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2025-10-15 37:13

第234回『秒速5センチメートル②』神(新海)不在(な)きセカイの”シン・秒速”

『秒速5センチメートル』の話をしました。 新海誠氏が生み出した原作がどのように受け止められていったか、本作が原作の受け止められ方をどのように解体しているかについて話しています。 ■メンバー 山口 https://creators.spotify.com/pod/show/chottoeibana マリオン https://x.com/marion_eigazuke オーイシ https://x.com/pteryx_joe ■映画の話したすぎるBAR 日時:2025年11月22日(土) 詳細:https://virtualeigabar.com/eiga-bar 場所:『週間マガリ』大阪市北区天神橋1丁目11-13 2階 https://magari.amebaownd.com ■お便り https://virtualeigabar.com/contact ■SNSアカウント X(Twitter):https://twitter.com/virtualeigabar Instagram:https://www.instagram.com/eiga_shitasugi ■番組グッズ販売 https://suzuri.jp/virtualeigabar

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サマリー

このエピソードでは、『秒速5センチメートル』の実写化におけるキャラクター描写や物語の深層について考察しています。特に、高畑美月さんが演じるキャラクターの理想化と現代的解釈がテーマであり、過去への向き合い方について議論されています。また、アニメ映画『秒速5センチメートル』の影響や解釈についても考察が行われています。特に松村ボクトの役割や物語の受け取られ方、過去の約束とそれに伴う感情がテーマとして取り上げられています。第234回のエピソードでは、新海誠の影響を受けずに描かれた『秒速5センチメートル』の新しい解釈を深く掘り下げ、物語の中での呪いや個人の成長の過程を考察し、過去との向き合い方を探っています。『秒速5センチメートル②』では、主人公の成長と過去に囚われた思いが描かれています。彼が自分の進歩を再確認し、周囲の励ましによって前向きになる姿が印象的です。

登場キャラクターの理想化
では、お互いそんな感じで、あるカラートピックを出していきましょうか。
いろいろあるんですけど、大体どこを沢山というか、どのポイントからいきましょうかっていう、本当に質問になりますけど。
ちょっとまだ話題にちゃんと上がってないんですけど、大人あかりの高畑美月さんさんの話ですね。
これはある種の別の理想化なんですけど、アニメ版がかなりドライに描かれてるじゃないですか。
なんなら高畑のこと覚えてすらいないぐらい。
原作に出てくるあかりって、過度に理想化された姿か、ドライっていうか、その極端な似たくない。
あんまり本当、あのキャラクターこそ地肉が通ってないと言えるキャラクターだと思うんですよね、原作。
中学の年齢が止まってますもんね、小学校の中では。
ほぼ止まってますよね。
で、それにある種この現代的な解釈というか、覚えてはいますよっていうバランスにしたのは、
まあ、ありっちゃありなんですけど、難しいです。
なんか、ある種ちょっとドライさを求めていた自分としては、
例えば、小学生のエピソードというか、小学生があったなってことは覚えていても、
そこで約束があったなまでは覚えていてほしくなかったっていう。
それはわかります。
なるほどな。
いや、これ難しいんだよな。
僕どっちもありだなと。
どっちも難しい。
どっちもちょっとこう、デメリットがある。
そうなんですよ。
で、やっぱり原作の両側って、よく言われる、ちょっとあんまり言いたくもないんだけど、
男は別名保存で、女は上下挙保存で。
はいはいはい。
そう、このあらゆる落とし込まれちゃいがちな作品の意見ですからね。
明は過去のことなんか忘れてるけど、高木だけ縛られてますっていうので、
ちょっとその男のダメさに対して、逆張りのナルシスティックな感情が入っちゃいがちなんですよね。
両側をセンチメートルって。
それがちょっと良くなさもあるじゃないでしょう。
おっしゃる通りです。それはそれでね。
