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2025-10-15 32:15

第234回『秒速5センチメートル③』さようなら、全ての”秒速5センチメートル”

『秒速5センチメートル』の話をしました。 主人公・遠野貴樹、ヒロイン・篠原明里、奥山由之監督、米津玄師、新海誠、One more time one more chance、昔からの秒速ファン、新たな秒速ファン、原作アニメ、そして本作。「秒速5センチメートル」を構成する全ての要素について話しています。 ■メンバー 山口 https://creators.spotify.com/pod/show/chottoeibana マリオン https://x.com/marion_eigazuke オーイシ https://x.com/pteryx_joe ■映画の話したすぎるBAR 日時:2025年11月22日(土) 詳細:https://virtualeigabar.com/eiga-bar 場所:『週間マガリ』大阪市北区天神橋1丁目11-13 2階 https://magari.amebaownd.com ■お便り https://virtualeigabar.com/contact ■SNSアカウント X(Twitter):https://twitter.com/virtualeigabar Instagram:https://www.instagram.com/eiga_shitasugi ■番組グッズ販売 https://suzuri.jp/virtualeigabar

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サマリー

第234回のエピソードでは、映画『秒速5センチメートル』と新海誠の作品に関連する感情や視点が語られています。作品が過去の感情をどのように解釈し、受け手に影響を与えるかについて考察され、視覚表現や音響の演出にも触れられています。また、メディアの変化、言葉の重要性、記憶と忘却についても深く考察されます。観客としての視点や登場人物たちの心の変化が織り交ぜられ、作品の魅力が再確認されています。リスナーはこの映画に対するさまざまな意見や感じ方に触れながら、作品の理解を深めます。

視聴者の感情と作品の解釈
これ、僕見た回お客さん結構入ってたんですけど、秒速のセンチメートル自体を見てない人とか知らない人から見た時に、本作ってどう見えてるんですかね?
それちょっとこの後のBARもしいらっしゃったら聞きたいですね。
聞きたいですよね。
まず、その進化今ことっていう流れで見に行ってる人がどれぐらいいるのかもちょっと想像つかんでて、だってアニメじゃないじゃんってなってるんじゃないかなと。
そうですね。秒速と進化今ことがたぶん紐付いてるのは、その君の名は以前も知ってる人だけですからね、前提として。
まあまあ、そうですね。そっからまあ、さかのぼって見てる人もいると思うけど。
もちろんそれはいらっしゃると思います。
ただ、結局、だからリアルタイムで見てないにしても触れたことある方はいらっしゃると思いますけど、たぶん触れたことない人もいらっしゃるだろうなと思うんですよね。
そうですよねー。
それこそ今の高校生とかだったら絶対触れたことない子の方が割と多いんじゃないかなって想像はするんですよ。
そういう人たちをわかる感情、感覚みたいなのは残してんのかなって感覚もありますよね、そういう意味では。
で、それがめちゃくちゃ呪いにもならない。
普通にすっかりラブストーリーぐらいの着地にも見えるかなと思う。
見えると。
逃げて、かなってぐらいかなって気持ち。
ちょっとスイートに追われる。
だから花束みたいな交友したぐらいに追われるんじゃないかなってちょっと思って。
確かに確かに。
そうですね、確かにそうかもしれない。
あと、例えばその新海誠っていう流れで見てたとしたら、あのラストって君の名の歌じゃないですか。
おっしゃる通りですね。
振り返ったのかーいってなってんじゃんかなと思って。
あーなるほどな。
君の名はそこの場面だけ知ってて、行かれた方としては、あれ?そうなんだっていう。
むしろ君の名はって、その秒速を知ってる側からしたらそこが裏になったわけじゃん。
おっしゃる通り。
あれは呪いを解除するためのやつだったっていうのはあったはずなんで。
まずね。
あれはね。
わかりますわかります。
そこがこう、見え方が逆転してたりするんじゃないかなと思って。
あー面白いそれ確かに。そうかー。
確かにな、その秒速好きな人の見方?
