今日のテーマトークは秒速5センチメートルです。
はい、ではマリオさん解説お願いします。
はい。映画.comより解説を読ませていただきます。
君の名は雀のとじまりの新海誠監督による2007年公開の劇場アニメーション。
秒速5センチメートルをストーンズの松村北斗主演で実写映画化。
1991年春、東京の小学校で出会った遠野隆と篠原あかりは、お互いの孤独に手を差し伸べるように心を通わせるが、卒業と同時にあかりは引っ越してしまう。
中学1年生の冬、吹雪の夜に栃木岩船で再会を果たした二人は、雪の中に立つ桜の木の下で2009年3月26日に同じ場所で再会することを約束する。
時は流れ2008年、東京でシステムエンジニアとして働く高木は、30歳を前にして自分の一部が遠い時間に取り残されたままであることに気づく。
あかりもまた当時の思い出とともに静かに日常を生きていた。
高木と心を通わせていくヒロイン、篠原あかり役を高畑美月。
高木に思いを寄せる高校の同級生、澄田かなえ役を森奈奈。
高校時代の高木役を青木ゆず。
高木の会社の同僚、水野梨沙役を桐生舞が務め、その他に宮崎葵、吉岡秀孝が共演。
アットザベンチで注目を集めた映像監督、写真家の奥山義之がメガフォンを取り、愛に乱暴の鈴木文子が脚本を手掛けた。
では内容に触れる話に入っていきますので、ネタバレ気にされる方は是非見てからこの先は聞いていただけたらと思います。
マリオさん最後に。
今回ばかりはそうなれますよね。
わかりました。最後で。
オイスさんいかがでした?
すごく良かったところと、そのまま飲み込めないなってところと、そこが両方あるけど、総合的には良かったかなっていうぐらいなバランスで自分は落ち着いてはいます。
アニメ版は実は僕そこまで刺されてなくて、見た当時。
当時高校生だったっていうのはかなりデカいと思うんですけど、その当時だったんでやっぱりちょっとセンチメンタルすぎるというか。
高校生にはちょっとね。
そうですよね。高校生がそんな後ろ見てたらダメですからみたいな。
30歳になったらこうなるの?みたいな。
怖ってなったのはこうやって。
なるほど。
あんまり惹かれてなかったんですね。
その後20歳ぐらいで見た時に、なるほどこういう感じかっていうようやく落とし込める感じがあって、今回っていう感じなんですけど。
実写になったことで、ある程度原作アニメーションのいろいろな部分をちょっとずつアジャステーション変えてたところで見やすくもなってはいるし、
ちょっとテーマ性みたいのを少し切り替えてるような気もしたというか、恋愛における思い出の話というよりも、
それが良いか悪いかは一旦置いておくとして、30歳で大人になる話っていうところにどちらかというと視点が行っているような気がする。
もちろん原作にもそれはあるんですけど、そこをより強く打ち出してる気がして、
そこは今回の実写映画で大手配給で描けるっていうところのバランス感としては、なるほどなっていう感じは受けましたし、
あとはアニメでそもそもやってたところを実写化することの強さというか、
あ、こうなるんだっていうところの面白さが、特に高校生編ですよね。
あそこはちょっとすごかったです。
結構感動しちゃいました、あそこだけでも。
森永島のところは本当に解釈としても非常に一致するし、
アニメでは少しやっぱり背景になっていた森七が演じる役柄がかなり主体性を帯びているというか、
自分そこに息して歩いてるって感じが、もちろん実写の役さんがいることですごくあって、
そこの細かい実写ならではの部分っていうのはすごくよくできてるなっていうのと、
監督がかなり原作にリスペクトを加えた上で、
じゃあ現代でそれを映像化するのはどうするかってことをよくよく考えて作られた作品なんだろうなとは思いました。
ただ一方で、現代版のアカリパートに関しては割とどうなのとは思ってるっていうのは言いたいなとはちょっと思ってるところはあります。
これはたぶん後々話していければなと思ってるんですけど、
そこを少し優しすぎないかなっていう、
もうちょっとドライでも良かったんじゃないかなっていうのは個人的には思いましたっていう。