で、そこに対して、明の側もちゃんと覚えてます。
もちろん程度の差はありますがっていう着地は、今回の実写化は良かったなっていう思いもありつつ、
覚えていてくれるっていうのもまた甘えだなと。
そうなんですよ。おっしゃる通りで。
うわぁ、そうなんだよな。分かりますよ。分かりますよ。分かるんですけど、
今回の、覚えているっていうことに対して、
今回って過去との向き合い方みたいな話になってると思うんですよね。
やっぱりこれ諸に意識してるでしょう。
ダストライブス。
でしょうね。
っていうのは去年ですよね。
去年見て、我々も大人の秒速みたいな感じの話をしたかも思うんですけど、
そこのことを考えると、僕も同じようなこと考えたんで、
それは秒速でやってくれることがすごい大事だったなっていう感じが。
それは分かります。分かります。
僕の中ではですけど。
分かりますよ。
甘えだなと言われても、分かります。それは分かりますけど、
過去の話としては、過去を巡る話としてあれやっぱりいるんですよね。
っていうのが僕にできたり。
だから感情も逆に伝えないぐらいのバランスでも良かったのかなとか思ったりもして。
めっちゃそう。
そうなんですよ。
あるのはいいんですよ。
それがそういう風に言ってたっていうシーンがあるのはいいけど、
でも高木は知らないでもいいんじゃない?ぐらいに思っちゃう。
いやぁ、もうね、それはゲーム作が言葉足らずだったから。
今回はちゃんと言葉にしてくれて嬉しいんですよ。僕は。
しかもその独白の松村もこさんめちゃくちゃいいんですよ。
そう。もうあそこが一番泣くからみたいな。
あそこがすごかった。
泣くから。
そうですよね。
そうだなぁ。難しいところではあるんですけどね。
だから見ながら救われてはいるんです。
ただ、救われていいのかっていう。
その疑念が自分のものからあって。
突き放して欲しいし、救っても欲しいし、みたいな。
でも多分両方とも過度の理想化なんですよ。ある意味。
そうそうそうそう。過度ではあると思う。
リアルは再開して気まずいが本当だと思うんですよ。
そうですね。
あっ、あぁ、おぉ、たまたまね、グライドブース置いたんだ、みたいな。
かもしれないですね、本当はね。
こういうのの多分一番良いオンロカの着地は
互いに、「あ、久しぶり!」って
ちょっと休校でも温めようかって言って
カフェでお話しするって
話し合いが盛り上がりました。
で、じゃあまた日常に戻りましょうってなったら
それが現実において一番温等な着地だと思うんですよね。
一番平和。
でも彼が語ってたこともちょっとそれに近いですよね。
お久しぶり?みたいな。
なんでもない話をしたいなっていう。
その気持ちめちゃくちゃ分かる。
そこをね、やっぱり
それだけのことを応用にしているじゃないですか。
そうですよ。
それを言うための話ですから。
そうですよ。
そうですか?
ですけども。
それをこう、そうだなぁ。
あとまぁやっぱり本作が
劇映画として面白くするっていう側面でなんですけど
やっぱりこれね、ラブストーリーなんですよ。
初めて見る人にとっては。
我々はそういうものとしては見てないです。
初めて見る人にとってはラブストーリーだから
全く二人の中で何の関係性も生じないまま終わっていく話って
これって結局10年前に別れたままずっと
話が並行してって終わりってこと?ってなりかねないから
逆にアニメ版のその苦みの方が強くなっちゃうっていう。
だからそのニアミスしてニアミスして
最後お互いにいたのかもっていう
相手の存在を互いに何となく感じて終わるっていう
せめてもの交流がそこにあったっていう
でも互いに別の人生歩みますよねっていう風な
ちょっと苦いラブストーリーの温度感で終わるっていうためには
ああするしかないというか
ずっと泡ままなん?みたいなのって
だいぶこの秒速っていう文脈を経てない人からした時に
なんなんこれってなると思うんですよ
これこそ呪いの再生産ですよね
まあ確かにね
ああそうか
だからある人これある人
成仏じゃないですけど
そうなんですよね
めちゃくちゃ成仏みたいな空間はすごいあった今回
実写化の評価
シン・エヴァンゲリオンみたいな
解き放ってくれるみたいな感覚すごいありました今回
やっぱりこういきなり踏切に至るんじゃなくて
そこまでやっぱりお丈上げしてるシーンがあるんですよ
そう
確かにね
過去のように
来た過ちのせいすいませんでした
っていうみたいなシーンがありましたよね
水飲んだりしてね
そうですね
水飲むシーンあれ僕すごい大事だと思う
分かります
分かります