僕らはそのちょっとどっちかっていうと、過去との、もういい距離感、過去は過去で大事にしつつ前を進むみたいな言い合わせとられてますけど、
本当のガチのガチで呪いに囚われるみたいな映画だと思ってる人はどう見てるのかなっていうのはありますけどね。
こんなんで救われねーよとかって思ってるのかな。その感想もありだと思うけども。
俺はここがベストなんだみたいな人が絶対たぶんいるとは思うんですよ。
僕もこんなゴリゴリ侵害のことは侵害のことだって言ってますけど、僕らももっとゴリゴリな人いるんで。
私は星の声から追いかけておったわーみたいなやつっているわけですよ。
そうっすよねー。
あと単純に会わんのかい思んないわっていう人もいるかなって。
それも正しい感想な気がします。
作品の演出と表現
会んのかい思んないわ。
エンタメ性を求めてる人にとってはそう思いますよね。
ラブストーリーとかで幼馴染みとくっつかないとダメな人っているじゃないですか。
こういう人とどう考えてもくっつくでしょって人がくっつかないのがダメ、苦手みたいな人がいると思うんですよ。
分かりますけどね。幼馴染みルート好きですけどね。
ちょっとそれに近い領域というかそういう人もいるんじゃないかなと思って。
くっつかんのになんでこんなすったもんだ見させられたんって。
あってもおかしくないと思うんですよ。
それも正しい感想だなって思いますね。
そこに関しては大人になっても改めて見て刺さってほしいなっていう感じはあるかな。
逆に多分アニメの秒速見て似た感想を見たことがあるので。
まあそうか。そもそもね。
そもそも。
元の秒速がそう見える想定。
それこそたぶんサンペルの割れてるわけじゃないですか。
それよりもっと巨大なものが入ってるから。
その部分にくっつかないことそのものにそんなに視点がフォーカスしてない。
お話はもともとそういう話なんですよ。
そうですね。
そうですよね。
なんかちょっと思ったんですけど。
なんか前回のことのコメントみたいなのが出てたんですけど。
自分で言ってますよ。
みんなが理由もなく傷つき、傷つけられ、いつも何かが満たされずにいる。みたいな。書いてますよ。
でもその20年前はその何もなれなさが私たち自身の姿であり、生活であり、それを救い上げるようなアニメーション映画を作ろうと思っていたのです。
むしろ解釈不一致の部分もあるけど、呪いも込めてたのかな、苦しみも込めてたんだろうなっていう感じですよね。
本人の切実な気持ちが書きたかったことだと思うんですよ。
僕まだ見れてないですけど、テレビの中に入りたいとかもまさにそうだと思うんですけど。
映画の表現としての自分の心の中のモヤモヤというか、織りみたいなものの消化としての作品でもあると思う。
そういう映画があったと思うんですよ。人を幸せにつもりが全くない映画。
テレビの中に入りたいのはそれだなと思ってて、みんなで呪われろって思ってる映画にも見える。許しはあるんですけど。
それで許される人は結構適性があるというか。
あとエヴァの急激とかも僕大好きなんですけど、非常に嫌な気持ちなんだって。
大好きですね、俺。
そういうのありやなと思って。だからめっちゃ嫌われるんですけどね。
秒速5センチメートルも。
やっぱりそこが長所でもあるし、何よりそこを丸くしたって意味ではやっぱり本作の到達度は高いか。
丸くしながら残してもいるという。両方を達成できてるっていうね。
初めて見る人はしっかりエグみを捉えられるんじゃないかなって逆に思ったりはします。ここまで丸くなったとしても。
多くの人がエグいと思えるというか。
しっかりちょうどよくエグいと思って買えるっていう。
そうなんですね、持ったやつエグいかどうかをキャッチできる人も選ばれてるから。
もう完全に食べませんって人も出てきちゃうぐらいの一品にはなってると思うんで。
だからこそすげえんだけどなっていう風情ですけど、そういうもんじゃない。
それを嫌いっていうのも自由というか、そうだよねって思える作品だから、
今回は食べた上で嫌いって言っても、まあまあそうですよねっていうバランスにはなってるなと思って。
なんか食べ物にはなってる。
もとってこれって食べ物なんですか?
