収録していくっていうのをやろうかなと思ってます。
今回、ずっと収録の音が悪くって、音がこもったり、音が破裂したような感じがあったりとか、ずっとそういうのが続いてたんですけど、
今回、胸元につけるマイクを新しく買って収録してるんですね。
今のところ、多分いい感じに撮れてるんじゃないかなと思うんですけど、仕上がりどんな感じになるかすごい楽しみなんですよね。
今回はですね、最近見た映画で、82年生まれキム・ジオンの話をしようと思ってます。
映画ドットコムの解説を読ませていただきます。
平凡な女性の人生を通して、韓国の現代女性が担う重圧と生きづらさを描き、日本でも話題を集めた、
ナムジュのベストセラー小説を、トガに幼き瞳の告発、新幹線ファイナルエクスプレスのチョン・ユミとコン・ユの共演で映画化。
結婚を機に仕事を辞め、育児と家事に追われるジオンは、母として妻として生活を続ける中で、時に閉じ込められているような感覚に襲われるようになる。
単に疲れているだけと自分に言い聞かせてきたジオンだったが、ある日からまるで他人が乗りつったような言語をするようになってしまう。
そしてジオンにはその時の記憶はすっぽりと抜け落ちていた。
そんな心が壊れてしまった妻を前に、夫のデヒョンは真実を告げられずに精神科医に相談に行くが、医師からは本人が来ないことには何も改善することはできないと言われてしまう。
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監督は短編映画で注目され、本作が長編デビュー作となるキム・ドヨン。
どこから喋ろうかなって感じなんですけど、あれですよね、最近のMe Tooとか諸々含めたフェミニズム的な流れの中ですごい注目されている作品で、評判だけ聞いてて明らかこの作品はすげーなっていう予感はずっとあったんですよね。
まず原作の方の小説、僕は読んではないんですけど、小説の概要みたいなのを聞いた時点で、この小説やべーなってなったのが、
キム・ジヨンっていう名前が韓国の82年生まれの女性の中で最もポピュラーな名前であるというところで、本のタイトルが付けられているんですけど、
要はその最も平凡な存在というか、最も普遍的な存在としてキム・ジヨンっていう名前が選ばれているっていうことなんですけど、
ほぼイコール、名無しってことですよね、最もポピュラーっていうことは。
その年によく付けられた名前とかって、その時代をある程度象徴するような名前として扱われるっていうことはあると思うんですけど、
このキム・ジヨンっていう名前に韓国の状況下に置かれている、この時代の女性のすべての状況が預けられているっていうコンセプトで小説が作られているってことですよね。
それを聞いた時点でやべーなと思ってて、小説を読むところまでは諸々で至ってなかったんですけど、
映画家ってことで絶対見ようと思ってた映画で見てきたって感じですね。
まずここから言っといた方がいいと思うんですけど、僕は寄婚者なんですよ。
奥さんいて、あ、奥さんって言っちゃった。
ダメっすね。
妻ですね。
妻がいて、ある程度作中の夫の方に感情移入できる立場ではあったって感じではあるんですよね。
夫、デヒョンか。
デヒョンに感情移入できる立場ではあったと。
夫婦生活の中でも平等にしようって気持ちはあるんですよ。
子育てとかを、子育てを手伝うっていう考え方じゃなくて、自分が対等の立場としてやるっていう風なのは心がけて。
その心がけてっていう時点で、多分僕の中に過不調性的な考え方あるってことだと思うんですよね。
だからこの映画見てて全然他人事として見れないというか、距離を置いて見れなかったんですよね。
このデヒョンっていう夫が、ごめんなさい、このポッドキャストはネタバレしますんで、今からゴリゴリネタバレしていきますね。
この夫のデヒョンっていうのが、妻に対してすごい理解のある夫として描かれてはいるんですよ。
この妻のジヨンが、もともと広告代理店に勤めてて、教養もあって収入もある程度あったような能力のある女性として描かれてるんですけど、
