今日のテーマトークは、『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』です。
では、マリオンさん、解説をお願いできますか。
はい。では、映画ドットコムから解説を読ませていただきます。
バットマンに悪役として登場するジョーカーの誕生秘話を描き、第76回ベレンチャー国際映画祭で金字獅子賞、
第92回アカデミー賞で主演男優賞を受賞するなど高い評価を得たサスペンスエンターテイメント
ジョーカーの続編。トッド・フィリップス監督と主演のホワキンフェニックスがサイタックを組み、
ジョーカーが出会う謎の女、リー役でレディ・ガガが新たに参加した。
理不尽な世の中で社会への反逆者、民主の代弁者として祭り上げられたジョーカー。
そんな彼の前に、リーという謎めいった女性が現れる。
ジョーカーの狂気はリーへ、そして群衆へと伝播し、拡散していく。
孤独で心優しかった男が悪のカリスマとなって暴走し、世界を巻き込む新たな事件が起こる。
トッド・フィリップス監督のほか、脚本のスコット・シルバー、撮影のローレンス・シャア、
前作でアカデミー作曲賞を受賞した音楽のヒル・グドナトリルラ、メインスタッフも続登。
第81回ベネチア国際映画祭コンペティション部門出品。
タイトルのフォリア・ドゥはフランス語で2人ぐるいという意味で、
1人の妄想がもう1人に感染し、2人ないし複数人で妄想を共有することがある関王精神病のこと。
はい、それでは内容に触れる話に入っていきますので、ネタバレ気にされる方がいらっしゃったら、ぜひ見てから聞いていただけたらと思います。
はい、では沢居の感想、マリオンさんいかがでしたでしょうか。
そうですね、なんて言ったらいいんでしょうね。
全力で笑えないジョークをやりきった映画って言ったらいいんでしょうか。
なんか本当に簡単に言ってしまえば、前作に冷水をぶっかけるために作られた映画だなっていう感じがすごいしました。
それが本当にアーサー・フレックという人物そのものの映画に、この2話で完結をしたのかなっていうか、しっかりまとめあげたっていうふうにすごい僕は捉えられましたね。
まあそれは別になんというか、正直1作目だけでも十分それは伝わってはいたんですけど、
伝わってはいたんですけど、やっぱり世間のあまりにもまつりあげられたムーヴっていうのが本当に本作にもめちゃくちゃ反映されていて、
やっぱりこの熱気は冷まさないとダメだっていう思いがすごいあったんだろうなっていうのは本当に感じました。
なので正直、前作でも伝わっていたことをわざわざこの尺でやる必要があるのかっていう感じも受けたりはしたんですけども。
けどまあ、ちゃんとなんというか、アーサー・フレックというつまらないジョークしか言えないような男、
バリにつまらないジョークのオチを言って締めたという意味で、まあこの映画やっぱりすごいいいなというふうに僕は思いました。
はい、大石さんいかがでしたでしょうか。
なんかもう本当感想が結構見終わった後からいろいろ2点3点自分の中でしているんですけど、
なんか見終えた後はすごい誠実な続編だなという気がして、
まさにジョーカーというキャラクター、映画が生んだ、まあ元々バットマンの原作漫画にいるキャラクターではあるんですけど、
やっぱり映画ですごく知名度を得て人気になったキャラクターであるジョーカーっていうキャラクターそのものに対して、
どうアプローチをしていくのかっていうことをすごい考えられた続編だったなと思います。
それはおそらくそのジョーカー、もちろん現実社会において彼を模倣して起こした事件というのがまあ日本でも起こったわけですし、
そういったものに対してどう作り手として向き合うかってことをすごい考えた作品なんだろうなっていう、
その誠実さはすごい見た後、直後はすごい伝わってきて、なるほどなっていう感じはしたんですけど、
なんか見終わってからだいたい数日間くらい経ってきて、今になるとなんか本当にこれで良かったのかなっていうのも、