そういう感じです。
僕はですね、ものすごく解釈一致の部分と解釈非一致の部分が結構両極端に振ってる部分があって、
結構僕前半はむちゃくちゃノリに乗って見てたんですよね。
小学生パートですね。
だからアニメ版で言うところの第1章、大河章の小学生のパートと、
あと第2章、コスモアウトの高校生時代の話はもう今回むちゃくちゃよくて、
ただ、どうしても現代だから第3章秒速5センチメートルの章を肉厚にせざるを得ないんですよね。
絶対時間が1時間も伸びてるんだから。
そこでこう微妙に解釈がずれる部分があったなっていうのはあって、
それをやっちゃうと結構良くない感じに見えるなっていうのはありました。
っていうのはあったんですけど、
ただ全体的な方向性としては、
この番組でも僕とマリオさんが2人でアニメ版の方の秒速5センチメートルの時の話をしたことがあるんですよね。
もう3年以上前なんですけど。
あの時にアニメ版のラストは過去に縛られるんじゃなくて、
前に進む決断をしたところなんだっていう風な話で、
結構世の中では秒速5センチメートルは呪われる話っていう風に言われがちなんですけど、
そうじゃなくて、そのから抜け出して前に進む話になったって話をしてて、
そこの解釈は一致してる部分もある。
ただその呪いがよりちょっと悪視するっていう部分も本作の中にはあるなって思って、
僕はもう桜のとこ行ったらあかんやんって思う。
そこはね結構、実写版になって番面が増えたことで、
行間ってそれがあったとしたら結構高木よりあかん人間に見えるなっていうのがちょっと際だったかなと思う。
ただアニメ版の時よりもよりあかん人間だったものが前に進んだ話としては良かったのかなっていう風に
一晩経ってちょっと落ち着いてるっていう感じです、現状は。
以上です。ではマリオさんいかがでしたか。
そうですね。むちゃくちゃ喋るのむずいな。
もうちょっと原作が人生に食い込んでいる人間の話なので、
この作品の個別のどういうとこがどうでみたいな話よりも、
自分と秒速5センチメートルとはみたいな話になっちゃうんですよね、どうしても。
そういう意味では、僕原作を見てからここに至るまで見え方が変わっていってるんですよね。
さっき山口さんが言ってたように、すごく過去にとらわれる話というか、
ただただすれ違ってしまったという強烈な思い出に引きずられてしまうみたいな、
それがインパクトのあるラストを、僕も最初そういう風に受け取っていて、
そこに打ちのめされたみたいなところがあるんですけど、
でもやっぱり時間を減るごとに、これは過去を断ち切るというか、
そういったことも含めて人生だし、だから世界は美しいみたいな、
そういう文脈というか、開かれたものっていうのを提示しようとしてたんだっていうのを、
多分前回山口さん自身も伝えなかったことなんだろうけど、
ようやくそこにショック療法がでかすぎたので、
そこに至るまで時間がかかったんですよ、やっぱり。
っていう流れを初めて見たのが大学生の時ですけど、
そこから大人になって、今までの間にこうやって、
考えがシフトチェンジしてきたみたいな感じがあるんですよね。
なのでそういう意味では、僕も少しずつ大人になってきたし、
秒速5センチメートル、さっきも一緒に大人になってきたんだなっていう感覚が、
今作からすごいあったというか、
僕が考えてたことをちゃんと言語化してやってくれてるみたいな作品になってて、
めちゃくちゃ嬉しかったです。
しかもそれを作ってるのがめっちゃ僕と同じぐらいの、
同世代ぐらいの人たちが作ってるみたいなことにめちゃくちゃ嬉しかったっていう、
感激したし嬉しかったっていうのが感想ですかね。
ただ一方で、深海誠、深海誠、
この原作を同じぐらい30代ぐらいの年代作ってるっていう意味で、
そのヤバさも際立つんですけど。
あ、そっか。
間近ってなったんですけど、
ただ、僕は30代ってそれぐらいの、
深海誠作り上げたような繊細さ、鋭さみたいなのは、
持ち合わせてない音なんですけど、
ただ僕と同じぐらいの感じで丸く収まるじゃないけど、