だって秒速5センチメートルによって
最もないがしろに冴えた存在
水持ってくるんですよね
小説は結構そこちゃんと埋めてるんです
保管してるんですよ
でも映画はそれできなかったから
ただただあなたとの心は1センチの繋がりを
したっていう強烈な呪いワードを残していくだけの存在になってるんですけど
結構原作そこ埋めてたんで
それを取り入れてるんだなっていう感じですよね今回
それこそちゃんと映画でやって欲しかったことだったから
それは嬉しかったですよね
そこにまさにその役者さんが
演じてつぬい肉をかやった人がいる中で
そこを完全にあれだけで終わらせるっていうのはちょっとね
そうだったんだよなっていうのはあったので
僕今回見て思ったんですけど
思ってたより原作のアニメ版秒速に対して
結構めんどくせい感情を
自分が持ってたっていうことに気づいて
だから高木がもがくというか
結構キレの悪い行動をしてると思うんですよ
確かに
でそれがちょっとお前さ
未練がましいなって見えちゃうとこもあって
でもそれってやっぱりアニメ版の方って行間なんですよね
その高木がチヘと入って乗ったうち回ってるシーンって
描かれてないのから
山崎正宗流れてますからね
そこをね流れちゃってますからね
歌で一気にバーンってやってるとこなんですけど
そこを見せられると
なんかそこのまだ決心のついていなさみたいなのが
語りすぎにも見えちゃうというか
なんかこう
そもそもイベントなんて減なくても
日常がそもそも彼にとって
虚無も積み重ねるんだったはずなんだから
イベントなんかなくても
いつかこの決断に至らなければならない日は
来るんじゃないかなって気持ちもあって
だから踏切だけがバーンって
本当に第3章ってそれしかないですよね
踏切ですれ違うしかないから
でもやっぱそれでよかったというか
もう全てがもう行間なんですよ
そこを埋めた時に
こいつちょっと無様すぎだわみたいな気持ちが
ちょっと生まれちゃったんですよ
だってほんと
あそこで桜巻見に行くかと思って
いやねあそこね
だから個人的にはね
よくこいつの気持ち悪い部分を
こんなに映像化してくださって
もうあそこね僕拍手ですけどね
やったぜみたいな
おーきっしょいぞーっていう
これはね
ちゃんとダメなとこ落としてくれる
あれがピークですねダメさの
すごい期待しながら後ろ振り返ってましたからね
うわーこれはねきてますね
素晴らしい
最高のダメ描写ですよみたいな
あれは素晴らしいですね
そっか
いやー
そこまでに描かれてたものも
あったとは思うんですよ
だからニアミスを繰り返すわけじゃないですか
運命によってニアミスを繰り返し
繰り返しし続けて
最終的にその
自分の意思によってそこに行かないことを選ぶ
っていうのがクライマックスかつ結末やと思ってたから
あそこは行くんやみたいなのが
あったんですよね
いろんなもの経てもそこで行かないってことを
選んで終わりじゃないんだっていう
まだそっから会えると思ってたんだみたいなのが
すごいダセーと拡散やんみたいな
人間持ってるじゃないですか
過去を向き合いすぎちゃダメだと
分かってます
でも過去に引っ張られてしまう気持ちもあるじゃん
みたいなものを表出というか
あそこまで行き来ったあてに
もうめっちゃ過去が恋しいんですね
ちゃんと言うところ
そこがね僕大好きなんですけど
バスライブスで彼がニューヨークに行くのとほぼ同じですよね
そうそうそう一緒っすよ
そうなんだよな
めちゃくちゃダセーとこ出してるから
むしろ正しいんだよな
映画行こうとして
逆にえぐみは増してますけど
松村ボクトと過去の約束
えぐいっていうので
やるじゃんみたいな感じですけどね
松村ボクトだから義理に出てますからね
それはそう
義理ですよそれも義理ですからね
松村のことで義理なんですから
我々がやったら目も当たらないわけですよみたいな
いや確かに
もし自分の過去にあの約束したことがあったら
行くかもしれない
行くかも
言わないですよ
ちょっとあの辺のちょっと
幼い頃にした約束とかに
音になって行くかどうかみたいなのって
もう関係ないですけど
エバースのM1のネタかなって思いました
それは行くかどうかじゃなくて
その相談をもって友達こそ大事にするべきだみたいな
確かにね
行くか行かないかじゃない
そこで今真剣にお前のこと考えてくれ
お前マチナのことを気にするべきだみたいな
話なんですけど本当はね
それはそうだな
だからしっかり
何ていうか両側の中では
ある意味呪いってこっちが受け取る側
だし解釈によってこちらも一緒に呪いながら
