おっしゃる通りです。それはそれでね。
で、そこに対して、いや、あの、明の側もちゃんと覚えてます。もちろん程度の差はありますがっていう着地は、今回の実写化は良かったなっていう思いもありつつ、
覚えていてくれるっていうのもまた甘えだなとは思うんですよ。
そうなんですよ。おっしゃる通りで。
うわー、そうなんだよな。わかる。わかりますよ。わかりますよ。わかるんですけど、今回ののは、そうですね、やっぱその覚えているっていうことに対してね。
やっぱその、今回って過去との向き合い方みたいな話になってると思うんですよね。
で、やっぱりこれ、諸に意識してるでしょう、バストライブス。
でしょうね。
っていう、まぁその、去年ですよね、あれもね。去年見て、もう我々もう大人の秒速みたいな感じの話をしたかと思うんですけど、
やっぱそこのことを考えると、僕も同じようなこと考えたんで、バストライブスのこと考えたんで、
それはやっぱ秒速でやってくれることがやっぱすごい大事だったなっていう感じが。
それはわかります。わかります。わかります。
僕の中ではですけど。わかりますよ。甘えだなと言われても、それわかりますけど、過去の話としては、過去を巡る話としては、あれやっぱいるんすよねっていうのが僕の出来である。
だから、感情も逆に伝えないぐらいのバランスでも良かったのかなとか思ったりもして。
めっちゃそう。めっちゃそうなんだよなぁ。
あるのはいいんですよ。だからそれが、そういう風に言ってたっていうシーンがあるのはいいけど、
でも、高木は知らないでも良いんじゃない?ぐらいに思っちゃう。
それは、原作が言葉足らずだったから、今回はちゃんと言葉にしてくれて嬉しいんですよ。
しかもその独白の松村もこさん、めちゃくちゃ良いんですよ。
もう、あそこが一番泣くからみたいな。泣くから。
そうっすよね。そうだなぁ。難しいとこではあるんですけどね。
だから、見ながら救われてはいるんです。ただ、救われていいのかっていう、その疑念が自分の身の中であって。
突き放して欲しいし、救っても欲しいし、みたいな。
でも、多分両方とも過度な理想化なんですよ。ある意味。
過度ではあると思う、それはね。
リアルは、再開して気まずいが本当だと思うんですよ。
ああ、おお、たまたまね、グライドブース置いたんだ、みたいな。
かもしれないですよね、本当はね。
いや、だから、こういうのの多分一番良い音の感の着地は、互いに久しぶりって、
ちょっと休校でも温めようかって言って、カフェでお話しするって、ちょっと話し合いが盛り上がりました。
で、じゃあまた食べる日常を戻りましょうってなったら、それが現実において一番温存な着地だと思う。
それはそうですね、一番平和。
で、彼が語ってたこともちょっとそれに近いですよね。
ちょっとお久しぶり?みたいな。
なんでもない話をしたいなっていう。
その気持ちめちゃくちゃ分かる。
そこをね、やっぱりそれだけのことを応用にしているじゃないですか。
それを言うための話ですから。
そうですか?
ですけども。
それをこう、そうだなぁ。
あとまぁやっぱり本作が劇映画として面白くするっていう側面でなんですけど、
やっぱりこれね、ラブストーリーなんですよ。
初めて見る人にとっては。
我々はそういうものとしては見てないですけども。
初めて見る人にとってはラブストーリーだから、
全く二人の中で何も関係性も生じないまま終わっていく話って、
これって結局10年前に別れたままずっと話が並行してって終わりってこと?ってなりかねないから。
逆にアニメ版のその苦みの方が強くなっちゃうんですよ。
だからそのニアミスしてニアミスして、
最後このお互いにいたのかもっていうそのなんていうか、
相手の存在を互いになんとなく感じて終わるっていう、
せめてもの交流がそこにあったっていうでも、
互いに別の人生歩めますよねっていう風な、
ちょっと苦いラブストーリーの温度感で終わるっていうためには、
ああするしかないというか、
ずっと合わんままなん?みたいなのって、
だいぶこの秒速っていう文脈を経てない人からしたときに、
なんなんこれ?ってなると思うでしょ?