やっぱだんだん頭の中で持たげてきた感想ではあって、
果たして一作目の中でジョーカーに本当にその共振したような人たちだったり、救われたって思ったであろう、
まあ一作目のみならずだと思うんですけど、その他の作品群におけるジョーカーの描き方もおそらくそうだと思うんですが、
人たちっていうのの救いってじゃあどこにあるんだろうっていうのをすごい考えさせられるというか、
結局それってすごくその人個人の、もちろんこれはアーサー個人の話だって言ってしまえばそれまでなんですけど、
とはいえその弱者、弱い立場に立ってしまった人たちに撮ってみたら、
なんかまた結局自分で頑張れよって言ってる映画にもちょっと覚えてきてしまって、
なんかこれは確かにちょっと良かったのかな、これ誠実なのかな果たしてっていう、
なんかもう一回その問いが自分の中で出てきてしまって、自分の中でこの映画はすごい評価しかねるというか、
ちょっと固まりづらい映画だなっていうふうには今感じています。
僕はですね、見ている間ずっとジョーカーが出てきたら面白くなって、アーサーが出てくると面白くないなと思いながら見てたんですね。
ジョーカーは面白い、アーサーはつまんねっていうのを繰り返してて、でも最終的にどうせジョーカーのシーンもたんしなみたいなので、
まあ総合的にだんだんこうしなしなってなっていったんですけど、面白いのが作中の登場人物のジョーカー信者たちも同じ心境を辿ってるっていうのがちょっと面白いなと思ってて、
ジョーカーが出ては盛り上がっては、アーサーがられてしなびるっていう、最終的にしなびて終わるっていうのがすごい皮肉だなぁと思ってて。
アリーなんですけど、1作目に対しての2作目として意義深いなと思うんですけど、
まず冒頭のホワキンエンジェルアーサーのその痩せ具合にちょっとびっくりしちゃったんですけど、
こんなになんていうか、ちょっと前に某を恐れてるで少しふっくらしたホワキンを見て後だったんで、
こんなに変わるかねと思って、ちょっとあの背中はすげーなってなりませんでした。
確かに一作目もすごかったと思うんですけど。
そうですね、もっと痩せてますよね多分ね、おそらく、そんな気はしました。
いや、まぁあとね真の冒頭という意味では突然ルーニートゥーンズ調のアニメが始まるのびっくりしましたけどね、そういえば。
あれもうほとんど映画の内容全部言ってましたよね。
まんまでしたね。
あれ入れる必要が本当にあったのかはよくわからないんですけど、まんまと言えばそのままの内容のアニメだったし、
でルーニートゥーンズにしたら質感やっぱり今っぽいなっていうか、
なるほどなるほど。
なんかそこも寄せて欲しかったなってちょっと思ったんですよね、ザラザラ感とか。
僕カートンネットワークでその当時のやつとか見てたんで、なんかそこはもうちょっと頑張ってほしいなとか、
そこでノイズになることはないんですけど、ちょっと変なとこで引っかかってしまったっていうのはありますね。
だって前作はね、やっぱその当時のバーナーのロゴが出たりするじゃないですか、ソウルバスの。
ああいうのとかやって再現度とかすごい意識しててのに、なんかアニメはもうちょっと再現度足らないんじゃないみたいな変なことを思ったりしました。
ちょっとアニメを差し込んだのは飲み込めないなっていうのもあって、
わかるんですよ、そういうことするっていうのは。ジョーカーだからっていうのはわかるんですけど、
なんだろうな、ちょっとチョケ過ぎ感も感じんことはないかなっていうのもあるし、
直接的すぎて逆にあんまうまく感じないなっていうのもあって、
なんかむしろ、実際にあの収容所というかアーカムアサイラムですよね、あそこ。
刑務所兼精神病院みたいなとこですよね。テレビ映っててたまにアニメ流れてたじゃないですか。
そこにジョーカーそのものじゃないにしてもピエロっぽいキャラが自分を乗っ取られるみたいな番組が流れてて、