いい決断をするというか
その痛みを味わっている側だったんですけど
今回はそれをある意味松村ボクト一人で受けてる
っていう風にも捉えられるなと
彼は呪われているのだっていう
そうかだから当時
秒速5センチメートルを見て呪われた人たちの
代わりとしてあそこに
人柱としてあそこに行くわけですよ
そうか分かってきましたそうだ
だからお前たちそういう約束してたら行くでしょって
言ったらこうなるんだぞって
同じくらいの僕世代くらいの人が
解釈の深まり
たぶん同じように呪われて
そう思わないようにしてくれてるんだなっていう意味では
やっぱり岡山監督の信頼と言いますかね
あれじゃないですか
ちょっとこの前話した西島秀俊の
ディアストレンジャー
かっこいいやつに
ダサく代わりに死んだほしいっていう
確かにそういう願望かもしれない
いやだってあんのいて西島秀俊としては
カッコつけてるから
確かに今回の末路の北斗
尋常じゃなくダサいんですよ
それをちゃんと悪く客観的に
原則が主観なんであれは
客観的にやるべきっていう
たぶんそこにしか実写化の方向性として
まずないんじゃないかなって思ってたので
そこをマジで本気でやってくれてるなっていう点で
めちゃくちゃもう
解釈も一致してるし
僕としてはめちゃくちゃ嬉しいって感じです
そっかだいぶ正しいってなってきました今
なんでだってなってきたかも
あれは代わりに死んでくれてるんですよね
代わりに
そっかやっぱりね僕
踏切のところで
一発目で出会わないってことを選べる
高木が偉いっていうのが
アニメ版の方の良さだと思ってたから
そこまでにダサくもがいてたんやっていうのが
解釈違った部分だと思う
一発目でそれを選べた
お前が偉いっていうところを
そうじゃなさったっていう
なんか解釈違うなって部分あったんですけど
むしろ違うんですね
ちょっとまあ
その行間の
こいつはずっとダサかったりするっていう
そして平族派のお前たちもダサかったりする
それを乗り越えて今
早いに進もうっていうメッセージを
原作から受け取ってるじゃないか
みたいなことを改めて
ちゃんとやってくれてる
死に言えばですよ
死に言えばってなんていうのあるんですか
さようなら全ての秒速5センチメートルみたいな感じ
ですよね
ですよ
そうだな
ほんとだ
っていう気持ちで
ちょっと連想しながら見てました
だからその
劇中で
ワンモーテンマルマーチャンスの主題歌になってた
原作の
原作といえば月とキャベツ
月とキャベツですね
月とキャベツの話が出てきて
お姉ちゃんが好きな映画なんだっていう
文脈が出てきますけど
あれって僕らにとっての秒速5センチメートルなの
そうです
そういうことです
そうですね
だから
しかもそれを
姉である宮崎葵演じる姉は覚えてないんですよね
それで僕らにとっての秒速5センチメートルかもしれない
多くの人にとってはっていう
そこもすごい
なんて言えば
全然時代合わせは違うんですけど
すごい当時性を持って作られてる作家だからこそ
出てくるなと思って
そうですね
確かに
クリエイターもやっぱり
原作作ってるクリエイターがまずバリバリ
トップランナー走っている
ところに対してなんか作りますみたいなのを
それを受けた側の次世代ですよね
30代ぐらい
そこに回答を出さなきゃいけないって時に
そこから行き着いたものっていうか
それもあるよねっていう
そのこそJ-POPさっきバンパオブチキンに出ましたけど
曲線含めてもう30代の人たち皆さんわかりますよねっていう
僕初めて銀河鉄道っていう
バンパオブチキンを
めちゃくちゃドンピシャな曲ですね
素晴らしかったでしょ
一回そのこそ
星つなぎの栄養のタイトルにも
バンプの宇宙
バンプは世界経由宇宙と
繋がってるぞっていう話をしてたんだねっていうのを
ラジオ外でも確かに大石さんがその話を聞いていて
なんとなく天体感想とか聞いてたし
そういうのわかりますけど
こんなにドンピシャだと思ってなかったです
そうなんですよ
こんなにドンピシャなんですよ
ちょっとねビビりましたね
曲使いちょっと凝ったことしますよね
レディオヘッド出してくる音
確かね曲もthinking with youとかでしたよね
まさにそこに意味合いを持つ
考え出すみたいな
音を言う赤い曲線とか
ちゃんとさ
高校生の高木がレディオヘッド好きって言ったら
ちゃんとイケスカでいいじゃないですか
わかるわかる
そのキャラ付けとしてもレディオヘッドって
めっちゃいいなって
しかもそれをなんで買ったのって言ったら
ラジオでイケていいと思ったもんね