そうっすよね。
これこそ呪いの再生産ですよね。
まあ確かにね。
ああそうか。
だからある人ぞこれある人、なんていうか、
成仏じゃないですけど。
そうなんですよね。めちゃくちゃ成仏みたいな感覚はすごいあった今回。
だからあの、シン・エヴァンゲリオンみたいな。
解き放ってくれるみたいな感覚すごいありました今回。
そうですね。やっぱりこう、いきなり踏切に至るんじゃなくて、
そこまでやっぱりお丈上げしてるシーンがあるんですよね。
そう。
確かにね。
過去のように、
「あ、来た。山内先生。すいませんでした。」
っていうみたいなシーンがありましたよね。
あの水野に対してね。
そうっすね。
そう、あの水野のシーン、あれ僕すごい大事だと思う。
分かるんで。
分かります。
だってあの、秒速5センチメートルによって、
最もないがしろに伝えた存在、水野ですよね。
そうです。
で、小説は結構そこ、ちゃんと埋めてるんですよ。保管してるんですよ。
でも映画はそれできなかったから、
ただただあなたとの心は1センチの繋がりをしたっていう、
強烈な呪いワードを残していくだけの存在になってるんですけど、
結構原作そこ埋めてたんで、
それを取り入れてるんだなっていう感じですよね、今回。
それこそちゃんと映画でやって欲しかったことだったから、
それは嬉しかったですよね。
そこにまさにその、役者さんが陰性、
つぬい肉を嗅いだ人がいる中で、
そこを完全にあれだけで終わらせるっていうのはちょっとね、
そう。そうだったんだよなーっていうのがあったのでね。
いやでも僕、今回見て思ったんですけど、
思ってたより、原作のアニメ版秒速に対して、
結構めんどくせえ感情を自分が持ってたっていうことに気づいて、
だから、高木がこう、もがくというか、
結構キレの悪い行動をしてると思うんですよ。
確かに。
で、それがちょっとお前さ、
未練がましいなって見えちゃうとこもあって、
でもそれってやっぱりアニメ版の方って行間なんですよね。
その高木がチヘと入って乗ったうち回ってるシーンって、
描かれてないから、
山崎正宗流れてますからね、そのアイテムって。
そこをね、流れちゃってますからね。
歌で一気にパーンってやってるとこなんですけど、
そこを見せられると、
なんかそこのまだ決心のついていなさみたいなのが、
語りすぎにも見えちゃうというか、
なんかこう、そもそもイベントなんて減なくても、
日常がそもそも彼にとって虚無も積み重ねるんだったはずなんだから、
イベントなんかなくても、
いつかこの決断に至らなければならない日は来るんじゃないかなって気持ちもあって、
だからあの踏切だけがバンって、
本当にあの、第三章ってそれしかないですよね。
踏切ですり違うしかないから、
でもやっぱそれでよかったというか、
すべてがもう行間なんですよ。
そこを埋めた時に、
いやこいつちょっと無様すぎだわみたいな気持ちが、
ちょっと生まれちゃったんですよ。
だってほんと、あそこで桜の木見に行くかと思って。
いやね、あそこで、
いや、だから個人的にはね、
よくこいつの気持ち悪いことをこんなに映像化してくださったと、
もうあそこね、僕白紙ですけどね、
やったぜみたいな、おーきっしょいぞーっていう、
これはね、ちゃんとダメなとこ落としてくれる、
あれがピークですね、ダメさの。
すごい期待しながら後ろ振り返ってましたからね。
うわーこれはね、来てますね、素晴らしい。
最高のダメ描写ですよ、みたいな。
あれは素晴らしいですね。
そっか、いやー、
まぁなんですよね、そこまでにこう、
描かれてたものもあったとは思うんですよ。
だからそのニアミスを繰り返すわけじゃないですか。
運命によってニアミスを繰り返し続けて、
最終的に自分の意思によってそこに行かないことを選ぶっていうのは
クライマックスかつ結末やと思ってたから、
あ、そこは行くんや、みたいなのがあったんですよね。
もういろんなもの経てもそこで行かないってことを選んで終わりじゃないんだっていう。
まだそっから会えると思ってたんだ、みたいなのが、
なんかすごいダセーと拡散やん、みたいな。
でも人間持ってるじゃないですか。
過去を向き合いすぎてダメだと、わかってます。
でも過去に引っ張られてしまう気持ちもあるじゃん、みたいなものを表出というか。
あそこまで行き来ったあてに、
もうめっちゃ過去が恋しいんですね、ちゃんと言うところ。
もうね、そこがね、僕大好きなんですけど。
バストライブスで彼がニューヨークに行くのとほぼ同じエッセンスで。
一緒っすよ。
うん、そうなんだよなぁ。
めちゃくちゃダセーとこ出してるから、むしろ正しいんだよな、描こうとしたら。
逆にえぐみは増してますけど。
それをかけてえぐいっていうので、やるじゃん、みたいな感じですけどね。
本当、松村ボクトだから義理に出てますからね。
そうそうそう。
それはそう。
義理ですよ。それも義理ですからね。
松村ボクトですら義理なんですから、我々がやったら目も当たらないわけですよ、みたいな。
確かに、もし自分の過去にあの約束したことがあったら、行くかもしれない。
行くかも。
言わないですよ。
なぜですってね。
ちょっとあの辺の、幼い頃にした約束とかに、音になって行くかどうかって関係ないですけど、
エバースのM-1のネタかなって思ってました。
それは行くかどうかじゃなくて、その相談をもって友達こそ大事にするべきだみたいな。
確かにね。
行くか行かないかじゃなくて、そこで真剣にお前のこと考えてくれ。
お前町並みのことを気にするべきだみたいな話なんですけど、本当はね。