曖昧場でアーサーがそれを見て最終的にそのピエロが破滅に向かっていってるのが流れているみたいな感じで、
なんか後々なぞらえていくみたいなことも可能だったんじゃないかなっていう気もして、
そんなことをしないといけないかどうかっていうのは微妙なんですけど、アニメやるとしたら、
わざわざ劇中にそういうカーテンが流れているテレビもあるんだったらそこに流して、
でも実際にそこに流れている番組が実際にそれであるかどうかもあんま関係ないじゃないですか。
もうアーサーが勝手にそれを見てるだけでいいから、この話は全部。
全部アーサーが見た妄想ですっていいから別に何でもいいんですけど、
あそこに冒頭に流れたアニメが何でもない。
アーサーが見た妄想としてですらないから、もうなんか作り手のやったった感だけがちょっと感じる部分もあるなと思って、
そんなに意味あったんかなっていうのは結構疑ってます、あれは。
確かに本当にアニメ終わりました、プツンって切ってはい、ジョーカー本編始まりますみたいな感じじゃったじゃないですか。
何?っていうか出るみたいな、なんですか、ピクサー見る前についてる短編でも見てましたか?みたいな感じの断実というかはめちゃくちゃ感じましたね。
確かにそれだったら本当に刑務所で見てるアニメがああいう感じのというか、そのものズバリじゃなくとしても乗っ取られるみたいな話みたいなのって、
僕ルーニー・トゥーンズ全部見てるわけじゃないですけど、なんかあるんじゃないですか、ルーニー・トゥーンズの作品に。
そういうのありそうな気がするし、ゲームに流してたやつちゃんとルーニー・トゥーンズでしたしね、スカンクのやつとか。
せっかくアニメーションっていう絶対なるフィクションとしてあるんだから、それが途中で入ってくることで、
もう現実とフィクションぐちゃぐちゃになってるみたいなこともできたような気もするけど、
もうバツって分かれてるから、あそこそのまま取り外しても話成立してるじゃないですか。
むしろ説明的すぎるまでの説明を省くことで、むしろちょっとよく完成度上がるぐらいやと思うんですけど、なんかね、うーんっていうのは思いました。
だからそういうところを含めてなんかあれなんでしょうね、お便りにもすごいありましたけど、なんかギチギチだなというか、
伝えたいこと完璧に分かって帰ってくださいねみたいな。
それを誠実というワードとかね、ゴイさんとかも使ってましたけど、そういうところが誠実さだったりするのかもしれないですけど、
だからやっぱり確かに前作のほうは間違いなく映画としての広がりとかはあったわけですよね。
やっぱり想像の余地とかあったんだけど、それゆえに変なやつが燃え上がっちゃってみたいところがあったから、この作りなのかもしれませんけど。
なるほど。
だからそれがいいのかがわかんないっていうのはありますね。
だから映画としての出来よりもそっちを優先しすぎてるところはやっぱりある気はしていて。
今回例えば、明らかにアーサーの妄想と現実っていうのをミュージカル、てか音楽とダンスがあるとこれは妄想ですよっていうふうにパキッて分けるじゃないですか。
前作って現実とそれが実続きだってどこまでがモアさんの妄想でっていうのがわからないからこそ、
ジョーカーらしさでもあり面白さだったり信頼できない語り手だよねって話にもなってたと思うんですけど、
本作でそれを作り手側がすごい明確に提示してるなって思ったんですよ。
明確すぎるぐらい提示してるなと思って。
だからこれはもう、あ、もうノットフォーミーなんだなと思って、作り手側がそもそもこちらに対して。
そうですね。
だから見てて、あ、信頼できる語り手だなってなって。
お便りとは全く違った。
だって現実じゃないシーン、明らかに現実じゃない描き方になってるから、
あれ?妄想か現実がわかんないとかじゃなくて、妄想、現実、妄想、現実。
だからもう逆に全部信用できるんですよね。
妄想シーンは妄想だからOK、現実OK、妄想OKってなってるから、