考えてきた道筋みたいなのが残る秒速5センチメートルになってた。
っていうことが何より嬉しかったです。
もうそれにつきます。
はい、以上です。
はい、ではお便りいただいてますので紹介させていただきます。
では1つ目、マリオさんお願いします。
えーと、光幸太郎さんからです。
エンドロールが始まったとき、涙でぐしょ濡れになった手で小さく拍手しました。
乾いた今、文章を打っています。
これはすごい。秒速を改めて作ること。
これまでの新海誠作品が好きであること。
実写として演者に秒速の物語を託すこと。
すべてに真実なこれ以上ない自由回答を見せられ、
感極まるばかりです。
決して断絶ではないし呪いでもない。
素晴らしかったです。
そしてこんなにも店長メンバーの方々の感想が気になる映画もありません。
配信楽しみに待っております。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
すごいテンション。
気持ちわかるわ。
一緒ぐらいのテンションですよね。僕もね。
そもそもね、実写化できるんですか?みたいな。
思ってたじゃないですか。
実写化する意味があるのか。
そうそう。あるんですか?みたいな。ここですよね。
原作がアニメ作品ということで、
感情移入しやすいものだと思うんですよ。
そもそもこれ、前マリオンさんと個人的に話してたことなんですけど、
高木はノーバディーであるべきだっていう話をしてたんですよ。
何者でもない存在であるべきっていう。
観客の感情移入の対象のための存在なのだから、
何者かであってはならないっていう存在なんじゃないかって話をしてて、
実写になるっていうことは、それは松村北斗を代入してしまっている状態なんですよね。
見るこっちが代入したいボックスの中に入れない状態で始まってるから、
本来の秒速5センチメートルの原作がアニメにあった、見た時の感覚にはなり得ないと思うんですよ。
史書説的な感覚にはなり得ないから、
ちょっとやっぱり距離感がまず変わってるなっていう。
やっぱり劇映画を見てるっていう感覚だったんですけど、
本当に原作の方は主旗を読んでる感じというか、
超パーソナルな心情風景の話を延々と見ているみたいな感じですよね。
そもそも面白い面白くない話が進んでないと思う。
それはそうっすね。
もうその中、独り言ですよね。
独り言に、「俺もわかるぞ!」みたいな。
もうそこにうなだれちゃう人はそこにめちゃくちゃ刺さっちゃうし、
何言ってんだこいつみたいな。
なる人はもうとことんダカツのことを嫌うみたいな。
そういう作品ですよね、本当はね。
そこに肉を与えたというか、地肉させたというか、
まさにその実写化することで実来感を与えていると同時に、
物語にしているっていう。
そこで絶対にずれるんですよ、元から。
ただ、そこはおかしくはなってないっていう風な感覚で僕は見ましたかね。
そもそもあの原作を2時間の劇映画に落とし込んだらこうなるっていうのは、
それはそうだなっていうのは思ってましたね。
本作を見てて思ったけど、モノローグ分け少ないですよね。
結構もう、業館とか役者の表情とかにタクスみたいな形。
演出とかですよね。
タクスっていうことをしっかりやってましたよね。
僕は見やすくはなってる、じゃなってるっていう。
一本の映画としてめっちゃいいみたいな感じですよね。
そこクリアしてなかったらさ、語る土俵に立ってないですみたいな話言ったら
死なきゃいけなくなっちゃうから。
僕今回、初日の夜の会見に行ったんですけど、
結構人になってて、
秒速5センチメートル呪われた人ばっかりなのかなと思ったらそんなこともなく、
女性の観客の方もすごい多かったんですよ。
若い人も多かったし。
やっぱりここまで実績を積み上げてきた、
真壁真琴の君の名は以前の名作と言われる一つをもとにした実写映画っていう、
そういうメインバリューもあるし、
松永くんっていう、
役者さんのメインバリューっていうのはあるので結構スター映画になってる。
そうですよね。
で、その広く見られるべき対策として仕上げているものが、