それはそうだなぁ。
だから、しっかり、何ていうか、両側の中では、ある意味呪いってこっちが受け取る側だし、
解釈によってこちらも一緒に呪いながら、良い決断をするというか、その痛みを味わっている側だったんですけど、
今回はそれを、ある意味、松本豪夫と一緒に受けてるっていう風にも捉えられるなと。
彼は呪われているのだっていう。
そうか。だから、当時、秒速5センチメートルを見て呪われた人たちの代わりとして、あそこに行く。
人柱としてあそこに行くわけですよ。
あ、そうか。わかってきました。
そうだ。だから、お前たちそういう約束してたら行くでしょって言ったら、こうなるんだぞって。
それなのだろって言う。
で、同じくらいの、僕世代くらいの人が、たぶん同じように呪われて、そう思わないようにしてくれてるんだなっていう意味では、やっぱり、岡山監督の信頼と言いますかね。
あれじゃないですか。この前話した西島秀俊のディアストレイラー。
かっこいい奴にダサく代わりに死んでほしいっていう。
確かに。そういう願望かもしれない。
だって、あんのいて西島秀俊はカッコつけてるから、確かに今回の松本豪夫とは尋常じゃなくダサいんですよ。
でもそれをちゃんと、ある意味客観的に、原則が主観なんであれは。客観的にやるべきっていう。
たぶんそこにしか実写化の方向性としてまずないんじゃないかなって思ってたので、そこをマジで本気でやってくれてるなっていう点で、めちゃくちゃもう解釈も一致してるし、僕としてはめちゃくちゃ嬉しいって感じです。
ああ、そっか。だいぶ正しいってなってきました、今。
あれは代わりに死んでくれてるんですよね。
そっか。やっぱり僕は、踏切のところで一発目で出会わないってことを選べる高木が偉いっていうのがアニメ版の方の良さだと思ってたから、そこまでにダサくもがいてたんやっていうのが解釈違った部分だった。
一発目でそれを選べたお前が偉いっていうところを、そうじゃなかったっていう、この解釈が違うなって部分はあったんですけど、むしろ違うんですね。ちょっとまあ、何だろう、その行間の、いやこいつはずっとダサかったりするっていう。
そして秒速犯のお前たちもダサかったりする。それを乗り越えて今、前に進もうっていうメッセージを原作から受け取ってるじゃないか、みたいなことを改めてちゃんとやってくれてるんですよね。
シニエバですよ。シニエバってなんていうのがあるんですかね。 「さようなら、すべての秒速5センチメートル」みたいな感じですよね。
そうだなぁ、ほんとだ。 っていう気持ちで、ちょっと連想しながら見てました。
まあ、劇中で、ワンモア・タイム・ワンモア・チャンスの主題歌になってた、元の映画なんだけど。 原作の。 原作というか、月とキャベツの話が出てきて、お姉ちゃんが好きな映画なんだっていう文脈が出てきますけど、あれって僕らにとっては秒速5センチメートルなの。
そうですよね。 だから、しかもそれを姉である宮崎亜美演じる姉は覚えてないんですよね。
で、それって僕らにとっては秒速5センチメートルかもしれない、多くの人にとってはっていう。 そこもすごい、全然時代合わせは違うんですけど、すごい当時性を持って作られている作家だからこそ出てくるなぁと思って。
そうですね、確かに。 原作を作っているクリエイターがまずバリバリトップランナーを走っているところに対して何か作りますみたいなのを、それを受けた側の次世代ですよね、30代ぐらい。
そこに回答を出さなきゃいけないという時に、そこから行き着いたものっていうか、それもあるよねっていう。
それこそ、J-POPさっきバンプ・オブ・チキンに出ましたけど、曲線含めてもう30代の人たち、皆さんわかりますよねっていう。
僕初めて、銀河鉄道っていうバンプ・オブ・チキンの、めちゃくちゃドンピシャな曲ですね。 素晴らしかったでしょ。
いや、一回それこそ、星つなぎのエリオンのタイトルにも、バンプの宇宙と繋がってるぞっていう話をしてたんだと思うんですけど。
ラジオ外でも確かに大した話を聞いていて、なんとなく天体感想とか聞いてたし、そういうのわかりますけど、こんなにドンピシャだと思ってなかったです。
そうなんですよ。こんなにドンピシャなんですよ。
ちょっとね、ビビりましたね。
ていうかね、曲使いね、ちょっと凝ったことしてますよね。
レディオヘッド出してくる音とか。
そうそうそうそう。
確かね、曲もなんか、THINKING WITH YOUとかでしたよね。
そうでしたね。だからまさにそこの意味合いを、僕もちゃんとね、あなたの音を考えてますみたいな、音を言うあたりの曲線とか。
ちゃんとさ、高校生の高木がレディオヘッド好きって言ったら、ちゃんとイケスカでいいじゃないですか。
わかるよ、わかる。
そのキャラ付けとしても、レディオヘッドってめっちゃいいなって。
で、しかもそれをなんで買ったの?って言ったら、ラジオ売り切りと思った。
ああ、もうイケスカないですよね。
いやぁ、ちょっと田梨ヶ島の田舎の女子高生には刺激が強いですね。
そうですね。レディオヘッド知ってる奴は、そりゃ世界の何かを知ってるだろうみたいな。
気持ちにね、やっぱちょっとね、惑わされちゃいますから。
あ、そうかTHINKING WITH YOUでしたね。
ワンマータイム、ワンマーチャンスの扱いについて話が入らないですけど、
まず、月とキャリアツっていう映画がちょっと触れられて、
ワンマータイム、ワンマーチャンスを、秒速5センチメートル前に扱った映画。
かつ、山崎正義主演っていう映画で、