もうイケスカないよね
イケスカないですよね
ちょっと田中島の田舎の女子高生には
刺激が強いですね
レディオヘッド知ってる奴は
そりゃ世界の何かを知ってるだろうみたいな
気持ちにねやっぱちょっとね
音楽とその影響
惑わされちゃいますから
thinking with youでしたね
one more time one more chanceの扱いについて
話題なんですけど
まず月とキャベツっていう映画が
ちょっと触れられて
one more time one more chanceを
秒速5センチメートル前に扱った映画
かつ山崎正義主演っていう映画で
おーちゃんがさっきおっしゃったように
秒速5センチメートルのアニメ版の
ある種のオルタナティブみたいなものとして
そこにあると思うんですよ
ちょっとメタ入ってる
ちょっとそうですね
あと僕ちょっとね
なんていうかこう
なんだろ
変な言い方ですけど
秒速5センチメートルが
one more time one more chanceを奪っちゃったみたいな
間違いないです
確かに確かに
元はこっちですっていう
月とキャベツだみたいな
完全にあの
one more time one more chanceを主題歌にした映画って
なんですかって聞いてたら
秒速5センチメートルって答えちゃうんじゃないですか
Googleでやったら必ず一応
秒速5センチメートル出てきちゃうんですよやっぱり
ちょっとそのなんていうかこう
先人に対する
リスペクト
リスペクトを取り戻すっていう意味でも
結構重要だなとは思ったし
あとさっき言ってた
メタの部分もあるんですけど
そこがすごい
なんていうか
憎いですよねやり方が
憎いねって感じだったんですけど
ただちょっとね僕
あれってなった部分があって
たかきは
one more time one more chanceを
初めて聞いたのは
たぶんあのカラオケのとこですね
はいはいはい
だからかなりに紐づいてる曲だと思うんですよ
でたぶんその後もしかしたら
one more time one more chance自体を
聞いてるかもしれないんですけど
連写の中で
one more time one more chanceが
ちょっとシャカシャカと
音漏れね
音漏れが聞こえてきて
そっから完全に劇版にフェーロしていって
そこから桜を見に行くってなるんですよね
あれなんか
あかりのエピソードに
紐づいてる曲になってるけど
なんかそうだったっけ
ていうのがあって
そこを僕結構解釈があって
あかりと一緒にカラオケで聞いてて
歌詞を見るってシーンが
差し込まれますけど
歌詞が映るというか
カメラ的に
そこで
あかりじゃないや
カナエと
カナエと
そこであかりのことしか
たぶん思ってない
と思うんですよ
これ俺のことだなって
思いながら
聞いてるんですよ
目の前の隣の人のことは
全く聞いてなくて
だからもう完全に
それに紐づいちゃってるっていう
もうちょっと
あかりにとっての人生の
アンセムとかしてる
そこがあいつの
ダメなとこなんですけど
カラオケで偶然聞いた曲から
そこまで拾えるのも
買いのありやなって
ちょっと思ってて
あと
めっちゃ変な話してますけど
あの世界って
深海誠はいないってことですよね
あるいは深海誠が
秒速5センチメートルを
作らなかった世界ですよね
そうでしょうね
それは間違いないですよね
だから高木が
あれをやってしまったばかりに
深海誠は秒速5センチメートルを
作るっていうことに
たどり着けなかった
世界専門家は
秒速の公開が2007年
舞台は
あれ多分2008か9
ないのか
ないんだな
高木があれをしたことで
深海誠の世界線も
ずれたんですよ
本気したんです
多分あの世界は
おそらく君の名も
新たな解釈の探求
作られないから
でしょうね
もう多分
自分の父親の会社
釣り出ますよね
日出のみですね
深海誠の人生も
変わってるんですよ
あの世界は
多分あの世界では
長野で普通に
土研屋の社長の
やってるのかもしれないですね
かつ
ワンモアタイム
ワンモアチャンスを
主題歌にした映画は
月とキャベツの生の世界線
確かに
インターネットのサジェストも
曲名入れたら
月とキャベツが出るシーン
すぐにね
すっげーメタやなと思って
確かに
秒速5センチメートルが
公開されてるのと
ほぼ同時期に
あれをやってるわけですよ
高木自身が
だから映画よりも
現実でそれを起こしてるから
秒速5センチメートルは
新海誠の中の
インスピレーションとして