食べ物ですか?みたいな感じで笑いますけど、出ないと思ったやつ。
食飯の方がデカかったですもんね、僕も最初食べた時に。
そうですよね、そういうことありますから。
やっぱすごいいいなあ、そう考えると。
演出面で言ったらめっちゃパストライブス意識してんなって思ったのは、向きですよね。
人の向いてる向き。
あー、その左向くか右向くかってところですよね。
高木はやっぱ左向きがちとか、あかりは右向きがちとか、過去と未来の方向とか。
特にあかりが未来、右向きを見てる率は高いよね。
あとあれですよね、コスモナウトでちゃんとワイジローが出る。
ワイジローね、思いました思いました。
劇中にあんなワイジローないんで。
あれは絶対パストライブスだったらワイジローですよね。
もう最高なやつじゃんと思うので、嬉しくないですよね。
僕ワイジロー大好き人間なんですけど、いなかって会う位置よくありすぎて、そんなに象徴的なものとして見えなかったというか。
もう僕はパストライブの順序があるから。
全てにおいてそこが繋がりますんで。
行動から離れて人の家に入っていく指導ってめっちゃあるから。
分かるんすけど、象徴として湧いてあることはまずそこで感動してほしいなっていう。
まさに真ん中にこれが真ん中ですよって証明がポールがあって。
そこに伝説がピューって分かれてるみたいなとこ含めて。
これはアストライブスみたいな感じだなって思いましたね。
あと単純に絵が綺麗だと思ってて。
そうなんすよ。
これ実は一番大事なことでもあるんですよ。
描画コンピューターは絵が綺麗じゃないとダメなんですよ。
そもそも。
ダメなんですね。
特にコスモログのところに触れますけど、種ヶ島が美しすぎて。
すごい弱ったですね。
やっぱり畑の真ん中を原付で走っていく絵とかも、あれはやっぱり実写じゃないと出ない味をしたいと思うんですよ。
そうですね。
サーフィンしてるシーンは基本ちょっとアニメだと動きも発生するから、ちょっとまあまあアニメっぽいなみたいになるんですけど。
取り方して、どうしようもなく実在感のあるものしかならないっていう意味では魅力しかないですよね。
しかもある種その自然の音というか、ちょっとこれ三宅章イズムな気がしてるんですけど、
あまり劇場よりも実際の自然を街の音みたいなもの、あるいは虫の鳴き声みたいなものに結構重きを置いてた気がしたんですよね。
そうですね。
それこそ見る前にも事前に聞いてから言ったんですけど、結構僕映画見るときしがちなんですけど、劇場好きなんで。
そのアルバムはだいたい44分くらいなんですよ。
考えても半分もいってなくて。
そうですね。
意外と少なくってね、そういう意味では結構頑張ってるなって感じがしますよ。
曲で盛り上げる、もちろんしてるんだけど、意外とそこだよりも大分そういう感覚はあります。
まさにその高木が桜を見に行くシーンとかも、雪のガサッガサッって音だけで出たりとか。
そうですね。
なんかその音遣いの演出の見事さで、それってまさにさっき言ったアニメでのフォトリアルな方からあえて世界圏に戻すんだけど、
現実であるっていうのはその音に宿るわけじゃないですかっていう。
そこら辺はやっぱりちょうど繋ぎ止める意識はしてるんだろうなと思うんで。
制作チームと視覚美
まあ宮城昭がね、それこそ結構目を澄ませてとかでやっていた演出法でもあるから。
そうですね。でもあれか。
宮城昭くんの撮影環境ってあれか。石野宮さん。
ああ、ですですです。
今回違う。
でも相当レファレンスはあるよなって思います。
この人そうですね。
今村圭介さんですよ。
僕めっちゃ驚いたんですよ。
余命十年の話したことを覚えています。
ああ、ありましたね。
一緒なんですけど、めっちゃエマニュールルベツキみたいなことをするみたいな人だったりとか。
そういうちょっとこったこできる人なんですよね。
絵結構バキバキというか、どこから撮るかっていうのがすごいこだわってたじゃないですか。
あえて上からのカメラワークが所々で挟まれたりとかね。
あとみんな大好き河村元気の8番出口とかもやってるし。
そっか、それもやられてるっていうような人ですよね、今のとね。
相当東方のもんは。
そうですね。だから藤井一人とって撮ってるみたいなイメージがありました。
結構初めに刀がダメなぐらい大事な部分だったんですけど。
結構憧れをしてましたね。
そうそうそう。
そこの刀が全体的にレピロープ高かった。
高かったなぁと思ったんですよね、本当に。
一写から最後まで全部冴えてるなぁというか。