山崎さんがさっきおっしゃったように、秒速5センチメートルのアニメ版の、
ある種のオルタナティブみたいなものとして、そこにあると思うんですよね。
ちょっとメタ入ってるというか。
あと、僕ちょっとね、なんていうか、変な言い方ですけど、
秒速5センチメートルがワンマータイム、ワンマーチャンスを奪っちゃったみたいな。
間違いないですよね。
元はこっちですっていう。月とキャリアツみたいな。
完全に、ワンマータイム、ワンマーチャンスを主題歌にした映画ってなんですか?って聞くと、秒速5センチメートルって答えちゃうんじゃないですか。
Googleでやったら必ず一応、秒速5センチメートル出てきちゃうんですよ。やっぱり。
ちょっとその、なんていうか、先人に対するリスペクトを取り戻すっていう意味でも結構重要だなぁと思ったし、
あとさっき言ってたメタの部分もあるんですけど、
そこがすごい、なんていうか、憎いですよね。やり方が。憎いねって感じだったんですけど、
ただちょっとね、僕、あれ?ってなった部分があって、
たかきはワンマータイム、ワンマーチャンスを初めて聞いたのは、たぶんあのカラオケのとこですね。
はいはいはい。
だから、かなりに紐づいてる曲だと思うんですよ。
たぶんその後もしかしたら、ワンマータイム、ワンマーチャンス自体を聞いてるかもしれないんですけど、
連写の中でワンマータイム、ワンマーチャンスがちょっとシャカシャカと音盛りが聞こえてきて、
そっから完全に劇版にフェーロしていって、そこから桜を見に行くってなるじゃないですか。
あれ?なんか、あかりのエピソードに紐づいてる曲になってるけど、なんかそうだったっけ?ってなって。
そこを僕結構解釈があって、あかりと一緒にカラオケで聴いてて、歌詞を見るってシーンが差し込まれますけど、歌詞が映るというか、カメラ的に。
そこで、あかりじゃないや。
かなえと。
かなえと。
そこであかりのことしかもう思ってないと思うんですよ。
あ、これ俺のことだなって思いながらあいつ聞いてるんですよ。目の前、隣の人のことは全く聞いてなくて。
だからもう完全にそれに紐づいちゃってるっていう。
もうちょっと、あかりにとっての人生のアンセムと化してる。
そこがあいつのダメなとこなんですけど。
カラオケで偶然聴いた曲からそこまで拾えるのも、買いがありやなってちょっと思ってて。
あと、めっちゃ変な話してますけど、あの世界って山崎雅也氏はいるけど、新海誠はいないってことですよね。
やっぱそこにある、話自体がある種ちょっと神話的であるみたいなところ。
キラーフレーズみたいなもんじゃないですか。
そうですね。
それが実はあんまり大したことないみたいな。
ということでちょっと過度な深刻化を剥がすみたいなニュアンスもこもってるし。
何でもないことが逆に尊いんだみたいな。
部分の繋がりも触れてるなって思いますよね。
なるほどな、そうか。深刻を外すか。
なるほどね。
ちょっとマトリックスのレザレーションみたいな。
じゃないですけど。
もちろんそれはそれで尊くて神秘的ではあるんですけどね。
5センチメートル自体があってもあるけど、
ちょっとそういう何でもなさみたいなのが結構入れてるっていうのは結構大事なことかなと。
現代パートにやっぱりそこ主題ですからね、ほぼ。
そうですね。
そうか。
量測5センチメートルの深刻を解除するっていう映画なのか。
だから高木には一度死んでもらうし、
量測5センチメートルのことは適当だったという風にするしっていう。
結構徹底的に相対化はしてる気がするんですよね、現代パートに見て。
だとしたら実写の意味もありますよね。
そうそうそうそう、まさに。
アニメの世界に我々はリーチすることはできないけど、
実写はまだ虚実、境界線が曖昧な領域だから、
その呪いに我々もリーチすることができるし、
あと月とキャベツが存在することで、
ちょっとよりメタな、虚実、曖昧な世界の中に入っていくことで、
量測5センチメートルっていう圧倒的に静電化したものを、
いや、そんなにすごいことじゃなくって、
ありふれた話なんですよっていう個人の話に戻すみたいな。
面白いですね、その視点。
なるほどね。
これ映画の都合というか、方便みたいなもんにはなるんですけど、
結構編集で過去と現代がシンクロするみたいな感覚が結構ありますよね。
過去に例えば自販機の下り、
同時に押しますみたいなのを大人になったあたりもやってますよみたいな。
あれって要は編集の共通点ある自身をつなぐみたいな、
編集の気持ちよさみたいな。
ある種インフンみたいな感じですね。
みたいな映画の都合というか方便みたいなものかなとも思うんですけど、
一方で過去ってめちゃくちゃ自分の人生で一番大切なことがある過去がありましたみたいな、
話じゃない、なんだどうでもいい過去みたいなのが、
語られたいけど実はそこに息づいてるみたいな捉え方として映画を描いてるんじゃないかなっていう感覚がすごいあって、
それはやっぱり原作のアニメにはちょっとできなかったかなと思ったので、
僕結構そこにまずちょっと感動してるなっていうのは結構ありました。
だから何度も名前を挙げてしまうんですけど、
三宅翔らしさというか、
はかなり今回感じ、まさにフィルム調で撮るっていうところもすごい似てますしねアプローチで。
三宅翔プラスパストライブスでやってるなという感じがすごいして、
でも秒速5センチメートルを実写化するなら見たかったのはこれなんだよなっていうことをマジでやってくれてるんだから嬉しい。
ちなみにマリウムさん逆にここを飲み込めないってとこあったんですか?