その女性を子供が生まれて専業主婦にする形で、デヒョンは自分が仕事をして稼いでるわけなんですよね。
その中で、ただ現代的な子育て分担、家事の分担っていう考え方の中で、家事であるとか子育てをしようっていう意識はある。
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で、やろうとしようとはしてるんですよ、そういう分担っていうものを。
ただそれをやってあげるっていう意識でやってるのはやっぱ出てるんですよね。
それは例えば、子育ては分担してないといけないよなっていうことで、子供の面倒を見るとかっていうのはやるんですけど、
例えばその洗濯物を畳むとか、そういう子育て以外の家事っていうのは、ジヨンがその作業をしてるのを座って待ってるんですよ、デヒョンは。
ここはね、ちょっとね、ほんとあんまり言いたくないんですけど、あるんですよ、僕そういうとこ。
なんかここやったから、ここやらなくていいよね、みたいなのの洗濯をちょっと自分に甘い方に洗濯しようって意識、正直あるなと思ってて。
意識的にそうならないようにしようとはしてるんですよ。
ただ結局それ、努力しようとしてるってことは、根本にはそれを持てていないってことなんですね、そういう分担意識っていうもの。
だから作中のデヒョンの言動がいちいち、これは、なんかここの部分、自分同じことしてるわ、みたいなとこがちょこちょこあったんですよ。
で、さすがにデヒョンは明らかにやってやってるみたいなオーラを出しまくってるんで、それはダメだって言うとこは大部分がそうなんですよ。
お前それはダメだろ、ダメだろ、ダメだろってとこいっぱいあるんですけど、たまに同じ状況に置かれたら自分その言い方するわ、みたいなのがね、結構あったんですよね。
それがね、悔しくって、あ、知恵分やっぱできてないんだと思っちゃったんですよね。
で、この映画見に行く前に、やっぱりこうなっちゃうんじゃないかなって予感はしてたんですよ。
自分が、え、俺って女性の権利向上意識ある男だぜっていう気持ちがあったんすよ。
で、案の定それに対してカウンターパンチをくらったって感じだったんですよね。
できればこの映画で起きていることに対して、一個も夫のデヒョンに同調してしまわずにフラットに見れたらよかったんですけど、
ずっと自分がこの状況に置かれたとき、夫のデヒョンの立場だったら何を行動するかな、何を話すかなって思いながら、シミュレーションしながら見てたんですよ、自分がその立場だったらね。
そうしたらたまに、それはダメだ、それはダメだろうって思っている中に、急に、あ、同じことしちゃうわっていう瞬間が来たんですよ。
悔しくって。
正直僕、フェミニズム的な考え方をちゃんとやってるとは思ってはなかったんですけど、心劇業としてはいたんでしょうね。
で、やっぱそのテスト受ける前って100点取るつもりで受けるじゃないですか。期待値は違いますよ。
例えば入学テスト受けたときに100点取れるという期待値でやってはいないと思うんですよ。
80点ぐらいになろうな、それぐらいで求大点だろうなっていう目算は立てると思うんですけど、心意気としては100点取るつもりでやるじゃないですか。
この映画を僕は100点取るつもりで見たんですよ。
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そうしたら多分75点ぐらいだったんですよね。
その75点が結局誰かを傷つけている25点ですよね。
それはその25点を食らっているのはうちの妻じゃないかもしれないけど、どこかにいる誰かの可能性はあるわけですよ。
ここはね、やっぱりちゃんとしたいなと思いましたね。
フェアになりたい。フェアでありたい。
で、自分がフェアでありきれなかったっていうことが悔しいなと思って、ちょっといろいろ本当に心がけを変えないといけないなって思った映画でしたね。
映画の中身というより自分が感じたことみたいな話が先端しちゃったんですけど、