プラレタリウムシーンとかも長回しというか、視点がぐるっと回るところで、
しかもちゃんとそこで未来の方向を向く宮崎駿。
あ、宮崎駿じゃないや。
宮崎駿のシーンからぐるっと回って、高木のところに映るじゃないですか。
映画の手法について
左を向いててみたいな、ぐるっと回ってみたいなところとか。
あの辺の順番が相回しとかする時期ですよね。
結構、たぶん作り手側としてはロジカルではある。
そうとなって思いますよね。
めっちゃ結構ロジカルだなって思います、作り方として。
なるほどな。
最後らへんもいつも大丈夫っていうのを気づくみたいな。
プラレタリウムシーンってやっぱあれじゃないですか。
映画館じゃないですかみたいなシーンとして撮ってるのも、
もとはあのシーンプラレタリウム撮る予定じゃなかったみたいなのを描いてたんで。
でもやっぱそれ映画館と重なるようにみたいな。
観客と重なるようにみたいなのを描いてて。
そっかー、なるほどね。
クライアントに見上げてるっていうのはまさにそういうことでしょっていう。
しかも後ろから来たみたいなシーンあるじゃないですか、席が。
もう完全に僕らじゃないですかみたいな。
そうですね、前の席ですよねもうね。
とは重なってるよねみたいな。
結構そういうのをちゃんと頂きにやれる人だなって感じがしますね。
しかもそれはいやらしくないんですよね。
やってますよって顔じゃない。
ほんと自然とっていう感じですね。
結構前作のアトザベンチは見てたんですけど、
どっちかっていうと劇でやるようなこと、演劇でやるようなことを
映画としてチャレンジしてるみたいな感じで。
あんまりカメラワーク的な。
もちろん3分ごとにそれぞれちょっとずつ変わるカメラワークはあったんで。
そこは面白いんですけど、とはいえ
撮影が面白い映画じゃなかったなって感覚はあったのかどちらかというと。
まあまあまあ。
あと話の不適もあるから。
結構実験的な作品と自主制作をすれば。
自主制作。
自主制作はノート人的に言った方がいいです。
ケットワークもないんですけど。
はい。
これもあるんですけど。
ただまあそうですね。
商業ベースというか一応メジャーに乗った役ではなくやってる実験的な作品ではあるので。
手紙と記憶の変遷
ただなんかこれ見るとまさかこれが2作目ってことにはなるんですね。
長編作としてはそうですよね。
すごいなあ。
すごいな。
とんでもない人っすね。
とんでもなかったなあと思って。
こっちがお兄さん。
こっちがお兄さんで弟さんの方は去年僕のお日様っていう映画を作られた兄弟で監督でしかもまあまあ。
とんでもなく出来のいいやつを出してくるみたいな。
すごいですね。
とんでもない。
どんな家庭で育ったんだよっていう。
はあ?みたいな感じしますよね。
いきなりこんなの任せられるんだ。
もちろんその前にさっき言ったMV。
星野源と組んだりとか米津玄師と組んだりとかっていうMVとしてもそもそもそこで信頼度があるっていうのは絶対ありますけど。
CMとか。
アイセットのCMとか結構有名になってますよね。
そうそうそうそう。
疾走感のあるグルグルのあれとか。
なんかそれこそ結構最初の方に彼がYouTubeで出たところとか8ミリフィルムで撮影するみたいな動画を多分自主で出してるところとかをちょっと見てて。
今あえて8ミリで撮るみたいな。
すごいですね。
ここね。
だから多分まさにフィルム調和のこだわりだしっていう風に思ってたんですけど。
そうですね。
さっきあかりん、高木くんは大丈夫だよって言われる話の流れがあったじゃないですか。
お金見て結構心配されてたんやみたいなのが結構思っちゃって。
僕自分が山口くんは大丈夫だよって言われたら結構アカンやつやと思いそうやなと思って。
まあまあまあまあ。
でもあの大丈夫はドライブマイカー的大丈夫ですよね。
ドライブマイカー的であり天気の個的でありって大丈夫って言われるんですよね。
若い際に言われるのが心配されてたんやなってシュンってなっちゃってたんやなって思って。
自分やったら。
心配されてる時にかける言葉か。
でもあれは真実じゃないかもしれないですから。
あそこのところだけ記憶が抜けてて、現代のあかりんに言われたことがそこに置き換わってるだけかもしれないですから。
そうですね。確かにね。
大丈夫でリフレインしてるのもある。
小学生時代の時に高木から言われてる言葉が詰まった。
一番最初に越してきての言葉なんですよね。
つながりはありましたけど。
あと一番初めのクラスでもローカルみたいなのをノートで教えてあげるシーン。
あれって元からありましたっけ?