飲み込めない!飲み込めないか。
でもやっぱり最初一発目見た時の劇場が映写がちょっとぼやーっとしたとこがやっぱり一番だから、
聞かせすぎちゃうみたいな部分はあったけど、今はそれはもうちょっと若いじゃない。
別にそういうわけじゃないなってなったから、飲み込めなかったところか。
これだけ原作に呪われてる人だから呪われてるというか、ある種根底に紐づいてるからこそっていうのもあるのかなと思ったんですよね。
なんか紐づいてはいるんですけど、これ一回大石さんとかと別にラジオ会とかでだいぶ前に話したことですけど、
卒業しなきゃいけないよねって話をなんか一回聞かれたんですよ。
多分パストライブスの時の話の手前にした気がしますよね、それね。
そうそう。もう自分の人生の中からそれを完全に消し去ることはできないんだけど、
本当にどっぷりというわけじゃないんですよね。自分の中で秒速5センチメートルって。
もちろんこういう場であるし、ネタ的にこういうみたいじゃないですけど、
という使い方はしますけど、そこにどっぷりとかじゃないんですよね、今となってはというか。
それぐらい時間を経て今その境地に立ってるんですけど、
なのでそういった意味ではその境地通りのものが出てきたので、
なるほどね。
結構満足しちゃってるんですよね。
っていうのがやっぱあるかな。あとなんか言い忘したな。忘れちゃったな。
割と自分の中での、現在における自分の秒速5センチメートルの解釈と非常に一致してるっていう。
非常に一致してる。
っていうのを僕と同じ世代のクリエイターが出してくれてることがやっぱり、
見た時期とか。違うと思うんですけどもちろんね。
同じこと考えたりとかして、同じようになられて打ちのめされて、
でもっていうところに多分、境地として自分自身も大人になっていくことで、
過去との上手な向き合い方じゃないですけど、それを全部無理にはしないが、
けどそれが礎となって今を生きる人生の力になってるみたいなのを、
本作でちゃんと描いてるから結構満足しちゃってるんですよね、そういう意味では。
ある意味秒速にかけられた、さっきある人呪いってここらへんはあえて言いますけど、
呪いに対してこの10年、見てから10年間近くの中で自分なりに解除してきたものがあるわけですよね。
それがまさに劇場の中でスクリーンに映ってたっていう。
たぶん原作自演でやろうともしてたこともあるんだけど、
言葉足らずだったっていうことをやっぱり、
シンカイマコト自身もすごくやっぱり結構死刑につたなかったとか、
結構実質だったとかって結構言いがちなんですけど。
秒速5センチメートルに対して。
やっぱりちゃんといろんな人を呪う先になってることも含めてですけど。
そこも自覚されてるし。
だからこその唯一無二な先になってることもまた事実。
そのカルト映画ではあるから。
秒速5センチメートルに呪われた人の呪いを解く作品でもあるし、
秒速5センチメートル自体が呪われてたことを呪いを解く作品でもあるというか。
作った本人からしたら語尾であるっていう捉え方をされている作品ってことですよね。
閉じ込められる作品だからこそカルト化してるんだけど、
本当はそこだけを言いたいわけじゃない。
やっぱり今回は原作アニメでは行間だった部分を徹底的にやってるじゃないですか。
高木のもがきみたいな部分あるいはこの無様さみたいなところを徹底的に描いて、
これを下手上だから踏切の向こうに行かないことを選んだんですよっていう仮定があるから、
そこにちゃんと呪いを解くプロセスがあるって言ったらいいんですかね。
だからいきなりポッて飛んでるからやっぱり呪いに見えるんですよね、原作って。
断絶しました。永遠にここから出られませんとかじゃなく、
いやもうそれら全部やりました。
もう試行錯誤しました。もがき苦しみました。
その上でやっぱりあの踏切の向こうに行かないのが俺の人生なんだって言って選ぶっていうことを、
その仮定が描かれたことで本来のバランスというか、
極端に誇張された秒速5センチメートル像ってあるじゃないですか。
秒速5センチメートルのミームみたいなのってあると思うんですよね。
うじうじしてそこに閉じ込められた男さんみたいな、
いやそれだけじゃないんだけどっていう、本来の解像度を取り戻すようなことを行ってる映画。
確かに確かに。
そうなんですよね。だから本当に初めて見てから今に至るまでやっぱり色々人生を、
それなりには経験をしてきたと思ってるんですけど、とかその間に考えたこととかも含めて、
劇中でもそこでやっぱり大丈夫って言われることがすごく効いてくるというか、
やっぱり高木はずっと過去にとらわれてるっていう、そこの自負はずっとあったと思うんですよ。
ずっと止まってるみたいな、けど時は動いてるみたいな、
その楽さというかギャップっていうところにすごく唸られてたと思うんですけど、
やっぱ最終的にやっぱ、それでも僕は少しずつでも進んではいるっていうことを肯定してくれてるっていうのが僕すっげー嬉しかった。
だから吉岡さんが言ってましたけど、30歳ってことは1歳から始めて地球を一周したんだねっていう可能性があるんですよね。
そうそうそう。そういうのがすごいくるんですよね。