この映画の内容の話に行くと、韓国って過不調性が強い国だとは言われてて、日本にも近い部分はあるんですけど、
多分日本よりどっちかというとその傾向は強いとは言われてますよね。
確かに作中で描かれている夫側の母に対する気の使い方とかっていうのは日本でもあるけど、より気を使っている感じはあったんですよ。
でね、夫の実家に帰った時に義母に働かせちゃいけない駆け引きみたいなのがめっちゃ嫌な感じ。リアリティがすごくて。
あの辺りね、日本にもあるからね、あれは。
あとジオンがもともと出産して仕事を辞める前の広告代理店の中での出来事とかですごい仕事ができる先輩がいるんですよ。
チーム長っていう女性がね。女性のチーム長という方がいるんですけど、その方がより上の上司から傲慢で男だったらよかったのにみたいなことを言うわけですよ。
それ言っちゃダメだろうみたいなね。周りの全員がね、おいおいみたいな顔をしてて、それに対してチーム長がやり返すわけなんですよね。
そこで男性上司が言ったことに対してはあっちゃーみたいな顔だけするんですけど、チーム長がやり返したタイミングではそれは言い過ぎですみたいなね。
女性側にはブレーキかけるみたいなね、そのあたりのめっちゃあるんだろうなとか嫌なリアリティですよね。
セクハラが問答無用でOKなわけじゃないけど、これってセクハラだっけ?今やっちゃダメなんだよねみたいなことを言いながらセクハラするみたいなポストモダンセクハラみたいなのあるじゃないですか。
セクハラっていう概念が生まれてそれが共有された上でのセクハラみたいなのあるじゃないですか。
それね、めっちゃあるんですよ。僕もリアルで見たことある、それは。
女性に対して夫婦生活のこととかに踏み込んだ会話をした後、最近ってこういうの言っちゃ怒られちゃうんだよねみたいなので、それに対して、
いやでもそれぐらいの会話だったら大丈夫ですよって言ってもらうためにそれを言うんですよね。
これって最近セクハラなんだっけ?って。完全にパスを受けるポーズをしてるんですよ。
それはセクハラじゃないですって言われるための言い方をしてるんですよね。
そこがね、あるある、めっちゃあるある。
そのセクハラじゃないっていうワンクッションを入れることでセクハラじゃないということにしたい言動みたいなのね、あるんですよマジで。
あのあたりのね、嫌なリアリティすごかったですね。
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あとまあ、男性社員が自分とこの女性トイレを盗撮してその動画を共有していったっていうのを面白がって会話してるみたいなところでもそうだったんですけど、
結局男同士でキャッキャやるためにそういう性暴力的なものを材料として使うみたいなのってめっちゃあるなと僕は思ってて、
全員とは言わないですけど、一部の男性にとって性暴力って男同士の絆を強めるためのツールなんですよね。
吐き気燃すでしょ、考えただけで。
ほんとイラストのね、そういう人間がいるってことが。
でもね、ガチでいるんですよこれが。
で、その実際、夫のデヒョン、デヒョンって名前で見てなかったんだよね。
自分で見てたから名前覚えてないの。
このデヒョンって、要はね、仕事できるわけですよ。収入も絶対あるだろうし。
ジオンがもともと広告代理店に勤めれるぐらいの有能で収入のある女性だったわけなんで、
その女性を専業主婦にしてまで自分が働く稼ぎだけで生活をやっていけるっていうのは相当稼いでるはずなんですよね。
でね、その、そういうガッツリ稼いでる業界。
で、特に韓国なんて今、日本以上に格差が広がってるって言われてて、
有料企業、上層の企業って相当上昇志向がないとやっていけないはずなんですよ。
で、そのね、上昇志向が強い人間たち、
その上昇志向が強いキャリア志向の男性たちっていうのの男同士で偏ったことをしたい。
願望ってこれね、めっちゃあります。
本当に。
最近僕、仕事上でビジネス系のYouTubeとか見ることがあるんですけど、
言いたくないけど、ビジネスYouTuberってめっちゃ性差別的っすよ。