生まれなかった世界だっていう
すごいな
呪いと成長
ほんとに
ちょっとそれ考えると怖いです
あの
本当にあの
新海誠がいる世界で
よかったなって思います
こちらの世界線で
僕はこちらの世界線で
よかったなってなりますけど
いやでもあの
あの劇中の世界では
松村北斗 エンジェル 高木
個人の呪いでしかなかったものを
拡散しましたけどね
呪いを世界に振りまきましたけど
新海誠が
ジオンとかみたいな
ジオンと凛とと同じですよね
呪いのテープですね
呪いのテープみたいな
いやちょっとそこのなんか
ちょっとメタが減ることで
僕それ途中から考えちゃって
あれ
秒速降下されてないなって
山崎正義はいる世界なんだけど
みたいなのを思ってたんです
だからそうですね
新海誠がいない世界線だからこそ
堂々とどこもターゲットさせるとか
ことはハノイアのねみたいな
あれどこもタワーですよね
どこもタワーですね
あのビームに時計あるとかね
そこを送ったりしますよね
確かに確かに
っていうね
あんまり本質的な話ではないですけど
あとちょっと
今回オリジナルですよね
って聞きたかったんだけど
明かりが秒速5センチメートルって
適当に行ったんだよねって
あれは
あれは今回オリジナル
オリジナルですよね
あそこちょっと
あっそうなんだっていうか
あれはあれで書いちゃっても
ありだなって思ったんですけど
そうですね
なんか何でもないことみたいな
やっぱそこにある
話自体がちょっとある種
ちょっと神話的であるみたいなところ
キラーフレーズみたいなもんじゃないですか
そうですね
それは実はあんまり大したことないみたいな
っていうことでちょっとその
過度な深刻化を剥がすみたいな
ニュアンスもこもってるし
何でもないことが逆に尊いんだみたいな
部分の繋がりも
触れてるなと思いますよね
なるほどなそうか
深刻を外すか
なるほどね
ちょっとマトリックスの
わざとレザレーションみたいな
じゃないですけど
もちろんそれはそれで
尊くて神秘的ではあるんですよね
秒速5センチメートル自体が
っていうのはあるけど
ちょっとそういう
何でもなさみたいなのが
結構入れてるっていうのは
結構大事なことかなと
現代パートにやっぱりそこ主題ですからね
方がね
そうですね
そうか
秒速5センチメートルの深刻を
解除するっていう映画なのか
だから高木には一度死んでもらうし
秒速5センチメートルのことは
適当だったという風にするし
するしっていう
結構徹底的に相対化はしてる気が
するんですよね現代パートでも
だとしたら実写の意味もありますよね
そうそうそうそうまさに
アニメの世界に我々はリーチすることは
できないけど
実写はまだこう
虚実境界線が曖昧な領域だから
その呪いに我々もリーチすることが
できるし
あと月とキャベツが存在することで
ちょっとよりメタな
虚実曖昧な世界の中に入っていくことで
秒速5センチメートルって
圧倒的に静電化したものを
いやそんなにすごいことじゃなくて
ありふれた話なんですよっていう
個人の話に戻すみたいな
面白いですねその視点
なるほどね
映画の都合というか
方便みたいなもんにはなるんですけど
結構編集で過去と現在が
シンクロするみたいな感覚が
結構ありますよね
過去に例えば自販機の下り
同時に押しますみたいなのを
大人になったあかりもやってますよ
みたいな
過去との向き合い
あれって言うのは編集の
共通点ある自身をつなぐみたいな
編集の気持ちよさみたいな
ある種インフンみたいな感じですね
みたいな映画の都合というか
方便みたいなものかなとも
思うんですけど
一方で過去って
めちゃくちゃ
自分の人生で一番大切なこと
ある過去ありましたみたいな
話じゃない
なんだどうでもいい過去みたいなのが
語られたいけど実はそこに息づいてる
みたいな捉え方として
映画を描いてるんじゃないかなっていう
感覚がすごいあって
それはやっぱり原作のアニメには
ちょっとできなかったかな
と思ったので
そこにまずちょっと感動してるな
っていうのは結構ありました
何度も
名前挙げてしまうんですけど
三宅翔らしさというか
はかなり今回感じ
まさにフィルム調で撮るっていうところも
すごい似てますしアップロードしてる
三宅翔プラスパストライブスで
やってるなという感じが
すごいして
秒速5センチメートル実写化するなら
見たかったわこれなんだよな
そういうことをマジでやってくれてるんだから
嬉しい
ちなみに
マリムさん逆にここを飲み込めないって
とこあったんですか?
飲み込めない!