別になんか僕他の人よりなんか大した人生歩んでると思ってないんですけど、
なんか人によっては結婚して子供を産まれてみたいなとか言うと、
僕全然いまだに一人で飲みてペラペラしてるだけなんで、大進めねえなみたいな感じするんですけど、
そんな僕でもちゃんと進む、ちょっと進んでるみたいなこと、
それをきちんとなんかそこに絶望するんじゃなくて、何も進んでないよって思いがちだけど、
いやでもちゃんとあなた進んでますよって言ってくれてることがすごく嬉しかったです。
そもそもね、20代の足踏みなんて足踏みじゃないですよ。そもそも。
何も前に進めてねえなんて、前に進むなんていうこと自体がもう嘘なんですよ。
そうですね。
そんなもん嘘ですよ。
20代の錯覚だからな。
これね、よく言われてたんですけど、多分数字ですから話の一緒だと思うんですよ。
山口さんがよく言ってくれて。
なんか人間の意味が10本だったから生まれた幻なんですよ。
別にそういうのはないんだけど、やっぱり不安になること誰しもあるじゃないですか。
大人と呼ばれる年齢だけど、じゃあ大人なのかな自分って言ったら別にそうじゃない部分もたくさんあるしなみたいな、
っていう不安ってみんな持ってることだと思うんですよね。
そこにすごく今回ドンピシャに刺さるようになってるというか、
それでもあなたは大丈夫ですよって言ってくれてること。
とりあえず頑張ってあなたなりに必死に生きてるんだってことを後悔してくれてることが僕はすごく嬉しいというか好きなポイントですね、この作の。
あいつめっちゃ頑張ってません?
尋常じゃない量の勉強しますよ。
プログラミングほんと頑張ってるんですよね。
そうですよ。立派ですよ。
要はあれって、分かんないですけどあそこの科学館、天王館みたいな、就職してるのかもしれないですけど、
フリーランス的なモチションでプログラミングやってくれませんか?みたいなもんじゃないですか。
フリーランスってそういうのありませんからね、みたいな。
しっかりコードも美しいって言われるシーンもあるし、
家帰って部屋が散らかってるとそこにコードの本がたくさん置いてあるというところもまた、
彼のかげながらの努力みたいなのも見えるし、
リラックスの本とか置いてたなとか。
そう、JavaScriptの本とか置いてあったりとか、
そこの回数とあとは赤本の数とかもそうだなと思うけど、
そこに結局彼が過去に確かにとらわれてるし、
自分はそう思ってるけど、いやいや前進んでたじゃんっていうのも、
小道具で見せてきてるなと思って。
そうなんですよね。本人頑張ってないって思ってるかもしれないけど、
方から見たらすごい頑張ってるじゃん、みたいな。
自分からは気づかないこと、みたいなのをちゃんと言ってくれてるみたいな。
それがすごく大切なことだったりするじゃないですか、みたいな。
そんな些細なこと、みたいな。
明かりに対して明るくないけどなって言ったけど、
彼が明るいって言ってくれたからそのことがすごく大切に残ってたとか、
最後の水野さんへのちゃんと僕とは違うところが好きだったっていうところも大事じゃないですか。
そういったことにすごく思いを馳せるみたいな絵画になってたから、
僕はそれだけがちょっと思い出すとウールしちゃうんですよね。
原作より努力は明確に描かれてましたよね。
そうですね。ちょっとアニメだけ見ると何でもできちゃうやつみたいな感じするんですよね。
そうなんですよね。
サッカーもやって、救助もできるのかい?みたいな感じというかね。
しかも仕事も多分できるでしょうね。
結構できるでしょうしね、みたいな感じがあるんですけど。
持つものの悩みっぽく見えちゃうところはあるなと思ってたんですよね。
そこもしっかり互換されていいんで。
いいなっていうのはすごくありましたね。
本当に僕と描作センチメートルっていう関係性が一緒に成長してきたのが果ての結果みたいな。
結実したものが今そこに映ってるみたいな感じがすごいあった。
確かに。なるほどな。
だからあんまり作品どうこうじゃなくて、
人生って紐づいたことしか言えないみたいな感じで、
何を言えばいいんだろうって思ってきてますから。
ラジオではいいんですけど、この後映画まで何を話すんだろうみたいな。
確かに。
俺の人生の話からするみたいな。
結果そこになっちゃいますね。
僕と描作センチメートルの話から始めますけど大丈夫ですか?みたいな。
そんな話誰も求めてないよみたいな。
ちょっとじゃあエレ派の話をしてみたいんですけど、
カナエのお姉さんなんで東京出てきたか僕よく分からない。
確かに。
エントリー恋愛しててみたいな話がちょっとありましたよね。
そこなのか。
でも一回戻ってもらえるんですかね。どうなんだろう。
一回戻ってまた東京行ってんのかなみたいな感じ。
2回目そうでしたね。
だから一回多分別れて結局パルシェ昇進して一回地元に帰ってきたみたいなことなのかなとは思ったんですけどあのタイミングでは。
だからすごい言の葉の庭だなって思ってあそこだけ。
ちょっとね。
ちょっとありますよね。
いやでもやっぱね好きだからさ。
描作センチメートル好きな人は言の葉の庭が好きだからさ。