本当に。吐き気燃やしますね。
いくらノウハウを勉強するためとはいえ、
なんでこんな人間性腐った奴らの話聞いてんだろうって思いながら聞いてますからね。
うーん、なんかこれを許容してる自分がもうダメなんだろうな。
悲しいっすね。
本当悲しい。
結局その結果が僕が75点取っちゃうんすよ。
75点ってそれなりに自己評価高いですけどね。
それなりに頑張ってるつもりはある。
ただやっぱり25点押し切れないんですよね。
100点取れない人間になっちゃうんすよ、そういう世界にいるから。
悲しいっすね。
ただね、12年生まれキム・ジョン。
ここまで映画としてできるかって言われると、そうは思ってなくて、野暮ったいんですよね、割と。
結構ステレオタイプな人物像で描いている感じの話にはなっていると思います。
ジオンの描き方もデヒョンの描き方も、周囲にいる人間たちの描き方もね。
そこまで単純ではないとは思います、実際の社会というものは。
この映画自体がある程度、元の原作画ですかね。
女性に対するエンパワーメント的な意識。
エンパワーメントでもないのかな。
力づけるというよりもシンパシーですよね。
傷を共感してあげるみたいな感じの話なのかな。
フェミニズム的な明確にもって作られている映画で、
韓国ないし、世界中の女性に対して分かりやすく表現されるべき映画として作られていると思うので、
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その分かりやすさがステレオタイプにつながっていたのかなと思います。
それが僕は悪いことだとは思わないですね。
その分かりやすさがこの映画の価値になっていたのかなと思います。
ただ物語としての奥行きみたいなのはちょっと欠いてるなと思うんですよね。
語り口としてちょっと重々しい。重々しいじゃないな。野暮ったいですね。
野暮ったいって言い方が一番いいと思うんだけど、かなと思いましたね。
そのあたりはね、うまかった映画が同じく今年公開のハチドリなんですよね。
ハチドリはこっちも映画読得の解説を読ませていただきます。
1990年代の韓国を舞台に、新規の少女の揺れ動く思いや家族との関わりを繊細に描いた人間ドラマ。
ちょっと長くなっちゃうかな。
ウニっていう少女がいて、94年が舞台なんですよ。
14歳の少女ウニが結構断犬的な家庭に生まれて、
お兄さんがいるんですけど、お兄さんの進学のためにウニとその姉妹、妹だったかな、姉だったかな、ちょっと忘れちゃったんですけど、
勉強とか進学とかで割り送っているような感じなんですよ。
キムジオンのジオンの幼少時、幼少時じゃない、少女時代と境遇が似てるんですよね。
ジオンの家も男兄弟、こっちは弟なんですけど、ジオンもウニも父親が男兄弟を優先して娘を内側城にするような断犬的な父親として描かれていて、
母親は自分の兄弟の進路のために自分の進学を諦めた女性なんですよ。
ウニの母親もジオンの母親も。
すごい境遇が似てるんですよね。
ハチドリが94年時点で14歳なんで、80年生まれなんですよねウニが。
かなり時代も似てるんですよ。
ウニが80年生まれでジオンが80年生まれだから、境遇も似てるってことになるんですよね。
このあたりのキムジオンの方も大人になって専業主婦になるまでにも、
ジオンはずっと男性遊戯的な社会からずっと誘惑されてきたっていうのを描くんですよね。
とした少女の時代から女らしさ、女のロールみたいなのを押し付けられたりとか、
女学生になったら痴漢をしてきた男子学生から威圧されたりとかですごい傷ついたりとかね、
社会自体が構造的に持っている女性差別的な暴力っていうものに
ちょっとずつちょっとずつジオンは削られてきたっていう描き方がされるんですけど、
ウニはそれの現在進行形なんですよね。
当事者なんですよ、その抑圧の。削り取られていく。
で、その中で描かれていく物語なんですけど、ハチドリは。
こっちはね、あんまりステレオタイプ的ではないし、ステレオタイプ的な要素はほとんどないな。
結構そのね、複雑さがあるんですよね。