ないです。
あれ良くないですか?
良かった。
あと地味に変更点として、手紙じゃないっていう交換手帳になってる。
あーあれそう。
そうですね。
だから最初のやり取りもノート、手帳みたいなもんですよね。
だからそういうつながりもあるし、なおかつ手紙をなくすシーンがありますけど。
あそこだけ手紙っていうので、そこはちょっとある神秘的なものであるっていうのを供養してるみたいなバランスですね。
結構ずっと文字のやり取りっていうものはモチーフとして重要視されてたと思うんです。
元が手紙とメールですよね。
ただ手紙は相手に渡すようだといえば、メールは相手に送るようじゃなくなってるみたいなフェーズの移行みたいなのが描かれてたと思うんですけど。
今回言葉を伝えるためのメディアの種類が増えてたと思うんです。
まずノートの端書きになったものが手帳を使うようなやり取りになって、もちろん今回もメールは出てくるし。
恋愛と記憶の探求
あとあれですよね、付箋にメッセージを書いて貼るっていうやつとか。
確かに確かに。
あと本屋さんのコップとか。
言葉を相手に残すっていうことが、メディアが多様になることでより普遍的な領域のものとしてなっているというか。
やっぱり元って手紙っていうものの神秘性だけを濃縮してたと思うんですけど。
手紙というよりは言葉になってフォーカスしていく。
確かに確かに。
手紙じゃなくしたことですごくいいなって思うのは、やっぱり思い出が彼の手元に残ってない状態になるんですよ。
わかります、それ。
あれめっちゃ効いてるなと思って。
もう一回原作を見ると、手紙を読んで送られてきたようにボッてるわけですよ。
行くときに全部分かり覚えてるみたいなことを言うわけですよ。
怖い怖い怖いって。
怖いっていうか、だいぶやなと思ったんですけど。
今回のやつって、書いたことを覚えてるけど、その時に書けられたであろう大切なことを覚えてないんですよね。
詳細まで。思い出しようがないんですよね。
だからこそ、アカリ側に残ってるからこそ、むしろアカリが覚えてる理由にもなる。
小学生時代の思い出のトリガーは、それを高木からやるとちょっとお前さぁみたいになるけど、
そういうのはなってないんですよね。
アカリを経由して物語的に進むようになってるっていうのも、いい回編って思った。
なるほどなぁ。
ほんとだわ。
なるほどな。
だから、やっぱ最後の六博の一部を忘れちゃったみたいなことがすごく来ちゃうというか。
覚えてなかったってよかったと思うんですけど、
そのことに対してめちゃくちゃそこにこう、後ろ髪が引っ張られてしまうみたいなことに、もう切実さに繋がってくるんだなっていう。
完全にだから、あの再会の中のあそこの一言だけが思い出せないっていうのが一番の引っかかり。
そうそうそうなんですよ。そうなんですよ。
そこまでにあったのは、アカリであることよりも言葉なんですよね。
そうなんですよ。その事象は覚えてるけど、
ワンドルにかけられた言葉だったりとか、そこまでのやり取りの言葉がわからないことの、
そこの彼なりのそのめちゃくちゃ大きな引っかかりだった部分っていうのがよりこう、ブワッとくる。
しかもそれが言葉になることで、アカリが現代、それをある種、吉尾がいいと返して言うわけですけど、
そこに恋愛的な要素はもうなくなってるんですよね。
そうですね。ちょっとそこも今回の魅力というか。
恋愛ってももちろん読めるけど、ある種のソウルメイト的な文脈を乗せようとしてるなってのはすごく感じましたね。
なるほどな。
いやー、言葉って本当に忘れていくなって最近は本当に思うんですよ。
本当にそう。
そこで会ったことしか覚えてないみたいな。
そこで飲んだねっていうことしか覚えてなくて、何を話したかまた思い出せなくなってきてるんですよ。
言葉ってめちゃめちゃ弱い。生存能力が弱いんですよね。
あと、ちょっと話ずらすんですけど、僕も本当に昔のこととか、すごい覚えてないこといっぱいあって、
覚えてることってエピソードトークになってるんですよね。