ちょっと入れ込むじゃん。
ドコモタワーだけじゃなかったわ。
入れ込んじゃうじゃん。
カナエのお姉さんが一旦外出てたのを種ヶ島に戻ってきて教師やってますっていうので
多分このまま種ヶ島で生きていくんだろうなっていう感覚で見てたんですよね。
そこからの流れでカナエは今後どうするのかっていうことを考えてたんですよ。
で僕はカナエは福岡に行くっていうのが僕の中でも定説だったんですよ。
ちょっと詳しく聞きましょうか。
いやでもねすごくねわかるんですけど。
だいたいね九州の人で女の子で上京させてもらえないことが多くて
結構福岡までだったらOKだよって言いがちなんですよ。文化的に。
あんまそれどうなんだって思うんですけど。
東京まで行かせてやるって思ってるんですけど。
カナエ自体がそんなに地元嫌いじゃなさそうだから
半分地元に軸足を置いてるような生き方をしたそうさを僕はちょっと感じてた。
サーフィン続けそうやなって思ったんですよね。
九州でサーフィンやるんやったら宮崎とかあの辺りになるはずなんですよね確かに。
そうなったらでもちょっと都会のような出そう感を感じてたんで
やとしたら福岡やなっていう。カナエは福岡に行くっていうのが
僕の中でのずっと定説だったんですけど
今回お姉さんが東京に来たことで
カナエは種ヶ島に残ることになるのではという新説が生まれたんですよ。
完全に先生恩師から言われたときに嫌がりながら言うっていうところで。
あ、そこは分かってるんだねっていうのもこちらは分かるし。
いやちょっと黒歴史のことに書いたようなやつなんだよみたいなね。
そういうのはやっぱりその視点はよくありますよね。
そこまではやっぱ成長してるんだっていう。
そうなんですよ。
あと米津玄師の話をしたり。
1991年。
何度我々の前に立ちはだかるんだって感じですけど。
米津玄師。
読めず。
歌詞をもう読んでくださいパフレットありますから。
ちょっと独特な歌い回しするから聞き取りにくいところがある。
どんピチャな歌詞を書くんすよねみたいな。
しっかり劇中にあったセリフだったりを引用しながらってのがまた上手いですよね。
そうなんですよね。
1991って年代の始まりなんですけど。
監督と米津玄師も同じ年齢。
かつミュージックビデオ2本作られてたりとか。
だから僕の1個上なんですよね。
92年生まれなんですよ。
マジで同世代の人が作ってるなって感じです。
ほんまですね。
なるほどな。
タイトルが来にくいんじゃないですか。
いつもだと思うんですよ。
読めずの曲はいつもタイトルが来にくい。
そもそも秒速5センチメートルってタイトル来にくいなって。
まあまあまあ。
例えば原作が大箇所っていうタイトルの映画だったとするじゃないですか。
だとしてそれの主題歌を米津が作ってたとしましょうよ。
秒速5センチメートルっていう局面にしそうじゃないですか。
なるほどね。
劇中から拾ってきて。
この用語拾ってくれんや。来にくいね。
って思いそうなタイトルやなって思って。
そもそも秒速5センチメートルって。
じゃあそれが一回映画タイトルになった時にどこを持ってくるかっていう。
ここを選んできてるっていうのが、なんか波長近いんじゃないかって思って。
じゃないかと波長近いというか。
それこそ藤本拓さん、ちょうどチェーンソーマンも主題歌2本作られてます。
その時に藤本拓先生と対談してるっていうのがYouTubeに上がってて。
その時に藤本拓先生が言ってたのは
米津さんの曲は聞くと映画の解釈になるから、映画見る前に聞かないようにしてるっておっしゃってたんですよ。
それは君たちはどう生きるかも。
曲が先に出たんだけど絶対に見方が固定されるから、見てから聴きたいっておっしゃってて。
まさに今回もそうじゃないですか。
まだ劇場公開時に配信されてない曲ですけど、13話の配信とか言ってましたけど。
でも解釈一致して、すごい解釈もピッタリな歌詞書くんだけど、
結構そのものズバリドンと書くみたいな感じでもない。
遠回りして書くみたいなことがちゃんとできるから。
これが夜遊びだったら全部書くからさ。
止まるんですよ、夜遊び。
夜遊びはまさに物となる原作を歌にするっていう。
あれは漫画になっちゃってて。
それはそれでいいんですけど。
主題歌としては正解なんですけど。
ピッタリなんですけど。
フレルの時、クロスレビューの感想を書く時に、
言いたいこと全部夜遊び言ってんじゃんみたいな感じで、すっげー書くの困ったもんだ。
映画で言おうよっていうね。
もうね、全然ピョッソと関係ない話してますけど、
本当に夜遊びに困ったなって思った声だったんですけど。
そういうわけじゃないからな。
ヨネザさんがいろんな主題歌に使われる理由ってまさに、
映画って今回まさに原作はアニメーションで、
それをどう解釈して落とし込むかっていうのを実写でやったっていうのと、
同じことをおそらく曲でやってるっていう。
そうですね。
だから主題歌として作るっていうのは前提ですけど、
J-POPに落とし込むとしたらどうするのかっていうバランス感ですよね。
やっぱちょっとふわっとするんですよね。
そこはやっぱり解釈の余地じゃないけど、