例えばその父親に優先されているウニの兄が、そちらはそちらで、
男性的なロールを過剰に背負おうとして苦しんでいるっていう描写が入ったりであるとか、
男性側が受ける断言的な社会からの抑圧みたいなのも
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描かれてたりがするんですよ、ハチドリの方は。
この辺りが包帯的にフェアだし、文学的な味わいになっているなって思うんですよ。
で、キム・ジオンはやっぱり奥行きみたいなのよりも
女性の抑圧っていうものをより分かりやすく表現した、
よりポピュラーな作品としては作られているなと思ったんですね。
その辺りはちょっと僕は野暮ったい映画だなと思って、
ハチドリはこれと比較するとやっぱり複雑さが良い映画だったなとは思います。
好みの問題ですけどね。
キム・ジオンの方がよりグローバルスタンダードに通用する作りだなと思うので、
ハチ人で生まれキム・ジオンとハチドリは本当に見比べてみるのありだと思います。
それぞれが相互に補完するような趣もあるかなと思いますね。
で、ちょっと続きになるんですけど、
ウニとジオンそれぞれの救いみたいな部分なんですけど、
ウニは抑圧された暮らしの中で漫画を書くことを救いとして見出していくと、
ジオンの方は小説を書くことを救いとして見出していく、
みたいな構造を持っている話なんですけど、
ただですね、ハチ人で生まれキム・ジオンの小説、原作の小説の方は、
最後あんまり希望がある終わり方をしないっていう風に僕は聞いてて、
そっちの方が誠実っていう方もいるんですよね。
確かにそれはそうだなと思って、
映画の方はやっぱり欺瞞的なんですよ。
なんか急に最後だけポンってちょっとだけ上手くいってよかったよねっていう風な言い方にはなってて、
そこは欺瞞にも見えます、確かに。
欺瞞的にも見える。
あれをどう受け取ったらいいかってちょっとあんまり想像力できてないんですけど、
せめて希望が示すべきなのか、
それは単なる願望でしかなくって、
より絶望を深くするだけの一瞬の光でしかないのかみたいなのがね、
ちょっとわからなかったですね、
82年生まれキム・ジオンのラストに関しては。
ほとんど自分の話として見てたんで、
意外と一個一個のシーンが残ってないですね、
82年生まれキム・ジオンは。
やっぱりちょっと抽象化というか、
似画化がかなり強くされてたなと思ったので、
映画としてはそこまで好きじゃないですね。
自分自身の倫理的増やさのリトマス試験史としてすごい価値がある映画だと思いました。
それで僕は75点撮りました。
75点撮ったというよりは、
25点を間違えました。
そういう映画でした。
世の中はよくしたいっすね、本当に。
以上です。
はい、では今回のポッドキャスト吉野映画作家第6回、
82年生まれキム・ジオンの話は、
ここで終了させていただきたいと思います。
この後続けてもう一本ポッドキャストの収録しようと思ってて、
Twitch上ではそのまま連続した形としてやろうかなと思ってます。
次はですね、劇場版バイオレット・エヴァーガーデンの話をしようと思ってるんですけど、
全然キャラクターの話しないと思いますよ。
ほとんど僕の姿勢感の話しするんじゃないかなと思って。
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死の捉え方がいい映画だったんですよね。
死の捉え方が好きな映画だったんですよね、バイオレット・エヴァーガーデン。
どうせ死ぬのになぜ生きるのかみたいなのがある映画だったなと僕は思って、
もしキャラクター的なことを魅力に感じられてた方がいたとしたら、
僕の話あんまり面白くないかもしれないですね。
この後、私は続けておりますが、
ポッドキャストとしては一回ここで終わらせていただきたいと思います。
それでは次回またお会いしましょう。さよなら。
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