やっぱり原作のあの空気感を再現してしまったら、
たぶんポカンってなるしね。
思わないって評価になる。
そうですね。
そこで面白い映画になってるっていうのは結構大事なことだったなぁと思いましたね。
これこそなんか脚色の妙ではないですけど、
どうやっぱ話の展開からしてもだいぶね流れも変わってるし、
何を出すかっていったところまで含めて、
じゃあこの秒速5センチメートルの持ってるテーマって何よみたいなのをめちゃくちゃ考えて、
今現状を考える最高のラインで出せてるっていうのはまず嬉しすぎるっていう感じですね。
ただね、そこでちょっとどうしても話盛り上げる要素として組み込まれた新要素が、
結構本来のテーマからずれてるなっていうところがあって、
僕それ一番気になってるのはニアミス多すぎ問題。
はいはいはいはい。
そうですね。
いわゆる物語の駆動のためにって感じがしますよね。
確かに。
原作は小学生というか中学校に入ったタイミングで最後に会って、
それっきり会ってなくて、
メールのやり取りもしてない状態で、
もう10年何年も連絡も取ってない状態で、
人生で人と会う確率はもう0.00何パーセントっていう、
その人と人と出会うことが奇跡なんだっていうことを語られながら、
その限られた機会、
人生で一度あるかないかっていう、
再会できる機会をあわずに終わらせるっていう、
そこにタカキが前に進んだっていう、
人間の友達の話なんですけど、
ニアミスチャンス多くて、
ゲームマスターが、
お、再会チャンスですって言って20年台数振ってる感じが多い。
20分の1で会えますみたいな。
なんかもうちょっと設定ミスってないかみたいなね。
もうちょっと倍率高め、だいぶ厳しくした方がいいんじゃないかみたいなね。
分かりますよ。
でも逆にですよ。
こんなにニアスミスしてるのに会えないって逆にじゃないですか。
みたいなのもありますよね。
それはそうですね。
ある意味ほぼ理論値出してるのに、
会わないっていうのがやっぱり、
確率の妙とも言えるんじゃないっていう。
これはもう逆張りみたいな意見ですし、
それで言うと、やっぱあれですよね。
あ、タカキ君だったんだっていうのを認知しないままにしてほしかったですね。
そうそうそれ。
名前知っちゃったみたいなのは、
そこまではやらなくてもよかったかもしれないですけどね。
ニアミスだったら永遠とニアミスしてて、
逆にね、してほしかったのは彼ですけど。
だからその、これすごい大事な部分なんですけど、
二人が再会しないことが運命によってなさしめられてるものなのか、
あるいは選択によってそうしたものなのかっていうのは、
めちゃめちゃ大事な部分だと思うんですよ。
予測5センチメートルにおいて。
ちょっとそれが運命によって出会わないようになってるっていうのは、
ちょっとちゃうなっていう感覚が僕はあったんですよね。
会いそうで会わない、会いそうで会わない、
で最後に会えたところでも会わないっていうのは、
もちろん最後の選択はそれでやっぱり際立つんだけど、
会わなかったのは偶然の産物でしかないっていう風にも見えちゃうなっていう感覚はあったんですよね。
だからあれなんですかね、名前見つけても会わなかったのは、
そこは偶然じゃないって言えますよね、そこは。
これはもうなんかあれですけど、
逆張りかなんかあれですけど。
ある種そこがちょっと世界形的でもあるのかもしれないとこかなとは思ったりはしなかったけど。
あと決して断絶ではないっていう風になってるんですけど、
本当にそうだなと思ったんですけど、
ただモチーフとしてすごい重要な宇宙ですよね。
宇宙のモチーフっていうのを、結構今年宇宙を通じて人と繋がるって映画が多かったんですよね。
今年中か去年からですかね。
そうですね。去年からですね。
言い訳のせいで。
名は上がりますよな。
ほぼ思い出しましたよね、プラネタリウムの松村北さん。
そう、プラネタリウムの松村北さんと別のキャラクターでパニック症が今やったので、
これはスリーアウトですみたいな。
ちょっとずらさんかったんかなって思っちゃったというか、あれこれ?