広がりも足してくれる感じはすごいやっぱあるなって思って。
やっぱりね、本当やっぱちょっと一種のカルト化してる作品に対して、
やっぱり挑める人ってのはあんまいないし。
ちょっと怖いですよ。
量数5センチメートルといえば山崎雅一ですよね。
みたいなのを飛び越える量なんじゃないけど、
それに類する映画に合った曲を別の人に作ってもらうっていう挑戦を
まずやってることもちょっとこれ偉いとこというか。
そうですね。
しっかり別の映画ですよってやってるんですよね。
やっぱあんまり過去に引きずられないようにしてるというか、
そもそもの山崎雅一の曲自体の使い方も、
別にやっぱちょっと元が特別すぎたみたいなのとかは外したりとかするし、
あと劇版とかも天門さんっていう方が原作作ってますけど、
このフレーズも一曲だけに留めてるとか、
思い出は遠く日々のみたいな。
とかっていうところからもすごいやっぱり挑戦はしてるなって感じはしました。
やっぱりアニメの実写化ってなると
どうしても原作に寄らせようっていう方が、
それこそ前回のチェーンソーマンの話をした時にも、
漫画をどうアニメーションに落とし込むかっていうところこそやってる作品だから、
あれは正解だと思うんですけど、
どうしてもやっぱりそれに原作保守的になっていくところって、
どうしても作りとしてはあると思うんですよ。
だってファンが多いから。
特に見る人は保守的になっちゃうからね。
その人たちに納得させるって相当難しいアプローチだなって思ってて。
その辺のアプローチって、
本当最近ちょっとそういうのが多いと思うんですけど、
キックとドラゴンの話をずっと今やってるなという感覚がすごいあるんですけど。
そこで全く違う、まさに原作への再解釈みたいなところを提示させて見せるっていうところに成功してると思うので、
それをまさに曲も含めてっていう。
音楽も良かったんですよね。
初めて僕知りましたけど、江崎さん。
あ、この人も同い年か。
あ、そうなんだ。
怖いですよね。同年代が最前線の人が増えると怖いですよね。
そうですね。個人的にはそこに対する何ですかね。
それに比べて自分はとかには何もならなかったんですけど、これに関しては。
むしろ背負ってたってくれてありがとうみたいな感じがすごいしました。
でもようやくあれですよね。いわゆるあるあるネタとか過去のネタみたいなものに自分が分かるってなる。
そうですね。ようやく自分たち世代がメインストリームに入ってきてる感覚っていうんですかね。
今年は無名の人生とかもまさにそうでしたけど。
ちょっとその方は僕らぐらいの世代の人に刺さるようなリバイバルが増えてきてることみたいなのも、
そういうことの一歩かなと思ってたんですけど。
シャーマンキングのリメイクとかやってるって思ったんですけど。
大倉世代のやつやってるやんみたいな。
っていうのがあったので、そのメインのコンテンツに僕らぐらいの、
世代30代ぐらいの人がようやく立ってきてて、こういう、
増えやそうとしてるみたいなのがあるのかなと思ってたんですけど。
なかなかそれの徹底版じゃないけど個人的な中ではっていうのはすごいありましたね。
でもまぁそこで秒速5センチメートルのある種の解体をやってるっていうのは、
結構刻法差しが高いなって気はしますね。
なんかこう、秒速版をくすぐっといったら究極まぁ、いっちゃいいって。
それでまず大全体の成功なんですよね、まず。
でもそれだけでとどまらない。
かと思ったら結構やっぱね、原作と同じカットをガンガンやすい。
実写でもやりつつ、けどやっぱちょっと違うとこは違うし。
さっき言ったカメラのアプローチだったりとか。
そういうところは完全に変えてきているっていう。
そうなんですよね。
ワンマン対ワンマンチャンスの扱い方も、
バランス、僕はもっと少なくて良かったと思ってるんですよね。
ただやっぱりメインに据えてないっていうのは結構の勇気だと思って、
秒速5センチメートルの中で何が最もアンタッチャブルな正規かと言われた
ワンマン対ワンマンチャンスの扱い方。
で、あれにクライマックスを置いといたら、
なんかなるんですよね。
なるんですけど、そうしてないから。
やっぱりそこはこう、ちょっと決断の底にあったとは思うんですよ。
しかも使っているのは一番気持ち悪いシーンに対する。
そう。
っていうところが。
分かってますよね。
そう、これもありますからね。
すごいな。
奇跡的な作品だと思いますし、
ちょっと期待以上の回答だったなって話しててより思えてきました。
そうですね。
本当に喋ってて、僕もよりそれを強くしたなって感じはありますね。
正直言いますけど、めっちゃ心配してたんですよ。
そうですよ。
もう、どれどれどんなもんかでみたいな、
新海誠の後方彼氏面みたいな感じで。
結構映画ファンの間でも、
これはいいかなって言ってる方も、
まあまあいらっしゃると思うんですよね。
そう。
私、最初のうちはまあまあまあ、
まあまあ背景ですなみたいな感じで思ってたんですけど、
もう後悔日が近づくにして、ちょっと気がどうかしてくるんですよね。
だんだんどうかしていってて。
確かに。
あれ、やばいんじゃないか。