でもやっぱ最初
一発目見た時の劇場がちょっと
映写がちょっとボヤーっとしたとこがやっぱ一番
聞かせすぎちゃうみたいな
部分はあったけど今は
若いじゃないけど
別にそういうわけじゃないなってなったから
飲み込めなかったところか
これだけ原作に呪われてる人だから
呪われてるというか
ある種その根底に
紐づいてるからこそっていうのもあるのかな
って思うかもしれない
なんか紐づいてはいるんですけど
これ一回大石さんとかと
別にラジオ外とかでだいぶ前に
話したことがあるんですけど
卒業しなきゃいけないよねって話を
たぶんパストライブスの
手前にした気がしますよね
そうそう
もう自分の人生の中から
全然消し去ることはできないんだけど
そこにどっぷりというわけじゃないんですよね
自分の中で秒速5センチメートルって
もちろんこういう場であるし
ネタ的に
ここにいるみたいじゃないですけど
という使い方はしますけど
そこにやっぱりどっぷりとかではない
ですよね
今となってはというか
それぐらい時間を経て今その境地に
立ってるんですけど
なのでそういった意味では
その境地通りのものが出てきたので
なるほど
結構満足しちゃってるんですよね
っていうのがやっぱあるかな
あとなんか言おうとしたな
忘れちゃったな
割と自分の中での現在における
自分の秒速5センチメートルの対象と非常に一致してる
非常に一致してる
っていうのを
僕と同じ世代のクリエイターが出してくれてることがやっぱり
見た時期とか
全然違うと思うんですけどもちろんね
けどやっぱ同じこと
考えたりとかして
同じようになられて
打ちのめされてでもっていうところに
多分境地として
自分自身も大人になっていくことで
過去との上手な向き合い方じゃないですけど
それを全部無理にはしないが
けどそれが
礎となって今を生きる人生の
力になってるみたいなのを
本作でちゃんと描いてるから
結構満足しちゃってるんですよね
そういう意味では
だからある意味
両側にかけられたさっきの呪いって
あえて言いますけど
呪いに対してこの10年
見てから10年間近くの中で
自分なりに解除してきたものがあるわけですよね
それがまさに
劇場の中でスクリーンに映ってたっていう
たぶん芸作人でやろうともしてたことも
あるんだけど
言葉足らずだったっていうことをやっぱり
シェンカイマホト自身もすごくやっぱり
結構しきりに伝わなかったとか
結構実質だったとか
結構言いがちなんですけど
秒速5センチメートルに対して
やっぱりちゃんと
いろんな人を呪う先になってることも
含めるんですけど
そこも自覚されてるし
だからこその
唯一無二な先になってることもまた事実
そのカルト映画ではある
秒速5センチメートルに呪われた人の
呪いを解く作品でもあるし
秒速5センチメートル自体が呪われてたことを
呪う作品でもあるというか
そっかそっか
作った本人からしたら
語尾であるっていう
捉え方をされている作品ってことですよね
閉じ込められる作品
だからこそカルト化してるんだけど
本当はそこだけを言いたいわけじゃない
それをやっぱり今回は
原作アニメでは
行間だった部分を徹底的にやってるじゃないですか
高木のもがきみたいな部分
あるいはこの無様さみたいなところを
徹底的に描いて
これを下手上だから
踏切の向こうに行かないことを
選んだんですよっていう
過程があるから
そこにちゃんと
呪いを解くプロセスがある
って言ったらいいんですかね
だからいきなりポッて飛んでるから
やっぱり呪いに見えるんですよね
原作って
断絶しました
ここから出られませんとかじゃなく
それら全部やりました
試行錯誤しました
苦しみました
その上でやっぱり
あの踏切の向こうに行かないのが
俺の人生なんだって言って
選ぶっていうことを
主人公の成長と葛藤
その過程が描かれたことで
本来のバランスというか
極端に誇張された
秒速5センチメートル像ってあるじゃないですか
秒速5センチメートルの
memeみたいなのってあると思うんですよ
なんか
うじうじしてそこに閉じ込められた男さんみたいな
いやそれだけじゃないんだけど
っていう
本来の解像度を取り戻すような
ことを行っている映画
そうなんですよね
本当にその初めて見てから
今に至るまでやっぱり
いろいろ人生も経験を
してきたと思ってるんですけど
とかその間に考えたこととかも含めて
なんか劇中でも
そこでやっぱり大丈夫って言われること
がすごく効いてくるというか
やっぱり
高木はやっぱりずっと
囚われてるっていう
自負はずっとあったと思うんですよ
ずっと止まってるみたいな
けど時は動いてるみたいな
そのなんかその楽さというかギャップ