これはどうなんでしょうね。分かんないですよ。
もう完全にかぶせにきてるのか、たまたま似ちゃったパターンみたいな。
松村北さんとはちょっと分かんないですよ、という存在はちょっとかぶりを。
これはちょっと合わせでいいんじゃない?みたいな気がしますけど。
他はちょっと意外となんですかね。
その深海マクト的なモノローブと宇宙っていうモチーフを重ねたときに、
プラネタリウムのナレーションをさせるってむちゃくちゃしっくりくる配置なんですよ。
てか、それでそもそも言い訳のすべてがお好きっておっしゃってたんですもんね。
そうなんですよ。だから好きなんですよ。
それもだから意味決まってるじゃんっていう話だし。
それこそちょっとだけ、奥山義之監督のポッドキャストみたいなの聞いてきたんですよ。
アナっていうタイトルのポッドキャスト。
ちょうどまだ続くっぽいんですけど、秒速5センチ目の今回の話をしてたときに、
作り方のときにキャラクターを分厚い映画で語られない設定運の資料をちゃんと渡したみたいな話をしてて。
あれ?
で、ちゃんとそこで三宅翔監督も言い訳のすべてそういうことをやっててみたいなことを言ってるので、
うちは分かってやってると。
その辺とかやっぱりめっちゃ意識してると。
分かってかぶせたってことですよね、そこ。
そこは分かってた。
でも、進化インマクト的なことをやろうとしたときに、むちゃくちゃいいんですよ。
やり方として正しいとさえ思うと。
そう、正解ですよね。
アニメでモノローグやっても成立するけど、実写でモノローグは結構軽い演出になっちゃう。
そう、軽いと思います。実写でやられたら、全部喋れや。みたいになっちゃうから。
そこをナレーションによってさせる。
劇中で行われているプラネタリブのナレーションとしてそれをさせるっていうのは本当に上手いんですよね、そこは。
要所に絞ってる。
あと、似たようなことをしてたのは、今年で言ったら、星つなぎのエリオ居か。
そうっすね、ゴールデンレコードのワンポップチキンっていうワンポップチキン。そこもかぶってるんですけどね。
あれもね、びっくりしちゃいましたね。
ゴールデンレコードのミム、今年3回目。
ファンタスティックオンの時に確かにゴールデンレコードの話をして、そっからマスターエリオでもゴールデンレコードそのものが出てきて。
で、秒速でしたもんね。
あと、この夏の星を見る。
岡部隆文役の。
あれも、宇宙を見ることで人と繋がるっていう話で、それはエリオもそうだったし、夜明けのすべてもそうだったんですけど。
この秒速5センチメートルって、初め宇宙を見ることはむしろ現実を逃避する手段なんですよね。
人と繋がらないために現実じゃなくて空を見るっていう。
すごい現実的な空を見ますよね。
なんですけど、最終的にそれがもっかい意味が変わって、改めて人と繋がるっていう意味になるっていうのは、これはすごく良いなと思いました。
本当に原作で語っていたけど語れなかったことを、ちゃんと言語化して語ってくれたなっていう感じがそこですね。
まさに夜明けのすべてのところで、星を繋いで星座になるって話をしているのが、まさに今回その文脈を織りにしている感じ。
もうまんまじゃないですか、みたいな。
現代と最近の映画の文脈も踏まえて、ある種相対性的な作品になっている感じがしますよね。
はい、じゃあ次の問題に行きましょうか。
はい。
では、大谷さんお願いします。
はい。
うめこさんからいただきました。
店長メンバーの皆様こんにちは。
私は新海誠監督のファンであり、アニメーション版秒速5cmについてお話しされていた回でこのラジオに出会いました。
個人的に思い入れのある作品だったこともあり、今回お便りを送らせていただきます。