その曖昧な部分はなくって、めちゃくちゃ信頼度の高い語り手によるストーリーテイングだなと思いながら見てたし、
やっぱりその、ジョーカー信者の描き方っすよね、本作。
お前らだよって言ってたじゃないですか。
完全になんかその、お前らだよっていう、映画見に来てお前らだよって言ってる感じで、
僕もなんかすげえわかるなって思ったんですけど、別の方があれっぽいなって言ってるの見てて、
それすげえそうだなって思ったんですけど、エヴァンギリオンの旧劇場版だなって思いましたね。
あれはまんま観客出しますけど、お前らだーって出しますけど、あれに近いものを感じるっていう。
そうっすね。いや、それに近いかもしれない。
今回のリアドゥも、エヴァンギリオン旧劇も、ある種、中にあるドロドロしたものをぶちまけてしまって、
どっちだけさせるみたいな部分という意味ではすごい似た映画。
それあと、ホワキンフェニックスの某は恐れているもある意味そんな映画だったし、みたいな。
そういう風に繋げることもできるよなーって感じですよね。
確かに。でも、エヴァ旧劇は逆に面白いですからね、あれは。
あれはもう最高に面白いですよ。
あんなもん見せられたらもうたまんないくらい面白かったので、でもそれすらも許してくれないんですよね、ホリアドゥって。
本当にアーサーっていう人って本当に退屈というか、なんてことない普通の弱い人ですよ、みたいなことを言ってどっちだけさせて、
それが別に面白いかもなんともないっていうことが事実としてのしかかってくるって、だいぶつらいものを突きつけてくるよねってちょっと思いましたね。
あんまり個人としてのキャラクター性みたいなのはあんまないなと思ったんですよね。
なんかほぼニアリーイコールモブみたいな感じというか、
もちろんそのビジュアルとかあるいはパフォーマンスの存在感っていうのはあるんですけど、
ストーリー的な存在感あんまないというか、別にあれがファンにもてはやされたから調子乗りましたの代わりに
一向人になってるだけぐらいの感じに見えるというか、
なんかあんまりその物語的な吸引力を感じなかったんですよね。
確かに結構彼女嘘つくって言ったじゃないですか。
なので結局彼女のバックボーンってあんまりよくわかんないよねってまま終わっちゃうっていうのはあるので、
本当にただの、ただのというのはちょっと違いますけど、
本当にジョーカーに熱狂的なガールって感じでしかないよなとは見える。
けどそれぐらいの中身の無さこそが現実的なのかなみたいなところなのかもしれないですけど。
仮にも原作コミックにおいてナーリキャラクターであるハーリークイーンを実質的なモブみたいな扱いしたっていうのは、
結構なんでしょうね、ある意味このシリーズっぽいっちゃっぽいのかもしれないけど、
だってそもそもアーサーが何者でもないしっていうのもあるから、
っぽさはあるんだけど、にしても装置やなーみたいな感じにはしちゃったんですよね。
ちょっと切なかったシーンとしては、地下房に追いやられたアーサーに会いに行くっていうシーンがありましたけど、
そこで彼にメイクをするっていう。
メイクをした彼を受け入れるっていう形になってくると思うんですけど、
あれはすごい切ないなーと思って。そのままの彼、素の彼では受け入れてもらえないんだなーっていうのが結構明確に示されたシーンで、
きっつーってなりながら見てました。
なんかこれあれでしょうね、みんな片思いの三角関係みたいな感じですね。
そうですね。
ちょっと思ったのが、それこそその一作目とか今作でもそうですけど、メイクをするシーンっていうのは、特に一作目かな。
すごい印象的に映りますけど、今作すごいその反復としてのメイクを剥ぐシーンっていうのがあるなと思って。
公衆トイレでのすごい美しい一作目の、彼が初めて殺人を犯した後の全能感で踊るっていうシーンの反復を今回ちょっと映すじゃないですか。
ダンスが終わってその後にある意味巣に戻ってメイクを落とすっていう。