っていうところにすごくやっぱ
唸られてたというか
やっぱ最終的にやっぱ
それでも僕は
少しずつでも進んではいるっていうことを
肯定してくれてる
っていうのが僕すっげー嬉しかった
だから吉岡さんが
言ってましたけど30歳ってことは
1歳から始めて地球を一周したんだね
そうそうそうそう
すごい来るんですよね
別になんか
他の人よりなんか大した人生
歩んでると思ってないんですけど
なんか人によっては
結婚して子供生まれてみたいなとか
言うってことは全然いまだに一人で
ベラベラしてるだけなんで
大して進めないなみたいな感じするんですけど
そんな僕でもちゃんと進む
ちょっと進んでるみたいなこと
それをきちんとなんか
何も進んでないよって思いがちだけど
いやでもちゃんとあなた
進んでますよって言ってくれてることが
すごく嬉しかったです
そもそもね
周囲の影響と未来への希望
20代の足踏みなんて
足踏みじゃないですよ
そもそも
何も前に進めてねーなんて
前に進むなんていうこと
自体がもう嘘なんですよ
そんなもん嘘ですよ
20代のは錯覚だからな
これねよく言われてたんですけど
年齢多分数字ですから
話しとると一緒だと思うんですよ
山口さんがよく言ってくれて
人間の意味が10本だったから
生まれた幻なんですよ
そういうのはないんだけど
やっぱり不安になること
誰しもあるじゃないですか
大人と呼ばれる年齢だけど
大人なのかな自分っていったら別に
そうじゃない部分もたくさんあるしなみたいな
っていう不安ってみんな持ってることだと思うんですよね
そこにすごく今回
ドンピシャに刺さるような絵になってるというか
それでもあなたは大丈夫ですよ
って言ってくれてること
とりあえず頑張って
あなたなりに必死に生きてるんだ
ってことを肯定してくれてることが
僕はすごく嬉しいというか
好きなポイントですよね
この作の
あいつめっちゃ頑張ってません?
尋常じゃないでような勉強しますよ
プログラミング
ほんと頑張ってるんですよね
要はあれって
分かんないですけどあそこの科学館
展望館みたいな就職してるのかもしれないですけど
ある種なんかね
フリーランス的なモチションで
プログラミングやってくれませんかみたいなもんじゃないですか
フリーランスってそんなありませんからね
みたいな
しっかりコードも美しいって言われるシーンもあるし
その家帰って
部屋が散らかったらそこにコードの本がたくさん置いてある
っていうところもまたこう
彼の陰長の努力みたいなのも見えるし
リラックスの本とか置いてたな
ジャバスクリプトの本とか
置いてあったりとか
そこの回数とあとは赤本の数とかも
そうだなと思うんですけど
そこに結局彼が
過去に確かに囚われてるし
自分はそう思ってるけどいやいや前進んでたじゃん
っていうのも
小道具で見せてきてるなと思って
本人頑張ってないって思ってるかもしれないけど
方から見たらすごい頑張ってるじゃん
みたいな
自分からは気づかないこと
ちゃんと言ってくれてるみたいな
それがすごく
大切なことだったりするじゃないですか
そんな些細なこと
分かりに対して
分かるくないけどなって言ったけど
彼が明るいって言ってくれたから
すごく大切に残ってたとか
最後の水野さんへのちゃんと
僕とは違う
ところが好きだったっていうところも
大事じゃないですか
そういったことにすごく
思いを馳せるみたいな映画になってたから
僕はそれだけがちょっと
思い出すとウールしちゃうんですよね
原作より
努力は明確に描かれてましたよね
そうですね
アニメだけ見ると何でもできちゃうやつ
みたいな感じするんですよね
サッカーもやって救助法できるのかいみたいな
感じというかね
しかも仕事もできるでしょう人間もできるでしょうしね
みたいな感じあるんですけど
持つものの悩みっぽく見えちゃうところはあるな
と思ってたんですよね
そこもしっかり互換されていいんで
映画っていうのはすごく
ありましたね
だから本当に
僕と描作センチメートルっていう
関係性が一緒に成長してきたのが
果ても結果みたいな
決実したものが今そこに映ってるみたいな感じが
そうだった
だからあんまりと
作品どうこうとやっても人生
紐づいたことしか言えないみたいな感じで
何を言えばいいんだろうって思ってきてますから
ラジオではいいんですけど
その後映画まで何を話すんだろうみたいな
確かに
俺の人生の話からするみたいな
結果そうなっちゃいますね
僕と描作同性チームという話から始めますけど
大丈夫ですかみたいな
そんな話誰も求めてないよみたいな
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