まず、映画にはとても満足しています。
原作の後味の悪さも好きなのですが、本作ではスッキリとした気持ちで映画館を当てにすることができ、これはこれで良かったと思いました。
作品に忠実ではない部分もあるのかもしれませんが、現代30代でいらっしゃる奥山さんなりの解釈が反映された作品としてとても興味深かったです。
また、配役が本当に素晴らしかったです。
特に松村さんと森さん。
松村さんの佇まいや声のトーン、そしてどこか何かを探しているような目はまさに棟のそのものでした。
森さん演じる隅田も好きな人といられることへの高揚感、
目線の先が自分ではないと気づいた時の切なさが鮮やかに伝わってきました。
特にストローが鳴ってしまった時に彼を気にするところ、緊張からくる手先の持ちつかなさは実写ならではだと思います。
一方で少し気になったのは三部構成がなくなっていた点です。
完全に初見の方には少し分かりにくいのでは?と思いましたし、
王家賞やコスモノートという賞のタイトルもとても好きだったので、残しても良かったのではないかと感じました。
みなさんの感想やコメントも楽しみにしています。
キスの代わりめでしたので、岡田お気を付けてお過ごしください。
ありがとうございます。
そもそものきっかけがアニメ版の方の回だったんですね。
2人で喋ってた30分くらいの回ですよね。
あれきっかけだったんですね。
僕まだいない頃ですけど、
僕まだリスナーだった頃ですね。
リスナーとして聞いてはいいですね。
役者さん良かったですね。
良かった。特に書かれてますけど、
モギさんの演技が素晴らしかった。
孫ことなきカナエでしたね。
カナエでしたね。
僕前から言ってるんですけど、
スミダファンなんですよ。
もしというかファンなんですよ。ファナティックなんですよ。
スミダがめちゃくちゃ好きなんですよ。
今回、めっちゃぽい人来たってなって、
面倒くさくて、
強烈な悪の強さが、
やっぱり原作の魅力ではあったと思うので、
やっぱりそこを上手くなった分、
その上手さが逆に物足りなく感じる部分もあるなとは思うんですよね。
原作のアニメと今回実写と直近で見比べたので、
断然思うんですけど、原作はちょっと濃いっすね。
濃い!すごい!みたいな。
ちょっとてんこ盛りっすね、みたいな。
密度が違うとはなって、
それを期待すると多分片透かしを食らうとは思うんですけど、
でもやっぱり僕の中で、
秒速5センチメートルとは何かっていうことを考えて、
こうだって思ったことがきちんとそこに描かれてることの方が僕は大事。
だから本質はトライプルっていう。
そうなんですよね。
そこが大事かなと思う。
もちろん圧倒的な山崎正義の一曲フルで流しますのを、
怒涛の勢いで流すとか、
とにかくモノログまみれで行きますみたいな。
パワフルさももちろん大好きですし、
それは変わんないんですけど。
でもやっぱり実写版でやり成し遂げたことも、
もちろん同じぐらい評価されるっていうか、
僕にとってすごく素晴らしいことっていうふうに思います。
アニメ版はもうそこをこそ魅力にしなきゃせざるを得ない作品だと思うので、
アニメ版がある以上でそれを超えようとはしないっていうところが結構、
同じ方向性でですね。
超えようとしてこないっていうのはすごい好感を持てるなと思って。
そうですね。
同じ方向性でね。
もう一個一段階違うというか、
クオリティのものというか、
すごいことをするでももちろんやりきったらすごいですけど、
そうじゃない方向でやるっていうのはもちろんありというか。
それは多分違う映画でやるべきなのかなっていうのはちょっと思うしっていうのはありますよね。