エピソードじゃなくてエピソードトークになってることは。
わかるわかる。
だからちょっと歪曲されてる側面もあるんですよね。
だから自分の中でも人に話して面白くなるようにしてるし、自分の中でも面白くなるように歪曲することでギリ残ってるみたいなことってあって、
それをしてない生の記憶ってどんどんどんどん消えていってるんですよね。
そうなんですよね。でも消えていったとしても大丈夫だよっていう。
だから忘れたっていいっていう。
そう、忘れたっていいし、本当の本当にどっかに残ってたりするし、意外と。気づいてないだけかもしれないけどね。
気づかない程度でいいし、逆に残ってたら残ったら地獄ですよみたいな。
人間って忘れられるからいいんだみたいなのあるじゃないですか。そこと重なるなっていう感じがしますよね。
残ったら逆にそれが呪いになる話でもあったしっていう。
そうなんだよな。
だからやっぱり原作のアニメの方が呪いとしての純度が高いと思うんですよね。やっぱり手紙で残るっていうことは、
言葉自体の本来の形は残り続けているから、高きの中でも繰り返しリピートすることができるっていうことで、
濃縮できてしまって、自家中毒に陥ることができてしまってるんだけど、
やっぱりこの実写の方は自分の記憶の中でだけ循環させてるから、やっぱりちょっと強度が弱くなっていってると思うんですよね。
やっぱりそれに対する怖さもあると思うんですよ。薄れてしまう怖さ。一番大事なことがあんまり思い出せなくなってるって。めちゃくちゃ怖いやと思って。
だからむしろ行くことに意味があるんじゃないですか。
確かにね。そうだもん。だから行くんだもん。
アイテムを覚えてくれてたらいいなって。そしたら取り戻せるからなっていう。
もちろん手元に残ってたら行かなくてもいいですもん。
あれも気持ち悪いなって思ってもいますけど、お前は借りたいの切実さを持って行ってますからっていうことは当然なの。前提としては。
多分記憶の答え合わせをしに行きたいっていうそこですよね。
そっか。だからやっぱりその恋愛の話感が少し上回ってるんですね。過去と未来の話感がより強まってるかなって。
すごいですね。なんかめちゃくちゃいい実写かな気がします。
わかんないですけどね。僕らが良いように解釈してるだけかもしれないんですけど。
だいぶここまでの中で。
したところはあるかもしれないんですけど、それでも僕はいいなっていうレベルでは、
僕にとってはすごくありがたい映画というか、忘れられない映画だったなっていう感じでしたね。
解釈と魅力の探求
今回やっぱ、最初僕とかで最初の評判でここはどうなんだろうっていう風に言ってたと思うんですけど、
割とこれ対応の中で解決してる気もしてて。
そうですね。
喋って面白い映画になってるのもまたすごいなっていう。
そうですね。
解釈の余地もあるし、でもそこに対してのしっかりディカバリーもできてるしっていう。
相当すごい。この後バーでどういう感想が出てるのかが非常に楽しい。
ちょっと地獄かもしれないですけど、大変かもしれないですけど。
今完全に養護派3人が集まってる状態。
いやでも完全に武装できてる状態ですからね。
そうですね。あるいはここで一旦整理ができたぞみたいな。
確かに。武器はどこにあるんだ。
今からが戦いだなって夢は思ってますね。
これからがホンちゃんのプロレスの試合じゃんみたいな。
今楽屋でね。
楽屋でアップ中です。腕にテープ巻いたりとかしてね。
テープにしてますよみたいな感じ。
普通にそんなにっていう人も出てる。
絶対いる。全然いらっしゃると思う。
それでいいと思いますし。
本当に秒速にしても深海のこの作にしても嫌いな意見なほど面白いんですよね。
これがいいとこ。いいとこっていうとあれなんですけど。
人が出ますよね。
人がマジで出ます。
結局その人の話が面白くなるから面白いんですよ。
結果深海のことを語るのはおもろいんですよ。
僕を面白くしているのは彼のおかげですみたいなぐらいですよね。
その意味でもすごい作家ですよね。