はい、では次のお便りいきましょうか。
ではマリオさんお願いします。
はい、M原さんからです。
店長メンバーの皆様こんにちは。
いよいよ来てしまいましたね、この日が。
本ラジオの第49回アニメ版秒速回で山口さんが言っていたように、
電車の扉の開閉ボタンを無言で教えてくれるおじさんがいないとか、
言いたいことはたくさんありますが、
ちゃんと秒速5センチメートルしていた作品だったと思います。
本作で特に良かった点を2つ挙げると、
1点目が小中学生時代。
とにかく子役の2人が素晴らしかった。
めちゃくちゃ可愛いし、どことなく松村ホットと高畑の月の面影がありましたね。
あかりが野暮なことを言う子供を2人にバータという場面は、
人によっては弱不念での諸々より呪いになり得ると思いました。
2点目が森七演じる澄田かなえが登場しているシーン全部。
元々秒速で一番好きなキャラクターはかなえですが、
実写版は正直原作を超えたと思っています。
特に強烈だったのが、
カラオケを歌っているかなえが途中で照れくさくなって笑いながら歌うようになる場面。
アニメ映画にはない本映画のオリジナルですが、
率直に言ってこのシーンを考えた人はヤバいです。
カラオケこじらせ人間の自分には本作で最も衝撃的なシーンでした。
以上の2点を含め過去編は非常に良かった本作ですが、
アニメより描写が断然増えた現代パートは説明できるセリフをはじめ、
アニメ版をより分かりやすく見せようとした弊害が違和感を感じる点も多々ありました。
とはいえ、前編を通して十分に本作を楽しんだのも事実。
秒速5センチメートルに未だ呪われ続けている人間として、
本作を皆様がどのように語るか楽しみにしています。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
情報量が多いんですけど、
まず電車の扉の開閉ボタン、これ僕が…
触れてましたよね、秒速開閉ボタン。
これは今回も楽しみにしてたんですけど、なかったんですよ。
アニメ版秒速の回で僕が語ってたのは、
あそこにこの話が、高木とあかりの2人だけの閉じた話じゃなくて、
ちゃんと他者がいる世界であるっていうその表現として、
あそこにその開閉ボタンを押すおじさんがいるっていうことを語って、
僕は本当にアニメ版の中でめちゃくちゃ好きなシーンなんですけど、
それはなかったんですけど、
ただなくてよかったというか、別にいらなかったと思うんですよ。
なぜなら実写だからなんですよ。
実写になっている時点で、
どうしても他者とか、あるいは漢字の世界の存在が、
どうしてもそこにあるっていうのはわかるんですよ。
ただアニメって、どうしても書こうとしてることしかそこにないから、
あの高木とあかりだけの物語のように見える作品世界の中に、
開閉ボタンを押すおじさんをわざわざあそこに挟むことで、
あれが他者とか漢字の世界がそこにあるっていうことを、
ちゃんと示すっていう意思表明だと思うんですね。
アニメの方でそれをやるってことは。
ただ実写であるっていう時点で、
それはもう漢字の世界だし、他者の存在があるんですよ。
全体的に。
だからそれをやる必要はない。
むしろそれをやるのはちょっと苦手くなるというか、
めくばしになっちゃう側面もあると思うんで、
なくてよかったなとは思ったんですよね。
で、アニメ版の方はむしろその、
他者とか漢字の世界がある世界の中で、
それでも自分と相手の2人だけの世界を信じている、
その高木のメンタリティにカタカナの世界系の要素が、
特に何のファンタジーでもSFでもない、
秒速5センチメートルが世界系たるゆえんの要素だと思うんですよね。