この言い方良くないかもしれないですけど。
いじられる作家はいい作家だと思うんですよ。
まあ確かにね。
たまにそれやりすぎて距離感バグった感じになっちゃいがちですけど。
適度な距離感。
ネタでうちの深海があって言っちゃうとこあるからそういうの言ってないなっていうのありますかね。
そこのバランス感覚は気をつけんと。
面白い方に張り振りがち。
やりがちなんですけどね。
おもろくなるときあるからな。
面白いんですよ。
やってるときが一番面白い。
その辺のやりとり。
ある種プロレス的にやったことによって
今日の場が来てくれるみたいな人もいるので
そういう意味では良かったなと思ってるんですけど。
プロレスのブックとしていいんですよね。
大好き派と大嫌い派というプロレス。
今からがホンチャの試合ですけど
ちょっとその前ぐらいに
ちょっとした会のときに
まさに記者会見みたいな。
あいつらは絶対負ける気しないけどなって
記者会見みたいなことをやったおかげで来てくれる。
今回ヤマグチさんと僕で練習試合を一回して
今体ほっこくると思うんで
今晩喜んでいただいて。
本気で強い人いるから。
お二人ではちょっと練習相手にならないかも。
割とホンチャ派だからね。
他なんかあります?
ダイブ語り。
ネタどこは喋れたんじゃないかなと思いますね。
じゃあそんな感じで
予測5センチメートルの話は終わっておきましょうか。
映画の重要性とコミュニケーション
ここまで一作院がっつり喋ったのはないんじゃないかな。
私やっぱり原作の話した回も
30分ぐらいしか喋ってないし
そこから月日も経って
より解像度も上がって喋れることも増えたし
僕はすごい良かったなって思う。
このラジオを聞いても
実写映画が見られた方がおそらく
多くこのラジオを聞いてくれると思うんですけど
もしアニメを見てなかったら
アニメも見てもらいたいですよね。
この語り聞いた上でですけど。
鎮海誠との距離感をどうしておくかっていうのは
結構、別にそれが人生で必須とは言わない。
必須ではないですよ。
我々と喋りやすくなる。
そうですね。
是非我々と映画場で喋ろうみたいな
ひっかかりとしてね。
ラジオやってるとこありますけど
一番の引きはここですみたいな。
嫌いで全然いいんで。
嫌いでいいんでね。
世の中にはちゃんと怖い人がいるんで
鎮海誠付きでちゃんと怖い人がいるんで
ちゃんといます。
そうですね。
怖くています。
そういう人たちとの距離感を知っておくっていう意味でも
見ておくのもアリかもしれないなって思います。
僕はそれをやったことがないんですけど
本当に怖そうな人がいる。
嫌いなのは全然アリなんですけど
SNSであの話した方がいいかもしれないっていう
そのバランス感ですよね。
はい、ではそんな感じで
約5センチメートルの話を終わっておこうかなと思います。
ではお知らせになります。
映画の話ししたすぎれば
次回開催では決まり次第お知らせいたします。
これまでは毎月最終ドライブの開催が基本でしたが
今後は開催定年が流動的になりますので
ご注意ください。
場所は大阪南森松週間曲がり
中古城区23時クローズです。
またこの番組ではお当たりを募集しております。
番組全体で投稿、ゲーマー作品向けて
ご自由にお送りくださいませ。
場の最新情報、次回テーマは
Xおよびインスタグラムにて告知しております。
格好案内や番組説明もご確認くださいませ。
それでは映画の話ししたすぎるラジオ第234回
秒速5センチメートルの回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。
さよなら。
さよなら。
お疲れ様です。
お疲れ様だいぶ当分使った。
もう疲れた。
喋るのまだみたいな。
もういいよ。
もういいよ。
何時間しか喋ってない。
2時間半。
本編より長いじゃないですか。
32:15

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